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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
憲法と日の丸
 都教委による日の丸・君が代強制が憲法違反かどうかを争う裁判の二審は、一審と正反対「違憲ではない」との結論を出しました。
 判決に従えば「学習指導要領が卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱の指導を定め、全国の公立学校で行われている」「起立斉唱することは特定思想良心を表明する行為とは言えず、通達は合理性がある」そうですが、これは本末転倒です。学習指導要領が定め、通達が出、強制したから、多くの学校で実施されているのです。
 ならば、通達を取り消させて、数年後、判決を出すべきです。その場合、多くの学校が未実施なら、反対の判決となります。つまり、今回の判決は憲法違反かどうかを判断していないのです。しかし、実質、強制は合憲だとなってしまうのです。
 ではなぜ、合憲なのでしょうか。都教委や一部PTA幹部は、従わない教員を「偏向教師」と呼びます。何が「偏向」なのか。国語的判断は「考え方」です。つまり、思想・信条が偏っていると思っているのです。この強制は、思想信条に自由を奪う意図を持った、紛れもない思想弾圧です。
 戦前、多くの学者が大学を追われました。このままでは高校で同じことが起きかねません。確かに、明確に反対する人達は少数派です。大したことがないようにも見えます。しかし、そうでしょうか。
 民主主義の原則の一つ「少数意見の尊重」とは、弾圧するのではなく「現在の少数派が、将来、多数派になることを、多数派が保障する」ことです。都教委も東京高裁も民主的ではないのです。なるほど、現在、形骸化した民主主義が国会においても展開しています。
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釈尊のことばと世相
 中村元著「原始仏典を読む」に魅せられています。仏教的理解の影響下にあることを教えられます。真理を見出します。
 「悪が積み重なるのは苦しみである」「悪行から脱れることのできる場所はない」「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。『快楽の味は短くて苦痛である』と知るのが賢者である」「我々は、実は、一物も所有していない」
 欲望は怒りや争いを生みます。「勝利からは怨みが起きる。敗れた者は苦しんで臥す。勝敗を捨てて、安らぎに帰した人は安らぎに臥す」「怒りを捨てよ。慢心を除きされ。如何なる束縛をも超越せよ」「怒りたけった人は、善いことを悪いと言うが、怒りがおさまった時には、火に触れたように苦しむ」
 そこで、次のような真理が語らえます。「他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、自分をも他人をも大きな危険から守ることになる」「自分と他人と両者のためになることを行っている人を『弱い奴だ』と愚人は考える」「愚者は、荒々しい言葉を語りながら、『自分は勝っているのだ』と考える。しかし、そしりを忍ぶ人こそ、常に勝利があるのだ」
 お釈迦様の言葉に従えば、私を筆頭に、世の多くは愚者のようです。社会的地位に比例して、その度合いが高いような。今朝の東京新聞から。モスクワの空港で、爆破テロ事件が起きました。許しがたいことですが、背景には、政治腐敗や貧困を放置している支配者への怒りがあります。私利私欲政治が事件を正当化させているのです。「レバノン、ヒズボラ系新首相にスンニ派抗議激化」「台湾貧困家庭に、中国富豪14億円の寄付。一部は陰謀だと批判」ここでは、欲望と怒りと不信ゆえに、能動的に行動しているのに、苦しみの中にある人々が人間を生きています。
 我々は、恥じなくてよいことは恥、恥ずべきことを恥じない。恐れなくてよいことを恐れ、恐れねばならぬことを恐れない。避けねばならぬことを避けず、避けてはならぬことを避ける。真理を得た者とは「束縛を断ち切り恐れることなく、執着を超越している」「敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者の中にあって心穏やかな」「歓楽の生活の尽きた」人のことである。先を読みたくなりました。ここまで。
 
