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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
100回記念日
 投書が新聞に載ること、とうとう今日で、100回目となりました。最初に投稿しましたのが2006年5月1日でしたから、ちょうど丸5年での達成です。夢のような話です。
 最初に送った投稿が、何と採用、赤旗の2006年5月7日号、題して『「上を向いて歩こう」を国歌に』そして、今日100回目も赤旗。題は『町会の余剰金被災地に送る』(3月27日当ブログの記事)です。退職後5年の良い記念になりました。
 土曜日は『2011年度匝瑳市サタデースクール指導員認証式』と『匝瑳市交通安全協会春海地区の新旧役員会議』があり、その一員となりました。遅まきながら、新年度のスタートです。
 これを機会に、新聞投稿は控え目にして、教科書作りに精力の多くをつぎ込もうと思います。そして、俳句・川柳、その発表の場として当ブログ、そのように考えているところです。

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これが本日100回記念とまりました新聞です。

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2011年度匝瑳市サタデースクール指導員委嘱書です。

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交通安全協会員の制服です。

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本日午後三時のぼー君です。右の顔はぼー君がキスをする時の顔ではないでしょうか。

 今、4時18分、ビッグニュースが入ってきました。下の姉の長男健史がある会社から内定をいただいたのことです。この不景気に、理系職に就けるとは幸運です。あと、2社面接試験があるとのこと。甥の大学での専門を活かせる最善の会社に決まれば、さらに有り難いことです。もしそうなれば、ご報告させていただきます。



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便利さに文化奪われ
 歴史教科書には、文化というと思想・宗教・文学・芸術が出てきます。もちろん、これ等は文化ですが狭い意味での文化なのです。文化とは生活の様式のことです。そして、様式には「生産」と「享受」があります。
 ところが、我々は「生産」をしないで済ますことを便利と呼び、省いてきました。便利は収入に比例して大きく、便利を追及する生活は所得増加意欲につながります。お金をより多く稼いで、便利を手にするのです。だから、村上世彰氏の「お金儲けは悪いことですか」に、おかしいと思いつつも、言葉に窮するです。しかし、これは「生産」を放棄し「享受」に特化する文化です。ここに、現代文明の不幸があると思います。
 実は、生産の成果だけが文化なのではなく、その「過程」も重要な文化の構成要素であり、価値なのです。便利さの追求は過程を省くことにより、人間から文化を奪っています。例えば、外食は料理を作っている母親の姿を、一緒に作りながら、交わす母子の会話を、その楽しさと喜びを奪います。量販店で買う衣料品は、完成品を想像しながら服地を選ぶ胸躍る時間を、縫い上げる母に後ろから抱きついて甘える甘えられる暖かさを奪います。
 家庭菜園、自転車、手作りブームには省いてきたものえの飢えを感じます。その他、便利が省いてきた意味の諸々を思ってみてください。人生も過程を味わうことなのかもしれません。我々は、便利を価値とすることで、人生の楽しみと喜びを放棄してきたのではないでしょうか。今後、我々が求むるべき生活と社会の基礎的思想がここにあるように思います。


 便利さに文化奪われ家畜化す

  長生きが意地悪になる嫁姑

 「見る」と言う面倒なのか親の世話 
  
  葉桜や落着き乱す名残花

 自転車をこぐエネルギー新時代
ぼー君を楽しむ
       汚染地を主人探しの犬歩く

 この句は、ブログやテレビ映像で目にしたワンちゃんの姿が忘れられずに、継い出てきました。しかし、なんともせずに居ます。出来そうなことはぼーを大切にすることだけです。そこで、今までにパソコンに溜めてきたぼーの写真から好いものを最新作と共に、ご紹介したいと思います。ぼーを楽しんでいただければ、有り難いです。

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以下、最新作です。
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田植えの準備が進んでいます。
 
恐れていたことが
 原発事故に加えて、恐れていたことがことが現実となりました。母が「お昼は、ご飯残っているからチャーハンにしてね」午後二時ごろのことです。


   行かないが各自「被災地」持って居る

   慰めを軽率にする惨禍知る

   「助け合う一人じゃない」が孤独増す

   原発禍鉛色にて雨が降る

   気が付けば沈黙の春足元に

   ウグイスの声低く聞き慰霊する

   
新聞社に句を送る
 3月11以来、過去に経験したことがない内面生活を送ってきたように思います。前提としていた地と天という親和が根底から崩れ、白々しい齟齬に変わり、精神を無意味にしている、そんな思いです。守ってくれると信じ切っていた親から攻撃を仕掛けられる子供と同じです。
 逃げなければいけないが、逃げて事か済むのか。逃げることは全てをなくす状況にあります。精神的、文化的な土台を失います。また、考えすぎではないのかという、日常的惰性も健在です。
 そのような中、理よりも情が勝って動いたように思います。文章よりも句がたくさん出来ました。そこで、一度に沢山の句を新聞社に送り、その評価を受けてみたいとの思いが強くなりました。以下がそれらです。すべて、ここでご紹介済みですが、手直しもしてみました。さて、採用されるでしょうか。されるなら、どれでしょうか。結果は次の土曜、日曜、火曜日に出ます。


