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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
黒川氏処分誰が動いたか、小さなことではない
 黒川氏の処分は誰の意志で決定されたのか、またもや、真相が明らかになりません。法務大臣の、官邸が主導したとの、最初の発言が信ぴょう性があります。が当の安倍首相が検事総長が決めたのを了承したと言い出しました。このような事例が過去に何度もあったように記憶します。
 仮に、安倍首相が言う通りとしましょう。しかし、了承したのですから、同意したことになります。異論があれば、覆す権限を首相は持っていますからね。行政処分は刑事起訴とは違います。公務員として相応しいかどうかで判断することになっていますから、世間一般の常識から逸脱しているのなら重い処分がをする必要があります。懲戒既定の中にもそう書いてあるそうです。その中には重い職にあるものは重い処罰にする必要が書いてあるそうです。自衛隊んが掛け麻雀で停職になっている事例からすると、東京高検長ならばこれ以上になるのではないでしょうか。
 安倍首相が、またも、自分の発言に従うように法相に答弁し直しさせたとの疑惑を放置することになれば、もう、国民は彼を信用も信頼もしないでしょう。首相を信じられないことほど危うい政治はありません。市民社会にとって、不幸なことです。


 汗滲む役務寡黙な給付金

 岸三世「美しい国」に一人住む

 「日本モデル」民の犠牲を誇る怪

 功は引き責は投げるの癖が付き
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習近平主席と安倍晋三首相
 習主席の言動から、安倍首相を連想させられることに気付きます。そういうことありませんか。
 習主席に、コロナ発生を昨年から知っていたが隠していたとの疑いがあります。武漢で採取したサンプルを破棄、WHOの緊急事態宣言にも圧力を掛けた疑いも言われています。そして、中国発のコロナを認めずに、WHO 総会で謝罪もしませんでした。
 また、武漢ウイルス研究所の石正麗氏が身の危険を感じて亡命した事件や娘をコロナで失った母親の抗議を弾圧するなど、政権に都合悪いことをなかったことにしようともしています。
 そして思い当たります。これらは、この数年、日本国民が見せつけられてきた数々の安倍首相の不実と類似していることに!森加計事件、南スーダン自衛隊日誌隠蔽、厚労省資料の改ざん、「桜を見る会」検察庁法改定案。そして、「国民を守る」首相が追い込んだ赤木俊夫さんの死、昨年の参議院選挙応援演説への野次を排除したことに無頓着な民主主義者安倍首相というチグハグ・・・・。
 しかし、このチグハグを習近平主席には感じません。なぜなら、中国は共産党独裁政権だからです。このチグハグが私たちの危うい民主主義の今を突き付けています。


