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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
なぜ、対等外交にこだわったのか。
 今日は、先日の種明かしです。聖徳太子がなぜ、隋との対等外交にこだわったのでしょうか。朝鮮での影響力を回復するための軍事力行使は一時的に成果があっても、長続きしません。そこで、外交政策を持って目的を達成しようとしたのです。
 朝鮮三国は隋の柵封を受け、各国国王に任命され、朝貢しています。ですからもし、その隋と対等な国際的地位を日本が持つならば、日本の国際的地位は三国の上位に権威付けられます。この事実を持って、特に、新羅の動きをけん制しようとしたのです。
 では、中国皇帝以外に許されない「天子」の呼び名を、日本王が名乗る無礼ゆえの怒りを表わしたのに、なぜ、中国皇帝は返答使を派遣し、あたかも、要求を受け入れたと思われてもしょうがない対応をしたのでしょうか。
 隋は、柵封を受けながらも従わない高句麗を攻撃していました。しかし、敗退する始末です。そこで、高句麗と良好な関係にある日本が高句麗と同盟を結ぶことを恐れたのです。現に、隋は三度目の高句麗遠征を決定しましたが、兵が集まらず、反乱が拡大し、618年に滅びます。

今回、反応が今一というか、いただけませんでしたので、次回は工夫して、その気になる日本史上の問題提起をしたいと思います。

今日も、出来ることは出来ました。

   どてら着て水菜のピザを所望する

   客去るも和みを残すスィートピー

   桜木の芽吹き覚悟の範と見る

   向き変わり風車も惑う新年度

   笑点が始まる前の風呂上り

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「散歩、散歩」の声を聞く前と後の図です。興奮して、なぜかボールを銜えます。 
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田んぼ道を走り周っていたのを、「こっち来い」を聞いて、私の傍まに走ってきたところです。


 
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春一番の前にそよ風
 我が東総地方は快晴、文字通り、雲ひとつない爽やかな一日となりました。暖かく、そよ風なのです。春一番が吹く前にそよ風とは。ですから、散歩も苦ではなく、むしろ、歩きたく家を出ました。ボー君はますます快調、足取りの軽きことペガサスの如しです。そこで、春一番を想像して、

   犬走る春一番のチャック切り
 
 
 走りまわるぼーをよそに、体操し、天を仰げば

    晴れ渡る春を仰げば海の中
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ではありますが、煩悩の業深き自分は

   そよ風も俗事消し得ぬ散歩道




   
愛犬春を待つ
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我が家の蝋梅と白梅です。半ば野生化しています。

 
 今日は、我が東総地方も春潤む気配です。それなのに、いや、それだからなのでしょうか、ぼー君は物憂げです。そこで、「遊び」「ぼー遊び」と言って目を覚まさせてやりました。  
   

   噛合せ泉となりし芹サラダ

   紅茶飲む蝋梅しづと味を添え

   おっとりと物憂げな犬春はまだ

   蝋梅の春待ち色は黄でなく

   愛犬の春を着ている吐息かな

   薄日射す覗き見ている春の神

   春めいて近くに球児の声を聞く

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遣隋使派遣の訳
 聖徳太子の政治で、習ったことは ①仏教興隆の詔 ②冠位十二階制定 ③十七条憲法制定 ④遣隋使派遣 といったことだと思います。これ等を丸暗記したことでしょう。私はそうでした。結果、何とか大学に合格できました。教員採用試験も同じような学習で対応しました。
 それで日本史の教師になったものですから、いざ、教えるとなると、色々、疑問が出てきました。この単元で言えば、 A「なぜ、以前とは違って、隋と対等な関係を結ぶぼうとしたのか」  B「隋の煬帝は日本が無礼であると怒りながら、なぜ、返答使を日本に遣わしたのか」などです。しかし、生徒から質問が出ることはありませんでした。そこで、こちらから発問することにしました。
 答えられないと、授業が死んでしまいますから、答えが出るような授業内容に変えました。結果、教科書は邪魔になりました。そこで、教科書は史料・資料を見るときだけの物になったわけです。
 では、答えを導き出す事実をこれから書きます。

発問Aに関して・・・・562年、日本は朝鮮半島に持っていた勢力を新羅によって奪われました。任那と習ったはずです。これを回復するため朝鮮遠征をし、屈服させたのですが、兵を引き上げると言うことを聞きません。武力では限界があったのです。、そしてもう一つ。新羅は隋に朝貢して、臣下に列せられていた。

