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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
我が家の春
 今日も寒いです。真冬並みです。先ほどから、陽が射すようになりましたが寒さは変わりません。
 午前中、守医院に薬をもらいに行きました。先生が「眠れる」「食欲はある」「飲み込めるのかな」「家事はやってんのかな」等々の問診にすべて「やってます」「大丈夫です」と回答。先生が「じゃあ、どこも悪いとこないじゃない」と笑顔で、ひざに手を当てると「そうですね。おかげさまで、元気です」「では、何で、ここに来ているの」と、母以外、誰もの笑点に触れたのでしょう。似や笑い、くすくす笑い、小笑いです。「干潟八万石」の今川焼きを買って帰りました。
 あまりに寒いので、咲いてしまった花々の様子を見ることにしました。我が家の春ご紹介です。

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       上の三つはみんな名が分りません。
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 水仙の仲間      ツツジの仲間?      山吹?
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  椿の仲間       ねこやなぎ     しゃくやくのつぼみ
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  すずらん?      水仙の仲間        木蓮
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    ぼー










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絶望と使命感
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 元米国大統領専属カメラマン、ジョー・オダネル氏が長崎原爆投下後に、撮影した写真です。以前に、テレビ番組で見て、衝撃とも感動とも付かない混乱を覚えました。しかし、忘れていました。
 背負っているのは弟です。「この少年は弟の亡骸を背負って仮の火葬場にやって来た。そして弟の小さな死体を背中から降ろし、火葬用の灰の上に置いた。少年は兵隊のように直立し、顎を引き締め、決して下を見ようとしなかった。ただ、ぎゅっと噛んだ下唇が心情を物語っていた」との説明書きがあります。
 
 死に逝く母から弟を託されたのでしょう。弟を背負い歩き始めました。その内、行き交う人が弟が死んでいると伝えます。少年は脊負い甲斐を失った弟に背負う意味を探しながら彷徨い歩いたのでしょう。守るべき弟だったのに、失った心細さは隠す術もなく、こころの萎えと、切ってはいけない緊張との間をも行ききしたに違いありません。
 死と生が引き裂く兄と弟を一体に見せるのは、兄の生を奪う絶望と、死しても守りたい弟への使命感です。しかし、何も語らぬ弟の無表情は兄との断絶を告げています。兄の凍った魂が作る表情と姿勢は見る者のこころを揺さぶらずには置きません。
 少年の絶望感と使命感に応えないではいられない想いを強くします。改めて、絶対平和と核廃絶の実現を誓う年度末になりました。
 
湯船洗いにも命を刷り込む
 やっつけ仕事という言葉があります。兎に角「終わらせればいいや」で取り組む作業を言います。大体が、行き届いた仕事にはなりません。たとえ、抜かりがない仕事になっても、時間を費やした意味を自分の栄養に出来ません。
 毎日、風呂場の掃除をします。正直、面白くもなんともない作業です。ですから、今日もやるのかと思うと気が重いのです。自分の時間を使う意味を感じない仕事です。特急に乗った時の、すばやく通り過ぎる景色のように、湯船を見ています。
 その時に、恐ろしい想いに襲われました。風呂洗いに限らず、自分は多くの仕事を心を込めて取り組んでこなかったのではないのか。景色を味わうことなく終着駅に着いてしまうように、お前はお前の人生を、通過するだけの時間にしてしまったのではないか。相当に恐い夢想です。
 その思いを振り払うように、身震いが起きて、強い思いが湧き出てきました。その時そのときを、心を込めて使い込むよう意識して生活しよう。やりたいこと、やらなければならないことの区別なく、目の前のことに集中しよう。命を刷り込むようにして時間を仕事に突き刺そう。静かな安らぎを周りの人・動物・草花・自然ゆえに味わおう、他のことは忘れて。そう思いました。
 洗ったにもかかわらず、湯船に、ぬめりがあったり、細かな垢で手がざらついたりすることがあります。今日は、そうならないように、落ちろ落とすとの意を強くしてスポンジを滑らせたのです。落ちるイメージを作りながら洗いました。心を傾けました。命が喜びました。
中華風ホタテ野菜あんかけ
 ホタテ野菜あんかけ、いいと思ったのですが、ホタテがのどを通りませんでした。ホタテの貝柱は100g中21グラムがたんぱく質で、脂肪はほとんどありません。しかもつるるんとしています。もっと細かく切ってみようとも考えたのですが、そうすると、たたいたようになり固まるのではと思ったのです。次回は小さく切ってみます。
 
