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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
いつの間にか稲穂が頭を垂れる
 昨日今日、東総地方は、湿度も低く涼しい日になりました。ぼーも食欲を回復しています。その食欲を満たしてくれる米が、早いもので、出来かかっているのです。穂が出ているなと気付いたのはい週間前ぐらいでしょうか。今日は、穂が頭を垂れ始めました。我が地方では、8月下旬から稲刈りが始まります。
 米の消費量が昨年と比べ、3%増えたことがニュースになっていました。小麦の高騰で米が見直されだしたのでしょう。確か、米ご飯お茶碗一杯30円でそうです。パンはベーカリーで買うと、菓子パン一つ100円から150円します。確かに、カロリーベースで見ても米は安いのです。米が高い高いといわないほうがよいでしょう。
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 近づいて、撮ってみました。
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 他の田んぼです。早いところは、このように、穂が頭を垂れています。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」・・・実感させられます。充実した成し遂げた人生を生きた人は、それだけで、満足なのでしょう。えばる必要を感じないのでしょうね。


本日は、「崖の上のポニョ」を隣町の旭サンモールシアターで観てきました。その帰り道で42個でした。ちなみに、この映画イマイチでした。小学生低学年までなら良いのではないでしょうか。

7月は226個、累計は1953個です。
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耳疑う解氷の北極海開発
 白熊を絶滅危惧種に追い込んだ、温暖化環境破壊の象徴が北極海の解氷です。今後、これを元に戻すことが各種環境会議の目標になるだろうと思っていました。
 ところが、テレビ報道によると、沿岸諸国や国際石油資本が、解氷して航行が可能になった北極海の開発に意欲を見せ、権益を争っていると言うのです。耳を疑いました。国連はもちろんですが、温暖化の深刻さをアピールしているのは各国政府も同じです。ですから、その所業とは思えなかったのです。これは、違法投棄した業者が反省を示し、指導に従うと見せてる一方で、投棄場に穴を掘り、産廃を埋め立て、出来た平地を宅地として売り出すようなものです。
 洞爺湖サミットでの、石化燃料に頼らず、新しいエネルギーを開発し、未来を切り開くという覚悟はなんだったのでしょうか。文明のあり方を根本的に改める方向に未来があるとの見識にたったのだと思っていましたが違っていたようです。
 滅ぶ者は、ある限界を過ぎると、一番、やってはいけないことを選んでやってしまい、向かってはいけない方向に走り出すと言います。そんな怖さを覚える北極海開発競争です。
 


