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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
民主政権を占う非核三原則
 『言っていることと、やっていることが違う』自分に気付くと、自己嫌悪になり、他人にそれを見ると苛立ち、信頼しなくなります。その他人の代表格が『政治』であり続けてきたことが、自民公明惨敗大激震のマグマであったと思います。
 振り返ってみれば、行政改革は省庁再編、名前を変えただけに等しい。今、雇用を守ると言っている人物が非正規雇用を作り出す法案成立に加担していた。福祉を看板にしている政党がそれを壊しておきながら『福祉を守る』と言える。『高齢化社会』と騒いだのは、政治が『準備をがんばりますという覚悟の表明』と思わされたが、実は、貧乏人に『自己責任ですから、覚悟しなさいという警告』であった。そして、極め付けが『非核三原則』が偽りであったということでしょう。
 麻生政権は、核持込を日本が了承する密約はなかったと言い続けました。変わるどころか、悪い体質を強化していることを見せ付けたのです。その最中の選挙でした。ですから、民主党政権が言動一致政治を行うかどうかを、国民は注視しています。それを占うのが『非核三原則』問題です。これは今後の日米関係を視野に入れた決断を伴い、それこそ覚悟を問うのです。
 佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞理由を『非核三原則』とするのが一番妥当な解釈です。世界に対して『言動不一致』を見せ付けてはいけません。『非核三原則』を国是とし、密約解消を求める外交力を見せて欲しいものです。『非核二原則』なら、自民党政権でも出来ることです。
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憲法9条、百年後の預言者
 日本国憲法9条は、日本を再び軍事的脅威としないために、アメリカが押し付けたとする見方があります。これは、どうも、憲法制定当時のアメリカ記者マーク=ゲイン氏の『ニッポン日記』が大元のようです。日記は『戦争と軍備を放棄する条項の規定はもともと、マッカーサー元帥自身によって書かれたと見なす充分な根拠がある』と言っています。
 一方、マッカーサーは自身の回想記で次のように言っています。「戦争放棄条項は私の個人的な命令で日本に押し付けたものだという非難が、実情を知らない人々によってしばしば行われている。これは、次の事実が示すように真実ではない。(1946年昭和21年)1月24日に幣原首相が訪れてくると、彼は、しばらくためらった後で『新憲法を書き上げる際に、いわゆる戦争放棄条項を含め、その条項では同時に、日本は軍事機構は一切持たないことを決めたい』と提案した。・・・・私は腰が抜けるほどおどろいた。・・・戦争を国際間の紛争解決には時代遅れの手段として廃止することは私が情熱を傾けてきた夢だった。・・・・私がそういった趣旨のことを語ると、今度は幣原氏がびっくりした。氏はよほど驚いたらしく、私の事務所を出る時には感極まったといった風情で、顔を涙でくしゃくしゃにしながら、私の方を向いて『世界は私達を非現実的な夢想家と笑い嘲るかもしれない。しかし、百年後には私達は預言者と呼ばれますよ』と言った。」
 これほどとの美しい話を私は知りません。一国の総理大臣と、世界最強の軍隊を率いる最高司令官が隠し持っていた理想を、最も現実的でなければならない立場であるがゆえに、恐る恐る口にした。背負うものが大きすぎて、身構えなければならない、老境に入った二人の男が、裸の人間に返って、笑われるかもしれないという恐れを少年のような勇気で振り払って言ってみたら、相手も同じ思いを隠し持っていた。その驚きに涙し、感謝し合った。二人の立場ゆえに美しさが引き立ちます。
 今の日本の政治家は、立場ゆえに、理想を語れないのではなく、理想そのものがないように感じます。正確には、小泉・安倍・石原さんたちのように、理想は未来にあるのではなくて、過去にあるのです。それも過ちを犯した過去に理想を見るのです。美しい話から63年、あと40年で100年になります。二人を預言者にしたいと思います。


