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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
愚かゆえに
 バカと言われ怒る者はいても、歓ぶ者は稀でしょう。しかし、先日、ちょっとした話の弾みで、友人に「バカ」と言われました。そのとき、腹も立たないし、不快でもなかったのです。
 「朝ごはん食べた?」と聞かれ、「うん、食べたよ」と答えるかのように「そう私は愚かだから、その通り」と腹が言葉を吸収してしまい、動揺しなかったのです。本当に不思議な体験でした。この場合、自尊心・誇りを失ったのか、生きる気迫が衰えたのかと、そのように思うのが普通です。ですから、そうなのだとも思います。
 と同時に、次のようにも思うのです。退職後、過去を振り返ることが出来るので、様ざまなことを追体験しています。そこで感じることは、如何に多くの恥ずかしいことをしてきたのかということです。愚かしいことで溢れています。成功と思ってきたことも、よく考えてみると、卑しい行動だったと見直しを迫られます。夜床の中で、思い出しては思わず「あああ~ぁ」と声を発してしまうこともあります。自分の愚かしさは相当身に沁みているのです。それゆえだとも思われるのです。
 本当のことを言われて、頭に来ることはありません。「貴方は八角さんですね」「57歳ですね」「無職ですか。暇でしょう」と言われて頭にこないのと同じです。暇と言われれば現役時代と比べたら間違いなく暇ですから。
 その暇を贅沢に使いこなすことが今の私の仕事です。実感できる成果も欲しいと思います。それが少しで過ぎて窮屈になることに注意が必要なようです。
   
   愚かゆえ馬鹿と言われて納得す



   憂き雨や犬の眼はコスモスに

   雨音がコスモス揺らす静寂かな

   秋りんはぬるく紅茶を入れてみる



   
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小泉八雲が聞いた「鳥取の布団」
 今日は午前中国勢調査の仕事をしました。ようやく68世帯全て周りきりました。しかし、16軒、お会いできないままです。二度三度伺いましたが不在という場合もあります。最悪、依頼メモと調査票を置いてくることになるかもしれません。
 昼は、母が「干潟八万石」さんの「たこ焼き」が食べたいと言うので、そうしました。ということで、私は「エスとエスト」で昼食と相成りました。そこで紅茶を飲みながら小泉八雲「明治日本の面影」(講談社学術文庫)を読んだのですが、八雲が宿屋の仲居さんから聞いたという昔話「鳥取の布団」が気になりました。
 新築開業した宿屋に最初の客がありました。主人は最高のもてなしをしたのですが、夜、子どもの声で、客が目を覚ましました。「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」を繰り返すのです。隣の部屋からだと感じたのですが、次第に大きくなり、不安な気持ちになったとき、声が布団の中から聞こえてくると分かったのです。飛び上がり、主人にそれを訴えると相手にしてくれません。宿代を払って、他の宿に移ってゆきました。
 そして翌日、同じように「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」を聞いたと客が降りてきました。そこで、主人がその布団で寝てみると同じことが起きたのです。布団を購入した店に行くと、町外れの小さな店から買ったとい言います。この布団には次のような由来がありました。
 ひどく貧しい家族がありました。わずかな家賃も払えないほどで、病弱な妻の薬代を稼ぐために無理をした父が亡くなります。すると、母親もあっけなく後を追ってしまいました。身寄りのない8歳と6歳の兄弟は家財を売って露命をつなぎましたが、とうとう、一枚の掛け布団だけとなった兄弟に、寒さが襲い掛かります。「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」と子どもらしいいたわりの声を掛け合うだけしか出来ませんでした。
 そこに、因業大家がやってきて、布団を取り上げた上に、家に鍵をかけ、雪の中に追い出します。二人は薄い紺の着物一枚きりでした。近くの観音寺に行こうと思いましたが雪がそれを阻みます。そこで、大家がいなくなった後、家の裏の軒下に舞い戻るのです。あまりの寒さに二人は抱き合うのですが、寒さに眠り込んでしまいました。 そして、寝ている間に、神様が二人に新しい布団を掛けてくださいました。霊妙なほどに白く美しい布団です。兄弟はもはや寒さを感じませんでした。何日も何日も二人はそこで寝ていました。ほどなく、永眠している兄弟が発見されます。もちろん、神からの布団は幻だったのです。
 人々は、千手観音があるお寺の墓場に、兄弟のために新しい寝床を作りました。その布団が宿屋の主人が買った布団であったのです。主人はその布団をそのお寺に寄進し、二人の幼い兄弟のために、お経を上げてもらうようにお願いしました。すると、その布団はもうそれっきりものを言わなくなったそうです。
雨降りで国勢調査休止中
 国勢調査は23日から戸別訪問して依頼することになっています。ところが、その日から、雨降りが多くなりました。我が地域は台風までやってきました。あんなに晴れた日が続いたのにです。まだ、半分少々しか配っていません。焦る気持ちを抑えながら、PCに向かっています。
 そこで、見聞きする世相に未だ、収まらない心の振るえを、また、川柳にしました。50年、落語と寄席(番組)を愛し、培ってきた庶民の意地と笑いセンスを発揮できたかどうか。