発問Bに関して・・・・高句麗は従わず、隋は高句麗遠征をしています。しかも、けりが付かないどころか、隋が敗退する勢いを持っていたのです。高句麗は日本に学者や僧を送り、良好な関係にありました。

 興味と時間がある方は、考えてください。近いうちに、種明かしをさせていただきます。


   ゴミ出しが洗練される朝ウォーク

   改革ぞ自己責任が互助忘れ

   寒さ増し知らぬ命の湧き出づる

改作しました。  

   蝋梅の匂い香高し般若経
 
本年度サタデースクール終了す
 本年度、最後のサタデースクールでした。ところが、最後の最後がしみじみしませんでした。最大級の怒鳴り付けをしなければならないことになりました。
 全員座らせて、しみじみお説教。「人の話を聞かない者は話が上手くならない」「怒鳴られる前に、気付かない鈍感な者は幸せになれない」「真剣に聞く習慣を持って、中学校に行かないと授業に付いて行けない」などの話をしました。さらに「来年度は指導員を辞めようと思っていたが、これでは心配で辞められないから、来年もやる」とも。もちろん最初から続ける気で、もう継続の書類をとっくに出しています。
 全てが終わった後、お母さんのメッセージと自分の感謝のメモを持って来た女の子。おそまきのバレンタインチョコをくれた女の子。折鶴にしたメッセージをくれた男の子。また宝箱に仲間が増えました。
インフルエンザは重病です
 日曜日に、床屋さんの前を通ったら店を開いていません。「珍しいなあ」と思いながら通過しました。家に帰ると、町内のいい継ぎで「Sさんのご主人が亡くなった」Sさんはもう一軒あるので、そちらのおじいちゃんかなと思ったら、そうではないのです。床屋のSさんでした。
 元気にしていたのに、何が起きたのか。葬儀場に花輪を依頼に行き、話を伺いました。お孫さんが学校でインフルエンザをうつされ、家族みんなも罹ってしまったそうです。ここまではよくある話です。ご主人だけが医者嫌いで行かなかったと言うのです。朝、起きてこないので部屋に行った時には、すでに、亡くなっていたと言うのです。71歳でした。
 いろんな意味で、ぞーっトする話です。インフルエンザは、風邪の少し症状が重いものぐらいの認識で居ましたが、そうではないのですね。特に子供と年寄りにとっては重病なのだということを目の当たりにした思いです。ご家族が悔やんでいるだろうなとも思いました。悲しみの上に、自責の念を持っておられないだろうか。自分の母親は大丈夫なのか。
 思い返してみれば、ここに来て22年、職場以外の方で、一番話をしていただいたのが、Sさんです。ご近所と話をすることっても、立ち話が中心です。それも10分から20分です。それに比べ、Sさんとは、二ヶ月に一度ですが一回1時間以上の会話をしました。また、店の前で目が合えばお話させていただきました。親近感があるわけです。人生の話もし合いました。一時間とは、それだけの時間です。今、お通夜から帰ってきました。明日、お別れです。
カラス・ハクビシン来襲
 昨日の朝6時過ぎ、相当数のカラスのけたたましい鳴き声で目が覚めました。屋根の上でふざけまわっているのです。
 その中「ガタン」「ドタン」ときました。「これはおかしいぞ」とカーテンを開けると、40センチぐらいの獣と目が合いました。鼻筋が白いです。「出た、ハクビシン」雨どいに逃げましたので、帚でつついてやりましたら、伝わって庭木に飛び移りました。門扉が凍りつくほどの寒い朝でした。暖かい屋根裏に巣を求めたのだと思います。
 不思議なのは、ぼーが吼えなかったことです。玄関の鍵はあいたままにしています。予想するに、ハクちゃんが突然に玄関に現れたのです。ハクちゃんは死ぬほど驚いたはずです。そこで、威嚇したのだと思います。不意を突かれたぼーは恐怖が先にたったのではないでしょうか。とは言え、ハクちゃんは逃げるしかありません。雨どいを伝わり二階のベランダに飛び移ったのです。その音が「ガタン」「ドタン」だったのです。
 ぼーの綱が切れていました。ハクちゃんが逃げたので、追いかけ外に飛び出したのでしょう。そうすると、カラスの大群です。ぼーは唖然としてしまい、自主的散歩のチャンスであるとさえ、気付かなかったのです。私の姿を見るなり、寄ってきました。怯えが読み取れる表情を抱きしめてやったことはもちろんです。
 隣のご主人が、ハクビシンが屋根裏に入り込んだが、何とか追い出したと言う話をしていました。捕まえるので、市から捕獲檻を借りてきて仕掛けたら狸が掛かってしまったとも聞きました。雉も山から下りてきています。イタチも居ます。たまに車に轢かれています。それでも、このあたりは野生動物の天国のようです。
雪の予報に欠席続出
 二月の句会に参加してきました。関東地方も広く雪になるとの予報でしたが、やはり、我が地方は雨となりました。予報ゆえ、欠席の連絡が昨日続出、出席は8人でした。いつもと違い、静かです。しーんと会は進みます。「いつもと違い静かで、かえってやりにくいですね」と私。「そうだね」と先生。他の男性陣は黙っています」「これで誰が五月蝿いかがはっきりしたね」といつも一番元気な女性が言うものですから、噴出すところでした。。相棒が居ないもので、調子が出ないようです。
 本日は、次の3句を持っていきました。お1人預かり作品があり、9人の出作です。

