FC2ブログ
早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
殉死の禁止統治者の真意は
 徳川三代将軍、家光が亡くなったのは1651年です。その直後、老中堀田正盛・阿部重次他側近の者が殉死しました。その前、1636年、伊達政宗が亡くなった際、殉死者が15人、その殉死のためにさらに、5人が殉死したことがあったといいます。森鴎外作「阿部一族」は熊本藩主細川忠利の死にまつわる殉死を扱っています。 殉死は、武士世界の価値観に属し、美風と見なす空気があったのです。
 四代将軍家綱は殉死を無益なことと否定したのみならず、罰しました。そして、主人の死後は殉死することなく、跡継ぎの新しい主人に奉公することを求めたのです。これを聞くと、私達は近代的な合理主義や個人主義の教養から、「そうだ、その通りだ」と家綱に拍手を送るのです。しかし、家綱にはもっと深遠な意図があったのです。
 それまで、武士は主人個人に奉公するという意識が強かったのです。それを家に奉公する忠誠を誓わせる、そのように変えたかったのです。これを実現することによって、戦国時代の「下克上」の可能性を無にしたかったのです。その証拠に、家綱は、いままで、将軍との個人的な関係から、その都度、領有を認める「領知宛行状」を渡してきたのをやめて、一度にまとめてすべての大名に交付する形を採ったのです。幕府が藩に領有を認める形にしたのです。
 政治支配には形式がいかに重い意味を持つかと言うことを教えられます。そして、統治者が深遠な意図、たくらみを持って手を打つのかそのしたたかさを見せ付けられます。そうでないと強力な長期の支配はできないのでしょう。私は、やはり、非政治的人間だと教えられます。
スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック