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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
実態把握になているのか政府省庁発表
 戦前の「大本営発表」が国民をだます意図を持っていたことは間違いない。では、現在の政府官庁発表はどうなのだろうか。非正規雇用者の解雇が昨年10月以来22万人、完全失業率5,2%、有効求人倍率0,44倍と発表された。しかし、仕事をしたくても仕事がない人の全てが、この資料には現れていないと思う。
 22万人は大企業とその関連企業だけの資料ではないだろうか。それ以外の企業が解雇した人数は入っていないように感じる。実際は研究者や、共産党が言うように、この二倍から三倍になっているだろう。それを窺わせる話はすでにさせてもらった。
 勤労者に占める、求職者の割合である完全失業率は、確かに、5,2%だろう。しかし、雇用先がなく、求職をあきらめてしまい、統計に入らない人は相当数いる。仕事が回ってこないから休業状態の自営業者の数も相当ある。パート、アルバイトを断念している人も居よう。
 統計規定上の失業者より、仕事をしたいが仕事がない人の数を調べたほうが「失業」の実態に迫れると思うのだが、そうはしない。意図的なのかどうか分からないが、結果的には、見せ掛けの数字が踊っている。5,2%には真の深刻さは表現されていないと思う。仕事をしたいがない人たちが生活に困り、生きがいを失い、タバコをふかし、昼間から、ぶらぶらしなければならないことから生まれる精神的不健全さ、その不幸感情、その社会的損失が隠されている。
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納得できないこと一つ
 大したことではないのです。ただ、少し、残念というか、寂しいというか、それだけのことなのです。ただ、私一人、納得できないのです。
 ブログに、ぼーのことを書いて、写真を載せると、というか、載せてしまうと、反応がまったくないのです。コメントが入っていると、喜んで、開くと、ほかの事についてのコメントなのです。確かに、他人のペットの自慢話ほど、つまらぬものはありません。微笑ましくもあるのですが、恋人や妻ののろけを聞く、辛さに似ています。
 「触れたら厄介なことになる」と直感的、本能的に避けようとするのです。意識的に、入り込まないようにしている節もあります。「触らぬ神に祟りなし」こんな言葉にその日の幸せ託しているとさえ、思えてくるのです。
 それが、親戚までもがそうなのです。ところがこう言うと「親戚だからこそ、そうなんだ」と開き直りそうな気がします。といって、これをお読みになった方々が、私の思いを知って、急に、「ぼーは可愛いですね」とか「写真いいですね。うらやましい」と書いてくださっても、もう素直には喜べません。「拍手」に一票、押して入れてくれてももう遅いのです。「拍手」だけに、もう、手遅れです。

