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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
受験勉強と教科書の質を問う
 少なくとも、日本史に関して言えば、合格することに狙いを定めた受験勉強は若者の労力の無駄使いになっています。受かってしまえば、もう意味を失う暗記やクイズに過ぎません。裏を返せば高校生にとって、受験科目でないならば、学ぶ意味がない日本史になっているのです。
 同じことが進路指導にも言えます。とにかくどうでも、合格させさえすれば教師の責任は果たしたことになるといった進路指導による合格は、就職・進学後の力にはなりません。「学ばない学生」「心ここにない働き手」になる可能性が高いでしょう。もちろん、それは当人達にとっても不幸なことです。
 では、力になる受験勉強とはどんなものでしょうか。その核となることを、昨日、書いたつもりなのです。具体的にはどうするのか。自分なりに考えたことを書いてみようと思います。
 もし、受験勉強の日本史が面白いと感じられれば、それだけで、無意味な暗記訓練ではなくなります。面白い、関心を持つとは、「自分ならどうするか」を考えることです。その時代に居たら自分なら「どう考え、行動をとるか」これだけの歴史的事実からはどんな推論が立てられるか、どちらの説が正しいか。これ等に取り組むことは受験一辺倒から開放してくれるはずです。
 また、この点取り虫からの開放による余裕は、教科書の読み方、見え方を変えて行くと思います。そうすると、より深い教科書との関係が生まれます。その関係ゆえの発見は成長の可能性をもたらします。なぜなら、発見は人を変化させるものであり、成長は変化そのものだからです。
 しかし、残念ながら、成長の種を仕込んでいない、薄っぺらな教科書になっています。その教科書を厳しく検定している文科省最大の使命が子どもの成長であることは、笑えない冗談です。教科書作りに独創性が求められます。独創性は自由があってこそ発揮されることは言うまでもありません。
 
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コメント
コメント
 話が権力との絡みに踏み込んでくると、一線を引かれる気がします。政権批判は出来ます。しかし、体制批判は国民の多数が危険視します。それが日本の現実です。
 その流れの中で、信念や、信仰、思想に命を掛けることの危うさには関わらず、避け、敬遠し、仕舞には攻撃してきます。この傾向を強く感じます。それがガラシャの扱いにも表れていると思います。
 今や、人権をいい、平和主義を言うことが左翼と見られる時代になりました。私が購読し、投稿している「週刊金曜日」は最左翼誌と見られています。しかし、30年前であればノーマルな民主主義・自由主義者の雑誌です。お上が自由主義・民主主義を言っていますから、そのお上を構成する自民党の思想を民主主義と勘違いしているようです。日の丸君が代を強制する政権党が民主主義、人権党であるはずがありません。
 今日も、予算委員会で、義家弘介議員がそんな教職員を攻撃していました。これだけでも、彼は自由主義者ではないといえます。人権主義、自由主義が左翼思想と見えてしまう人達は200年前の時代にタイムスリップしていただきたいといいたくなります。
2010/03/18(木) 15:01:51 | URL | #- [ 編集 ]
面白いですね。
八角さん、こんにちは!今日も実に面白い内容ですね。

以前に、「細川ガラシャ」 は、あんな死に方はしていないとブログに書いたことがあるんですが、 いろいろと調べていくと、歴史にあることは嘘だって分かったからなんです。これは大きな発見でした。ガラシャはやはり、自害は許されないというキリスト者としての立場を守ったんです。 これは確信しています。歴史は隠された部分のほうが数倍面白いし物語がありますね。
2010/03/18(木) 14:25:55 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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