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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
なぜ、火事を「江戸の華」と言えたのか
 「火事と喧嘩は江戸の華」、ボクシングやK1を見る我々と同じ興奮から、喧嘩を華と捉えるのは分かります。しかし、火事を華と見る心理は分かりづらく、ずーと、疑問でした。
 明暦三(1657)年の大火は江戸のほとんどを焼き尽くしたといいます。本丸を含む江戸城、大名諸侯の屋敷500余、旗本屋敷770余、神社仏閣350余、橋梁61、そして下町町人地域を総なめにしました。死者十万二千余と記録にあります。万単位の死者が出たことは当時の状況から、間違いないと見られています。この後も、大火は数知れず、そのたびに、死者が多数出たと想像するのが普通です。ですから、喧嘩と並んで、火事を華と呼び、はやし立てたような言い方を、どうして江戸町人がしたのかが、疑問だったわけです。
 これを解く鍵は享保の改革にありました。町火消しを組織させたことで有名な大岡越前守忠相が、関わっていました。彼は、総合的に、火事対策を推し進め、土蔵造り・瓦屋根化も、町人の反対を説得し、ある時は、権限を使い実施していきました。その一つに「火除け地」の造成があります。その数、90箇所。今の東京市域に換算すると、4000箇所を造ったことになるそうです。
 これにより、家・家財を失っても、命を失うことはなくなったといいます。大火の後、東京大空襲のような惨状を人々は見ることはなくなったわけです。ですから、お気楽と思えるような「火事と喧嘩は」と言えたのです。
 この政策は立派なものです。まさに、政治の仕事である市民の生命と財産を守ることに多大な努力をしたということですから。関東大震災や戦災の後、政治家か利権あさりのチャンスと見たことを思えば、まさに、立派な政治であると言えます。
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