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地方官僚を中央官庁へ
 中央集権体制が機能不全を起こし、中央行政が社会のお荷物になっている。なのに、地方分権といいながら、実は益々、強固な防御システムが補強され、中央集権体勢の維持が意志されているように見える。
 中央集権ゆえに、官僚が国会議員に当選してきた。省庁に持つパイプを我が地方に繋げたいとの思惑であったことに違いはない。中央官庁官僚が都道府県庁の管理職に出向くという慣習もこれと同じ狙いであった。一方、省庁はこれを通じて、地方に睨みを利かせ、中央の力を誇示することができた。
 しかし、都道府県知事や政令指定都市の市長が財源と権限を委譲をはっきりと言い出している。補助金による地方操作や、地方分担金の廃止を求め、勢い付いている。というか、このままでは、地方が死んでしまうと言う危機感をぶちまけなければいられないところまで追い込まれているというべきだろう。
 ならば、すぐにできることから始めよう。中央官庁からの出向と言う支配を拒否してみて欲しい。これは、国と地方が上下関係にあるのではなく、パートナーであることを主張になる。次には、反転して、国家行政の矛盾が噴出している現場を知っている地方官僚がが中央官庁の管理職となり、改革案を国会に提出できるようにしたい。
 100%、これを自民党には期待できない。民主党には多少なりとも、可能性がある。その可能性にかけなければならないところに、国民も追い込まれている。期待はできないが期待するしかないところが切ない。私は共産党に期待するが、これまた、政治を変える力を国民が与えないところがもどかしい。
政治不在、不況貧困深刻
 経済センサス基礎調査を始めて、昨日が三日目。この地域は建築、土木、造園業従事者が多いのです。その一軒で、すぐにご主人を見つけました。挨拶を交わし合って、「大変だね」「いや、皆さん家にいらっしゃるんで、一回で済みますから助かります」「そうか、みんな仕事がないんだね」「偶然お会いできたんではないんですか」「普通なら、この時間家にはいないよ。仕事がないんだよ」
 どっきっとしました、自分の鈍感さに。どこを回ってもご主人がいるのは運がいいのだと思っていたのです。しかし、よく考えれば個人零細中小企業は社長が中心的な働き手です。その社長がいるのですから「仕事がない」と察して当然だったのです。 
 飲食業の店に行きましたら、「二年前に廃業した。道路交通法改定が致命的だった」といいます。ご主人は30人の同業仲間に、自分が廃業するので、久しぶりに連絡を取ったら、、すでにほとんど廃業していたそうです。彼は成田の工場に非正規ながら、直接雇用社員として、残業を含め、二十数万円の収入の道を得ました。しかし、昨年10月以降、残業が減り、100人の派遣社員全員が去り、ワークシェアリングの名の下、現在は、週二日仕事で、収入は7万円。
 「とても生活できない。店をやっているころ、103キロだった体重は今47キロだよ。近所からおかずや野菜をもらって、自分でも、種から野菜栽培して、芋を作って生きている。開店時の借金もまだ残っているのに。エコとか何とか言って、黒塗りの高級車に乗り、ドアを開けてもらえる人たちには分からないだろう」
 「ワークシェアリングも考え物だよ。仕事を分け合うと言うのは聞こえがいいが、会社は直接雇用を首切らずにいた方が、監督署の指導を受けないし、世間体もいいし、熟練労働力を確保して置け、必要になった時に労働者を集める手間も要らない、いいこと尽くめなんだ。しかし、働いている者は生活ができない」直接、当事者から話を聞くことの大切さを思い知りました。
 世界的金融危機から発した経済不況が原因だと言えばその通りです。しかしそれだけでしょうか。今の国民の様態は、台風が吹きまくり、なすがままにされた封建時代の被災者の姿に似ています。政治が役割を果たさない、機能しない、そのことの結果ではないでしょうか。ですが、首相は十分なことをしたと自負しています。見方によっては、何もしなかった封建領主よりもたちが悪い。
沖縄終戦の日温度の差
 梅雨の晴れ間となった今日は、64年前、沖縄防衛軍牛島満司令官が自決をし、日本軍の組織的な戦闘が終わった日です。暑くはあったのですが私は、夏の心地よい風を感じながら自転車で、元気に、センサス基礎調査に回りました。
 昼、沖縄糸満市で行われた式典で沖縄県知事が平和宣言を、麻生首相は挨拶を読み上げるのをNHKで観ました。まさに、文を読み上げるだけで、心を解さない下手な歌手の歌のようでした。教科書を読み上げることが授業と思っている教師のようです。、生徒への思いも、教科の大切さも、教える誇りも伝わらない授業のようです。官僚が作った原稿でしょうか。もしそうなら、せめて、自分で文を作って欲しいと思わずに居られませんでした。
 その一方で、未だに、悲しみに泣き崩れる祖母の悲しみを感受し、いたわる小学生がその思いを歌った自作詩を読み上げました。会場のテントの外では、「平和の礎」に刻まれた家族の名と無念に、手を顔を摺り寄せる、魂となった老人の姿がありました。そばには、子が孫がその老いた悲しみに寄り添っています。ただ、式典をこなす政治家の鈍感さと、忘れられない苦しみと、運命に翻弄される哀しい人間への嘆きがかみ合わないのです。麻生首相は汗を拭き拭き、笑顔で会場入りしました。しかし、沖縄県人の、6月23日ゆえの悲嘆は彼らを凍らせているのです。
 そして、我々も、沖縄県民と悲しみを共にしません。沖縄戦の経験ゆえ、「戦争は何が何でもいけません」と口をそろえて言う彼らに、戦争を遂行する基地を押し付けている残酷にも気がつきません。全国的に猛暑日や真夏日となった今日、沖縄だけが寒かったのです。
経済センサス調査、日本の教育力を想う
 経済センサス基礎調査をこれから始めます。今日はその準備で、各会社ごとに調査票等を封筒に入れ、説明会の復習確認をしました。
 それをしながら、川口の姉に電話しました。用を済ませ、「全国の会社、事業所、個人経営すべてが対象だから、そっちにも行くよ」と言ったら、すでに調査員がきたそうです。これをわずか3週間でやってのけることって、実はすごいことではないでしょうか。
 調査をお願いに言って、説明しなければいけません。また、予想される質問の答えを準備して置かなければなりません。146ページ及ぶ「調査の手引き」の相当部分を読み理解しなければなりません。私の分担が51箇所です。1000万箇所としても、ざっと、20万人の調査員が必要です。それだけの人材が退職者、ご老人、主婦の中にふんだんにあふれている。日本の教育力の高さに思い至ったわけです。
 ゆとり教育の結果なのかどうか分かりませんが、どの世界規模の教育調査でも一位を独占してきた日本がフィンランド・韓国・香港・シンガポールなどに抜かれて、教師の質が落ちたと言われました。しかし、ここ一・二年、また、上位に食い込んできました。しかも、上の国々をよく見てください。韓国の5000万人を除けば、数百万の人口です。日本は12600万人。これほどの大国で上位を維持続けてきた国はありません。
 もちろん、この成果は現場の教師の力だけによるものではありません。しかし同時に言えることは、教師の質が悪く、怠け者であるならば、はやり、実現できない成果であることも事実です。組合が強いがゆえに仕事をしない教師が増えて、子供の学力が落ちたなどという的外れな批判はすぐにやめるべきですし、市民もこれに惑わされてはいけません。公務員攻撃とあいまって、教師批判を強め、物言えぬ教育現場を作りたい人たちの思惑を感じます。
 市民と教師集団は協力こそすれ、批判し合う関係ではありません。また、教師は、高い教育力に自信を持って仕事をしていいのだと思います。日本が溜め込んだ教育の潜在力は世界トップクラスであることに違いありません。それを感じさせてくれる経済センサス調査です。

