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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
それでも思い知らない
 実は、27日、叔父がなくなりました。昨日が火葬通夜、今日が告別式、埋葬でした。何度、拾骨したことでしょうか。 これで、父方の叔父伯母はすべて鬼籍に入りました。
 ということは、今度こそ、自分の番が近づいているということです。にもかかわらず、それを思い知り至ることがないのです。生徒には「何度言ったら分かるんだ」と叱り飛ばすことがある私ですが、何度「人は死ぬ」ことを見せ付けられても「自分が死ぬ」とは思えないのです。その証拠に、覚悟できない自分をこのブログの材料にして済ましているのです。これを仏教では凡夫と呼ぶのでしょう。
 しかし、凡夫をそのまま真面目に、まっとうすることも尊いことなのかもしれません。だから、救ってくれる菩薩様も居られるのでしょう。その菩薩様の元で、兄弟姉妹たちはなにを語らっているのでしょうか。
 こんな自分ではありますが、今年もお付き合いいただきありがとう御座いました。また来年もよろしくお願いします。最後の最後に、悲しいことが起きました。辛いことのシンガリとして叔父が自分の死を提供したのかもしれません。来年はいい年にしてくれるような気がします。
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集中している姿
 補習授業や再指導をするのは、もちろん、赤点のまま放って置いて、単位を認定できないことがないようにすることが直接の動機です。
 しかし、それだけでないのです。もっと大切な本質から生まれ出る意志なのです。解らない、出来ないことの切なさへの共感であり、「やれば出来ること」「学ぶ楽しさ」を実感して欲しいとの思いです。また、赤点を取る子はなんらかの不適応を持っているはずです。それを話題に出来る機会を得たいとの想いでもあります。
 しかし、引き寄せてくれるのは「集中している彼らの姿なのです。普段は、やる気のないだらしない姿を隠そうともしない彼等が、学習に、テストに真剣に取り組む、その姿が見たいから、補習再テストをするのかもしれません。
 その姿に見とれてしまう、なにか、わくわくしてくる自分を発見してしまいます。そんな充実感を与えられて、今年は二年ぶりに、大晦日を、そして新年を迎えるのです。
日本人を生徒に確認
 12月24・25日は二学期成績不良な生徒を集め、社会科教室で補習授業を行いました。順次、自信がある者から隣の社会科準備室で、受検させました。
 合格した生徒が問題を出して、協力しています。そうして、一人の生徒が挑戦するため、準備室で、テストを始めました。仲間の二人ははしゃいでいます。そこで、戸を引き、静かに、閉めました。すると、彼等も静かになったのです。
 当たり前といえばその通りですが、無意味なシグナルに意味を感じ取れることは、日本語が通じるように、共通の文化的基盤があるのだとの実感に、思わず、微笑んでしまいました。
 普段、正直に言えば、「なんで、これが分からないかな」「なぜ、こんな考え方をするのかな」といぶしがることがあるのです。だからこそ、嬉しくなってしまっただけのことなのですが。
今日は誕生日
 今日は56歳の誕生日です。 
 母に「暮の忙しいときだったことは確かだけど、28日だったかどうかは覚えていない。戸籍の1月1日でいいのじゃない」と言われたことがありました。人生の出発の不明が源泉のない川の不気味さ、頼りなさと重なり、不安になり、さらに、覚えていない親への怒りから、ふて腐れてしまいました。すると、父が「御用納めの日だ。だから、出生届が年明けになってしまったので、どうせなら縁起がいい元旦にした」というのです。納得して、安心したことを覚えています。
 12月28日は石原裕次郎も、渡 哲也も誕生日です。というと、「それがどうしたの」という顔をされるのが常です。しかし、天下の二枚目と同じ誕生日とはなにか嬉しいでしょう。分かっていただきます。
 「幸せを幸せと感じられない不幸。不幸を不幸と思わない幸福。幸不幸と分けない安心」この境地にいたることが56歳の誕生日を迎えた夢であり、至り歩きたい道のりです。
