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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
疑っていること
 母の嚥下障害の症状が出て、もう、7年になるでしょうか。歯が悪いことが重なって、食べられるものが激減、一時は体重も38キロにまでに減ってしまいました。
 最近、蕪が食べられる食材に加わりました。大根は、おろしや味噌汁、煮物に使ってきましたが、蕪に思いが行きませんでした。NHK「ためしてガッテン」で観たのと、エストエストのスパゲッテイーの具で食べたのがきっかけで買ってきました。直に、軟らかくなるし、味を吸い取る力も高いのです。
 「軟らかくて甘くて美味しいね」と言いつつ食べている母が食事の後半になると、「お腹がいっぱいになちゃった」「さめたから美味しくない」「からい」「咽を通らない」などと言い出します。正直、我が儘言っている」「また何か甘いものを間食したんだろう」と腹を立てることがありました。
 しかし、最近の観察により、疑いだしていることがあります。嚥下障害とは、ただ、飲み込みが悪いだけではないのではないか。咽を使っている内に、飲み込み力が低下する症状も含めて、嚥下障害ではないのか。筋肉疲労がすぐに起きて、咽を使いたくなくなる。だから、いろいろ言って、食事を終わらせてしまうのではないかということです。本人に聞くとそんなことはないといいます。もう少し、様子を見ようと思います。
 そもそも、なぜ嚥下障害になったのか。情報によると、放射線治療の後遺症一覧の中に、嚥下障害もありました。子宮頸がんの手術後に一ヶ月間、放射線治療を母はやっています。これも疑っています。