   さかな屋に裁いて欲しい検察庁

   政治主導分権楯に身を隠す

   癪だけど総理にしたい温家宝         お粗末!!
茶化したくなる我が世相
 驚かされることが、自然な挨拶や食事のように、しかもちゃっかりと、行われています。殺人が起きているのに、人々が当たり前に通り過ぎるかのようです。
 検事の証拠偽造、総理が国家の大事に他人任せ、他国の警備艇にぶつかり謝るどころか、逆に謝罪と賠償を要求する、他にも幾らでも思いつくのではないでしょうか。
 そこで、茶化し皮肉りたくなってしまいました。十分に突くことが出来ないで、もどかしいのですが、出来たものを順次付け足したいと思います。もしよければ、コメント欄に自作を書き留めてください。それも追加したいと思います。


   権力を裁く正義も泡と消え

   政治家が官僚的な政治主導

   支那と呼ぶ知事なめんなと怒ってる

 「シナ」と打ってもパソコンは「支那」を出しません。差別用語ですから、省いてあるのでしょう。

   侵されて謝るほどの悟りなし
「政治主導」か「政治不在」か
 「劣化」が今の世を表わすに、最もふさわしいと思わされた一週間となりました。検事による証拠偽造は「劣化」が崩壊にまで進行したことの表れです。「権力を裁く正義も泡と消え」国民は「さかな屋に裁いて欲しい検察庁」と嘆き、茶化しながらも、心寒いのです。目的を見誤った者や、目的と手段を逆さまにしてしまう組織は腐敗に至るという典型的な例です。
 そして、中国漁船長釈放。この事態に政府はどう対応したのでしょうか。本当に、検察判断に任せ切りであったのでしょうか。ならば政治も「劣化」しています。そうではなく、政治判断は働いたはずです。政府はどういう見識を基に釈放したのかを表明しなければなりません。でないと、中国の圧力に屈したと理解され、国民のナショナリズムを刺激し、日本がただの臆病者と見られ、今後の国益にも損傷を与えるでしょう。現に、一部政治家やマスコミは「なめられている」と弱腰を批判し「毅然」とした態度を求めています。
 しかし私は、今回の釈放は正しいと思っています。困難が予想される21世紀、大国主義では解決するどころか、事を複雑にし混迷を深める結果を招くと思います。力あるものが横暴に振る舞い利益に預かるというやり方は短期的にはうまく行くように見えますが、長期的には強者も弱者も共倒れにするでしょう。
 政府が表明すべきはこの見識ではないでしょうか。中国が急激に軍事力を強化しています。それはまさに、外交関係を、強引に、自国有利に引き込むためです。そのことが今回の事件ではっきりしました。その国家戦略が前世紀的であることの判断を世界に表明すべきなのです。憲法9条が目指す絶対平和は、武力をちらつかせ、相手を脅し、従わせることも戒めています。それを、それこそ「毅然」と示すべきだと考えます。これは説明ではなく、国家戦略という主張です。
 これは歴史の流れに沿うと理解され、東南アジア諸国の利害とも重なる見解、外交姿勢として受け入れられるでしょう。また、欧米市民はもちろん、その政府からも支持の声が上がるだろうと予想できます。
 その上で政府は尖閣列島の領有について協議をする提案をしなければなりません。これは避けられない仕事です。しかし、船長釈放に関し、これが検察判断であり、政府が政治判断をしなかったと言い続けるなら、この道筋の出発が切れません。このままを押し通すのでしょうか。「政治主導分権楯に身を隠す」ならば、「政治家が官僚的な政治主導」ではないでしょうか。これでは「政治主導」なんぞ、夢のまた夢「政治不在」が続きます。
 