 
「自」の意味が逆転自転車と自動車
 自転車に乗って50年、お世話になっています。しかし、自動車の免許は持っていません。自分の体力内に収まらない熱勢が怖いからです。自分が生み出す力以外で、自分が動かされることが不気味だからです。しかし、自分が運転するのでなければ、怖くも不気味でもないので、同乗はします。自転車はOKなのに、自動車の運転を受け付けられない根本は何なのか、時たま考えてきました。今回、もしかしたら核心に迫れたかもしれません。
 自転車の「自」は私自身を指します。私自身が転がす車が自転車です。しかし、自動車の「自」は車自身に「自」であって私の「自」ではなくなっているのです。つまり、運動の主体が自転車と自動車では逆転しています。
 確かに、運転しているのは人間ですが、エネルギーの面から見ると「自動」とは人間から離れて「自分で動く」状態を表現しています。「自動ドア」の自動です。今あふれている「自動式」電気仕掛け製品の「自動」です。「自然に、窓が開いた」などの、怪談や、ミステリー小説の不気味さ生み出す「自」です。運動の主体、主役が私ではなくて、車に移っている。このことが怖さと、不気味さの正体であったと、はっきり、意識できて、すっきりした。と言うだけのことを伝えるために、こんなにも読ませてしまい、申し訳ありません。
トマトソースそば
 野菜不足のせいでしょうか。母が便秘です。どうも、一週間は連絡がないようです。食欲がなく、36,8度の微熱、少し、はきもしました。
 そこで、野菜をたくさん摂るために、だし汁うどんではなく、トマトソースうどんを作りました。大量のたまねぎにんじん、しいたけ、にんにく、塩コショウ、トマトとハム、これを炒め八丁味噌入りコンソメスープに入れて煮込みます。仕上げに、片栗粉を溶かしいれ、うどんを入れて、完成です。
 私はそばにしました。そうしたら母が「そばの方が細くていいようだね」「だって、そば嫌いでしょ」「そんなことはないよ」ということで、次回はトマトソースそばを母も食べるとのことです。そばの方が栄養がありますし、量も多いのでよりいいでしょう。
                   画像 017これはそばの方です
堅実な生活が考える消費税
 堅実というより、小心で、けちんぼな私は借金をしない。利子は払うものではなく、もらうものと決め込んでいる。長男ゆえに、住宅ローンを組まずに済んだことを含め、借金をせずにこれた境遇に感謝もしている。
 その「堅実な」私からすると、600兆円を越える国債を発行し、国家予算の四分の一もの借金利子を払っていることには、落ち着きが悪い。よく言われるように、国家財政を家計に置き換えてみると、年収500万円で6000万円の借金がある。月に80万円を使う羽振りのよさだが、30万円以上を借金し、利子も20万円払っていて、借金は増え続けているというところである。親戚にも借金をさせてしまい、彼らを苦しめている。しかも、利子が上がれば、さらに、苦しい財政運営に陥る。
 そこで、政府与党は消費増税を明言している。それが責任ある姿勢だと威張っているが、これは開き直りである。借金まみれの財政にしたのは誰か。無駄遣いが明らかになっている中、これを改善しないまま、消費増税を容認してしまうことは、これにお墨付きを与えるようなものである。とにかく、巨額借金が税金を目減りさせ、有効に使えない状態を早く解消させたい。では、どうしたらよいのだろうか。
 消費増税は認めようと思う。しかし、その増税分だけ、毎年、国債残高を減らすことが第一条件である。ゆえに、無駄を省いて、国民生活を支える予算に回す努力をしなければならない。さらに、この間行われてきた大企業減税を見直す必要もあろう。消費税分だけ、企業減税がなされてきた事実からすれば当然の処置である。累進課税も、以前に戻すことも忘れてはいけない。そして、老人世帯、低所得世帯対策として食料品等の消費税をなくす政策が必要である。
 だが残念なことに、これだけのことをしなければならないのなら、消費増税はしないと言いそうな自民党政権だ。私の案は官僚の財界の利害と対立するからだ。これと強く結びつき一体化している政権だからだ。もし、条件を受け入れられないから、消費増税はしないというなら、現政権は、国家・国民の将来を政策の目的にしていないと言ってよいと思う。
理解は犬を変える
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「ぼー、あそび、あそび」と伝えました。そして、ボール遊びをする体勢に入ったぼーです。

また、ぼーに虫(ダニだと思います)がつく夏が来ました。散歩で、草むらに入って、おしっこをする時に、虫がつくのでしょう。
 一晩、身体に吸い付き、ぼーの血を抜き取るので、大きく膨らんで自分から離れます。朝、それが10個も落ちていることがあります。取る時に、吸い付いているのを無理やり剥がすのですから、痛いのでしょう。ぼーは極端に嫌がってきました。そこで、今年は、取った虫を目の前で見せて、「虫」「これは虫」と言ってよく見せています。身体についていたのだと分かるのでしょうか、興味を示し、鼻で、何者なのかを確認します。先日は、なんと、食べてしまいました。
 また一つ、日本語を覚えたぼーは「虫」を取ることをあまりいやらなくなってきました。ただ、身をまかせる風をとります。やはり、理解は人、いや、犬を変えるのです。今日も、夜、「虫取るよ。虫」と言ってはぼーの身体を撫で回し、虫を引っ張り出します。ムシトリニュケーションです。

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屋根に投げ上げたボールが落ちてくるのを待ち構えている図です。

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投げたボールを取ってくわえては、カメラの前に寄ってきます。マスコミデビューしましたが、コマーシャル出演依頼がありません。ヌスットパンクあたりから依頼があると良いのですが。人の心を奪う名人ですから。
官僚の判断価値軸を知る
 厚生労働省障害保健福祉部の職員が複数の障害者団体に対して、村木厚子前局長宛に激励の手紙を書いて欲しいとの依頼をしていたとが分かりました。
 ここに現れていることは三つあるように思います。一つは、村井さんがやってしまったことの政治的、社会的な問題性の認識欠如。二つは官庁、官僚権力が及ぼす威力への想像力不足。そして、彼らの判断価値軸が役所外に向いていないことです。自分たちの世界の常識は外部の者にも通用すると言う錯覚に陥っていると言うことです。
 この話を聞いて、思い出したのが、三菱系企業の社員が部長と電車に乗った時に、座っている乗客に、部長のために席を譲るように働きかけたと言う、結構有名な話です。障害者、老人、乳飲み子を抱いた母親に席を譲ることには普遍性があります。がしかし、一企業の部長に譲る合理的理由は、その社員にしかありません。
 天下の三菱の部長は、それゆえに、特権を持っていると思い込んでしまっている。関連・下請け会社、出入り業者への三菱の対応も予想できる話です。これと同じ尊大さと愚かさと幼稚さを想う官僚の話でした。
生徒が居ない模擬授業は研修にならない
 今日の東京新聞見出しに「無人授業やめさせて」とあります。「何のことだ。教師がいない授業のこと。で、生徒が訴えているのか」などを頭に浮かべながら、読み出すと、予想外のことでした。力不足と判断された教師が授業をさせてもらえず、無人の教室で、授業練習をさせられている、それを止めさせてと、裁判所に申し立てたというのです。うなってしまいました。
 思うに、この学校の首脳部は生徒が不祥事を起こしても、詫びないと推察します。この学校は難易度が高い大学に進学させることを目的とし、人間教育をする気がない、しない、必要ないと確信していると思います。確かに、学習はそれ自体目的でもまりますが、しかし、同時に、手立てでもあるのです。教師は授業を手段として、人間教育をしているのです。その視点を失ってはいけないと思います。
 では、人間教育とはどんな教育でしょうか。それは、人間同士の関係の中にしか人格はないことを学ばせる実践です。他人が居なければ、善も悪もないことを理解させることと言ってもようでしょう。無人島に、一人で生活する者は善人にも悪人にもなれないのです。自分という人間は、人と人の関係という束の中心で、それを抱えているのです。が、束を放してしまうと自分が消えてしまうことを、お互いの存在なくして自分では居られないことを理解するよう働きかけることが人間教育の核です。
 で、無人授業です。「無人授業」では教師と生徒、生徒同士の無数の組み合わせのやり取り(関係)が起きませんから、人間教育の可能性を失っています。目出度くこの授業の達人と認められての、生徒を前に行う授業は大学合格技術の高さだけが評価対象に違いありません。
 教育改革は自己評価制度、管理職による評価査定制度、教育免許更新制へと進んでいます。お上が目指す教育を内面化した教師を作る制度ばかりです。この制度の到達点の一類型を見る思いがして、記事にうなったのです。ちなみにこの高校、三年前から、有名な大手学習塾に経営が移っています。
 