俳句
    夜桜の色香仄見ゆ影もなし
           
      影でなく現でもなく夜桜は

    毒が立ち春定まらぬ地も人も

      蝶別れ舞白くして空割れる

    友の死の知らせ舞い散る夜桜か

      春惨禍三日月冴えて星を研ぐ

    眠られぬ木蓮開き夜は明ける

      春光が満ちて流るる大地かな


川柳
    汚染地を主人探しの犬歩く

      震災で政界進む液状化

    震災で贅沢は敵復活す

      MRIが怖くなくなる原発禍

    欲深の強さ不満に比例する
   
      風評に乗って悪いか我が命

    買い抑え風評今は買い奨め

      愛犬の災難生きる穏やかさ

    東電はNATOの前に空爆し

      放射能中国産に手がのびる     

    
働くことの意味
 村上ファンドの村上世彰代表「お金儲け悪いことですか」の迷言を残した人です。「お前も金欲しいだろう。ひがみ?」との顔を見た時、彼を黙らせるほどの論を展開できない自分を情けなく思ったことを覚えています。
 江戸庶民の働く意味ははっきりしていたようです。落語には「他(はた)を楽にするから、働くってんだ」 という台詞が出てきます。人様に喜んでもらうこと、必要に応えることが働く意味だ、そう感じ合って働こうよという共通理解があったようです。
 今回の震災は、忘れていた原点に連れ戻してくれたのではないでしょうか。金儲けが直接の動機ではなく、食べ物や必需品がなく困っている人達を目の前にして、生産しよう、運ぼうという思いの方が先に立っていました。それは大企業も同じでした。今まで、生き残るための生産販売に慣らされて来ましたが、実は、人様の生活を、生命を守る行為だったのだと、気付かせてもらったと思うのです。
 次に大事なことは、働くことの喜びをどう共有するかです。それには、仲間同士、お互いを知り合うことです。私達は仲間の才能を知ると、嫉妬し、足を引っ張ることもします。そうではなく、仲間の能力を活かすことに心を割くべきなのです。仲間を殺してしまう競争ではなく、活かし合う競争にしたいものです。
 「失われた20年」と言いますが、失ったのは経済発展ではなく、あるべき本来の「働くことの意味」と「他者との関係」ではなかったでしょうか。そして、リーダー達はこれを語るどころか、逆に、人材を殺してきたのだと思います。


   友の死の知らせ舞い散る夜桜か

   汚染地を主人探しの犬歩く
壊れたパチンコ台
 現代文明社会を思うと、なぜか「壊れたパチンコ台」を連想します。理由付けはどうでもいいのです。どうしても、同じに見えてくるのです。いたたまれない程に、せき立てられる魂の空洞が見えます。その空洞に、永遠に、パチンコ球が狂ったように流れ込む図が浮かびます。
 そうではなくて、その図を打ち払い頭に浮かべたい光景があります。「湧き出泉」です。これも絶え間なく湧き出るのですが、命に潤いを与える渇きを満たす永遠性です。「狂ったパチンコ台」は原発、「湧き出泉」は太陽なのでしょうか。
 同じ原子分裂エネルギーですが、放射能から人間・生物を守る仕組みが違います。原発のそれは、人間がここ数十年間で作った「からくり」に過ぎませんが、太陽の方は数十億年の年月と奇跡的な幸運が創り上げた仕組みです。働いた力は前者は「人間の浅知恵」であり、後者は「宇宙の寓意」です。その確かさを比較してはいけません。


「適切に対応した」は被災民

 リストラが原発でなく社員とは

 自粛せよ桜構わず咲き乱れ

 桜咲けパチンコ台が壊れたように

 
    夜桜の色香仄見ゆ影もなし

    壊すまで揺らす余震の覚悟見え

セシウムを浴びて便利な日本人

   
春定まらぬ
 被災地の苦難は続き、余震は収まらず、放射能が飛び交う。とうとう、最悪の事故であることを認めました。しかし、認めたのは政府ではなくて官僚でした。政府はその発表を受けるだけでした。
 その政権を担当している与党は分裂し、争う醜態を、この期に及んでも、さらしています。そよ風が吹き、桜が満開でも、春定まらぬ日本です。