本日は二個でした
自滅のために仕事する農水省
 農水省は、備蓄米を最小限にした上で、減反政策を続けます。今年、匝瑳市に求められた減反面積は市内水田の42%と聞きました。新興国の食糧消費量の急増、気候変動による水害・旱魃、砂漠化による生産量の不安定等、様々な変化が複合的に絡まって、食糧不足、価格高騰、餓死が国際問題化する中、これに対応しようとしません。この場に及んでも、やっているのは、効果に意が及ばぬ、その場しのぎの、つぎはぎ農政です。「やっていますよ」と報告することを目的とした仕事です。
 この一例を挙げてみます。現在、農水省は減反政策による農地荒廃を心配する世論を意識してかどうか、「農地保全事業」を実施しています。これは花を植えて農地を守るなら一反(330坪、1000㎡)に付き2000円の補助金を5年間支給するというものです。まさに効果を当てにしていない仕事というべきでしょう。
 今の農政を続けるなら、10年後、農業は業をなさず、農家は自給生産のみに追い込まれるでしょう。その時に、12700万の命の糧は、確保されるのでしょうか。ブッシュ大統領はアメリカ農民を前にして「食糧を自給できない国を想像できるか。そんな国は、国際的な圧力と危険にさらされている国だ。食糧自給は国家安全保障の問題であり、アメリカ国民の健康を守るために輸入食品に頼らなくて良いのは、何と有難いことか」と発言したとの報道がありました。「危険にさらされている国」とは日本のことでしょう。「誰がそんな日本にする圧力を掛け、戦略を練ったのか」と同時に、「あんたに言われたら不安になるじゃないか」両方の意味で、「あんたには言われたくないよ」であります。しかし、彼の発言は、一国の最高責任者として正しい見識であることも事実です。だから、日本国民は不安を深めているのです。
 農水省官僚は自分達の権限・特権・地位を守るために仕事をしています。そう見えます。しかし、その仕事が、農民にとって無意味どころか、足を引っ張って来たために、危機的状況を生んでしまいました。農業の息の根を止めれば、一瞬にして、地位も権限も特権も失うことに、未だ、気が付いていないのでしょうか。農業がなくなれば、そして、同じく危機的状況にある漁業がなくなれば、農水省はいりません。目的を自分に置き、農民漁民としてこなかった結果は自滅の道でした。
 しかし、農水省は農業がなくなっても、不要な仕事を、特殊法人を作り、生き残ころうとするでしょう。そんな予想をさせる官僚の図太さです。歴史が教えるところでは、己の利益のみに走る行政官が世の中を壊しす一方で、危機感情を自己犠牲と使命感に昇華させた人々が新しい社会をつくるのです。
そんな人材が、どの政党にいるのかを見極めなければなりません。
農業は本当に危ない
 日曜日に、匝瑳市飯高地区農民と消費者13人参加の「わがむらの農業を語り合うつどい」に出席してきました。「農業が危ない」は本当に危ない、瀕死の状態であることが分かりました。
 爺様は農業をやってきました。その子は仕事を持ちながらやってきました。そして、孫は農繁期に手伝いもしません。もう、孫は農家(将来農地を所有する)ですが、農民ではありません。後継者がいません。その前に、親が子にやらせられないと判断しているのです。
 相当数の農家は田んぼを他の農家に貸し、畑は植木を植えているか、荒地にしています。その植木も公共事業の減少により、放置しています。しかし、数年後には、農地を借りる、というか預かって耕作できる農家は激減するというのです。専業農家の中心的働き手は60代です。その60代は最初の大病をする年代でしょう。それを切っ掛けに農業を離れた68歳の方が、現に、参加されていました。確かに、10年経たずに、農業生産者の中核が離脱するのです。
 農協と農家の関係も崩壊しだしています。米の販売自由化により、米を農協に拠出する農家は激減しています。6・7月には農協には米がなく、政府米150万トンにも手を出しているといいます。小規模な不作がおきれば米不足になる状況にあります。さらに、本来の生活協同の意味をも失っています。様々な農業関係物資は大型店より高いのです。ですから、協同購入して安くという存在意味も失っているのです。JAは金融・保険業務に特化してゆくしかないと農家の方々は読んでいます。(次回に続く)


本日の空き缶1個
搾取使って格差社会説明
 ベルリンの壁が壊されたバブル経済の頃「搾取・階級はもはや死語だよ」と言われました。確かに、配当や売買益を得ることが一般化し搾取・階級は豊かな生活の底に溶け沈んでいました。
 しかし、私はこの言葉を使い続けたのです。それは、きっと、労働者の町に育ったことに由来します。プレス打ち一回わずか1円、不景気になれば、更に、下げられます。それでも、黙々と仕事をし、倒産してゆく中小・零細企業を見せ付けられた私には「搾取」は確信だったからです。
 今、「格差社会」という言葉が流行っています。言葉ゆえに、実態が見えてきたことはよいことです。しかし、格差が「搾取」を使って説明されないのはなぜでしょうか。「搾取が格差を生んでいる」という認識なしに、正しい処方箋は書けないはずです。
 派遣労働法の規制条項回復、下請け関連企業の対親企業経営権強化法、累進課税強化などがすぐに浮かんできます。搾取は合法化された不正です。その結果としての「格差社会」です。



