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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
再び、軍事安保から食糧安保へ その①
 「なぜ、百姓は嫌われるかねぇ」調査訪問農家で、留守番をしていたおばあさんの言葉です。もちろん、この「百姓」は農民のことを言っているのではありません。農業と村落生活を指しているのだと思います。そして、彼女が生きてきた農的生活やそれと切り離せない伝統的文化を無価値と決め付け、切り捨てることを「嫌われる」と表現しているのです。
 「何か百姓が悪いことしたかねえ」「身体がえらくてねぇ。そんだけ辛抱して作っても、元さえも取れないんだからさぁ」「もうすぐ、(農地}を)放って置くようになるよ。(預かって耕作を)やってくれる人も少なくなっているよ」この嘆きにどう応えたらいいのか、言葉に窮しました。
 国際分業論に立つ人たちは、株式会社が大規模に経営すれば国際競争力を持ちうるといっていますが、どうでしょうか。現在、1ha規模農家で、米60kgの生産費用は15000円~18000円といわれています(ちなみに、農協拠出額は12000円です)。4~5ha規模で、採算ぎりぎりです。
 農家は労賃を取れないどころか、数千円付けて出荷しているのが実態です。だから、農民から農地を取り上げ、20~30ha規模の会社経営にするというのでしょうが、それでも、採算が合わないでしょう。会社経営なら、人件費が掛かります。さらに、日本は農業機械も、肥料農薬も、農業資材は割高なのです。コンバインは軽自動車ぐらいだろうと思っていませんか。高級自家用車並なのです。まして、農産物完全自由化となれば、更に値は下がります。農業を引き受ける企業がそもそも、現われないと思います。その場合、日本の食糧自給率は限りなく、0に近づきます。世界的な食糧不足の可能性が高くなっていることを考えると、「地下鉄はどこから入れるのか」よりも、夜眠れなくなるのです。
 
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避競争は無努力か
 「競争に参加しない自由」は認められないのか、ということを以前にも書いたように記憶します。また、その想いが強くなってきました。
 この200年、世界中の国が資本主義・社会主義という近代化に、否応なしに、巻き込まれてきました。日本では、1853年がその始まりです。職人の名人芸は機械による大量生産品に負け、姿を消してゆく宿命を負わされました。命を刷り込んだ、全人間的作品は競争市場経済の中に組み込まれると、荒削りで、貪欲な欲望に服従した商品に卑しめられ、否定されるのです。
 より困ったことに、卑しめられるのは商品だけではありません。競争に勝てない労働力は価値を認められません。ですから、競争に参加したがらない労働力などは問題外です。強い競争参加意志を示した上で、しかも、それを通し、競争に勝つことが求められるのです。ここには、人間を矮小化し、人間性を歪めて観ているという省察はありません。労働力を利益を生む資材としか見えなくなっている事を言っています。労働力の資材化は生命の物化に他なりません。
 このように見える時代相ゆえの「競争に参加しない自由」要求です。争うことは究極の比較です。自慢・悪口、優越感・劣等感、そして、勝者に敗者、これ等は比較の結果、意識される区別、場合によっては差別です。私が敬愛する良寛さんは「比較することは卑しいことだ」と言っています。「勝ち組」「負け組」という二分別に、落ち着きの悪い、いやらしさを感じるのは「卑しいから」ではないでしょうか。
 競争に参加しない者は最初から敗者扱いです。戦う姿勢を見せ、その努力をしない者には市民権が与えられません。しかし、「競争に参加しない」のは努力したくないからなのでしょうか。そうではなく、もっとお互いに人間として大事にしたいものがあるからだとも捉えられます。それは「争い」、「分断」されることの対極にある「協働」し「融合」する姿です。「悪とは、善とは何か」の答えは出せませんが、、悪は「人と人を引き離すこと」に関係しており、善は「人と人を結びつける」ことに関係していると思うえるのです。昨今「絆」が言われる事情もこのあたりにあるのではないでしょうか。
 
苺フロートサイダー
 苺ミルクを作ろうと苺を買ってきました。イチゴのすっぱさを無くし、飲み込めるようにと、つぶしたイチゴと牛乳と蜂蜜を混ぜ合わせたものが「苺ミルク」です。
 そのつもりだったのですが、苺はすっぱ過ぎる、サイダーは甘すぎる、この情報が頭の中でくっ付きました。そうして生まれたのが「苺フロートサイダー」です。苺を細かく刻んで、コップに入れ、三ツ矢サイダーを入れるだけです。苺にサイダーを入れると急に泡が立ちますので注意してください。
 苺もサイダーも生き生きになり、爽やかさ倍増です。運動後、風呂上りに最適、ビタミンCが豊富ですから、お肌によく、活性酸素を押さえ、がん予防にもなるのではないでしょうか。一度お試しを。

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農業再生はもはや不可能!?