材料
  ホタテ貝柱 4つ    しいたけ 二本     
  
  キャベツ・長ネギ・玉ねぎ・にら・にんじん  適当

  塩・胡椒・片栗粉・豆板醤
  マギーウェルネス野菜ブイヨン
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学生の頃食べた、ホタテではなく、三枚肉を使った野菜あんかけ定食(300円ぐらいでしたか)を思い出しました。
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中に、刻んだハムと、とろけるチーズが入っています。


3時のおやつぼー狙う
 3時のおやつは太陽社製「フルーツケーキ」と紅茶。はじめると、匂うのか、ぼーが顔を見せます。お構いなく食べ、紅茶を味わって見せたら、尾っぽを振り、切ない甘え声を発し、そのうち、とうとう、お座りしてしまいました。

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 もちろん、「わし(もう中年ですから)も欲しいのぉ」と見せているんです。
しかたなく、持ってきて、与えました。ものの10秒でお腹に収まってしまいました。
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いとすざまじ    それでも穏やかな午後です。
餃子
 餃子が嚥下障害料理になるのか。私もそうおもいましたが、これがなるんです。母は、ほとんど、口から出さずに、残らず食べてしまいます。

材料
  豚ひき肉               250グラム
  豆腐                  適量
  白  菜                200
  にら・長ネギ・たまねぎ合わせて 200
  にんにく・しょうが          適量
  しいたけ                三本
  塩・胡椒・八丁味噌・マヨネーズ
  片栗粉・油

 肉に塩をかけ、よく混ぜる。白菜・にら・長ネギ・たまねぎを細かく細かく刻む。ここがポイントです。にんにく・しょうがをする。15分後、肉と豆腐、野菜、にんにく・しょうが、胡椒・八丁味噌・マヨネーズ・油をあわせ、、よくかき混ぜる。そこに、薄い水溶き片栗粉を様子を見ながら加える。
 くるむ時はひだをつけない。餃子の底に、焦げ目をあまりつけないように、中火。通常より多めに水を入れたら、強火。フライパンの音が高くなってきたら、弱火。ふたを開けて、水がまだ残っている内に、すくい出す。以上です。

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あずきアイス
 前の夜に、小豆を水に浸けて置きます。後は、沸騰するまでは強火、その後は弱火で、煮すぎたというぐらいに、煮込むだけです。砂糖はほのかに甘いというぐらいが良いようです。少し、水っぽい状態のまま、火を切ります。
 人肌程にして、上に、ラクトアイスを乗せるんです。それで完成。アイスは「スーパーカップ」がいいようで。

     画像 210 これは便秘にもいいようです。

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 昨日のぼー君です。ぼーも小豆アイスが大好き。小豆アイスを口実に、ぼーを見せたいだけと思われることは、心外です。でもなぜ、ぼーの写真が五枚なんだろう。