 
バイトから正社員採用に踏み切るコンビ二経営者
 この経営者、実は、私の上の姉夫婦です。東京で、二店舗を切り盛りしています。なぜ、アルバイトから、正社員採用へ切り替えようとしているのでしょうか。
 まず、高校生で戦力になる人材が減ってきていること。しかし、コンビ二バイトは大学生に人気がなくなった。採用しても、仕事を教え、仕事を覚えたころには辞めてゆく。そこで、学生ではない若者の採用を始めたわけです。
 そうすると、思い知るのが、安定した収入を保障して、長期間働いてもらうことの大切さだったというのです。正社員として働ける条件を整えることが、経営者と働く者が協働者であり、運命を共有しているという連帯感、親近感をお互い感じられるようにしてくれる。そこから生まれる安心、安定は人件費負担を越える恩恵に思えるそうです。
 これは大きな企業にも、通じる真理であるはずです。働いてもらうことを、働かしてもらうことを、お互い、感謝しあえる職場は職業を通じて得る幸福感・充実感の基礎ではないでしょうか。それなのに、労働者を正社員・派遣社員。臨時社員・パート社員・請負社員とさまざまに分断し、働く者の一体感を奪い、簡単に切り捨てる。働くことが幸福ではなく恨みの種にしてしまっている経営者たちです。
 「人間と自然の共生」 が言われだしています。しかし人間同士の共生ができずに、自然との共生ができるのでしょうか。共生ではなく、働く者に「強請」「強制」し、働く者を都合よく「矯正」しようとしか考えない企業に「強勢」は維持できないでしょう。お互いが健やかだから、自分の幸せを味わえるのではないでしょうか。


 
謝り方を間違える栃木県警
 今日、足利事件の菅家さんに栃木県警本部長が謝罪したとのニュースを観ました。菅家さんは本部長が真面目で優しい人で許す気持ちにさせてもらえたとの受け答えをしていました。
 その謝罪の場所はどこかといいますと、県警本部なのです。菅家さんが17年ぶりに故郷に戻り、事件現場行き、亡くなった被害者の冥福を祈ることで実現した謝罪のようです。だとしても、謝る側が相手の元に出向き謝罪しなければと、考えるのではないでしょうか。というか、自ずとそうする結果になるのではないでしょうか。少なくとも、県庁とか、市役所とか、第三者機関に場所を設定すべきでした。これでは、自分が上座に胡坐をかいて、相手には正座させて、謝っているようなものです。
 気持ちは形に現れるといいます。本心謝っていても、そうは見えないことになってしまいました。というか、本当に、彼の苦悩に思いをいたし、想像しての、自ずとなされた謝罪ではないと私は感じています。そう思ってしまう自分がいやらしいとも感じるのですが。
西川社長続投JP労組が支持?
 東京新聞経済面に小さな記事、ですが、見逃せない大きな変化を感じました。JP労組が西川社長の続投を支持すると表明したというのです。
 山口義和委員長が「労組としては続投に大歓迎だ」と述べた、とあります。理由は西川氏の長期的視野に立った経営手腕を評価することと、09年三月決算純利益4200億円だったことだそうです。これに違和感がありませんか。私にはまるで、株主のコメントのように聞こえます。少なくとも、30年前の大労組の委員長はこんな発言はしなかったでしょう。委員長の姿勢を問われ、その地位を脅かしかねない意味内容です。日本郵政の職場環境がどうなっているのかを少しでも聞いた事がある者にとって、委員長の発言は労働者の立場を代表しているとは思えません。この委員長、将来は重役になるのではないでしょうか。
 さらに、言わなければなりません。労働組合は全労働者の利害を代表する社会的使命も持っていたはずです。ですから、賃金交渉はもちろん、平和、公害、裁判にも関心を示し、社会的弱者と手を結び、世の理不尽と戦う姿勢を示してきました。しかし、山口さんの視野は日本郵政の繁栄のみに向いています。
 民間企業になったとはいえ、巨額な預金、掛け金、資産は国民から預かっている性質に変わりはありません。だから、各省庁がそれぞれの権限を行使できるように、法的拘束をかけているのです。しかし、西川社長がしたことは、その認識に欠ける経営姿勢を示しています。巨額な資金をめぐり、さまざまな勢力、組織が暗躍しているとも聞きます。その会社の労組のあまりにも、能天気な姿勢にはあきれるしかありません。
 国民世論への配慮もありません。労組が労働者の利害を代表せず、社会的正義の主張もなく、国民から遊離しているのなら、それは労組ではなくて、会社の一部署に過ぎません。だから、その長たる委員長という管理職は重役や株主のような発言ができるのです。外国人労働者、非正規労働者、そして正規労働者までもがその権利をまもれない理由が分かる、小さな記事でした。
 
