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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
ねぎとろ納豆丼
 「カルシウムをいくら摂っても、ビタミンKを摂取しなければ、骨粗しょう症は防げない、骨折して寝たきりになってしまう。ビタミンKは納豆に豊富に入っている」というテレビ番組を観た母は、さっそく、納豆を食べようとしました。母にも食べられるようにと、極小の納豆を買ってあります。そのままで喉を通りました。嫌っていた納豆が美味しいと言うのです。テレビ効果です。そこで、以前から食べ出していました「ねぎとろ丼」のアレンジで「ねぎとろ納豆丼」を思いつきました。
 「ねぎとろ用のまぐろたたき」に、細かく切った「長ネギ」と「しそ」、「納豆」を混ぜます。それを熱いご飯の上に載せます。そこにタレをかけて完成。タレは昆布とかつをと、いわしさば削り節でだしを取り、だしに、酒、みりん、醤油、しょうがみじん切りを入れて、煮込みます。完成品です。今日はこれとトン汁です。

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槙の垣根の集落
 千葉東総地方は昔から、垣根は槙の木と決まっているようです。古くからの農家はもちろん、新築の家にも目立ちます。南房総も槙の木が多いようです。降雨量が比較的少ないことが採用の理由と聞いたことがあります。あるいは、海に近いですから、塩害に強いことが主な理由かもしれません。更に、虫に強い常緑樹で、一年中、風を避けてくれることも考えられられますが定かではありません。
 我が集落も槙を使っている家が多いですが、県道に面している関係上、大分、景観が違います。幹線道路から中に入った集落は、落ち着いた風情が感じられます。
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人間の尊厳とは  その②
 考えても、埒が明かないので、避けていた辞書を調べてしまいました。「とうとく、おごそかで、おかしがたいこと」でした。案の定と言うところです。「おかしがたいこと」の「こと」が、何であるかを知りたいのになぁ。いつも辞書はそうです。例えばこんなことです。八朔とは「大き目のみかんの様なもの」。この場合、「もの」ではなくて「かんきつ類」と言う言葉が欲しいわけです。
 十数年前、父が千葉県立がんセンターに入院した時、家族・職員の文芸コーナーがありました。「 わが母の   尊厳うばう   紙おむつ 」という作品を記憶します。甥や大学の友人Oの意見やこの作品からすると尊厳とは「ほこり」の仲間なのかとも思うのです。しかし、「ほこり」の中には、尊重する必要のない誇りもあります。傷つけられてもいい誇りもあるでしょう。例えば「めんつ」「世間体」などがそれでしょう。しかし、「尊厳」には辞書が言うように「おかすことができない、おかされるべきではない」と言う性質があるように思うのです。犯すことが出来ないが、同時に、守ることも出来ない、守ることがおかすことになってしまう、そんな性質を持っているように思うのです。
 では何なのか?スッキリする適当な答えが見つかりません、浮かんできません。改めて、ご意見を伺いたいところです。
東京を歩きました
 昨日は、母親の薬をもらいに江東区新砂の順天堂に行きました。ほんの数分で本人が居ない「診察」は終わり、会計を済ませて、9時20分でした。東西線に乗り、なぜか、竹橋で降りて、北の丸公園に向かうのです。
 空は晴れ上がり、風はなく、湿気もない、さわやかそのものです。周りのビルがまったく見えない場所で、紅茶を飲みました。都心とは思えず、何処か田舎の森にいるような錯覚を楽しめます。人は殆どいません。幼稚園児が20人ほど、池の周りで遊んではしゃいでいましたが、邪魔しません。むしろ、人間と共生する森の風情を演出しているかのようです。。安らかな気持ちになり、しみじみ「平和だなぁ」と感じ入ったのです。 
 恋に酔う若者のように、静かに歩き、神田神保町へ。南海堂、一誠堂、川村など古本屋さんをめぐりました。そして、ランチョンで食事。店内はいっぱいで、人々の声が弾んでいます。ウエイター、ウエイトレスは忙しく、客の求めに応じ楽しげです。なんだかんだ言っても(ここが神田だからではありません)、今の時代が一番、過去になかった最高の生活でないのかと思いました。 