一昨日は墓参りの帰りに道で24個、昨日は集会の帰りに9個でした。
許容力を示す食事仲間数
 退職をする数年前、春夏休業中や試験中の昼飯を一人で外食する仲間(教師)が多いことに気付きました。一人になりたいこともそれはあるでしょう。それをおかしいとは思いません。しかし、普段、仲間と一緒に食べるより、一人で食べる方が楽しいというなら、なにやら心配です。
 孤食とは家族がありながら、一人で食事することです。職場で、敢えて、弧食を選ぶのは仲間と思う人が職場に居ないということです。もう一つ弧食増加の理由があるでしょう。それは、「おい、飯食いに行こう」という言いだしっぺが、リーダーが、まとめ役が職場に少なくなったことではないでしょうか。学校を引っ張って行く人物が少なくなったといってもいいでしょう。学校の教育力に関る変事とみています。職場が生活の場と実感できない教員が多くいて、まとめ上げるリーダーシップがないなら、その組織は、その構成員は力を発揮できるでしょうか。出来ずらいでしょう。
 しかし、問題の核心は他にあるのです。昔から「同じ釜の飯を食う」と言います。一緒に食事をすることは「相手を受け入れている」ことの表れでもあります。共に食事をしたくない、それを苦痛と感じることは相手を自分の生活圏にしたくないという感情の現われです。つまり、他人を受け入れられる許容力の現われであるともいえます。私が心配しているのは教師の人間許容力が落ちているのではないのかと言うことです。ならば、それは生徒にも向かいます。許容量が小さい教師が多様な生徒に対応できるのか、という心配です。
 あなたは、食事を共にしたい人は何人いますか。してもいいと思う人はどれぐらい居ますか。食事を共にしたくはない人は何人ですか?その結果は、あなたの人間許容量(力)を教えてくれるはずです。


今日、アルバイトで来なかったT君が来ました。まずすぐに、「こないだは、かってやってしまいすみませんでした」と詫び、「自信は有るの」の問いに、「あります」「では、すぐにやろう」となりました。なんと、一発、満点合格でした。一つ、漢字が怪しかったのですが、そこは満点で、お互い気持ちよく、終わらせよぷと見ない振りしました。ちなみに、「薩摩半島」です。これ正確に書ける人少ないのではないでしょうか。


昨日は17個、本日は3個でした。
 
野菜たちを救出
 世話をしないで来た野菜たちを、今朝、ようやく救出しました。良くぞ生きながらえ、子孫を残す努力をしてきましたねと褒めるよりも、詫びたい気持ちになりました。その勇姿を見てやってください。
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トマトは強いです。陽に当ってないですから、やはり未だ、青いです。大きさも差ほどではないです。ごめんなさい。
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手前が小豆、奥が枝豆です。何と、双方とも、鞘を持っています。貧弱ですが。すみません。IMG_0363_convert_20080723121945.jpg
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上が小豆です。さやが見えますか。けなげです。下が枝豆。やはり、身のはいりが弱いようです。すみません。
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なすです。先ほど、今年初めて、3つ収穫しました。
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ピーマンです。これも先ほど2つ収穫。今日はマーボーナスにしましょうと母と話したところです。というか、豆腐となすとピーマンを炒めるのであって、肉は入れませんからなんといえばよいのでしょうか。なすとピーマンの豆腐炒めでしょうか。
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何とスイカが生っていました。有難いことです。そしてたくましいものです。大きさは直径20センチほどになっています。IMG_0369_convert_20080723123049.jpg
庭のミニトマトは既に母が収穫、サラダにして食べましたが、甘く美味かったです。市販されているゴマのドレッシングに牛乳を混ぜたものを掛けました。これはエストエストのマスターから教えてもらいました。
 ということで、気を取り直して畑仕事に復帰します。

