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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
大きな歴史の放棄
 歴史法則を扱わないことが歴史分野はもちろん、社会学、思想分野でも常識化しています。確かに、全ての地域、民族を貫徹する法則の存在を想定することの無理は理解します。。法則に縛られることの窮屈さ不自然さ、人間の努力を評価しない反ヒューマニズムへの違和感も理解できます。文化人類学成果が、単一価値に従い歴史が動くことのグロテスクに気付かせてくれました。
 しかし、それだけではないように感じます。これに加えて、人文教養・人文科学軽視の時代相もあるのではないでしょうか。。「人とは何者なのか」「人はなぜ生きるのか」「善とは」「神とは」命が求める自然に背を向け続けられるでしょうか。
 歴史は己の守備範囲を狭く狭く絞っている様に見えます。もちろん、「人はどこから来て、どこへ行くのか」誰にも正解は分かりません。しかし、だからといって、この大問題を考える努力をも放棄して良いとはならないと思うのです。あるいは放棄しえるのか。
 高校歴史教科書で、歴史哲学を語らせることは難しいことですが、語らせる努力をしないこととは別です。語る意欲を失っていることの弊害が大きいと思います。「なぜ歴史は動くのか」それを考えることが大切だと「はじめ」に書いておきながら、教科書にはその答えはないのです。各時代への変化はどのような人々のどんな要求から生まれたのかさえ、書いてない場合が多いのです。
 歴史は変化です。変化にはエネルギーが必要です。各時代に付き、「歴史を動かすエネルギー(勢い)は何なのか」これも書かれていません。歴史が暗記科目と、高校生から蔑まされても仕様がない状況です。
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コメント
コメント
 いやはや、この文章にお付き合い願える方は居られないのではないかと思っていました。居られるとしたら、美代子さんぐらいかと。そのような結果になるようです。
 いまや、評判が悪い清水幾太郎さんが言っていました。「大きな歴史の時代」が終わったのだが、その魅力を感じなおすときが必ず来る、といった内容です。私もそう思っていました。ミクロとマクロ、総合と分析、ハードとソフト、プラスとマイナス、男と女、みんな対になって、全体を構成している、安定している、存在できるものです。歴史もミクロとマクロがあるはずです。マクロが歴史哲学です。人類ははどこから来てどこに行くのか?これを考えないではいられないはずです。それを危険だからやめ、といってもとめられないと思うのです。
2010/03/17(水) 21:43:16 | URL | 八角 #- [ 編集 ]
人間は・・・
八角さん、こんばんは!人間は無意味に創造されたものではないと、私は思っています。 元々は無であったところに、明確な意思が生まれて、ビッグバーンが起きたと、私は思っています。 ビッグバーンも勝手には起きたものではない思います。。。その明確な意思は、明確な目的を持って全てを創造したのだと思います。人類はそのために誕生させられた?のだと思います。人間は人間としての進化の道を辿ったのであり、サルから進化したのではないと私は思っています。。。「思っています」 ばかり書いてごめんなさい。 v-254
2010/03/17(水) 21:18:45 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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