 物的に幸せなことは、精神的にも余裕を与えます。最高の時代に生き、最高の幸せを享受している、それが実感です。しかし同時に、過去にない最高に危険で、最高に怪しげな不安の中にいることも事実です。それが、過去にない最高の不幸でもあるのです。
八日市場ドーム
 風は強いが、快晴です。市役所に定額給付金給付申請に行ってきました。我が家は母と二人で32000円です。そのついでに、買い物。今日は、無添加の「信州ハム」を買うため、ミヤスズではなく、カインズフォームに行きました。省エネの電球を含めて、何と7000円あまり、もう、五分の一以上を使ってしまいました。
 市役所に行きましたので、その脇にあります「八日市場ドーム」という体育館を撮ってきました。これを私は「鉄筋コンクリート造り」ではなく「増健コンクリート造り」と呼んでいます。前市長増田健さんの時に造られました。写真を良く見て下さい。コンクリを必要以上に沢山使って造られています。ちなみに、増田さんの職業は生コン会社の社長です。
 これに味をしめたのか、彼は天神山に造る公園の中に郷土資料館「八日市場城」を「増健コンクリート」で造ると言い出したのです。その費用なんと、15億円。任期切れによる市長選では、八日市場市民病院の事務長などを歴任した山崎千里さんを立て、反対運動が盛り上がりました。12年前のことです。私も参加しました。現職の高校教員だったのに、結構目立ったことをしてしまいました。一つ間違えれば職を失ったかもしれません。
 市長選は、「増田が危ない」と踏んだ自民党県連は八日市場選出の県会議員江波戸さんを立て、この危機を逃げ切ってしまいました。江波戸さんがお城建設計画を白紙撤回しましたから、私の目標は達成されはしたのですが。では、「増健コンクリート造」の八日市場ドームをご覧下さい。
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これが、匝瑳市役所と議会堂です。
なかなかの匝瑳市新教育長
 土曜日は、雨の中、朝から、認証式のために、出かけました。式の中で、新教育長さんの挨拶がありました。八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して匝瑳市となり、数年が立ちました。前匝瑳市教育長は前八日市場市教育長で、新教育長は、前野栄町教育長です。「そんなものかなァ」と少し不機嫌になってしまいました。
 そして挨拶に立った新教育長さん、彼がサタディースクール(週休二日制後の土曜日の有効活用の一案として市民を指導者とした学校)の発案推進者だった言うことでした。「なあんだ自慢話か」と思いましたが、ただそれだけでないものを含んでいました。
 というのは、サタディースクールでは学校で教えている先を教えてはならないことになっているのです。これは小学校からの要望です。しかし、新教育長さんは「やる気がある子供の意欲をすぐことになる殻」と学校の先生方と協議をして、先きに進むことが出来るようにしたいと言うのです。これは一昨年の私の指導員としての経験からいえば、正しい判断だと思うのです。なかなかの人物が教育長になったと今度は、愉快になりました。
 雨にもかかわらず、気分は晴れていまして、ミヤスズで買い物をして、交通安全高校生用雨合羽を着て、自転車をこぎこぎ帰りました。
人間の尊厳とは?
 大学生の甥が電話してきて「ブログの草薙さんのなぎの字が違っている」というのです。それだけなら、こうして書くこともなかったのです。
 彼は「最後の5行はいらない」と言うのです。その上とは文脈が違う。言いたいことが、上と下では違うでしょう。それは私も分かってあえて書き加えたのです。その後の彼が言ったことには驚きました。「最後の5行は、その上を読んでいる時に、伝わってきた。だからいい文章だって言ったんだよ。だから、最後の5行はいらない」と言うのです。つまり、最後は蛇足だと言うのです。
 何でも、すべて説明しないと安心しない小心さは文章に限らず、授業の欠点でもありました。それを知りつつも直らないで来たのです。その欠点に気付くとは、なかなかの成長と驚いたわけです。成長とは文章読解力や鑑賞力、分析力に限らず、人間的にも成長したと感じたのです。
 そこで、今考えている「人間の尊厳とは何か」を問うたわけです。彼の答えは一言で言えば「生きた証」でした。甥との電話の最中に、大学時代の友人、Oから電話が入りました。彼には寝たきりで、重い認知症の母親がいます。そこで、彼にも「人間の尊厳とは」を問いました。O は「ことを成し遂げること」というのです。このブログをお読みの方にも、ご意見をいただければ有難いことです。