   毒が立ち春定まらぬ地も人も

   自粛こそ風評被害の声あり

   震災で贅沢は敵復活す

   MRIが怖くなくなる原発禍

 本来ならば

   春光が満ちて流るる大地かな

   影でなく現でもなく夜桜は
有り難さ忘れ続けた米と魚
 震災に忘れていたことを思い出させてもらいました。その中で際立つのが米の有り難さではないでしょうか。熱い米と味噌汁と魚があれば、日本人は生きてゆける。その美味さが日本人の味覚の土台を形作っているということを思い知らしてもらいました。
 スーパーで争うようにして買い物をしたくなかったので、あるもので食事をする日が続きました。そうすると炊き立てのご飯に味噌汁、焼き海苔、大根おろし。素麺のかけうどん。玉子焼き海苔巻きご飯。これで十分美味しく満足できる、というか、こちらの方がハンバーグやシチュー、カツレツやしょうが焼き、ピザやミートソースよりも上質の食事であると気付かされるのです。そこで、 「焼き海苔をステーキにするヒカリ飯」と3月23日に川柳ったのです。
 物不足を経験して、勘違いしていたことに気付かされました。今まで自分達は、壊れたパチンコ台からチンジャラ・チンジャラと銀球があふれ出る様が通常と決め込んできました。欲しい量を両手にいっぱいにしても、それでも次から次と、いやと言うほどの食料・物品に呆れることさえありました。過剰なホステスのサービスに、うんざりする客に似ています。
 そこで思うのが、東北・関東の農水産業が相当壊されてしまったことです。これが復活してくれないと生活の基礎を失ったままの頼りない生活が始まってしまうのではないかと怖れます。いまこそ、今回の気付きに従い、農林水産業の支援を政策の第一にすえるべきだと思うのです。生活重視とはそういうことではないでしょうか。再建の意志を固める被災地一次産業従業者の姿を見るに付け、改めて、TPP反対の正しさを強く意識します。

 冷えた手を温めているは鶯か
       眠られぬ木蓮開き夜が明ける
 華やかに咲く花惑う原発禍
       新聞が届きて朝の増しにけり
 富無駄に時を捨て去る生を問う
水銀もヘドロも大好物
 「ウルトラQ」という番組がありました。これが面白かったですね。その後の「ウルトラマン」は年齢からして、見ないで終わりました。
 そのQの方で水銀が好物の怪獣が居たように思います。当時、公害が社会的大問題になっていたのです。そこで私、元気な強引な人を見つけると「あんたは水銀も消化してしまうたくましさを持っているからね」とか、気弱なことを言っている人には「ヘドロも栄養にしてしまう貪欲さを持たなくては」とか言っていました。今求められている人は?どんな進化が人類に求められているのでしょうか。

   セシウムを糧にする人まだ居ない

 
 なんでも従順に応える人も期待されています。

   行政は健気な民に助けられ

   都は自粛自粛を自粛と国は言う

   自粛言う人立候補自粛せず


   

報告に父喜ぶ
 地元企業A社の第二工場が隣にあります。たまにしか操業していなかったのですが、最近毎日、プレス機械の音がします。
 A社は建材ルーフ製造会社、深夜操業も始まりました。「これは仮設住宅の注文が入ったな」と想像できます。70トンプレスが稼動、その振動が伝わってきます。なぜ詳しいのかと言うと、そのプレス機械をK社に製造販売したのは父だからです。ですから、苦情は言えません。というか「おやじの機械だ」と思うと、父が働いている音にさえ聞こえてくるのです。
 それがフル稼働しています。被災者が住む住宅建設の一翼を担いドスン・ドスン、一打ちごとに、家が建って行くのが見えるようです。このプレス、三十年以上も活躍しています。なるほど、父自慢の機械です。
 亡くなって11年、父に代わって復興のお手伝いをしています。今朝、そのことを報告しました。
風評に乗って何が悪いか
 風評被害が問題になっている。政府もマスコミも風評に乗ることは軽率であると言わんばかりだ。ロシアは日本水産物の輸入を全面禁止し、インドは食品輸入の一時停止を決めた。国民を守る当然の処置である。
 物理教師であった先輩は言う。「風評などではない。少しでも汚染されれば、食べない選択が本当だ。出荷を停止して、汚染生産物を政府が買い取り、直ちに全額補償する。その上で、政府は国会で予算化し、国民・企業はその負担を負うのが筋だ」しかし、そうはしない。風評被害を責任転嫁の口実に準備しているようにさえ見える。さらに言えば、風評被害の原因は政府・官僚に誤魔化され続けてきたゆえの国民の行政不信にある。安全と言えば言うほど、怪しく思われてくるのだ。
 それでも、我々は風評に乗らずに、汚染地域や海域の農水産物を食べるかもしれない。しかし、「自己責任」を言ってきた政府である。その責任はその本人にだけある。風評被害キャンペーンは生産者にも消費者にも冷たい政策なのだ。その中、国民は節電に努め、義援金を送り、腰をすえて仕事をこなしている。国際社会が賞賛するのがよく分かる。
 だが、政府はそれを当たり前だと思っている。昨日まで「買占めは止めよう」と言い、今は「買いましょう」政府の思うように動くのが国民の義務だといいたげだ。マスコミも文化人を使って協力すしている。だから言いたくなる「風評に乗って悪いか我が命」国難というより、差し迫った命の危機なのだ。「風評被害」と言う認識が間違いであり、これこそ軽率である。