 食糧自給率の低さが問題になっています。その中、WTOドーハラウンド農業交渉では、関税・国内補助金の削減が輸出国(米・ブラジル・豪)により、主張されています。
 もし、輸出国が強行するなら、世界的農産物不足が生じた場合「日本の需要を優先する」ことを条件にすべきです。それを飲ませずに、妥協してはいけません。財界人には食料輸入が止まった時の「国産農産物を食べない覚悟」を問うべきです。これを過激だと思うなら、それは農業衰退の深刻さが見えていないのです。
 「世界農林業センサス」調査のため、地域を回っています。担当農家37軒の内、専業農家はありません。「世帯主が農業専従」が4軒、30アール以上耕作が12軒、他は耕作依頼や耕作放棄です。積極的経営である4軒の労働力は60代が中心です。「燃料の高騰で、息子はハウス栽培を止め、勤めに出た」そうです。元気だった農家ほど意欲を失っています。
 千葉は2007年度農業産出額全国2位であり、東総地域はその中核地帯です。それがこの状態なのです。10年後、農産物自由化はスムーズに行えるでしょう。反対根拠の農業そのものが存在しないからです。
 鳩山首相は「抑止力」を理由に、普天間無条件返還要求はしないようです。しかし、この「抑止力」が効かないことよりも、生産性最優先主義への「抑止力」を失うころを恐れます。人口12600万人、確保すべき食糧も巨大です。ミサイルによる攻撃よりも、餓死という悲劇の方が甚大と気付くべきなのです。
広がる病院不信
 農業センサス調査で、地域を回っています。話題がなぜか、健康、そして、病気・入院といった方向に向かいます。今日は二軒で、それぞれ1時間もの話になってしまいました。
 その訴えは、医者・看護士に殺されるというものです。リハビリで骨折した話、それも、当事病院ではわからず、他の病院にいって判明した。睡眠薬を投与され、その晩に、ベッドから落ちて、腕を骨折、しかも、発見は朝の見回りのときだった。そのために、二ヶ月追加の入院になった。何とかという虫に刺されたが、なんでもないと言われ、放っておいたら、体中に蕁麻疹のようなものが出てきて、高熱、立てなくなった。救急車で他の病院に行ったら「もう少し遅かったら危なかった」といわれた。その他、心無い発言に苦しんだという話と切がなく出てきました。
 これは医事従事者の資質の面もありますが、余裕がない病院の仕事状態、それゆえに、仕事の質を高める体制も姿勢も作れないことに本質的な原因があるのではないでしょうか。病人とその家族は病気と闘う上に、救ってくれるはずの医師・看護士とも戦わなければならない現実を解消しなければいけません。他人事ではなりません。
 わが町にも市民病院を診療所規模にしてしまうという案が出されています。年5億円の赤字ゆえです。しかし、この病院、なかなかのものなのです。医師を確保し、現在の120床規模を維持させたい病院なのです。5億円の赤字を毎年市が支払っても保てる、財政構造にする必要があります。命の問題ですから。
一粒400円のチョコ
 東京に出れば、母への土産を探しに「デパ地下」に行きます。どれも割高です。土産だからと思っても、買えない物、その代表が高級チョコです。
 一粒400円だというのです。「いらっしゃいませ」と誘われると、貧乏人の反骨精神が出てしまい「一箱400円は安いね」「そうではありません。一粒のお値段です」と慌てず、なかなか立派な接客魂です。「貧乏人は買えないよなあ」買おうとしている人が、立ち去るので、営業妨害と言われれば、その疑いはあります。しかし、「そうだなあ」と同感したのかもしれませんし「金持ちの不振りをする、真似をするのはみっともない」と思ったのかもしれませんから、有罪は立証できないでしょう。
 高価なら美味しいと決め込む単純さ。味ではなく名を食べ歩く習性。ブランドそれ自体は、栄養になりません。豊かな生活には、価格に見合う有難さを見抜く知恵が必要です。