本日の缶拾いは12個
無礼者を叱る
 昨日は追指導14名中13人が出席、12名が合格しました。欠席の一名ですが、何と、アルバイトを入れたので、来れないと言う情報を親友から聞きました。しかも、「25日金曜日にしてくれ」と言っているというのです。すぐに、その親友君に携帯から連絡を取ってもらい、換りました。
 「アルバイトを入れてしまい、その代わりに25日にやってくれとは何と勝手な無礼者・・・・・こういわれて当たり前と分かっているか」「分かります」「まずは、無礼を詫び、更に、時間を取ってご指導願えますか、と伺いを立てるのが筋でしょう。それも分かるか」「はい、分かります。先生の都合の良い日はいつですか」「ばかもん、分かっていないではないか。まずは、事情も含めて、説明しなさい。」「はい、断りきれなかったんです。」「そうか、そういうこともあるだろう。そんで、金曜日なら来れるんだね。」「はい」「それなら、そうしよう。朝9時、社会科教室。待ってます。しかし、条件があります。一発で合格するほどに、勉強してくること。」「はい、分かりました」
 この会話を他の生徒はもちろん聞いていました。私が説教を言っているたびに、皆がうなずいています。噴出すところでした。しかし、電話が終わった後に、「あいつ、とんでもない奴ですね」等という者はいませんでした。ますます、この生徒たちが可愛くなりました。
今は、行くのが怖い畑
 言い訳からさせてください。6月下旬は山川平野、半島、島小テストの未合格生徒の居残り授業や、もちろん期末テスト問題作成、採点、評価等、で関心が畑からはなれました。そして、母の入院。 気にはしていましたが、母退院後、畑に入りましたら、もう畑ではありませんでした。草を抜くのではなく、草刈り機で刈る始末です。それでも作物はまだ、生きていますから、細かいところは、やはり、手作業です。庭にも草は容赦なく進出、これも大変な作業となりました。未だ、庭さえ草取りは終わっていません。
 とうもろこしを一つもぎし、中を確認してみましたが、半分も身が入っていません。大根は塔が立ち、花が咲きそうです。サツマイモはかろうじて存在を主張しています。ナスは背は小さく、二つ三つ生っていますが、もうこれ以上は無理な様子。見るも恐ろしい、状況です。三日前、草刈に入って以来、畑には一度も行っていません。自分の怠慢を見せ付けられ、作物の達の恨みつらみを聞かなければならないと思うと憂鬱なのです。怖いのです。
 明日は、成績が振るわなかった14人の生徒を呼んであります。世話をしなかった私に、作物は恨みつらみを言いますが、生徒は言いません。有難いことです。まずは、明日一日、追指導をさせていただきます。


今日は缶拾いは5個でした。
年金は施しでない当たり前
 母宛に、後期高齢者医療保険料の 年金からの「天引き」 を 「口座振替」 にできるという通知が来ました。
 確かに、事務手続き上は、「天引き」の方が手間が省けるのです。しかし「天引き」は盗みに等しい行為でした。なぜなら、他人の財産であれば、すべて本人に渡すことが鉄則だからです。天引きするなら、お願いし、了解を得ることが金銭取引上の常識です。
 そうしなかった原因は、年金は「受給者の財産」であるという認識を持っていないからです。他人のものでないのに、手元にあるものは 「自分のもの」 です。つまり、国家権力が集めた税金と同じものだから、官僚たる自分の判断で処理出来るという認識です。年金は役人の意識には「施し」に見えるのでしょう。施すのに「天引きしてどこがおかしい」となるのは自然であり、まさに、「お上」が行う「天引き」だったのです。
 権力持つ者はそれをちらつかせてはいけません。なぜなら、美しくないからです。役人官僚も権力を持っています。にもかかわらず、もろ刃をむいて行ったのが保険料の天引きだったのです。しかも、その権力を使ったという自覚さえないことが、今回の騒動の、官僚支配の深刻さを示しています。
 
 一昨日は5個、昨日は0個でした。
漁民滅ぼし漁港造る愚かさ
 東京新聞7月18日「こちら特報部」欄で、漁業盛んな宮城県気仙沼の市長が国の漁港整備費を漁業燃料費補填に回すように、要望していると知りました。尤も、健全な主張であります。
 以前、ある県が第二漁港を造成した時に、地元関係者は必要を感じていなかったと聞きました。名目は漁業振興費として国から引き出しますが、内実は違うのです。土建業の県会議員達の力が働く、無駄遣いの構図がそこにもあったのです。
 本年度、国の水産予算二千四百億円の六割が公共事業関係費用だと新聞は言います。このままでは漁民の三分の一が廃業、八万5千人が失業し、生産高は最大五割減ると、全国漁業組合連合会は試算しています。漁民を滅ぼしながら、その一方で、漁港を造り続けるのでしょうか。
 ならば、もう、これは無駄遣いの域を超えています。目的と手段が逆転している「退廃」であります。戦前、一億総玉砕をしてでも、国を守ると公言した軍部を連想してしまいました。



