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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
小泉八雲が聞いた「鳥取の布団」
 今日は午前中国勢調査の仕事をしました。ようやく68世帯全て周りきりました。しかし、16軒、お会いできないままです。二度三度伺いましたが不在という場合もあります。最悪、依頼メモと調査票を置いてくることになるかもしれません。
 昼は、母が「干潟八万石」さんの「たこ焼き」が食べたいと言うので、そうしました。ということで、私は「エスとエスト」で昼食と相成りました。そこで紅茶を飲みながら小泉八雲「明治日本の面影」(講談社学術文庫)を読んだのですが、八雲が宿屋の仲居さんから聞いたという昔話「鳥取の布団」が気になりました。
 新築開業した宿屋に最初の客がありました。主人は最高のもてなしをしたのですが、夜、子どもの声で、客が目を覚ましました。「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」を繰り返すのです。隣の部屋からだと感じたのですが、次第に大きくなり、不安な気持ちになったとき、声が布団の中から聞こえてくると分かったのです。飛び上がり、主人にそれを訴えると相手にしてくれません。宿代を払って、他の宿に移ってゆきました。
 そして翌日、同じように「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」を聞いたと客が降りてきました。そこで、主人がその布団で寝てみると同じことが起きたのです。布団を購入した店に行くと、町外れの小さな店から買ったとい言います。この布団には次のような由来がありました。
 ひどく貧しい家族がありました。わずかな家賃も払えないほどで、病弱な妻の薬代を稼ぐために無理をした父が亡くなります。すると、母親もあっけなく後を追ってしまいました。身寄りのない8歳と6歳の兄弟は家財を売って露命をつなぎましたが、とうとう、一枚の掛け布団だけとなった兄弟に、寒さが襲い掛かります。「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」と子どもらしいいたわりの声を掛け合うだけしか出来ませんでした。
 そこに、因業大家がやってきて、布団を取り上げた上に、家に鍵をかけ、雪の中に追い出します。二人は薄い紺の着物一枚きりでした。近くの観音寺に行こうと思いましたが雪がそれを阻みます。そこで、大家がいなくなった後、家の裏の軒下に舞い戻るのです。あまりの寒さに二人は抱き合うのですが、寒さに眠り込んでしまいました。 そして、寝ている間に、神様が二人に新しい布団を掛けてくださいました。霊妙なほどに白く美しい布団です。兄弟はもはや寒さを感じませんでした。何日も何日も二人はそこで寝ていました。ほどなく、永眠している兄弟が発見されます。もちろん、神からの布団は幻だったのです。
 人々は、千手観音があるお寺の墓場に、兄弟のために新しい寝床を作りました。その布団が宿屋の主人が買った布団であったのです。主人はその布団をそのお寺に寄進し、二人の幼い兄弟のために、お経を上げてもらうようにお願いしました。すると、その布団はもうそれっきりものを言わなくなったそうです。
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コメント
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 そうですか。絵本になるくらいですから、有名なお話なんですね。知りませんでした。神様の布団は雪だったんですね。なるほど、白いわけです。
 益なき者と一定の価値観から、決め付け、軽蔑し、ともに生きる者から排除してゆく風潮が気になります。政府が障害者国際年だ、女性地位向上だ、ことも人権年だ、老人福祉だと言えば言うほど、現実は逆行しているように聞こえます。
 「勝ち組負け組」には同じ臭いを感じるから、嫌いな言葉なんだと思います。人生に勝ち負けなんてないと年を重ねれば分かります。老いは誰にも平等にやってきて、死が訪れることを感じ始めると人生は皆が敗者であると思えてきます。ですから敗者とあえて言う必要を感じなくなります。
 人は皆滅んでゆくという宿命ゆえに連帯し助け合えるのだと思います。しかし、滅んでゆく身との自覚がないと買った負けただのという言い方を平気でするのだと思います。生きていることが仕事です。無職と言う人はいません。そう思う還暦前です。
2010/09/30(木) 09:20:26 | URL | さより庵さんへ #- [ 編集 ]
きょうだいが誰をも恨まず、ただお互いをいたわりあっているところがまた、かなしいお話ですね。わたしが子どもの頃に読んだ絵本では、神様がかけてくれた新しいふとんは白く輝く雪だったように思います。
「やる気があれば何でもできる」という考え方に勇気を感じる人もいるのでしょうが、反面これはとても危険な思想のようにも思います。人は誰でも努力した分だけそれが形になるとは限りませんものね。むしろ現代は、頑張っているのにいつまでたってもうまくいかない人も多いと思います。あるいは生まれつきなんらかのハンディを持っていて、本人は努力していてもそれが健常者からすると努力しているように見えない(「当たり前」のこともできてない)ということも。そんな時「やる気があれば何でもできる」は、「できないのは努力してないからだ」と、弱者を切り捨てる理屈になることが恐いです。
2010/09/29(水) 22:23:28 | URL | さより庵 #- [ 編集 ]
 実話だと思います。しかも、家賃が60銭と書いてありますから、昔話と言うよりも明治になってからの話なんだと思います。神様が布団を掛けてくれたというのは、体が冷え、寒さを感じなくなったために、暖かくなったと感じ、布団が掛けられたと錯覚したんだと思います。兄弟は観音様を信仰していましたから。布団が掛けられたと感じた時、兄弟は迎えに来た観音様を見たのだと思います。苦しみから救ってくれるのが漢音様ですから。
 こういう話聞くと、信仰を軽蔑する人に、真に、どうすることも出来ない不幸や苦しみや悲しみを想像してみてくださいと、言いたくなるのです。人が何でもできる、やる気があれば何でもできる、信仰に逃げてはいけない、、それが嵩じて、弱い人間を救う必要はない、とまで言い出されると、世の中を広く見て欲しいと思うのです。計り知れない苦しみ悲しみを経験してきた、している人がどれほど多いかを知って欲しいと思います。
2010/09/29(水) 21:06:46 | URL | スキップ #- [ 編集 ]
こんばんは!
悲しいお話ですね。きっと実話なんでしょうね。 物に思いがこもるということは実際にあるようですね。蒲団などはとくに、思いがこもるかもしれないですね。

よく幽霊?の話なんかを聞きますが、あれは、この世に残された、恨みや悲しみの念を、たまたま拾ってしまった人が、自分の脳の中でその念を映像化してしまう現象らしいです。

その能力のある人と、ない人がいるので、見えたり、見えなかったりするようですね。

私自身は、見えないし、聞こえないですが、いわゆる『見えない存在」を感じることはよくあります。そんなときは般若心経をあげてあげると、割りに簡単に成仏してくれます。って、今日はいったい何のお話やら。。。汗。
2010/09/29(水) 20:11:14 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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