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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
資本主義も限界
 1991年のソ連崩壊から17年、資本主義の優秀性を確認したと言わんばかりの新自由主義の台頭に、覚えた怖さが現実化して、今日、今がある。資本主義のおごりがその寿命をちじめてしまったとも観える。
 資本主義の矛盾を福祉社会政策により小さくし、資本主義は人が生きるに相応しい場となりだしたかに見えた。しかし、高福祉政策による高負担が国民にのしかかり、「大きな政府」の財政が切迫してしまった。高福祉が怠け者を作り、効率に欠ける社会にしているという認識が宣伝され、自己責任が市民の倫理とされた。
 現在の経済危機が金融の自由化による無秩序な金融行動の結果であると言う認識がある。が、そうだろうか。無秩序な金融行動は進んだ変化の結果だと私には観える。
 少し前は、NIES、そして今はBRICSと呼ばれる新興工業国が生産力、経済力を付ければ付けるほど、先進資本主義は上手く機能しなくなって来たのではないだろうか。貧しいままの発展途上国、いや後進国があっての先進資本主義国の発展であったということを、改めて、思い知るべき時がきたのだと思う。 
 生産力を奪われた先進国、なかんずく、米国が金融ビックバンをリードし、金融による収益で国を富ませようとした。その米国が金融危機の発信地であったことはその証拠になる。では、資本主義の下、生産力を持つ国が交代する苦しみを先進国が味わい、新興国が楽を享受する変化だけなのかと言うと、そうではないだろう。
 資本主義が内包する無限の欲望解放が先進国、新興国もろとも、危機に追い込むのではないだろうか。資本主義を捨てることを、文明の質を転換することを、存続のために突きつけられていると思う。取り返しの付かないところまで進んでしまったのにである。
 一万年、それ以上、存続してきた社会は、欲望を抑える神話や言い伝え、慣習を持っていた。アイヌ民族、アメリカ先住民、ニューギニア高地人等の文明はその良い例であろう。必要以上には取らない、根こそぎ持ってゆかずに、残しておく。食する他の命に感謝する儀式、それらを神と崇める信仰。 日本人も、実は、近代以前はもちろん、つい50年前まで、命の根っ子に持っていた、人間以外の生命や自然との付き合い方の知恵のことである。この知恵に帰る以外に、人類の未来はないと思っている。この知恵が造る生産社会でなければ、我々は生き延びられないと思う。
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