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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
住宅・土地統計調査という経験
 総務省が5年に一度実施している「住宅・土地統計調査」の調査員を、今月と来月10日までやっています。34軒のお宅に、調査票をお持ちし、説明させていただき、次回受け取りに行くという仕事です。町内が違うので、極近くに住んでいるのに初めて顔を合わす方が多かったのです。
 80歳になるお爺さんは缶のお茶を出してくれるのです。遠慮せずに、いただきました。「一人暮らしで人恋しいのかな」と思っていたのですが、そうではなく、「あのお爺さん、この手の仕事を何度も引き受けているんですよ」とのご近所の話。経験があるから、この大変さを実感してきたゆえの、労わりとと励ましだったんですね。
 行くと、迷惑そうに対応する人がいる一方、お茶を出してくれたり、ペットの話などを楽しくしてくださる方がいます。農家の方が多く、おおらかに受け入れてくれると感じましたが、必ずしもそうではありません。精神的、時間的余裕のあるなしのようです。農家の方に多いことは確かですが。
 屋敷内に入るわけですから、清掃状況が良く分かります。庭や畑を草ぼうぼうにしてしまい、ガラスも汚れている、外壁や門扉がアオカビで汚れてしまっている、そして、未だに、動かない自分を反省しもしました。こんなことばかりしていないで、これから、庭の草を取りましょう。
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「マイバッグで万引」から
 東京新聞、9月30日付け、ミラー欄「マイバッグで万引」と疑われた田附 恵さんのお話、私も同じ経験があります。登山用小型リュックで、本の買出しに出た時のことです。
 眼鏡を出そうと屈み背中を向けて、ごそごそやっていると、店員さんが私を注視していることに気付きました。眼鏡を掛け、立ち上がった後も、目線が刺します。田附さんと同じでしょう。
 不愉快に、思い出していた電車の中、「私、怪しい者ではありませんよ。安心してください」と伝えればよかったと、思い当たったのです。意思疎通不足の人間関係が目立つと、「皆、余裕がないなぁ」と他人事と観ていた私ですが、反省させられました。
 今度、同じこと出合ったなら、やってみようと思っています。きっと、「失礼しました」と返ってくることでしょう。



本日、缶歩で1個でした。
眼鏡なくし落語と歌を楽しむ
 一昨日の土曜日は、「住宅・土地統計調査」に出かけ、胸のポケットに入れて置いた眼鏡を落としなくしてしまいました。空き缶拾いもしながらでしたので、拾う時に、落ちたのです。昨日、執念で、探し当てましたが。
 と言うわけで、土曜の午後は眼鏡なしの生活となってしまいました。そこで、まずは、落語のテープ四席を楽しみ、NHKのラジオ深夜便を三年ぶりに聞いたのでありました。五木寛之さんの「我が人生の歌語り」第42夜の放送でした。


   眼鏡失せ悩ましき夜   

       テープ巻き小さん師を呼ぶ ひと灯の下(もと)に 

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  真夜中の漆黒揺らす古歌愛し
              故人のごとく過去を偲びぬ 





中山氏罷免しない麻生首相疑う
 閣僚の立場を利用した、辞任覚悟での持論アピールは、大臣職責と任務の軽視と言わなければなりません。しかし、これが彼を罷免すべきとの理由ではないのです。
 一連の発言には、人権と民主主義に反する思想が現われています。成田農民の闘いが「ごね得」に見えるのは、お上に従う臣民像を国民に求めているからです。日教組に対する憎悪は、この組織が最も従わない連中の集まりで、臣民に市民の教養を注入していると観ているかでしょう。アイヌ民族は問いません。それは、大和とアイヌの闘争の歴史はもちろん、アイヌ民族を認めないからです。
 麻生首相は怒ったと聞きます。主義主張を知った上での任命ですから、激怒の理由は「時期を考えろ」と言うことです。もし、人権・民主主義を教養とする首相なら、己の人物評価誤認を認めて、罷免するのではないでしょうか。新首相をも疑います。



