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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
代替わりに徳政要求
 貧富の差が拡大しました。多重債務に苦しみ、自死に追いやられる人も少なくありません。政治は看板を見せてきましたが、重大な社会問題と捉えていませんでした。しかし、 国民を見ないで政治を行うことは自民党だけではありません。日本の歴史を見れば、そんな例の方が多いようです。
 室町時代の1428年正長の土一揆、1441年の嘉吉の土一揆を覚えているでしょうか。この土一揆、歴史に残るぐらいですから大規模なものです。要求は借金を帳消しにするという命令である徳政令を、幕府が出すことです。嘉吉の土一揆では、数万の一揆勢を前に、ついに、幕府は徳政令を出します。
 この二つの一揆には、関係地域、参加人数共に大規模であったこと以外にも、共通点があります。代替わりの時期に起きているのです。正長は、くじ引きで義教が6代将軍になった年、嘉吉は義教が赤松満祐に謀殺された直後に起きています。将軍が代わり、混乱している時を狙ったとも見えますが、それが主原因ではありません。
 中国思想の影響だと思います。天とされた皇帝が代わると、天下の全てが生まれ変わると観念されていたのです。過去は清算されるのです。ならば、借金も清算されなければなりません。天の意志を統べる将軍が、清算の一環として、徳政令を出しなさいとの要求になるのです。
 ここには大変な知恵が思想と言う形で、込められています。時間が経てば格差は生まれ出るものです。一定期間が経てば、歪み、ほころび、対立矛盾が表面化し、人々は生きずらく、先が見えなくなります。そこで、ご破算にして、勝者も敗者も、みんながやり直すことで、新たな同じ生命、意欲、希望を元手に、前を向いて歩くのです。未来を切り開く力を与えるのが徳政令です。
 それを怠ってきた自民党政治です。でも、もう、終わりました。なんとなく「いい時代が出発したかな」と思わされる政権交代です。そして、何もかもが新しく生まれ変わるのかと期待させる、新政権の足早な仕事振りです。「徳政を実行する政権」を運命づけられています。徳政令を出したのは国民、何が徳政なのか見極め、冷静な判断をして健全な世論を形成しなければいけません。
 
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文字が大きくなりました
 彼岸と言うことで、姉弟達がやってきました。電気関係の学部学科に在籍中の健史もやってきましたので、いろいろな注文を付け、パソコンの諸問題が解決しました。
 その一つが、このブログの文字が小さくて、読みずらいと言うことです。なにせ、私自体が読みずらさを感じるようになりましたから、他にも多くいらっしゃっだろうと思います。直してもらいましたが、どうでしょうか。
 健史の話では「あまり大きすぎると、画面との関係からおかしくなってしまうので、16サイズにしたと言っていました。少しでも、楽に読めるようになったのなら、うれしく思います。


 昨晩から、人が多く来たもので、ぼーちゃんはおおはしゃぎです。
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寝転んで甘えたり、ボールを欲しがり見つめたりで、健史と私との散歩も気合が入っていました。

 母も嬉しいのでしょう、元気になり、昨日までベットに寝ていたのに、今日は起きだしました。父も墓参りをしてもらい暖かな気分になっていることでしょう。日光では初氷が張ったと言います。
可愛さ変わらぬぼー
 「ここのところ、愛犬ぼー君が登場しません。どうしたのですか」というお問い合わせがある、、、 わけではありませんが、そうではないかとお察しして、今日はぼーの最近の様子をお見せいたします。

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 発情期に入り落ち着きを失いがちですが、可愛らしさに変わりはありません。昨日は夕焼けがきれいでした。
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 ぼーを連れ出し夕焼けを見ながら、、二人で(正確には、一人と一匹)黙りこくりました。ベットで夕焼けに背を向けて横になっていた母もこれを仰ぎました。

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 これが先ほどの、散歩を終え、涼んでいるぼー君です。いつまでもこのままで、と願ってしまいます。この12月25日で満10歳になります。この日は、キリストの誕生日ではなく、ぼーの誕生日を祝います。