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「事業仕分け」行う意味確認
 無駄遣い批判の本質は「何に税金を使うべきなのか」に対する政府と国民の不一致にありました。その齟齬の矯正を政権交代に託したのです。
 赤字財政、地方中央や国民間経済格差の解消、弱者救済を含めた生活関連政策の充実に税金が使われることが民意であったはずです。ですから、それに沿った「事業仕分け」が自然な流れです。
 しかし、そうではないようです。運用上の問題と混同した地方交付税が持つ所得再分配機能の軽視、難病対策費の削減、新卒者就職支援の廃止などは、流れに反するように見えます。加えて、一律の「子ども手当」支給や高校授業料の廃止は財政を圧迫するでしょう。後者は名目を環境税に切り替えて、国民に負担継続を求め、既存道路の維持や新エネルギー開発、森林の保全などに使う発想が必要と思うのです。
 公約を軽く見てきた自民党政治を批判して政権に就いた民主党ですから、これに拘る事は当然です。しかし、この危機的財政状況の中、マニフェストをも「事業仕分け」の対象にする決断とその説明をする勇気が求められていることも事実です。
ドラマの官僚像を変える官僚期待
 人気の刑事ドラマ、「踊る大捜査線」「相棒」に描かれる主人公に好意を示すエリート官僚には共通点があります。
 大捜査線では、柳葉敏郎演じる室井慎次は主人公や視聴者と同じまともさを教養にしています。彼は、高級官僚の論理と倫理の壁に己の常識を通せずに、苦しみむのです。将来、己の論理を通せる地位に出世するまで我慢する姿が描かれます。
 「相棒」では、岸部一徳演じる小野田公顕は主人公の生き方に一目置きながらも、一線を画します。正しさを主人公に認めながらも、高級官僚社会の一員として振舞うのです。これに従うことの安全利益と、逆らうことの危険損失を計算しているような覚めた風を漂わせます。もちろん、心は満たされていないのです。
 両者の共通点は、貫徹を意志する、論理倫理化された権力の、分厚き不変性を強く意識していることです。作者がこのように彼らを描くのは、日本の官僚支配のしたたかさ、狡猾さが呆れるほどにあく強いと感じ、そういう認識を国民も持っていると見ているからだと思います。
 確かに、我々は高級官僚の図太さ、したたかさを見せ付けられてきました。これを打ち破る新しいタイプの高級官僚が現れて欲しいと思わずには居られません。現実に、そんな官僚が現れた時、ドラマの良心的官僚が壁をものともしないで打ち壊してゆくように、描かれるのではないでしょうか。そのときが待ち遠しいのですが、どうでしょうか。。
理念政策なき者交渉資格なし
 11月9日、在日米軍再編協議の米側責任者だったローレス元国防副次官は、再編目的が「真に相互運用可能な同盟」化にあると述べました。つまり、再編は紛れもない「軍事同盟」を目指しているのです。
 現憲法は軍事同盟を認めません。一方、再編は軍事同盟を前提として進められています。ならば、憲法9条改定に対する政権与党の理念を明確にして、そこから普天間問題解決の方針を導き出し対米交渉案を示すことが筋です。
 しかし、鳩山首相はオバマ大統領との会談で、普天間は主要議題にならないと発言しています。これは、新政権が安全保障に対する理念と政策を固めていないことを窺わせます。
 外交理念と政策を持たぬ者は交渉をする資格がありません。日米対等外交への転換と言いますが。端から、相手の言うことを飲む以外にないのです。今までの従属外交の本質も見えてきます。
なぜ、火事を「江戸の華」と言えたのか
 「火事と喧嘩は江戸の華」、ボクシングやK1を見る我々と同じ興奮から、喧嘩を華と捉えるのは分かります。しかし、火事を華と見る心理は分かりづらく、ずーと、疑問でした。
 明暦三(1657)年の大火は江戸のほとんどを焼き尽くしたといいます。本丸を含む江戸城、大名諸侯の屋敷500余、旗本屋敷770余、神社仏閣350余、橋梁61、そして下町町人地域を総なめにしました。死者十万二千余と記録にあります。万単位の死者が出たことは当時の状況から、間違いないと見られています。この後も、大火は数知れず、そのたびに、死者が多数出たと想像するのが普通です。ですから、喧嘩と並んで、火事を華と呼び、はやし立てたような言い方を、どうして江戸町人がしたのかが、疑問だったわけです。
 これを解く鍵は享保の改革にありました。町火消しを組織させたことで有名な大岡越前守忠相が、関わっていました。彼は、総合的に、火事対策を推し進め、土蔵造り・瓦屋根化も、町人の反対を説得し、ある時は、権限を使い実施していきました。その一つに「火除け地」の造成があります。その数、90箇所。今の東京市域に換算すると、4000箇所を造ったことになるそうです。
 これにより、家・家財を失っても、命を失うことはなくなったといいます。大火の後、東京大空襲のような惨状を人々は見ることはなくなったわけです。ですから、お気楽と思えるような「火事と喧嘩は」と言えたのです。
 この政策は立派なものです。まさに、政治の仕事である市民の生命と財産を守ることに多大な努力をしたということですから。関東大震災や戦災の後、政治家か利権あさりのチャンスと見たことを思えば、まさに、立派な政治であると言えます。
普天間は難しい問題か
 普天間基地問題は難しい問題と言いますが、そうでしょうか。
 隣家のピアノがうるさいとトラブルが生じていると聞きます。自分も我慢ならない騒音を、他人に強要することは人の道に反します。普天間基地の返還要求が結論となります。
 このように言うと「短絡的」な「素人」判断と言われそうです。しかし、政治において、素人・玄人に分けることは民主政治を根本から否定しかねない思想を含んでいます。議員は代表であり、我々と質的につながっていなければなりません。そこが今回の選挙でも問われたはずです。正しくは「有能な素人」と「普通の素人」です。
 「短絡的」との指摘理由は、日米安保体制が揺らぎかねない軽率・安易な選択で、危険で国益に反するというものでしょう。しかし、安保条約が変更・破棄されることになっても、米国が仮想敵国になるではなし、国防費を急増させる必要もありません。すでに、日本の軍事費は世界7位にあるのです。国防費上位の中・英・仏・露と平和友好関係を維持し、北朝鮮に警戒する点、国防の基本は何も変わらないのです。
 どの選択が「有能な素人」か。新政権の変革に向けた覚悟が試される普天間問題です。
公約実現が無駄遣いに
 10月19日の日経新聞とのインタビューで、藤井財務大臣は「税収見込みが大幅に落ち込み、40兆円を切るので、新規国債発行額は50兆円を超える」との見通しを語りました。
 ならば、国債発行残高は850兆円を越えるはずです。この危機的状況に焦りますが、不況の中、増税は危険です。この現実に、自公政権が無駄遣いを放置し、その恩恵にも浴してきたことに、改めて、憤りを感じます。そして、新政権に無駄遣いを一掃して欲しいと期待しないではいられません。
 しかし、どうでしょうか。政府は道路特定財源の廃止を公約実行しようとしています。加えて、子供手当ての一律支給や高校授業料・高速道の無料化も実施するようです。無駄遣いの精査の最中と言うことですが、これ等も精査の対象になるのではないないでしょうか。
 すでに指摘されているように、裕福な家庭にまで子供手当ては不要です。同じく、この財政状況ゆえに、一律の高校授業料無料化も無駄遣いの範疇に入ってしまうと思うのです。
 金利の上昇が懸念されています。少しでも、国債発行残高は減らして置かなければなりません。国債費が税収を越えるようなことになれば、夕張市の苦境が全国化します。社会保障・医療介護・教育サービスが崩壊してしまいます。そして、これは「国民生活第一」という民主党政治理念の崩壊でもあるのです。
 衆院予算委員会での、自民党加藤紘一議員の「マニフェストをすべて実施する必要はない思いますが、どうでしょうか」の質問に、民主党委員から「これは罠だ」とのヤジが飛びました。が、自縛という「罠」もあります。
これを新聞投稿しました
 変革政治開始は普天間問題から