日の丸と星条旗
 日の丸に反対する人々が疎外され、職業も奪われかねない状態にあります。自由主義者が大学を追われた戦前と同じイデオロギーが息づいています。しかし「いじめ」と同じで、やっている方はそれに気付けません。
 競技場等でも、日の丸・君が代に敬意を表さないことは勇気を必要とします。「愛国心はないのか」と非国民扱いです。従わないのは信条・思想・宗教上の理由でしょう。ですから、憲法上「国歌斉唱です。ご起立願いますが、差し障りのある方はそのままで」というアナウンスが必要です。現に、そういう儀式、式典もあり、まともな民主主義的教養を感じさせます。
 私は、日の丸も、君が代も国旗・国歌としてふさわしくないと思っています。15年戦争時に、アジア諸国民は日の丸を恐れ、逃げ回った歴史があるからです。そして、同じことが星条旗にも言えると思っています。ベトナム戦争を侵略戦争と認め、その国家犯罪を恥じ、悔いるなら、星条旗を掲げられないはずです。しかし、その動きは起きませんでした。反省がないがゆえのアフガン・イラク戦争です。そして英国。軍事力で植民地とし、国を破壊し、人権人命を奪いました。それゆえの繁栄を貪り、文明国を気取ったことへの反省と想像力があるならば、ユニオンジャックを誇ることもありえないと思っています。
 今や、9条ばかりでなく、19条思想信条の自由、25条生存権も軽視されています。これが「美しい国」の実像です。ノーベル平和賞を拒否した中国やマスコミ法を制定したハンガリー・オルバーン政権を笑えない現実があります。そこから、今後を考えなければならない2011年正月です。
ぼー、新しいボールにご満悦
 ボールの皮がはがれてしまったので、新しいものを買い入れました。ぼーはボール遊びが大好きです。
 犬皆そうなのでしょう。ボールが輝いて見えるのは、そのボールに飼い主が注目している時だけです。そうでないときは、ただの丸い物体に過ぎません。新しいボールで遊ぼうと外に出ると、いつもよりもぼーの動きが機敏に見えます。夕方だから、そう見えたのかもしれませんが、ぼーも黄色い三つのボールの新しさに興奮しているようです。
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子犬のような初初しさに驚かされます(左の写真)。
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私が買い物に出るとき、すねるぼー君です 
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散歩で、自分を取り戻すぼー
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畦の草を焼いています。害虫や病原菌を殺すためだそうです。田んぼの切り株から生えてきた「ひこばえ」の枯れたのも焼く農家もあります。これからはあちらこちらで、煙が上がります。






また、投稿が人と結びつけてくれました
 新聞を読んでいると電話が入りました。年配のご婦人の声です。「毎日新聞」と聞こえ「編集局の投書係」かと、一瞬、思いましたら、今朝の新聞を読んで是非お話したくなりましたとのこと。その投書は次のようなものです。

 貨幣状湿疹というアレルギー性皮膚病に罹りました。多くの湿疹が出来、痒いからとかくと痛くなって大変なのです。健康のありがたみを実感しました。
 健康は「当たり前」でなければなりません。しかし「ありふれたこと」ではないのです。「ある秩序」がフルに体の器官を機能させ健康という調和を保っている、そんな図が浮かびました。
 「ある秩序」は人間が手を付けられないという点で神聖です。それを坊さんは「生きているのではない、生かされているのだ」と説教するのでしょう。「ある秩序」が求める調和に同調することなしに、健康は維持できないのです。
 今回は私という小さな宇宙内の出来事でしたが、地球規模でも言えるのではないでしょうか。よく「自然を守る」と言います。しかし、守られているのは我々であり、「自然を守る」は傲慢なのです。この傲慢さが自然を壊しているのではないでしょうか。そんなことも考えさせられました。