本日、住宅・土地統計調査中に15個、買い物中に13個の28個でした。
世襲議員と官僚は理解しあえる
 政権を投げ捨てた総理が二人とも二世議員であったことから、世襲議員問題が再浮上してきました。他の政治課題山積のため、皮肉、風刺程度で済んでいますが、しかし、意外と、この問題は政治を変える突破口なのかもしれません。
 各内政問題は、同時に、財政難問題と言ってよいでしょう。愁眉の国民年金国庫負担増加財源が決まらないことは良い例です。恐慌にもなり兼ねない情勢の中、消費増税には踏み込めない。第一、国民の支持を失います。これ以上の国債発行額肥大は円の国際信用に関ります。社会保障・医療・介護・教育関係支出の削減が国民生活を不安に陥れました。
 こう観ると、やはり、税金の無駄遣いをなくすこが焦点なのです。そのための行政改革であり、政治家の対官僚指導力であったはずなのです。しかし、省庁再編制、副大臣制、独立行政法人化、道路公団や郵政の民営化で無駄遣いをなくすことはできませんでした。その原因は、これ等の施策が官僚の既得権を脅かすこのがないゆえに、官僚が従った改革に過ぎなかったからです。道路特殊財源の一般財源化も同じ性質のものです。
 官僚既得権益の最大の温床は公益・特殊法人です。これにメスを入れられないようでは、無駄遣いはなくなりません。しかし、世襲議員が多数闊歩している国会に何が出来るでしょうか。世襲議員こそ、親から受け継いだ選挙地盤という既得権に守られた最たるものだからです。ゆえに、官僚が必死の抵抗をする気持ちが、攻撃すれば、返り血を浴びる結果になることが良く分かるのです。第一、官僚たちは、既得権に胡坐をかいている連中に言われたくはないと思うでしょう。
 官僚機構に風穴を開け得る能力と資格と説得力を持つ人物は世襲議員からは生まれません。税金の無駄遣いを無くしたいと思うなら、世襲議員には投票してはいけません。小泉さんも次男を後継に選びました。彼の行政改革がパフォーマンスだけで、実質効果なしに終わったことと無関係ではないのでしょう。

恥ずかしながら、暑さにめげてサボりました。
 8月に入って、殆ど、畑や庭の手入れをしないできました。荒れてゆく畑を見るのが怖くなり、ますます、遠ざかってしまいました。恐る恐る行って、西瓜を二つ見つけたことはご報告しました。
 11月3日は父の10年祭です。何とか、それまでに、畑も、庭も元通りにしようと本日決意しました。今の様子を写真に取りました。恥ずかしながら、自分への戒めとして公開しようと思います。これが少し少し、きれいになってゆく様子も撮ってゆきます。
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庭はこんな感じです。大分危険な様子です。ススキが入り込んできています。
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畑はその面影を留めていません。恥ずかしい限りです。これ以上言葉はありません。
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隣の空き地もまた、草刈り機で刈り込みます。二日掛かると思います。
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本日一時間で草取りしました。
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一番左は父が最後の入院の前に、隣の奥さんに管理を委ねたブーゲンビリアとハイビスカスです。春になって、奥さんが父の言葉と共に返してくれました。まったく手入れはしていませんが、春になると庭に出します。すると、鉢の下の穴から根を出して、生き続けています。少ないですが、花も咲かせます。
 そんなこんなの私を、ぼー君も怒っています。怒ってもこんなに可愛いのです。ということで。







失言こそが判断材料です
 また、政治家の失言騒ぎです。今回は中山国交相。誤解を招くと撤回しましたが、成田闘争はごね得、日本は単一民族、大分県教育委員会の体たらくは日教組が原因などと発言したとか。「失言」を調べると 「いい誤り」「言い損ない」とあります。失言を国民は言い誤りと受け止めていないでしょう。
 準備された官僚作の文意を取り違えての「言い誤り」はあるでしょう。しかし、用意がない対応では、むしろ、本音が出てしまうというのが我々の経験です。これからは、失言の欄に「本音を言ってしまった失敗」と、書き加えることが辞書に求められます。
 失言のたびに、政治家の見識がこのように偏見に満ち、偏狭で、人権意識に欠けるものなのかと、寒々しい思いにさせられます。失言の宝庫麻生さん率いる内閣支持率が48%ともありました。失言からこそ、人品を判断しましょう。そうしないと誤解を招きます。


