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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
金銅メダルと銀との間には
 こだわるものなく、喜びと充実感がにじみ出る金・銅のメダリスト。一方、銀メダリストは、なぜか、、銅よりも輝けないのです。これは、浅田真央さん以外、他にもあったように記憶します。
 嬉しさと悔しさ半ばは、喜びでも、悔しさでもないのです。嬉しさを奪う悔しさ、悔しさを沈める喜びに感情が定まらない、そのもどかしさが不機嫌にさせるのです。
 金・銅メダルが与える、天に向かい突き抜ける喜びは非日常に属します。恋に酔う興奮状態に似ています。その興奮を、普段、我々はそう多く経験しません。だから、歓喜の受賞者に共鳴したくなるのです。
 そして、銀メダリストには共感するのです。日常では、無条件に、嬉しいだけのことは稀で、成功にも、悩ましさが付きまとうものです。銀メダルの悩ましい喜びは、地に足を着けた日常の味わいに同じではと思うのです。
 
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映画「アンダンテ~稲の旋律~」を観る
 先輩と、旭瓜あかね原作「アンダンテ~稲の旋律~製作委員会」製作の映画を観てきました。
 対人恐怖症とひきこもりから抜け出そうとする主人公、千華が農村生活・農作業を通じて、自分にも、存在意義があるんだと思えるようになる姿を描きます。ロケ地が隣町の横芝光町で、町名が映画に使われています。そのせいもあり、主人公を支える農民、晋平家族の言動に、共感の笑いが幾度も沸きあがりました。
 当然、農業が抱える問題、つまり、自給率・生産性の低さ、農薬・化学肥料に頼る農業の危うさ、そこから見える現代社会の脆弱さを、会話の中で、さまざまな事実・統計資料を上げて、浮き立てています。経済効率追求社会に追い詰められてきた農業の姿は、主人公千華の苦しみと重なります。
 「大丈夫。転んだって、いいんだよ」「曲がって植えようが、転んで植えようが稲はまっすぐ上を向いて伸びるんだよ」「効率が低いことは悪いことなのか」「無駄をするから見える大事なことがある」これ等の言葉と、この通りに生きて、心底、満足している晋平やその両親達に、自分の広い居場所を見出すのです。
 「効率が低いことは悪いことなのか」に、思い出したことがあります。「先生、勉強嫌いな事は悪いことなのか」「勉強嫌いな者は学校に来てはいけないのか」という生徒の言葉です。少なくとも、高校教師は、無意識に、ホワイトカラーを育成することを前提に、仕事をしています。そのことと、高度経済成長以来の効率主義は不可分の関係にあると思います。
 大学紛争がピークに達した時、高校紛争も全国各地で起きました。「なぜ、勉強するのか。大学に行き、高給取りになるために勉強するのか。他に答えはないのですか」それを教師から聞きたくて、授業拒否に参加した生徒も居ました。私もその一人でした。「受験技術を教えるのが先生方の仕事ですか。教師の本質的な仕事は何だと考えますか」この回答を欲しがる仲間も居ました。生徒は納得いく答えを教師達が持っていると思っていたのです。しかし、応えられる教師は少なく、与えられた答えに、尊敬できるものは、さらに、少なかったのです。
 答えがないまま、40年が過ぎました。その結果が、強固な経済効率優先社会を生んだのだと思います。この社会が生んだ病理を健康正常に戻すには、経済成長前の生活情緒を取り戻すことが大切ではないでしょうか。現社会が、いかに、多くの人達にとって、不自然で、無理ある場なのかを気付かせてくれる映画でした。
武器輸出三原則強化を
 鳩山内閣が「武器輸出三原則」を緩める方向で、検討を始めるというのです。これにも、がっかりさせられています。そうではなく逆に、時代は武器輸出全面禁止を国是とする論議を求めているように見えるのです。
 「武器輸出三原則」は、1967年、佐藤内閣が ①共産圏 ②国連決議により、武器輸出を禁止した国 ③国際紛争当事国、その恐れがある国に武器を輸出しないという原則です。その後、76年、三木内閣は ①憲法及び、外国為替法、外国貿易管理法の精神に則り、輸出を慎む ②武器製造関連設備の輸出は武器に準ずる、を加えました。
 三木さんの追加二項目、特に「憲法の精神に則り慎む」は高く評価すべきものです。9条の戦争放棄は、世界の絶対平和実現の理想を基底に持っています。「憲法に則り」と表現した三木さんの意図を、私は受け継ぎたいのです。
 軍需産業の要請にではなく、古来、延々と続けられてきた戦い・戦渦によって、奪われた、全ての生命が味わった理不尽にこそ、応えるべきなのです。もし、この今も失われてゆく命を慈しむ政治になり得たのならば、国民を大切にしないわけがありません。
犬が家畜になったきっかけは
 犬の祖先はオオカミよりも、ジャッカルが主流だそうです。ちなみに、日本では、すでに家畜化された犬が入ってきたと言います。日本オオカミは大型犬並みの体格をしていました。しかし、縄文人に埋葬された犬は柴犬ほどの大きさなのです。
 さて、家畜化のきっかけはどんな風だったのでしょうか?狩りをしている人間に気付いたジャッカルが、同じイノシシを追いかけるのです。そうこうしている内に、結果として、人間の手助けをしてしまうことになり、獲物の一部を投げ与えられた。同じようなことがまた起きる。分け前をもらうオオカミは尾っぽをフリフリ。その内に、人間を見ると尾っぽをフリフリちょんちょん。寄ってくる、付いてくる。ならば、一緒に居た方が便利だ。「分け前も、前もって与えよう」となり、家畜になった。どうでしょうか。
 犬の家畜化は、羊、馬、豚、牛などを家畜化する勢いをつけたと思われます。これらを集団として、人間がコントロールすることを犬が可能にしてくれたからです。そして、その後は、野生肉食獣から家畜を守る番犬にもなったのです。そうして一万年以上、ぼー君が利口なわけです。

