FC2ブログ
早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
しじみに感謝
 茨城県の水産業界にお世話になっている弟が突然、やってきました。飯岡の屏風ヶ浦の海岸線の調査がどうのこうのといっていました。昔は、数百メートル幅の砂浜があったとかどうとか。
 お土産に、茨城のりんごと、大量のしじみを持ってきました。11月3日、父の命日には来れないとのことで、今日、来たのです。
 早速、今晩の味噌汁はしじみ汁、それもふんだんに入れました。美味さこの上ありません。グルメ番組でのタレントさんの「美味い」はたぶんに演技でしょうが、思わず「美味い」が出ました。
 出身地川口の小学校社会見学で「安行貝塚」に行ったことがあります。厚い層になっている貝殻を前にして、「こんなに食べたのは、他に食べ物がなかったから、食べざるを得なかったのだろう。かわいそうだな」と思ったのです。
  しかし、それが違うのだと、今日、50年ぶりに気付かされました。あさりも蜆も美味しいから積極的に食べたのです。だから層になって残っているのです。これが正しい解釈だと確信させるシジミ汁の美味さでした。明日の朝も、夜もシジミ汁です。
スポンサーサイト



米と一緒に環濠集落が伝わった
 近頃、ポテトチップなどのお菓子やアイスクリーム、ケーキ を食事にしている人が増えているといいます。番組に、サプリメントを大量に飲んで「これの方が合理的」と真面目な顔をして答える大学教授が現れました。理由はめんどくさい、腹が膨れればいい、というのです。
 私は無精者です。相当なものです。そこで、朝は炊き立てのご飯に、豆腐・わかめ・長ネギの味噌汁、しらすおろし、納豆と決めています。簡単に準備できますし、ご飯の美味さを味わえる組み合わせです。ご飯が食べられること、しみじみ、有難いことと思うのです。母と「炊き立てのご飯は美味しいね」と言い合う毎朝です。
 その米が伝わって二千数百年。実は、米と一緒に「環濠集落」ももたらされたと言うことです。掘った土を土手のように盛り上げていたことが分かっています。現在最古の環濠集落遺跡は縄文晩期終末期の福岡県那珂(なか)遺跡です。米の伝来期と一致しています。
 この集落は村を守るための機能を持っていると考えるのが自然です。その後「高地性集落」というものが近畿から瀬戸内海沿岸に現れます。そこでは、矢の先に付ける石ぞくが多く発見されています。縄文時代にも狩猟用に石ぞく(3センチ未満3グラム未満)を作っていましたが、ここで発見されるそれは相当に大きい(5グラム)のです。戦闘用の弓矢の出現、米と農地の奪い合いが始まったわけです
 何か寂しい、陰鬱な気持ちになります。命をはぐくみ、光らせる米を手に入れると、その有難さゆえに、奪い合い、命を消しあうようになった。受け入れたくない気持ちにもだえます。
 今、その米を食べない人が現れました。ならば、戦争もなくなるのかというとそうではありません。戦争が出来るように、憲法を変えるべきだと言う勢力は、強力です。人間本性に根源的な不安を抱きます。
 
国民と腹を同じくし変革を
 10月28日代表質問が行われた衆院は、街で肩がぶつかって「お前が悪い」「いや、そっちだ」と言い合っているおじさん達の集まりと化しました。
 しかも、閣僚からマニフェストを後退修正する発言が飛び出す中、与野党双方の皮肉が目立ちましたが、国民のはらわたに沁み込むやり取りは少なかったのです。特に、首相が、公約どおりの後期高齢者医療制度廃止、米軍普天間基地移転、派遣労働法改正実行にさえ、明言を避けたことには疑問を持ちました。これらは巨額予算の裏づけを必要とせず、政権の覚悟・努力と知恵さえあれば、為しうる政策だからです。
