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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
元親方に実刑改革すべきは
  四股名時太山、斉藤俊さんを死に至らしめた事件に対する、元時津風親方への判決が出ました。実刑5年、裁判は「指導」ではなく「暴力」であったことを認定しました。
 確かに、厳しさがなければ、教育にならない場合は多いと思います。しかし、愛情がない厳しさは冷酷でしかないのです。そのことをすべての教育者に突きつける事件でもありました。
 当然、教育が暴力にすり替えてしまった原因が問われます。事件の本質は、目的であるはずの弟子を手段として扱ったことにあると思うのです。相撲協会は、力士の番付に応じて、各部屋に配分する経営資金を決定すると聞きます。ならば、力士の成長ではなくて、出世に伴う資金が親方の目的になってもおかしくはないでしょう。
 事件後、暴力の禁止や稽古場からの竹刀の撤去等の再発防止策が示されましたが、本質を突いたものとは言い難いものです。相撲協会と相撲部屋との関係のあり方をも含め、経営保障を行うことで、各部屋が稽古、指導に安心集中できる体制をつくる改革こそが求められていると思います。
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フォト575 その⑥五月の雨ぼーを鎮める
 朝からの雨未だ止まず。ぼーに「散歩はない、散歩は駄目」と伝えます。分かったのかつまらなそうな、しょげた目をしました。昨日、とうもろこしと地這きゅうりを蒔きましたから、それらには良い雨です。
 しょげてしまったぼーをかまってやろうと言うか、からかってやろうと写真機を向けました。
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 外は、物静かな雨です。しかし、確実で、見落としのない、何ものも逃れられない雨です。
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今年は、昨年に比べると、三分の一にも満たない出来ですが、梅がなっています。このまま、入梅なのでしょうか。今週はもう雨だけとの予報でしたから。
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        さんぽない   知らす雨音     実るうめ

諦めからか、少し気分がのってきたぼーです。
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まだのっていないかも。





昨日とまとを定植しました
 ハウス用の桃太郎で何回か失敗した私は、昨年、ご近所から耳寄りな情報をいただきました。カインズホームで、露地栽培用のトマトの苗を売っていると言うのです。昨年は、一応、収穫はできましたが、数が少なかったので満足はできませんでした。
 失敗の原因は、トマトは苛酷な環境の方がいいと聞いたので、肥料も水もやらなかったのです。そこで今年は元肥はやりませんが、様子を見て肥料をやろうと思っています。大きな奴がたわわに実る様子を夢見ています。
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大分よたっています。自転車での移動や定植に伴うストレスのせいでしょうか。

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今日のトマト君です。元気を回復しています。

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15日に姪が植えた茄子と西瓜です。まあまあです。なすが葉きり虫にやられています。それが少し心配です。あすは今日購入した発酵鶏糞をやろうと思っています。


「週刊金曜日」購読のお勧め
 政党がその財政を企業・財界に依存していることは事実です。汚職や政治資金規正法に違反する事件が起きて、その問題が指摘される。それでもまた事件は起きる。これを繰り返し、未だ、本質的変化はないと言ったら、オーバーでしょうか。
 特に、与党有力者が財界と深い関係にあり、献金が政策決定に影響していると国民は知っています。経団連は各党の政策を見て、献金額を査定するまでになってしまいました。財界は法人税を安くすることと、消費税を上げることをセットで求めています。また、年金・健康・雇用保険負担を働く者が負うべきとして、企業はこれ等とは無縁であるとの基本姿勢を持っています。法人税率が国際比較して、高いというのですが、各種保険料の企業負担を加えれば、日本の方が安いことを隠しています。財界の基本戦略は企業が公的負担をしないというものです。この実現に協力しているのが献金を貰っている与党です。
 民意を尊重するというのであれば、政党は企業献金を自ら禁止し、自前の政治資金、経営的財力を持たなければなりません。そうしなければ近代政党として、独立した組織として、その理念を実現することは出来ないでしょう。それとも、企業利益を代表することが政治理念であるのでしょうか。そうであれば、もはや、言うことは有りません。
 このことはマスコミにもいえます。広告収入で経営しているゆえに、個別企業の実態を報道できない、批判できないことは事実でしょう。もちろん財界を批判できないわけです。と言うことは、広告収入で経営していないメディアに期待するしかありません。しかし、NHK は国家に首根っこを掴まれています。そうなると巨大企業からの広告収入の割合が低い地方紙くらいしか、財界大企業を批判することが出来ないでしょうか。
 あとは、広告収入でなく、購読者の購読料を経営の中心に置くメディアという可能性があります。一つは党費と購読料で発行している政党機関紙です。しかし、これは当然、自党の理念と政策をアピールすることが目的ですから、これに、情報をすべて依存するわけには行きません。
 もう一つの、上の可能性を実践しているのが「週刊金曜日」です。誰に、どこに憚ることなく、記事を作り、選択できる数少ない週刊誌です。購読という応援を通じて、基本的人権と民主主義と平和主義を守る意志表明とすることをお勧めします。

