FC2ブログ
早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
父の欅の木が
 父は雑木林の中に住みたいとの夢を叶えるべく、家の西側に欅を植えました。それが15年たって、結構な大木になってきました。夏の西日をさえぎるほどです。
 ところが太陽光パネルを屋根に付けるとこれが喜んでばかり居られなくなってきました。そうです。欅が発電を邪魔するのです。困ったものです。私も欅が好きですから、切り倒すことは考えられません。一つを得れば一つを失うの道理を受け入れるしかないようです。



    今はもうアベノと言えばアベノウソ

    有村さん「躍」を「用」にと書き換えて

    騙されたデフレに罪があるものか

    付いて来る署名集めの赤とんぼ

    愛犬も署名集めに尾を振って

   
スポンサーサイト



川柳外向き俳句内向き
 どうも私の場合、川柳は心が外向きになって作るようです。逆に、俳句は内向きの解きに多く作っているのではと気付きました。今日のように、天気が好ければ川柳モードになり、雨や曇りだと俳句モードになるようです。今日は一昨日、雨の中、出来た句を!!


   気楽さに勝る淋しさ虫の声

   熱き茶を一人啜るや野分まえ

   一本で秋桜揺れる黄金雲

   障子中LED灯す嵐まえ
匝瑳市民病院存続署名
 わが匝瑳市には市民病院があります。最盛期24人いらした専属医師が今では10人、しかも、今後三年に、院長を含め3人の医師が退職されるのです。そこで、院長先生は医師を探していますが、なかなか見つからないのです。市長にも要請しているのですが、これが腰が重いようです。
 そこで、市長への要望署名と相成ったわけです。私も協力させていただいております。知らぬお宅に伺うこと一日致しましたが、これ精神的に疲れると言うことで、後は遠慮させていただき、知り合いを廻っています。100人の方から賛同を得られそうです。中には、20人分を引き受けていただいた方もいます。「お店経営だから、大丈夫よ」というので、お願いしたところです。
 県は旭中央病院を地区拠点病院にして、銚子、小見川、匝瑳の病院を診療所にする計画を持っているのです。これは県の担当職員から9年前に聞いたことですから、間違いありません。市長はこれに乗っかろうとしているのでしょう。しかし、これは現実的ではありません。現在、旭中央病院は旭市民を優先に診療する姿勢を示しているからです。しかも、この病院、巨大化して、職員も手薄で、評判が最近特によくないのです。旭市民が対応が親切な匝瑳市民病院に入院したがる傾向さえあると言います。この大事な病院をうしなうわけにはいきません。
次郎、主人を労わる
 
 今は暑さも収まりましたので、昼食時に散歩しています。なぜ昼食時なのかですって。それは、皆さん食事中ですから、人が出ません、車も少ないです。ゆえに、安心して次郎を田んぼ道に放せるのです。
 今日も、田んぼ道に来て、放しました。走るは走る、稲刈りが終わった田んぼの中にも入り込みます。それは無数にいるばったを小さくしたような虫を追い掛け回すためです。希に、捕まえて食べています。乾いた用水に入り込みましたので、狭い土管に挟まってはいけないと、こちらに来るように合図を送ったのですが、興奮して聞きません。そこで、倒れた振りをして見せました。すると、猛烈な勢いで走りより、こちらをみるのです。抱きしめキスをしたことはもちろんです。

 そこで、次郎君との生活を詠んで一句

    犬なれどオスで安らぐ一人翁

001 - コピー 002 - コピー (2)
003 - コピー 005 - コピー
006 - コピー 007 - コピー
008 - コピー 009 - コピー
010 - コピー

続けて四句

    スコッチの夢醒め二日酔いもなく

    空爆の効果空しき空騒ぎ

    友の名が化石のように訃報欄

    原発と安倍内閣にさようなら
赤十字ボランテア講習会に参加
 昨日は、陸君と赤十字ボランテア講習会に参加してきました。旭農業高校の同僚であり先輩である鈴木悦子さんが第④ブロックの会長ということで、お誘いを受けたところ、勉強会に陸君が参加したいと言うことで、昨日朝9時半から3時まで講習を受けました。
 わが地方は隣町の旭市飯岡地区が東日本大震災で大きな被害を受けました。そこで、防災ボランテアの養成が進んでいます。さまざまな災害についての基礎知識や、減災のための知識行動などについての講義の後、災害時用のご飯の炊き方実習をして、それが炊き上がったところでカレーライスの昼食、午後は心肺蘇生法とAEDの使い方の実習を行いました。陸君は筋がよく、私よりもうまくやっていました。彼は運動部に入らずに、中学では青少年赤十字に入ったほうがいいのではと思ったしだいです。