 自民党西村議員の派遣法についての質問には驚きました。「製造業への労働者派遣禁止」について「企業競争力をそぎ、産業の空洞化を加速する」何と財界の代弁をしているのです。これが子供だましの論法であるは明らかです。欧州に進出している日本企業は当地では、派遣労働者と正社員を時間給等で同待遇する規則に従っているのです。
 経済格差、ワーキングプアー、路上生活者増加に、小泉政権の派遣法改悪が影響していることは専門家の指摘を待つまでもありません。財界・官界:米国の利害体現者として振舞ったことが批判を浴びて、政権を失ったこと、まだ、判っていないようです。分かっていても、彼らの人生観や人間観に基づく政治理念は変わらないと言うことでしょうか。
 その自民党を批判して、選挙戦を戦い、政権を得た民主党です。代表質問答弁での自民党への皮肉は上品とはいえませんでしたが、正直、胸焼け国民の溜飲を下げるものでした。国民と腹を同じにして、政治を進めることを改めて、求めるものです。
モモちゃん逝く
 ぼーのガールフレンドのモモちゃんが一昨日、天国へ逝きました。お見舞いに行く毎に、弱弱しくなっていました。残念ながら、食べなくなって一ヶ月、力尽きました。生き物は食べられなくなったら、やはり、一ヶ月しか生きられないんですね。父がそうでした。(犬と一緒にするな!!この親不孝者が、と怒っているでしょう)
 今日、 飼い主の90歳になるおばあさんが悲しみをこらえて散歩に出ようとしているその時に、お見舞いに行って、知りました。これからは友人と二人で散歩に出ると言うことです。午後4時頃、散歩に出て、待ち合わせをしようと約束したところです。
 もう、会えないのだと思うと、その理不尽さが悲しみに変わります。帰って、ぼーを抱きしめて、その体温を慈しみました。
 冥福を祈って、在りし日のモモちゃんとぼーの写真を、再度載せます。今年の4月下旬撮影です。

IMG_0533.jpg IMG_0532.jpg IMG_0531.jpg
ぼーのしあわせ
 朝からの雨、ぼーは散歩にも行けず、ボール遊びも出来ません。つまらなそうな顔をしているので、おやつに大好きなビスケットをやることにしました。
 朝食を出しても、愛情を確認しないと食べださないぼーですから、ビスケットを食べている最中に、キスもしてやろうとのサービス精神が湧き起りました。すると、迷惑と言うのではありませんが、特に尾っぽを振ることもありません。ビスケットと飼い主の愛情に「極上の幸福」の時を迎えるのではと想像したのですが、そうではなかったようです。
 朝「おはよう」と言えば、身体を摺り寄せて激しく尾を振る、「ご飯」というとお座りして、尾を横に180度揺らす、「散歩」の一言に吠え、走り回る。この一つ一つがぼーの至福の時なのだと知らされました。それ以外の時は、つまらなそうに見えますが、それぞれの幸せを静かに待つ「やすらぎ」と言う幸福の時なのかもしれません。
 
画像 103 画像 104 画像 105
 先日、遠出をし、リードを首に巻いて、干潟八万石のど真ん中に放した時のぼーです。走り回っている最中ですから、息が荒く、可愛いぼーよりも猛々しいぼーが写っています。


交渉上手な「宇宙人」に
 2009年、未だに、世界は新世紀に足を踏み出せないでいます。21世紀、核廃絶と平和主義に基づく国際外交は、人類が生き残るために、是が非でも実現しなければならない課題でしょう。これが日本人多数派の理解です。
 今、米軍普天間基地移転で揺れています。今後の日本と世界を見据えての交渉が必要です。そこで、憲法9条をどうするかが重要になると思うのです。改定方針なら、交渉に値しないアメリカ主導の会議に終始することでしょう。先日、ゲーツ米国防長官がいらつきを見せ「守ってやっているのになんだ」そんなニュアンスのことを言ったとか。これは、日本からの安保条約破棄が100%ないと見越しているから出来る発言です。
 しかし実は、破棄されると、困るのはアメリカの方なのです。ここが知恵の発揮どころです。まず、鳩山政権は9条保持方針を宣言します。安保条約を破棄する可能性を米国に意識させるためです。その上で、日本人の願いを乗せるのです。