初落語を楽しむ
 今日は、卒業生、といってもおじさんですが、と落語を楽しみました。浅草松竹演芸場です。お正月と言うことで、朝10時30分からやっています。しかもここは、昼の部が終わっても、引き続き、夜の部にもいられます。いようと思えば、11時間近く3000円で楽しめます。出てくる芸人50数組、一組60円以下でその芸を味わえます。こんなに安い娯楽はないのではないでしょうか。
 私は昼の部のおおとりの歌丸さんで寄席を出ました(4時30分)。今日の昼の部の目玉は、「ナイツ」「昇太」「笑三」「歌丸」というところでしょうか。正月には客が来るのです。とにかく、入れ替わりり立ち代り25組の芸人が次から次と現れますから、動物園より楽しいのです。一度、寄席に行ってみて下さい。普段は2500円なはずです。
農林業センサス調査員打ち合わせ会に出席する
 今日は朝から、「2010年世界農林業センサス調査員事務打ち合わせ会に行ってきました。匝瑳市内に農地を所有する農家が4000世帯あるとの事です。それを110人の調査員で担当します。
 私の担当は37軒ですが調査票は19枚しかありません。聞いてみると、5年前、調査が必要な農家が19軒しかなかったからだそうです。どういうことかというと、農地を所有しているが農業生産をしていない、あるいは、国が農家と考える基準以下の経営様態である農家が18軒あったということです。
 我が集落の農家20軒の内、専業農家は一軒もありません。世帯主が農業専従が1軒あります。その他には農家とは思えない家もあります。サラリーマンはもちろん、大きな建設会社を経営している方、大工さん、産業廃棄物処理会社経営、保険業、自動車修理業、アパート経営と等々。日本の農業の危うさが我が集落からも読み取れます。しかし、偉いと思うのは、彼らはそれでも、米、田んぼだけは毎年耕作生産しています。先祖からの田んぼを荒らすとはしないのです。
 もし安定供給、自給率の向上を国民が願うなら、これ等の農家の子の一人が農業を継ぐ気になるように、食料が高いことを受け入れなければならないと思います。日本では、大規模粗放農業はできません。もし、農村社会がやっていることを企業が全て受け継いだら、企業は儲からないと思います。
歴史検定一級合格証届く
 ご報告します。歴史検定一級に合格することが出来ました。正式な連絡が来ました。予想はしていましたが、正式に合格証書を手にするとうれしさは本物になります。
 得点の予想は72点から75点でした。実際は74点。論述問題14点中5点しか取れなかったようです。あくまでも予測ですが。合格最低ラインは60点。合格率は38%(例年は25%前後)。やはり、例年より簡単だったようです。あと四年間、連続で合格するよう頑張ります。と言うことでご報告です。

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低い雲は気持を沈める
 昨日は、曇って寒い一日でした。今日は雨が朝から降り続けています。陰鬱な気分になります。理屈ではありません。次第に言い知れぬ不安や、前向きな勢いが隠れて、失せていく感覚に襲われだします。
 全国一、年間日照時間が少ない秋田県が、かつて、自殺率も一位であったこと(現在は関係者の努力で減少している)が自然なことと受け入れられます。
 この移ろいやすい感情を私達は軽蔑してきました。今も、感情に流される、感情をコントロールしないことを罪悪のように見ています。感情に流されない、これをコントロールするのが理性です。ゆえに、理性的であることが人間的であると理解されているのです。
 理性的であることが悪いとは言いません、思いません。しかし、感情を脳の発展段階が低い頃の産物と理解するのは間違いです。むしろ、感情が理性の基礎になるように思います。おおらかで、豊かな感情が理性的であるための貯水池なのではないでしょうか。