国会議員も抽選で決める
 当局に、実施条件を整える意志がないので、反対とい言ってきましたが、裁判員制度には賛成なのです。民主主義は市民が運営し、責任を担うことでしか成立、維持できない仕組みだと信じるからです。
 色川大吉著「近代国家の出発」は、重税策地租改正に反対した農民リーダーを描いています。この運動を通じて、彼らは「人民のための法律をつくる作る政府が必要と体認した」と反省し、自由民権、国会開設運動に入ってたというのです。生産と生活を守るためにこそ、自分たちの国会を創るという決意です。残念ながら現在、その国会が自分達の意思を代表していないと国民の8割が感じています。
 裁判員制度の狙いの一つが「市民感覚を裁判に」でした。つまり、司法を職業とする者が、それゆえに、市民からかけ離れ、信頼を失うことがないようにとの政策です。これ、政治の世界にも当てはまりそうです。世襲議員問題の本質は、政治を家業とする職業政治家が、それゆえに、市民感覚を失っていることにあります。ならば、議員も抽選にしたらどうでしょうか。議員定数の一部を抽選で決めます。選出後は新たに政党には入れません。任期は4年、その前に二年間、大学で勉強を。細かいことはもういいでしょう。
 「国民の参政権を集める当選が議員に権力を与えるのだ」と反対されそうです。ならば、裁判員はどの資格で裁判を行うのでしょうか。法律によってです。もし、政治家が「議員抽選制」を立法化したならば、政治信頼回復の最高策になることでしょう。裁判員制度の前に、こちらを先にやるべきでした。
 
 
新コンピューター稼動
 土曜日に、下の姉夫婦がやってきました。甥もです。そこで、新コンピューターの取り付けやデーターの移動をしてくれました。「性能は30倍」といっていましたが、半信半疑でした。ところが、使ってみると反応が速いこと、すっきりします。バスターを着けて以来、重くなり、日に日に悪化しているように感じていました。特にここ数日がひどかったのです。数行打つのに、30分もかかるような有様でした。
 今、初めて打っていますが、ここまで、まだ、立ち上げてから、3分です。これで、作業が進みます。次から次と更新させていただきます。
顧みて、休日の過ごし方
  家族の生活を支え、職場で重責を担っているみなさん、忙しい日々の中、退職後の自由を夢見る皆さん。退職後三年の経験から、一つだけお伝えしたいことがあります。
 それは、現役時代の休日があなたの退職後の毎日になるということです。どのように、休日を過ごしていますか。何をしていますか、していませんか。それを振り返って、退職後の人生を思い描いてみては如何でしょうか。
急に、人は変われない
 退職したら、在職中、充分に出来なかった教材研究をして、納得ゆく教案(授業指導案)を作り、更に、教科書にまとめ上げようと思っていました。しかし、未だ、構想も完成していません。
 では逆に、この三年間、やったことを振り返ってみます。一年目は野菜作りを再開し、新聞雑誌の投稿を開始、市民講座でヨーガ受講、匝瑳市市民フォーラム21(市政中長期ビジョン検討委員会)参加、護憲ホームぺージ開設、漢検2級合格。二年目は、匝瑳市サタデースクール指導員、ブログ開設、日本史検定2級合格。昨年は非常勤講師、土地住宅統計調査員、日本史検定1級失敗(恥ずかしい)。今年はサタデスクール指導員と経済センサスー基礎調査員です。
 こうしてあげて見ると、これらには共通点があります。野菜つくりは父に教えられ、結構、楽しくやっていました。雑誌新聞投稿は分会ニュースを作っていました。フォーラムは職員会議で積極的に発言していました。指導員と講師は教師生活の延長線上にあります。調査は家庭訪問と同じです。これらは30年やってきたことと関係深いことばかりです。突然、つながりのないことをやり始める、成し遂げることはしずらいのではないでしょうか。
 人間、生活や環境が激変したとしても、中身を総入れ替えはしないし、出来ないものです。今までとの関係がなさそうみえても、良く聞くと「なるほどね」という関連が見えてくるものです。例えば、郷土の偉人伊能忠敬は50代半ばまで商業を営み、名主を勤めていましが、隠居して江戸で、高橋至時に暦学・測量を学び、「大日本沿海輿地全図」をつくりました。前半生とこの偉業との関係はないように見えますが、そうではないのです。彼は養子にいった家を再興し、地域の難問を、大変な苦労を経て、解決しています。その人望がために、40代で隠居しようとしたのですが、人々に乞われて、断念したほどです。彼の、前半生が培った、誠実に根気強く、地道にことを為す姿勢なくしては「全図」はできなかったでしょう。
 ですから、退職したら何もかもが新しく変わり、新しい可能性と力が宿ると思うのは幻想です。前半生の連続性の中からしか、後半生は開けません。退職を切っ掛けに自分を変えるとか、新しい力を退職が与えてくれると期待してはいけません。もし変えたい自分があるならば、いますぐに、変える努力をすべきです。退職はそれをしてはくれません。
 根気強く、学習・研究を重ねることが苦手な私は今も変わっていません。それが証拠に、新聞雑誌投稿やブログ作成に時間の多くを割いています。現を抜かしているというべきでしょうか。もしかして、退職が自分を変えてくれると、こころのかたすみで、想っていたのでしょうか。
 5月から、こむずかしい専門書を、また、読み始めました。さらに、教科書づくりに、精を出したいと思っています。反応が悪い、いわゆる「重い」このパソコンに替えて、甥が高性能手作りパソコンを準備しています。それに教科書作成史料・資料・記事・アイデアを蓄えようと思っています。自分に期待しているところです。
ぼー新聞に載る
 本日の、しんぶん赤旗「読者の広場」ページ「わが家のペット」に我が愛犬ぼーが写真入で載りました。今迄で一番興奮した投稿記事となりました。


