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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
戦国を終わらせる大名の社会的条件 その③
 京都を中心に考えて、ここから遠いところも、近いところもその条件にありません。ならば中間地点ということになります。具体的には、現在の中国地方と中部地方です。そして、この見方通りに、愛知県に信長・秀吉・家康の三人が現れました。(中国地方では毛利氏が勢力を蓄えています)
 愛知県には広大な濃尾平野があります。こういうと、「日本一の平野は関東だ」といわれそうです。その通りです。二位が石狩平野、三位が濃尾平野です。しかし、、この時代、関東平野は未だ森林や荒野であったのです。大規模な新田開発は江戸時代に入ってからです。石狩はコメ生産していません。ならば、開発が進んだ最大規模の平野は濃尾平野であったとなります。三河ではすでに、綿花栽培が始まり、綿製品の手工業も動き出していました。国産力織機(綿織物機械)の製造から自動車生産に成長したトヨタが愛知県に生まれる歴史は戦国時代にさかのぼることができます。このように、経済的発達は畿内に劣りません。
 加えて、京都までの距離は、我々が思うほどに遠くないのです。東海道新幹線で東京から名古屋までが2時間、名古屋から京都までが50分かかります。だから遠く感じるのです。しかし、東海道線は大きく北へ迂回しています。そして、米原で南下するのです。信長が浅井・朝倉連合軍、毛利、延暦寺、石山本願寺などに包囲された時に、馬を走らせ数時間で、京都から岐阜に到着しています。直線距離を逃げ帰ったようです。
 さらに、荘園領主の支配は及ばない地域でした。領国形成も容易であったのです。三河や伊勢長島に一向一揆が発生しますが、農民の自治組織である惣の活動も畿内に比べるとその連携は未熟でした。
 ①京都に近い ②経済的先進地域に領地を持つ。③荘園領主の支配が及ばない地域 ④農民勢力が強くない
この条件を最も色濃く持っていたのが尾張・三河であったと言えます。信長・秀吉・家康の人間的才能・資質を生かす社会的条件が尾張三河にはあったのです。秀吉がその器が大きいと賞賛した伊達政宗が尾張三河に三十年早く生まれていたら、彼が天下を取ったかもしれません。同じようなことが、謙信や信玄にも言えることでしょう。
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