政党助成金は企業献金の肩代わり
 森田健作千葉県知事が支部長をしていた「自民党東京都衆議院選挙区第二支部」の収入の93%が企業・団体からの献金です。自民党自体が企業献金に支えられています。
 大政党は、献金すなわち企業献金と決め込んでいます。と言うことは政党助成金がなければ、企業が献金としてその分も負担しなければならないのが実情です。政党助成金が企業負担を減らすための国家支出に見えてきます。つまり、政党が企業が負担してもらう分を、税金が肩代わりする制度が政党助成制度と言うことになります。
 これは二重におかしなことです。なぜなら、もし、近代政党としての体裁を自民党が持っているなら、企業献金は必要ないからです。近代政党は党員が居て、彼らが納める党費と、機関紙発行販売・出版物販売などの事業 (政党の理念・政策・活動を広め、支持を得るための活動) 収入で運営されるものです。しかし、自民党はそんな本質を持っていません。ゆえに、企業に頼り、企業の利害を代表する政党になります。
 このことは他の政党にもあてはまります。民主党もそうです。近代政党の要件を全て持っているのは政党助成金を受け取らない共産党だけと言ってよいでしょう。
森田千葉県知事はやはり自民党員だった
 森田健作さんが「完全無所属だった」と言い張ることが難しくなってきました。
 「しんぶん赤旗」(9月19日付)によると、「自民党東京都衆議院選挙区第二支部」(今年6月30日解散)が2008年に企業・団体から1734万円の献金を受けていたことが17日、東京都選挙管理委員会が公表した政治資金収支報告書でわかりました。この支部が2004年以降の5年間に受けた企業・団体献金の合計は1億7919万円になります。しかも、2008年同支部の収入の65%に当たる1212万円は森田氏の個人資金管理団体に流れているのです。
 森田氏は2003年に自民党衆議院議員を辞めた後も同支部を存続させてきた理由を「党勢拡大のために党から与えられた」と説明していますが、2004年以降の党費収入はゼロのままです。 2008年度の同支部の収入の93%が企業・団体献金です。党員獲得のための活動をした形跡はありません。
 と言うことは森田氏は衆議院議員は辞めましたが、今年6月30日まで、自民党員ではあり続けていたと言うことです。でないのなら、自民党に献金したと思っていた企業・団体をだましていたことになります。しかも、彼が無所属だったと言うのであれば、個人の資金管理団体に入れてしまったのですから、横領になりませんか。
 犯罪者になるよりは、完全無所属ではなかったと認めたほうがいいでしょう。しかし、その場合、公職選挙法に触れ、当選が無効になるのではないでしょうか。
酒井法子謝罪会見生放送しなかった局は
 昨日は、酒井法子さんの謝罪会見が行われました。その時間になる前から、騒わいでいるのです。これを流さない放送局があるだろうか。もしあったら、これからひいきにするぞなんて思っていたのです。6時30分でしたか、いっせいに各局彼女の大写しの画面と相成りました。4チャン、6チャン、8チャン、10チャン、しかし、12チャンは子供向け番組をやっています。NHKは通常のニュースの途中少し流しましたが、最後まではやりませんでした。
 「テレビ東京か」何でだろう!?というこよで今、電話して聞いてみました。係りの方の話では、経済のニュースを重視する方針ですから、その関係の緊急会見等があれば、通常番組に代えて放送することはありますが、芸能関係ではあり得ません。芸能関係に弱い社です。「芸能関係にあまり注目しないと言うことですか」と聞くと、「そうですね」との返答でした。
 私の記憶が正しければ、テレビ東京は教育関係の放送をすることを条件に、開局が認められた歴史を持っているはずです。それも聞きましたが、若い係りの方は、そんなことはないと言った返事でした。
 6時30分は夕食を作りながらニュース番組を観る毎日です。見たくない謝罪会見です。ですから、みんな一斉に始めたら、テレビを消すしかないと思っていたのです。他局がどうするかを確認しつつ、子供番組を観ました。
自己矛盾に気付かぬ財界
 財界がCO2削減1990年比25%案に反対を表明している。自己矛盾に気付いていないのだろう。国民世論に背を向けているところは自民政権に同じである。財界にも政権交代が必要なようだ。
 財界は小泉竹中路線と協同し、国際基準に合わせるグローバル化を言ってきた。国際競争力を維持するために、犠牲を強いる政策を自民党とタイアップして推進してきた。それを小泉さんは「痛みが伴う改革」と言ったが、痛みは国民勤労者に集中した。そのために、地方、農林水産業、関連下請け中小企業、非正規労働者を、その存続・生存を脅かすまでに追い込んだ。その中で、財界は史上最高益を上げだことを忘れてはいけない。