「今日は20万円稼いだ」に母笑う
 昨日は、「教科書」(勝手に書いているだけで、もちろん、依頼されたわけではありません)を1ページ加筆しました。いつも、「100万部売って、印税が1億円になる。それで、温泉をここに掘る。」と言っています。500ページの本になるとして、一ページ書けば、20万円です。そこで「今日は20万稼いだから、本マグロかな」と母に言ったわけです。
 なぜか、その時は、反応が早かったのです。お金となると、経理をやっていましたから、回路が繋がるのでしょうか。大笑いです。「とらぬ狸の皮・・・なんだっけ、皮三枚」今度はこっちが笑ってやりました。
 今日、東京新聞に投稿が載りました。また、「週刊金曜日」から3月26日号に掲載しますとの連絡が入りました。20万円には遠く及びませんが、謝礼がいただけます。スーパーで本マグロ二人前は買えそうです。嬉しい一日です。
命の格差と搾取(歴史をどう書くか)
 歴史を書く時に、文明以降、搾取があることを避けて通れません。搾取は歴史的事実です。国家であるかどうかの判断はどのようにされるかを考えれば、良くわかります。例えば、邪馬台国が国家どうかを判断すると。
 権力の具体的な現われ    魏志倭人伝の記述
①法の制定と強制     其の法を犯すや
②税の徴収         租賦を収むに邸閣有り
③地方支配         一大卒を置き、諸国を検察せしむ
④階級            大人と下戸
⑤軍事力           兵を持して守衛す
⑥外交の独占        親魏倭王
 上を見る限り、邪馬台国は国家の様相をしています。が、統一政権であるかどうかは不確定です。「検察せしむ」では他の小国を従属させて、生産物・労働力を収奪していたかどうか分かりません。では、①~⑥は何を物語っているでしょうか。要は、「搾取」 を可能にするための 準備 と 仕組み です。じっくり、見比べていただければと思います。
 共産主義の失敗により、マルクスの資本主義分析までもが嘘っぽく見えてきました。また、先進資本主義国民の豊かな生活は、搾取を見えにくくしました。高度資本主義には「搾取はない」とまで言われました。しかし、それは間違いです。まさに、見えにくくなっただけです。
 搾取に、抵抗があるなら「「働けど働けどわが暮らし楽にならず」ではどうでしょうか。これが実感である人は多いはずです。人間史は搾取との戦いであるとの認識を歴史教科書記述の基礎におかなければ嘘になると思います。
 貧困を個人の問題とするか、社会システムの結果とするのか、個人の問題だけとしたら、説明できない貧困があることは疑う余地がありません。一人一人の労働が当人の実感などお構いなく、資本と市場の論理で評価されてゆく。労働市場・資本の論理に適合するか、付いてゆけるかどうかで、労働の価値が決められることに、人間として、根源的な違和感を覚えます。
 他人の労働に敬意を示さないことは、人間として敬意を示さないことでもあります。労働力に格差を設けることは命に格差をつけることです。これは経済の話ではなく、倫理の問題です。倫理と矛盾し合う経済は破壊的です。この破壊力を見据えない歴史は学問に値しません。信じるに値しません。
受験勉強と教科書の質を問う
 少なくとも、日本史に関して言えば、合格することに狙いを定めた受験勉強は若者の労力の無駄使いになっています。受かってしまえば、もう意味を失う暗記やクイズに過ぎません。裏を返せば高校生にとって、受験科目でないならば、学ぶ意味がない日本史になっているのです。
 同じことが進路指導にも言えます。とにかくどうでも、合格させさえすれば教師の責任は果たしたことになるといった進路指導による合格は、就職・進学後の力にはなりません。「学ばない学生」「心ここにない働き手」になる可能性が高いでしょう。もちろん、それは当人達にとっても不幸なことです。
 では、力になる受験勉強とはどんなものでしょうか。その核となることを、昨日、書いたつもりなのです。具体的にはどうするのか。自分なりに考えたことを書いてみようと思います。
 もし、受験勉強の日本史が面白いと感じられれば、それだけで、無意味な暗記訓練ではなくなります。面白い、関心を持つとは、「自分ならどうするか」を考えることです。その時代に居たら自分なら「どう考え、行動をとるか」これだけの歴史的事実からはどんな推論が立てられるか、どちらの説が正しいか。これ等に取り組むことは受験一辺倒から開放してくれるはずです。
 また、この点取り虫からの開放による余裕は、教科書の読み方、見え方を変えて行くと思います。そうすると、より深い教科書との関係が生まれます。その関係ゆえの発見は成長の可能性をもたらします。なぜなら、発見は人を変化させるものであり、成長は変化そのものだからです。
 しかし、残念ながら、成長の種を仕込んでいない、薄っぺらな教科書になっています。その教科書を厳しく検定している文科省最大の使命が子どもの成長であることは、笑えない冗談です。教科書作りに独創性が求められます。独創性は自由があってこそ発揮されることは言うまでもありません。
 