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これが最新号です。
 
 
みみず以外にも沢山
 足腰の疲労にもかかわらず、今日も畑起こしました。今、畑仕事を終えて、散歩をして、風呂に入り、冷たいサイダーの野菜ジュース割りを飲んでいるところです。
 今日も、深く土を起こして、雑草を根こそぎにしました。スギナが深く根を張っているのです。
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 以前に、畑に落葉を大量に、敷いたことをお話したと思います。そのせいで、みみずも住んでいるいい土になりつつあるとも申し上げました。今日も、掘り返すと沢山現れました。しかし、住んでいるのはみみずだけではないのです。名前が分からない虫たちが何種類も、おびただしい数です。さらに、見えませんが、それこそ無数の微生物が土を作っていると聞きます。微生物は無理ですが、虫たちの一部を見て下さい。

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みみずです。糸みみずがいる方が土環境がいいといいますがどうなのでしょうか。

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左はクモだと思うのです。卵をお尻に付けているようです。真ん中は丸虫というのでしょうか、便所虫などとも呼ばれていると思います。右は分かりません。その他にも幾種もの虫たちが居るのですが、写っていないというか、カメラは写し出していません。



 


マボーなす丼失敗す
 母は挽肉を食べられないと諦めていましたが、ワンタンスープの成功で、料理の仕方では食べられると判断。そこで、マーボーなす丼に挑戦しました。
 なす、たまねぎ、ピーマン、椎茸を細かく切ります。ひき肉は、塩、胡椒します。にんにくをおろし、しょうがを刻みます。お湯に、マギーブイヨンスープの素、八丁味噌と豆板醤を溶かしておきます。もちろん、片栗粉も別に溶いておきます。その上で、まず、フライパンに、ごま油とオリーブ油を多めに入れ、挽肉、にんにく、しょうがの順に入れ、野菜を入れます。ナスに油がしみこんだところで、スープを加え、柔らかくなるまで、煮ます。そして最後に、片栗粉を入れます。。これを炊き立てのご飯の上にかけて完成です。
 しかし、残念なことに、やはり肉が喉を通りませんでした。肉の硬い喉ざわりがイケにようです。ワンタンは皮に包まれたまま喉をと通ってしまうのでしょうが、そうは行かないようです。と言うことで嚥下障害料理としては失敗でした。しかし、どんぶりはおいしかったです。さらに、発見がありました。マーボーナスと市販のゆでうどんを絡めて炒めるとこれが美味い、マーボーなすうどんになります。お試しを!!

IMG_0641.jpg 麻婆なすうどんです。なかなかの味でした。安くて栄養がありそうです。
言葉捜しは苦しみ楽しい
 新聞・雑誌に投稿しています。ブログに載せたものの中から、採用されそうな題材を選んで、送っているのです。先日も、文を考えている内に、『便利で安楽な生活』か、その反対の『不便で   な生活』かと問う文を作っていました。安楽に対応する反義語を探し出したのですが、なかなか適当と思われる言葉がありませんでした。『安楽』の反対語は『苦渋』『苦難』『難渋』などが浮かんできましたが、どれもピントがずれていると感じます。そんなときに『勤苦』が突然、湧いて出てきました。『こんな言葉あったかね』と半信半疑で広辞苑を調べると、何と、ありました。こんな言葉、まず使いません。思いつきません。
 しかし、絞ると出てくると言うことは、いつか過去に、この語を見た、読んだのでしょうか。それとも火事場の馬鹿力なのでしょうか。不思議なことがあるものです。文章を作る楽しみと苦しみは、まさに、適切な言葉を発見することであり、見つけるまで、拘り続けることにあります。
私も極左なのか
 小田実さんの「生きる術としての哲学」を読んでいます。べ平連の活動で中学の時から知っていましたが、そのすごさに気付いたのは、大学に入ってすぐに「世直しの倫理と論理」を読んでからでした。上下10冊ずっつ買って、仲間に配り読んでもらったことを覚えています。
 今読んでいる本の中に、中山千夏さんが「私がニュースを嫌悪する理由」として「右傾化」を上げていることが紹介されています。その右傾化の結果なのでしょうか「国旗日の丸・国歌君が代制定反対、自衛隊違憲、天皇は要らない、九条を支持する」というだけで、極左扱いされる。「これは三十年前ならさほど偏った意見ではなかった。むしろ、主流だったとさえ言える。今では、天皇制の論議はタブーになっている」と指摘しています。
 20年以上前に、現代社会「地方自治」の授業で、船橋市議会議員に生徒が聞きたい質問項目をアンケートにして配ったことが有ります。その中には、日米安保、憲法9条解釈も含まれていました。それが自民党の県会議員の知ることとなり「『偏向』した教師がいる、教委は何をしているんだ」という質問を県会でしようとしたことがありました。と言うこは、私も偏った「極左」なのでしょうか。 
 確かに、小田さんと私は、ものの捉え方が似ているようです。5年前、私は分会ニュースに「支配されている者が支配者の立場に立ってものを見ている。これはおかしい」と書きました。小田さんも今読んでいる本で、そう言っているのです。
 私は社会が生み出す理不尽ゆえに人が苦しむことがあってはならない。理不尽の最大のものが戦争だから、戦争は何が何でもいけない。だから、9条は変えてはいけない。先の戦争を引っ張った日の丸も君が代も靖国神社もいけない。昭和天皇の戦争責任を曖昧にしたままではいけない、と思うだけなのです。
 わたしは現政治姿勢とそれを支える思想を批判します。なぜこれを、危険視するのでしょうか。それは民主主義を危険視している証拠です。自由民主党にはそういう方はいないはずです。いたらそれは偽装です。
 平和を愛する人は、体制批判を危険視する事の方を危険としなければなりません。戦前、体制を批判し変えようとした共産党を弾圧した思想が、戦争を作ったという歴史的事実があるからです。戦争で死にたくも、殺したくもないという当たり前の人間心情を「非国民」と呼び危険視した事実があるからです。当たり前の、自然な人間性ゆえの想いを危険視する体制とは何なのでしょうか。それを見極めないことは、大震災、原子爆弾、もちろん、北朝鮮よりも危険です。
  