 その徹底したグローバル化信奉者の財界が、なぜ、CO"削減25%案に噛み付くのか理解できない。地球を小分けに見るのではなく、一つの塊、全体として捕らえるのがグローバル化ではないのか。温暖化こそ、世界は一つの見方に立たなければ解決できない問題である。ならば、財界の信条からすれば、CO"削減40%案を提示してもおかしくないはずだ。
 それとも、財界が言うグローバル化とは強い者の強い者のためのルールを世界化することなのか。それならば、CO"削減25%案に反対する理由が分かる。しかし、グローバル化が世界を一つと捉える足場を持つのであれば、他地域のことを考えて、自分の行動を選ぶ判断が全ての者・組織に求められることになる。
 今までグローバル化、グローバル化とを言ってきた者達は、実は、己のことしか考えない反グローバル化の人物なのだ。日本の財界がこの似非グローバル論者の典型である。そのことを、民主党のCO"削減25%案に反対したことで示しててしまった。
休暇は「届け」か「願い」か
 神奈川県の教師になり、有給休暇の取り方の説明を受けました。用紙名は「年次有給休暇届」でした。取得理由欄は記入しなくてよい。前もってわかっている場合は自習課題を用意してください。
 ところが、千葉県に移ってみると、「年次有給休暇願」となっています。お願いして、いただく休暇なんです。理由欄は「家事都合」と書くように言われました。皆さん何の疑問も感じていないようでした。しかも「済みませんが今度休暇いただきます」などといって教頭に対しているのです。
 ここには、権利と言う意識がありません。「いただくもの」なのです。管理職の温情によって、包容力によって認められるものなのです。「届け」と「願い」の差は大きいのです。しかし、その差が気にならず、気付いても確認しないのは権利意識がないからです。
 近頃は「権利は「わがまま」と理解されていますが、そうではないでしょう。力強き者の「我が儘」に対抗するための「力」と理解するのが歴史的には正しいのです。ある特別養護老人ホームの理事長は給料やボーナスを支給する時に、従業員にお礼の言葉を強要すると聞きます。結構、この世界、医師の一族経営が多く、医院長の母親とか、妻が理事長をやっている例が目立ちます。昔の丁稚奉公ではあるまいに、働かせていただいていることに感謝しなさいと言うことなのです。働いていただいていることへの感謝はないのです。
 こんな馬鹿なことにならないための権利です。権利と言う「わがまま」を言わないと、道理なき暴力を経営指導力と勘違いする、品性低き者にかしづくなければならなくなるのです。この場合でも「我が儘」と言うべきでしょうか。権利と言う言葉が嫌いな方には、愚かな権力者用の「知恵」と言わせていただきます。
 



 
物を大事に出来ない仕組み
 一台目のパソコンが二年で壊れ、内臓データを取り出せずに困っていました。そんな中、2005年製のテレビが調子悪くなりました。更に大分前から、ファックス付き電話機の子機が壊れています。これは地上デジタル放送対応工事をしていただくよいチャンスと思い、みんなまとめてお願いしようと、知り合いの電気店に電話しました。
 相談の上、まず、ファックス電話機の子機を片付けようとあい、なりました。すると、「10年前の電話機の子機はもうないかもしれません。それに子機は18000円から24000円なんですが、、新品のファックスは22000円のがお勧めです」との説明です。「それって、新品には子機も付いているのでしょう。「そうです」「ならば、新品の値段と、子機だけの値段が同じと言うことですね」「そうです。新品を買った方がいいのでは」「でも、電話機はまだ使えるんだよ」
 これは陰謀です。子機の値段を不当に高くすることで、買い替えを強要しようとしてると思われても仕方がありません。電話機本体と子機で22000円で作れるなら、子機は高くても5000円を越えないでしょう。
 テレビはいくらで修理できるかをメーカーに確認してもらうことになりました。13万円で買ったテレビです。修理に5万円掛かったら、新品とそんなに変わらないのではないでしょうか。デジタル放送に変わるゆえに、使えるアンテナも破棄しなければいけません。納得できないですね。
 ゆっくり会話を楽しみながら、味わいたいと思ってきたのに、味わう暇を与えずに、次々料理を持ってきては、食べ終わっていないのに料理皿を下げてしまう料理店を連想しました。パソコンはどうなるのでしょうか。
慰霊祭、9条精神が行うと
 9月11日、アメリカで追悼式が行われました。慰められた霊はテロで亡くなった人たちだけであったのでしょうか。実行犯たちの慰霊をもとは言いませんが、その後のアフガニスタン、イラク戦争で、なくなった両国市民の慰霊もしてほしいと思います。