大きな歴史の放棄
 歴史法則を扱わないことが歴史分野はもちろん、社会学、思想分野でも常識化しています。確かに、全ての地域、民族を貫徹する法則の存在を想定することの無理は理解します。。法則に縛られることの窮屈さ不自然さ、人間の努力を評価しない反ヒューマニズムへの違和感も理解できます。文化人類学成果が、単一価値に従い歴史が動くことのグロテスクに気付かせてくれました。
 しかし、それだけではないように感じます。これに加えて、人文教養・人文科学軽視の時代相もあるのではないでしょうか。。「人とは何者なのか」「人はなぜ生きるのか」「善とは」「神とは」命が求める自然に背を向け続けられるでしょうか。
 歴史は己の守備範囲を狭く狭く絞っている様に見えます。もちろん、「人はどこから来て、どこへ行くのか」誰にも正解は分かりません。しかし、だからといって、この大問題を考える努力をも放棄して良いとはならないと思うのです。あるいは放棄しえるのか。
 高校歴史教科書で、歴史哲学を語らせることは難しいことですが、語らせる努力をしないこととは別です。語る意欲を失っていることの弊害が大きいと思います。「なぜ歴史は動くのか」それを考えることが大切だと「はじめ」に書いておきながら、教科書にはその答えはないのです。各時代への変化はどのような人々のどんな要求から生まれたのかさえ、書いてない場合が多いのです。
 歴史は変化です。変化にはエネルギーが必要です。各時代に付き、「歴史を動かすエネルギー(勢い)は何なのか」これも書かれていません。歴史が暗記科目と、高校生から蔑まされても仕様がない状況です。
歴史教科書は変わった
 日本史採用でしたが、勤務校の事情で、20年近く、歴史を担当できませんでした。その中で、退職。歴史検定受検のために、学習しました。そこで知ったことは、歴史研究の進歩により、大分内容が変わっていることでした。
 「更新世」「完新世」を知っていますか。知りませんでした。それぞれ、我々が習った「洪積世」「沖積世」のことです。「洪積世」とは聖書が伝えるノアの箱舟の洪水がもたらした堆積物の時代、「沖積世」はそれ以後の、河川による堆積物の時代と言う意味があるので、全世界的に通用させずらいということで、変えたそうです。
 葛生人、三ケ日人の言葉は消えています。年代確定に難があるということで、旧石器時代人から外されたようです。今は、沖縄の港川人が18000年前と確定され、発見された最古の旧石器人になっています。明石原人については、決着が付いていないとして紹介はされています。
 「仁徳天皇稜」「応神天皇稜」ともに消えています。前者は「大仙稜古墳」(だいせんりょうこふん)後者は「誉田御廟山古墳」(こんだごびょうやまこふん)と言っています。両天皇の墓であることが怪しいからだそうです。
 邪馬台国論争は、俄然、大和説が有力になってきています。最古の巨大古墳であるヤマト三輪山麓の箸墓古墳が四世紀はじめの築造であることがはっきりしたそうです。これは現在の奈良県桜井市とその周辺にヤマト政権が生まれたことを示します。そうすると、魏志倭人伝の時代と50~60年の差しかなくなります。
 この時代の論争はいいのです。むしろ必要だと思います。考古学、古代史、調査技術等の進歩により、歴史が書き換えられることはあってしかるべきです。しかし、「南京大虐殺はなかった」「日本の支配はアジア人民に受入れられ評価された」「日本の朝鮮支配は彼らが望んだ結果だった」などという書き換えが許せないことだとの国民の合意は作っておかなければいけません。
春陽に誘われて10時のおやつ
     画像 204 画像 206私の下着が写ってしまいました。失礼。でも春の日曜らしいでしょう。

