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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
三つの自由 その②
 身ごもった娘の父親は、もちろん、白隠さんに抗議します。というか、僧職にある者が何事かと、怒り罵倒します。出産後、赤ちゃんを連れて来て、置いていってしまいます。この間、白隠さんは何も反論しません。そうですか、そうですかと全て受け入れます。
 これって、欧米近代個人主義を教養とする者からすれば、愚かなことです。その前に、名誉を奪われているのですから、抗議し、事実を公にすることが事態解決の筋と考えるでしょう。しかし、事実を述べ上げ、真実を究明することが、取り返しのつかない結果を生じることもあります。タイミングは大切です。それを待つことは白隠さんが人間を信じているからだと想います。この場合、信じるとは、娘が真実を隠し通した場合でも、後悔したり、娘を批判したり、恨んだりしないことを含んでいます。
 事実を知った花屋さんは孫を引き取りに来ます。白隠さんは、そうですか、と何も言わずに、手渡したそうです。これって、簡単に聞き流しますが、言い訳ばかりしている自分を振り返ると、出来そうにないことです。自分の責任であると分かっていても、言い訳していますから。
 この話を聞いて、日本人の8割は、白隠さんをばか者とは見ないで、むしろ、尊敬するのではないでしょうか。もしそうなら、仏教が我々のこころの深層に打ち込まれているからです。英語教師にして、ロンドンに留学し、その間、うつ病になってしまった漱石は、近代欧米個人主義に敬意を示しながらも、その偉大さを認めながらも、最後は禅に安心境地を求めました。善悪、醜美、正誤、苦楽、成功失敗、幸不幸の区別をしなくても、否、しないからこそ真理をつかむことが出来る、そんな「精神の自由」世界があるんだと、その姿の影をうっすらと感じている不自由人です。
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