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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
戦争に行かないぞ=S I Z 宣言文
「戦争に行かないぞ」宣言文

 近代思想において、人権は生まれながらに神から与えられています。ですから、王も国家もこれを奪うことはできないと理解するのです。しかし唯一、神や天ではなく、国家から与えられる権利があります。それが交戦権です。
 交戦権は国家が持っているとされます。それを国民は分与され、「人を殺す権利」を手に入れます。ですから、戦場から帰っても、殺人罪で裁かれません。しかし、健全な人間が「人を殺す権利」を求めるでしょうか。
 戦争体験者の話によると、初年兵教育は相当荒っぽかったと言います。演習から帰ると中国人が柱に縛られています。「スパイを銃剣で処刑せよ」との命令。しかし、「スパイ」に突進すると、緊張から足がもつれる者や、直前で、立ち往生する者が続出したそうです。それはそうでしょう。これで分かるように、交戦権は国家から「与えられる」のではなく「押し付けられる」権利なのです。
 基本的人権は「自然権」とも言います。自然は人権と同じように「人を殺したくないという感情」も与えています。これが憲法九条に生かされています。「国の交戦権はこれを認めない」以後70年国民への「交戦権押し付け」はありません。
 しかし、石破幹事長(当時)は政治家として「死なせる覚悟をする」と発言。政治家の責任で自衛官を戦死させる、その覚悟を最初にするとの自負を示しました。これは同時に「殺し、殺される覚悟」を国民に強いるとの宣言です。「交戦権の押し付け」ですから、大胆にも、憲法違反宣言をした訳です。これを実行に移したのが「集団的自衛権行使するとの閣議決定」です。ですから、これも憲法違反に違いありません。
 この憲法違反は国が決めれば自衛隊はもちろん、国民も戦争に行くことを前提にしています。ならば、国民は「交戦権の押し付け」を拒否し「戦争には行かないぞ」宣言をしようではないか、と思うのです。ご先祖たちが年貢拒否一揆を起こしたように、我々は兵役拒否一揆を起こそうというわけです。
 欧州には「良心的兵役拒否」の権利を認める国があります。この言葉を使うなら、憲法九条は、言わば、国民と国家こぞっての「良心的兵役拒否」宣言です。1947(昭和22)年文部省発行「あたらしい憲法のはなし」は「戦力を放棄しても心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と教えています。この教えに従い「戦争に行かないぞ」宣言をします。
20014年11月8日               
                      憲法を生かす匝瑳九条の会
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