余裕を失っていないか=草薙さん逮捕に思う
 草薙さんが逮捕され、大騒ぎになっています。本人反省のように大人の節度を逸した失態です。また、職業人、有名人であることの自覚を欠いた軽率な行為であります。酒を理由にするなら、それは勘違いと申し上げます。ですが、今回の警察の対応は「粋」とは言いがたいものでした。それこそ、警察官に大人の、余裕ある対応をして欲しかったと思うのです。
 子供の頃の話です。伯母の家で、弟と三人、夕ご飯をご馳走になり、父はおじさんとビールを楽しみました。その帰り道、国道17号線で交通取締りをやっていたのです。「こりゃまずい」と父、しかし、覚悟を決めて、停車しました。一通りの確認をして、「二人息子さんがいるの」と聞くのです。「はい、ご協力ありがとう」あっけに取られました。 気づかないはずがありません。父が言いました。「息子の前で、平謝るような目に遭わせたくなかったのだろう」  なるほどと、子供心にも感じ入りました。交通安全も大事だが、「父親の沽券を奪うことが教育上良い訳がない」との、彼という人間の責任で行った判断だったのでしょう。
 これこそ、懐が深い、人情を解した大人な対応というものです。人間の大きさと余裕を感じます。こう言うと、「許してしまい、そのあと事故を起こしたらどうするんだ。職務を怠っていないか」と言う声が聞こえてきそうです。彼は、その可能性を思っているのです。事故が起きたらその責めを負うことを含めての判断です。だから懐が深いのです。職務遂行上の余裕が感じいられるのです。
 このように出来なかった理由はなんでしょうか。警察本部が現場から裁量権を奪っている、すべてマニュアル通りに行うことを要求命令している、そんな印象を持ちます。これは、現在、あらゆる職場で起きているとの感触を持ちます。閉塞感とは未来が見えないと言うことに加えて、経験や、自分の判断を求められない、許されない画一化を最高価値とする管理型社会にあるのではないでしょうか。
空から見てみたい今の干潟八万石
 北東の風が心地よい中、ぼーはいつもと変わらず、意欲満々です。歩くことが自分の使命と思い込んでいるがごとしです。
 田圃に出ると、更に、、田植えに向けた準備が進んでいます。軽トラックがあちらこちらに見えます。刻々と、農業用水が田に引き込まれ、拡がって行きます。田はただあるのではありません。綿密に計算られた土木技術と農家の細かな細工によって、一面漏れなくすべての田圃に、水が流れ込むように造られ、維持されているのです。
 ますます、干潟八万石の中に入り込むと、大きな湖に浮いているような錯覚に陥りそうです。そこで、少し高いところから写真を撮ろうと思い、水門の上に上りました。その様子をご覧下さい。
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 今の干潟八万石を空から見たいものです。成田を飛び立った飛行機からはどう見えるのでしょうか。以前にも言いましたが、干潟八万石は「椿の海」と呼ばれた、諏訪湖ほどもあった湖でした。現在の水田地帯はその倍はあると思います。メコンデルタを思わせるような光景ではないでしょうか。


やくざな仕事
 「ヤクザ」といえば、「暴力団」を連想する人が多いと思います。体制外にあろうとし、法の及ばない裏社会を築き、悪事を働く人々との認識しでしょうか。
 「やくざな仕事」という言葉を耳にします。ある先輩が「教師はやくざな仕事だよ」と言いました。彼の普段の言動から、なんとなく、納得しました。「ヤクザ」=「暴力団」と言って、体罰のことを言っているのではないのです。服装頭髪検査に夢中になっている、生徒の非行を取り締まりに躍起になっている、来賓・PTAを招く式典を立派にするために生徒を締め上げることなどを「やくざ」と言っているのです。私もそれには同感でしたから、彼の心うちが分かりました。
 ところで、「やくざ」という言葉は「ヤクザ」「暴力団」が生まれる前からあったようです。元来の意味は「役に立たないこと」「用をなさないこと」「まともでないこと」だそうです。なるほど、上に挙げた教師の仕事は、本来の生徒を目的とした教育からすれば、役立たずで、まともではいでしょう。
 弟も「役人はやくざな仕事だよ」と言い出したことがありました。中堅職員の彼は見えるようになったのです。県民のための行政という建前からすれば、県が、自分がやっていることは役立たずに見えると言うか、確信かもしれません。
 こうみてくると、「やくざな仕事」は他にも沢山あるように思えてきます。信用を失う事件が多発しています。信用を失うと言うことは「役立たず」になることを含んでいます。ゆえに、偽装をした会社の相当数が、廃業に追い込まれています。日本漢字検定協会を国の直轄事業にしたらとなるのです。
 今の時代、「やくざ」病原菌が蔓延しているようです。新しい時代の前触です。が、その新しい動きが見えてきません。焦りと不安だけが募ります。目の前のことから、地道にやってゆくしかない自分です。
空ひらけ田植え始まる
 稲刈り後に、二、三度田起こしをして、春を待ちます。酸素を入れて、有機物を分解するためだと思います。不耕起栽培と言うのもありますが、今は主流ではありません。最後の田起こしをして、田を平らにならして、水を張り、そして田植えです。
 先ほど、ぼーの散歩を兼ねて、太陽社というお菓子メーカーの販売店に、ブランディーケーキを買いにいってきました。先日、お土産に持っていった時に「これは我が地域の名物で美味しいと評判です」と言ってきたのですが、私、未だ食べたことがないのです。そこで、味を確認しておこうと思ったのです。集落を抜けると田圃です。田植えが始まっていました。
 風はさわやか、空はひらけています。そこに、躍動的な耕運機の働く音、そして、寡黙にも心高まる農家の方のj表情がありました。
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これは耕運機で地を平らにならしているところです。これが終わると田植えの準備がすべて調ったことになります。もちろん、水の量を確認するでしょうが。
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        空ひらけ   田に田を映す    水かがみ