風評が本当である事故となり
        風評に乗らずに食べても自己責任
風評に乗って悪いか我が命
        買い控え今は風評買い奨め

蝶別れ舞白くして空割れる  
ぼーは知らずに日向ぼっこ
 散歩時間も半分以下にしました。しかし、全く、外気に当たらぬ生活は出来ません。洗濯物を中に干すぐらいが関の山です。
 ぼーは何も知らずに、玄関前で、日向ぼっこしています。穏やかな彼の時間を見詰めるのが好きです。私に気付くと起き上がり、スキンシップを求めます。何も変わらない日常に見えるのですが、余震が、人の世を根底から揺るがそうとしている地響きに感じられ、不気味です。それでも、生来の皮肉屋精神がうごめくのです。


   選挙まで自粛ムードで有利にし

   先送り出来ぬ瀬戸際原子事故

   人災も自己責任の無責任

   サルコジは原発維持のために来た

   職守るために安全言って来た

   風評を笑う学者も買い控え 

   国産派原発事故で国際派

   愛犬の災難生きる穏やかさ

   


   
懲戒にならない待遇
 頭の中が震災と原発事故でいっぱいで、これ以外、思考停止状態です。しかし、他にもおかしなことは幾らでもあります。
 先日、小学校講師が児童に猥褻行為をはたらき、「懲戒免職」になりました。それは当然な処置です。しかし、同時に「懲戒免職が罰にならないでしょう」と教育委員会に言いたいのです。言いたいことが判っていただけるでしょうか。
 講師には非常勤と常勤とがあります。非常勤は昔からありました。授業だけを担当しますから、担当授業がない日は出勤しませんし、出勤日も授業が終われば帰ってよいのです。これに対して、後者は授業以外に校務、部活動、学級担当と、教諭に準じる仕事を行います。ですから、待遇も教諭に準じます。(この職は20年ほど前から目立ってきました。採用の理由は将来の生徒数減少に備えて、正教員採用を抑えるためです。同時に教育委員会・校長の労務管理対策でもあります)
 しかし、両者と教諭とは決定的に違う点があります。両講師とも期限付き採用だと言うことです。一年単位の採用です。もちろん、学年主任、分掌部長にはしない決まりになっています。そこで、先の講師の懲戒免職です。彼はどっちみち、一年間で一度解雇されるのです。職を奪われるのは日常であり、怖いことではありません。懲戒が付くと退職金がもらえなくなりますが、これも一年ですから、退職金は高が知れています。教育委員会は自らの懲戒実効力を、自らの行いによって奪っているのです。
 雇用権限者はその対象者に好い待遇を保障するから、懲戒に威力を持たせられるのです。今のままでは、教育委員会には講師を懲戒にする力量が、つまり、資格がありません。
読んでください
 ブログ仲間の美代子さんから、もっと早く知っておけばよかったという情報を得ました。平井憲夫さんが書かれた文です。それをお読みください。「平井憲夫原発」で検索し、出てきた一番上の項目をクリックしてみてください。
 また「ドイツ気象局ホームページ」で検索すると、放射能雲の移動シュミレーションを扱った記事が現れます。我が地域は相当に危ない地域です。
 事態の悪化に備えて、可能な人から西への移動をするように、政府が情報を流すべき段階にきていないでしょうか。でないと、一度に、2000万人3000万人の移動は出来ません。