国民の役割と政府の役割
 日中関係が尖閣列島沖での漁船衝突事件のため、領有問題と絡み、急迫しています。というか、そう捉えることが問題なのでしょう。
 すでに、冷静さを失っている都知事さんがいます。「毅然とした対応」を求め、漁船と船員返還決定を批判する意見も出ています。確かに、尖閣列島は日本の領土です。しかし、突っ張りあっているだけなら、政治はいらないのです。
 町内の対立なら、どうなるでしょうか。普通、妥協するか、仲介者を立てて解決が図られます。もちろん、話し合いにならないことも。そんな時多くの場合「俺をなめている」「面子がつぶされた」と双方が言い合うのです。それに周りは冷ややかであるのを常とします。
 市民の常識が働いて、日常生活は円滑に維持されています。市民感覚は裁判だけでなく、外交にも生かしたいものです。このままでは、日本漁船が拿捕されるでしょう。良識ある世論形成は国民の役割で、速やかな対応が政府の役割です。
 
家庭でこそ平和教育を
 慰霊と平和を誓う8月が終わりました。そこで思うことがあります。
 7年前、沖縄戦の家族を描いた「さとうきび畑の唄」が放映されました。明石家さんま演じる主人公は現地徴兵され、分隊規模で行動中に、怪我をしている米兵を発見します。すると、撃ち殺すよう命令され、追い詰められ、ついに「私はこんなことをするために生まれてきたのではありません」と泣き崩れるのです。上官が拳銃を抜きます。何と、部下を撃つためでした。
 一時、子ども達の間で「究極の選択」が流行りました。まさに、主人公はこれを迫られたのです。敵を撃ち殺さねば、自分が処刑される。さあ、自分ならどうする。ここから学習が始まります。なぜなら、関心を持つことは「自分ならどうするかを考えること」だからです。
 ビデオ「ドキュメント沖縄戦」は生き残こるために「誰もが尊厳を失った。そして、奪い、裏切り、殺しあった」と言います。戦争は、人間の醜さを引き出さずには置かないのです。子ども達は戦争の恐ろしさに驚愕し、「究極の選択」に生き方を問われます。しかし、人を殺した数を自慢し、民族と国家の栄光が人殺しを英雄にさえします。戦争はなくなりません。
 生徒に感想文で問われました。「人を殺す、慈しむ、どちらが本当の人間と思いますか」戦争は人間そのものに関心を向けさせます。「究極の選択」の強制は悪魔の業です。「人間には悪魔が宿っているのか」「己は誰なのか」「社会と人間の関係はどうあるべきなのか」この不可思議な人間への関心は、限りない学びの原野に子供たちを導きます。平和教育は人間教育の有力な分野です。家庭でこそ平和教育が必要な所以です。
俳句の投稿も始めたのですが
 俳句をはじめて4ヶ月、生意気にも、新聞に投稿しています。もちろん、選ばれてはいません。じっと我慢、ただ、感じ取った情感を17文字にどう盛るか、それを試みるのみです。ゆえに、季語がなく、俳句にならないこともしばしばです。第一まだ、歳時記が見つかりません。本当に買ったのかを疑いだしています。
 文の方は、今月7日東京新聞「発言」17日週刊金曜日「投書」19日東京新聞「あけくれ」と採用されました。自分の名前を見つけたときの快感が病みつきになっています。
 投稿をし続けている方は多いです。埼玉県川口市の丸山勝也さん、川口が私の出身地なので記憶しています。というか、よくあちらこちらの新聞・雑誌でお名前を見つけます。横浜市の田中郁子さんも。この方は高齢ゆえに、すごいと記憶しているのです。ライバルですが、一度お会いしいとさえ、思っています。では、新作を!!
   
