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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
仁義なき戦い永田町編
 「知事に専念する」と都民ファ―ストの会代表を辞任した小池都知事が国政政党「希望の党」と立ち上げ、代表に就任しました。賛否両論ある中「情勢判断力など、その手腕を評価する点では一致しています。そうでしょうか。
 次の焦点は、都知事を辞任して、総選挙に打って出るかだと思っていたら「民進党、希望の党と合流」とのニュースが。「保身解散」の次は「保身合流」か。前原代表は「政権交代のためなら、なんでもする」と言い放ちました。しかし、安倍政権の何が問題の倒閣なのかが語られません。「保身合流」と呼ぶ所以です。
 生き残るために、「国民のため」という職業倫理をかなぐり捨てた、政治原則をも見失った、おぞましい狂気の中を蠢き合っている永田町住民です。これを見せ付けて、国民を絶望させて置きながら「希望」を語る厚かましさに卒倒しそうです。「仁義なき戦い永田町編」が開幕しました。
 チャップリンは「殺人狂時代」の中で「一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ」と戦争の矛盾を指摘しました。戦場では、人の度肝を抜く蛮行が称賛されます。都知事に専念するはずの小池氏が国政に打って出ることは職業倫理を失った蛮行です。これを「政治手腕に優れる」「度胸がある」と評価するなら、チャップリンの批判が当てはまります。
 憲法にさえ従わない、原理無視の政治が展開されてきました。その成れの果てが今回の醜態です。(国会議員の)権威は「国民に由来し、その権力は国民の代表が行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理である」日本国憲法前文の一節です。

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どう呼ぶかは認識を表します
 昔、相手によって、呼び方を変える教頭が居ました。先輩のうるさ型の職員には「~先生」中堅職員は「~さん」若手は「~君」そして、管理職を目指す職員には呼び捨てでした。
 流石に不快ですから「~さん」で統一してほしいと伝えると、これに気付いていませんでした。彼の認識が、無意識にそのまま、呼び名に表れていたのです。
 「ロケットマン」に「老いぼれ犬」一国のリーダーがこのように呼び合っています。これは無意識ではなく意識的です。人格を疑わせるような言動は不愉快であり、尊敬されません。
 一方で、戦争回避のため、対話の道を求めてもいることが認められます。ならば、まずは「トランプ大統領閣下」「金委員長殿」と呼び合ってはいかがでしょうか。アベ首相、アソウ財務相、心の中で「ヒトラー総統殿下」と呼んでいませんか。

