FC2ブログ
早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
名前がわかりました
 27日の写真の植物の名がわかりました。さより庵さんと彼岸花さんに教えていただきました。

画像 276
これがハルジオン。明治の頃にアメリカから入り込んだそうです。
画像 277
これがイヌタデ、俗称あかまんま、赤いご飯のようだからです。「蓼(たで)食う虫も好き好き」の「たで」の仲間だそうです。
画像 289
これがムラサキカタバミ、園芸種はオキザリス、と教えていただきました。さおり庵さん、彼岸花さん、有難うございました。 
スポンサーサイト



共産党応援の理由を言えば
 リクルート事件等の腐敗政治への批判から始まった政治改革は右往左往の繰り返しでした。一応、政権交代が起きましたが、期待される課題解決能力が見えてきません。
 実現した二大政党政治ですが「民主党民主の上に自由乗せ」と揶揄ししたくなる現実があります。理念が同じ者同士では本質的な議論にならないのです。それでも争わなければ恰好がつかない場合「失言大臣を罷免すれば補正予算を通うしてもいい」などという、政策審議を否定する駆け引きが横行するのです。
 結果、政治は政局という政争と同義語になり下がってしまいます。政治に力がない訳です。ですから「平成維新」をいう橋下大阪府知事に危険な期待が集まりもするのです。
 民主党は掲げたマニフェストを降ろし続けました。理念が同じ自民党の主張に説得力を感じてしまうからです。ならば、理想が違う二大政党制が健全な民主主義には必要です。その一方を担う資格と可能性を持つ政党は日本共産党しかないでしょう。これが応援の理由です。
畦の花、庭の花、ぼーの鼻
 散歩をしていて、この季節、花を咲かせている植物を写真に取りました。名前がわからないものが多いです。
画像 273 画像 274 画像 275
川柳にしたセイダカアワダチ草ですね。まさに、大きな顔してはびこっています。しかし、よく見ると綺麗と言えば綺麗です。鮮やかな気持ちのよい黄色です。
画像 276 画像 277
これ等の名前はなんですか。以前にぼーのガールフレンド=モモちゃん(二年前の10月下旬になくなりました)のおばあさんに聞いたんですがね。  
画像 278 画像 279 画像 280
画像 281 画像 282 画像 283
走り回った後です。ぼーが野生に帰る時です。「秋風や疾走の犬犬を生き」が自然と出てくること、お分かりいただけると思います。
画像 284 画像 285
ご近所の畑のコスモスですね。先日の風にやられてしまい倒れているのもあります。
画像 288 画像 289 画像 287
我が家の庭です。この季節にも毎年咲くつつじ。次は、これクローバーだと思うんですが、父が植えたのか、自分が種をまいたのか、記憶がございません。セイダカアワダチ草が、とうとう、庭に進出してきました。
画像 286 画像 290
ぼーはまずは水です。そして、散歩後の至福のときを飾る「あんこ」をガッツイて食べました。そのぼーの鼻です。
祈りの人になる
 東日本大震災・原発事故、未だ終わらなぬ非常事態です。なのに、僅かばかりの支援金を送ることが精一杯なのです。
 「なせば成る」そう思って生きてきました。しかし、それは励ましになっても、事実を言い当ててはいませんね。気仙沼の「波が火が人を忘れて猛狂う」福島の「汚染地を主人探しの犬歩く」映像の前に、裸の非力な自分がいるだけです。
 また、「祈って何が変わるのか」とも思ってきました。祈らないのは神仏を信じていないからです。なのに、賽銭を投げて、目に見える成果を求めてきました。神を信じている振りをして、己がための現世利益をむしり取ろうする卑しさに気付きもしませんでした。
 祈ることが成果を生むかどうかは分かりません。しかし今、「祈らずに入られない」自分がいます。人を超える存在を信ぜず、人のために祈ることを忘れてしまったことが原発事故発生と無縁ではないと感じもするのです。