 現在70歳代前半のHさんはご主人と二人暮しのようです。千葉県長生郡という静かな地域に生活されています。千葉市から移り住み、500坪の畑を耕作されています。若い時、幾つかの大病を患い、苦しい思いをされたようです。
 そう察するのは、電話番号を調べてまで、自分の思いを伝えたいと思われたことで十分です。「ある秩序」に気付いていることを誉めて下さり「悟りを開いている方」だと思い話がしたくなったと言われます。その言葉、恥ずかしく受け取りました。迷い迷い生きている自分を自覚していますから。
 15分ほどのお話を伺い、この方こそ、悟りを開いているのではないかと思いました。その分、今の生活に入るまでが如何につらいものであったかが伝わってきました。我が家に来ていただくことをお約束し、お名前と、電話番号を伺いました。また、新聞投稿が新しい出会いを演出してくれました。
句会元気に始まる
 14日、匝瑳市寿大学俳句講座が開かれました。残念ながら、今回も取って頂けませんでした。自信を失います。しかし、意欲はそんなになえては居ません。これも、歴史検定の予想外の合格の好影響でしょう。
  今回は下の三句を持って参加しました。

   出来を見て我を値踏みの年賀状

   鼻先やまどろむ犬に雪も春

   厚氷ジェット機写す千年田

四点句
   初詣闇が一緒に動きけり

   浸食の浜辺に待つや初日の出
三点句
   しきたりを譲らぬ祖父や大旦

   良き予兆雲一条なき初御空

   飛石に赤き実こぼれ寒の入

   初電話二人は卯年の同い年

   せめぎあう河口の波や初かごめ

私は上の「飛石に・・・・」「せめぎあう・・・・」と

   師走の道声おいてゆく公報車

   鏡餅丸め手同じ母の役

を選句しました。皆さん元気です。新年会が続くとは80歳の「さくさん」の言。病院見舞いで、明日の「北の雲」( 寿大学メンバーを中心の句会)に遅れると心配そうな三樹夫さん。鏡餅を割ってお汁粉を作るとの話も出ました。華やいだ雰囲気は見舞いや通院、正月早々の葬儀の話が出ても揺らぎませんでした。
歴史検定合格す
 御報告させてください。いや、驚きました。合格ラインが60点。自己採点では58点か60点と踏んでいたのです。合格したら、めっけものと思っていました。封筒に板が入っていたので「これは合格だ」と興奮気味に、封を切りました。
 そうすると、得点70点で合格と資料にあります。「はあ~ どうしてだ」あっけにとらわれましたが、嬉しさは抑えがたく、「70点」の数字を見詰めました。論述問題の得点が相当高かったことになります。結果として、成果になったことを幸運と受け止め、今年の12月は80点合格を目指し、勉強しようと元気になった自分です。新年早々、良いことになりました。

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合格証書です。これで二枚目、あと、三枚いただけるように、精進します。
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ぼーは相変わらず元気です。ちょい悪中年犬そのものです。
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これはSさんの畑です。食用菜の花です。Sさんは昔ながらに草を刈って、積んで置き、畑に入れています。大変肥えた土です。砂地であるにもかかわらず、Sさんの畑は黒土のようです。

なぜ、明日はあるのですか?
 NHK「こども相談室」に寄せられた5つ質問の内、4つはとにかくも、答えてみました。最後の「なぜ、明日はあるの」に答えてみたいと思います。
 この問いに、すぐに、浮かんだのは、教育相談の研究会に参加した時に聞いた話です。「誰もが明日は今日よりも良く生きたいと思っている。明日は悪くなってやろうと思っては生きていない」という講師の話です。教師の仕事は、どの子もそう思って学校に来ていることを信じて、接することですよとの話です。
 勉強で言えば、分からなくて良いと思っている生徒は居ないと言うことです。口では、勉強なんてどうでもいいと言っても、それに惑わされずに、本心は違うことを信じることです。「俺なんか駄目だ」と言っても、そうではなく「明日は、今日より良くあって欲しい」と思っているのだから、そうなるように、手助けすることが教師や大人の仕事ですと言う話です。
 とするなら「明日は今日よりも良くなるためにある」と言うことになるのでしょうか。何か当たり前の答えになってしまい自分ながら不満なのですが、これしか浮かんできません。