肉体労働は充実感を裏切らない
 久々の、本格的農作業を二日間行いました。根深いスギ草を根こそぎ退治するため、深く掘り起こす作業です。鍬を振り上げ、振り下ろす。10回もやると背筋がしびれます。体力の衰えは明らかです。それでも40分くらいで、一畝掘りました。二日で二畝。
 まだ、二日ですが、昨日の作業後の、心地よさと、水分を欲する身体には驚きました。まずは、井戸水をがぶがぶ、上がって野菜ジュースを二缶、そして、例の特製いちごジュース(いちごは自家製)をぼーと一緒に、風に吹かれて、一杯と言う具合です。風が心地よいこと、この上ありませんでした。ジュースの体の中からの元気付けと、夕陽を運び来る風のいたわりが、肌で握手すると言う爽快感です。
 精神労働や協働に必要な緊張から解放された時には、必ずしも、充実感があるとは限りません。疲労感や、時には、徒労感に襲われることもあります。しかし、肉体労働の場合には、充実感に加え幸福感さえあります。裏切りのない肉体労働です。
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 黒のビニール袋の中には、学校の落ち葉が入っています。用務員さんや生徒が集めた落ち葉はゴミとして処理されていました。それを三年前から私がいただいています。自転車で一つ二つと運んでいるのを見かねた用務員さんが車で運んでくれたものです。例年、50袋ほどにになります。
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 これから、土をかぶせます。とうもろこしを蒔こうと思っていますので、多めの発酵鶏ふんを土に混ぜます。IMG_0636.jpg
 我が家のいちごです。3年前に苗を買ってきて植えました。たいした手入れをしないのに、実を付けてくれました。昨日のジュースの素です。
 九十九里浜   その②
 子供の頃、埼玉川口から父の実家である八日市場に遊びに来て、従兄弟達と吉崎浜に行ったことが何度かありました。その時の記憶では、松林から、波打ち際まで50~100mあったと思うのです。まさに「浜」でした。しかし今は、浜はありません。侵食を防ぐためにコンクリの護岸が続いています。また、砂が流れ去らないように、堤防が海に突き出し、さらに、テトラポットが護岸の外に置かれています。
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 銚子からこの野栄までの浜は殆どこの状態です。例外は、日本のドーバーといわれる屏風ヶ浦と海水浴が出来る飯岡の浜だけです。これより南には優良な海水浴場がありますが。大変興ざめなところをお見せしてしまいました。
  しかし、一番、落胆しているのは地元民です。海は確かに、大きく広く迎えてくれますが、その大らかさや雄雄しさ、、そして優しさとの間には避けがたい断絶があるのです。それが目に見える形で、無粋に現れているのが、この写真達です。自転車をこいで潮風に当たり寛ごうとするのですが、人工的な無機質な目障り、肌触りに、生よりも死を感じてしまいます。戦跡の様なコンクリートが現われるのです。我々の命のふるさとであり、多く生命を育む海との不自然な接触です。



市民感覚は政治にこそ
 裁判員制度が始まります。しかし、敢えて、重犯罪裁判を裁判員に担当させるのかが解りません。市民感覚を生かすと言うのであれば、民事裁判、行政訴訟が相応しいと思うのですが、そうではないようです。
 その市民感覚なのです。裁判ではなく、政治が大事に扱って欲しいと思うのです。今回の小沢辞任、ご本人は「なんら、やましいことはない」と言うのですから、辞任することはないでしょう。関連資料を公表して、法律的に、道義的に問題ないことを示せばいいだけのことです。こんな場合、説明しようとするのが市民感覚です。説明があれば、、それこそ、市民感覚で判断(判決)を下します。
 なのに、「国民審判」を逃げるのです。我々は刑事裁判よりも、この事件の判決を下したいのです。今回の辞任は何の責任を取ってのものなのか。見えるのは、選挙に勝てない状況にしてしまった責任を民主党国会議員に対して取ったと言うことです。その証拠に、代表選挙投票権は国会議員だけに与えられました。
 鳩山新代表の人気が上がっています。代表を辞任したから「あの問題はもう問うな」「ハイ問わない」という合意が国民との間に生まれたのでしょうか。代表代行に就任してしまいました。本人は無罪と言っている、職も辞したのだから無罪。無罪だから重職に復帰させる。そんな判決を出す裁判官がいるでしょうか(一方、和歌山の事件では、自白がないまま、状況証拠だけで死刑判決)。
 政権奪取、選挙に勝つことを最優先した鳩山裁きです。こんな裁判官を評価する国民に裁判が出来るのでしょうか。心配になります。市民がその感覚と良識を主張しなければならない、まさに、そと時が来ました。
九十九里浜
 ブログ「半農半遊舎」の宮古島の海の写真を見て、我が郷土の海である九十九里浜に行ってみたくなりました。二年ぶりでしょうか、吉崎浜と野手の浜間を自転車で楽しんできました。
 県立公園になっており、海岸を自転車県道が走っています。海の一キロほど前から、波の音が聞こえてきました。近づくと空気が楽に喉を通る感じです。なのに、酸素は濃密なようで、体が喜んでいるのが分かります。
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 左側数十メートルはもう海です。ここらから、空気が変わったことに気付きました。右の写真は海岸道路が県道であることの標識です。県道408号線です。