大切さの方向
 ある金融機関からダイレクトメールが届きました。大きく朱色で「大切なご案内です」と書かれていましたので、取引に関る事務処理の案内と理解しました。ですから、早々に、内容を確認しようと開いたわけです。
 そうすると、一枚目が「投資セミナー」の案内。次が「店舗一覧表」さらに「ご退職金の運用」に関する広告なのです。私にとって大切な内容ではありません。どんな連絡なのかと言う緊張は不快感に変わりました。
 そもそも、大切かどうかは受け取る側の判断を待つべきものです。なのに、勝手に「大切な」と決め込んでいる無神経さが心に障りました。もし、「大切なご案内」が送り手にとって「大切な」であれば無神経ではありません。しかし、その場合、顧客よりも、己の会社を大切にしている経営姿勢が現われ見えてしまいます。 
 自分にとって「大切なご案内」を送りつけるのは己の利益を優先していることの現われです。親戚の関係から預金等の取引をさせていただいてきました。残念ながら、信頼は失せ、後悔が心に広がってっています。
故人をしのぶ、冬夜長
 人生50年、速かったとは言え、振り返れば、長いものです。冬夜長、逝きし人々が、胸締め付けられる懐かしさと共に、蘇えります。伯母のご主人である「浦和のおじさん」のことを話させてください。 
 おじさんは情の厚い人だったのだと思います。私と弟が父と遊びに行くと、従姉の民ちゃんと三人を「可愛い子達だ、チュしちゃうぞ」と風呂上りのデカパン姿で、追い掛け回すのです。キスされたくないような、つかまってもいいような気持ちで三人ははしゃぎ逃げ回るのが常でした。
 そんなおじさんは、戦前からの共産党員でした。「共産主義の時代になれば、広ちゃんのお父さんなんかが一番大切にされるのにね」父は当時、職人上がりの、プレス機械製造会社の親方でした。その父の話では、浦和の家には特別高等警察が良く張り付いていたといいます。
 どんな状況を眼にし、どんな思いから共産主義を信奉したのか。。その後の心の動きに付いて、真摯な気持ちで、聞きたかったと思うのです。残念ながら、私の場合、人の偉さや大切さを失ってから気付くのです。
冬至、蚊に刺される
 冬至の昨日、ゆず湯に入り、それらしい気分になりました。米朝の落語を聴きながら就寝。ところが、蚊に刺され痒くてしょうがない、と眼が覚めたら、夢ではなく、本当に刺されて、手の甲が赤くはれていました。かゆいと言う身体の叫びに、脳が夢で応えたのでしょう。
 それにしても、冬至です「。冬に至る」その夜に、蚊が孵化し、人間の血を吸うとは。温暖化が急速に進行していると思い知らされました。冬至は、陽が一番短い日です。裏を返せば、これから少しずつ長くなってゆくことの出発です。太陽が力を盛り返すその初めの日でもあるのです。だからめでたいと言うことで、行事があるそうです。蚊も、自分達の生命力を吹き返すその初めの日と行動に出たのでしょうか。それだけならいいのですが。
卵焼きを焼く
 食べ物のうらみは深いという。貧しい時代を生きたものなら、実感体験を持っているだろう。
 社会に出て、一人暮らしを始めた、休日。ふと、思いついたのが、卵を一パック買ってきて、五つも六つも焼いて、醤油をかけて、熱いご飯で食べてみよう!!であった。さっそく、近くの生協で買い求め、昼飯は、卵焼きと味噌汁。腹いっぱい卵を食べて、忘れていた夢を実現した。
 子供の頃、我が家には三人の姉弟が居り、更に、住み込みで、これも食べ盛りの十代が数人いたのである。卵焼きとなると、まずは、切れ数を数えるのである。そして、人数で割る。あまりが出れば、それを狙って緊張感を高めるのが常であった。端数分を食べられなかった時、「社会に出たら、自分の金で卵を買い、腹ふく食べるぞ」と自分を慰めたことを忘れていたのである。
 それを、仕事の充実感と、疲れとを共に感じた休日の朝、思い出しての、卵食いだったのだ。今日は、冬至。午前中に、風呂を洗った。ゆず風呂を沸かし、卵を焼こう。母のカルシウム不足を補うためのシラス入りで。

 
ゲームソフトにされた国民
 派遣労働者や中小・個人企業の苦境に対し、実効ある政策が望まれています。しかし、国会議員に本気が感じられません。早急な対応へ、与党は動きません。野党は、衆議院で否決されていると判っていながら、救済法案を出しました。
 
