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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
俳句と川柳の間
 このカテゴリーは俳句でも川柳でもなく575です。それは俳句と川柳に分けることにどんな意味があるのか、言い換えれあば、両者の違いは何なのか判らないからです。そこで、同じ句を俳句、川柳として送ったことも何度かありました。しかし、両方に採用されたことはありませんでした。やはり両者は違うのです。
 匝瑳市の広報誌「そうさ」に文芸コーナーがあります。その川柳はどれも季語が入っています。「これは俳句ではないのか」と思いつつ、鑑賞させて頂いておりました。しかし、最近、ようやく両者の違いが分かりかけてきたような気がします。
 俳句の侘び寂びの根底にはやはり「無常感」があるようです。この寂しさ、虚しさ、儚さを味わうのです。つまり、それらの許容です。その許容は自然丸ごとの許容と一体です。これを悲しくも美しいと観る美意識が俳句を作ります。
 これに対して、川柳はこの美意識を棚上げするのです。川柳の許容は美しいとか悲しいとかという方向にありません。無常感を「生き抜く力」に読み替えます。生き抜くことの苦しさは、勢い、人間の弱さへの共感へと進みます。、悲しみさえ笑い飛ばすことで生き抜きます。ここには、人間肯定の姿勢が観られます。また、この共感は、強き権力への批判や皮肉にもなることが出来ます。私が作っている川柳の多くはこれです。東京新聞の「時事川柳」も多くはそうです。私はこれのみを川柳と見なしてきました。しかしそうではなかったのです。

   春めきて新たな意欲飯食らう

これを私、俳句として、投句しましたが、これは川柳ですね。といって、俳句と川柳が重なる領域があることも確かなようです。面白みを、おかしみを美しいとする俳句もあります。

   かしましい会話華やぐ三箇日

 これは千葉日報「読者文芸」に俳句で採用されました。しかし、川柳でもいいような俳句ではないでしょうか。この句を川柳でどこかに投句したい誘惑に駆られます 以上、幼稚な俳句川柳理解を陳列しましたが、隠すことのない現在の私のレベルです。
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コメント
コメント
美代子さんへ
 そうですか「春めき手て」も俳句といってよいですか。今度、広報誌「そうさ」の川柳をご紹介します。俳句ではないかと言う川柳が並んでいます。市民講座俳句を二つに出来ないから、一方を川柳としているのではないかと疑うほどです。
2015/09/07(月) 21:55:16 | URL | スキップ #- [ 編集 ]
 川柳もいろいろ、俳句もいろいろですよね。両者を区別する線が引きにくくなりました。「春めきて。。。」の句は、俳句としても十分に通ると思います。と言うより、俳句そのものでしょう。かしましいの句は、俳句、川柳のどちらにも通用しそうですね。季語があるとやはり姿が違ってきますね。川柳は思想を強く述べるものだと思いますが、俳句より詩的な川柳もありますね。 
2015/09/07(月) 21:00:43 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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