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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
体罰は教育の放棄
体罰論議が続いています。いじめ問題も含め、正義・倫理という視点から、多くが語られています。しかし、もう一つ、自殺=悲劇に至らせないという視点も必要でしょう。
 東京新聞2月26日「ミラー」江口さんの「鉄拳制裁、その後」は「自殺を困難回避の手段にしない」強さを育むことも必要と主張しています。「それでは、自殺者の弱さが原因と言うのか」との誤解を恐れずに、ことの本質を突きました。しかし同時に、そしてやはり、教師が生徒の自殺原因になってはいけないのです。
 小・中学校と違い、高校には「特別指導」があります。そのために、事件が起きると「取り調べ」を行います。初任教師はこれに抵抗を感じます。しかし事実(非行)を隠したままでは反省はできません。事実を認めさせることから、指導が始まります。
事実に従い、停学を申し渡し、生徒に「納得」が生まれれば、具体的な特別指導の開始です。登校させて、多くの教師が当たり、その思いを伝えます。ここで、事件に至る生徒の「心と事情」を取り上げることが大切です。
 もし、機械的に自宅謹慎だけを命じるならば、指導は指導になり得ず、懲戒に劣化します。つまり、教育ではありません。そして、体罰こそが、最も直さい的な懲戒処分なのです(大阪の事件には懲戒理由さえない)。体罰は「教育の放棄」と言わねばなりません。
「愛情なき厳しさは冷酷」です。江口さんは鉄拳を指導として受け入れました。愛情を感じたのでしょう。しかし、それは生徒の生理であり、教師の倫理ではありません。
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コメント
コメント
美代子さんへ
 生きるのが難しい時代になりましたね。経済的、撫っし湯的豊かさと交換に捨ててしまったものが大きすぎませんかね。嘆いても始まりませんが。とにかく、できることから始めるしかないですね。頼りあって生きて行くのが人間だったはずですよね。それを、今我々は勘違いしています。よく迷惑をかけたくないね。子供にも誰にも」と聞きます。しかし、これって、「迷惑をかけられたくない」の裏返しではないでしょうか。人に関わることを面倒くさいと避けて置いて「絆が大切などというのです。絆とは迷惑を変え合える関係のことではないでしょうか。と思う今日この頃です。
2013/02/28(木) 22:22:50 | URL | スキップ宗林 #- [ 編集 ]
賛成!
鉄拳を愛情として受け入れる場合もある。しかし、それは生徒の生理であり、教師の倫理ではない

↑全く同感です。鉄拳を受けて目が覚めることは確かにありますね。でも、それを繰り返せば単なる暴力教師です。やはり、心からの言葉で指導して頂きたいです。

どんな事情であれ、わが子が殴られて喜ぶ母親はいません。母親も心に深い傷を負うんですね。しかし親のほうも、先生の暴力をとやかく言う前に、自分たちに責任はないのか考えなくてはなりませんね。

2013/02/28(木) 16:13:24 | URL | 美代子 #1Nt04ABk [ 編集 ]
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