本日は缶歩中に16個でした。
小泉元首相引退スマートだが
 あの小泉さんが引退を表明しました。地位・権力にしがみ付き、老醜をさらけ出す前の、スマートな引き際と心地よく受け取りました。指導力なく、仕事ができずに、退陣しにもかかわらず、今も、党内人事に口を出し、権力を操る大物のごとく振舞っている森元首相に比べれば、高尚と認められるでしょう。
 しかし、個人ではなく、自民党総裁・首相として権力を背負った時、彼の人品が高尚であったかといえば、それは別です。「どこが戦闘地域か、私に分かるわけがないでしょう」と開き直りましたました。また、郵政民営化に反対する者こそ構造改革の「抵抗勢力」であると宣伝して見せました。この宣伝は分かりよかったのですが、実は、複雑な構図を解説するのでなく、単純に見せるために嘘を組み入れ、浮かび上がらせた虚構を基に、国民に選択を迫る誤魔化しのテクニックでありました。更に、この郵政選挙で「刺客」を立てたのです。下品さは「刺客」達と同じです。
 そもそも、「構造改革」「規制緩和」とはなんだったのでしょうか。今思えば、小泉内閣が実施した規制緩和は大企業経営者、ベンチャー創業者達の「倫理」の「規制緩和」であったと見えてくるのです。その象徴的な政策は「派遣労働法」の規制条項を取り払い、製造業にも解放したことです。これにより、正社員はリストラし、非正規雇用を増やし、人件費を減らした大企業は中小零細・個人経営が不景気に喘ぎ、若者がワーキングプアーとなる中、バブル期を越える史上最高益を上げてきたのです。
 この規制緩和が如何に社会正義に反するかを明確にしなければなりません。派遣労働とは「中間搾取」、いわゆるピンハネを前提として成り立つ業務です。暴力を伴う強制労働に結び付くとしてピンハネは「労働基準法」によって禁止されました。「派遣労働法」は法律違反です。つまり、例外として認められたのです。だから、多くの規制条項を付けました。それを払いのけたのが小泉さんです。大企業経営者は規制緩和されたその改悪法にさえ違反してきました。「倫理の規制緩和」と言われても反論できないはずです。
 経済的格差は不平等という不公正によって生まれたのであり、努力と能力と意欲の格差の結果ではないと確定する時がきました。
田んぼの水害防止機能実感
 一昨日は、午後から雨、夜中になって、雷を伴う結構な雨が降り出しました。心配になって見てみると、「ぼー」は大きな犬小屋の奥の奥に身を隠していました。雨は、昨日の朝5時半頃止みましたが、千葉県東部地方には7時まで大雨洪水警報が出ていました。
 夕方、ぼーの散歩となり、田んぼ道に出ますと、ざー~という水の音が、いつもは聞き入る風に気付かせない程に、聞こえてきました。朝まで降っていた雨のためです。既に、12時間経っていますが、田の水は隣の田んぼに流れ、そこから用水に入り、より太い用水路へ、そして、干潟八万石を干拓する時に掘った排水路である新川に集まって、九十九里の海に帰って行くのです。今日午前10時半頃、「住宅、土地統計調査」のために、干潟八万石の中に入って行きました。すると未だ、ごうごうと田から用水路に水が流れ込んでいます。既に、雨が止んでから30時間が経っているのにです。田には未だ水が蓄えられているのです。
 このことは、たとえ、数時間で300ミリの雨が降っても新川には100ミリ降ったほどにも感じられないだろうと想像させます。もし50時間掛かって、田の雨が引くのであれば、一時間に6ミリの雨であったと大地は感じるのではないでしょうか。
 我が家は、干潟八万石と呼ばれる穀倉地帯の真ん中に近いところにあります。ここは、江戸初期まで、諏訪湖ほどの広さはあった「椿の海」と呼ばれる湖でしたが、干拓され八万石の米が生産される土地に変わりました。その一番低いところに家があるのです。温暖化による豪雨が心配されるところです。田んぼを生産地として、鉄筋コンクリートを使わないダムとして、維持したいと改めて感じました。


