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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
職員会議採決復活を
 生徒が自殺した件で、川西市の県立高校は生徒への説明の場では「不慮の事故」とさせて欲しいと、被害者の保護者に求めていたとの報道がありました。道理を見失った、不甲斐無い姿勢に苛立ちます。
 同じような苛立ちを覚えたことがあります。横浜から千葉に移った時です。横浜の学校では、職員も生徒も自由闊達で生徒職員の「成長」を目的にしていました。それに対して、重く硬い体制への、無条件の同化を強いる、自己規制という「秩序」を目的としていたのが千葉でした。
 この差はどこから生まれてくるのか。答えは最初の職員会議で分りました。議長は職員選挙による議長団ではなく、教頭が行い、さらに、多数決による採決がないのです。会議は静かなものです。反対意見がなく、原案通りに決まるのが理想の会議とされていました。原案に反対すると後で、幹部達に囲まれて糾弾されることも起きたのです。
 職員会議と学校の活気とどう関係があるのか。それは簡単です。自分の一票で、会議が決まるかもしれないのです。ですから、真剣に意見を聞きくことになり、自分の意見も生まれます。初任教員にも「若い先生の意見が聞きたい」とむしろ期待されました。職員会議は責任に緊張し、先輩の意見や見識を学び、己を作る成長の場でもあったのです。
 学校での民主主義とは「一人一人が校長のつもりで考え、発言し、行動することだ」先輩の言葉です。その民主主義が機能せずにいる現在、民主的であれば問題がないとは思いません。しかし、今でも、民主主義以上の原理はありません。ですが学校では、言葉だけで済ませない民主主義は今や危険思想なのです。
 「学校は変わってしまった」「自分も早期退職したい」旧同僚たちの声です。神奈川県立高校でも千葉方式が浸透、それは東京も同じです。都立三鷹高校の土肥元校長の事件がその例証です。校長の裁量権を狭めに狭め、教育委員会の権限を強める動きは、中央集権の弊害が明らかになった今、時代に逆行しています。
 退職する直前の校長は私の質問に「教育委員会の言う通りにするのが私の仕事です」と言い切りました。今回の「自殺」を「不慮の事故」発言には教育委員会の影が付きまといます。職員会議で、職員の声が反映されれば、生徒の死をうやむやにする、尊厳を傷つけるような結論は避けられたのではないでしょうか。
 職員会議での採決を校長が判断して学校の決定にする制度の復活は各学校の実情に合った教育を可能にすることでしょう。職員会議を通じた団結で、生徒の成長を目的とした学校を再生したいものです。出来ないことはありません。民主主義の学校には職員の数だけ校長が居るのです。
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