今日は5個でした。
熱いスープのようなもの
 過去に、何度も「人生って何なのか」と己に問うて来たように思います。生徒からも聞かれましたが、まともに答えることが出来ないまま、ここまで来てしまいました。
 今もあまり変わりはしないのですが、霧の向こうかすかに、影があるような感じを持つようになりました。8年前の父の死以降だと思います。ふと、浮かんだ言葉があります。というか、言葉の方からやって来たと言った方が正しいのですが。
 「人生とは良い悪いでない、楽しい辛いでない、幸不幸でもない。ただ、味わい深いものだ。滋養に富んだ熱いスープのようなものなので、火傷しない、敏感な舌を持ち続けることが肝要」 未だ言葉かやってきてくれただけで、味わえない。もったいないことです。
サミット記念植樹抜かれる
 タイトルを見て、またもや、心ない若者のいたずらかとお思いでしょう。しかし、違うのです。抜いたのは、植樹の主催者たる北海道道庁、それ自身なのです。
 サミット中に、各国ファーストレディーと地元中学生とで植樹をしたというのです。この情報に触れた方も多いことでしょう。植えた木はCO2を二倍吸収する松だそうです。地元ならずとも、「環境サミット」と呼ばれた洞爺湖サミットですから、宣言精神の象徴とするための植樹と理解したことでしょう。各地にある天皇お手植えの木が大事に管理されています。それと同じように、環境保護精神の象徴として大事にされると思うのが自然でしょう。高橋知事も「将来、木が育った姿をご覧にいらっしゃることを期待します」といったことを記者会見で述べています。それをなぜ抜いてしまうのか、そもそも、植樹セレモニーを執り行った意図はなんだったのか、苛立ちを覚えるニュースです。
 このニュースでの、植樹はサミット精神の象徴であるべきです。そして、木を抜き、移してしまったことは、現在の官僚・役人の仕事意識の象徴であるといってよいのではないでしょうか。一昔まで、役人仕事といえば、規則・規則と言って融通が利かない堅物というイメージでした。確かに、5時までの仕事だからと、並んで待っている人に「また明日来て下さい」といえる神経は規則万能主義の裏づけがあってのことです。しかし同時に、この主義は法律・規則に忠実に仕事をしてくれるという信頼を市民に与えてくれもしたのです。
 現在、官僚・役人仕事への市民の不満(不安)は、法律・規則通りにやっているとしても、その法の精神や意図を実現すべく運用していないのではないか、その姿勢・使命感に欠けるのではないかにあります。やっていると表明はしはしますが、その目的は実現への意欲表明にあるのではなく、やっている証拠、痕跡を残すことに化けています。だから、効果、実効があるかないかには関心がない、そんな役人像を私は持って来ました。
 それが正しかったと思わせてしまう今回の植樹抜き事件です。象徴を大切にしない役人達はサミット精神にも関心がなかったことでしょう。彼らの常識では、ただ、やった、やれたという実績が残ればそれでよいのですから。そういえば、サミットそれ自体が、また春が来たからやる花見のようなものでしたね。北海道庁責任者にだけ、とやかくいうのは酷かもしれません。


昨日は匝瑳市民病院からの帰り道、タイミングが好ければ拾い、拾いして31個でした。今日は母が退院、タクシーで帰りましたので、0個。
 
保険制度の公的性格視野に番組作成を
 年金・健康保険制度に関る番組が続いています。しかし、番組の多くは「あなたの負担がどうなる」「あなたはどれだけ年金がもらえる」など、個人の損得に関心を集中させているように見えます。本来、制度が持つ、相互扶助機能や社会性を忘れ去った番組作成になっています。
 一方で、報道は「モンスターペアレント」「モンスターペイジェント」「クレイマー」等を問題として取り上げています。ここでは、己の利益・我が儘のみを価値とし、優先させる人々を登場させ、公共精神の希薄さの広がりに警告を発して見せるのです。この相反する報道姿勢に整合性を与える意志は視聴率獲得優先主義です。視聴者に驚きを提供し、関心を集められるならば、利己心に訴える番組も、利己心を嘆く番組も創れるのです。
 報道機関の公共性は言うまでもありません。その中には、社会を社会ならしめるための仕事が、それを使命とすることが含まれていると信じます。個々人では出来ない大きいことのために協力・協調する、誰もが人間らしい生き方が出来るように助け合う、こういう精神に裏打ちされた社会を創り、維持して行くための公共的機能を担っているはずなのです。それがために、マスコミには特権が与えられているのではないでしょうか。
 視聴者の「私はどうなる」という関心に焦点を当てた番組も大切ですが、バランスがあります。そのバランスを失っている現実に、報道各社の、市民の公共心を応援するという姿勢の欠如が見えます。なぜ、我々が集団を、組織を、そして社会を形作っているのか、そこに立ち返った、そこを足場とした番組作成をお願いしたいと思うのです。
 
