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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
自己責任論=強者のために弱者を用意する社会
 昔と意味が違ってしまった「ことわざ」が増えていると新聞にありました。「情けは人のためならず」もその中にあったように記憶します。
 「終わりよければ全てよし」とは、途中、失敗したり対立があっても、最後が好ければ、帳消しになるという意味でしょう。しかし、自己責任論のために「自分で身を処し、後始末をし、迷惑を掛けずに、人生を完結すること」と意味を変えて理解され兼ねない状況にあります。
 障害者が苦しいのは、今も変わりません。その原因の一つが「迷惑を掛けたくない気持ち」という指摘があります。それは、健常者の「障害者は迷惑になる」と裏腹の関係にあるでしょう。一人で生きてゆけない場合、迷惑を掛けてもいいのです。この了解がされている社会は安心です。誰でも障害者になる可能性があるし、老人になるからです。
 一人ひとりが自己責任で生きる状況が政治、経済、そして心理的にも非合理で、苦しいからこそ、社会を形成してきたはずなのです。もし、自己責任論を徹底すれば、社会は不要になります。それを承知の上で作る、自己責任を徹する社会は強者のために弱者を用意することを目的にしていると言わなければなりません。いま、自己責任が流行です。この論者の一番の主張は、「大企業の多くは自己責任を果たしているが、その他は、その姿勢と意欲に欠ける」であります。
 しかし、それがまやかしだと、皆が気付いています。大企業が自力でやってゆけるのは、その様に政治を動かすからです。政治がそれに応え動くからです。非正規社員が農民漁民が、下請け関連企業がやってゆけないのはそれがなされないからです。
 「自己責任論」の目的は強者の、その地位の恒久化でしょう。ですから、弱者の固定化も必要になります。この固定化の論拠としての自己責任論です。「弱者は、意欲も能力もなく弱いから、貧しい」というそれです。
 これに連なる者達が、私には、政治家、官僚、マスコミ、大組合幹部の多数であるように見えてなりません。国民の多数が「これに連なる者」になる愚を犯してはなりません。荒削りな見識は円熟社会に似合わないのです。
 
 
 
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コメント
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 同感です。先生とは者を教わる人のことです。その意味では教師と医者は理解できます。親も教師ですが、教わる関係の前に、より強力な関係である、血を分け合っている「肉親」という関係があるから「親」と言っています。有権者と政治家の関係はむしろ、有権者から情報を受け、実情を教わる関係であるとすれば、政治家が有権者に「先生」というべきでしょう。逆さまになっている時は腐敗、退廃が生まれているときです。
2008/08/05(火) 10:03:24 | URL | 八角 #- [ 編集 ]
自己責任という言葉は、政治経済を動かす方々からみれば本当に都合の良い言葉と思います。ただ、自己責任に由来しないところまで一色単にされると、この国は更に二極化を歩むことになりかねません。議員が先生と言われて喜んでいる国では、国民主体の政治は無理と感じます。その内に一揆が起こるかもしれませんね。
2008/08/05(火) 07:50:53 | URL | 半農半遊人 #- [ 編集 ]
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