 二郎」「次郎君」から「次郎さん」に呼び方を変える
 これからは、次郎のこと「次郎さん」と呼ぶことにしました。どうしてかですか。それは近ごろ、悪い例がたくさんあるからです。
 「このハゲ、お前にわかるのか。私の苦しみが」には驚きましたが、今や、一国の大統領や指導者が「老いぼれ」「ロケットマン」と、口にするのも憚る呼び方をし合っています。
 先日、サタデースクールで、やたらと「お前」「手前」(てめえ)と呼び合っているので、止めるように伝えました。が興奮していて、聞こうとしません。うっぷんがるようで、そのもととなる事件に関する意見交換と、私がお前、手前と呼び合うことは止めましょう、に関して国語の時間は討論会としました。
 呼び方は、相手に対する接し方・応対がダイレクトに現れ出るものです。老いぼれも、ロケットマンも、手前もお前も、相手を蔑み、尊重しない姿勢の表れになっています。それは同時に、敵対関係を暗示します。敵がいる日常はお互いに居心地が良いものではありません。
 ですから、平穏な生活に戻したいのですが、変えることは難しいですね。そこで、まずは、相手も呼び方を変え合うことをしてみたらと思うのです。形から変えることで、心も変わることがあるでしょう。
 次郎、次郎君とも呼び方は、どうも上から目線です。次郎さんと呼ぶことで飼い主、ペットと言う関係が、同居人同士になれるような気がします。なにせ、次郎さんは居なければ困る同居人です。
解散権も新解釈(私たちは何を勘違いしてきたのか)
 憲法に、解散は「内閣の助言と承認により、国民のために」天皇が行うとあります。内閣総理大臣個人の専権事項ではありません。
 そもそも、解散は重要議案をめぐり与野党の意見が対立し、国会が膠着、混迷した場合に、主権者である国民に問うための制度です。ですから、議論の過程で解散理由が見えてくるものです。
 それを変えたのは、小泉内閣の郵政解散です。これは与野党の対立より、むしろ、自民党内対立が解散の理由でした。この時「解散は総理大臣の専権事項」が強調されました。公認しないことで、党内反対派を押さつける作戦は「専権事項」でないとできなかったからです。
 ここに、首相の個人的な問題(党議員が従わない)解決のために、解散権を使って憚らない、今までとは違う総理大臣が現れました。安倍解散と似た例は小泉内閣に、すでにあったのです。今回、臨時国会冒頭解散ですから、対立といえば「森友・加計問題隠す、暴く対立」しかなく、これ以外に解散理由が見つかりません。解散権を「首相の保身のために使ってよい」との、更なる新解釈です。
 「戦後レジュームからの脱却」が首相の信条、これを聞き流してきた国民です。その結果、見えてきたのは戦争悲劇の現実味。世界の常識から孤立しているのは金正恩委員長だけではなく、トランプ大統領も、それを励ます安倍首相も同じです。首相が成してきた幾つもの新解釈は「戦後レジュームからの脱却」(戦前回帰)そのものです。戦後が戦前になるのか。私たちは何を勘違いしてきたのか、考える総選挙前です。
9.19安倍九条改憲NO、安倍内閣は退陣を集会に参加
 昨日は、9月19日、戦争法通過から丸二年の日でした。ついこの間、とても二年たってしまったとは思えませんね。
 まずは、上野の東京芸術大学の学生食堂で「盛り合わせ」という学生一番人気を注文しました。これが、なかなかの味、550円なら御の字です。皆さん静かに会話されていました。何となくお上品な感じです。
 食堂を出て、芸大と中国の師範学校の合同展が開かれていましたので、元中学校校長にして、美術の先生であったMさんと鑑賞することにしました。その中に、坂田哲也さんの「憧憬」という作品に心が引かれました。もう一度見に行くほどでした。係の学生さんに「坂田さんは芸大の学生さんですか」と聞くと60歳代の「教授」とのこと「。なるほど、教授か」と納得。 「 静かな、落ち着いた空気の中で、好きな美術や音楽の勉強ができる幸せを感じているのかな、それに気付いているのかな」と思ってしまいました。物静かな学生さんたちの物腰は私の杞憂であると語ってはいるのですが。
 その後、国立西洋美術館の「アルチンボルド展」に行きました。正直、失敗でした。知識のない自分はこの画家は現代美術に属すると思っていましたが、なんと、15世紀の人なんですね。驚きました。と同時に、この人は人間の醜さを晒す為にこの絵を描いているのではないかとおもいだしました。時代は、まだ、宗教画の時代です。その時代に会えてこのようなグロテスクな人物画うを欠くというのは、人間が嫌い、人の醜さに焦点を合わせる芸術家なのではと思うと、とてもこれ以上鑑賞し続けることができなくなりました。そこで、常設展示会場へ移動しました。

 そして、集会です。なんと、10500人が集まりました。各政党諸団体の代表のあいさつ。その中で、韓国の大統領辞任要求100万人デモのリーダーから聞いたという話がありました。なんと、あのデモのモデルは2015年の戦争法反対の我々の集会であったという事実が語られました。市民が集まり、国会を包囲して「廃案にしろ、しないなら退陣せよ」を叫び続けたことが、我々がうらやましく思った、あの100万人デモにつながったというのです。勇気づけられた集会でした。