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ぼー君は、昨日買ってきたボールを前に、ご機嫌で、夕食です。一つ一つが猪・鹿・蝶、いや狐に見えるのでしょう。
犬のお墓を造った縄文人
 縄文時代は、生きるに厳しい時代であったと習いました。15歳まで生きた人の平均寿命が30歳そこそこ。栄養不足で、成長が止まったことを示す線が足の骨に何本か刻まれている、等々。
 狩猟はその獲物を当てにしていたら餓えてしまうほどに、不安定な生産でした。しかし、煮だき用土器で、どんぐりが食糧になり、大分、安定しだしたようです。青森県三内丸山遺跡の発見は、縄文時代理解を変えました。数家族単位での移住生活というイメージは崩れました。数百人の村落に、長期間にわたる定住生活がされていたのです。ですから、相当に安定した、豊かな生活だったのでしょう。
 縄文時代の新文明と言ったら、もちろん、①土器、②弓矢 そして、晩期には③稲作があります。これより早く、イモ類の栽培がされていたことが分かってきました。しかし、もう一つ、忘れていけない事があります。それは・・・

 ・・・犬の家畜化、です。犬が家畜になることで、狩りの生産効率は上がりました。ブッシュマンにおける実例では、犬数匹と人間一人で行った狩りは、人間6人による狩りの三倍生産性が高いと言う結果が出ています。犬は縄文人の食生活と栄養摂取の向上に、多大な貢献をしていたと思われます。
 そのためでしょうか、縄文人は犬の墓を造っています。これは、単なる愛犬家であったからではないでしょう。生活のパートナー、なかんずく、協働者であったからではないでしょう。一方、現代の我々は愛の対象である犬、猫が死んでしまうと生ごみとして扱う行政に、異議を申し立てません。「愛玩動物」すなわち、「おもちゃ」だからいいのです(か)。
 