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 ご覧の通り、少し海は荒れていました。しかし、九十九里はこんなものです。風もありましたが、気温が高かったので、心地よいものでした。穏やかな気持で、自転車を滑らせました。近くには「国民年金特別融資国民宿舎、のさか望洋荘」があります。
 海岸には釣り人が相当数いました。海が荒れすぎているためでしょうか、釣果はイマイチのようでした。イシモチを皆さん狙っています。話を聞いた人は未だ釣れずとのことでした。
 ところで、「海岸」と言ってることに違和感がありませんか。ここは九十九里浜です。昔から、吉崎浜、野手の浜、長谷浜と地元では呼ばれる集落ごとの浜が連なって九十九里浜です。しかし、私は海岸と言っています。行って見れば「海岸」と言う言葉になってしまうのです。その話はまた明日。

人間の尊厳とは その③ 孤独、阿弥陀の救い
 人間の 『尊厳、』 を考えています。そろそろ、決着を付けたいとの思いです。辞書、皆さんの見方、自分の見方を総合すると、やはり 『尊厳』 は 『誇り』 だと思います。『己を人間と認め続けるための孤独な誇り』 が今の答えです。ヒントは尊厳という時に、『人間の尊厳』 と人間をくっ付けて使うことです。人間として高くありたいという緊張感を尊厳は求めています。しかも、他人があんたの尊厳は守られているといってくれても、自分でそう思えなければ、あるとは言えない性質を持っているのではないでしょうか。その意味で孤独です。
 千葉県立がんセンターの 『母の尊厳を奪う紙オムツ』 の 『奪う』 は娘さんがそう見ているのです。お母さんは尊厳を奪われていると感じているかもしれませんが、そうではないかもしれないのです。尊厳は守ってもらうとか、奪われるとかの性質を持たないと思うのです。
 例えば、政治的・民族的迫害から、政治信条・信仰を捨てろと拷問を受けるとしましょう。この場合、奪われているのは 『人権』 であって 『尊厳』 ではないように思います。この弾圧に屈してしまった自分を認められない時に、尊厳を失うのです。
 作家五木寛之さんはNHK、ラジオ深夜便 『我が人生の歌がたり』 の中で、『敗戦直後、平城(ピョンヤン)に進軍し、ソ連兵が強奪しに来た時、父親は怯え、家族を守るどこではなかった。その後父は廃人のようになってしまった』 と話しました。お父さんは尊厳を失ったのだと思います。私はとても、父親を責めたり、情けないとなじる気はなれません。そんな場面に出っくわす不幸を恐れはしますが。
 ソ連兵はこの場合、悪魔です。拷問で、転向や改宗を迫る権力も悪魔です。人間が人間であり続けようとする意欲を奪うものこそが悪魔だと思うのです。これに対し、尊厳を失い、人間でなくなった人間を 『それでもあなたは人間ですね』 と救ってくれるのが 『阿弥陀様』 だと思います。
 大学生の頃から、浄土真宗に関心を持ってきました。如何ともし難い、非人間性を自分が持っていることを否定できないのです。この私が言う 『非人間性』 を 『それこそ人間的ではないか』 と言う人もいると思います。私もそう思うところがあります。しかし、それは私が五木寛之さんのお父さんの経験も、飢えに苦しんだことなど、極限状況に直面したことがないからです。
 こんな風に見てしまう自分が日常生活をしているわけではありません。しかし、誰もが人間尊厳を背負って生きていることは間違いないと思います。一人で生まれ一人で死んでゆく。自分しか自分の人生を生きられない。そして、人間尊厳を背負っている。この3点が人間の 『根源的孤独』 の内容です。
 
姪に感謝、ようやく農作業始動
 ようやく、農作業事始とあいなりました。姪となすとすいかの苗を定植しました。苗を植えに来るのに、何の準備もしないわけにいかず、昨日は草刈をしました。いっぱいになってしまい、母から『生ゴミ入れ(コンポスト)の中出して』と言われ続けていた、この懸案も一気に解決しました。やってしまえばなんでもないことなのですが、はじめるのが億劫なのです。悪い癖です。ということで、こころが軽い週末です。週はじめも、週末もない身ですが、一応そう言わせてもらいます。
 姪も、いい天気の中、汗をかいて、私の手料理に満足して(そういってくれますので)、ぼーの散歩を楽しみ、風呂上りに、ビールを飲んで、充実した一日だったとかえって行きました。9時前に着いたようです。
 明日は、サタデースクールが午前中あり、午後5時から、東総工業職員の退職祝いで同窓会のようになります。多くの旧友と話をしてきます。