   秋澄みてエナメル質に暮れる街

   満寿家なる屋号に惹かれ食う鰻

   秋風や疾走の犬犬を生き
  
   幸不幸問わぬしあわせ秋日和

   秋の蝶舞は音無し脚揃

   エナメルに光る宵街秋の風

   顔二つイケメン生まるこの不思議

   なぜTPPあわだち草に遠慮なし
犬と会話できる女性
 土曜日夜7時から日本テレビ「天才志村動物園」に、犬と会話できるハイジという女性が登場します。不幸の中にある犬とその家族に会い、相談にのるんですね。疑いながら見ていたんですが、回を重ねるごとに、本当に会話と言ってよい実体があるのではないかと思えてきます。
 昨日は、数分間、爺様が目を放していた間に、立つことが出来なくなってしまったワンちゃんの話でした。訳が分からないんですね。ハイジさんはその三分間に、ワンちゃんに起きたことを幾つか上げます。どうも薬を拾い食いしたらしいのです。しかし、ワンちゃんは病気のことよりも、自分のことで家族の関係がギクシャクしだしたことを悲しんでいるというのです。「おじいさんをみんなで責めませんでしたか」と聞くと、そうだと言うのです。
 だとする、犬を含めた高等哺乳類の殺生は殺人に等しいと言うことになってきます。知性は相当劣りますが、心性において、その領域の広さと質は人間に劣らない。確かに、動物達の親子関係を見ていると人間以上に人間的なことに気付かされます。ボノボという類人猿が、実験のためにソソをした妹に怒って見せると、兄は妹をかばうのを見たことがあります。
 お釈迦様が全ての命あるもののそれを奪ってはいけないと言ったその思いが分かるような気がしてきます。のち、少なくとも四足動物は食べるのをやめようとなった人間側の事情も見えてきます。しかし、人間も簡単に殺すのが人間です。人間が一番恐ろしい。
画像 261 画像 262 画像 263
画像 264 画像 265 画像 266
画像 267 画像 271 画像 272
画像 268
放って置いたにもかかわらず、実を成した温州みかんです。



企業目的は利潤でしょうか
 中学の時「企業の目的は利潤追求」と教わり「そうなの」と驚かされました。故郷埼玉川口で、見聞きしていたことと違っていたからです。
 中小・零細企業の経営者は「社員とその家族が生活できれば、それでいい」「会社は損得抜きに助け助けられて続けられる」「他(はた)を楽にするから働くだ」と言っていました。彼らの多くは社長といっても、職人上がりの親方です。自分が作ったものが褒められることが嬉しいのです。
 仕事、会社経営の目的はそこにあります。「いい品物で助かったよ」このお礼の言葉に、感謝するのです。買ってもらい人の役に立つ、利益はその結果であり、けして目的ではないのです。
 「企業目的は利潤追求」から「お金儲けは悪いことですか」と言った村上世彰氏は一直線上にあります。今回の震災は生活に必要な財貨を生産し、人様のお役に立つことが働く目的であり、喜びであることを再確認させてくれました。
浦和の鰻を食う
 年に数度の甥健史とのグルメ旅。鰻が食べたいと言うので日本橋を考えましたが、実は、生まれ故郷埼玉川口や越谷、浦和はその昔、川が走り、池や沼も多くあり、鰻が多く食べられていた地域なのです。現に、現在も浦和は鰻消費量日本一だそうです。何も東京に出る必要はないのです。
 そこで、浦和駅に集合、うな重を食べることにしました。「満寿家」さんに向いました。浦和には伯母が嫁いでいましたので、よく行きました。美味い鰻屋のことは聞いていました。というか一度食べたような記憶があります。
 「板東太郎」という名の鰻があるそうで、それをうな重にしているのだそうですが、残念ながら、昨日は入荷してなかったのです。しかし、いただいたうな重は最高級でした。蒲焼は薄味のたれで焼いています。しかし、ご飯に掛けてあるタレは濃い味でした。鰻の味が分かるように、蒲焼は薄味、ご飯はそれでは物足りないので、濃い味なのでしょう。甥も満足の逸品でした。