 今日は朝食で残したのりを次郎にやりました。美味そうに今日も食べました。最初、のり見て興奮した次郎は一緒に私の手にも噛み付いてしまいました。「痛い」と大声を上げると(そんなに痛くはなかったんですが)、二枚目からは、ゆっくり弱く口を持ってきましたし、のりの端っこにくちをもっていくことをはっきりとやっていました。これは利口な犬でしょう。違います!?
久々に、次郎君
 納得できない事件出来事が立て続けに起きるもので、次郎君のことを書き忘れていました。ますます、大きくなってきました。相変わらず、腕白ですが、次第に、こちらの意向に気づくようになってきました。玄関の戸を閉めるときも、以前は、入り込もうとしましたが、今は、頭を引きます。犬小屋に入って寝るようにもなりました。心身ともに成長しています。
 学ばないのが都議会議員ですね。野島善司議員です。

   セクハラを教養に持つ僕も都議

と詠んだのですが、今日の報道に接し、ふつふつと湧き上がる不快感がもう一句作れというものですから

   セクハラを自白する鈍自負捨てず

 人間どこかに鈍感さを持っています。だから人間です。自分が鈍感であると気付ける鈍感さには救いがありますが、しかし、何があっても気づけない鈍感さは死ななければ直らないでしょう。
 次郎は、散歩の時に、私の先を歩き引っ張りますが、しばしば、後ろを振り返り、私の顔を窺います。それさへできない方が都議会議員です。そういう鈍感さがなけければできない職業なのでしょうかね。違うと思いますが。
 
 では久しぶりの次郎君をどうぞ!

001 - コピー 003 - コピー
004 - コピー 005 - コピー (2)
006.jpg

「あんた、見たくもない犬の顔を可愛いと言わせられる不快さに気付いていないだろ」と言いたいのですか。いや気付いていますよ。でも見せてしまうんですね。もしかして、川柳もですか。

来たなと、覚悟決めた揺れ
 強くも弱くもない揺れが続き、これは来るぞと覚悟を決めましたが、何事もなく、収まりました。わが地方は震度3とか、最近は震度が測れる体になってきました。
 川口の姉に電話すると、揺れはそんなではなかったが、音が凄かったと言うのです。確かに、震災以来、震度4以上の場合、ゴーーーと言う音の後に揺れが来るようになりました。それ以前とそこが違っています。これは何かの兆しなのではないかと心配しています。
 では575を


   幼犬も蝶は襲わぬ節度持ち

   鶏頭の睨みにすくむ犬の耳

   下司なれど戦で喰わぬ節度持ち

   梨切れば口も泉のごとくなり
「戦争に行かないぞ」宣言 その②
 昨日は、第19回憲法を生かす匝瑳九条の会」を開きました。小中学校への「戦争体験を語り継ぐ会」の開催を交渉すること。「戦争に行かないぞ」宣言をして、バッジやワッペンを作り、それを購入していただき、街を歩こうとのアピールをすることにしました。
 では「戦争に行かないぞ」宣言文をご紹介!!