欲望の倫理化と自由競争 その②
 「欲望の倫理化」がもたらすのは、欲望の肥大化、それも無制限のそれです。量的拡大は質的変化を生みます。「倫理化」の部分は忘れられ去られてゆく運命にあります。つまり、倫理的生活の結果に過ぎなかった利益=金儲けが、目的化して行くのです。
 現在、高校「政治経済」の教科書を開いてみてください。企業の目的は「利潤追求」であると、はっきり書いてあります。企業が起こす社会的問題が多数現われた結果、「企業本来の目的は利潤追求であるが、社会的責任を果たすことも求められている」との記述が加えられています。しかし、これは、本末転倒です。資本主義は、社会的責任を「本」とし、利潤追求を「末」として出発したはずなのです。
 資本主義の原則に、自由競争原理があります。この自由は「国家からの自由」でした。国家が一部商人に営業上の特権を与え、保護する見返りに、上納金を得るという関係がありました。これが生産者たる資本家の成長を抑えていましたから、これに反対しました。そのときに理論的武器として使ったのが「自由競争原理」です。国家から、営業の自由を勝ち取る運動が市民革命を生んだと言って、そう大きな間違いはないと思います。
 しかし、現在の大企業・経営者が口にする自由は「国家からの自由」ではなくて「倫理からの自由」であると思うのです。現代資本主義は「欲望の倫理化」から、更に、進化して「倫理からの自由」を求めています。欲望が正義を問われないことを目指しています。裏を返して言えば「欲望の正義化」になるでしょうか。
もものおばあさんにマフラーを頂く
 先日訪ねた時に、外出中だった「ももちゃん」のおばあさんを、再訪しました。ぼーも大喜びです。そうなのですが、やはり、玄関に入り込み、奥を探るそぶりをするのです。おばあさんも「モモの匂いが残っているから、気になるんだね」と言います。
 20日に来た上の姉が置いていった東京土産を差し上げると、「これは大好物」と言いながら「そうそう、待っていて」と中に入って、持ってみえたのがマフラーでした。「私も先が長くないから、これ遺品として持っていて」などと弱気なことを仰います。「遺品としてでは、いただけませんよ」「そうね、それでは記念品としてもらって」とうまいことを言います。強い想いを感じましたので、頂くことにしました。
 90歳です。一般的に考えれば、ご本人が言われる通りです。しかし、元気です。ただ、モモちゃんを失って、弱気になっていることも確かです。もう少し暖かくなったら、また、散歩をご一緒しようと考えているところです。沢山の愛犬散歩仲間がいますので。
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 東京に住んでいた時に、映画監督の奥さんであるご友人から頂いたそうです。その方の手作りで毛糸状に撚って作った綿糸で編まれているのです。毛糸のような肌触りですが、毛糸より細くて軽いのです。なかなかの優れものです。
欲望の倫理化と自由競争 その①
 今でも、はっきり覚えています。マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」についての講義を聴いた時のことをです。面白い、優れた研究に、学問的興味関心を開眼させられたような興奮を覚えました。
 ご存知のように、中世では、金儲けは宗教的に正しい行為とは認められていませんでした。特に、商業は安く仕入れて、高く売るのですから、人の無知や、弱みに付け込んで、収益を上げる卑しい行為とされていたのです。ここから、金儲けを目的とする資本主義、企業家は生まれません。
 このように考える旧教=カトリックに対して、新教=プロテスタントは次のように考えました。製造販売し、使ってもらうことは、他者に利益と福利を与えることである。例えば、パン職人は、他者に生きる力と食べる幸せをもたらす。馬車職人は体力を消耗させることなく、短時間で、遠方に、移動させる。その結果の利益・金儲けである。と言うことは、儲けが多いほどに、人の役に立ったということになります。「汝の隣人を愛せよ」は神の命令であるから、金持ちほど、神に認められる人物になるのです。宗教的に正しい人間なのです。
 なるほどと、思わせる力があります。前にも、ご紹介しましたが、日本の「はた(他者)を楽にするから、はたらく(働く)というんだ」という思想と相通じています。人様のために働くことが正しい、だから、それが働く者を幸せにしてくれる。他者のために働くこと=神が命令する倫理(西洋)、調和を生む天の道理(東洋)の違いがあるだけです。
 このように言えそうですが、どうでしょうか。確かに、学問的にこのように、分析したことは素晴らしいと感じます。ウェーバーはすごい、そう感じます。しかし、この思想への変化そのものには、胡散臭い誤魔化しがあるのではないかと、直感した記憶があるのです。その疑念の本質は「欲望の倫理化」です。つまり、これは「倫理」ではなく、倫理化された「欲望」ではないかということです。金を儲けたいという「欲望」を倫理としてしまっているのではないか。そう思うと、その座りの悪さが気になったのです。
 
犬の知性と運動能力
 犬と一緒にいて楽しいのは、可愛いからだけではありません。気配から、こちらのこころ、意志を察するし、言葉にさえ反応するからです。外国人よりも、言葉が通じるからです。
 ぼーが理解する言葉をあげてみたいと思います。①ごはん②パン③かつを④肉⑤あんこ⑥ビスケット⑦牛乳(ぼーは飲んでも下痢をしない)⑧水⑨ホットケーキ⑩散歩⑪こっちへ来い⑫待て⑬お手⑭お座り⑮出ろ⑯ばいばい⑰お留守番
⑱チュして⑲ブラッシングまだありますが、最後に⑳遊び
 今日も「遊び」と言うと、ボールを取りに出て、くわえると囲い込みます。画像 153
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「頂戴」と近寄りますが、素直には渡しません。しかし、ほどなく、口を緩めます。取り上げたボールを犬小屋にワンバウンドでぶつけて、放物線を描くようなフライにします。それをノーバウンドで口でキャッチすると拍手をすることになっています。この繰り返しを、30分やっても彼はあきません。
画像 161 画像 160 画像 159撮影失敗作ももったいないので
左は、ボール口キャッチに成功した直後です。真ん中は、失敗してしまった直後です。


画像 165 画像 164遊びつかれてもう、お休みです。




「もも」 の名に反応した 「ぼー」
 寒い日が続いています。昨日もそうでした。雨がちらつき、重たい空に、北風は圧縮され、威力を増します。小さなぬくもりを消し去る、その大きさをどうすることも出来ません。
 しかし、ぼー君は元気そのものです。色を失っている曇天の中、枯れ野に命の赤を光らせて走ります。死と生、昨年、11月に亡くなった「もも」を想ってしまいました。「ぼー、モモちゃんだ。ももだももだ」と発しました。ぼーがモモのことを覚えているかどうか、確かめたくなったのです。
 すると、ぼーは立ち止まり、あたりを見回したのです。明らかに、探しています。いやしばらくそうしていました。が、もちろん居ません。酷なことをして仕舞いました。
 ぼーも忘れずに居たのです。どうも、私の心とぼーのこころは、人と動物のこころは、基底で繋がっているようです。昔話に、さるやきつね・たぬき、雀や鶴が登場する事情が見えてきます。ならば、かえるへび、魚や昆虫、微生物に至るまで、生命は繋がっているのでしょう。一人暮らしの、ももを失ったおばあさんを訪ねました。
 