追加
 1945年10月から、国務大臣松本じょう治が中心に、憲法改正に着手しています。46年2月1日にその内容を毎日新聞がスクープします。つまり、美しい話の一週間後です。マッカーサーはあまりに保守的内容だったので驚くのです。マッカーサーノート(草案)は2月13日に日本政府に提示されています。9条は幣原喜重郎さんとマッカーサーの合作であると言えます。先に言い出したのは幣原さんです。マッカーサーが押し付けたというのは大きな過ちです。
投票出足好調に複雑な想い
 食事を摂り、関口さんの「サンデーモーニング』を観て、投票に行ってきました。毎回この時間に行くのですが、投票場の賑わいが何倍か違うのです。しかも、若い人が目立ちました。我が地域の投票率は、間違いなく、高くなるでしょう。もちろん歓迎すべきことです。
 同時に、これは政治への不満不安の現れです。生活が苦しい等の、地域住民の抱える問題が深刻であることの結果でもあるのです。そう思うと、複雑な気持ちになりました。さらに、生活が苦しくならなければ、政治に関わらない、関わりたくないという市民が民主主義を支えられるのか、という感情も浮かんできます。
 政治は関わりあいたくなくても、向こうからやってきます。税金・国民保険料・国民年金保険料の納入要請書、確定申告催促文書、集団健康診断日程表、市広報など、次から次とやってきます。戦争が始まれば、『赤紙』もくることになるかもしれません。逃げたくても逃げられない政治です。
 政治から逃げる姿勢は他人と関わりたくないという生き方から生まれてきます。政治への関心は、突き詰めれば、他者への関心の高さに比例して、高くなると思います。自分が苦しいから政治に関心を持つと言うのは、厳密に言ったら、政治的関心ではありません。自分への関心です。
 自分しか見ない、見えない、見ようとしない市民が成す社会からは、自分のことしか考えない政治家が生まれます。地域の仲間の問題を自分の問題として受け取るべきなのでしょう。そういう全国の動きが政治を変える遠回りのようで、一番の近道のような気がします。
 