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しんぶん赤旗2009,6,9    これって、著作権の侵害になるのでしょうか。
近距離通勤の原則化を急げ
 学校事務員が遠距離転勤を命ぜられ、退職を余儀なくされたことがありました。配慮が足りないと抗議しましたが、当局は問題を認めませんでした。 
 その内に、同一校10年以上勤務の教員の異動が強制的に行われ、通勤2時間という職員が増えたのです。表向きは色々な学校を経験し、力量を高めることですが、目的は労務管理にあります。目まぐるしい入れ替えは密接な人間関係を壊し、活力を奪い、円滑な職務遂行妨げ、生徒と先生を引き裂いてゆきました。企業なら倒産ではないでしょうか。
 学校を創るのは生徒と職員です。生徒が3年で卒業し、職員も数年で異動するなら、学校の連続性は途絶えます。伝統的教育理念、特色は消えうせます。そうしておきながら、同じ口で、県教委は「特色ある学校づくり」を現場に命じるのです。
 短期間異動とそれに伴う遠距離通勤で、当局は更なる自己矛盾の中にあります。財政難であるのに、交通手当を増やし、エコを言いながら、マイカー遠距離通勤を作り出しているのです。学校文化壊しの反省をした上で、無理な異動制度を止め、近距離通勤を原則化するよう求めます。

過ぎたるは及ばざるが如し
 健康に、格好良くなろうと、ダイエットに精を出しすぎて、かえって、不健康になったり、精彩を失って、魅力的でなくなってしまうなどと言うことがあります。
 いい出汁を採ろうとして、指定された時間より長く煮出したために、うま味よりも雑味が強くなって台無しに、と言う経験がありませんか。横浜で一人暮らしをしていた時に、あさりのスープをより美味くと思い、かつをだしにアサリを入れてたのですが、そのどぎつさに閉口した経験があります。まさに「過ぎたるは・・・」です。「蛇足」の説明によい例でもありましょう。
 焼き飯にすると、完食する母を見て、しらす塩味、いわしだんごスライス塩味、ハムケッチャップ味に加えて、シーチキン塩味、しらすばあばあたまご味を開発しました。「ばあばあたまご」とは子供の頃、よく作ってもらったのです。生卵を割り、しょうゆと砂糖で味付けして、かき混ぜて焼いたものです。一人暮らしのときに、これにご飯を加えて、焼き飯にしてよく食べました。これを思い出したのです。
 更に焼き飯バリエーションをと考えています。しかし、これって「過ぎたるは・・・」でしょうか。違ったジャンルの料理を開発すべきなのでしょう。


お偉いさんの世界も「過ぎたるは・・・」で満ちています。世襲問題、敵基地攻撃可能論、二羽の鳩で追い詰め作戦、日本郵政西川社長続投固守、漢検元理事長・・・・・
年代別進化論
 40歳を過ぎたら 「自分の顔に責任を持ちなさい」と言われます。親から貰った顔ではなく、自分の人生、生き方、心根が顔になって表れるという意味なのでしょう。40歳の頃、しみじみ鏡の顔を評価したことを思い出します。
 孔子は、余りにも有名ですが、15歳で学問を志し、30歳で自立し、40歳で迷うことなく、50歳で天命を知り、60歳で人の言うことに耳を傾け、それを甘受し、70歳で自分の欲することと天理と一致する、と言っています。とても真似ができません。未だに迷いっぱなし、天命も分かりません、雑欲に惑わされ、天理を知りえません。「これが私の目標です」と孔子が言ったのなら、心ざわつかないのですが「このようになりました」と言っているので気になります。
 我が家の主治医である守先生の待合室には「青年期に学べば、壮年期には社会に認められる業績を残す者が現れる。壮年期に学べば、老年期になって衰えない、老年期に学べば、死しても朽ちない」という掛け軸がかかっています。思わず、納得してしまう私です。
 寄席では、若い頃は人間に関心が集中し、中年頃、花々の美しさに癒され、退職が近づくとは木に魅せられるようになり、退職後は石に執着する、そして死後はその石の下に眠る」一番理解でき親近感があるのは、これでしょう。どんな生き方をしてきても、その人生経験が良質のユーモアを生み出すものであって欲しいと思う、退職4年目の56歳です。

 
さつまいも苗を定植す
 大国屋種苗店の奥さんに聞いたら 「未だ、サツマイモありますよ。もちろん、今からでも遅くありません」ということで、お願いしました苗が契約農家から着たとのことで、50株買い入れました。
 天気予報は午後から雨でしたので、散歩をして、農作業です。最初、苗の頭を東にしたのですが、反対が良いと気付きました。畑の東側は小久保さん宅です。垣根と車庫がありますので朝は日陰になります。ならば、西を頭にした方が日差しをより長く、強く受けることが出来るとはずなのです。
 そこで思い出しました。父の手伝いをして、サツマイモを植えたとき、頭は西でした。優秀な職人であった父です。作業を合理的に考える人でしたから、そこのところを計算していたのでしょう。また父親の偉さに行き当たたのです。


 大汗をかいて作業を終えて、着替えして、昨晩のカレーでカレーうどんを作り、昼飯です。デザートに、母が煮てくれた小豆を、濃い粉茶でいただきましたら、睡魔に襲われました。ここ連日の肉体労働に、なまり切っていた身体が悲鳴を上げているのでしょう。きっとその現われですちっとした昼寝のつもりが5時までになってしまいました。三時間寝てしまったのです。身体が求めることは天然理に適っているのでしょう、心地よいものです。熟睡でした。
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さつまいもです。収穫したら焼き芋です。

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それぞれ、左から何の芽でしょうか。全問正解者には、私の、三日分の愛を差し上げます。

ぼーが新聞に載ることに
 現在、東京新聞、しんぶん赤旗、週刊金曜日、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞に投稿しています。今日は「しんぶん赤旗」の「我が家のペット」係りの方から電話がありました。来週のはじめに、写真入で、載せたいとの連絡です。「ぼーちゃん可愛いですね。イケメンですね」と褒めてくれるので、つい口が軽くなり、上ずってしまいました。さすがに、投稿者対応になれています。
 当然文章も褒めてくれたわけですが、ぼーが可愛いといってくれたことの方が印象に残りました。これが所謂親ばか現象なのでしょうか。兎に角、来週が楽しみになってきました。赤旗は市販されていませんし、図書館にも置いてありませんから、そこが残念です。すべての国民に見てほしいのですが。もちろん、このブログで紹介させていただきます。
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                        クローバの花の中のぼーです。

