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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
二つの憲法改定=小泉政治の本質
 
 日本国憲法には理想が散りばめられました。しかし早くも、1953年、鳩山一郎が9条改定を主張します。実現のために、努力してもらったことがない条文です。
 一方、24条両性の平等、25条生存権、27条勤労の権利等は、改定の動きなく、政府はその実現に努力をしてきたと国民も評価してきました。ですから、憲法改正と言えば、9条改定であったわけです。そのための気付けなかったのです。
 小泉改革はバブル崩壊後の不況を打開するため、経済規制解除を政策とし、新自由主義を掲げました。その殺し文句が「自己責任」です。これでは福祉国家をやめ、夜警国家に逆戻りすると、私は批判的に受け取りました。
 しかし、小泉さんは想像を越える信念を隠し持っていたのです。生存権、勤労の権利実現も理想とすべきではないとする信念です。25条も27条も彼にとっては、改定すべき条文だったのです。
 このように言うと、そんな信念は持っていないと反論するでしょう。しかし、憲法は原理です。原理を最高待遇し、これを中心に政治を動かしてゆくことがそれを信念にする者の姿です。やれる条件があればやるが、なければしないというのは原理を己の血肉にしていない証拠です。
 以上を裏付ける報道が21日にありました。「貧困率日本15,7%先進国で最低水準」。小泉元首相は9条と同じように25条を扱っていたのです。彼が目指した、自由に飢え死にし、自殺してけりをつける「自己責任」を原理とする社会が実現しました。
 自由競争を原理とした資本主義が生まれた後、イギリスでマルクスが見た事実は、自由主義の自由とは「死に逝く自由」だと看破させました。「新」が付こうが自由主義は自由主義です。
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