   愛犬の目線の先の虫の声

   秋なれば歌は哀愁ラジオ泣く

   歩こうか虫も鳴き止む月明かり


   
   帰っては見せたい母の美容院
内閣支持率64%の意味
 「民主主義!民主主義!」と言われて学校教育を終えて、社会に出ました。では、民主的とは具体的に何をどうするのでしょうか。先輩の答えは「皆が校長のつもりで考え、行動すること」でした。
 これを政治家に置き換えれば「皆が総理大臣のつもりで」となります。もし、民主党議員がこの意識にあったのなら、代表選には至らなかったでしょう。第一、両陣営ともに「挙党一致」を言っていたのですから。そうでないから、挙党一致が言われたのです。代表選後の人事もそれを物語っています。
 先の答えを言い換えれば「総理でなくてもその責任を負い、政治に関わる」ともなります。しかし、代表代行を辞退した小沢氏にその意思は見られません。その上「新内閣は行き詰まる。その時が出番だ」もしそう思っているのならば、新内閣の失敗を期待しているのです。民主党が「民主」的ではありません。この難局に、民主党は全勢力を結集できないどころか内部に野党を抱えているのです。その中で、新内閣は仕事をします。
 それが分かった上の、内閣支持64%です(共同通信が17日夕~18日に行った調査)。これは支持表明でも期待でもありません。そうするしかないのです。この支持率は高ければ高いほど、国民の危機感の強さを表わす性質を持ちます。最後に残った1万円で宝くじを買わされた国民です。
祖先血筋を思う
 新米を送った浦和の従姉から礼の電話が入りました。脈絡もなく、CDを郵送したことが不自然だと自身も感じ、何より、私がそう受け取ったのではないかと、気になるゆえに、新米のことも恐縮しているのです。だから「ついでに送ったんだから」といって置きました。しかし、もちろんそうではないのです。
 ここに住みだし、八角家のルーツに直接触れると、今まで思いもよらないことに気付かされました。平成2~3年だと思います。新米が出来たので伯父が取りに来いというので、父と行きました。「初星」が炊き上がり「ご飯だけで十分美味い」と言うと、伯父が満足そうな笑みを浮かべ「もう一杯やれ」と私の前に手を伸ばしはした。その手を見て「あれ自分の手とそっくりだ」血筋はあるんだ、そう思いました。
 父に死なれると、本家の墓の祖父母、伯父が同じように大切に思えてきて、墓参りしました。一番古い年号は元禄、どうも1650年前後にここに流れ住んだようです。350年間、同じ手をした何百人もの祖先がここで生を受け、人生を終えた事実はそう軽いものには思えませんでした。
 祖先が同じで血筋を継ぐ者は、たとえ何十年音信がなくとも、昨日分かれたごとく、また話を始めていいのです。何百年も続いた同じ血を分けられているのですから。第一、戻れない時を共有した事実は消しようがありません。これも血ゆえの宿命です。
 父の一番上の姉は岐阜に嫁に行き、一男一女を授かりましたが死別し、千葉に戻りました。それから40年、父がその甥姪を岐阜に探したのです。そして対面、夏休みには私も行き「甥」の家に泊まりました。残念ながら、「姪」は亡くなっていましたが、その写真を見せてもらって、驚きました。浦和の従姉(四人いるうちの一人)に瓜二つだったからです。人間の計らいを越えた力があり、その働きには従うがよいようです。

亡き父の顔持ち寄りて分けられし命合わせる初鮭の鍋
国勢調査の下準備なのに
 一昨日、国勢調査員説明会がありました。我が町内中心に70数世帯が私の担当となりました。訪問前の下準備をしなければなりません。なのに、いつもは熱心にしない作句なんぞをやっているのです。試験が近づくと普段していない読書なんぞをはじめた高校時代以来の癖です。
 今日は彼岸前の墓掃除に行ってきました。


   母老は朽ちた塔婆の彼岸花

   母は待つ栗はくつくつ応えてる

   秋草を縫ってふりふり散歩犬



   秋風にする連れ ?? の相手はぼー     お粗末!!
 
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その相手です。フリフリお尻も見せたいのですが、ぼーの尊厳のために出来ません。

新米の自慢いつしか愚痴となり
 今日も新米を親類・知人に送る件で、Sさん宅に伺いました。無事三箇所に発送できました。後、一箇所は都合により、また後日です。
 米作りの話から、財政破綻の話まで、またも三時間に及びました。これが楽しくて、まさに、時間を忘れました。
 国が勧める農業経営をまともに受けて、乗っかると痛い目に遭うという話がいくらも出てきました。農林省が示すモデルは百姓を借金漬けにする案ばかり。弱いものは借金をしてまで商売をしたら駄目。借金をしないで出来る経営の中で、人事を尽くし、最善の技術を編み出す。これがしぶとく、長く続ける一番の方法と言う話になりました。同感!!