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<6月6日に追加>
 4枚の写真は、今日撮りました。ようやく雨が上がりましたので、散歩に出たのです。雨上りの静かな日差しを慈しみ楽しむかのような表情をしました。そこで、つい、写真となったわけです。

政局より政策政策前に信頼
 北朝鮮が核実験をしました。したたかな外交であり、核廃絶を目指す日本国民が批難することは当然です。
 かし、必死の外交とも見えます。核兵器を破棄させた上で、攻めてくるのではないか。だから、米国には「テロ支援国家」指定解除を求め、日本には「賠償を前提とした平和条約締結を主張する。我々も経済援助をしたが、核を保持し続け、拉致問題に真摯に向き合わないのではないかと疑うのです。
 同じく、不信が理由で、進まないのが消費税問題です。600兆円の国債償還は増税は不可避です。しかし、今の行政体質を放置したままに応ずるわけには行かない。もしそうすれば、福祉医療教育は蔑ろにされ、借金は減らないばかりか、無駄遣いにお墨付きをあたえ兼ねないとの不安不信が増税反対の声になっているのです。
 政治の仕事は調整です。己の利害主張を抑え、それを越えた妥協をし得る前提は相互の信頼に違いはありません。しかし、不幸なことに日本で、最も、信頼されていないのが政治家と官僚なのです。政治家は、政局の前に政策、政策の前に信頼であることを肝に銘じるべきです。信頼回復の鍵は政治信念の表明と、それにたがわない姿勢と行動です。
三ツ矢サイダーファン
 嚥下障害料理と言えるのどうか判りませんが、ご紹介したいと思います。母が、ここのところ、家政婦(先日ご案内のように、介護保険適応外とされ、私的に依頼している家政婦さんになっています)さんにお願いする買い物リストに、三ツ矢サイダーを入れています。
 このサイダー、子供の頃、母と姉弟みんなでよく飲みました。美味しさは今も変わりません。これ以上の炭酸飲料を私は、未だ、知りません。というか色々試しましたが、行き着いたら、三ツ矢サイダーに戻っていたということです。
 確かに美味しいのですが、糖分が気になります。だいたい10%が相場ですから、250ml入りの缶一本で25グラムの砂糖を摂ることになります。一日、砂糖は50グラムを限度とした方が良いそうですから、気になる数字です。そこで思い出したのが、横浜舞岡高校同期採用の木下さんに教わった、三ツ矢サイダーの牛乳割りです。北海道では常識だそうです。こわごわ試しましたが、美味しかったことを覚えています。
 ですが母は牛乳が嫌いです。そこで、色々試してみました。まずはレモン、これはすっぱいものに抵抗感をもつ母にはだめでした。良かったのは、いちごでした。メロン、「野菜生活」紫を私が試しましたが、共に最上級の味でした。これから母にも奨めます。みなさんもお試しあれ。ただし、苺は、サイダーに合せると結構あわ立ちますからご注意を!!
現代文明の象徴コンビニ
 第一次オイルショック直後、就職とあいなった私たちの大卒価値は暴落してしまいました。教職志望でありましたが、採用倍率30倍と聞いた私は民間企業も受けました。ブルボンとイトーヨーカ堂です。 ヨーカ堂の説明会兼試験の時に「アメリカの小売システムを導入する。その店の店長が君らの仕事になる」と聞かされたのです。良く理解できませんでした。「小さなスーパーのようなもの」とも言っていました。残念ながらと言うか幸運と言うべきか分かりませんが、二日後「貴君の期待に沿えずイトーヨーカ堂」との電報が届きました。一年も過ぎた頃、説明会の話がなんであったのかを街中に発見したのです。それがコンビニでした。  
 スーパーに比べ、品数は少ない、値が高い、商売にならないだろうと思いました。私には理解できず、もちろん、利用する気にもなりません。しかし、、さにあらず、多くの消費者に受け入れられていったのです。コンビニエンスストアー = 便利な店。確かに、今思えば、文明の方向は「便利・安楽・安易・贅沢・豪華」の軌道に乗っていたのです。数々の電化製品、自家用車、別荘、旅行、そして産業界では自動大量生産システムの導入。便利安楽が石化燃料により実現していたのです。その流れに乗っかった小売方式がコンビニにだったのです。この意味で、コンビニは時代の象徴です。時代の流れ、流行に疎い私に理解できなかっただけなのでした。 
 その後は、外食産業、宅急便、掃除代行、宅配ピザ、便利屋等々、生活労働というか、生活そのものをお金で買い取る風潮が強化されていきます。ゆえに、お金が最大の価値になります。だから、長時間労働であろうが何であろうが働きます。忙しいと不平を言いながら。そして、生きている実感がない。何のために生きているのか分からなくなった。生きることが楽しくない。幸福とはなんだ。精神的荒廃を思わせる言葉を口にするようになったのです。
 思えば当たり前なのではないでしょうか。さまざまな家事労働を、ご近所付き合い、地域活動をメンドクサイと放棄して来てしまったのです。これ等が、すなわち、「生活」の本体なのに、お金で買い取ったつもりが、お金で放棄してしまってきたのです。また、人付き合いは面倒くさいし、疲れると毛嫌いしてきたのです。「生活」を捨ててきたのですから生きる意味が分からなくなるのは当然なのです。
 退職して、食事を作り、畑を耕作し、野菜を作り、ご近所と立ち話をし、町内会・地域活動に参加してみると、生活がつかめます、味わえます。この味わいを、わざわざ、お金を払って捨てていたのです。しかも、捨てるためのお金を稼がねばならず、仕事仕事、忙しい忙しい、ゆとりがないない、ゆっくりしたい、空腹感を増していったのです。お金で欲しいものを手にすればする程、新たな、異質な欲しいものが増えていったのです。
 生活には「目的」は似合いません。「味わい」が似合います。何を味わうのか、それは「過程」を味わうのです。例えば、料理です。確かに、料理は食べるために作るのです。目的は食べることです。しかし、生活に目的があるとすれば、作ることそれ自体が目的なのです。料理を作るのに使う時間が生きている時間であり、生活の内容であり、それを味わうことが生の楽しみなのです。その楽しみを完成させる悦楽が食べるこなのです。
 退職して三年、作ることが生きることとの想いを強くし、今では、確信となりました。昨年8月に母が入院。その間、畑の手入れをしなかったものですから、荒れてしまいました。そうなると、畑仕事が億劫になります。この5月まで、荒れ放題にしていました。私の心も満たされることなく、なにか、荒れていたように思います。姪の協力で、畑仕事を再開、本来の調子が戻ってきたように感じます。これから、レタスの苗を定植します。それでは。
映画「おくりびと」を観る
 旧同僚と「おくりびと」を観ました。中間試験中ということで、高校生が繁華街に多数来ているのです。早く帰って勉強なのですが、いつもより、寛いでいました。
 彼は三回目だと言います。「私のために悪いね」と言いますと「それだけの価値がある映画ですよ」との返事。観客は三十数人。彼が40代、後の方々はみなさん、60代、70代で、80代と思しき方もいらっしゃいました。
 この映画、先が読めるのです。そして、読み通りに進んで行きます。普通は、ここで興味も、心地よい緊張感も失せるところですが、がっかりさせないのです。筋が見えても、鑑賞に堪えられる、逆に、引き込むのです。二度三観たいと思わせることは優れた映画性質の一つです。演出が、脚本、俳優の演技力、撮影技術が優れている証拠です。
 様々なテーマを読み取ってしまう映画でもあります。その一つが死を「穢れ」とする日本人の心的伝統です。子供の遊びに「えんがっちょ」というのがありました。例えば、犬の糞を踏んでしまうと「えんがっちょ」になり、これから逃れるには、他の者に触らなければなりません。触れることで「穢れ」が移るのです。これは神道文化の表れです。「穢れ」を祓う神事により、魂は平穏な日常に戻ることができるのです。
 主人公は交響楽団解散のため、職を失い、故郷に帰ります。そこで得た職業が死者の体の「穢れ」を清める「ゆかん人」でした。ゆかん人は死者から「えんがっちょ」され、穢れるのです。この職に就いたことを知った同級生、そして妻にさえ「汚らわしい」と触れることを拒まれてしまいます。日本人は仏教徒ですが、魂は神道に共感しているようです。しかし、仕事をする夫の姿に、妻は穢れ観念から解放されてゆき、同時に、観客も死に穢れを感じなくなります。妻の変化が納得でき、自分の中の「神道」も消えて行く。この技が素晴らしいのです。
 もう一つ、テーマは生きる情熱としてのエロスです。エロスとは、一般には、恋愛・性愛の意味ですが、元々は「欠けたものへの渇望」だそうです。
 初めての仕事は孤独死した老人の腐乱遺体でした。主人公は吐きながら、死体に触れます。死さえもが見捨てたその物体は魔界に属し、物質と化しています。主人公は帰宅するなり、妻を抱きしめ、その生を確認するかのように貪るのです。腐乱死体に絶望的に欠けていたものは、暖かく、ふくよかな肌が持つ生命の息吹です。生の確認、手ごたえへの渇望が妻の肉体に向けられる。戸惑いながらも、それを受け止める妻の母性というエロス。性愛が生を産み出す行為であるなら、生命を確かめずにいられない彼が、妻を求めることは避けられません。
 仕事を理解した主人公の死者を敬い、慈しむ態度は死と生の連続性を実感させます。また、親しんだ命を失った家族達の姿を通して、死者の人格と人生が見えてきます。人間への信頼と生命の希望が予感させられます。死を扱いながらも、生の賛歌になっているのです。
 優れた映画は生きることを問います。しかも、その答えが幾つもあるように創ることで、生きることは分析するものではなく、味わうものであることを教えるのです。その上で、死も味わうに値するものであることをこの映画は暗示しています。

