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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
映画「おくりびと」を観る
 旧同僚と「おくりびと」を観ました。中間試験中ということで、高校生が繁華街に多数来ているのです。早く帰って勉強なのですが、いつもより、寛いでいました。
 彼は三回目だと言います。「私のために悪いね」と言いますと「それだけの価値がある映画ですよ」との返事。観客は三十数人。彼が40代、後の方々はみなさん、60代、70代で、80代と思しき方もいらっしゃいました。
 この映画、先が読めるのです。そして、読み通りに進んで行きます。普通は、ここで興味も、心地よい緊張感も失せるところですが、がっかりさせないのです。筋が見えても、鑑賞に堪えられる、逆に、引き込むのです。二度三観たいと思わせることは優れた映画性質の一つです。演出が、脚本、俳優の演技力、撮影技術が優れている証拠です。
 様々なテーマを読み取ってしまう映画でもあります。その一つが死を「穢れ」とする日本人の心的伝統です。子供の遊びに「えんがっちょ」というのがありました。例えば、犬の糞を踏んでしまうと「えんがっちょ」になり、これから逃れるには、他の者に触らなければなりません。触れることで「穢れ」が移るのです。これは神道文化の表れです。「穢れ」を祓う神事により、魂は平穏な日常に戻ることができるのです。
 主人公は交響楽団解散のため、職を失い、故郷に帰ります。そこで得た職業が死者の体の「穢れ」を清める「ゆかん人」でした。ゆかん人は死者から「えんがっちょ」され、穢れるのです。この職に就いたことを知った同級生、そして妻にさえ「汚らわしい」と触れることを拒まれてしまいます。日本人は仏教徒ですが、魂は神道に共感しているようです。しかし、仕事をする夫の姿に、妻は穢れ観念から解放されてゆき、同時に、観客も死に穢れを感じなくなります。妻の変化が納得でき、自分の中の「神道」も消えて行く。この技が素晴らしいのです。
 もう一つ、テーマは生きる情熱としてのエロスです。エロスとは、一般には、恋愛・性愛の意味ですが、元々は「欠けたものへの渇望」だそうです。
 初めての仕事は孤独死した老人の腐乱遺体でした。主人公は吐きながら、死体に触れます。死さえもが見捨てたその物体は魔界に属し、物質と化しています。主人公は帰宅するなり、妻を抱きしめ、その生を確認するかのように貪るのです。腐乱死体に絶望的に欠けていたものは、暖かく、ふくよかな肌が持つ生命の息吹です。生の確認、手ごたえへの渇望が妻の肉体に向けられる。戸惑いながらも、それを受け止める妻の母性というエロス。性愛が生を産み出す行為であるなら、生命を確かめずにいられない彼が、妻を求めることは避けられません。
 仕事を理解した主人公の死者を敬い、慈しむ態度は死と生の連続性を実感させます。また、親しんだ命を失った家族達の姿を通して、死者の人格と人生が見えてきます。人間への信頼と生命の希望が予感させられます。死を扱いながらも、生の賛歌になっているのです。
 優れた映画は生きることを問います。しかも、その答えが幾つもあるように創ることで、生きることは分析するものではなく、味わうものであることを教えるのです。その上で、死も味わうに値するものであることをこの映画は暗示しています。

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