国会での質問時間の配分に疑義あり  
 国会の使命は、国民の意見を政治に反映することです。ですから、国会では各党の質問時間を議席数に比例させている聞きます。しかし与党質問は調査不足で核心に迫ることもなく、時間は余り、これをもてあまし、緊張感がありません。
 一方、鋭い指摘で見解を質したり、過ちを追求する小気味よさに見入っていると「時間がありませんから、次の質問に移ります」となるのです。党によっては質問の体をなさないのが現実です。これでは、国会は政治課題に対応をし、解決する役割を全うできません。
 思うに、各党議員数に比例させて時間を配分することがおかしいのです。趣旨からすれば、獲得投票数を基にする方が適切です。しかし、改善が必要な理由は「質問の体をなさない」ことです。そこで、最低限必要と思われる、共通の時間を各党に保障したその上で、得票数に応じた時間を上積みすべきと考えます。
  そもそも、「少数意見の尊重」とはなんでしょうか。子供の頃、多数決の原理と矛盾すると、悩んだものです。後の理解によれば「現在、の多数派が、少数派の将来多数派(多数意見)になる可能性を保障すること」です。
 ならば、多数派は少数派に対し、自分達と同じ条件での国会活動を認めるべきなのです。すべての党が同じ時間を配分されるべきでしょう。しかし、国民の支持が少ない党と多い党が同じでは可笑しいという理屈も成り立ちます。そこで、上の提案になるのです。
 解散を何時にするのかという政局にばかりに、やきもきしていますが、国会が機能するための改革論議がなされないことにこそ、苛立ちを覚えます。

 
香取航空基地掩体壕跡
 我が家がある春海地区は、戦前、香取航空基地の一部でした。戦後、兵士の一部がここに住み、帰農しました。そこで今でも、私に集落は「農耕隊」で通じます。
 ここから、サイパン、硫黄島などに、物資が運ばれたと聞きます。旭農業高校80周年記念誌(平成3年発行)には、昭和18年だか19年に、重輸送機が国道袋の十字路に墜落、それに巻き込まれた農高生が亡くなったという記録があります。ちょうど、中国北東部での徴兵から一時帰省していた父はこれを覚えていました。南方方面戦線への補給基地の性格と本土決戦に備えることを意識し、急遽建設された飛行場であったのです。
 写真は飛行機を空襲から守る「掩体壕」跡です。もう一つ、鎌数伊勢大神宮の北側にあります。これも、今は、個人の所有となり、倉庫・納屋として使われています。我が家のあたりは、当時、保健所が在ったと聞いています。近くの竹やぶの中には武器を空襲から守るためのかまぼこ型のコンクリの遺構があります。高さ2メートル、幅3メートル、長さ10メートルほどです。

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 外国人の方が見えている
 東京新聞4月19日付、ロナルド・ドーアさんが「政治の軸にならない貧困」という文を寄せている。「よその国では貧困・再分配が政治論争の主軸になるのに、日本ではそうならない」「フリーター組合をつくったり、不当解雇を法廷で争ったりする草の根の抵抗が起こっている。ところが、それに手を伸ばしているのは連合ではなくて、体制外の全労連である。その不満をくみ上げて、地方支部にその人たちを組み込もうとしているのは、今度天下を取るつもりでいる民主党でなくて、共産党だけである。なぜだろうか」と述べている。
 つまり、自民党が作り上げてきた社会的理不尽を解消しようとする政治勢力が、二大政党の一方である民主党ではないという、不思議と不幸を言っているのである。そして、もう一つ、彼は大事なことを見抜いている。社会的弱者を組織して、民主党が果たすべき役割を、国民多数派に期待されていない共産党と「全労連」が担っていることだ。
 これは、今闘っている労働者に聞くまでもなく、国会質問を見るだけでも判る。そこで、今度は私が不思議を言おう。弱者と共に強者の傲慢を正そうとする共産党の姿を社会的正義を標榜するマスコミが、なぜ、紹介しないのか。加えて、 多くが権力に巻き込まれる側に属しているのに、国民が共産党を嫌い敬遠するのか、それが解らないのである。。
 私は、科学的唯物論者でも、共産党員でもない。むしろ、仏教徒になりたいと願っている。ただ、人間社会が生み出す理不尽による人間の苦しみしを、少しでも、減らしたいと願っているだけである。そんな自分にも、外国人の方が起きていることを正確に認識していることが、不思議でしょうがない。