スリッパの値段に驚く
 先日、トマトの苗をカインズホームに買いに行った時、通り過ぎかかった棚にスリッパがありました。今履いているのはぼろぼろになっていましたから、買おうかと目が行ったのです。すると 「95」 のカードが並んでいます。「珍しい名のメーカーだなぁ」と思いましたら、勘違いでした。「95」はスリッパの値段なのです。まさか、私の常識経験では安くて500円、1000円前後がスリッパの値段です。
 嬉しさの先に、不気味さを感じてしまいました。例えば、東京23区山の手といわれる地域で、2DKで家賃5万円と聞いたら警戒するでしょう。殺人事件が起きたとか、幽霊が出るとか、手抜き建設物件ではないかと。ところが、品物を見ると結構いいものです。安さからも「買おう」とすぐに決断、というかそれ程の額ではありません。かごに、何の抵抗もなく、入れてしまいました。
 しかし、次には不安がやってきたのです。こんなに安くて、製造会社は継続生産できるのか。すぐに、米価のことが浮かびました。今、60キロで、生産者米価は12000円です。採算ラインは18000円とも、20000円とも言われています。今、この安い米を、農民に正当な代価を支払わないで、いい気になって食べていますが、将来、この安易さが原因で、米が食べられなくなるのではないか、と言う不安を持っているからです。
 無理や、アンバランスは、いずれは、行き詰まりを起こします。95円のスリッパを製造している会社も行き詰まるでしょう。そうでなければ、我々は不当に安い外国の労働力を楽しんでいるのではないでしょうか。いずれ来るしっぺ返しを覚悟しなければならないでしょう。
 それよりは、正当と思われる代価を、今もこれからも払うことで、皆がお互いに、安定した経済・経営・生活の中で生きられるようにした方がいいと思うのです。「95」円のスリッパに不気味さを感じる感性の必要を思います。