  新米の自慢いつしか愚痴となり

  ひこばえの実なす勢い天を指す
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  夏疲れ癒されている影法師

  秋の空蝶行儀よく脚揃え (これはある句の自分の
                    読み違えから生まれました)

  驚きの便座冷やりと秋を知る

  せめぎ合い秋しなやかに浸透す

   
  百姓はお上にしたたか大笑い
50年前喜びの収穫
 米を求めて、農家のSさん宅に伺いました。自家用はもちろん、二人の姉(弟の嫁さんの実家は田畑を所有)と、CDを送ってくれた浦和の従姉、母がお見舞いを頂いた川口のMさんに、新米を送るためです。
 奥さんに稲刈りをしているのに「収穫の喜びをかみ締め、楽しそうにしている人を見なかった」と言いましたら「待ってて」と何枚かの写真を持ってきてくれました。それがこれです。
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写真を撮るので笑顔なんだと言われればそうかもしれませんが、作れる笑顔ではありません。後ろの右が若し頃の奥さんです。
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あまりの懐かしさに胸が締め付けられました。50年前の農作業風景です。軽トラやトラクターの仕事を牛が担っていた、いじらしいですね。
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農協に出荷する準備が終わった図です。後ろに奥さんのお父さんが写っています。この時、50代前半だそうですが、失礼ながら、今の70代半ばぐらいに見えます。長年の重労働を写しているともいえます。

子ども達に注意される
 先週のサタデースクールも暑い日でした。短パンにポロシャツといういでたちで家を出たのです。
 教室で、子ども達が何か私に言っています。言葉の意味が分からないでいると熱田(若い女性の指導員)さんが「シャツをズボンから出しなさいって」「シャツはズボンの中に入れるものでしょう」「かっこ悪い」「違うよ」の大合唱です。先を急ぎ出欠を取りました。
 ここで、時間をとって、お互いの言い分を面白おかしく交し合えばよかったと後悔しました。ここらが、未だ、野暮天で、未熟なところです。それもそうですが、気になるのは彼らの指摘です。子ども達は、私の着こなしを「格好が悪い」と言っているだけではないのです。そのレベルを越えて「常識がない」と見ているのです。
 教師になってしばらくすると、シャツを出す生徒が現れました。部活中に「中に入れろよ」と注意、大会に行くとマイクで「シャツを中に入れなさい」そして、それは、制服にも広がりました。
 あれから二十数年、小学生が「先生、シャツ出しなさい」と注意します。なるほど、彼らの親はシャツを出してた高校生です。思わず苦笑いなのですが、色々考えさせられました。
 「常識とは何か」「美意識は時代とともに変わる」「速い社会変化は人の変化も速める」「何が変わっていいもので、何がいけないのか。また、それをどう判断すればいいのか」そして、変化というか、進歩さえもが、人間にとって幸せなのかどうか?
 
呼吸こそ大切
 今朝のNHK「あさいち」は「呼吸法」を取りあげました。当たり前のことなので、注目されることが少ないようですが、古来より、日本人は呼吸に意を払ってきました。
 高校時代、物理の先生が始める前に「調息」をさせました。半眼で、机の一点を見詰め、息を吸って1、はいて2、それを10まで繰り返して、また1に帰る。これを繰り返すのです。出来るだけゆっくり呼吸するように言われました。心を落ち着きました。
 確かに、深呼吸を繰り返すと汗ばむことが分かります。さらに、体が「ぶるぶる」と、意志とは無関係に、動くことがあります。そして、気が付くと、背中が伸びています。
 色々な健康法が言われますが、要は、健康とは命の再生産のことです。細胞に、酸素と栄養を送り込み、不要物を排出することです。つまり呼吸です。あまり細かなことに気を使わず、ただ、ゆっくりとした呼吸を深く行い、血行を良くし、冷やさずに体温を維持しする、これだけのことではないでしょうか。
 職業を持っていたころ、低体温でした。35、8度ぐらいしかなかったのです。ここ一ヶ月間に、歯を抜くので、三度計りましたが、36、6~7度でした。サタデースクールで、子ども達の手に触れると、私の方が温かいのです。
 そういえば、退職後この5年間、風邪で寝込むことがありませんでした。退職した年に、市民講座ヨーガに学んだからかもしれません。正常値内高体温は免疫力を高めます。江戸時代、水牢に入れたのは獄死させるためではなかったでしょうか。
9月句会
 10日金曜日、句会がありました。自信がある句はなかったのですが、気のいいご老人達に合うことを目的に行きました。11人参加。
提出自作句