 明治維新に匹敵する変革への覚悟を鳩山首相は持っているようです。これはどのような決断を求めるのでしょうか。
 沖縄戦の悲惨さは「絶対に戦争はいけない」との想いを継承させています。その沖縄に基地があるのは理不尽というものです。それを思ってか、首相は沖縄県民の意見を大切にすると発言しました。ならば、県内移転、嘉手納との統合はあり得ません。といって、他県移転は困難を極めるでしょう。では、日米合意案なのか。
 ここで変革への覚悟が問われます。戦後日本は、安保条約を無条件と言えるほどに受け入れてきました。日本が示した条件である非核三原則の密約はその象徴です。今こそ、「安保条約継続」条件を示す時です。普天間基地の返還要求。そして、もう一つが「対ロシア核兵器破棄交渉」をすぐに始めることです。
 地球規模の問題解決と日本の政治改革は重なっています。世界平和の確立は人類が避けて通れない課題です。これと結びついた普天間問題です。


10月25日にここに書いた「交渉上手な宇宙人に」を書き直して投稿しました。載ったら教えてください。
差しさわりのある方はそのままで
 先月月31日「全国豊かな海づくり中央大会」が開催され開会式が放映されました。「君が代斉唱」、司会者は起立を求めましたが「差しさわりのある方はそのままでい願いします」と一言加えました。常識的な対応です。起立・斉唱を文書で強要し、従わぬ者をチェックして、後で処分する東京都の対応がいかに、民主的礼儀に反しているかが分かります。
 さまざまな立場、状況にあることに応じて、処遇するのが成熟した、優しい社会です。「女は家で家事をするのが普通だ」「起床は6時、これがまともな家庭だ」などと自分や多数派のあり方を常識と決め付け、他を非常識とするなら、それは想像力が「貧しく」、包容力に「乏しい」と言わなければなりません。つまり、「人間」が貧乏な人です。
 私は靖国神社はなくすべきと考えていますが、参拝する人を妨害しませんし、攻撃しません。その気持ちも理解できます。おじが眠っていますので、父がよく行きましたが、それについてゆき、手を合わせたことも数回あります。しかし、戦争遂行の精神的根拠を与えた歴史的経緯から、靖国の存続には反対です。日の丸君が代も同じ理由から反対します。
 横浜では、他の教科書を排除して、ある出版社の中学歴史教科書を使わせるためのルール変更が行われました。さまざまなものが様ざまに混在することが許せない偏狭さは、ばい菌を全て殺さなければ清潔とは認めない潔癖症に似ています。
 2004年の園遊会で、東京都教育委員の米長邦雄さん(棋士で有名)が、全ての学校に国旗国家を尊重させることが私の仕事です、と話すと天皇は「やはり強制になるということではないことが好ましいですね」と述べられました。その後も強制は続いています。彼は天皇を尊敬しているのではなく、利用しているように見えます。
快晴、今日父の命日
 朝から素晴らしい天気です。父が亡くなり10年が経ってしまいました。この10年私の周りでは大きな変化が続きました。その思いも含めて、報告してきました。
 縁側で日向ぼっこするには最高の日です。ぼーを連れて来た、葉が大分散ってしまった木漏れ日の中、ススキが花咲かせている風体です。ぼーもリラックス。そこに赤とんぼが白い毛に止まりました。ぼーはもちろん気付きません。ぼーと薄目がちです。トンボは暖かかったのでしょう。いやしばらくジーとしていましたが、風と共に去ってゆきました。


     白き毛の  愛犬になじみ居る   赤とんぼ
            (いぬ)
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秋の日差しです。午後3時なのに、低木の陰の中です。

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時たま、土を食べます。
早期退職しての後悔?
 53歳で様々なことを考えて、四年前に、早期退職しました。後悔はないとのつもりだったのですが、、その年の7月に、すぐに来ました。「そうかボーナスももらえないんだ」給料をもらえないことはしっかり頭にありました。しかし、ボーナスをもらう喜びをも手放したつもりはなかったのです。
 姪が「もらったよ」と隠し切れないうれしさを電話に乗せます。この時は、後悔しましたね。あれは後悔だと思います。その後、ボーナスシーズンに新聞テレビで「今年のボーナス回復」などと出るたびに、「俺も欲しい」と言うと母が「何、馬鹿言ってんの」とあきれます。
 まあ、この後悔は、宝くじが外れて「三億円また損した」類の落胆です。しかし、今感じ出した後悔は、大分深刻です。昨年は非常勤講師をして、旧同僚とさまざまな話をし、意見交換をしました。人間を、人生を語り合うことも、少しオーバーに言えば、魂を述べ、展開することも出来ました。
 しかし、今年はそれがなくなったことが、やたら、寂しいのです。ご近所と人生を語ることは難しいです。というか、そういう人物に出会えることは、そう、多くないのが普通でしょう。在職中、そういう仲間に囲まれていたことが有難いことと再認識させられました。仕事をさせていただいた学校には、必ず、心許し、本心を語らせてくれる同僚たちがいたのです。
 ではありますが、さらに、しかし、なのです。先日電話での、旧同僚の話では「今の職場で、そんな話できないよ」「同僚の家族構成も、どこに住んでいるかも知らない」と言うのです。職場が喜んで行きたい場所でなくなっているとも言います。私の後悔を後悔にさせない教育現場の深刻さが陰鬱です。