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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
人間の「尊厳」と「劣化」
  「尊厳」という言葉を知ったのは、日本国憲法であったと思います。英語ではdignityというそうです。荘重、威厳、品位とも辞書にありますが、それでも、説明しづらい言葉です。
 机は、勉強や読書をする時に使う「家具」です。では、「尊厳」の「家具に当る言葉はなんなのでしょうか。私が漠然と受け取っていた意味で一番近いのは「品位」ですが、これとも違います。敢えて言えば 「願いと誇り」 が私の受け取りです。「尊厳」とは 『より良く、美しく、人間らしく生きたいという「願い」と「誇り」』、そんな意味合いで使ってきたような気がします。
 繰返されてきた戦争や弾圧は「尊厳が奪われる」結果をもたらしてきました。世界人権宣言や日本国憲法で「尊厳」が使われたことに、その反省が表れています。「尊厳」を守ることに視点を向けています。しかし、尊厳は、単に、「奪い奪われるもの」なのでしょうか。尊厳を奪う者は、同時に、尊厳を「捨て去る」者でもあると思うのです。つまり、他者の「尊厳=願い」を奪うことが、自分の「尊厳=誇り」を捨て去っているということです。ベトナム戦争でも現われ、イラクで現在進行しているアメリカ兵の精神障害の多くは、民間人を殺すことで「誇り」を傷つけてしまった結果ではないでしょうか(この場合、正確には「誇りを捨て去った」と言うよりそれを強要されたというべきでしょうが)。
 教育基本法の「個人の尊厳を重んじ」は、「願い」に向けていっています。世界人権宣言の「固有の尊厳を承認する」は「誇り」に向かっていっているように聞こえるのです。この「誇り」を意識しないことが尊厳理解を歪め、戦後も、尊厳を尊重し切れないで来た根本原因だと思うのです。
 さて、「劣化」と言う言葉が流行っています。流行語を使うことに「誇り」を感じない私はこれに代わる言葉で「劣化」を表現したいと思っているのですが、適当な言葉が浮かびません。「人間の劣化」「政治家の劣化」などと使われます。この劣化ですが、どうも、「尊厳の投げ捨て」ではないでしょうか。勿論、誇りの部分の投げ捨てです。
 福田首相の辞任理由は、外部に対してプライドを保とうとしたものです。たとえ、それに成功したとしても、内面の誇りをも保てるものであったのでしょうか。プライドを保とうとしたこと自体が誇りを失ったことを示しているではありませんか。尊厳は他人から奪われるだけではなく、自分から捨て去るものでもある良い例でありましょう。それにしても、政治家・官僚のプライドの高さと誇りの低さには閉口します。


この間、9月10日が48個、13日が25個、14日が9個、17日が8個、19日が37個でした。
 

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