   喜びを語る人なく稲刈らる

   迎え火を焚きて語らう家族あり

   湿り気を土に返して虫が鳴く

 予想外に、一番上と、一番下に一票入りました。前回は自信満々で行ったのに(恥ずかしい)、全滅でした。今回は期待もしていなかったのに、入りました。

私が選んだ句

   夏座敷一部屋はなやぐ女人講

   湯上りのごろ寝を月に見られけり

   秋風に小さき蝶は低く舞い

   敬老日今日はやさしき母として

人気が集まった句

五点句   湯上りのごろ寝を月に見られけり

四点句   抱き寄せて少し早目の萩括る

三点句   湯上りにやさしき風星月夜

       下校児の斜めに走る刈田かな
   
       雲は秋なれど容赦の無き熱波

       野分け去り増水の川渦を巻く   

今回「鶏頭」を扱った句が2句ありました。

      鶏頭に添え木している嵐あと

      鶏頭の供華一輪の重さかな

 これが良くわからなかったのです。「なぜ、ここで、鶏の頭が出てくるのか」しかも、それぞれ、二点句です。そこで「鶏の頭でなんですか」と聞いたわけです。「鶏の頭?」と皆さん一瞬静かになりました。その次すぐに「鶏頭はケイトウの花のことだぁ~」「あのケイトウですか」みなさんもちろん知っていたのです。大笑いとなりました。しかし、有難いことに「人を笑う」があっても良い場面ですが「人を笑わず人と笑って」いただきました。これぞ、飾らない教養というものです。庶民が持ってこそ、教養は温かいものになります。振りかざす教養はごめんです。 
社会変革から逃れる貯蓄税 その②
 白川さんは「貯蓄税導入で、眠っていたお金が消費や株などの投資に回され景気を刺激出来る」と言う。つまり、老人の貯金を減らすことで景気を回復させる政策である。しかし、もし実行したら、現実的な支障をきたすだろう。なぜなら、国民の貯金が国債を買っているからだ。老人が貯金を下ろしたら、今後、国債発行は難しくなり、外国に買ってももらうことになる。これは限りなく日本をギリシャに近づける。
 第一、消費を強要される苦痛への想像力が欠如している。無駄遣いの義務化は、生き方への干渉である。質素な生活を旨とする者は高額所得を得てはいけないのか。余分な金を使わずに貯めることは非道徳なのか。
 更に言おう。老人が金を持たず、社会保障が不十分ならば、子世代が親の老後の安全を担わなければならない。しかし、子達はワーキングプアーである。放置された老人で、世の中、溢れかえるだろう。
 ここで、問題がはっきりしてくる。働いても働いても貧乏にする、そんな社会システムを壊すことが社会改革の大本であると言うことだ。正社員と同じ労働をしている非正規社員との賃金に、三倍も四倍もの差をつけるということがまかり通っている。労働力の価値格差は命に格差をつけることに同じだ。尊敬とは他者の労働を、その労力に応じて評価することである。
 今やるべき改革は、他者を蔑ろにして、命に格差を設けてしまった、この経済社会を変革することだ。皆が全く同じ収入と言うことはありえないし、あったら気持ち悪い。だから、格差は生まれる。それを累進課税で調整することは資本主義の学習成果である。ここに、改革のあるべき方向性が見える。少なくとも、貯蓄課税という、琵琶湖を箸でかき回すよう小手先の改革では解決しない大きな時代の変わり目である。
社会変革から逃げる貯蓄税 その①
 今日の東京新聞経済面「消費税、識者三人に聞く」で、エコノミスト白川浩道さんが「貯蓄税で所得分配」と述べている。無駄遣いが嫌いで、世間がケチと言うのを「それは勘違い」と思い続けてきた自分としては、直感的に「これは間違いだ」と受け止めた。
 時代は変革期である。誰もがそう感じている。社会を総合的に造り変えようという時に、小手先の変更でこと済ませようとする提案に見える。時代に即した税制改革を先送りするか、怠ろうとしていると思われても仕方がない案である。
 白川さんは消費増税は格差社会にはそぐわないとして、これに反対する。ゆえに、新税として貯蓄税を言うのだ。それは、二千万円までを適正な老後の蓄えであるとして、それ以上の貯蓄に対して、毎年2%の税をかけるというものだ。
 なぜ、格差社会を前提としてしまうのだろうか。格差社会の解消こそ社会改革の中心であろう。また、所得の再分配は、単年度で行われるようにすることが基本だ。そのために、今、税制改革が言われている。今までの、度重なる税制改定によって、再分配機能が低下してしまったことが問題なのだ。さまざまな、大企業や株主優遇税制を止め、累進課税を強化することが所得再分配の本道であると信ずる。