   うなぎ食べ帰りすがらの落葉焚

   気が付けば宵闇迫る喫茶店

   宵闇に急かれて出でし喫茶店

   出た宵はネオン鮮やか秋の風


   青年期経ずに老化の民主党

   古希支給受けて始める死支度

   未熟から未練を生きる六十路かな

   借金と原発子等に残さない
涙だけは
 山折哲雄さんの「宗教の行方」の中に「涙だけが違う」とあります。何が何とどう違うのでしょうか。
 身体の中にあったものが体外に出ると汚くなる。正確には、汚く感じるようになるというんです。大便・小便、鼻水。鼻の中にある時には、飲み込みもしますが、ちり紙に吐き出した鼻水をまた口に入れる人はまずいないでしょう。汗、鼻血どれも汚くなります。
 しかし「、唯一、涙はそうではない」と山折さん。なるほど、美しい涙と言います。しかし、美しい小便・大便とは言いません。言ったら、変態と間違われます。山折さんはどうしてそうなのかを答えません。そこで自分で考えると、涙は「人間の感情や精神とつながっている」とは言えると思います。人間らしく生きた者はそれゆえに、涙を流すことになります。
 ところが、人間は泣かなくなったといいます。バブルの頃からではないかとも言います。また、昭和16年に柳田国男が「日本人は泣かなくなった」と言ったそうです。この二つの時代の共通点はなんなのでしょうか。考えてみる価値があると思います。


   新米も「直ちに」付きの安全で

   安全と言われ疑う癖が付き

   携帯に内向き社会極まれり

   幼稚から未熟を生きる六十路かな

   愛犬のお尻ふりふりバッタ飛ぶ

   庭ならで畦の野草に秋の印

   ガトーショコラ人も味わうティータイム

   木々の影日差しは薄く秋は濃く
畑整備、放射能浴びる
 今日も畑の整備をしました。計測器をオンにして首から提げて、畑に向いました。
 セイダカ泡立ち草を切り倒した先に、木があります。よく見るとみかんが「よく生きていたなあ」と感心、柚子も成っています。駄木が大きくなっていたので、それを切り倒して上がることにしました。
 汗を拭き拭き、水を飲み、腰掛けて、計測器を首から外すと、なんと、1という数字が出ています。これは驚きです。先日ご報告しましたように、一週間の連続計測の結果、日の平均は2,1マイクロシーベルトほどです。それが一時間で1マイクロシーベルトとは。先の計測の11倍浴びたことになります。
 草むらには放射性物質がそのまま、残存しているんですね。ということは放射性物質も相当吸い込んでしまったことになります。少し焦りました。驚きを聞いてもらい不安を和らげるためなんでしょうか、下の姉に電話しました。
 なのですが、今朝の東京新聞「こちら特報部」によると福島市では特定避難勧奨地点に指定する目安が毎時3マイクロシーベルトだそうです。これは日に直せば72です。今日私を泡立てさせた量は日に直せば24ですから、その3倍浴びないと避難の必要がないという行政です。別の言い方をすれば、事故前は日に1,2程でしたから、通常の60倍までは安全だとしていると言うことです。
 福島では子供だけでなく、大人も避難した方が良い状況になるのではないでしょうか。民間研究者発言の方が正しいと言うことが次々に明らかになってきます。漠然とした不安が明確な恐れに変わりました。 
事故前食材のセシウム137量
 「北海道の放射線・放射能・放射性物質データーまとめ」というブログに行き当たりました。それは2009年までの北海道産食材のセシウム137の1kg含有量データーです。検査数が複数ありますので、その平均値と最大値を下に書きます。単位はベクレル

 食材名     平均値     最大値

キャベツ     1,0      3,4

ダイコン     0,26     2,3

ホウレンソウ  0,25     1,2

精米       0、097    0,41

食パン      0,049    0,083

牛乳       0,44     8,3

シイタケ    11       24


先日発表された今年の千葉県産米検査結果は全ての場所で、全ての放射性物質は「不検出」と発表されました。しかし、隣町旭市でホウレンソウが基準値を超えたので出荷停止になったのです。「不検出」はないと思うでしょう。そうしたら「20ベクレル以下は不検出と表記」と注欄にあるのです。
 では、原発事故以前の数値がどうだったのでしょうか。そこで、調べたのです。北海道とは言え、事故前ですから、千葉ともそう大きな差があるとは思えません。結果言える事は、20ベクレル以下を不検出としたことが如何に不見識であるかと言うことです。
 精米は事故前、平均値で0,1以下、最大値でも0,4なのです。なのに20ベクレルは「不検出}なのです。ないに等しいと言うのです。しかし、最大値と比べても20ベクレルはその50倍なのです。事故前の50倍の放射性物質を含んだ食材がなぜ、不検出とされ、安全と言えるのでしょうか。
 「米事故前放射性物質量」で、検索して出てきたものの一番上をクリックするとこのブログに当たります。よかったら開いてみてください。
俳句浮かばず
 2日の日以来、俳句は浮かんで来ません。感動がないんです。それに対して、川柳の種になる感動、正確には、突くべき矛盾の本質を見抜いた感動と品性を欠く政治への怒り(これも感動です)は尽きません。