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バナナ入りホットケーキ
 市販のホットケーキの素を使います。一袋の量が適当ということで、森永を買っています。作り方は簡単というより、特にありません。粉に、牛乳、卵、そして、バナナを入れて、良くかき混ぜるだけのことです。唯一、注意すべきは、バナナの熟成状態です。腐る寸前が一番良いようです。もちろん、柔らかさがと滑らかさが増すからです。甘さと香りにも差が出ます。

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四つの子袋が入っています。   撮る前に、思わず、食べようとしてしまいました。
体質問う民主党代表選
 民主党代表選挙が行われる。選挙権は国会議員のみにあると聞来ます。それで良いのでしょうか。
 自民党は党員350万人と公表したことがありましたが、党費納入・機関紙購読状況から党員とは言いがたい者が多かったようです。党活動という意識が低く、議員が離党すれば、党員ではなくなるのです。自民党は私的後援会連合会です。これに倣えば、民主党は院内クラブに過ぎません。国民生活から生まれ出た近代市民政党とは言いづらい所以です。
 自民党は政党助成金と企業献金が主な収入源です。民主党は政党助成金に頼りっぱなしで、不足は深刻なはずです。これが政治と金の問題を生んでいることは言うまでもありません。
 今後、民主党は機関紙・出版も含めた党活動を支える党員を増やし、強固な地方組織を築くべきでしょう。市民政党への体質改善をすることで、自民党との差別化をアピールし、その存在意義を示して欲しいものです。
理想を語れない政治家と憲法
 かつて、第二次世界大戦を振り返り、ドイツ大統領ワァイヅゼッカーが行った演説は世界中を感動させました。一方、中曽根首相の敗戦に関するの演説は日中戦争・太平洋戦争の教訓を真っ向から否定する内容で、失望を隠しきれませんでした。
 多くの国民や世界市民には理解しがたいのですが、しかし、中曽根さんは自分の理想を、信念を明確に表明したのです。その意味で彼は政治家であったなのです。理念・理想から政策が生まれます。その政策の違いを各党が国会活動、機関紙発行、出版物、ビラ、支部活動等で国民に示し、支持を得ることで政権を奪い合うのが、まともな政治の姿です。
 なのにどうでしょうか。現在の政治家は、政局を語れても、理想を語れません。選挙に勝つにはどうしたらいいかを考える者はいますが、己の職が国民に大きな影響を与えることに思い致す者がいないのです。己の個人的利得や保身にのみ関心があるのです。政治屋といわれる所以です。
 政治家が理想を語らないその日本で、政治屋に代わって、これからの日本が進むべき道を国民に示しているものがあります。『日本国憲法』です。オバマ大統領のプラハでの演説は、我らの憲法の理想と繋がるものがあります。この方向だけが人類が生き延びられる唯一の進路です。
 不思議なことに、理想なき政治屋なのに、改憲だけは理想とする者たちがいます。この勢力は日本の古い政治体質と重なっていると思います。彼らが反人権、差別発言を繰返していることがその証拠です。誰が新しい理想に向けた時代の創造者なのか、見極めなければなりません。その上で総選挙を迎えたいものです。
偶然か、それとも導きか
 卒業式に生徒からアルバムに「一言書いて下さい」といわれるとある出来事以来「誠実に勝る知恵はなし」と書かせてもらってきました。嘘のない実感ですから、てらいなく書きます。
 「誠」「誠実」の大本は「自分に嘘を付かないこと」 「自分の本心を見定めること」だと思います。その作業をしないで、人にものを言う、アドバイスする、指示する、命令することは誠実さを見失うことになります。偽善者にさえなってしまいます。品性が低い私ですが、何とか偽善者にはならないようにと自分に命じています。
 今までの経験が教えてくれた、理想の生き方がブログ名「人を笑わず人と笑う」です。もちろん理想です。現実は「人を笑い人と笑う」なのです。「人の悪口をいい、欠点を指摘し、仲間とそれを笑う」のが日常です。第三者が見れば、笑われている人より、笑っている人間の方が笑いの対象でしょう。これでは私に心を開いて、接してくれるわけがありません。むしろ離れてゆくのではないでしょうか。現に、思い当たる例が幾つもあります。
 「誠実さ」と「人を笑わず人と笑う」が自分の一生の課題です。このように、はっきり、意識しだして数年、気付いたことがあるのです。私の母校(中学・高校)の校訓は「誠」です。坪内逍遥作詞の校歌一番は「誠 誠 誠」が〆です。そして、大学は中国の古典「史記」の一節「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」その様な人材を育成することを教育目標にして創立されました。桃李にたとえられる徳高き人は「人を笑わず人と笑う」人だと思います。当時は「なるほど、そうですか、なかなかいいのではないですか」程度の理解だったのです。
 卒業後、三十数年の時間が私に教えてくれたことは青年期に過ごした学校がすでに示していたのです。これは偶然なのでしょうか、それとも天の導きなのでしょうか。目に見えない力を信じる下の姉は導きだと断定しました。私は、ただ不思議を思いながらも、幸運とこれを説いている母校と言う伝統に感謝するのみです。
国民不在で税金搾取と化す
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野菜たっぷりカレーライス