 
食品添加物は食品ではない
 久しぶりに、市販のジャムパンを食したところ、苦味を感じました。そこで、これとベーカリーのロールパンを愛犬に与えたところ、驚きました。彼は鼻で選んで、ロールパンだけを食べたのです。
 思わず、ジャムパンの原材料を確認。主要原料の他に、乳化剤・酸味料・アルギン酸エステル、ゲル化剤・ソルビトール、酢酸NA、香料等、多くの食品添加物が使われていました。「ボノボ」という霊長類とタンザニアの森で生活する人々の神話には「ボノボと同じものを食べなさい」とあるそうです。愛犬が食べなかったジャムパンは安全なのでしょうか、。
 アメリカで、農薬(防かび剤)として使われているOPPやTBZを、わが国は食品添加物として認可し、かんきつ類を輸入しています。これには、発ガン性ありとの実験結果もあります。
 「食品添加物」と書きますから、農薬でさえ、食品の仲間と感じるのです。赤色102号も「食紅」と呼ばれますが、けして、食品ではなく、毒にもなる薬です。ちなみに、日本人一日平均、11グラムの食品添加物を摂っています。




一昨日は、匝瑳市民病院手前の切り通し坂の両側の空き缶35個、昨日は14個拾いました。
地球天然に背く原子力事業
 我々が用いてきた火は太陽エネルギーに由来する草木、水力風力、石炭石油に限られてきました。これ等は人類に福利・恩恵を与えています。
 しかし、プロメテウスは火を人間に与えたために、ぜウスによって罰せられます。火が人間にもたらす危なさをギリシャ人は理解していたのです。危うさとは、人体が生み出す力を、遥かに超えるエネルギーを肉体化することです。蟻を踏んだとします。そうしたら、つぶれ死なず、蟻に持ち上げ倒されたらどうでしょうか。これは驚異でしょう。人類がエネルギーを使うことは、これと似ています。
 それでも、20世紀半ばまでは、一線を越えずに来ました。しかし、宇宙特有の核爆発を地上に持ち込んだのです。太陽エネルギーも、本をただせば、核爆発エネルギーです。ですから、もろに対峙すば、生命が共存出来る相手ではありません。それを、地球は生命を育む太陽エネルギーに変えて来たのです。この奇跡とも言える偉業を無にしてしまう選択が核エネルギー事業だと言いたいのです。
 火が持つ危うさを、我々は封印してきました。その果てのエネルギー依存症は、核放射能との同居に対する生命としての正常な反応を我々から奪いました。この鈍感さは、誕生以来の地球生理が発する天然の理に背く異常であります。
 映画「猿の惑星」で、核で汚染された地上を避け、地底に移り住んだ人々の子孫が原子爆弾を神と崇めるシーンがあります。核エネルギーの大きさと恐怖にひれ伏すのではなく、太陽・地球を通し結ぶ摂理に従うべきと信じます。欧州での原発建設解禁が気になっています。
 
自転車通勤に手当を
 エコが生活スタイル化しています。実効が伴わないブームにして終わらせてはいけないと思っています。
 そこで、「環境に良い生活を」と本気で言うのであれば、自転車通勤にこそ手当を付け、その上で、割高な手当てにしてみたらと思うのです。
 最新鋭の鋸とニューギニア高地人の磨製石器との性能を比べをしたら、鋸が5分で切った木材は石器で10分だったそうです。この結果をどうとらえますか。「磨製石器、なかなか、やるじゃない」と思われたのではないでしょうか。同じことが自転車にも言えるのです。
 私の経験でも、10キロ程度なら、自転車で25分、車で15分です。自転車通勤に変えても、耐えられない苦行ではないし、取り返しのつかない時間的損失でもないのです。。
 自動車通勤よりも割高な自転車通勤手当は変更の切っ掛けになることでしょう。公官庁は、もちろん、企業も実施して欲しいものです。