まだ来ない
民守るアベノまことも届かない

アベマスク今じゃ要らぬがまだ来ない

民主主義コロナに続き危機に入る

まだ来ないイヤイヤ決めた給付金

何してる何もしないが生きている

半夏生風流れても時止まる
検察幹部OB声上げる
森加計を耐えたOB声上げる

コロナ後手法改悪のストレス禍

戦後レジームからの脱却実施中

黒川に墨を流して真っ黒け

「説明をする」以外説明していない

私は三権の長
 「私は立法府の長」に続き「私は司法の長」発言もするだろうと思っていたところ、その通りになりました。今回の検察庁法改定は、政権が検事総長の人事に口を出すのですから。
 武田行革担当相が、検察官も国家公務員なのだから、他の職員と同じように処遇するのが合理的だといった答弁をしました。しかし、これは歴史的経緯を無視した発言です。国家公務員法に加え、あえて、検察庁法を制定したのは、司法が行政府の支配に組み入れられないための智慧です。これは、戦前、行政府が立法・司法権をも、実質、握ってしまったことへの反省が生み出した、同じ過ちを繰り返さないための装置なのです。
 その装置を、安倍首相は強引に外そうと主導しています。しかし、驚くことはありません。なぜなら、首相は「戦後レジュームからの脱却」をスローガンに掲げているからです。つまり、戦前を過ちと思っていなければ、反省の必要もないと信じているのです。この信念が村山・河野談話の見直しを主張させ、憲法に緊急事態条項を盛り込もうとする意欲となって表れているのです。
 そして、戦前への最大の反省から生まれた憲法九条の改定です。最大の反省から生まれたゆえに、九条が最大の敵に見えるのです。しかし、これが彼の最終的な目標ではないことが分かってきました。彼が目指す到着点は「私は三権の長」だったのです。ですから、論理が破綻しているにもかかわらず、検察庁法改定に突っ走るのです。
 安倍首相が政権を投げだすのではとの憶測が飛んでいます。投げ出しても結構なのですが、その理由を健康問題と言わせてはいけません。「私は三権の長」の信念を国民に拒否されたからだと言わせねばなりません。
検察庁法改定、もちろん反対
 「私は立法府の長」が安倍首相の持論ですから「私は司法の長」発言もそのうちにするだろうと思っていましたが、その通りになりました。今回の検察庁法改定は「私は司法の長」と言っているのに等しいからです。
 首相は国家公務員法に加えて、検察庁法を敢て設けた理由を理解していません。というか、知っているのでしょうが知らんぷりしているのでしょう。これは戦前、三権を独占した独裁政治への反省であったわけです。司法の行政=政権からの独立を担保する必要があるからこその特別法としての検察庁法制定であったわけです。 このせっかくの智慧を台無しにしてしまう愚行が今回の改定です。
 しかも、露骨にも、黒川検事長を検事総長にするための退職延長閣議決定を1月にしています。さらに、初期の法務省原案には国家公務員の退職延長だけで、検事長や早朝の延期案はなかったのです。今回の改定の目的は国家公務員の退職延長が目的ではなく、検事長・早朝の延期が目的なのです。 これは間違いなく安倍首相の保身が目的の法改定です。
 安倍首相が、また、政権を投げ出すとの憶測が飛んでいます。投げ出してもいいのですがその際の理由を健康問題と言わせてはいけません。「国民の信頼を失ったから、もう続けられない」」と言わせなければいけません。
最高の気候
 おもてなし言葉にすれば台無しに

 幸せかどうか知らねどもこのまんま

 虫が来るしばし野生に還る犬

 若葉より光湧き出る九十九里

コロナ危機マスクあるぞと弟の
          ぶっきらぼうが温かい

「美しい国」に住んでる安倍首相
          我らと共に生きてはいない
不安と恐れ
 不安と恐れの違いを教わりました。「恐れはその対象が明確で対処法があるのに対して、不安は対象が不明確で対処法もない」ということらしいです。らしいと言うか、納得させられます。


    コロナより動かぬ国が恐ろしい

    天地割れ命が消費されて行く

    厚労省役は忖度奉仕せず

    コロナには通用しない安倍手口

    世の不安動かぬ首相動く知事


    幸せかどうか知らねどこのまんま

    
コロナで得た確信
 「悪とは何か」を考えてきました。難問ゆえ、もがくだけで答えに至りませんでしたが、退職後「善は人と人を結びつけることに、悪は引き離すことに関係している」に行きつきました。
 米中のコロナ危機発生責任をめぐる対立や、ドゥテルテ大統領の「外出禁止に従わなければ射殺してもいい」は発言、ネットに飛び交う誹謗中傷などから「人と人を引き離す言動が悪と関係している」の正しさを思います。一方、世界中の芸能人やスポーツ選手らの言動は「善は人と人を結びつけることに関係している」と確信させてくれるのです。
 もう一つ、コロナが確信させます。安倍政治が「見せ掛け政治」であることです。PCR検査体制が整備されないことに、端的に表れています。安倍首相は2月29日の記者会見で、日に2万件できるようにして、医師が必要と認めれば、PCR検査ができるようにすると述べましたが、今も、死後、感染が判明する事例が続いています。これを追及されると、2万件は実施能力であり、実施数を言ったのではないと閣僚が答弁する始末です。しかも、実施能力も2万に及んでいないのです。
 残念ながら、官邸が森友・加計事件など様々な改ざん隠蔽に関わったことを明白にできないままでいます。しかし、コロナ危機対策が「見せ掛け」であることははっきりしてきました。
 これに連れて、明らかになってきたのが「国民の生命と財産を守るのが私の仕事」という彼の口癖が、そもそも、見せ掛けであると言うことです。でないのなら、無能ということになります。今回のコロナ危機は彼が守ろうとしているのが「国民」ではなく「国家」であると教えています。