本日は「住宅・土地統計調査」で回りながら9個、墓参りの帰りに8個の17個でした。


 
私の年金、消えていました!!
 今日、「年金特別便」が私の名前でやってきました。共済組合のことだから、間違いはないだろうと思っていましたが、甘かったです。神奈川県舞岡高校の8年間が消えていました。此処まで杜撰とは、予想を越えるいい加減差であると実感させられました。
 さすがに、早期退職後、2006年4月から加入した国民年金は記入されていました。しかし、舞岡の8年間がないものとされるなら、私は現段階では22年しか加入していないことになり、年金受給資格が未だないことになるのです。そう思うと、空恐ろしく、怒りがこみ上げてきました。
 先ほど、年金特別便の返答を投函してきました。そして今、旧同僚に電話し、話を聞いてもらい、また、娘の結婚式の件で電話してきた大学以来の友人に聞いてもらい、少し、気が済んだところです。これから、姉のところに電話します。今日は怒りの表明としておきます。
人間の「尊厳」と「劣化」
  「尊厳」という言葉を知ったのは、日本国憲法であったと思います。英語ではdignityというそうです。荘重、威厳、品位とも辞書にありますが、それでも、説明しづらい言葉です。
 机は、勉強や読書をする時に使う「家具」です。では、「尊厳」の「家具に当る言葉はなんなのでしょうか。私が漠然と受け取っていた意味で一番近いのは「品位」ですが、これとも違います。敢えて言えば 「願いと誇り」 が私の受け取りです。「尊厳」とは 『より良く、美しく、人間らしく生きたいという「願い」と「誇り」』、そんな意味合いで使ってきたような気がします。
 繰返されてきた戦争や弾圧は「尊厳が奪われる」結果をもたらしてきました。世界人権宣言や日本国憲法で「尊厳」が使われたことに、その反省が表れています。「尊厳」を守ることに視点を向けています。しかし、尊厳は、単に、「奪い奪われるもの」なのでしょうか。尊厳を奪う者は、同時に、尊厳を「捨て去る」者でもあると思うのです。つまり、他者の「尊厳=願い」を奪うことが、自分の「尊厳=誇り」を捨て去っているということです。ベトナム戦争でも現われ、イラクで現在進行しているアメリカ兵の精神障害の多くは、民間人を殺すことで「誇り」を傷つけてしまった結果ではないでしょうか(この場合、正確には「誇りを捨て去った」と言うよりそれを強要されたというべきでしょうが)。
 教育基本法の「個人の尊厳を重んじ」は、「願い」に向けていっています。世界人権宣言の「固有の尊厳を承認する」は「誇り」に向かっていっているように聞こえるのです。この「誇り」を意識しないことが尊厳理解を歪め、戦後も、尊厳を尊重し切れないで来た根本原因だと思うのです。
 さて、「劣化」と言う言葉が流行っています。流行語を使うことに「誇り」を感じない私はこれに代わる言葉で「劣化」を表現したいと思っているのですが、適当な言葉が浮かびません。「人間の劣化」「政治家の劣化」などと使われます。この劣化ですが、どうも、「尊厳の投げ捨て」ではないでしょうか。勿論、誇りの部分の投げ捨てです。
 福田首相の辞任理由は、外部に対してプライドを保とうとしたものです。たとえ、それに成功したとしても、内面の誇りをも保てるものであったのでしょうか。プライドを保とうとしたこと自体が誇りを失ったことを示しているではありませんか。尊厳は他人から奪われるだけではなく、自分から捨て去るものでもある良い例でありましょう。それにしても、政治家・官僚のプライドの高さと誇りの低さには閉口します。


この間、9月10日が48個、13日が25個、14日が9個、17日が8個、19日が37個でした。
 

天日干しの米食べたい
 昨日、 ぼーのえさを買いに出かけたら、刈った稲を天日干してあります。珍しくなってしまった光景です。農家の中には、自家用の米だけ、天日で干す方が居ると聞いています。その米かもしれません。確かに、天日で干すと、稲のなんともいえない匂いに命が騒ぎます。道の両側に稲を見て、帰った子供の頃を思い出します。
 一反程の田んぼを耕作してみたいと思いますね。そして天日干しの米を食べたいですね。しかし、80坪の畑も満足に維持できない私ですから。まずはコンスタントに、畑を経営できるようになってからのことです。
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今日は、学校の帰り、買い物をして、その間、10個、缶歩で56個でした。缶歩のコースは旭工業団地内の野球公園まででした。