 カレーライスを失敗する人は相当の料理音痴です。肉を、たまねぎ、人参といった甘みとうまみを出す野菜を使うのですから、美味くならないわけがないのです。第一、カレー粉、カレールーは味出しの天才です。
 カレーは野菜不足を補うために最適な料理です。良く考えてみれば、カレーは極上のスープでもあるのです。まず、たまねぎを丸ごと一個350グラムをみじん切りにします。たまねぎは切って、20分ほど置いて空気に当てると、血液をさらさらにする成分が数倍になると聞いています。続いて、にんにく、しょうが、椎茸もみじん切り。人参は大きめに切ります。そしてトマト。そして豚肉。これらをすべてフライパンに入れ、オリーブオイルでよーく炒めます。途中で、カレー粉も加えます。
 一方、大きな鍋に七分目ほどの水を入れ、沸かして、そこにマギーウェルネス野菜ブイヨンと八丁味噌を入れます。ここに、フライパンの中身を加えて、煮ること二時間。あとは市販のカレールーを規定の四分の一入れて、適当な香辛料も加えて、味を調えれば完成です。
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 これで一杯、200グラムの野菜が摂れます。わかめスープとレタスとハムのサラダ。ドレッシングはごまドレッシングを牛乳で薄めたものを使います。
匝瑳市サタディースクール開校式
 今日はサタディースクールが始まる日です。このスクール、週休二日制に伴うマイナス面をカバーする目的で設けられた制度です。主催は市教育委員会ですが、指導員の多くは市民と大学生です。市内三箇所の小学校で行われます。私は八日市場小学校会場で4年生19名を三人で担当します。
 式が終わったら「先生、お久しぶりです。退職されていたんですか」との声に振り向くと旭農業高校の卒業生でした。なんと、息子さんの担当が私です。多くの時間が流れたことを改めて実感させられました。 
 写真は式が始まる前の様子です。この後、司会者の指示に従って、立派な態度でした。残念ながら、保護者席が騒がしかったでのです。校長が見かねて、職員に静かにするよう協力を求めなさいと指示を出したほどです。
 高校でも、十数年前から、入学式・卒業式に遅刻する保護者が目立ち始めました。時代が変わり、共働きで朝大変なのだろうぐらいに思っていました。ところが、数年前から、式中の私語が現われだしました。気になるところです。
 また一年間、頑張りたいと思います。どれだけ、子供達を冷静に、しかも、熱く見詰められるかが課題です。
ばらまき予算裏付ける話=政府も偽装
 地方公務員の知人が連休後が憂鬱だ「役所に行きたくない」と愚痴りました。この一ヶ月以上、補正予算に絡む仕事が地方にも回ってきいて、休日出勤をする程忙しかったらしいのです。 
 彼の訴えを要約すれば次のようになります。公務員の仕事は地域・住民の生活を守ること。その実現に結び付く、胸を張れる仕事なら、残業も厭わない。しかし、地域・住民の実情や要望とは無縁な、その意味で無駄な事業を、あたかも、意味ある施策に見せ掛ける仕事に夢中にはなれない。というより、苦痛でしかないと言うのです。
 彼の部署では港湾整備に6000万円付けたそうです。道路土木関係には26億円を追加したとの話です。これ等は、予算の意味を考えて、事業の効果必要度を精査した結果ではないといいます。短時間で、多額の使い道を考えろと言うから、取って付けただけのことです。
 実は、通常予算の立て方も、住民を目的にしているとは言い難い、そんな思いを隠し持ってきたとも言います。一生懸命やればやるほど、住民を裏切ってしまう、そんな不安の中にいる。だから、残りの数年間は、研究してきたことをまとめ、博士号を取ることを目的としたい、と結論付けました。
 ここで、二つのことが明らかになります。「補正予算は今後の展望を持たない、一時しのぎの、「政策」に値しないばらまきである」「国家財政を食い物にして、政権を維持しようと言う、保身という『策略』に過ぎない」ゆえに、補正予算は『策略』を『政策』と見せ掛ける、政府による偽装だということです。
 5月8日付東京新聞に「天下り法人に2兆8500億円、補正予算の2割支出」とあります。これは、官僚と政府自民党が同じ利権土俵に乗っている証拠です。だから、いくら、野党・マスコミ・国民が特殊法人・天下り法人の解散・統合を言っても、名を変えるだけでなくならないわけです。
 もう一つは、まともな職員は何もしないことで、少なくとも、無駄を重ねる反国民的行為に加担しないように努める、そんな選択をせざるを得ないということです。有為な人材を生かせない罪をも政治は負わなければなりません。
犬は目を閉じるだけ
 最近、気付いたことがあります。ぼーと生活しだして10年、彼がj熟睡しているのを見たことがないのです。寝ていると思うから、静かに、近寄っても、すぐに目を覚ますと言うか、目を開けます。人間の子供が、寝床まで抱えられて、寝かしつけられても、目を覚まさないことに比べると、寝ていることが疑わしい、目をつぶっているだけではないのかと思うほど、眠りが浅いなのです。
 可愛いので、ずーと見詰めると、先に目を避けます。そんな時、こいつは私といて幸せなのかと不安になるのです。昼間、一人になってしまう母の相手にと、また、共通の話題になればという私達だけの都合で、貰ってきたのです。ここに居るのです。
 穏やかな生活ですが、時に、深遠な思索をしている、また、自分の境遇を省みているのではないかと思わせる表情を見せます。散歩の朝、急に立ち止まりました。そして、遠くを見据えて、我々には見えない世界に想いを寄せている、そんな風体を取るのです。他人のように見えました。

