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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
国家の人殺しを考える
 小学生の頃、悩まされたことが二つあります。それは「多数決の一方で、少数意見も尊重しなさい」と言うのです。もう一つは「国は人殺しを罰するのに、戦争では敵を殺せと命令する」この疑問を天才チャップリンは「一人を殺せば殺人者だが、100万人殺せば英雄だ」と表現しました。前者については、その後解決しました。しかし、未だ、国家が殺人を正統化する、納得できる根拠に出会っていません。
 ところで「罪もない人を殺すなんて」とよく言われます。裏に「罪があれば殺してもよい」との思いが読み取れます。現に、国民の四分の三が死刑制度存続に賛成しています。根底には「殺しておいて、自分は死にたくないは虫がよすぎるだろう」また「被害者家族のやり場のない怒り、悲しみを思えば、死刑はあって当然だ」との善良な市民の思いがあります。
 では、戦争に付いてはどうでしょうか。戦争反対と皆さん言います。そこに底通している思いは「殺し、殺されたくない」でしょう。にもかかわらず、戦争は市民によって支持されてきました。経済的利害対立、積年の恨み、民族のプライドなどのためです。こうして、人殺しが支持され、国家がお墨付きを与えてきたのです。
 しかし、さすがに、殺人を絶対悪としなければ、国家の暴走=戦争は止められないとの思いを強くしています。ならば、死刑制度に対しても、理屈を捨てて、人殺しの正当化を断念するべきだと思うのです。人殺しを正統化する理性は、論理としてはあるかもしれませんが、倫理としては見出しえません。殺人被害者とその家族、殺人者とその家族への社会的応対は、別途、政府が為すべき配慮と考えます。
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コメント
コメント
草加ヒロさんへ
 個人単位での常識が国家単位では非常識になる、それを早く止めるべきです。殺人は個人がやっても、国家がやっても罪であることに変わりは無い、これはどうしようももない事実です。
 それをそうしないで来たのが人類の歴史です。これを変えれば、フランス革命を越える革新といえるでしょう。まさに超ノーベル賞ものです。佐藤栄作の受賞を取り消したくなる、そんな誘惑を感じさせるほど、飛び抜けた偉業になります。
2010/08/20(金) 21:51:42 | URL | スキップ #- [ 編集 ]
戦争は、国立戦闘集団同士(もっとも最近は民間の戦争屋が国際法は関係ないのか好き勝手やってますが)で戦って最後に出し抜いた方が勝ち、勝てば官軍、戦争犯罪も勝った国が勝った国の論理、正義で負けた国を裁きます。その正義に疑問を持たないいや、持てなくなった国にはやるせない気持ちを感じます。欧州各国のように戦争をしまくってきた過去に辟易し自戒(しているように見えるときがあります)し現在の超大国の言う"正義"に時には、はっきりNOと言える、ある意味成熟した大人の国家になって欲しいです。
2010/08/20(金) 21:23:53 | URL | 草加ヒロ #- [ 編集 ]
 金や時間やチャンス、健康や才能や意欲を奪うのではなくて、それら全てを永遠に奪うことが死です。取り返しがつかないことです。
 そういう風に、バイクを厳しく禁止する時に生徒に言いました。バイクの免許を取らない、買わない、乗らない「三ない運動」に私は反対でしたが、一理は認めました。自分の学年の生徒三人に死なれました。確かに、死んでしまったら、取り返しがつかないのです。命の大切さは、たとえ、犯罪者でも同じです。取り返しがつきません。
 価値あるものを大切にすることは当たりのことで、誰にも出来ます。しかし、価値ないものを大切に扱う事はそうは行きません。、それこそ人間の価値を問われることです。非常なことが起きたときに、人の真価が問われますね。怖いことです。
2010/08/20(金) 20:48:56 | URL | スキップ #- [ 編集 ]
同感です。
私は死刑制度には反対です。 自分の身内が惨殺されても、そう言えるのかと言われてしまいますが、死刑は報復に過ぎないし、死刑では問題は解決しないと思います。しかし、日本人の多くは死刑を認めていますね。。。国や国民が、人間の命を心から大切に思うようにならなければ、凶悪事件も戦争も無くならないでしょうね。
2010/08/20(金) 18:10:36 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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