ぼー、あんこに酔う
 ここのところ、ぼー君の食欲が衰えているように感じます。今朝も、ドッグフードに手をつけません。ならばと、10時過ぎに、あんこを煮た鍋をなめてもらうことにしました。
 ちょうど、昆布を煮るのに、空いている鍋がありませんでしたので、あんこを皿に移す必要があったのです。鍋に付いているあんを洗い流すにはもったいないので、ぼー君の登場です。

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餡を皿に移した後の鍋です。

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鍋を揺らし揺らしながらの、鍋洗いならぬ、鍋なめです。音が伝わらないのが残念!!

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このまま、昆布を煮るのに使えるほどのきれいさです。ぼーには、改めて、あんこを存分食べ与えました。すると、食欲が喚起されたのでしょうか。ドッグフードを食べだしました。

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食後をくつろぐぼー君です。カメラが光ることを知っているので、なかなかこちらに顔を向けません。いやいや、向けるので、こんな顔です。それでも可愛いぼー君です。特に賛同は求めませんが。








ほっとしました
 昨日は、朝から雨の中、市役所に行きました。終了した農林業センサス調査票を提出し、開始された確定申告を済ませるためです。
 調査票の提出は緊張します。間違い、漏れがないか。確認のうえで、「ありがとうございました」ほっとする瞬間です。使用した鉛筆1ダース、消しゴム、バッグをいただき、後は全てお返ししました。これで、鉛筆は3ダースになります。
 さあァと思ったら「意向書を書いてください」「・・・今後も調査員をする意志があるかどうかを記入するのか」10月には国勢調査があります。そう言えば、係りの方が「200人の調査員が必要です」と言っていました。「やりますよ」「そうですか。ありがとうございます」有難いのはこちらの方です。社会参加させていただき、報酬もいただき、その上地域の様子が分かり、人との会話も生まれます。
 先日は、「米屋では30%コシヒカリが入っていれば、その名で売れることになっている」などと話しているうちに、直接、コメを分けていただくことになりました。
 総務課を後にして、納税相談会会場に行きました。二時間ほど待ちましたが、すべてパソコンに打ち込んでくれて、確定申告書が印刷されて出てきます。給与収入は昨年1月から3月間、東総工業高校での非常勤講師給与と経済センサス調査の報酬分だけです。
 各種保険料が控除されて、6500円還付されることになりました。調査の終了とあいまって何か嬉しくなり、昼ごはん用のネギトロまき、太巻き、いなり寿司と、その他食材を買って、帰りました。
匂いで客を誘うとは、いじましい
 チョコレート業界では、チョコの匂いを発する機械を導入したそうです。広告が、刺激してこなかった唯一の五感が臭覚だと気付いたのです。
 この話、チョコのように、甘く、美しいとは思えないのです。むしろ、見苦しく感じます。相手の通常な判断を妨げて、自分の思うように誘導しようとする思惑は、他者の人格をもてあそぶいやらしさがあります。。催眠術を掛けて、自分に好意を持たせる仕業に似ています。
 試食販売は実物を食べてもらって、判断を客に委ねますが、この商法では、化学的に合成された匂いを発しているのは販売品ではありません。「食べ、満足していただきたい」意欲は「買わしてみせる」野望に変わっています。
 考案した社員もそうですが、それを素晴らしいアイディアと事業化した会社も会社です。また、それを導入したチョコ会社も上品とはいえません。さもしいと思ってしまうのはひねくれ者だからでしょうか。
 