 
広大な旭市工業団地
 今日の散歩は、久々に、旭の工業団地にしました。工場も来ていますが、北側半分は広大な空き地になっています。そこで、ぼーを放すのです。ぼーも気持ちがいいでしょうが、私も爽快な気分にさせられます。
 さすがに、市当局ももったいないと思っているのでしょう、野球場とそれに付随する公園を市民に提供しています。ならば、もう一歩踏み出して「ドッグラン」を作ってはどうなのでしょかね。そして、そこに喫茶店も作ってみたらいいでしょう。そして、店を障害者の就業場所にしたらいいと思うのです。ロザリオ聖母園をはじめ、これを希望する団体・グループは幾つも旭にはあります。
 そうなれば、散歩の楽しみは何倍か大きくなるでしょう。では、その広大な空き地と、ぼーの寛ぎ、楽しんでいる散歩風景をごらんください。
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全日空子会社ストに思う
 全日空子会社4社のパイロットの組合がストを行いました。本社並み給料を要求してのことです。ここにも、区別を装った差別による、相対的弱者を創る仕組みがあるのかと知らされました。
 しかし、一番言いたいことは、他にあるのです。パイロットですから、本社より安いと言っても、それなりの収入が保障されているのでしょう。生き死にに関る追い込まれたストではないと察します。そこで思うのです。今の世の中、ストをしてでも生活を守りたい、不公正で理不尽な現実に、持って行きようのない怒りを感じている人たちが幾らでもいるのだろうと。しかし、そういう人たちは、ストが出来る立場になく、力も、組織もないのです。というか、その様な立場に追い込まれているからこそ、ストを打つことなんぞ出来ないのです。 
 必要なところゆえに、必要なものが行き届かないように造られているのが今の社会です。「負の連鎖」という言葉が良く使われるかけです。極めて、バランスが悪い。バランスが悪いと言うことは、いずれ、全体が壊れてゆく前触れです。なぜなら、バランスとは統一性のことだからです。全体を見渡す力量、配慮によって築かれた統一性が個個全てを活かし、そのことが、全体を生かすのが「正の連鎖」です。。
 社会的弱者を制度化し、生き延びても、いつかは、全体が腐ってきます。永続性も、また、バランスが可能にすると信じます。
森田氏をまだ知事と呼びたくない
 森田健作さんが公職選挙法違反等で告発されました。ご本人は「法律上の問題はありません」と記者会見で主張したと聞きます。
 違反であるかどうかの判断は、さほど、難しくはないと思います。彼が選挙準備開始以前に、自民党員でなくなっていたかどうかを確認すれば済むことです。「支部を解散するように事務所に指示したが、解散手続きが煩雑で、選挙が終わってからになった」との回答は的外れです。政党の支部であるなら、支部を解散するかどうかを判断するのは自民党本部でなければなりません。
 答えるべきは、何時、自民党を脱党したかです。彼は自民党選出の衆議院議員で、自民党東京衆議院2区の支部長であったのですから、間違いなく党員であったはずなのです。そうではなかったのなら、自民党の近代政党としての体質を疑わなければなりません。なぜなら、党員でない者が、党組織の重職を担うなぞは近代政党とはいえないからです。
 政策を政党とすり合わせず「私一人で考えた」から「無所属」なのではありません。どこの政党にも属していないから「無所属」なのです。それが世間の常識です。そこで、何時、脱党届けを出したかを答える義務があるのです。その回答をいただくまでは、まだ、知事とは呼びたくない千葉県民です。
グラジオラス顔を出す
 午後、散歩に出て、モモと一緒にとった4枚の写真をおばあさんにプレゼントしました。それは「思い出になる」とたいそう、喜んでくれました。A4の大きさに、おばあさん曰く(モモが)「いい女」に写っているものだから、感激したそうです。こちらもあんなに喜んでいただきありがたく思いました。
 帰ってきて、庭の草が勢い良く、繁殖しているのにため息をついて、下を向くと、グラジオラスが芽を出していることに気付きました。如何に、気持が離れていたかにも、驚き、気付かされました。さすがに、草刈を始めるのでした。これが今年の土いじり事始です。ようよう、重たい腰を上げるのでしょうか。
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これは隣の畑ですがこんな状態でした。