このドタバタ劇で、思い浮かんできたイメージがあります。それは、議員達は当選すると、安全な場所とこの世を封じ込めたゲームソフトを手にするtろいうものです。その名は「政権争奪ゲーム」。政権取りを争うのですから、ゲーム性上、国民がどうなっても、政権を維持し、或いは、奪えたらいいのです。
 国会議員全員がコンピューター制御された過不足ない宇宙ステーションでゲームに興じている。地球から送られてくる情報を元に、作戦を練るのがこの遊びの醍醐味です。こんなSF小説めいた像が浮かんでしまう政界の実態、醜態ですあります。
 しかし、忘れてはいけません。宇宙ステーションは健康な地球があってこその安全空間です。
ホテルで身の置き方に困る
 田舎者の戯言と、聞いていただきます。結婚式に招待され、都内一流ホテルに向かいました。
 タクシーが正面玄関に着くなり、荷物を預かると手を差し伸べ、遠慮する暇もありません。式場に入ると、座る椅子を後ろに引いてくれました。
 私のような由緒正しき庶民は、召使を使う生活には縁がありません。己のことは自分でせよと躾けられてきた身にとって、ヨーロッパ式の貴族文化に起源を持つのであろうホテルのサービスは、正直、居心地が悪いのです。
 ドアボーイはいてよいと思います。しかし、その仕事はご老人、赤子を抱えた母親、依頼してきた人だけでよいのでしょう。
 こう言うと、「仕事を奪うことになる」「欧米にはチップ生活する者も居いる」と諭されそうです。しかし、それ自体が下僕文化を示しています。
 サービスの形はいろいろあるでしょう。しかし、日本には日本のサービスの仕方があるでしょう。日本の一流のもてなしをしてこそ、日本の一流ホテルだと思うのです。
お化粧娘 次は、車内着替えか
 5月に、恐れていた化粧娘に出会ってしまった寒々しい思いを書いてしまいました。その寒々しさは突然無理やり、他人の部屋につれ落とされた戸惑いである。そんなマンガのような場面設定の主人公に仕立てられた不条理と、バツの悪さから来る戸惑いである。もっと言えば、他人の秘め事を目の当たりにしてしまった後ろめたさと、自分の意志とは無関係に見なければならない不快感でもある、と言いました。
 先日、東京に出たら、また遭ってしまいました。東京に住んでいる人は、日に、一度は遭遇していることでしょう。
 彼女は周りの人達の理性や感情を感じようとしません。勝手に、他者を石と見なそうと決め込んでいます。そんな内面を読み取られていることにも無頓着です。しかし、物にされた心は彼女の内面を感じ取っています。美しく見せるための行為は傲慢という醜い粉を塗りに化けるのです。「KY」を造語し、鈍感を恐れる彼女等なのに不思議です。
 もしかすると、見なしているのではなく、本当に、石だと思っているのかもしれません。近い将来、若者の車内着替えが始まります。
権力の座にご満悦威光なき殿様首相
 麻生内閣の支持率が20%台に急落したことが話題になっています。無理もないことです。
 数々の方言の中で、彼の政治姿勢っを端的に示すのが「医者には常識に欠ける人が多い」です。これは医療問題が医者の資質問題であり、政治問題ではないとの認識の表明なのです。この種の認識を現下の諸問題にも及ばせているのではないでしょうか。諸問題は市民多数派の資質の低下によるものだ。だから、せめて、愚民達は我慢するぐらいの努力はしなさいというメッセージのつもりなのです。人を軽蔑し、人間性を疑っていると思わせる放言が多い事からそう思います。
 政治の主導的役割の必要を認識できない理由も、ここにあります。しかし、世間が、特に、マスコミがうるさいからと、生まれたのが定額給付金という発想です。これは政策の名に値しません。ねずみ小僧次郎吉にも劣る愚案です。現金投げは、政治の放棄に等しいでしょう。
 権力の座にご満悦ですが、党内の求心力も失われていると聞きます。威光なき裸の殿様首相と国民には観えます。この観察、政権の実態予想は、きっと、正しい。

不安のありかを探ってみると
 言い知れぬ不安を感じている人は多いようです。私もその一人です。