 感情を穏やかに見詰め、仲間にすることで、自己に理性が目覚めるのではないでしょうか。感情を見詰め、養うことが肝要と、こころを見詰める、冷たい雨の日です。
仏教が言う「因縁」を実感
 姉家族が来ました。次女の旦那も一緒で彼が「行きたい」から来たというのですから、有難いことです。
 墓参りをして帰宅してから、父が話題に。昭和18年、南方に送られることになったという話になったのです。南方軍には下士官が不足していたので、中国方面軍(関東軍)から、下士官を送る必要があったのです。まさに、その流れの中の話です。
 伍長任官証が届きました。しかし、なぜか父のがなかったのです。そこで、父だけが残され、任官証を待つことになりました。大分遅れて届いたのですが「お前は除隊だ」と、帰国しました。その後19年、再徴兵され伊豆大島で、B29対応の高射砲の設置と管理を仕事とし、そのまま終戦、生き残ったのです。
 もし、あの時、南方に送られていたら、相当高い確率で戦死したでしょう。と言うことは、私・姉・姪、甥の4人は生まれず、母・義兄・姪の夫を加えた7人が今ここに一緒にいることは起こりえなかったことになります。当たり前のように、一緒に食べ、飲み、話し、笑っているこの光景は、奇跡が設定した場と時間なのです。歴史に残るべくもない、事務官のミスという小さな出来事が、ここにいる7人には決定的な意味を持つ大事件として、戦慄させるに充分な力を帯びてくるのです。
 この集まりが運命共同体のように感じさせるものは「因縁」です。己だけで今の自分が存在しているのではない、気付かないところで、行われた行為が今の自分を形成しているとの事実を突きつけられます。この言葉、仏教読書のたびに説明を受けてきました。分かったような分からないからない理解でした。しかし、今回、実感として仏教が言う「因縁」を理解しました。
為さぬ偽善は難しい
 臆病で姑息、それでいて、裏づけのない自信があつかましい自分を認めざるを得ません。そこでせめて、偽善だけは為さぬぞと言い聞かせてきましたが、実は、その偽善者にならないことが一番難しいのではと思い始めています。
 私が偽善を為すのは「自分が一番可愛い」というエゴイズムから解き放たれないからです。母の世話をするのは自分が親不孝で、冷たい人間と認めたくないからです。言い換えれば、いい人間だと思いたい、思われたいからです。もちろん、それだけでないことも感じます。しかし、一生懸命に工夫して作った料理を、間食したために、「もうお腹いっぱい」と残し捨てる母に怒りを感じるのは良い息子を演じているに過ぎない証拠なのです。
 逃げようのない悪を背負っても、生きなければならない人の姿に、お釈迦様は「人生は苦」と看破したのでしょうか。親鸞が読まれているそうです。それが生き難い時代の表われに見えます。人間がその尊厳を保てずに、悪をさらけ出させぬでは置かない戦時を生きるような、重たい世相です。
順天堂高齢者医療センターお世話になりました
 今日は、順天堂に行きました。これで最後になります。母も一緒に行くべきなのでしょうが、止めました。代わりに、先生への手紙を書いてもらいました。数行の文面でしたが、30分掛かってしまいました。
 今日もあっけなく5分で終わり、紹介状が出来るまで10分待つと、看護士さんがそれをもって、5年間の付き合いは終わってしまったのです。きっともうお会いすることもないのでしょう。「こんなもの」なのかなと思う反面、「素気なさ過ぎる」と感じました。
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 甥と神田三省堂で待ち合わせ、本を買い、秋葉原の彼が推薦するラーメン屋に行きました。これがなかなかのラーメンでした。その名はラーメン「粋な一生」。