9月=137   今までの累計=2287個
粋なおばあさん
 相変わらず、暑い日が続きますが、夕方は、心地よい風が有り難く、生きている実感を与えてくれます。ここの所、「ぼー」のガールフレンド「もも」の飼い主のおばあさんがジャーキーをくれます。そのせいでしょう、ももより先に、おばあさんの方に、駆け寄ります。身体を寄せ付けられて倒されそうになるものですから「お座り」とおばあさんが言うと、ジャーキー欲しさに、すぐに従います。
 おばあさん、落ち着いてもらおうと「お手」、するとぼーはすぐに欲しいと気持ちがはやり、せわしい「お手」して、息はハアハア。「なあに、これが本当の手抜きだ」と言いながら、ジャーキーを口に。このおばあさん89歳です。カクシャクトシ、しかもなかなか粋です。
 人間の男性嫌いの「もも」ですが、私が行くと起き上がり、近寄ってくるのです。可愛いではありませんか。今日も夕方、お会いしたいものです。もちろん、お一人と、一頭にです。


本日はぼーのエサを会に行った帰りに、13個拾いました。
思い込みは恥ずかしい
 愛犬に「ぼー」と付けたのはすごい独創と思っていましたが、以前に、お話しましたように、何人もの方が、既に、付けていらっしゃいました。また、「自転車通勤に手当てを」と思い付きましたが、これ既に、取り入れている会社があるとのこと。自分ののアイディアと自惚れてはいけないものです。
 「上を向いてあるこう」を国歌にしよう!!と私が言い出したのが、2006年の3月(これより大分前から、頭の中にはありました)でした。が、昨日、インターネットで知りました。作家の保坂和志さんがそう話されているとか。「そうだったのか」少し落胆して少ししてから、恥ずかしくなりました。「自分だけの独創」と少しいい気になっていましたから。
 しかし、思いなおしました。と言うのは、「上を向いてあるこうを国歌に」と考えている人は広範にいらっしゃると言うことです。実は私、「護憲ポームページ=田舎匝瑳の書斎から」の管理者です。そこで「上を向いてあるこうを国歌にしよう」と訴えています。ならば、これを実現することもできるのではないかというこというふうにです。


本日は、ビックハウスでの帰り道で、23個、缶歩で1個の24個拾いました。最近は、スチールとアルミ半々になっています。拾い出した頃は、何年も前に捨てられた缶をも拾っていたわけです。そこで、圧倒的に鉄の方が多かったのです。今は、ほぼ半々になっているようです。
 
卒業生からアドバイス
 昨日の夜、卒業生から電話がありました。卒業生と言っても、今年45歳、世間では、おじさん扱いでしょう。神奈川舞岡高校の4期生です。というか、私が最初に担任になった学年、最初の卒業生ともいいますか、教師にさせてもらった生徒の一人です。
 1時間以上の長電話の中、インターネットの話にもなりました。つい私が、怪しげな人物からコメントが繰り返し送られて来て、ストレスになった、と言ってしまったのです。するとH君は「先生、それはその内容に関心を持ったからコメントしてくるですよ。たとえ、攻撃的な面があっても、無関心、無視を決め込む人物より、彼は先生を意識している。だから、かかわりを発展させる可能性がある人物という言うことですよ」と言うのです。
 「一本取られた」と思いました。ほぼ同じことを、私、教師として生徒達に言って来たからです。なのに、それを血肉化していない己に気付かされました。こういう場合、自分を恥じて自己嫌悪になったり、「そんなこと分かっているよ」と虚勢を張ってしまいがちな私ですが、不思議と気持ち良かったのです。なにか、愉快になってしまいました。ただそれだけのことですが、今日は、書きたくなってしまいました。