 まなざしに  しあわせを問う    朝の霧
                 
             リードはきずな     それとも鎖

犬の精神性を、尊厳を疑ってはいけないと実感しました。

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 この写真、ぼーの精神生活を感じませんか? 
                   
                         
                             
たこ焼き、今川焼きの「八万石」
 総武本線干潟駅近くのローソンがある十字路を北に入ったすぐにある「八万石」、「干潟八万石」から名を取っている。私と同年輩のご主人と奥さんの二人で切り盛りしている。元旦だけが休日、「元旦も仕事してもいいけどよ、かっこ悪いからこの日だけ休む」という主人である。
 反権力、反骨の御仁である。おかしいと思ったことは憚らず、言葉にする。娘さんもその血を引いているのか、管理主義に嫌気が差し、教職を離れ、今は、行政改革に熱心で、採用年齢学歴を撤廃した、千葉県西部のI市の60倍の採用試験に合格、この4月から働いている。
 たこ焼き、えび焼き6個入り、150円。今川焼き1個70円(つぶし餡がいっぱい)と安い。小豆が上がった昨年10月以降もまったく値上げしない。「こんな時こそ、値を上げず、客を集めて、薄利多売、多く作る分、多く働けばいいだけの話」と平然としている。
 そんな性格を好む人が多く、買いに行って、他の客と会わないことがない。にぎやかな店である。餡も甘さを抑えているから食べやすい。奥さんはいつも穏やかな笑顔を浮かべている。近くの方は、あるいは、東総地区にいらした折にはご来店を。

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不規則ストレッチで起きる
 低血圧のせいか、年のせいか、寝起きが悪く、目が覚めても起き上がらない朝です。おまけに、いつもだるいのです。
 今朝も同じ症状、寝床で背伸びします。気持が良いので、いろいろな背伸びをします。筋肉を伸ばしたり、縮めたり、すじを引っ張ったり、突っ張ったり、気持がよければあらぬ格好もします。だから、決まった形はありません。これを10分もやっていると、体が温まり、軽くなってくるのです。
 血圧も上がるのでしょう。起き上がる気分になってきます。新聞を読んで、レモンティーをのみながら、今、これを打っています。気持ちいいことは身体にいいのでしょう。それが摂理と言うものだと思うのです。
 無理をする、したくないことをする、我慢をすることが立派なこととされ、期待され、強いられる。更に、自らも、この態度姿勢を内面化しようとする。そうではなくて、気持がいいこと、楽しいことを、素直に求めてよいのではないでしょうか。
 不規則ストレッチと紅茶と鶯の声が、そして、愛犬ぼーの優しく穏やかな眼差しが、そう教えてくれる朝です。


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ぼーの写真を載せる必然性を作る為に、最後の一文を入れました。



このアンバランス、政治が機能していない
 ブログ友人の半農半遊舎さんの5月4日日記「巨大化」(奥様のBIBIさん記す)を読み、写真を見ました。ご夫婦が住む宮古島でも大型リゾート開発が進み、高級ホテルがつくられ、ゴルフ場が付属している様子が写真にあります。これ以上高級リゾートホテルが必要なのでしょうか。国が制限したらとさえ思います。
 一方、全国の自治体では特別養護老人ホームが不足して、入居を待っている老人、その家族が沢山いらっしゃいます。我が匝瑳市でも、三年前で120人(記憶が定かではないが)と聞きました。そこで、「市で造ればいい」と提案すると「国が基準を作り制限している。内はもう造れない」と市職員は言うのです。
 自由経済だから、企業活動に制限が出来ないという姿勢を示して、必ずしも、必要ではない高級ホテルを容認する一方、必要な特老ホームを制限して、造らせない。国の政治が機能していません。国家・社会の富をどう使い、配分するのか、この点で、バランスを取る機能を国は果たしていないと言わざるを得ないのです。
 教師であった頃、校長が生徒職員に向いて仕事をしているのか、県教委に向いて仕事をしているのかを問いました。同僚に、校長教頭を見て仕事をしているのか、生徒保護者を見て仕事をしているのかを問いました。今、政治がどこを向いて、仕事をしているのかが、問わられねばなりません。
 ことの本質を見失った集団は構成員のやる気を失わせ、腐って行きます。意味ないことをさせられていると構成員が感じ、それを改善できないと絶望した時に、その組織は動けば動くほど、働けば働くほど、社会お荷物になって行きます。社会は停滞し、人々の幸福感は薄れてゆくでしょう。今の日本がこれだと思うのですがどうでしょうか。
 