芸名と本名使い分け
 新聞に「9月1日防災の日」の広告が出されていて森田健作千葉県知事があいさつ文を書いていました。テレビなどでも、「森田知事」と呼んでいます。
 6月にやらせていただいた「経済センサス基礎調査」では「調査員証」を首から提げて、各事業所を回ることを義務付けられていました。中には、「身分証見せて」と言う方もいらっしゃいました。お見せすると「この証明証古いんでないの」と聞くのです。。「鈴木栄治って森田健作の本名です」千葉県知事が任命する臨時採用千葉県職員なのです。どの方も鈴木栄治=森田健作と知りませんでした。もちろん私もです。
 芸名を政治家としても使うことは法的に問題はないのでしょう。それでしたら、公の公文書等にも「森田健作」を使えばいいのではないかと思ったしだいです。自民党員なのか、無所属なのかもはっきりさせず、森田健作と、鈴木栄治をも、使い分けています。彼の生き方なのでしょうか。筋とか道理に無頓着な人物なのでしょう。政治家としてはもちろん、人間としても信頼できないタイプです。
ぼーは両目ウインクできることを知る
 題名の通りなので、足し加えることがないんです。今までの中で、最短のブログになるでしょうか。ちなみに、私、左目はウインクできるのですが、右がだめなんです。子供のころ、劣等感に苦しみました。あと、足の指を別々に動かせないことも気にしていました。私、足の親指を動かそうと思うと、他のすべての指が動いてしまうのです。しかも、ウインクで、犬に負けています。
愛と不安が生むアイデア
 日本人にとって愛は、口にするものではなくて、行うものです。第一、気恥ずかしくて、口には出来ません。さりげなく、気付かれないように行い、表現することを美しいと感じる文化を愛する、それが日本人です。
 その日本人に、国への愛、愛国心の表明を求める教育基本法改悪を行った首相がいました。反日本文化的愛国者です。愛が行うものなら、愛とは何をすることでしょうか。それは、突き詰めれば、アイデアを出すことだと思います。
 教育基本法改定を改悪と判断する私ですが、日本が好きです。日本に生まれ、死する事を願います。ゆえに、アイデアはいくらもあります。課題山積のわが国です。直近では、雇用、社会保障、医療、介護、教育挙げれば切がないでしょう。将来的には、環境、資源エネルギー食料問題が不安でたまりません。
 環境・資源問題を想い、一つアイデアがあります。繊維、木材、金属、石油、化学などの素材メーカーに、その製品のリサイクル技術開発部門と、リサイクル事業部門を本社直属に持つよう義務付けることです。いくらでも輸入できる時代は、そう長く続かないでしょう。その時に、高いリサイクル技術とその事業があることは質の高い安全保障にあることでしょう。
 食料にも同じことが言えます。いくら金を積んでも売ってもらえない時が近づいているように思えます。自給率を維持し、向上させることは急務です。これにもお金がかかります。仕事がないにもかかわらず、あるいは、仕事を業者に丸投げして、管理手数料とかいって、相当の収益を上げている天下り法人に税金を使っている場合ではありません。5兆円の軍事費より、一兆円の農業振興費の方が安全保障費の名に値します。
 安全はただでは手に出来ないと軍事費を使ってきました。それを国民は容認してきました。それはそれでいいと思います。しかし、もっと切実な、命の問題である「食料確保に負担を」というと、嫌な顔をするのでしょうか。私は農業保護に五兆円掛けても文句は言いません。
北朝鮮の脅威
 麻生さんが政見放送で「北朝鮮の脅威」を口にしています。一国の首相として、軽率だと思います。行き詰まり、微妙な状態にある日朝関係を思えば、あえて言うべきことではないと思います。それよりももっと重大なのは、この言葉が、両国関係を改善してゆこうと言う思考も態度も意志もないとの告白になってしまっていることなのです。
 確かに、北朝鮮が核兵器を保持することは、不安です。やめて欲しいことです。しかし、保持を、なぜすぐに、「脅威」と認識してしまうのでしょうか。それは私達が「怖い人」と認識する人物との間に、一線を引いてしまうのとに似ています。こちらからは関わりたくないという気持ちを持ってしまい、出来れば居て欲しくない、排除の感情が働くことと同じです。このような思いからは積極で建設的な日朝政策は生まれてこないでしょう。
 アメリカの核を脅威と感じないのは日米安全保障条約があるからです。昔ならいざ知らず、今、中国の核を脅威とする人はごく一部ではないでしょうか。それは、1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約、その後の経済・文化等の民間交流の努力の結果です。
 現在、北朝鮮とわが国は、未だに、戦前を解消していません。国交も開いていません。韓国との間には、1965年、日韓基本条約を結び、賠償(5億ドル)も済んでいます。まずは、「戦前」を終わらせることが大切です。賠償に1兆円使うことの方が、国防費に5兆円使うより、日本の安全を保障するのではないでしょうか。
 私にとって、安易に「北朝鮮の脅威」を口にして、国民の不安を煽る政府の方が脅威です。「脅威」を言い、核ミサイル迎撃システムを莫大な税金を使ってでも、開発装備の必要があると、国民世論を導こうとする政府が脅威です。
大差ないマニフェスト、ならば
 各党のマニフェストが出揃ってみたら、差がなくなっていました。特に、自民、民主に基本的大差を発見できません。ではどうしたらよいのでしょうか。
 現状に責任がある政党は論外です。テレビ広告で「社会保障を充実、雇用を安定させ、安心生活を実現」これらを壊したその張本人が、平気な顔をして、言っていることにはあきれるしかありません。国民の多数派がこう見ていることは世論調査から明らかです。
 社会を揺るがした事件はいくらでもありました。マンション偽装から始まって、年金偽装、政治家の失言失態はかず知れず。それらの中で、今を作った根本は何なのでしょうか。①一部職種に限っていた派遣労働法をほとんどの職種に拡大したこと  ②高齢化社会に向けた対応をせず、逆に、社会保障費の増加分を毎年2200億円削る決定をしたこと  ③地方交付税を減らしたこと  ④仕事の精査・取捨選択を行い、それに伴う官庁機構・公務員改革、地方分権を怠ってきたこと  ⑤教育予算を削り、その充実、教育機会の保障をないがしろにしてきたこと ⑥憲法9条の理想実現に向けた努力をしてこなかった、これぐらいに絞りましょう。
 では、民主党はこれ等の政策が提案された時、どのような姿勢を示したのでしょうか。私の記憶では ①の改悪には賛成 ②について、後期高齢者医療制度にも賛成したと思います。③については記憶がありません。残りについても、積極的に発言し、改善を党方針とはしていません。特に憲法9条の精神を維持発展させる意思はありません。その意味で、民主党は与党を批判する資格がないのです。
 資格があるのは共産党と社民党だけではないでしょうか。与党の政策を進めれば、いまの状況を生むと警告し、反対したのはこの二党だけだと思います。そして、今、自民や民主が言い出した政策を共産党はずっと前から掲げてきています。その意味で自民の対抗勢力、これに代わる資格と意味をもつ政党は共産党と社民党です。ゆえに、政治勢力を次のように分けるべきです。自民・公明・民主 対 共産・社民 です。
 以上のように今の政治状況を見ます。戦前、立憲政友会と立憲民政党という二大政党がありました。この二党、基本的政治体質は一緒です。その中で、普通選挙法実施によって、国会に進出した少数党を弾圧したために、真の対抗軸が生まれる可能性を奪ってしまったのです。その後は全会一致を理想とする議会となってしまいました。対抗軸を見誤ることは、国民の生活にとって、大変、危険なことだと教えられます。
明治の大隈重信、平成の鳩山邦夫
 「開拓使官有物払い下げ事件」「明治14年の政変」を覚えているでしょうか。高校日本史で習っていると思いますが、もう何十年も前のことですね。必要があって、高校の日本史学習参考書を読んでいいましたら、最近似た事件があったなと気付いたのです。
 「開拓使官有物払い下げ事件」とは北海道開拓使長官黒田清隆が国費1400万円をつぎ込んだ事業を政商五代友厚に39万円で払い下げようとしたことに始まります。これを民権派が攻撃しました。政府内部でも、大蔵卿の大隈重信が問題としました。黒田と五代は薩摩藩出身です。癒着が疑われたのです。
 結局、政府は払い下げを白紙に戻し、黒田ではなく、大隈を罷免しました。本来なら、払い下げが取りやめになったのですから、処分されるのは黒田であり、大隈ではないはずです。背後には伊藤と大隈との主導権争いがあったのです。
 もっと、突っ込めば、こうです。もし、黒田を追求すると贈収賄事件が表ざたになります。そうなれば、黒田を罷免することが政府の責任になります。黒田を切ります。そうすると黒田は政府高官達の贈収賄の事実を暴露しかねないわけです。ゆえに、黒田を処分できない。せっかく抑えた民権派を盛り上げてしまった大隈が悪い。よい機会だから、政府から追放してしまおう、と言うのが事実に一番近いようです。
 前総務大臣鳩山邦夫が大隈に見えてきませんか。官有物が郵政公社、1400万円が250兆円の金融資産、西川善文社長が黒田清隆長官に見えてきます。共通点は、まともな政治的態度を取った者が解任されたことと、政府が国民への責任を感じていないことです。
 