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 ご覧のように、快晴です。ぼーの寝床を干すことにしました。玄関の前に広げたのです。その上に座って、ぼーの「カイカイ」要請に応えて、体中をかき回してやりました。気持ちいいのでしょう。私の手をなめなめして、感謝を表します。至福の時です。
 そこで浮かんできたのが「10時のおやつを、ここでやろう!!」すぐに、ぼーの好物をそろえました。あったのが食パンと、無糖ヨーグルト。これ等を見るなり、落ち着きか消え失せてゆきます。こちらはのんびりと紅茶を楽しむ気分で居るのですが、あっちはよだれをたらしてお座りしました。
 カメラを構えて、チャンスを待っているのですが、ぼーはそれにはお構えなしです。よだれが痛々しいので「よし、食べなさい」まずは、ヨーグルト。優雅な時間は望むべくもありません。ソフトボール部の合宿中の食堂を、なぜか、思い出してしまいました。
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      画像 207 画像 208先ほどの、餓鬼のような振る舞いを忘れて、すまし顔のぼーです。それにしても、太陽はありがたです。神と崇められて当然と思わされる、春陽の輝きです。
肉をブロックで買うと
 豚肉は、スライスしたり、切り刻んでパックされたものを買ってきましたが健康を考え、もも肉に変えて気付きました。なぜか、もも肉はブロック肉でも売られているのです。
 そこで、400グラムの塊を手にすることになったのです。この重、大きさです。肉塊が解体される前の全体像を想像させます。肉体を感じます。生きて、歩き回り、食べ、飲み、排泄していた動作が体温となって蘇ってきて、命の全てを展開させるのです。
 「動物だったんだ」もちろん、知識では、今までも、動物を食べていました。しかし、経済ゆえに肉は動物でなくなります。自動車や、歯磨き粉・ティッシュ同じ、人間が創製した人工品、そして商品なのです。
 ずっしり重いこの塊は、私の太ももと同じ弾力、きっと色合いも同じなのでしょう。命を食べていることを実感させるブロック肉です。そして、我々が何者であるのかを教えてくれます。
もったいないのか、可哀想なのか
 今朝、10チャンネルの「スーパーモーニング」で、青梅市にある吉野梅郷の梅の木1500本がウイルスに感染したために、伐採焼却処分になるかもしれないとの報道がありました。今まさに、満開です。白梅紅梅咲き誇る中、観光客がカメラを向けている様子が写し出されました。14年前に見てきましたが、それは見事な梅園です。
 司会者も、コメンテーターも、そして私も「もったいないなぁ」が第一声でした。その声に乗せて、母が「可哀想」と発したのです一瞬、ドキッとしました。
 語感からすると「もったいない」にはどぎつい文明を、「可哀想」には有情な文化を感じます。これ以上語る必要は感じません。
攻撃本能ゆえに戦争は避けられないのか?
 オーストリア人動物行動学者のローレンツは言います。「自分と同じ種の仲間を攻撃する動物は多いが、この攻撃は、その種にとって不利にならず、逆に、種を保存するために不可欠な本能なのだ」嬉しいではありませんか。もしそうならば、戦争ゆえに、滅びそうな人類の現状を、楽観できそうです。
 ところが、「攻撃は元来健全なもの、どうかそうあって欲しいと思う。だが、まさに攻撃行動は、本来は種を保つ、れっきとした本能であるからこそ、危険きわまりないのである」ともいうのです。攻撃本能ゆえに、戦争を避け得ないのは我々の宿命なのでしょうか。戦争を無くすことは出来ないのでしょうか。
 彼はこうもいいます。「動物は、同種内の争い、殺し合いを避ける行動を儀式化している」つまり、殺し合い防止を様式化しているということです。猿の毛づくろい、犬が尻尾を股の中に入れ込む、これ等は服従の意志を示す行動パターンです。同じことが多くの生物にもあるそうです。
 ということは、人類も例外ではないでしょう。そういえば、誕生して400万年、その内の399万年は武器を作らず、戦争をしていません。戦争は、農耕を始めた一万年前からの、文明化した時代に限られた特徴です。戦争がない時代の方がはるかに長いことは注目に値します。人類はこの一万年、文明と言う名の風邪を得ているだけなのかもしれません。
 文明は厳しい環境を生き抜く方策として、人類が生み出したものです。しかし、その文明が殺し合いをも創造してしまい、皮肉にも、我々を滅び行く可能性の中に引きずり込みました。生き残るために大型化した恐竜が、その巨大化のために滅びの道を歩んだように。風邪で済ますためにはどうしたらよいのでしょうか。