 秋葉から日本橋へ。これって近いのです。歩いたら5分で三越の前に着きます。これ知りませんでした。知っていましたか。狐につままれたような気分とはこのことです。静かなところで、のんびりしようと、三井ビル37階の喫茶室へ。驚きを隠して、一番安い選択。ダージリンティー900円、何とかプリンケーキ1300円なんです。注文してから、甥と「さっきのラーメンより紅茶の方が高い」「ケーキ一個で二杯食べられる」と貧乏人根性丸出し。場違いの店でしたが、いい景色を見ながら、美味い紅茶にケーキ、静かでゆったりスペースでの2時間以上の談話を楽しめました。金持ちのような顔をして後にしました。
日米安保より食糧安保
 外国が攻めてくる危険性と、食糧が入って来なくなるそれとを比べたら、後者の方が何倍も高いと予測する人は多いでしょう。気候変動は、すでに、農業生産に影響を与えています。加速度的に、この変化が進むとすれば、そう遠くない将来に、食糧が輸入できなくなる日が来ると考えておかねばなりません。なにせ、わが国は100万や200万の人口ではないのです。12600万人の命を支える食糧は膨大なものです。我々市民は、食糧の恒久的安定供給ができる体制の確立を政府に求める運動を進めなければなりません。
 そんな思いで居る中、本日、東京新聞に「東アジア緊急コメ備蓄事業」「本格実施へ交渉難航」「滞る食糧安保構想」とありました。読んでみるとこの構想は、日本と東南アジア連合・中国・韓国の13カ国が食糧危機時にコメを融通し合うという事業です。「滞る」というから、新興国が経済的負担を渋り、難航かと思ったのです。しかし、違うのです。ぐづって居るのは日本です。議長国タイは日本を除いて、条約化を進める意向さえ示しているといいます。
 日本は何をためらっているのでしょうか。拠出する金額が大き過ぎるからなのか。負担額に見合った安心が確証されないからなのか。違うのです。外務省は今までとは違って、条約化するとなると「国会承認のための事務作業や各国との調整にかかる時間が膨大で、現在の枠組みを継続した方が迅速に本格実施へ移行できる」と判断しているというのです。
 これって官僚の怠慢、政治主導が入っていないということでしょう。官僚の「めんどくさがり」が、国民の餓える危険性を高めているのです。社会保険庁に負けない使命感のなさです。鳩山さん岡田さん、赤松さん、しっかり指導してください。
「首切りは」企業努力か!?
今朝、東京新聞が行った「主要206社景気アンケート」結果と分析記事を読みました。08年度に比べ、売り上げが減少した企業が全体の75%に「そうだろうな」と思いました。なにせ、「100年に一度の大不況」ですから。
 ところが、純損益の表を見て、驚きました。増加した企業が55%と読めるのです。おかしいなと、読み直しましたが間違いありません。記事を読むと「製造業を中心とした大規模な人員削減と生産拠点の見直し」等が進められた結果だそうです。「人員削減」とは「首切り」のことです。「生産拠点の見直し」とは途上国への工場移転ですから、共に、日本国民から仕事を取り上げることです。
 大企業が、不景気の中、史上最高益を上げた、あのやり方を変えていないのです。「そんなもんだろうな」と先を読み進むと「逆風の中、企業努力により増益を達成している」との文字。これは「予想外」でした。そうなのでしょうか。「派遣村」時代でも「首切りは」企業努力なのでしょうか。
 製造業が中心の人員削減なのです。非正規雇用に批判的な論客を登場させている東京新聞が「企業批判」をせずに、安易に「企業努力」との認識を示したことに、違和感を覚えました。東京新聞の「企業努力」放棄を「企業批判」します。
「平和」で町おこし
 地域再生が課題です。「町おこし」は流行語になってしまいました。ここで勘違いしてはいけないことがあります。町が対象なのだから、「町のことを考えればいいんだ」と内向きになってしまうことです。歴史の流れの中で、世界と言う単位を見据えて、町おこしを構想する姿勢が必要ではないでしょうか。
