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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
徳高き者にお金集まらず その②
 何が美しくないのか。自分は何も変わっていないのに、国境を越えるだけで与えられる、国力ゆえの財力をあたかも自分の属性のようにして振舞うからです。この国力以外に裏づけがない優越感に、親の七光りを笑う資格はありません。
 江戸時代の地主・豪農層の中には、篤農家と呼ばれた人々がいました。私財を使い、橋を架けたり、用水を掘って、新田を開発したり、産業を興し、地域に仕事・雇用を創造したりしました。また、学者・文人・墨客・絵師を招き、地域に文化を持ち込みもしました。地主・豪農として得た財力を地域に還元し、地域のリーダーとして、その住民の生活を守る使命意識があったのです。
 彼らには、我々が失ってしまった哲学があったように思います。「豊かだから与えるのではない。与えるから豊かになるのだ」という生活思想です。富とは、たまたま、自分のところに集まってきたものに過ぎない。元は、みんなの労働が作り出したものだ。だから、富を与えられた自分は皆の福利厚生に役立つ使い方をしなければいけないと考えた。ならば、ここには、天から富を預けられた者として持たねばならない「 徳 」があります。
 しかし、今のお偉いさん達は、利益は己の努力と才能ゆえに自分のところにあると信じて疑いません。中には、たまたまの利益では不足だと、それを引き寄せるために策を弄する政治家や高級官僚や企業家も少なからずいます。権力を持つものに高い徳が必要なように、富を集中する者にも徳が要請されるのです。
 このことは世界的視野に立ってみると、我々日本の庶民にも言えることです。我々は発展途上国民から見れば、お大尽です。「二十万ウォンか。円に直すと二万円。ならば買おう」これは自然と言えば自然ですが、韓国の労働者の労働力を自分のそれの十分の一にしか評価しないで買うということです。同じ労働が国が違うだけで十倍になり、十分の一になるのです。そうして得た金力を暴力のように見せ付けてオークションで大騒ぎすることが美しいはずがありません。





 
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コメント
コメント
 誇りというものの復権が必要です。料理人がかっこいいと若者に見られる原因はこだわりという誇りを感じるからではないでしょうか。
2009/12/24(木) 21:38:59 | URL | 八角 #- [ 編集 ]
インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる杉山龍丸
砂漠化しつつあったインドに緑をもたらした日本人・・・私財をなげうって他国にって!
どこぞの政治家は月に多額のこずかいを貰い、低次元の話題を振りまいている。それを取り上げるメディアも・・・
世界から尊敬されるような人間が、日本から生まれるとは、到底思えない!
2009/12/24(木) 19:50:38 | URL | シマンチュ雑話 #- [ 編集 ]
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