配慮足らずのボルト選手
 ベルリンで開かれている陸上世界選手権大会に注目が集まっています。特に、世界最速の男は誰なのか、世界新記録が出るのか、男子100mは陸上ファンならずとも、気になるところです。
 昨日、一次予選があり、ウサイン・ボルト選手は、らくらくと、予選通を過しました。さすが、世界記録保持者です。しかし、その「らくらく」なのです。以前の競技会の時にも、張本勲さんは「流してゴールするのはスポーツ選手としてよいことではない」といっていました。「一流選手だからこそ、全力を尽くしてスポーツはやってもらいたい」「皆が世界新記録を期待しているのだから、あれはない」等の意味ではなかったかと思います。
 私も良いことではないと思います。一番、気になるのは「目いっぱい走っている他の多くの選手への配慮がないことです。必死に走っているのに、彼には勝てない他の選手を思い至らない幼稚さです。一生懸命に走っている選手への尊敬の念に欠けていると観られてもしょうがないでしょう。
 高校野球では、大差が付いたからと、いい加減にプレーするチームを見かけません。私、ソフトボールの顧問をやらせてもらいました。大差が付いた時こそ、一層、真剣にやるように指示しましたしたが、言われるまでもなく、生徒はその意味を理解して、自ら、そうプレーしました。ボルト選手への、受け入れがたい違和感の正体は、自分の才能への自惚れからくる傲慢さではないでしょうか。それが他の選手への配慮が出来ない卑しさを生んでいるのです。
 