 ロシアとの核廃絶交渉を始めることを安保条約継続の条件にします。その仲介を日本が取る。これが動き出せば、他にも変化が起きるのではないでしょうか。①対等日米交渉の常態化 ②北朝鮮が会議交渉の席に着き、拉致問題にも向き合う可能性が出てきます。③これを契機に、中東問題等について、日本の発言に米国が重きを置くようになる。
 もし、鳩山政権に、明治維新や戦後変革に匹敵する改革をする意志があるなら、もっと強い覚悟が必要です。アメリカの剣幕に、旧政権との約束を覆せないようではいけません。したたかな「宇宙人」が必要です。
二つの憲法改定=小泉政治の本質
 
 日本国憲法には理想が散りばめられました。しかし早くも、1953年、鳩山一郎が9条改定を主張します。実現のために、努力してもらったことがない条文です。
 一方、24条両性の平等、25条生存権、27条勤労の権利等は、改定の動きなく、政府はその実現に努力をしてきたと国民も評価してきました。ですから、憲法改正と言えば、9条改定であったわけです。そのための気付けなかったのです。
 小泉改革はバブル崩壊後の不況を打開するため、経済規制解除を政策とし、新自由主義を掲げました。その殺し文句が「自己責任」です。これでは福祉国家をやめ、夜警国家に逆戻りすると、私は批判的に受け取りました。
 しかし、小泉さんは想像を越える信念を隠し持っていたのです。生存権、勤労の権利実現も理想とすべきではないとする信念です。25条も27条も彼にとっては、改定すべき条文だったのです。
 このように言うと、そんな信念は持っていないと反論するでしょう。しかし、憲法は原理です。原理を最高待遇し、これを中心に政治を動かしてゆくことがそれを信念にする者の姿です。やれる条件があればやるが、なければしないというのは原理を己の血肉にしていない証拠です。
 以上を裏付ける報道が21日にありました。「貧困率日本15,7%先進国で最低水準」。小泉元首相は9条と同じように25条を扱っていたのです。彼が目指した、自由に飢え死にし、自殺してけりをつける「自己責任」を原理とする社会が実現しました。
 自由競争を原理とした資本主義が生まれた後、イギリスでマルクスが見た事実は、自由主義の自由とは「死に逝く自由」だと看破させました。「新」が付こうが自由主義は自由主義です。
政権交代の次は文明転換
 人間が思うがままに生きることは自然なことです。しかし、むしろそれが不自由に感じられてくるときがくるのも自然な流れのようです。この時に、人は思想を必要とするのでしょう。現在、まさにこの状態にあります。
 先進国で、ミツバチが消える現象が起きています。そんな中、フランスの養蜂家が農村から都会に巣箱を移し、成果を挙げていると10月22日付け東京新聞国際欄にありました。40%であった死亡率がパリ移動後は5%に収まり、蜂蜜収量は4倍になったと言います。彼は「どこもかしこも見渡す限り、とうもろこし畑や菜の花畑や麦畑一色、蜂にとって自然で快適な環境であるはずがない」と言います。
 これは近代的合理性が生んだ典型的な悪い例でしょう。利益をより多く上げるために、広大な農地に同じ作物を大量生産しする。これは同時に、豊かさの追求であり、他者排除の武器でもあるわけです。そのように使ってきた思想が生んだ最大の難問が温暖化です。
 ようよう、政権交代を実現した日本ですが、もう一つ、やらなければならないのが文明転換です。その方向を示すと思う名言があります。「豊かだから与えるのではない、与えるから豊かになるのだ」ここには近代合理主義とは180度違った思想が生きているように思います。
 西洋では、成功した実業家がその私財を公共のためや、個人救済に寄付する伝統的美風があります。はじめは、プロテスタントから生まれた宗教行為だと思います。そもそも資本主義がプロテスタントが説く倫理思想から生まれたという説があるくらいですから、これは正しいでしょう。近代西洋の発想では「豊かだから与える」のです。