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グラジオラスの芽が見えますでしょうか。昨年、落ち葉を沢山、下に敷いたためでしょうか、ミミズが数匹出てきました。

一日手紙を書く=見詰め味わう時間
 昨日は、一日手紙を書いていました。仕事を持っていた頃は、手紙を書くことが、殆ど、なかったように思います。年賀状ぐらいだったのではないでしょうか。
 その年賀状も「書かなければならない」しかも12月25日までにと思うと、「片付ける」という意識で時間を使っていたと記憶します。目の前の課題を「こなす」という感覚です。それをこなす一瞬一瞬は致し方ない時間、他人・他事に取られている時間で、自分の時間でありながら自分が使っていない、生きていない時間と諦念しているのです。
 昨日は五通、一枚の手紙とはがきを書きました。お礼とお祝いの気持、そして、今後ブログを通じて情報交換、意見交換をしませんかというお誘いをしました。過去にあったことを思い出したり、気持ちを正確に伝えるため文を作り上げる時間は「片付ける」時間でも、「こなす」時間でもありませんでした。時間そのものが大切なものを作っている価値ある一瞬一瞬であり、生きている証であり、実感なのです。命を「見詰める」時間であり、生きることを「味わう」時間なのです。
 仕事を持っているときであったら、昨日の時間は無駄と感じてしまったかもしれません。時間を味わうことを許さない現代日本です。
大統領の愛犬の名前は
 オバマ大統領はホワイトハウスで犬を飼うと娘さんに約束していたそうです。その約束どおり、このほど、ワンちゃんがホワイトハウスにやってきました。その名前も決まったそうです。何と「BO」とのこと。いいセンスです。
 命名に劣らず、政治のセンスもたいしたものです。核廃絶を実行したいとの覚悟を表したとも思えるプラハでの演説、一国主義を改めると言う意思、イスラム諸国との対話尊重姿勢、新自由主義への懐疑を表明したことは、良識ある世界の市民に希望を与えるリーダーの姿です。
 しかし、その理想が高ければ高いほど、敵対者が過激になります。そこが心配です。そこで「BO」君です。「ぼー」は我が家のエンターテイナーにして、番犬を越えた守護神です。「BO」君が忠犬ぶりを発揮し、オバマさん活躍の場を守って下さい。
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今日は、午後から雨との予報でしたので、午前中に散歩に出ました。帰ってきて、水を飲んだ「直後の「BO」ではない、「ぼー」君です。一枚撮った後、「愛想がないね。いい顔して下さい」と言ったあとの写真が右の方です。意味が分かっているかのようです。もしかしたら、そうなのかもしれません。

ちなみに、我が家の「ぼー」が「ぼー」なのは、やってきた日に、片隅に逃げて出てきませんでした。「かくれんぼ」してるなの「ボー」。それと、誕生日が12月25日なので「西洋坊さん」ということで「ぼー」となりました。
忠犬ぼーを実写
 犬を飼うことに冷ややかであった母も、今では、大のぼーファンです。数年前から「ぼーちゃんの詩」を「ゾウさん」のメロディーに乗せて歌い、ぼーをなでるのです。これを毎日一回はやっています。
 しかし、ぼーは迷惑なのかもしれません。そう思わせることが多々あるのです。たまに、私に助けを求めている風さえ感じるこさえあります。母は「ぼーが楽しみにしているから、今日もやらなきゃ。ああ、忙しい」と言っています。どちらが真実か、写真から判断して下さい。
 ぼーはいやな顔をしているように見えますが、拒否することはなく、じいっとしているのです。その忠義犬振りを見てやってください。
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卒業生が老いる  その3
 氷菓製造会社の彼は世間でいう「消費者苦情処理」の担当です。会社は良く人を見ていると感心しました。彼にはその才能があると私も思うのです。
 「どんな苦情があるの」 皆も関心ありげです。「包装用薄紙の破片が入っていた」と言う苦情のお客様がなかなか納得しない。そして、最後に言ったのが「ディズニーランドのパスポートくれない」だった話。そしてみんなの興味を引いたのが「最初は苦情を言っているのだが、だんだん、話がそれてくる。どうも、話し相手が欲しかったみたい」この類の苦情が増えていると言います。一度、自宅まで出向きお詫びしに言ったら、酒の相手をさせられて、苦情の件はたち切れになってしまっい、何の条件交渉もないまま終わったことがあったそうです。
 この話を聞いて、思い出したことがあります。孫娘の相談と言うことで来校したおばあさんの、やってきた目的が解らないまま、一時間がたち、「ご迷惑でしょうからそろそろ」と元気になって、帰っていったこと。このおばあさん、その後も数度いらっしゃいました。
 腹を割って、何でも話せる人物は、もちろん、話し相手もいない人が多くなっているのでしょうか。たとえ、いたとしても、寂しさを抱え生きている人が多い時代なんだと感じます。というか、皆が孤独感の中に、それを感づかれないように虚勢を張って生きているような気もします。
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 ぼー君が走っている写真。心配して走り寄ったのは、右の方です。
 