また安倍さんNHKに圧力
 4月5日放送の、NHK「シリーズ・JAPANデビュー第一回『アジアの一等国』」に対して右派勢力が抗議行動、「NHK解体」を叫ぶ1000人で渋谷のNHK 放送センターが囲まれました。しかも、100人ほどが乱入したとのことです(しんぶん赤旗8月13日、以下同じ)。
 一方、安倍元首相、あの泥酔会見の中川昭一元金融相等が「公共放送のあり方について考える議員の会」を設立し、インターネットで集めた8000人の原告が「番組は一方的やらせ取材で、放送法違反」だとしてNHKを集団提訴したのです。国会議員らは8年前「慰安婦」を扱った番組に圧力をかけた面々です。BPO、放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が4月28日、NHK 幹部が安倍氏と面談し、番組について説明したことは「公共放送の自主・自律の理念を危うくしている」との見解を示していることを考えると異様なことです。
 この一連の動きを報道した新聞社があったのでしょうか。少なくとも、東京新聞はしていません。テレビ局もしていないと思います。民主主義を根底から脅かす動きについては、報道各社は明確な批判を行うべきだと思います。それをしないことは、自分の首を絞めることになるし、民主主義、政治的自由主義を守る報道機関の使命を放棄していることです。大きな危惧と不安を覚えます。各報道機関団体、その労働組合は上の動きに対して、今すぐに、団結して抗議しなければいけません。
 NHKはここのところ、意欲的な番組を作っています。今週日曜日から火曜まで夜10時から「海軍反省会」と言う番組を放送しました。右派政治家、右翼団体を意識したら、作れない番組です。昭和53年から平成3年まで、元海軍OBたちが毎月一回400時間に及ぶ会議を開いた、そのテープがあるのです。それと、生存されている関係者やその家族を取材しています。第一回は「なぜ、日米開戦を回避できなかったのか」二回は「特攻作戦をどうして行ってしまったのか」三回は「東京裁判から海軍組織と関係上層部を守ったか」
 この番組も右翼に断罪される可能性があります。NHK はもちろん、他の報道機関も、この予想される圧力と戦わなければなりません。それを退ける国民世論がなければなりません。「殺されたくない、殺したくない」という、人間性・摂理どおりに生きるられるためには、避けて通れない努力です。
 しかし、インターネットで8000人の原告が集まったこと、薄ら恐ろしいことではないですか。ネット右翼の存在を見せ付けられます。私も以前それらしき人物から執拗なコメントが入ったことがあります。また、改憲論の矛盾を指摘した文をこのブログに書いた時に、皮肉と悪意が込められたコメントをもらいました。
 彼ら右派勢力には、間違ってはいますが、強い確信があり、団結交流しています。それに対して、民主勢力や民主主義を価値とする国民は人権・平和主義を空気のように感じているのではないでしょうか。現実が確信と大きく離れている右派の人たちは我慢ならないだけ、真剣です。それに対して、われわれ国民は、生まれながらに「人間は死ぬ」と同じぐらい確かなことと理解しているだけ、民主主義や人権や平和主義がなくなるとは思えないでいるのです。
 しかし、命が、毎日、食物を摂り、再生産されているように、民主主義や平和にも、毎日、命の素を注ぎ込まなければいけないはずなのです。ちょっと、熱く語ってしまいました。