続きはまた明日。これから、昼食を作り、母が訪問診療を受け、私は句会に行きます。
ぼーはお大臣?
 たんぱく質が不足しがちな老人です。「食品成分表」を見ていたら、意外な物が高たんぱく質であることを知りました。それは・・・・・小豆です。
 小豆にたんぱく質が結構入っていることは知っていました。何となしに7~8%ぐらいだろうと思っていました。しかし、大粒品種「大納言」には何と20%も含んでいると書いてありました。肉並です。豚もも肉21,5%、ロース19,8%、一番高いのが雉で25,3%です。
 砂糖を少なくし、かすかな甘味に仕上げました。餡100グラムというのは簡単に食べられます。小豆にして40グラムぐらいでしょうか。これでタンパクが8グラム。お茶にあんこのおやつで10グラムほど摂れるでしょう。卵2つ分に相当します。しかも、脂肪、コレステロールが低いです。甘さ控えめのあんこは健康食です。
 なんと、ぼーが大好きです。納豆、ヨーグルトも大好きなぼーは健康グルメです。今日も、大納言を一番食べました。大納言に食って掛かるんですからぼーは右大臣か左大臣か、さては太政大臣か。今日もすざまじい貪欲が可愛いぼー君でした。
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ぼーはさじが乗っかった器に二杯も食べたのです。しかも、どんぶりもおねだりし、きれいに嘗め尽くしました。ウンカのごとしです。


思えば無職とは貴族と同じ生活
 退職後のイメージは、することがなく、時間をもてあまし、無職を後ろめたく感じなから生きている。まあこれが一般的な理解のようです。暗いのです。
 しかし、見方を変えれば、昔の貴族の生活と同じなのでは。労働から解放され、時間がある。無職だが収入はある。教育も受けられた。誰もが羨んできた貴族生活を、庶民なのに与えられているとの見方もできるのです。
 しかも、食生活の改善、重労働からの開放によって、昔よりも若いのです。七掛けしろといわれています。これに従えば、私は57歳ですが40歳。そういえば、江戸時代の隠居年齢は40歳ほどでした。伊能忠敬も40歳過ぎで隠居を願いましたが、人望ゆえに叶わなかった聞きます。結局、49歳で隠居、翌年天文・測量の勉強を始めます。
 無職とは収入を伴う職がないことであり、仕事がないことではありません。お金のためではない仕事も仕事です。しかも、それは贅沢な時間です。
新人議員は新入社員か
 昨年衆議院選後、小沢幹事長の「新人教育」には違和感を覚えました。研修会で出欠を確認し、欠席者を批判したりと、生徒扱いでした。そこに、議員にしてやったという「おごり」と、次回落選されたら困るという計算を感じました。
 つまり、新人への期待は議決時の員数だけなのです。この手段扱いは信頼関を壊します。ところが、そうではないのです。「小沢先生に議員にしていただいた」と言うのです。従順に、党の研修会に参加し、不参加を謝罪するわけです。
 しかし、ここには大きな勘違いがあります。まず「議員にしてもらった」と言うなら、それは「有権者」への感謝となるはずです。党も立候補者がいなければ困るのであり、恩義を感じる必要はありません。民主党からの立候補は理念が近いからでしょう。それとも、議員になれそうだから民主党だったのでしょうか。ならば、恩義を感じるべきです。
 そこで、今回の代表選です。新人は「恩義」ゆへに小沢支持だといいます。しかし、新人議員は新入社員ではないのです。確立した人格、一国一城の主でなければいけません。これこそ政治家です。恩義を主義より優先する者は、他者にもそれを期待するでしょう。恩義で政治が動かします。小沢さんは、まさに、それを疑われて幹事長を辞任したことを忘れてはいけません。
荒れ果てた畑
 丸一年、畑を放置してきました。セイダカアワダチ草が、それこそ人の背をはるかに越えて立っています。肥料が残っている分成長がいいようです。