 それは、どうしても、文明を問うことになります。攻撃が生得の本能であるように、文明を築いてきた知恵も生得の「本能」だと言えます。我々は、人間固有の能力である理性を「本能」に成し得るでしょうか。文明の質を見極め、問い続けていきたいと思います。
強固な国家より柔軟な社会
 メダル獲得数が少ない、韓国に負けていると騒ぎながら「グローバル時代だ。発想を変えよ」と、同じ口で言っている。実は、国家の枠に縛られているのだ。
 政府広報が「国境なき医師団」への寄付を呼びかけている。曰く「国境の違いが命の格差になってはいけない」ここには、命のグローバル化への思想がある。しかし、命の平等と国境の維持は両立していない。国によって、労働力の価値に数十倍の差がつけられる。また、命の尊さと国家の存続も対峙する。国家の栄光のために、命は消耗品のように消えてゆく。
 国家では、境界線が城壁のように高く強固だが、社会の輪郭は緩やかである。国がなかった頃、社会は自由にその範囲を拡大し結びつきを濃くし、縮小し薄くした。それは、生活の必要が直接社会のあり方に反映するからえである。ゆえに人間的な共感を共有しながらの協働が生まれやすい。
 政治の体たらくは、政治家が小粒になったからといわれるが、それだけではないようだ。世界的に、国家は機能していない。国民の必要を国家が妨害しているようにさえ見える。よく考えればグローバル化とは、国家の消滅や、世界社会の成立、それを踏まえた地球政府を想定している。
 そこで、朝鮮学校高校授業料無償化適用問題を考えてみる。首相は、国籍を理由に反対。国家に拘っているのだ。社会の目で見れば、障害も抵抗感も消えてゆく。同じ空気を吸い、共存している生活実感からは、朝鮮人は仲間であり、地域社会の宝である。別にする理由を発見できない。強固な国家から柔軟な社会へ、そう思う。
ぼーこの一年
 ぼーが来て十年が過ぎました。とりあえず、この一年の写真を探し当てましたので、ご紹介させていただきます。愛犬自慢のなにものでもありません。お付き合い願えれば嬉しいです。子どもの頃のがないんです。まだ、パソコンいじっていませんでしたから。写真としては残っていますが、パソコン内臓データーとしてはないのです。残念です(私だけ)。
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選手強化より精神的余裕
 冬季バンクーバー五輪が閉幕しました。案の定「何とかせよ」の大合唱です。今回は銀メダル3個、銅メダル2個。前回のトリノでは金メダル1個です。なのに、前回後よりも、かしましいように感じます。
 世界選手権大会の結果が出ても、「選手強化」は言われません。なのに、オリンピックの場合には違うのです。やはり、ナショナリズムが絡んでいるのでしょうか。どこの国の選手がメダルを取ろうが、素晴らしいプレーや、それを生み出すために為されただろう努力、本番で成果を出し切る精神力に、拍手を送るのがオリンピック精神だと思うのです。国別メダル獲得数は結果に過ぎません。
 国会予算委員会でも、「選手強化にもっと予算をつけろ」との質問が出ました。どうしてなのでしょうか。経済の建て直し、経済競争力において、中国・韓国に遅れを取ってしまったとの焦りの表れなのでしょうか。もしそうなら、とんでもない勘違いです。国力回復のための、国富を無駄なく使うための政策立案、実施こそ、政治か行うべき仕事です。メダルがいくら取れても、国力は付きません、国民の生活は良くなりません。
 キム・ヨナさんが、国民が期待を掛けずに気楽にやらせてくれたおかげ、感謝します、との発言をしました。彼女は、今回の五輪で、最も、プレッシャーを掛けられた選手でしょう。これを大人の発言と取る向きもありますが、今後のけん制と捉える見方も出来ます。
 それでなくても緊張する選手です。必要なのは、彼らに、余分な心理的圧力を与えない、我々の精神的余裕と安定です。メダルがなくても、誇れる自分になること、誇れる国にすることです。
フォト575 その⑦
 今日は、夢をいろいろ見てしまい、あまり眠れなかったという感じです。過去に知り合った様ざまな方々が登場、それも、一緒に現れるはずがない人と人が話し合ったりしています。故人となった方も。
 その方々とは、もちろん、会うことが出来ません。しかし、同時に、その時代とも二度と会うことが出来ないのです。そう思うと、切ない、故人と同じように、いとおしい。