 
よい経済制裁悪い経済制裁
 北朝鮮に対する経済制裁が国連決議に従い行われている。今日も、アメリカが核兵器開発資金を絶つという目的で北朝鮮の資産を凍結したと報道された。この報道から二つのことが浮かんだ。
 北朝鮮の核開発を抑止することには賛成だから、経済制裁は正しい。ここまではそう思う。しかし、北朝鮮国民の命は経済制裁の対象ではない。経済制裁と、餓え苦しむ多くの人たちを救う行動は両立できないのか。たとえ、そうだとしても、あまりにも自明のことと、国際社会は経済制裁を考えていないか。ちなみに、先進各国に一番やって欲しい経済規制は「武器輸出禁止」である。だが、大国は国益に反することはしない。
 もう一つは、戦前、日本が受けたABCD包囲網という経済制裁についてである。太平洋戦争は、この経済封鎖から自国を守るための防衛戦争であったと言う歴史認識がある。当時わが国は、中国の主権侵害を止めよとの、国際社会の要求を無視し続けた。核兵器開発をやめよとの国際社会要求を無視し続ける北朝鮮は当時の日本とそっくりである。
 だから、上の歴史認識を持つ人たちは北朝鮮を理論的に援護するはずなのだが、そうではない。彼らは、むしろ、強硬に北朝鮮攻撃をするのである。思い余って、日ごろの持論である核武装論を北朝鮮憎さから言い出す始末である。この矛盾に気付かずに、アジア太平洋戦争を防衛戦争と言ったり、西洋からのアジア解放戦争だといい続けている。
 アウンサン・スー・チーさんのお父さんはビルマ独立運動の英雄である。彼は日本軍によって軍事訓練を受け、イギリスからの独立を実行しようとした。日本軍がイギリスを敗退させた後、日本がとった行動を見て、反日本になった。この事実は日本が解放勢力ではなく、侵略勢力であったことを如実に示している。
 64回目の敗戦記念日を正しい歴史認識を持って、迎えたい。その上で、今後の日本のあるべき姿を描き、とるべき行動を選ばなければいけない。我々日本人は尊厳を守り合い、幸福の内に生きたいと思っている。同じように、北朝鮮国民もそう思っている。それを忘れてはいけないと思う。
時事川柳
 昨日「土下座して 先に謝る  立候補」と時事川柳を作りましたので、東京新聞に投稿しました。5句まで送れる規定になっているので、後二つ作りました。


    クリントン   拉致被害者      置き忘れ



    二を三に   今度はわざと     間違える


 非核三原則が実は、二原則であり続けてきたことが判っても、認めない麻生さんです。いくらでもねたがあります日本の政治、と言うところです。

 今ひとつ出来ました。

     結党も    選挙資金に     左右され     

 これもちろん渡辺氏のことです。


 
候補者の土下座見苦しい
 テレビを観ていましたら、総選挙候補者の様子を紹介していました。演説会で、土下座してお願いしている、泣いた(ふりの)顔を見せて支持を懇願している姿が何人も写し出されました。見苦しいの一言です。
 そもそも、頭を下げてお願いする性質のものではありません。政治姿勢と基本となる政策を説明して、支持を求める場が演説会です。聴衆からすれば、演説を投票行動の参考にしようと来ているだけです。それを泣いてお願いされても困ります。
 政治家の資質の一番は弁舌のうまさです。説得力です。それは聴衆の知性と理性に訴える力ともいえます。それを感情に訴えることは、己の政治家としての能力のなさと、聴衆の理性を見限っているともいえるのです。総じて、人間的良識と品性に欠けていることを、自ら暴露しているのです。それにさえ気付かない愚か者だということです。
 土下座とは、一般に、謝る感情が激しい時に、自ずとしてしまうポーズと理解されています。よく政治家が失態から謝ることがありますが、なにもしない前から謝っているのは練習か、それとも、何も出来ないことを見越して、先に謝っているのでしょうか。