 他人の不幸に鈍感で、窮すれば、自分だけが助かろうとする自分ではあります。ですが同時に、苦しく悲しい生活を強いられている人達を目の当たりにしながら、己の幸福を満喫しえないとも感じるのです。町内で火事が起きている最中に、紅茶を味わいきれないことに同じです。着飾り買い物に出掛ける家族連れや、ペットと散歩する人、遊びに興じる子供たちの声と溶け込んでこそ、紅茶を楽しむ自分の生活が穏やかで、こころ豊かなはずなのです。 
 1461年に、大飢饉が起きたそうです。京都では、屍が転がり、賀茂川を塞き止め、悪臭を放ちました。死者は、卒塔婆を一本ずつ置いていった僧侶の記録から、8万2千。通り過ぎるものは涙を流し、心は凍らんばかりであったと言います。
 この時代、お偉いさんたちは、御殿の造営や、権力争いにあけくれていました。京都市民のつかみどころのない不安や怒りは、今の我々のそれと似ているように感じます。
高度福祉国家で持続可能社会へ
 いつの頃からか、高度物質文明を生きる据わりの悪さは、不安へと変わって行きました。欲望という神を信仰する新興宗教に、普通の市民までもが侵されているのではないかとの怖さを覚えました。
 バブルが弾けると、産業廃棄物の不法投棄が問題となり、50万トンの残飯への反省が生まれてきました。使い捨てたゴミを前にして「経済成長は経済安定の必要条件か」「これ以上の豊かさは罪でないのか」と思いだした人々は多かったはずです。
 これに、経済学者の伊東光晴さんが「エコノミスト」2005年12月20日号「成長なき安定・繁栄は可能か」で応えています。環境・資源問題は拡大再生産ゆえに深刻化しています。だから、物質資源に頼る経済から、人間を資源とする経済に切り替えようというのです。医療・介護・援助・そして研究・教育、これ等の仕事を支える能力人材を資源と見なし、これを購入代価を支払い、産業発展・公的機能とする合意と仕組みを創り上げるべきだとの主張です。これですとGDPを増やしても、物生産を減らすことが出来ます。
 この構想は現在の国民の願いにも合致しています。特殊法人廃止や道路特定財源の一般財源化への抵抗、医療費増加分二千数百億円の凍結、医師不足・看護師冷遇の放置は、この構想と願いに真っ向対立する政治姿勢の現われです。そして、この構想を政策化しえないことが、野党を含めた政治が機能しない理由であり、イライラ閉塞感と政治不信の内容ではないでしょうか。
派遣法改悪で政党は謝罪を
 ようやく、「派遣切り」が非情であると、大企業批判が始まりました。ならば、2003年の改定を振り返らねばなりません。
 1999年労働省調査「非正規社員を採用する理由」を見ると「人件費節約」(61%)、「景気変動に応じた雇用量調整」(30,7%)の順で、答えています。製造業までに、派遣労働を拡大すれば、前者は「ワーキングプアー」を、後者が「派遣切り」を予想させていました。改正に賛成した政党は、これを企業に許すために改定に賛成したのです。企業論理を尊重し、代表したのです。もちろん、改正」と理解していたはずです。
 なのに、今、企業を批判し、政府に{何とかしろ}と迫るのは見苦しい限りです。真に、悪法と理解しているとは疑わしく、ポーズにしか見えません。
 派遣切り、偽装請負などの違法行為の横行は派遣労働者は、もちろん、景気回復、社会保険制度維持などに関る大問題です。解決しなければなりません。そのためには、まず、5年前の過ちを詫びることから始めて下さい。でなければ、国民は政党に本気を見出せません。
単純で深遠な庶民の人生哲学
 説教がましいことを言わない老神主から、一度だけ、教えをいただいたことがありました。大学に進学し、小難しい哲学書を積んでいた頃です。
 それは「善は人と人を結び付ける行為に、悪は引き離す行為に関る」という言葉です。確かに、人々は自分がなしたことで人様が喜んでくれた時に、幸せを感じ、一人でないと実感した時に、勇気が湧くと言います。嘘、盗み、裏切り、暴力、戦時中「戦争は罪悪だ」と言って逮捕された僧侶が居ました。これ等は人と人の関係を裂くゆえに悪なのでしょう。
 寄席では『働くことは他人(はた)を楽にするから「働く」だ』と聞きます。我々しょみんは、小難しい哲学書に頼らずとも、生きる意味を生活から感得して来たのです。お偉いさん達が庶民で居ることは難しいのでしょうか。