   水仙が悲しみを継ぐ戦没碑・・・・・・・3点句

   愛犬の脇に手を入れ春を待つ・・・・・・1点句   

   白梅を屏風にし聴くカンツォーネ・・・ 1点句

 久しぶりに、選句していただきました。私が選句したのは

   灯台を煙に巻いて野焼かな・・・・・・3点句

   薄氷の溶けて漂う絹の帯・・・・・・・2点句

   三代のボール投げ合う梅の庭・・・・・3点句

   皆の愛背中に光るランドセル・・・・・3点句(無季語とのことです)

 皆さんのそのほかの句

   里山の涌水豊か芹青し・・・・・・・・3点句

   着膨れて居れば年齢問はれけり・・・・2点句

   恙なく生きる歓び春立てり・・・・・・2点句

   柊を挿して倉の戸閉めにけり・・・・・2点句

   
 「薄氷」で「うすらい」「一印毛」で「ひとはけ」とは知りませんでした。「手套」(しゅとう})とは手袋のことって知っていましたか。まだまだ、勉強することは幾らでもあるんですね。漢検準一級に挑戦すべく、勉強しだしましょうか。俳句の上達のために。

      

姪たちから届き物
 Uパック配達員から、電話が入りました。「お宅どこだか分からないんですが」いやしばらく説明しましたが、合点行かぬ様子。「今どこに居るんですか」「古屋自動車の脇入りました」「じゃあすぐそこですから、出ますよ」と門に行ったら、そこに車が。私に気付くと「ああ、ここだここだ。ここで好かったんだ」方向音痴の配達員さんでした。
 二つの小袋、大きさからすると「バレンタインチョコ」と思いました。しかし、違いました。確かにもう二人とも所帯持ちです。上の姪が私の好きな紅茶に、名文の手紙と「農作業やります券」この券、夫婦で我が家の畑仕事を手伝うと言うもの。来て欲しい日を書いて、送るはがきになっています。下の姪は好い物を書いてくださいと「パーカーのボールペン」と先日の写真でした。
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 明日は、句会です。なんとか、創ってみました。

   白梅を屏風にし聴くカンツォーネ

   水仙が悲しみを継ぐ戦没碑

   犬丸め寒さが凍る月明かり

   蝋梅が香を高めたか般若経

   愛犬の脇に手を入れ春を待つ

日清日露勝利が見落としたもの
 わが町に、バブルの遺産と言える施設があります。先日行って、発見がありました。「やはり、無駄な公園だった」、もう一つは「日清・日露戦争の忠魂碑があったのか」ということです。
 忠魂碑に並んで、戦没者氏名が刻まれた石板がありました。日清戦争は1名、日露戦争は百数十名です。しかも、八角姓が二つ並んでいるのです。その瞬間、戦死者8万8千という教科書知識が郷土の歴史と結びつきました。水仙の花が捧げられています。悲しみを今に受け継ぐ献花です。
 しかし、高校の歴史授業中、8万8千の数字は大国ロシアに勝った偉業の証しにはなっても、戦死者の無念、遺族の悲しみを語りませんでした。当時なら尚更、勝利がもたらす国益とナショナリズムの高揚は、生活者の都合を黙殺することを承認し、土に生きる日常を置き去りにしたはずです。「国民の義務」の名の下、そこに醸成された理不尽さへの不感症は、太平洋戦争終結まで続きます。
 NHK「坂に上の雲」は物語としては面白いでしょう。確かに、当時の一側面ではあります。しかし、歴史として観ることは、当時の過ちを平成の世に再生産することになります。
 戦死して勲章(遺族恩給支給資格)を得た伯父の墓前で、「にしのお陰で生活が楽だぁ。ありがてえ」と祖母は無感情に言いました。息子の生と死の尊さを、このようにしか言い表せない無念の表情を忘れることが出来ません。