「戦争に行かないぞ」宣言

 近代思想において、人権は生まれながらに神から与えられています。わが国でも、基本的人権は明治期「天賦人権」といいました。天が民に与えた権利です。ですから、王も国家もこれを奪うことはできないと理解するのです。しかし唯一、神や天ではなく、国家から与えられる権利があります。それが交戦権です。
 交戦権は国家が持っています。それを国民は分与され、戦場で行使します。この場合、交戦権とは「人を殺すことができる権利」です。ですから、戦場から帰っても、殺人罪で裁かれません。敵国さえ裁きません。国家の交戦権は国際的了解の下にあるからです。しかし、健全な人間が「人を殺す権利」を求めるでしょうか。
 父は1939(昭和14)年に召集され、中国北部に派遣されました。初年兵教育は相当荒っぽいものでした。演習から帰ると中国人が柱に縛られています。「スパイを銃剣で処刑せよ」と命令がでます。しかし、「スパイ」に突進すると、緊張から足がもつれる者や、直前で、立ち往生する者が続出したそうです。それはそうでしょう。同じ証言が多数ありますから、広く行われた「訓練」だったのでしょう。交戦権は国家から「与えられる」のではなく「押し付けられる」権利なのです。父はその後、工兵を志願し、最前線に立つことを避けました。もちろん「人を殺す権利」を行使しないためです。これが精一杯の戦争への反抗だったのだと思います。
 基本的人権は「自然権」とも言います。自然が人権を与えるように、「人を殺したくないという感情」も自然に与えられています。この思いが憲法九条に生かされています。「国の交戦権はこれを認めない」以後70年「交戦権の押し付け」はありません。
 しかし、石破幹事長(当時)は「政治家として死なさる覚悟をする」と発言。これは裏を返せば「殺させる覚悟」でもあります。ですから「交戦権の押し付け」です。大胆にも、憲法違反宣言です。これを実行に移したのが安倍首相の「集団的自衛権行使が憲法違反でないとの閣議決定」ですから、これも憲法違反です。
 この憲法違反は国が決めれば自衛隊はもちろん、国民も戦争に行くだろうことを前提にしています。ならば、国民は「交戦権の押し付け」を拒否し「戦争には行かないぞ」宣言をしようではないか、と思うのです。百姓が年貢拒否一揆を起こしたように、我々は兵役拒否一揆を起こそうというわけです。
 欧州には「良心的兵役拒否」の権利を認める国があります。この言葉を使うなら、憲法九条は国民と国家こぞっての「良心的兵役拒否」宣言です。1947(昭和22)年文部省発行「あたらしい憲法のはなし」は戦力を放棄しても「心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と教えています。天が与えてくれた自然の感情通り、正直に「戦争に行かないぞ」宣言をします。
改めて脱原発
 今日の東京新聞、公開された、福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会作成の聴取記録について大々的に取り上げています。それを読み、明らかになったのは、事故発生は必然、破滅回避は偶然であったことです。幸運にも東日本全域退避を免れたと言うことです。新聞曰く「15日朝、2号機地下の圧力抑制室が損傷して圧力が抜け、注水を再開でき、最悪の状況は避けられた。吉田氏らの努力の結果と言うよりも偶然によるものだった」もし偶然がなかったら、今日本はどうなっていたのか。私は何処でどうしているのか。


   天も地も牙剥く上に原子力

   老いぼれてならぬと国が作る危機

   敗戦も金糸を紡ぐ錦織

   献金で企業減税利得分け
錦織選手快挙何を学ぶのか
 錦織選手の快挙に日本中が沸いた。誰もが「感動した」「希望をもらった」と語った。しかし、それは準優勝までの試合にだけ向けられており、決勝で敗れたことは含んでいないようだ。では、決勝で敗れた錦織選手は感動していなかったのだろうか。
 確かに、感動とは成功した時に味わうものであろう。しかし、私には、決勝後、悔しさを語る彼が感動しているように見えた。悲しみにも感動があることを彼は知っているようだ。
 「希望をもらった」とは「不可能はないと教えてくれた」の意味であろう。では不可能ならば挑まないのか。彼は可能不可能の算段などはせず、自分の夢に誠実であっただけと推測する。
 世の中、不可能と思われることで満ちている。それらに挑むには、失敗挫折も感動しうる人生の大切な一部との理解がなければできない。錦織選手はそう語っているように見える。

再生産が可能な米価対策を!
 昨日朝7時過ぎに、親友のSさんがやってきました。お願いしていた署名をわざわざ持ってきていただいたのかと思ったらさにあらず、お願いがあると言うんです。Sさんは農家です。「今年米の農協買取価格が8000円を切った。労賃をとれないどころか、60キロに付き4000円つけて出荷していることになってしまった」と憤怒と落胆の顔をされるのです。「そこで、農水大臣に実情お訴え、一言言わないと心が収まらないから、文章を書いて欲しい」一時間半色々お話され、帰っていかれました。
 Sさんの心情ごもっとも。心を同じくした私、一晩で書き上げました。それが下の文章です。危機が沢山あって、食糧危機の危険を忘れてしまっている国民にも、少しは考えて欲しい問題です。