予告して施設に向う伊達直人

インフレで借金返す本音見え

復興は自力と寄付の十六年

 
家持祝いに行く
 母が埼玉は川口の下の姉の所に居る内に、二人の姪の家購入祝いにいくことにしました。二人とも、姉の家から車で10分のところに家を買いました。昨年6月、お祝いに行くことになっていたその日の朝に母が入院、そのままになっていたのです。
 三十代前半と二十代後半の若夫婦が揃って、家を持ちました。いまどき、幸せなことです。旦那のご両親が「嫁なんか来てくれると思っていなかったのに、家まで持って、これで安心した」と言っていたとか。泣ける話です。姉の家に先ず行き、そこから二人の家訪問、下の姪の家で皆で昼食としました。楽しい3時間があっという間に過ぎました。
 嫁の実家の近くに、家を建てること、相手のご両親がどう思うか心配したのですが、杞憂でした。二人とも次男であったことが幸いしたのでしょうか。相手のご両親達の度量が大きいのか。娘さんがいらっしゃらないこともあって、姪を可愛がってくれるそうです。先ずはめでたしめでたし。「次の迷惑は出産祝いだね。無職のおじちゃんから、よくも祝いをとるよなあ」と言ったら、甥が「おじちゃん、僕の就職祝いが先でしょう」

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姉の家の近くのマンションです。見慣れた光景ですが、なぜか、この日は異様に見えたのです。そこで思わず撮ってしまいました。都会では、車もマンション住まいです。

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下の姪の家の前で記念写真



都に出る
 昨日は、東京に出かけました。姉の家に行った母が食事を食べないというので、薬が切れてしまったからではと、一番電車で届けることにしたのです。その後、予定どおり、甥と東京に出ました。
 先ずは、築地の長生庵で、漬け丼定食(980円)を食べました。美味しかったですね。美味しいと言うのは当たり前ということです。安心できる、落ち着いているということです。「これは凄い」は珍らしいのです。それだけの料理が目立つようになりました。
 隅田川沿いを佃大橋に向けて歩くと、ご老人達が写生をしていました。平和な光景で、心が和みました。「そうだ。浜離宮に行ってみよう」「なにそれ」「小学校の遠足以来だな。徳川将軍家の別荘。明治になって、天皇家の離宮。」
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ゆりかごめがニチレイ本社前の庭で水浴びしていました。可愛い顔しています。もんじゃで有名な月島の高層マンション群です。
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隅田川に架かる勝鬨橋です。ゆりかごめが警戒しながらも、逃げません。
 入場料300円。案内用の用具を貸してくれました。例えば、「中島の御茶屋」の前に来るとイヤーホーンからはその説明が、画面にはその説明に必要な写真や図が出ます。その中島の茶屋で、抹茶をいただきました。和菓子が付いて500円。美味かったですし、池に張り出した縁台の上で、落ち着いた気分で、甥と色々話をしました。
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中島のお茶屋の遠景と入り口です。
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 一周一時間半の散歩を終えて、浜離宮を後にしました。出ると、甥が日本光学=ニコンにエントリーし、工場見学会への参加を申し込み、その返事が来る日だからと、携帯を開きました。すると、「お待ちしています」との返事があり大喜びです。今の就職活動のシステムが飲み込めませんが、これが採用までの第一段階らしいのです。
 ではと、銀座マリアージュフレールで、景気付けの紅茶とケーキということにしました。ウーロン茶と紅茶がそれぞれ何十種類もお品書きにあります。そこで、ケーキを決め、それに合う紅茶を選んでもらいました。ここで約2時間話しまくりましたね。二人で3570円。高いですが、楽しく、優雅な時間でありました。
 冬用のパジャマがないので、三越へ。厚手の綿100%、14500円。実は暖かいので、今も着ています。東京駅でラーメン二人で1600円。またまた、吸引されっぱなしの財布です。金さえあれば幸せと勘違いできる東京です。
 帰ると、姉から電話で、今日も母は食事をしないとの報告。薬でないとすると。「味が薄いんじゃないの」姉の家は義兄の持病の関係で、極端な薄味です。味覚が衰えている母には砂をかむような味となっている可能性があります。それを指摘しました。すると、今朝姉から電話「朝からカレー味のチャーハンにしたんだけど、ぺロッと食べちゃったわよ」一安心です。
ぼーキャラメルを狙う
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写真技術とアイデアがないもので、ぼーの可愛さ、性格のよさが伝わらないのが残念です。