   
        土下座して    先に謝る       立候補  

 日本の政治家の人間的未熟さと人格的欠陥を見せ付けられる国民です。とにかく、一度でも土下座したことがある候補者を当選させてはいけません。彼らは国民を馬鹿にしているのですから。きっと当選したら権威をちらつかせ、有権者の前で、鼻持ちならない醜態を演じるでしょう。 
母、子供向けまんがを選ぶ
 母は、足が悪く外出できないゆえに、洗濯等の家事以外は、テレビ視聴が生活の中心です。
 先日、母が子供向けまんがを観ているので「子供に返るというのは本当なのだ」と思いながら「他にないの」と聞くと他は「騒がしいだけで、訳が判らない」と言います。すばやく、他局を見回しましたが、そのとおりでした。スタジオでのタレント芸人達の宴会を放送されても困ります。大騒ぎで言葉が重なり、何を言っているも判りません。
 その点、まんがにはストーリーはもちろん、人間や人生を見据えた味わいや、メッセージがあります。それに共感もできます。本来なら、大人向けに作られた番組を見るところですが、それがない時間帯は、漫画を選ぶことになります。
 大人が本来なら見ないだろうマンガにさえ、勝てない番組は番組に値するのでしょうか。暇な老人だから何でも観ると、見くびってはいけません。家でテレビを観ることしか出来ない人がいるからこそ、質が高い番組を作って欲しいと思うのです。母はNHKにチャンネルを合わせることが多いです。
大企業は一次産業に参入しない
 農家の従兄弟は「大企業は米作、酪農、水産、林業はやらない」と言います。だから、農家の後継者を育てる政策をしないことは、自給率について食料をエネルギーと同じ運命に決定付けることになるも言うのです。
 現在、農家は利益がないどころか、1表に付き、千円札を数枚つけて、出荷しています。大企業が大規模経営をやっても、人件費や、農業器具資材が高い日本では、投資に見合った利益を出せないと読んでいるのです。完全自由化すれば、採算も合わなくなるでしょう。
 これは酪農、水産、林業にも当てはまるとも言います。確かに、昔、大手の水産会社も、魚を水揚げしていました。しかし、今、大手は外国産水産物の輸入、その加工品である缶詰、冷凍食品等へ大きくシフトしています。牛乳を生産しているのは酪農農家であり、大企業はそれを集めて、製品化しているだけです。
 大企業は、厳しい労働を経営上惜しまずにやる個人経営に生産させ、決して、社員にはさせません。させたら採算に合わないからです。これはコンビにも言えそうです。もし、コンビ二経営者を社員としたなら、会社は出店投資をしなければならず、多額の給料をコンビ二経営者に払わなければならないから、経営が成り立たないのでしょう。
 従兄弟の話には、農村地域社会で生き、米生産現場を40年見てきた確かさがあります。大企業は儲からないことには手を出しません。ならば、第一次産業生産の自給率を維持し、さらに上げるためには、今の生産者を国が支援応援し、彼らの生産能力を向上させなければいけないのです。
 自由競争原理や農業過保護批判に乗っかっていたら、消費者は将来、非常に高い食料を買わなければならず、飢える危険性も充分考えられます。国家的コストを必要としますが、将来の安全のためにそれを負うことを覚悟しなけならないと思います。少なくとも、5兆円の国防費よりも使う意味があるコストでしょう。
広島平和式典を愚弄した首相
 広島原爆の日、平和式典にチャンネルを合わせました。プラハオバマ発言を受けて、どんな平和宣言がなされるか注目したのです。
 秋葉市長は核廃絶を願う者が世界の多数派であるとし、オバマ支持である我々は「オバマジョリティー」だと言うのです。なかなかのセンスです。市長の、言葉通りの核廃絶への思いが伝わる平和宣言でした。
 一方、麻生首相は「非核三原則を堅持し、核廃絶に向け、国際社会の先頭に立つ」と約束しました。しかし、元々なかった非核三原則は堅持しようがありません。この約束は破るまでもなく、生まれながらの嘘なのです。もし約束が言葉通りなら、すでに、緊急会見を開き、国民に謝罪し、密約破棄の方針を示しているはずなのです。首相は被爆者国民を愚弄したのです。
 しかも、その日のうちに、北朝鮮をけん制ため米国の核の下にいることは堅持する、などと発言しました。「核廃絶の先頭に立つ」国がアメリカの核を当てにするでしょうか。町の暴力団をすべて解散に追い込むと言っておきながら、脅してくる暴力団を抑えるために、他の暴力団を頼るようなものです。頼った暴力団に解散しろとはいえません。
 あの田母神氏は「核廃絶は絶対にできない。夢物語に過ぎない」「日本も核武装を追及すべきだ」と、よりによって、この日、広島で語りました。一方、核実験場であったカザフスタンは核廃絶を国是としました。世界の被爆者は連帯して、世界に核廃絶を訴えています。魂を乗せた言葉で覚悟を示せない政治家や、勇気と挑戦の方向が的外れな軍人をかまっている場合ではありません。
遺跡で政治をする自民党に能力なし
 ここ数人の首相時代に、意味と価値を創造できずに、遺産を食い潰してきた自民党である。いまや、命を欠いた遺跡の中で政治をしている。もはや、政治に値しない。
 非核三原則密約問題の対応はその象徴的事例である。米国政府の情報公開、当時の日米双方担当者が認めているのに、日本政府だけがなかったと言っている。ゆえに何もしない。核が持ち込まれていることを政治の対象としない。しないで済ますために認めないのだ。
 密約が確かな事実になる前までは、非核三原則は遺産ではあった。しかし、いまや、遺跡の遺物になりはてた。その遺物を使って未来を切り開き、創造しようとしているのである。
 同じことが他の分野にも見られる・自民党に政権担当能力はない。政権投げ出し、資格もないのだ。これ以上悪くならないんだから、他党に任すしかないが、良くなる期待が持てない。悩ましい選挙が、切ない国民である。
涼しい夏虫たちは元気
 涼しい日が続きます。雨の降りすぎで作物がよくないようです。我が家の期待のホープ、すいかも元気なくなってきました。三号君は色が白く、黄色くなっています。病気でないでしょうか。心配しています。
 そろそろ食べようかと思っていた、庭のトマト、やられました。カナブンです。枝豆の葉を食べつくしたのも彼らです。昨年はカナブンはトマトには手を付けなかったのですが。