 しかし、示した僧侶の言葉は現世的豊かさを問題にしていません。金持ちも貧乏人も与えることで人生を、生命を魂を豊かに出来ると言っているのです。現世利害と宗教信仰を一体化させたプロテスタントとは明らかな違う名言を仏教徒が言っています。新しい文明の方向をこの名言に感じます。
 
止められぬ麻薬と兵器
 今日の東京新聞国際面に、米国が超大型地下貫通弾「MOP」を開発中との記事がありました。
 今でさえ、国際委員会や国際赤十字社が非人道的として使用禁止を要求しているクライスター、ナパーム、劣化ウラン弾等があります。人間を群がる虫けらのように殺す兵器を開発す一方、新型インフルエンザへの対策を講じて命を救おうとするちぐはぐが理解できません。
 もし、記事にあるように、イラン攻撃を想定しての開発であるなら、パレスチナ問題を含めた中東政策の根本的変更が必要と見られる中、更に深刻な泥沼化が進行します。ベトナム戦争がアメリカ国民の人生や国益にどれだけ有害であったかだけでも思い出して欲しいものです。
その威力に魅せられると、頼らずに居られなくなる兵器と麻薬です。
神の手見たプレーオフ
 昨日のゴルフ日本オープン最終日、上位陣の好プレーに思わず、拍手をし、感嘆の声を上げ続けてしまいました。母も見ています。その結果の小田龍一、今野康晴、石川遼選手によるプレーオフは盛り上がりました。
 三選手は持てる技術・精神力のすべてを使い切る集中力を見せてくれました。その差は発見できません。しかし、結果は出ます。それを決めたのは、もう、人間ではないのです。プレーオフ2ホール目、各選手が放った3打はボールが神に属し、操られているかのように動いて見えました。研ぎ澄まされた人の技のすごさに魅せられ、神の業に息を呑むゲームでした。
 本日の東京新聞スポーツ欄には「女神味方に日本一」の見出しがありました。記事「林に打ち込んだ1打目がギャラリーに当たり、ボールがフェアウエーに戻った。そのギャラリーが(優勝した小田選手の)妻の優子さんだった」には驚きました。やはり神様は居たのです。
クリームシチュー
 牛乳が嫌いであった母が、最近、飲み始めました。「便秘にいい」と言いましたら、大分苦しかったのでしょう、いやいや飲みました。すると、効果があったのです。それから、飲むようになりました。
 と言うことは、クリームソースをベースにした料理もいけるのではないかと、思い作ってみました。ちょうど、テレビで料理研究家が手抜きクリームソースの作り方を紹介していましたので、真似てみました。
 普通は、牛乳を温めておいて、フライパンに大目のバターを溶かし、ふるいにかけた小麦粉を練りこんでゆき、牛乳で膨らますのですね。この時に、小麦粉の玉が出来てしまうわけです。これが面倒くさいわけです。しかし、「手抜き方法」は優れています。手抜きではなく、新方法です。シチューの具になるたまねぎ、刻んだしいたけ、にんじん、豚肉をオリーブオイルで炒め、たまねぎが透き通ってきたら、小麦粉をまぶします。すると、いとも簡単に、小麦粉が姿を消します。これを牛乳に入れてかき回し、ころあいを見計らって、ゆでたジャガイモを入れ、塩で味を調えれば完成です。
 素人でも簡単に、クリームシチューが上手に作れました。お試しを。

画像 097
無駄は社会にも
 「民主党政権に期待すること」  1位 税金の無駄遣いをやめる29%   2位 社会保障の整備25%   そして、3位に景気回復16%   直近のNHK世論調査の結果です。
 不景気の時、今まででしたら、ダントツで景気回復が1位でした。なのに「100年に一度の不景気」に際しても、1位が景気回復でないこの結果に、国民の危機意識と、社会的公正を求めるがゆえの不公平感が表れています。国民の常識を感じる結果です。