ぼーのガールフレンドモモちゃんをご紹介
 夏を思わせる暖かさ、冬のような青空、べたつかない風、散歩の足も軽くなると言うものです。風を切って走るぼーの目線の先に、お座りしているワンちゃんがいます。空気が済んでいるのですぐに分かりました。ぼーのガールフレンド「モモ」です。
 87歳になるおばあさんの「娘」です。ぼーはジャッキーをくれるおばあさんに直行。未だに、色気より食い気なのです。二本だけよ」と言い終わるかいなか、ぼーの胃袋へ。行儀が悪いと言うか、生命力が旺盛というか。食べ終わるやいなや、モモとじゃれ合います。正確には、「じゃれ」ます。「モモはいつも冷静で「合わない」のです。それでも仲がいい様子を見て下さい。
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フォト575  その5
 今日も陽春という言葉がピッタリの一日です。午前中に散歩にもかかわらず、汗をかいてしまいました。ぼーはいつものように、水を元気よく飲み、木陰に移動しました。そこには、もう桜草が花開いています。ソメイヨシノと桜草が同時に見られることはなかったと思うのですが、記憶違いでしょうか。
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 満開になる前に葉桜になってしまう、そんな桜です。受講が高いだけで、横に枝が張り出しません。植木畑育てている時に、場所をとらないように、していたせいではないかと、疑っています。樹形はまるで欅のようです。
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            愛犬を   仏にむすぶ      さくらそう
 

ぼーの存在で、瀕死のさくらそうです。と言ったら間違いで、手入れをしないものですから、年毎に、花がさびしくなっています。
欲望の反対語は?
 欲望の反対語が何であるのか、考えていました。欲望が気になる事件・事実があまりに多いゆえのことです。
 国語副教材の「反対語」一覧を見ましたが、載っていませんでした。そこで「欲望の反対語」で検索しましたが、辞書にはないようです。机・時計に、トマト・きゅうりに無いように、「欲望」にも反対語は、国語上は、無いのかもしれません。
 「無欲」は反対語にならないでしょう。その「無欲」の状態を、別の言葉でなんと言うのかと、問うているのですから。「禁欲」も同じような理由で反対語ではないでしょう。意見が出ていましたので一つ紹介します。僧侶の宝彩有菜さんは「欲望」の反対は「与えること」だと言います。「欲しい」の反対は「与える」だからだというのです。仏教徒が「与えること」と考えることは良く理解できます。名詞の反対語を「与える」という動詞で答えるところが実践宗教=仏教の面目躍如というところです。
 「欲望」を「欲しがる」と動詞化したように、「与える」を名詞にすれば「贈与」「授与」となります。しかし、欲望の反対語が「贈与」「授与」となると「はいそうですか」とはいいにくいわけです。
 「欲望を満たす」といいます。ここに答えがあるように、今日、思い当りました。「欲望」の反対語は「満足」ではないでしょうか。欲望は満たされると消えてなくなります。満足からは欲望は生まれません。太陽が見えるときには月は見えず、月が見えるときには太陽は見えない。ゆえに陰陽という対になる。つまり、反対語になる。これと欲望・満足は同じ関係にあるように思うのです。
 もし、そうであるなら、欲望に突き動かされている我々に足りないのは「満足」だと言うことになります。満たされない思いは幸せ感を伴っていないでしょう。これからの日本人の生き方を考える上で、大切なものが見えるような気がします。日本人に足りないものが何であるかを、教えてくれるような気がします。
 
 