   過ぎし日を  故人のように    梅しのぶ

画像 191 写真を拡大してみたら、ぼーが写っていました。今回は、企てたのではありません。  
ぼーが来て10年
 今日は、ぼー君が我が家に来て、丸十年の記念日です。1999年12月25日生まれ、我が家にやってきたのが2000年3月4日なのです。
 「だから何なんだ」と言われれば、返す言葉もありません。ただ、ぼーにめぐり合わせてくれた運命をあり難く思い、少しでも長生きして欲しいと願うんだ、と言う気持ちを伝えたいだけです。

画像 178 散歩中、今日も草を食べていました。
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散歩から帰ると、水を飲み、なぜか、また、土を食べました。

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画像 188 それでも可愛いさに変わりはありません。

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ぼーの頭の上では、梅が満開です。
久しぶりに暖かな縁側、散歩道
 午前10時を過ぎた頃、ようやく日がでました。買い物に出て、昼ごはんに、太巻きと、いなり寿司も買い込みました。ワンタンを作って、昼食を摂ったのです。
 食べると、すぐに、眠くなる自分です。「ウエルかめ」を観終わったことは覚えていますが、その後は、記憶にありません。目が覚めると、母は?
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 居ないと思ったら、こんな状態でした。先々週の土曜日に、上の姉が持ってきた籐の椅子で寝ていました。姉が期待した安らぎを享受している真最中でした。