 と同時に感じることがあります。政治の世界だけでなく、社会全般にも無駄や不要なものが多くあるのではないかと言うことです。東京ー大阪を67分で結ぶ必要があるのか。一年中、すべての野菜が食べられることが幸せなのか。そのために、多くの石油を燃やすことは不要なことでないのか。小荷物が一日掛からないで着く便利さは手放せないのか。95円で買えるスリッパは必要なのか、そのための犠牲を考えずに。ネオン、深夜営業や放送、しゃべる家電製品等等。
 電力・石油に頼り、便利製品や業者にやらせて、使わない身体に、飽食、その挙句の様々な肥満対策、健康器具・スポーツジム・健康食品。このちぐはぐは高級官僚がわざわざ、50歳代前半で退職して、そのために天下り法人を作り続けている姿に低通するものがあります。このように見えるのは、私の貧乏性のせいだけではないと思うのですが、どうなのでしょう。
明治政府は試行錯誤の連続だった
 明治政府の改革は世界を驚かす成功を収めました。成功とは、目的を達成したと言う意味においてです。富国強兵・殖産興業を推進することで民族国家の独立を守らねばならないという危機感を克服したと言う意味で大成功といってよいと思います。
 しかし、順調に回り道せず、失敗せずに、成功したわけではありません。例えば、金融政策では国立銀行条例を発し、産業に資金を供給しようとしましたが、資本金の60%までしか紙幣を発行してはいけなかったので経営がうまく行きませんでした。のちこれを80%にしています。教育制度では、明治5年の学制は機械的、理想主義的過ぎて実情に合わず、実現できぬまま、12年に教育令によって廃止されました。制度が固まったのは19年の学校令によってでした。このような軌道修正は明治政府が手がけた政治組織、地方行政、条約改正、軍政、宗教政策等、多くの政策に見られます。
 試行錯誤の結果としての成功であったことは、平成の大改革にも当てはまると思います。麻生内閣は「ぶれ」て批判され、改革の道筋を示せませんでした。説明する意志も能力もありませんでした。ただ、理念と思想と、それから導き出されるビジョンがなかっただけなのでしょう。
 しかし、鳩山内閣はそうではないように今のところ見えます。そうであるなら、試行錯誤を認める用意をしなければならないと思うのです。その条件は、それに至った考え方と情勢分析を明らかにすることです。判断ミスを認め、その上で失敗を踏まえた修正策を国民に示すことです。
 国民も各分野で現実に対している人材です。理念が全てすぐに実現できないことは経験済みです。「ぶれ」とは現実を変えることが困難であるからと、改革を諦め、放棄することを言います。その意味では麻生さんは「ぶれ」ていなかったのかもしれません。彼が言った改革は、小泉さんを挟んで、さらに前の自民党に帰ることを言っていたのですから。
 明治政府は明治4年までは西郷、大久保、木戸が、それから11年までは大久保が、その後、23年までは伊藤が背負い20年以上も同じ思いで改革をやり通したのです。 民主党も我慢ですが、国民も我慢です。
台風で新聞遅延社会的了解必要
 10月9日、素晴らしい朝です。フルーツケーキと紅茶を味わいながら新聞を読みました。心楽しくも有難い一時です。
 一昨日、台風18号が列島を狙っているとのニュースを観ました。八岐大蛇が身体をひねって、襲い掛かってくるかのようです。いま、共に命を燃やしているけれど、台風一過の清々しい朝を迎えられない方が居られるだろうと、その時、思いました。
 昨日のニュースによると、死者は二名、そのお一人は新聞配達中の事故死とのこと。よく「不慮の死」と言いますが、この場合はどうなのでしょう。相当高い確率で予想できる死ではないでしょうか。台風となれば、交通機関は止まり、休校は当然と観念されています。ならば、朝刊が午後になろうとも、おかしなことではありません。
 非常とは非日常ということです。台風の中、配達を求めるのは非情というものです。そう受け止める社会的了解の必要を感じます。