 
   放射能晴れ晴れしない日本晴れ

   安全の調整インフレ二十ミリ

   二十ミリ浴びる覚悟を倫理化し

   風評と言われる恐れ出ぬ本音
体が軽い
 昨日の冷たい雨に取って代わり、そよ風のような南風が午後から流れました。草も乾いたところで、畑開墾作業三日目と相成りました。今終わり、カゴメ野菜生活黄色を飲んでいるところです。
 気がつけば、体が軽い、ちょうど、風呂上りのようにです。不思議な心の高揚と、同じぐらいの平静が温かい身体を休めるのです。
画像 250 画像 251 画像 252
 左の写真が今日開墾した部分ですね。緑の山のように写っているのは、大分荒れていますが、ある果物です。なんでしょうか?

画像 253 画像 254
 何の手入れもしないのに、毎年、実を成します。相当に強い植物です。これ結構いけます。旭農業高校勤務時、庭園を造るというので、いらなくなったキュウイの木をいただいてきたのです。もう、17~18年になります。

画像 255 画像 256 
 今年は落葉が早いようです。もう、ほとんど落としてしまった木もあります。

画像 258 画像 259 画像 260
 ここにいて、農作業を見守っていてくれました。



職業政治家を認めない政治
 原発事故とその被害実体を知ろうとしない政府に任せられないとの思いが、広く行き渡っています。不幸な国民です。しかし、どうなのでしょうか。
 政治は任せるものではなく、行うもの、参加するものであると言うのが数千年の歴史の結論です。なのに、私達は分業社会を創り上げる中、政治も社会的分業分野に組入れています。つまり職業政治家を認めてしまったのです。
 原理からだけ言えば、政治家を言うなら、皆が政治家であるのが民主主義です。一頃言われた政治家世襲批判には、民主主義とは相容れない職業政治家が憚らず、政治を家業にすることへの違和感があったのではないでしょうか。
 今回の大震災・原発事故はあるべき民主主義に帰るきっかけを与えてくれたのではないでしょうか。直感的にそのように感じ取った人達が9月19日に明治公園に集まったのでしょう。職業政治家から政治を取り戻す6万人の集会だったのです。意識改革は我々にも求められています。


   政治こそ信用ならぬ不幸知る

   残さない借金言うが原発は

   公務員仮設住宅この格差

   武器輸出このドサクサを利用する

   瓦礫拒否断たれているかこの絆

画像 249 画像 246画像 245

画像 248 画像 247
 急に、秋めいてきた我が家の庭です。ぼーの小屋もなにか侘び寂びの風情を帯びて見えます。

   
畑の開墾始める
 丸二年間放置していた畑の開墾を始めました。汗をかきました。腰が痛いです。腕が震えます。でも、何かすっきりしています。生きていることを実感するには、やはり、身体を使わなければいけないと言うことを、改めて、感じました。頭を使うだけでは、魂は覚醒しなんですね。


画像 238 画像 237 画像 236

今日はぼーちゃんはご機嫌です。天気が良いだけではありません。大好きなあんこを食べられたからです。
画像 242 画像 241 画像 240
画像 235 画像 234 画像 235






放射能計測この一週間
 先月25日の13時30分から本日13時30分までの一週間の結果をご報告します。本日11時に15マイクロシーベルトを記録。日に2,14マイクロシーベルトとなります。年に直すと0、781ミリシーベルトになります。事故前まで政府が言っていた安全範囲は1ミリシーベルト、これを基準にすれば、一応、安全範囲です。
 しかし、放射鋭物質を体内に取り込んで起きる内部被爆を考えると、安全範囲を超えることは間違いないところです。内部被爆が数年累積されるとどんな健康被害が出てくるか、その不安の中、緊張を保ち続ける覚悟をしなければならないところに追い込まれました。


   放射能計る不安と知る勇気

   生き方を正す汚染の空と海

   太陽が浅知恵笑う原子力

   
   ヤクザだがかばいたくなる新法規

   裏社会犯す前から裁かれる

   いじめ方ヤクザが学ぶ大企業

   
   木犀の花影に匂うダージリン