批判する側の品格を問えば
 「品格」が話題になる昨今です。横綱(朝青龍)の、オリンピック選手(国母選手)の、政治家(数知れず)の品格が問われています。
 そもそも、「品格」とは何なのでしょうか。思うに、その要素は二つあると思います。一つは「自分の本心を見詰めること」換言すれば、精神生活を持っていることです。内省することがない者に品格の可能性はありません。そして、その際、自分の「本心に嘘をつかないこと」が品格の命です。自分に対する至誠です。そうして、二つは、他者に対する尽誠です。己を手段にして、他者を目的とする生き方です。
 しかし、己に対する至誠、他者に対する尽誠は出来るものではありません。出来ることの方が、はるかに、少ないのが現実でしょう。出来ない自分を認め(内省)、それを責め(反省)、少しでも、尽誠に近づけようとする意思と姿勢、それを品格というのだと思うのです。
 朝青龍に横綱としての品格がないといいますが、相撲協会幹部、親方はどうでしょうか。すでに、教えるべき品格を失っていたのではないでしょうか。教えなかったのではなく、教える資質がなかったのです。弟子を死に追いやった事件が他者を目的ではなく、手段とした象徴的な事件でした。朝青龍を、実質、放置してきたのも、収益の道具として価値があるからではないですか。ドル箱としての「横綱」を求めてきたのは相撲協会自身でしょう。
 見方を変えると、朝青龍の方が品格があると見えます。彼は、自分の本心を隠して、相撲協会に残ることは品格に反すると考えたのではないでしょうか。己に嘘をついてまで、日本人が求める横綱の品格を演じることの限界を、今度の暴力事件を通じて、悟ったのではないでしょうか。これは彼の品格を掛けた決断でした。次は、相撲協会が品格を問われる番です。「横綱を目的として扱わずに、手段として利用してきたのではないか」内省してみてください。もちろん、己に嘘をつかずにです。

 (ちなみに、私は朝青龍がとってきた行動を認めるものではありません。それは人間個人としての態度を指して言っています。しかし、また同時に、そのまずいことゆえに、相撲取りとして示した心意気と実績をけなすものでもありません)
「エキスポ」を観る その②
 あれから40年、隠された破壊力の仕業は自然破壊にとどまりません。人間も文字通り壊されています。道具は使い捨てられます。道具に心は想定されません。壊されているという自覚もないまま、潤いが失われてしまいました。この事実を「どうにかしなければ」と揺さぶりを掛けます。それが上手に演出され、演じられています。ちなみに、同じ宮崎ですが「どげんとせにゃいかん」と言って、宮崎県知事に当選した人とは別な話です。
 30年勤めた仕事から退き、感じているのは「何が、あんなに、仕事に向かわせたのか」ということです。今、私は大場家の「いい加減さ」を共有しています。もちろん、組織に属しながらも、自分を生きようとすることは尊いことです。その緊張の中で、命を使うことが生きることだと思います。
 しかし、組織・機構が人間性を無視することでしか、その機能を発揮できないのなら、その限りではありません。自分の仕事が客の利益になっていないのなら、充実感を自分のものに出来ません。お客様第一といいながら、危ない車を作り、それをごまかそうとする会社で働く労働者は、後ろめたさを感じざるを得ません。下請け労働者や非正規労働者を犠牲にしての「高給取り」である自分に居心地の悪さを感じるはずです。尊い努力と我慢が暴力になっているからです。
 自然を破壊し、命にまで格差を持ち込む社会には疑問を感じます。「人類の進歩と調和」の中身・方向を、今こそ、問い直しましょうという、メッセージと受け取らせていただきました。
「エキスポ」を観に行く その①
 昨日は、劇団「テアトロ海」第68回公演「エキスポ」(作、中島淳彦 佐藤庸一演出)を甥と観に行きました。
 時は1970年、大阪万博の真最中、場所は宮崎県のとある町です。昼は弁当屋、夜はラブホテルを営む母、ひさこが「人類の進歩と調和が・・・」を最後の言葉に、急死します。その通夜と告別式の日の大場家居間が舞台です。
 正直、はじめは「さほど笑えない、ただのコメデイーか」と思いました。しかし、原作の大きな問題意識を細かくし、散りばめた上で、総合・消化するための演出が仕込まれていました。役者さんの、基礎力に裏付けられた演技力が笑いを取ります。しかし、その笑いの本質は愛すべき人達の、肯定しうる人間性への共感なのです。それを共有させられ、劇の中に心を置くことが出来きました。
 大場家の男達は、会社務めが嫌いです。仕事らしい仕事をしていません。父了一に至っては漁師でしたが、船酔いするからと海に出ません。母ひさこの稼ぎで生活している一家です。会社勤めが好きになれないのは、無理・我慢・規則、そして強制が嫌いだからです。そのまんまに生きることが思想と言えば思想です。それを可能にしてきたのは、宮崎の豊かな自然と、それと共生してきた歴史と文化です。それが難しくなり、ひさこが一人頑張っていたのです。
 長女千代子は、同じ中学の音楽教師の山下と結婚しましたが、東京に出て、音楽家として成功したいと言う夫と別れました。愛しているのですが、彼の「東京」が許せないのです。この「東京」は父も兄も、ここに登場する宮崎の男達が皆、嫌いな文明の象徴です。
 この文明は、個人を「手段」として扱います。競争と、それに勝ち、目標を達成させられる「道具」が、己を道具でないと思うためには、目標を内面化しなければなりません。それへの誘導は「豊かさの創造」が担当します。しかし、競争に勝つことが目標化してくると、むしろ、創造は破壊的な暴力性を帯びてくるのです。それを覆い隠すための標語が「人類の進歩と調和」ではないでしょうか。そう思い合いたい、そう言うことにしようの儀式が「大阪万国博覧会」なのです。