 銚子信用金庫100周年記念「私のウレシイ瞬間」に応募しました。送ってこられた全ての作品が収められた小冊子(写真)が届きました。私の文をご紹介します。
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単純な生活が美しい

 煩雑で、慌ただしい日々を送っていた頃「単純が美しい」と憧れていました。現在、退職して、母と二人暮しです。
 ですが、三人と言いたいのです。「ぼー」がいます。二人だと関係は、母と私という一通りですが、三人なら7通りに急増します。ぼーは生活を豊かにしています。
 母の体調以外に気掛かりなことはなく、穏やかで、安心な生活に感謝しています。それが、そもそも、うれしいのです。 その上、嚥下障害がある母の「美味しい」満足そうな顔。菜園で育った野菜の味噌汁をいただく朝。帰宅すると、愛犬の尾っぽが喜びを表わす昼。そして、新聞読者欄に自分の名前を発見する瞬間があるのです。
 どうしても欲しいというものはありません。かといって、枯れているわけでもありません。あるもので満足できる、質素で単純な生活です。憧れていた時間がやってきました。

母は、午後4時前に、姉夫婦と川口に向かいました。
 
母とぼーと三人の正月
 お陰さまで、穏やかな正月を迎えることができました。明日は、下の姉が母を迎えに来ます。それを楽しみにしている母です。ぼー君は相変わらず元気。11歳とは思えない容貌と体力と気力です。人間で言うと私と同年齢、ちょい悪親爺犬といったところです。

   日の出待ち雑煮彩る青菜摘み

   パソコンも仕事始めと鮮やかに

   鼻先やまどろむ犬に雪も春

   かしわ手に灯明揺れて応えあり

   願わくばすべての人に安らぎを

   新しき命授かる初日の出

   

   
ご飯の魔力に教えられる
 お節料理を美味しく多種作ってきた母も、ここ十年以上、準備をすることがなくなりました。そこで、手間が掛からないからと、知り合いの料亭のご主人にお願いしたことがありましたが、無駄にしてしまいました。好んで食べることがない物も入っているからです。
 そこで、食べたい物だけを買ってきて、盛り合わせることにしています。今年も、29日、千葉そごうに行きました。紅白かまぼこ、伊達巻、昆布巻き、黒豆、イクラ、かずのこを買い求めました。
 今朝、母は、嚥下障害ですから、雑煮は命取りになりますので、ご飯。私は雑煮を食べました。つまみにかまぼこ、イクラ、昆布巻き、伊達巻を食べましたが、余り美味く感じませんでした。さきほど、昼食は母は雑煮の汁でうどんを、私はお節でご飯を食べました。
 すると、いまいちに感じた昆布巻きも、イクラも、かまぼこも、美味いのです。絶品に変化しています。これ等の商品はご飯と一緒に食べることを想定して味付けされている、と言えばその通りなのでしょうが、ご飯の魔力を感じました。料理の味を邪魔しないどころか、引き立たせる良い性格の持ち主がお米なのだということを実感させられました。
  感心させられながら、お米のような人格を鍛えなければと、稲作文化に教えられた戸籍上の誕生日です。先ほど、下の姉から「誕生日おめでとう」の電話が入りました。みなさま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。