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すごい食欲です。一個100グラム以上あるだろうトマトの半分近くを食べてしまっています。美味しいのでしょう。そう思うと口惜しいです。

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そこで、畑のミニトマトが赤くなっていましたので、食べられる前に、収穫しました。晩飯のカレーチャーハンにサラダを付けました。サニーレタスとピーマンとミニトマトです。一応すべて自家製です。脇にあるのはゴマドレッシングの牛乳割です。レタスがあくがあると言うか苦かったですが、トマトは甘く、ピーマンは香っていました。恥ずかしながら、写真は食べている最中のものです。
昔「お国」のために、今「国際競争力」
 自民党マニフェストの中に「十年で手取り百万円増」が約束されている。が、識者の意見は手厳しい。
 東京新聞記事、作家佐野眞一さんは「なんの根拠もない。自殺者がどんどん増えているのに、貧困問題に触れておらず、切迫感が感じられない」経済ジャーナリスト荻原博子さん「マニフェストをよく読むと『女性や高齢者の社会参加により・・・』という前置きがある。みんな必死で働いて、それでも給料が減っているのに、『とにかく家族で働け。そうすれば所得が増える』と言っているだけ」と意見をおっしゃっています。同感です。
 アンバランスは、必ず、ひずみ、ほころびを生みます。戦中「お国のために勝つまでは我慢」が道徳化され、標語は「贅沢は敵だ」のポスターが貼られました。しかし、国民の本音は「敵」の前に「素」を書き加える小さな抵抗に表されました。この不自然な非人間的強制の結末は言うまでもありません。
 今、我々は同じ性質の標語を倫理化させられていませんか。「国際競争力維持のために我慢」水戸黄門さんの印籠のようです。しかし、今の「黄門さま」は弱いものを助けるために印籠を使いません。「国際競争力だ」と言って、春闘は賃金を下げの場と化しました。その他、非正規雇用の拡大、名だけ管理職、過労死の放置、いじめ退職、そして、下請けいじめ、契約加盟店支配、社会的費用負担逃れのための消費増税要請等、切がありません。
 財界大企業が史上最高益を更新している時すでに、庶民は疲弊していたのです。この経済格差、このアンバランスを作り出したの標語が「国際競争力維持のために我慢を」です。同じ標語を唱え続けている自民党に「100万円増」はできない相談です。