 
 
昨日の温かさ、うめ咲く
 昨日は4月下旬の暖かさ、梅が咲き出しました。そして今日は北風吹いて、最高気温10度、梅が騙されたと、ふくらんでいます。
 ロウバイも花を咲かせだしました。手入れをしていないから、花が少ない小さいような気がします。ロウバイは12月28日の花だそうです。つまり私の誕生日の花です。好きな花なのは、そのせいでしょうか。

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接写しすぎですかね。ぼけてしまいました。

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カマキリの卵ですよね。庭中にあります。今年もカマキリが我が家を闊歩します。
「あたらしい憲法の話」秘話
 NHK「ラジオ深夜便、こころの時代」に、童話屋社長田中和雄さんが登場しました。「はっぱのフレディー」を出版した方です。朝鮮戦争が始まるまでの三年間、中学一年生の副読本だった「あたらしい憲法のはなし」を復刻したことでも知られています。
 驚き、心動かされた話がありました。天皇皇后とお会いした時に「良いお仕事をなさいましたね」の後、この本を「憲法記念日には、家族で読み合わせをする慣わしです」というのです。この副読本は、作文部省ですから、当時の政府の政治思想と政策をそのまま書き入れています。13歳にも分かるように、易しく書くがゆえに、明確な表現になっています。平和主義については、「戦争をしないということです」「だから、軍隊も武器も持たないと決めたのです」「不安に思う人もいるでしょうが、他の国より先に、正しいことをするのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と書いています。
 その後、9条の理想主義的部分を剥ぎ取ろうとする動きが強まります。核武装論を言う自民党幹部まで現れました。そのような中で、天皇・皇后が、明確に9条の理想を謳いあげている「あたらしい憲法のはなし」を読み上げているというのです。
 2004年の秋です園遊会で、都教育委員である米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」といった時に「やはり、強制になるということがないことが好ましいですね」とお応えしています。天皇が政治的発言をしないことが原則ですが、それでも、これ等天皇の本心は、健全な民主的平和主義国家としての日本を強化し、維持する上で、好ましいことに違いありません。
 
一瞬ひやり、ですが
 「トヨタ人間軽視消費者にも」にコメントをいただきました。「亡夫はトヨタグループ企業に勤めておりました」と読めた瞬間「また、軽率なことをしてしまった」と体中の血液の流れが止まったのです。少なくとも、このような怒りのコメントをいただくと覚悟していなければならなかったのです。そこが軽薄です。
 ところが先を読ませていただくと、同感の表明なのです。よくぞ、書いてくれましたという応援の言葉なのです。ほっとしました。と同時に、トヨタ関連企業とその社員がどんな扱いをされてきたのかを、その行間から、読み取れました。
 私は、埼玉県は川口市の出身です。吉永小百合さん主演の「キューポラのある町」の舞台となった鋳物の町です。多くの零細中小企業が集まった職人の町です。さまざまな理不尽を見せ付けられ、聞かされ、育ちました。弱い者いじめの大企業には、若い頃から、批判の目を向けてきたのです。
 ここ数年、ようやく、「これはおかしい」と言った声がマスコミにも表われてきました。いいことです。昨日国会で、共産党の志位委員長が、政府提案の派遣労働法改正案が、派遣労働者の安定した地位と収入を保障することがない「ざる法」であることを、実態から説明し、製造業派遣原則禁止を法案化することを求めていました。また、「下請け大企業法」「下請け中小企業振興法」を遵守するように、査察官による抜き打ち査察等の実施が必要だと追求していました。答弁から分かりましたが、現内閣も大企業利益優先の政権のようです。
 首相は、志位さんの「中小企業は日本の宝だと思いますが、首相はどう思いますか」に「そう思う」と言いながら、中小企業救済策に同意しませんでした。根本のところでは、何も変わっていないことが、次第に、はっきりしてきました。弱者は、政治によっては、現政権でも、救われません。
トヨタ人間軽視消費者にも
 トヨタの徹底した労務管理と生産効率至上主義は、人のあるべき姿を歪める性質を持ちます。人間性を削り取ることで達成が期待できるものです。
 しかも、労働組合がこれに熱心であり続けていると聞きます。批判的意見へのいじめや排除をしてきたのも組合だというのです。労働者の権利・生活を守り、人間性を開花させる使命を持つ組合が、それを奪うことを目的にしているのです。13兆円の内部留保は経営者と労組幹部の合作なのです。経営者を監視・けん制すべき組合が経営と一体である会社は労働者にとって脅威です。
 と同時に、消費者にとってもそうであると考えるべきでした。身内である労働者・下請け企業を大切にしない会社が、外部を大切にするわけがないのです。労働者の「人間」を軽視する癖を付けてしまった会社が、消費者のそれを大切に扱うはずがないのです。このことを象徴するのが「ブレーキが利かないのは気のせい」という重役の言葉です。たとえ、気のせいだと思っても「もっと話を聞かせてください」「それは不安ですよね。再度調査します」これが対象を人として遇する態度です。
 残っていた信用を使い果たしてしまったのが、すでに「ミスに気付き、修正をしていた」ことです。これでは、リコールしても感謝も評価もされません。石原プロが撮影中に事故を起こし、けが人を出した時、社長の渡哲也さんは撮影中止にとどまらず、放映を取りやめを決意して、被害者を見舞いました。事故がかえって、尊敬と信頼を高める結果を生みました。この正反対が今回のトヨタです。
牡蠣クリームシチュー
 以前に、手抜きというか、新しいクリームシチューの作り方を書きました。野菜をフライパンでいためている最中に、小麦粉を絡めた後に、牛乳を入れて、シチューにしてしまう、テレビで教わった方法です。今回は、私流の手抜き新方式を書きたいと思います。
 