     投げ出さぬだけ成長の解散だ

     読売が争点示す総選挙

     アラートがアベに注意と鳴いていた

     森加計が小さいと言う大問題
究極の選択
 毎日は、細かく見れば、数百の選択が作り上げています。「何を着て出かけようか」から始まり「昼はどこで何を食べるか」仕事に関わる判断選択など、その他記憶にのこらない選択は数知れないはずです。しかし、そのことを意識せずに、生活しているのが普通です。
15年ほど前ですか、 そこを突いて驚かせる言葉遊びが小中高生中心に流行りました。「究極の選択」です。生徒たち数人が、ニコニコ顔でやってきて「これから、二つの選択肢を示しますから、どちらかを選ばねばいけません。選ばないことはできません。いいですね」彼らの顔はニコニコ顔から、いたずらっぽいそれに変わっています。「では、うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、さあ、どっちだ」
 驚きました。「うんこ」と言う言葉です。そもそも、この言葉、そうそう、使う言葉ではありません。家庭でも小さな子供が居なければ使わず、大人社会では、使うことを憚る風
もあります。それを大胆に高校生が二度も続けて使ったわけですから、戸惑ったわけです。
 「さあ、先生、どっち」心をのぞき込むような視線が私に集まります。ここは、彼らの期待に応え、困った顔をすることにしました。「うんこ味の、カレー味の、うん~」生徒たちは楽しそうに笑います。この時すでに、答えは決まっていました。「カレー味のうんこ」は、すなわち「うんこ」です。しかし、うんこ味のカレーは「カレー」です。もちろん、どちらもいやですが、どうしても選べというなら答えはおのずと決まります。
 「どっち」とせかします。ここであまり、悩むと決断力がない教師と思われ、普段の信頼をも失い兼ねないとの職業意識が働きました。「うん、決まった。うんこ味のカレーだ」するとつかさず「どうして」ときましたから、理由を理路整然と述べ、教師の威信を、かろうじて、守りました。生徒たちはそれぞれの立場で話しかけてきて、大盛り上がりの内に昼休みは終わりました。
 この選択は、どちらも厭だという点で、確かに「究極の選択」です。しかし実際に、これを強制され、食べさせられる事態に巻き込まれても、選択できます。その意味で究極の選択ではありません。
 ところが、どうしても、選べない「究極の選択」があります。それは「殺すか、殺されるか。どちらを選ぶ」というそれです。これを迫られたなら、威厳も威信もへったくれもありません。周りかまわずに、泣きわめくでしょう。これぞ「究極の選択」です。しかし、有難いことに、これを迫られることは、今までもありませんでしたし、これからも、まず、無いでしょう。無いことを願います。
 2003年、明石家さんま主演「さとうきび畑の唄」というテレビドラマが放映されました。この年の文化庁芸術祭大賞を受賞しています。同名の森山良子さんの歌がありますから、お分かりだと思います、舞台は昭和二十年の沖縄戦です。
 明石家さんまさん演じる主人公は現地招集を受け、この戦争の中に放り込まれます。分隊規模で移動中、怪我をした米軍パイロットと遭遇、上官は主人公に撃ち殺すことを命令します。しかし、躊躇し、できないでいると「貴様、それでも、大日本帝国の軍人か」との罵声が浴びせられます。すると主人公「私はこのようなことをするために生まれてきたのではありません」その後、上官の拳銃がアップされ、カメラは空に向けられ、しばらくしてから、銃声がして、コマーシャルに。
 コマーシャル後、沖縄戦が終結した収容所での、主人公家族の会話に移ります。主人公は戦死していました。ではあの銃声は主人公がパイロットを撃ったそれなのか、上官が主人公を撃ったそれなのか。主人公は、まさに「殺すか殺されるか」の究極の選択を迫られたわけです。
 これは物語ですが、実際の戦場でもこれに類した「殺すか殺されるか」究極の選択が展開されたのでしょう。まず、ありえない「究極の選択」が活気付くのは、戦場に違いありません。どうしても、選べない究極の選択、それを強制される怖さは、日に、何百もの選択を意識・無意識のうちに、し続ける命の営みを途絶えさせられるそれです。「殺される」を選べば、肉体の死を結果し「殺す」選択は精神の死へ誘いです。肉体の死か、精神の死か、どちらを選ぶのか。選べるわけがない究極の選択です。


二郎を愛でる
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 愚かな、恥ることを忘れた世の中を見せつけられる自分に、希望を忘れるなと言ってくっるのが次郎です。確かに、最後まで、人を信じることは大切であり、信じるに値する場合が多いのも事実です。そこに押しとどめてくれるのが次郎です。願望を事実と見誤ることがないように、これが今の日本人に必要な姿勢だと思う日々です。
 次郎は犬を生き切っているという点で、人間よりも人間的です。私たちは人間を生きることを放棄しようとしているように見えます。便利さを求めるあまり、文化を捨て去って、貧しさの中に甘んじています。便利さを金で買って、豊かさを見失っています。

  欲しがれば俺より金が偉くなる

 金で済ます生活を便利と考えるから、金が欲しくなり、金に支配されます。労力を使わずに、金力に頼るから太ります、メタボになります。だから、スポーツジムだジョギングだ。ならば、生活の中で、身体を使えばいいものを。そうすれば、金も要らずに、メタボから身を守れます。
 コンビニエンスストアー、まさに、これが現在の病理を言い当てています。便利便利と、それを突き詰めていけば、寝たきりで、すべてがこと済む時代が来るでしょう。だって、それを理想とするのがこの便利社会ですから。寝たきりは病状ではなく、健康を言い表す言葉に変わる。でも、その健康は健全ではないですね。
 次郎は、今日も、飼い主を愛し、走ること遊ぶこと、においをかぐこと、そして、会話を求めます。

   今流行る社交嫌いの絆好き

 災害の時に、絆が大切だと言い、絆に結ばれた被災地に涙しながら、実は、日々の近所づきあいを厭わしく思っている、そんな日本の現実を見せつけられる日々です。助け合いの地域を作る必要を強く感じるようになりました。