オムライス
 野菜は一時間も煮れば、とろけるほど柔らかくなり、歯が悪かろうと、嚥下障害であろうと食べられるようになります。しかし、肉、魚はそうは行きません。たとえ、やわかくなっても、喉越しが悪く、飲み込む気にはなれないのです。ゆえに、たんぱく質が不足し、色々支障が出てしまいます。特に、免疫力の低下が心配になります。
 そこで、高たんぱく食品をどう調理するかが課題になってきます。幸いにも、母の場合、柔らかご飯であれば、何とか、食べられます。そこで、細かく切って、ご飯にくっ付けて、一緒に、喉を通過してもらおうという作戦を取るわけです。
 まず、ロースハム(無添加の信州ハム使用})、ホタテ、椎茸、たまねぎをみじん切りにします。これを、よく炒め、ケチャップご飯をつくる。そして、卵に少し牛乳を入れ、良くかき混ぜ卵焼きとし、ご飯の上に乗せる、完成です。
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      スープは、昨晩のほうれん草のおひたしの残りと、ホタテ、長ネギです。
豆腐入りワンタン
 ワンタンの中の身は挽肉と相場が決まっていますが、喉の通りが悪いのです。ご存知のように、挽肉はばらばらのようですが、熱を通すと固まります。これは何回挽いても同じことです。
 そこで、水を少し絞った豆腐と片栗粉を加えることにしました。具には、あいびき肉、豆腐、たまねぎみじん切りと椎茸みじん切り(この二つは油いためする)、おろししょうが、片栗粉、ごま油。スープはマギーのウェルネス野菜ブイヨン(スープの素、化学調味料不使用)と醤油、塩、胡椒。ゆでほうれん草と長ネギを浮かべます。これで、ようよう美味しいと、喉を通ると言う母です。

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    完成品です。        これはデザートです。


 野菜は柔らかくなるまで、良く煮込みます。ですから、どうしても、ビタミンが不足します。そこで、苺は貴重なビタミンC補給食品です。壊れないように、ミキサーにはかけず、つぶします。はちみつ、レモンで味を調整します。

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                 きのうも田に夕日がきれいでした。
イタリアンレストラン、エスト・エスト
 我が家からすぐそこに、この店はあります。総武本線干潟駅近くのローソンがある十字路を北に入り、鏑木に向かう途中、東洋自動車教習所入り口、少し手前にあります。店主は30代後半で、私が11年間お世話になった東総工業高校の卒業生です。
 東京で、幾つもの店で修行して来ただけあり、この地域では、数少ない本格派のイタリアレストランとなっています。開店4周年を迎えました。固定客も付き、経営は軌道にのりました。毎週月曜日と第二、第四火曜日が定休日。土日、祝日は特別メニュー、平日は週替わりランチです。今週のメニューは写真の通りです。
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  週替わりメニュー     土日メニュー

 シェフのこだわりは、調味料は一切使わず、野菜は、無農薬有機栽培をされている常世田さんと契約して入手しています。更に、父親の手作り野菜も利用とのこと。素材の味を生かした料理となっています。料理が来て、まず違うのが、匂いです。この匂いを出す秘密はもちろん調理の仕方にあることは言うまでも有りません。
 本日、私は、Aランチ(1000円)のスナップエンドウとたらこの和風をいただきました。
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 これが今日いただいた料理です。

料理にも増して、女性に大変人気があるのがデザートです。ティラミスは絶品です。今日は、写真に撮るために「パイナップルとココナッツミルクのシャーベット」を特注しました。
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 更に、いつもこぼれんばかりの笑顔で迎えてくれる、気が利いたウエイトレスさんが魅力です。是非、一度ご来店あれ。

電話  0479-62-4601
買ってやる=雇ってやる関係
 商店が次々に廃業して、身にしみて分かることは「買ってやる」ではなくて「売ってもらう」であったということです。正確には、「売り買い合う」相互依存、互恵関係にあったということです。
 昨年10月以降、それまで、他地域を圧倒していた愛知県が、最悪の不況の中にあり、群を抜いて、非正規雇用者が職を奪われています。この様子から、「雇ってやったのだから、こちらの都合で、いつでも首を切れる」という会社の意識・本音が読み取れます。しかし事実はそうではなく、働いてくれないと会社も困る状況ではなかったのかと思うのです。非正規雇用者が働いいてくれた結果としての、史上最高益であったのです。労働者と経営者の関係も商店と客との関係と同じではないでしょうか。
 職業高校で三学年を担当した時、進路指導部との会議で、進路指導部長の霜垣さんが「今は景気がいいですが、何時悪くなるかもしれません。景気の良し悪しで、企業の方との関係を変えてはいけません。景気が悪い時はへつらって、いい時は尊大になると言うことがないようにお願いします。それは卑しいことですから」と気持を表明しました。「企業の方が求人票をもって説明に来られたら、いつも、玄関まで見送って下さい」
 窮した時に人も組織もその本性を現します。今まさに、人格、人品を問われる時です。しかし、企業はその卑しさを露呈して恥じません。政府もこれを質そうとしません。「義を見て背ざるは勇無きなり」闘う時が来たと思います。