 昨日は、学校の帰り、エストエストで食事をして、その足で、干潟十字路の「八万石」さんで、母のおやつのたこ焼き(これがたこ以外は喉を通るのです。美味しいと言うのです)と今川焼き(これは私とぼーのおやつ)を買って、ご主人ご夫婦と話をしての、その帰り道、県道500メートルで16個拾いました。
太田辞めずに、福田が辞めた
 太田農相が辞めないで、辞めなくてよい福田首相が辞めてしまいました。安倍首相後、投げ出さないことが大切と分かっていなかったようです。
「坊ちゃん首相だから」「小泉元首相の負の遺産を背負ったから」とか言われています。一言で済ませば、自分が当選するには誰が首相であればいいのか、これを最優先して、首相を選んだことが一番の原因だと思います。民主党もそうでしょう。小沢さんがいいは、選挙で勝つのに一番いいと言う意味です。自民・民主共に、同じ病に冒されています。
 選挙に勝つことは政治の手段であり、目的ではありません。今、我々が見せ付けられているのは、選挙に勝つために、目的をも棚上げしている政治家たちの醜態です。民主党の中で憲法9条改定に反対の議員が、小沢さんを代表選で支持することはおかしいのです。
 護憲か改憲かは、自衛隊合憲違憲問題、安保条約、防衛費、外交政策、海外援助等について、政治家としての生き方を問われる大問題です。なのに、「当選させてくれるなら改憲の小沢でもよい」と言うのであれば、目的と手段を逆さまにして、尚憚らない、醜悪な退廃です。
 政治家としての基本的な思想と政策が一致する者達で党を創ること、その勇気を持つことこそ、今、やらなければならないことです。しかし、それを一番したくないのが政治家なのです。今度の首相に国民が唯一希望することは、途中で、逃げ出さない根性だけです。
あのセミを探しました
 カマキリにと捕まってしまったセミを探してみました。あの木の下に、セミの遺骸はありませんでした。まだ、生きていたので、逃げたのか、カマキリに再度、捕食されたのか、蟻が解体して運んだのか。その辺は定かでありません。
 隣の空き地には、やはり、多くカマキリが卵を産みつけていたのですね。あの細い身体にどれだけの力があるのでしょうか。セミを狙うとは思っても居ませんでした。荻原朔太郎だったでしょうか、カマキリを哲学者のように思考している風貌があると言ったのは。そんなイメージで見ていましたから、暴力的な所業が意外でした。メスがオスを食べることを思えば、良かったのでしょうか。


今日は、学校に、プリントを作りに行きました。その帰りに、3つ、散歩で2つの計5個でした。
農民による農業を守りたい その③
 米は主役である。ことに今も変わりはないのです。ただ、選択肢が増えただけでのことです。一年を通じて、パン・うどん・スパゲッティー、ラーメンというわけにはゆきません。
 今、小麦価格が上がったと言うことで、米粉でパンを作るといって、注目されていますが、私達が子供の頃 「玄米パン」と言うのがありました。記憶が正しければ馬に引かせたショウウインドーの中に、その玄米パンを入れて、売りに来るのです。中に餡が入った白い蒸しパンを覚えています。
 先日、テレビで、外神田の「過橋米線」という雲南省料理店が紹介されていました。「米線」とは米を原料にしたうどんです。これがなかなかの味とのこと。パンもうどんも米で作って何の問題もないということです。昔なら「米を米として食べないことはもったいない」だったのでしょうが、米が、相対的に、その価値を失った今だからこそ、できる芸当です。減反政策を辞めて、日本中の田んぼで稲が作られるようにならないものでしょうか。「もったいない」が流行語になっています。田んぼを使わないことが、それこそもったいないと思いませんか。
 そこで、米の生産の仕方です。生産性が上がらない小規模経営を解体して農業法人や株式会社による生産をと言われています。しかし、大規模化は米文化の多様性を奪い、その豊かさを失う結果になるのではないでしょうか。欧州のワインを思ってください。多くのワイナリーがあり、その味を守り、競っているからこそ、豊かな食生活を国民は享受しているのではないでしょうか。
 今でこそ、米は幾つかの品種に特化されてしまいましたが、各地域ごとに、用途により、数多くの品種が作られてきたました。しかも、同じ品種でも、作られる土地と生産者の数だけの味の違いがあったのです。大量生産の工業製品のような米を食べることが豊かさでしょうか。このことだけでも、株式会社によるコメ生産には反対です。