忘れてはいけない疑惑に不祥事が放置されている
 今日の東京新聞「こちら特報部」は疑惑解明されずに放置されている事件があまりに多いことを取り上げています。流石に、森友・加計問題を忘れている方は少ないでしょう、。
 でもどうでしょうか、甘利明氏の都市再生機構への口利き疑惑、下村博文氏の加計学園からの闇献金、稲田氏の籠池氏の裁判を通じた関係、都議選応援での防衛省・自衛隊・自民党としてもお願いしたい憲法法律違反問題、麻生氏のナチ関係発言、どれも政権を揺るがすほどの問題ですが、政府はほっかぶりししたままで、どうしようということもなく、国民が忘れるのを待っています。
 これらの放置が政治の信頼を失うのはもちろんですが、政治の根本倫理、原理が無視されていることは、立憲主義を、民主主義を脅かしています。そんな中、社会的公正は失われ、財力と特権を持ったものが我が世の春を謳歌していることは、社会の安定も失われていると言わざるを得ません。経済格差は相当な速さで拡大しています。
 そして戦前回帰である戦後レジュームからの脱却が確実に実行されています。先の大戦への反省は口だけになっています。政府によって、憲法までもが敵視されているこの状況は異常と言えます。

     税金を富裕層から取るべきと
            力む社説のむなしさを読む

    反省を自虐なまでに課してこそ
            アジアが判る罪への怯え

    仕出かした罪への怯え欠いている
            戦後レジュームからの脱却

     カトレアと華やぐ店の婦人客
            ピザ生地飛ばす厨房のシャフ

何もせず日が終わる
 今日は朝から、我が東総地方は一日雨となりました。雨の合間を縫って、ヤックスに買い物。食事といえば、朝は昨晩のトマトカレースープでトースト、昼はエストエストで済ませる怠惰ぶりです。これから、晩飯はどうするか、やる気がありません。
 エストエストは、今日もご婦人方でいっぱいでした。その割には静でした。いつもの暴力のような笑い声もなく、適度な賑わいで、むしろ、華やかでした。そこで一句。

     カトレアと華やぐ店の婦人客    
          
  カトレアが季語でないと知りました。洋蘭の園芸種だからでしょうか。


     色薄きシシトウを食う雨続く

     色無き風熱を奪わず置いてかず


     税金を富裕層から取るべきと
             力む社説の虚しさを読む
市の広報誌「文芸コーナー」への投句
 匝瑳市が毎月一日に発行する「そうさ」に市民の文芸コーナーがあります。今回は以下の5句の川柳を送ることにしました。さあ、どうなることやら。


     欲しがれば俺より金が偉くなる

     悲しみを怒りに変える弱さかな

     切なさが長引くだけの長寿国

     避けられる孤立逃げられない孤独

     安倍流が隠しようない被爆の日
もてなし精神外交に活かす
 そもそも、もてなしは宣言して行うものではありません。「もてなします」との表明をせずに尽くす心遣いが、もてなしです。この心遣いは、相手の身になり、立場を慮って行う心配りです。これを様式美の文化にまで高め、ものづくり技術に込めてきたのが我々の伝統です。
 しかし、政府は「おもてなし」の押し売りをするような五輪招致運動を展開しました。政府の「おもてなし」の本物度を疑わざるを得ませんでした。その不安が北朝鮮外交に現れています。「なぜ核ミサイル開発を止めないのか」そこに思いを寄せることこそ、もてなし精神の真骨頂ですが、圧力を掛ける一辺倒です。
 米国は、朝鮮戦争で核兵器使用を排除しませんでしたし、武力介入による内政干渉を世界で繰り返してきました。脅かさずとも、米国は己の存在そのものが威嚇であると気付くべきです。しかし、金委委員長の斬首計画を隠そうともしません。
 一方、自身への北朝鮮の脅威には敏感です。東海岸に及ぶICBMが脅威だと言いますが、自身のそれがそれ以上に相手の脅威であることに思いがいたりません。混迷は深まるばかりです。
 その中、我が国も米国追従を改めません。相手が変わって欲しい時は、自分から変わるものです。なぜここで、もてなし精神を外交安全保障にも活かす姿勢を示さないのでしょうか。もちろん、それだけで解決はしません。しかし、解決への糸口を見出すことはできると思うのです。もてなし精神という、日本人にとって最も大切な道徳が世界の安全平和に生かされることを願います。

ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名
 次回の「憲法を生かす匝瑳九条の会」で、表題の署名活動に参加することを提案しようと思っています。ここに、趣旨文を載せようと思ったのですが、コピーできません。検索してお読みいただければ幸いです。
 核兵器禁止条約に賛成しなかった日本国政府への怒りもあります。それと同等な怒りは、もちろん、教育基本法改定から始まり、特定機密保護法、安保法制、共謀法制の合法化です。積極的平和主義と言う積極的戦争参加主義、その集大成の憲法改定、これを、阻止するための国民的運動を組織するのには、核兵器廃絶に消極的どころか、核武装化も狙っている自民党政権の本質を暴かねばいけません。
 その理解を助ける最上の題材が核兵器禁止条約に対する安倍政権の対応です。この署名をしながら、より多くの人々と接触したいと思います。