作り方手順 
① 牡蠣を優しく、水洗います。その後、水を入れたボールの中に、牡蠣を移し、塩を入れます。
② たまねぎを先に切ります(たまねぎは20分空気に触れると血液をサラサラにする成分が数倍増える)。
③ ジャガイモの皮をむき、塩を入れゆでます。
④ 他の野菜=にんじん、しいたけ、ほうれん草を切る。
⑤ 鍋の牛乳を温める一方、たまねぎ・にんじん・しいたけを塩して、いためる。
⑥ 牛乳の中に、⑤でいためた野菜を入れ、煮込みます。
⑦ ジャガイモがゆだったら、練りつぶします。
⑧ ほうれん草をバターでいため、ジャガイモを加えた後に、鍋に入れます。
⑨ 鍋に、牡蠣を入れ、味見をして、必要なら、塩を入れ、味を調えます。
⑩ スープ皿に盛り、とろけるチーズを乗せて、完成です。

 今回の工夫はホワイトソースのとろみを小麦粉ではなしに、ジャガイモで出そうというところです。つぶすだけですから、小麦粉のように、①玉になりません。バターも使いませんから、②脂肪が抑えられます。しかも、ジャガイモですから、小麦粉よりも、③栄養的に、優れています。母に不足しがちなビタミンCが摂れます。ジャガイモは熱を加えても、ビタミンCが壊れないのです。
 好評でした。自分でも美味いと思いました。牡蠣はタンパクはもちろん、不足しがちな鉄分、亜鉛を多く含んでいます。牛乳をふんだんに使いますから、同じく不足しがちなカルシウムを豊富に摂取できます。デザートはみかんです。パン・紅茶と一緒に食べれば、栄養的には申し分ないのではないでしょうか。
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悪銭身につかずのトヨタ
 欧米販売分だけで450万台がリコール、それにプリウスも加わったトヨタの不良自動車問題です。業績不振は避けられないでしょうし、今後の対応を間違えれば、倒産の危機となるかもしれません。
 非正規雇用労働を安く手に入れ、安易に首切りしてきました。下請け関連企業への納入単価をぎりぎり以下に絞込み、低賃金・長時間労働を強制してきました。低コスト実現のためです。無理を強いられた生産現場では、良い設計・部品・製品を作る意識さえも削られ、一切の余裕が奪われたと予想できます。
 結果、国民が生活に窮する中でも、史上最高収益を上げたのです。その成果が13兆円に及ぶ内部留保です。この13兆円はどんな使われ方をするのでしょうか。本来は、非正規雇用を正規雇用に変えるための原資や、新製品開発投資になるべきものです。しかし、積極的な経営戦略には使われない可能性が出てきました。
 欧米、特にアメリカは訴訟大国です。その国民に、経済的・精神的損害を与えたのですから、起こされる訴訟は相当数、長期間に及ぶと考えなければなりません。訴訟の起こされ方によっては、その賠償額も巨額になるでしょう。13兆円が賠償金やりコール費用、赤字埋め合わせになって、消えてしまうことも、起こりうる現実です。
 築き上げた世界一位の生産設備、13兆円のプールが壊れ去るでしょうか。もしようなら、労働者と下請け関連企業が受け取るはずであった富が経営の失敗の犠牲として、差し出されることになります。「悪銭身につかず」とはこのことです。
こども手当ても農家個別保障も無駄遣い その②
 発展途上国の農民・鉱夫と同じように、農家にもその労働に見合った労賃を支払うべきだと思うのです。現在、農家が13000円で出荷している米が米屋さんでは21000円で売られています。流通経費は8000円です。これを、米60キロが21000円で出荷できるようにするとします。流通経費を同じ8000円とすると、29000円が小売価格です。茶碗一杯40円、工夫して流通経費を4000円に出来れば、35円です。
 これは、他の食品と比べて高いでしょうか。私達は、ベーカーリーの食パン半斤200円でも買っているでしょう。これは35円で計算すれば、ご飯6杯の値段です。釣り合っていませんか。けして高いわけではありません。「タイ米やカリフォルニア米に比べれば高い」という声が聞こえてきます。今はそうです。しかし、いつまでもこれ等が安いと考えるのは軽率です。
 まず、アメリカでは地下水を汲み上げて、それを農業用水にしています。灌漑用水ではないのです。だから経費が抑えられている部分があります。例えば、我が千葉県東総地方には、大利根用水というのがあり、農家は一反(330坪1000平米)当たり、15000円を支払っています。その地下水が、今、枯れかかっています。タイ米も、将来、タイ国民の所得が日本に近づけば、値が上がります。世界的天候不順・変動から農産物生産が不安定になったり、減少すれば、値が上がります。これは相当高い確率で、そう遠くない将来に、現実化するのではないでしょうか。
 その時にも、「日本の米は生産性が低い、ただの厄介者だ」と言えるでしょうか。売ってくれなくなれば、その厄介者を食べなければならないのです。それはもちろん、日本の農業が続いていることが前提です。それに備えて、国民は米が60キロ25000円から29000円することを受け入れることが賢明であると思うのです。
子ども手当ても農家個別保障も無駄遣い その①
 子ども手当てでは、子どもを持とうという親は増えず、少子化対策にはなりません。個別保障制度は農業後継者を増やしません。この期に及んでも、無駄と分かっていながらの公共事業を永遠に続けようとしていた自民党よりは、前向きな政治家としての使命感を感じますが、これらは、結果的に、ばら撒きになると思います。
 結婚できない、子どもを作れないのは、収入が少なく、生活基盤が不安定だからです。また、保育所がないからです。子ども手当てに莫大な国費を使うのではなくて、非正規雇用の規制を強化するべきです。下請け・関連中小企業経営を締め上げる大企業の独占禁止法違反を摘発しその関係の改善をしなければなりません。これ等によって、正規職員が増え、職が安定し、中小企業従業員給与が向上、生活と心にゆとりが生まれ、子どもが持てるようになるのだと思います。
 農家個別所得保障もばら撒きに終わる性格を強く持っています。幾ら、援助をしても発展途上国の生活が向上しないいのと同じ構造が日本農業にもあると思います。途上国経済を発展させる最も良い方法は、彼らが作る農産物や鉱産物を正当な代価を払って買うことです。その農民や鉱夫が円で300万円以上を収入に出来る価格で買うことです。それが最も効果的な「援助」です。これをすれば、海外援助は不要になることでしょう。
  
