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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
サミット記念植樹抜かれる
 タイトルを見て、またもや、心ない若者のいたずらかとお思いでしょう。しかし、違うのです。抜いたのは、植樹の主催者たる北海道道庁、それ自身なのです。
 サミット中に、各国ファーストレディーと地元中学生とで植樹をしたというのです。この情報に触れた方も多いことでしょう。植えた木はCO2を二倍吸収する松だそうです。地元ならずとも、「環境サミット」と呼ばれた洞爺湖サミットですから、宣言精神の象徴とするための植樹と理解したことでしょう。各地にある天皇お手植えの木が大事に管理されています。それと同じように、環境保護精神の象徴として大事にされると思うのが自然でしょう。高橋知事も「将来、木が育った姿をご覧にいらっしゃることを期待します」といったことを記者会見で述べています。それをなぜ抜いてしまうのか、そもそも、植樹セレモニーを執り行った意図はなんだったのか、苛立ちを覚えるニュースです。
 このニュースでの、植樹はサミット精神の象徴であるべきです。そして、木を抜き、移してしまったことは、現在の官僚・役人の仕事意識の象徴であるといってよいのではないでしょうか。一昔まで、役人仕事といえば、規則・規則と言って融通が利かない堅物というイメージでした。確かに、5時までの仕事だからと、並んで待っている人に「また明日来て下さい」といえる神経は規則万能主義の裏づけがあってのことです。しかし同時に、この主義は法律・規則に忠実に仕事をしてくれるという信頼を市民に与えてくれもしたのです。
 現在、官僚・役人仕事への市民の不満(不安)は、法律・規則通りにやっているとしても、その法の精神や意図を実現すべく運用していないのではないか、その姿勢・使命感に欠けるのではないかにあります。やっていると表明はしはしますが、その目的は実現への意欲表明にあるのではなく、やっている証拠、痕跡を残すことに化けています。だから、効果、実効があるかないかには関心がない、そんな役人像を私は持って来ました。
 それが正しかったと思わせてしまう今回の植樹抜き事件です。象徴を大切にしない役人達はサミット精神にも関心がなかったことでしょう。彼らの常識では、ただ、やった、やれたという実績が残ればそれでよいのですから。そういえば、サミットそれ自体が、また春が来たからやる花見のようなものでしたね。北海道庁責任者にだけ、とやかくいうのは酷かもしれません。


昨日は匝瑳市民病院からの帰り道、タイミングが好ければ拾い、拾いして31個でした。今日は母が退院、タクシーで帰りましたので、0個。
 
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