 日本国憲法9条はいかなる戦争も起こさないという誓いです。この精神を敷衍してゆけば、戦争で亡くなった如何なる命にも悼みを表す気持ちに行き着きます。ですから、少なくとも、アメリカの国益を考えて遂行された軍事行動に巻き込まれた両国市民の霊を慰めて欲しいと思うのです。
 敢えて言えば、アメリカ合衆国による殺人死です。。テロ組織の行動兵士だけでなく、一般市民も死ぬだろうと予測できる軍事行動の結果ですから、殺人と言われても仕方ないでしょう。その死を放っておいて、9,11の死者だけの慰霊をするという姿勢に、違和感を覚えるのは9条精神ゆえだけではないと思います。
 毎年8月15日に、天皇も出席して行われる全国戦没者慰霊祭は、日本の軍事行動ゆえに、命を奪われた2000万人のアジアの人々の霊を対象にしてはいません。これも同じ理由で、放送を観ていて落ち着きが悪いのです。取り返しの付かない過ちを犯したという反省を持ち続けているのあれば、自ずから、2000万人をも対象にするはずではないでしょうか。しかし、そうはなっていません。
 全国戦没者慰霊祭は 無宗教で行われていると理解しています。ならば、外国人をも対象にして問題はないでしょう。来年からは、アジア各国の遺族をも参列してもらい「大戦戦没者慰霊祭」と名を変えて行うことがわが国のあるべき姿だと思います。
 
イチゴの花が咲き実も
 つつじが秋に咲くことにはもう慣れました。今も、数輪咲いています。しかし、イチゴの花が咲くとは思いませんでした。小さいですが実も成りました。気が付く前に、例によって、虫達が口をつけていました。
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 昨年、蒔いたにんじんが大きくならなかったので、放って置いたのです。それが今年、塔が立って、花が咲きました。それだけのことなんですが、にんじんの花って、見ごたえがあります。
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サプリメントを警戒する理由
 権力者など上位に位置するものは、下々に「イエスかノーか」「白か黒か「」無しか全てか」といった多くをそぎ落とし、単純化した、明確な返答を求める傾向が強いように思います。
 しかし、そぎ落とせない大切さを感じるから、単純化できないのが現実であり、実態であり、真実です。ですから、単純化した答えには嘘が多く入り込みます。というか嘘になります。嘘は単純ですが、真実は複雑なのです。真実は、つかみ所がなく、理解しずらい性質を持っています。ですから、誠実な人ほど、上の者への返答に苦悩することになります。
 人間の身体はあまりにも複雑、そして精巧に出来上がっています。ですから、生命とは何かを一言で説明することは不可能に近いことです。健康にも同じことが言えます。健康を保つ方法を一つにしぼることは困難なことです。
 ところが「この一粒で健康に」「100歳まで健康に生きる。そのためには毎日一杯」、そこまでいわなくても「一日のビタミンCはこれ一錠で摂れる」といった健康食品やサプリメントの広告があふれています。しかし、サプリメントでビタミンCを全て取ってしまうと言うことは、野菜や果物が持っている他の栄養素や酵素、生き物が持っている科学的分析からは発見できない人間に必要な命の素を捨て去ることでもあります。美味しさという栄養を、食べる喜びを科学は表現できません。
 これ等の広告に接すると、単純化した答えを求める支配者の無神経な強引さや、冷酷さを連想してしまうのです。言葉で表現できないほどの豊かで、複雑な、不思議世界に属する人間の命を単純化し、生命の尊さに目をふさぐ姿勢は受け入れがたいものです。
 単純明快な答えを求める支配者は人間のこころという命を観ていません。サプリメントは長生きすることを無条件に「良いこと」と決め付けています。その沿線上には「死なないことが理想」という看板が見えてきます。死ぬことも、死ねないことも人間にとって、同じぐらい恐ろしいと言う真実がみえていないようです。
殉死の禁止統治者の真意は
 徳川三代将軍、家光が亡くなったのは1651年です。その直後、老中堀田正盛・阿部重次他側近の者が殉死しました。その前、1636年、伊達政宗が亡くなった際、殉死者が15人、その殉死のためにさらに、5人が殉死したことがあったといいます。森鴎外作「阿部一族」は熊本藩主細川忠利の死にまつわる殉死を扱っています。 殉死は、武士世界の価値観に属し、美風と見なす空気があったのです。
 四代将軍家綱は殉死を無益なことと否定したのみならず、罰しました。そして、主人の死後は殉死することなく、跡継ぎの新しい主人に奉公することを求めたのです。これを聞くと、私達は近代的な合理主義や個人主義の教養から、「そうだ、その通りだ」と家綱に拍手を送るのです。しかし、家綱にはもっと深遠な意図があったのです。