太陽光発電に待った
 さまざまな理由から、リホームを考えています。その一つが地球環境を壊さない生活をしたいということです。つまり、太陽光発電システムの導入です。
 ところが、大学で電気関係の勉強をしている甥が「おじちゃん、まだ早いよ」と言うのです。話はこうです。現在の太陽光発電が利用している太陽光は七色の内、赤だけだそうです。知りませんでした。知っていましたか。現在、他の色もエネルギーに変える研究がなされているそうです。だから、その研究が完成するまで待った方がいいというのです。
 しかも、その研究が相当難しいらしいのです。歳を考えれば、最後の家作りです。いろいろな今までの失敗反省から、「この家で最後を迎えたい」と思える改築をしたいわけです。そんなに待てない現実もあります。さてどうしたよいのでしょうか。
 そこで思います。今までの自民政治を否定して、効率がいい国富の使い方をすると政権に就いた民主党政権です。上の研究に充分な予算をつけるべきです。そして、一日も早く、外国に先駆けて、赤以外の光を電気エネルギーに換える技術を開発して欲しいものです。新産業の開拓とはこのことでしょう。是非お願いしたい!!
 ところで、リホームはどうしましょうか。迷うばかりです。
再び再び、軍事安保から食糧安保へ その②
 眠れないので、考えてしまいます。日米安保費用の一部を食糧安保費に回すのです。米60キロを22000円でで引き取るために、国が10000円負担。その額は900万t÷60キロ×10000円=1兆5000億円です。国防費は約5兆円です。そこから食糧安保に、1兆5000億を組み入れるのです。
 ついでに、林業と山村振興と温暖化対策として、ダム建設費の相当部分を林業従事者人件費に回します。住宅を国費で建設して、年収500万円で希望者を募集します。1万人で500億円です。もし、妻と子供二人の4人家族を条件にすれば、山村人口は4万人増加します。2000億円なら16万人です。山の保水力、つまり、緑のダム能力も数段高まり、二酸化炭素を吸い、酸素を放出量も増加します。
 国費の使い方を根本的に変えると言って政権に就いた民主党です。早急に、国民にとって、合理性がある発想転換により、予算組み替えを進めなければ、いけません。そのタイムリミットは近づいています。