 世界規模の問題は、まず、今騒がれている温暖化、そして資源の枯渇、飢餓、南北問題等々。しかし、最大の問題は、不幸・悲劇のデパート=戦争です。これがなくなれば、どれだけの人が救われるでしょうか。そして、戦争に使う富と労力を、争うのではなくて、協力して、難問解決に使えれば、人類は何とか、生き延びられる可能性が出てきます。
 21世紀がまっとうできるかどうかの鍵は「戦争から文化」への転換が出来るかどうかです。そこで、「地域社会の活性化」と「平和」とを結び付けて考えると言う、面倒くさがり屋の私らしい、極めて安易な発想となったわけです。
 まずは、「匝瑳9条の会」を結成する。そして、市議会に、「核兵器廃絶を求める宣言」「地雷禁止要求宣言」「新型爆弾開発禁止を求める宣言」「武器輸出禁止条約案」を作成、決議することを求めます(わが市は、すでに、「平和宣言都市」になっています)。「匝瑳市民平和への想い集」発行,全国を対象にした「匝瑳平和論文コンコール」平和大会」開催なんていうのはどうでしょうか。わが町の産品名の頭に「平和」を全て付ける。「匝瑳平和米」「匝瑳平和牛」「匝瑳平和落花生」「匝瑳平和芋」「匝瑳平和イチゴ」。
 
日の出待ち雑煮彩る青菜摘み
 大晦日から正月の時間は普段と違った秩序に従っているように感じます。人々は服を脱ぎ、鎧を剥ぎ取り、素肌で風を観るのです。
 カウントダウン、年替わりの瞬間に、我々の裸は地球以外と結びつき、それに命を預けるのです。全てが生まれ変わり、清められます。その喜びを分かち合う魂は我々の「故郷」がどこかを知るのです。
 初日の出を待ち、ほうれん草を摘みに出ました。時をあわせるのです。従うこころで、その息吹を雑煮にしました。目に見えないものに実在を認める正月、それらが我々の「自然」であることを教えられる正月です。
 また、都市という反自然の、社会という人工物の秩序を常識とした生活が始まります。しかし、自然は「日の出待ち青菜摘む」生き方を人間に求めています。否、実は一番、これを欲しているのは我々の「自然」=魂なのかもしれません。
「坂本龍馬」は高視聴率に!!
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 さて、今年のNHK大河ドラマは、ご存知のように「坂本龍馬」です。龍馬になったのは担当者が狙ったのか、自ずと浮かんできたのかは別にして、「時代」が選んだように感じます。
 世の中が行き詰まっているのに、誰もが、愚痴り、焦り、あがくだけで、考えがまとまらない自分を自嘲し、もてあましている様に見えます。政治に変化を求め政権交代を実現しましたが、リーダーシップが働きません。こうなると、自分が何か始めなければ何も変わらないだろうと感じられて来ます。出来る、出来ないではなく、動かない自分が情けなく思えてくる程に、現実が重いのです。
 今日のNHKふれあいパークは「坂本龍馬」主演の福山雅治さんが登場しました。竜馬の言葉の中で、福山さんが好きな「この世に生を受けるは事を成さんがためなり」と今の気持ちとして「全力疾走」を挙げました。書家の紫舟さんがこれを書き、これを受けて、一文字を書き加える演出です。その一文字は「駆」でした。
 多くの国民が動き出そう、出さねばならぬとの想いを強くしているのではないでしょうか。国家ではなく、社会を強固にする。人と人が繋がり、協働する、助け合いと分かち合いを基調にする社会の再生・創造の必要性を強く意識しています。
 ジョン・F・ケネディー元米国大統領は「国家が何をしてくれるかではなく、国家のために何が出来るかを考えよう」という名言を残しました。坂本龍馬なら、関係者の熱意も加わり、高視聴率間違いないでしょう。自分は何が出来るのかを考える年の始めです。