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久しぶりに、隣町、旭市の工業団地の空き地に行きました。
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この時期、露地栽培は長ネギぐらいしかありません。
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春めいてきた日差しを楽しむぼーです。冷える手をぼーのわきの下に入れて暖めるのが楽しみな自分です。




米国がムバラクに辞任迫ったが
 おかしなことです。ムバラク大統領に、辞職を促したオバマ大統領。各紙も平然と辞職を「迫った」「勧告した」と書いています。驚きも、批判的表現もなく「さもありなん」との構えです。
 なぜ、内政操作がまかり通るのでしょうか。総合的国力の差と言ってしまえばそれまでです。確かに、胡錦涛主席にはしないでしょう。しかし、それを認めてしまう国際社会でよいのでしょうか。
 国力差がある上に、常任理事国は拒否権を持っています。これを認めていることと、今回の干渉に違和感を覚えないことは低通しています。「拒否権がないと、世界秩序が乱れる」と聞きます。しかし、この干渉はすでに、民族自決の原則を乱しているのです。
 今回のオバマ大統領の行動は他人事なのでしょうか。日本の政権も、米国の国益に適うかどうかで「退場勧告」されてきたのではないでしょうか。そんな疑いを持ちます。新しい秩序はエジプトだけではなく、国際社会にも必要なようです。
愛犬家ならば古典的米飯を
 出汁取り後の鰹節を与えたのが始まりでした。ぼーは由緒正しき雑種です。猫でもないのに夢中になって平らげました。
 「炊き立てのご飯が食べたい」という母の要望に従うと、冷たいご飯が溜まってきます。そこで、花かつおをまぶしたそれを鼻に差し出すと、ぼーは迷わずに食べたのです。
 それからは、ドッグフードと交互に米飯を与えています。というか、「ドッグフードが一番」という常識を疑ってもいたのです。調べてください。発がん性を指摘する学者もいる合成着色料と保存料を使っていないのは6社中1社だけです。その他、栄養剤という食品添加物が多数使われています。
 20歳の愛犬を失った知人は味噌汁かけご飯を与えていました。ぼーも11歳、しかし、若く元気です。地産地消が食の道理であるという反省がされています。ドッグフードは外国産の「エサ」ですが、米は国産の「ご飯」です。「エサ」を家族には出しません。
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今朝の「ご飯」です。写真を撮るので「待て」をかけました。「よし」の直後の図です。
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朝陽色に染まるぼーです。


バブルの産物天神山公園へ
 29日はサタデースクールの後、天神山公園に行きました。ここは数億円の市費を費やして、造成されました。当時の市長はここに天守閣も造る計画を立てました。生コンをたくさん使う設計です。ちなみに彼は生コン会社社長です。その建設費15億円。反対運動が起きました。私も参加、元市役所職員を対立候補として、市長選に臨みました。危機を感じた自民党県連は現職県会議員を立候補させたほどです。結局、その県会議員が当選、天守閣建設は廃案となったのです。
 その公園に行ったことがなかったのです。行ってみたら、だれも居ません。その一角に忠魂碑がありました。良く見ると、西南戦争(1名)と日清戦争(どこで区切ってよいのか分からなかったのですが、1名、多く見ても数名です)と日露戦争(これは百数十名)の戦死者の碑でした。
 西南戦争で戦死した郷土の先輩が居たとは、先ず驚きです。そして、日露戦争の戦死者がかなりの数であること、この戦争がかろうじて勝った戦争であった、大変な犠牲を生んだと言うことを、実感させられました。もし、ロシア国内が安定していたなら、とても勝てる戦争ではなかったことを戦死者の多さが示しています。
 その中に、八角姓のお二方の名前を発見しました。富谷地区とありますから、父が「富谷の叔父さん」といっていた家の関係者だと思います。歴史で知っていた日露戦争が違って見えてきました。このとき、遺族達が味わった悲しみ、理不尽を国家も国民も正当に取り扱わなかったことが15年戦争の悲劇の一因であったことは間違いでしょう。

   忠魂碑苔に紛れず名を残す

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展望台から南側=海側の風景です。
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北側=山側の風景です。忠魂碑は森の中にありますので、デジカメでは撮れませんでした。台座が横6メートル縦4メートル高さ1メートルほどあり、畳二畳ほどの石版に戦没者の名が刻まれ、碑は高さ3メートル以上あります。
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レストラン、エストエストのご主人の、歴史検定合格お祝いプレゼントです。画像 828 画像 831 画像 832 画像 833

  縁側の日差しの密度梅に合い