米作再生産を可能にする米価対策の実施を求める要望書

 年々、米価は低下してゆくとの予測通り、今年の農協買い取価格は一万円を切り、八千円になりました。一反当たりの生産費(労賃を除く)は十万円で、八俵収穫とすると、反三万円の赤字になります。労賃がゼロであるばかりでなく、一俵4千円を付けての出荷になります。
 このままでは、益々、農業は衰退します。しかし、需要と供給の原理ゆえの結果だから仕方がないのでしょうか。競争力がない生産者は撤退してもらうだけでよいのでしょうか。好い訳がありません。第一に、地方経済に大打撃を与えます。地方再生を重点政策と位置づける内閣がこれを放置することは辻褄が合いません。第二に、大企業の国際競争力を高めるための法人減税が準備されています。これでは農業政策との整合性が問われます。第三に、耕作放棄地は山間部や丘陵地帯ばかりでなく、ここ数年、平地にも目立ち始めました。一俵八千円では農家の米生産意欲の喪失は急速に進み、近い将来、米余りが嘘のように思われる時が来るでしょう。ならば、五十パーセント以上を目指している食料自給率は上がるどころか急落します。
 中には「米作ストをやろうか」という方もいらっしゃいます。もしかしてこれは、米の貿易自由化をしたい政府の思う壺でしょうか。しかし、米の自由化は米作の崩壊をもたらすに留まらないのです。治水はもちろん、環境・文化にも多大な影響を与えるでしょう。
 ここまでくると、経済・社会のあり方という、いわば、文明の問題になってきます。そこで、思わずには居られないのが社会の最前線で働く人々が報われない状況についてです。最も尊敬され、報われるべきは物資を社会に送り出す生産者です。しかし、これが通用しなくなってしまったことに驚かされます。
 農協が一俵八千円で農家から買う米は小売段階では一万八千円です。価値創造者よりも流通業者の取り分の方が多いのです。生産者が冷遇される社会は衰退して行くのは道理です。第一、富の大きさを生産量で測って国力を誇示しておきながら、生産者を尊重しないことはおかしなことです。サービスもGDPに含まれますが、第三次産業は物資生産力という基盤なくしては成立しません。これが貧弱では三次産業の成長は望めないという関係にあることも明らかです。
 なかんずく、食料は生命再生産に欠かせず、米はその中心的生産物です。しかも、稲作と米は日本の思想・宗教・民俗慣習・国民性と深く結び付き続けてきました。その米の自給を確保する政策は日本の伝統を守ることに他なりません。首相は米作文化を守らずして、日本の何を「取り戻す」というのでしょうか。
  このように、農民百姓が二千年間米を作り日本を創造し続けてきました。これからも米を作り続けることを可能にする政策が必要です。早急にこれを講じてください。労賃部分がない上に、持ち出さねばならぬ米作をもうこれ以上続けることはできません。農業予算の使い方を根本的に見直し、持続可能な農業の再生を進める事を求めます。
『女性活躍担当相』?
 子の名付けには親の想いが込められます。「女性活躍担当相」にはどのような思いが働いたのでしょうか。
 この名付けからは、女は守らねば男と対等に仕事ができないという認識が感じられます。本来は専業主婦が望ましいが、経済発展のためにはしょうがない。「活躍」も実は「活用」が本音ではないでしょうか(戦時中の女性活用を連想します)。
 「男女平等」は憲法が掲げる理想だと誰もが知っています。と同時に、それが理想のままだというのも同じです。「女性活躍担当大臣」を必要と感じさせるのが、女性の活躍を妨げている女性差別ならば「女性差別担当大臣」がその仕事に相応しい名づけではないでしょうか。
 ヘイトスピーチの暴力性にも鈍感な政権です。まずは、女性差別根絶を目的とする「女性差別担当相」の活躍を願います。


次郎またか!!
 昨日、玄関が穴を掘る次郎によって無残に汚れてしまいましたので、次郎の居場所を移動して、掃除をしました。そのまま、夜が明けました。散歩に行き、水を飲んでいる次郎を観ていると気付きました「電話線がちぎられている」「そうか、とどいたのか」
 すぐに、修理依頼の電話を入れると、今日中に来てくれるとのこと「さあ、いくらかな」『23652円也』2365円ではありません。大変な出費です。次郎はこちらの気持ちなどお構いなく、済ました顔で、お座りしています。『おおぅ可愛い』それで経済的損失落胆はお仕舞いです。次郎のその顔は2万5千円以上の価値があります。
ようやく売電可能に
 本日、ようやく、売電のための工事が行われることになりました。二ヶ月以上待ちました。計算では4万円ほど東京電力に売ることになるんですが、実際はどうなるのかが、楽しみです。少しでも、自然エネルギーを社会に供給できることは喜びです。
 
 またまた、世の中には事件が尽きません。


   金目でしょ三千億で収まりぬ

   護憲論勇気なければ言えぬ国

   終わるのが残念ほっと五十回

   人権はヘイトを禁止デモ注視