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にらだけは、負けずに、勝手に、花を咲かせています。

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 こちらは、我が家の西側にあるよその持ち物です。しかし、その持ち主の所在が不明になって大分立ちます。生前父が、そのご親戚に、きれいに整備するという条件で、花を作っていました。死後、私が年に1~2度草を刈ってきたのですが、これも、昨年からサボっています。我ながら、ため息が出ます。涼しくなったら、また、草刈からやり直しです。
20人やってきました
 汗をかきかき、自転車で30分の八日市場小学校に行きました。朝から、この暑さです。少なくとも、私が彼らであれば、サボりますから『今日は10人かそこらだろう』と思っていましたら、26人中、20人が元気な顔を見せてくれました。
 早めに教室に行って、出席を取って、お話をしてすぐに算数を始めることにしました。すると『先生、算数9時10分からでしょ。まだ、9時だよ』と予想通りの反応。『勉強しにきてるんだから、多く出来ていいでしょう』『そんなことはない』『暑いから無理しなくていいって今言ったばかりでしょう』不満だらだら(「たらたら」の上)です。『集中モードに切り替えられるか。それが出来るというんなら、考えがある』『切り替える』の声が上がり『切り替えられたようなら、途中10分休憩を入れよう』『いいよ、それでいいよ』算数の三桁を一桁で割る問題や三角形を組み合わせた時に出来る角度計算などをやりました。
 以外かもしれませんが、子ども達は国語よりも算数の方が好きなのです。国語のドリルは要は書き取りと読みが中心です。なかなか、頭に定着しないのです。今日、複数の子が間違えた漢字は『機械』『種類』『帯』『観察』『選ぶ』などでした。
 教育委員会の先生からの情報では通分を要する分数の足し算を三分の一の中学二年生が出来なかったそうです。私の高校での経験と重なります。指導員とは言え、身が引き締まる思いをしました。

今日もぼーが可愛いので、撮ってしまいました。ご迷惑と知りながら。 
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明日はサタデースクール、でも
 明日はサタデースクールが再開します。準備は万全です。しかし、今日も歯を抜かれました。ようよう、麻酔が抜けたようです。すると歯の痛みが襲い掛かります。もう一本抜くことになっています。それでも入れ歯にならないんですから、歯科の技術も相当に進歩したんですね。
 明日は、まず、暑い中、何人が来るか気がかりです。また、暑い中での勉強になりますから、どう意義ある時間に出来るか、気がもめるところです。
 今日は高校生クイズをやっていました。これに少し刺激されていないでしょうかね。漢検7級の過去問題をパソコンで手に入れました。ドリルが終了してしまった子達に挑戦してもらおうと思っています。
 私の挑戦も再開です。歴史検定協会から願書が来ました。二回目の一級合格に向けて準備をはじめます。試験日は12月5日です。
 
とうとう、九月に夏バテ
 今日は、目が覚めても起き上がる気にならず、朝食も食べたくない朝を迎えました。とは言え、昨晩のカレーを食べましたが。その後はまた横になりました。明らかな夏バテです。目が覚めると12時、母も昼食は要らないといいます。バナナとヨーグルトで済ませてしまいました。生活必需品の幾つかがなくなりましたので、八日市場のカインズとミヤスズに買い物に出ました。
 何軒かの農家がコンバインで稲刈りをしていました。夫婦か、父子、兄弟の二人でやっています。ところが、どの農家も楽しそうには仕事をしていません。奥さんが軽トラの脇で、無表情に立っています。怒っているようにも見えるのです。

    便利さが歓び奪うコンバイン

    喜びを語る人なく稲刈らる

暑いのですが、風が結構吹いていました。願望を込めて

    風清みぬコスモス揺れて着る背広

米を宝と思えなくなってしまった平成の日本人を皮肉って

    産廃の車が運ぶ米俵

 ぼーは、相変わらず、犬なのにドッグフードを食べずに、猫マンマを食べています。まだまだ、暑いのでしょうね。食欲は、以前の、半分ぐらいでしょうか。
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協力はしない記者会見別
 菅・小沢会談があると聞いて、国家リーダーとしての使命共有を確認し合うのかと期待しました。しかし、記者会見が別々と知り、何があったのかを悟りました。
 会談の目的は、代表選後の分裂を避けることだけだったのです。どちらが勝っても、政権維持には相手が必要なことでは一致しています。その「協力」の担保を取る会談だったのです。
 何のための協力なのでしょうか。それは、自民党政治を清算し、新しい政治を推進するための挙党一致です。代表選後すぐの分裂がないことは判りました。しかし、協力はないでしょう。不安は募ります。
 二人で記者会見に臨み、協力し合う意志を表明し合うべきでした。それが責任を感じている政治家の態度です。大局のために我慢が出来ないのです。協力でも妥協でもない「打算」だけがはっきりと見えた会談・会見でした。