 
卒業生が老ける  その②
 四人の職業は清掃総合サービス会社営業、薬品販売会社営業、氷菓製造販売会社企画、消防士です。それぞれ、中間管理職で、働き盛りということです。
 薬品営業の彼は、その厳しい修行時代の話をしてくれました。三年間、口を利いてくれなかった医師に最初、名刺を破り捨てられた話には、心打ちのまされました。しかし、その医師の退職パーティーに呼ばれ「内に来だして何年になる」「三年です」「そんなになるか。良く辛抱した。見込みどおりの男だった。欲しいものをやろう」と言われ、初めての注文を得たと言う話には、心動かされました。
 付き合う目的は注文をとることなのですが、それを目的とすると苦しく、成果も出ない。この人との出会い、お付き合いしていることを有難いと味わうことの幸せを目的にする、そんな思いでいることを大切にしている様子が伺えました。因果関係は分かりませんが、彼の白髪頭に、努力・苦労・辛抱と、たまにやってくる喜びが見えるような気がしました。
卒業生が老ける  その①
 久しぶりに会おうと、卒業生から連絡があり、4日、横浜駅西口で待ち合わせました。仲間内の4人が来るとのこと。
 しかし、見回しても、見当たりません。仕方なく、携帯を入れました。「今西口交番の近くにいるよ」「俺達もその前にいますよ」「本当かい」と言う口の上の目に、見ている男に修正を加える掴みはあったらしく、記憶する顔と結び付き、認知できました。待ち合わせていなければ、そこにいるとわかっていなければ、ただすれ違ってしまう他人とするところでした。
 家に帰り、姉に下の写真を見せたところ、「広道の同級生に見える」と言うのです。私が5歳若く見え、彼等が5歳老けて見えれば、それは同級生になります。ですが、私の驚きは隠せませんでした。隠す能力がない私は「みんな、老けたね。おじさんだね」自覚しているようです。お互いの老け具合をからかい、笑いの種にして、30年前のようにじゃれあって見せます。酒宴での話はまた後日。
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会長に食事、花見に誘われる
 3日は会長に誘われて、昼食を共にし、花見に行きました。「会長」とは、私がPTAを担当していた時の会長さんです。
 電話では「お願いがある」というので、何なのか考えましたが、何も浮かんできませんでした。家まで迎えに来ていただき、イタリア語で「ひまわり」という名のレストランへ。「ここ、私が設計したのよ。その後とうなっているか気になっていたので、来たかったけど、1人ではと、先生にご一緒してもらおうと」本当のところは分かりません。でも、本心、ただ「私に会って話がしたかったのだなぁ」と感じ、ありがたく思いました。
 ランチの味はこの地域としては、あか抜けたものです。客も9人。平日の12時としてはまあまあの入りでした。食べ終わり、「これから花見に行きません」と言うので、「いいですね」そして、トイレに行くと言います。帰ってくると「先生も行っておいたら」なるほどと思い、用を足しに行きかえってきたら、会計が終わっていました。そういえば、以前にも似たことがあったのです。さすが、現場で、工事監督をも使いこなす操縦術です。
 花見の場所は山武市の妙宣寺。枝垂桜で有名な場所です。室町時代に活躍した日蓮宗の日親が生まれたお寺です。携帯で写真を撮りましたが、残念ながら、コンピューターに移すすべが分かりません。あしからず。
こうして食べてます、小豆
 ダイエットから和菓子が見直され、小豆に注目が集まっています。しかし、大量生産されたものは、もちろん、老舗といわれるお店の和菓子も、甘すぎると言う不満を持ってきました。市販されている「こしあん」などは小豆を味わえません。小豆の良さが奪われています。落語「目黒の秋刀魚」の殿様とその落胆を共有するものです。 
 江戸時代からの老舗(どことはいいませんが、宮内庁御用達の看板を下げている店が最右翼です)の羊羹が甘すぎます。、砂糖は薬種問屋が扱ったことでも分かるように、貴重品で、高価であったと聞きます。甘さの度合いが高ければ高いほど、高級品と見なされた時代の名残ではないでしょうか。
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 砂糖が多く入っているほど、色は黒味を帯びます。小豆の味を味わうには、甘さを限界まで押さえ、塩も入れない方がいい良いのではないでしょうか。塩を入れると甘さが増すとされています。これも砂糖が貴重品だったことと関係があるのかもしれません。甘さが増すというか、どぎつくなり、あくどくなると言ったいいと思うのですが。
 結論。小豆は前の晩から、水に浸しておき、沸騰したら、ただ弱火で煮る。これを最初はお汁粉にして味わい、次に「あん」にして楽しむだけです。相棒は沸騰したお湯で入れるこな茶です。
ぼー君走る
 今日は、以前から、素晴らしい走りを見せるぼーのことを自慢してきましたので、実際に見ていただきたく、写真を撮りました。しかし、残念ながら、撮影者の力量不足で、実際をお伝えできない結果になってしまいました。ではありますがご覧下さい。

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一枚は、立ったまま「ぼー、こっちへ来い」と呼んだ時の写真です。もう一枚は、寝転んで、カメラを構えたので、私に異常を感じて走り寄った時のものです。どちらがどちらでしょうか。顔の表情から分かると思うのですが。正解は後日。