画像 173若い草がのびてきたのでしょうか。
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明日、3月4日はぼーが我が家に来た日です。ちょうど、10年になります。
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田んぼの畦に、へちまが捨てられていました。
S夫婦との話 その③知的障害者に耳傾けよ
 戦争中、Sさんがいた現在の千葉市誉田に、知的障害のある爺様がいました。高射砲がB29爆撃機に届かない様子を見て「ごろを撃つようなもんだ。こんでは勝てん」と言い歩いていたそうです(「ごろ」は、瓢箪のことらしいです)。それを兵隊達は端から馬鹿にして「憲兵隊に捕まって、殺されるぞ」と、からかっていました。
一方、 奥さんは言います。「松の木にとどくほどに低く、飛んできた。米軍の星マークがやたら大きく見えて、機体で空が見えなかった」千葉誉田に飛んできたB29は戦争をしていました。しかし、匝瑳郡に飛んできたそれは遊んでいたのです。それでも、まだ、勝てると思っていた軍人・ジャーナリスト・文化人は幾らでもいたでしょう。
 誉田の爺様は、まけることを言い当てていました。3月2日の東京新聞社会面に「路上生活者3割に知的障害か」の記事。知的障害者の声に耳を傾けないでいると、また、国家の進路を間違えます。
S夫婦との話 その②戦争に負けたから泣いたんじゃない
 Sさんの奥さんは71歳、終戦の昭和20年は、国民学校2年生でした。19年、お父さんが40歳で招集されたそうです。
 私の父が、伊豆大島で、眼に焼き付けた事実と照応します。南方に兵員を送る船は伊豆大島に寄航しました。父もその応対をしたそうです。その時に驚いたことが二つ。ひとつは、兵が高齢化していること。当時の40歳です。父は25歳でしたから「高齢化」は実感だったことでしょう。 そして、もう一つ、兵たちは、竹の銃剣に、木製模造銃を下げていたというのです。戦闘の恐さを中国で経験済みの父は、思わず、涙したと言ってました。そうしたら、Sさんが「そういえば、おっらよう、千葉誉田の傷病兵病院の寮にいたんだっけど、警護の兵隊達が銃を持っていたのを見たことがなかったあ」と言うのです。「銃剣を見せてもらたけんど、茶色に塗ってあって、刃がなかった。あれは竹製だったんだなあ」
 奥さんは言います。「父を送り出したときに、胸が本当に、痛んだことを覚えているよ」爺さまは「息子が帰ってくるまで、何が何でも、三人の孫を守らねば」と何度も周りに言っていたそうです。そこで、部落の爺様たちが相談して「艦砲射撃が始まったら、みんなで、群馬に逃げよう」と決め、その準備もしていたそうです。
 そんな中、昭和20年8月15日が来ました。ラジオがある家は部落に一軒しかなかったので、そこに集まったそうです(この事実だけでも、アメリカに勝てるわけがないと分かる)。そうすると、爺様たちが泣き出した。訳が分からない2年生は聞きました。「戦争が終わった」 奥さんは、爺様たちを泣かせているのは「これで孫達を死なせることがない」との安堵だと感じたと言います。「負けたから泣いたのではない」と言います。
 その年の秋、きたない格好をした浮浪者が庭に立ったそうです。恐くて、爺様の後ろに隠れたら、爺様がいつもとは違う動きで立ち上がり、その男に近寄りました。九州から何とかたどり着いたお父さんでした。
S夫婦との話 その①濃い集落関係のわけ
 世界農林業センサス調査でお邪魔したSさん宅にいってきました。そのとき、話が楽しくて、2時間もご夫婦と話し込んでしまい、コメを直接売っていただく約束もしていたのです。ちょうど、コメがなくなったので、今日、時間をたっぷり空けて、伺いました。案の定、4時まで二時間半、話は尽きることなく、続きました。
 葬式の話にもなりました。葬儀場で葬式をする家がここ十数年で、激増しました。Sさんは「葬儀屋に100万も2百万も払うなら、一人5万円も払って、やってもらった方が安上がりだし、部落人も、休みとっても、損はなくなる」と言うのです。我が町内でも、葬儀委員長、帳場、湯かん人、穴掘り、担ぎ等々を決めますが、今は、委員長と帳場にしか仕事らしい仕事はありません。
 「昔は、湯かん人が遺体をきれいに、手ぬぐいで洗い、死に装束を着せたあ。穴掘りは、土葬だっからよ、3メートルも掘ったあ。重労働でようお、当家は酒一升を持たせたんだ」なるほど、父の葬儀の時に、叔父の指示で酒一升用意したことを思い出しました。その名残なんだと、今日知りました。「火葬の場合は穴を掘るのではなく、焼き場と言う役があって、俺もやったよ。最初はおっかなくてよお。先輩から聞いていたっけど、本当に、棺桶のふたが開いて、仏様が出てきたときには震え上がってよ」焼きの最後は、50年くらい前であったそうです。
 「だけんど、今思うと、部落の付き合いが濃かった訳だよなあ。互いの亡がらを拭きあう関係なんだからさ」なるほどと、説得されてしまいました。
恥ずかしながら、事実です
 昨夜のぼーは犬小屋で寝に入りました。玄関の鍵を掛けて床に入ったのです。
 夜中、ぼーがほえます。「そうか、水入れが中にあるんだ」鍵を開け、「ハイ、水」と差し出しましたが、ぼーの姿がありません。暗闇の中、かすかに亡霊写真のように、白が見えます。庭の植木に綱が絡まって、身動きが取れないのです。放つと、一目散に、玄関の中に駆け込みます。その戸を閉めて、複雑に、絡んでしまった綱を解きました。
 綱を持って、玄関の戸を開けると、ぼーが居ません。呼びますが来ません。上がってみると、家の奥の奥に隠れるようにして潜んでいたのです。「そううか」思い当たることがありました。
 この一年に、同じことが、何回かありました。前回の綱絡み事件の時に、「この馬鹿ぼーが」と相当強く頭をたたいてしまったのです。思うように行かぬことが続き、イライラしていた時でした。もちろん、いい訳にはなりません。「愛犬ぼー」と言いながら、暴力を振るったことがあるのです。
 寄り付かないぼーは、また、たたかれると警戒しているのです。いやしばらく、向き合っていました。トイレに行き、用を済ませながら、作戦タイム。一つ残っている桜餅を食べないか、と誘うことにしました。玄関で、綱をつなぎ、頭をなでて、桜餅を口元に。
 「悪は関係を切ること関わる」とするならば、暴力はまさに悪であると思い知りました。対峙していた時の、ぼーの表情と姿が不憫でなりません。