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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
S夫婦との話 その②戦争に負けたから泣いたんじゃない
 Sさんの奥さんは71歳、終戦の昭和20年は、国民学校2年生でした。19年、お父さんが40歳で招集されたそうです。
 私の父が、伊豆大島で、眼に焼き付けた事実と照応します。南方に兵員を送る船は伊豆大島に寄航しました。父もその応対をしたそうです。その時に驚いたことが二つ。ひとつは、兵が高齢化していること。当時の40歳です。父は25歳でしたから「高齢化」は実感だったことでしょう。 そして、もう一つ、兵たちは、竹の銃剣に、木製模造銃を下げていたというのです。戦闘の恐さを中国で経験済みの父は、思わず、涙したと言ってました。そうしたら、Sさんが「そういえば、おっらよう、千葉誉田の傷病兵病院の寮にいたんだっけど、警護の兵隊達が銃を持っていたのを見たことがなかったあ」と言うのです。「銃剣を見せてもらたけんど、茶色に塗ってあって、刃がなかった。あれは竹製だったんだなあ」
 奥さんは言います。「父を送り出したときに、胸が本当に、痛んだことを覚えているよ」爺さまは「息子が帰ってくるまで、何が何でも、三人の孫を守らねば」と何度も周りに言っていたそうです。そこで、部落の爺様たちが相談して「艦砲射撃が始まったら、みんなで、群馬に逃げよう」と決め、その準備もしていたそうです。
 そんな中、昭和20年8月15日が来ました。ラジオがある家は部落に一軒しかなかったので、そこに集まったそうです(この事実だけでも、アメリカに勝てるわけがないと分かる)。そうすると、爺様たちが泣き出した。訳が分からない2年生は聞きました。「戦争が終わった」 奥さんは、爺様たちを泣かせているのは「これで孫達を死なせることがない」との安堵だと感じたと言います。「負けたから泣いたのではない」と言います。
 その年の秋、きたない格好をした浮浪者が庭に立ったそうです。恐くて、爺様の後ろに隠れたら、爺様がいつもとは違う動きで立ち上がり、その男に近寄りました。九州から何とかたどり着いたお父さんでした。
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