 それまで、武士は主人個人に奉公するという意識が強かったのです。それを家に奉公する忠誠を誓わせる、そのように変えたかったのです。これを実現することによって、戦国時代の「下克上」の可能性を無にしたかったのです。その証拠に、家綱は、いままで、将軍との個人的な関係から、その都度、領有を認める「領知宛行状」を渡してきたのをやめて、一度にまとめてすべての大名に交付する形を採ったのです。幕府が藩に領有を認める形にしたのです。
 政治支配には形式がいかに重い意味を持つかと言うことを教えられます。そして、統治者が深遠な意図、たくらみを持って手を打つのかそのしたたかさを見せ付けられます。そうでないと強力な長期の支配はできないのでしょう。私は、やはり、非政治的人間だと教えられます。
労働の価値を重んじた古人(いにしえびと)
 貨幣が大量供給された江戸時代でさえ、米は貨幣の役割を担っていました。それは米が、「みんなが欲しがり、何とでも交換でき、蓄えられる」という貨幣(財産)と同じ性質を備えているからだと思ってきました。
 古代の税はご存知のように、租庸調です。この「調」は一般的には布でした。庸は15日間の労役でしたが、遠国には布を代納させていたのです。確かに、布はかさばらず、すぐに腐りません。皆が欲しがるという性質も持っています。布も米と同じように貨幣として扱われていたのです。
 米と布の共通点は、共に、生産過程で、多くの労働力をつぎ込むとことです。他の製品に比べて、多くの労力と手間、根気と気力を注ぎ込んでいます。もしかしたら、古代人が、米と布に価値を認めた理由は、それらに労働力が詰まっているから。その上に、作る者の命が込められている。だから貴く価値があると理解したからではないかと、思えてきたのです。。
 とするならば、マルクスを待つまでもなく、古代日本人は、いわゆる「労働価値説」を採っていたことになります。いや、労働価値説よりも深遠な思想を含んでいます。自然と厳しく向き合っていた彼らです。当然、生まれ出る認識であったのかもしれません。
 しかし、現在、相場の上下の隙を突いた利益を価値とし、経済格差を価値の源泉にする経営者が力を得ています。働けば働くほど貧しくし、格差を拡大してゆく仕組みも作り上げてしまいました。
 労働力に格差をつけることは命に格差をつけることに同じです。労働を貴いと感じ、お互いの労働を尊敬し合う伝統こそ大切にしなければいけません。日本的伝統とマルクスの学説は「命の平等」でつながっているようです。
十七条憲法の現代性?
 聖徳太子作とされる十七条憲法、近代憲法とは性格を異にします。豪族・官僚の服務規程、道徳的訓戒というべきものです。
 「和を以って貴しと為し」が一条ですから、これが一番言いたいことです。無理もありません。天皇が暗殺されたのですから。物部氏と蘇我氏との激しい争いもありました。ならば、これ以下に挙げられていることの「反対」が、当時よくあったことなのだと見ていいでしょう。
 「訴訟を公平に行うべきこと」「各自の職掌を守るべきこと」「信を義の根本としべきこと」「国司・国造は百姓から税を不正に取らないこと」「官吏はその官司の職掌を熟知すべきこと」「他人を嫉妬しないこと」「私心を捨て去ること」「人民を使役する際には時節を考えるべきこと」「物事を独断で行わず議論すべきこと」
 今も昔も変わらないことが良くわかります。特に、信を義の根本となすべきこと。私心を捨て去るべきこと。現代の政治家・役人にも17条憲法を。  
父の思いを今知る
 亡くなった父の夢をよく観ます。その朝は、想い出が蘇ってきて仕事になりません。
 子どもの頃、家族で上野に行き、公園に入ると、白い入院服を着た傷痍軍人の一団に出会いました。ある人はアコーデオンを弾き、両手両足を失った人は、それをすべて地面に立てています。近寄りがたくも、苦しそうな姿に心が痛みました。
 すると、父が黙って、10円玉を握らせたのです。その時は、私の思いを察してくれた父が大きく見えただけでした。しかし、それから50年、まったく違った気付きをするのです。
 父は、同じ戦争体験者ゆえに、直接、彼らに施せなかったのです。五体満足に帰ってきた後ろめたさからです。今から思えば、彼ら絵の誇りへの配慮もしていたのです。私の後に、他の兄弟にではなく、父は母に1000円札を渡したのです。こどもから高額な施しを受ける彼らの気持ちを慮ったのでしょう。(当時ラーメンが30円でした)
 今までとは違ったドラマとなって再鑑賞する父との想い出は、幾つにもなりました。そして想うことは、父がつらい経験と真摯な生き方の結果、「人」となったということです。その偉さを死後知る、愚かなことです。