本日は、缶拾いは4つでした。
 
自給作物料理
 地理の期末試験が4日(金曜日)に実施され、答案を抱えて、帰宅。夜、甘酒を飲みながら、三分の一ほど採点を済ませました。非常勤講師としては「一学期も終わりだな」と安堵して、梅酒を飲んで眠りに就いたのです。
 適度にアルコールを入れた身体は、朝、軽いのです。そんな訳で、昨日は、5時に床を抜け出しました。畑に行き、野菜たちの様子を伺います。トマトの急成長に驚き、添え木に結わっていた紐の位置を30センチも上にずらしました。雑草たちの勢いは止まりません。作物より背が高い草を抜きます。一番奥まで来て、高く茂った草の中に、まだ、たまねぎが埋もれていることを思い出し、草を分け分け、小さいままのたまねぎを5つ救出しました。庭に帰り、人参が茂っているので、間引き、それを井戸水で洗い、持ち帰えりました。
 いつも朝、母はご飯に、味噌汁、大根おろしに、医者から処方された栄養ドリンクだけです。そこで、思い付いたのです。先日収穫したジャガイモ、今日取ってきたたまねぎ・人参と、シイタケとハムを細かく切ってコロッケの具を作り、そこに牛乳を入れ、煮込んで、水分を飛ばして、流動食風にしてみようと。これなら、栄養バランスが結構いいでしょう。
 予想通り、母親は「美味しい」といって、完食しました。確かに、ジャガイモも人参も、そして、たまねぎも、包丁を通してその新鮮さが伝わってくるほどに、生きています。口に入れるとそのまま、身体に溶け込んでゆくような一体感がありました。無農薬・有機栽培、そして、無添加料理と知って食べるから、そう感じたともいえますが、それだけではない実感でもありました。
 そういえば、いつも井戸水を飲んでいる愛犬ぼーに水道水を与えると、一口すすって、首を少しかしげ、間を取ってから、また、すするのです。味が違ったからだけなのか、それとも、水道水に違和感があるからなのか、そこは分かりません。
 
母と私の天気予報
 天気予報で、地図が画面に写し出されると、母が「満州も、朝鮮も、台湾も、取られてしまったね」と言います。私が「日本が戦争で取ったから、返しただけだったでしょ」母が「そうなの」と言って話が終わること幾たびか。
 母は昭和2年生まれ、大東亜共栄圏思想を教え込まれた世代です。十八歳で終戦、その後の変化も身に染みて味わいました。しかし、今、母の知識は戦前の「日本」に戻っているのです。これからは「そうだね」と言えるかが課題です。
 しかし、子供達にはそうではありません。日本がアジア諸国を侵略し、その人々の財産人権、命を奪ったこと、そして、その反省の上に、再出発し、今を築いたとを伝えてゆかねばなりません。
 戦前の地図に、植民地を含めた日本は赤く塗られていたと聞きます。母には、その赤が誇らしく、勇ましい朱色であったのでしょう。しかし、我々はそれを恥じた顔の紅と受け止めます。そのことを若者と共にしたい、その平和を願う、鎮魂の8月が予報されます。



今日は3個でした。
 
風が見える散歩道
 散歩の楽しみは遠くを見渡せる開放感と、木々の緑に心が落ち着くのを感じられること。愛犬ぼーとの会話(ぼーが理解できることも多いので人に話すように語りかけます)と、散歩仲間との交流。そして一番は、快い風を感じることです。
 温もりを連れ去られても心地よいのは、私の身体(からだ)が体温を作り続けているからです。風との爽快感に生命(いのち)を感じるからです。また、風は走りながら、自然の体温と私の体熱の温度差を解消し、一体化します。その一体化はそれぞれの命の故郷(ふるさと)が同じであることに気付かせてくれるのです。
 風は、感じるものであるのですが、昨日は、その風を見ることが出来ました。まだ、若く青い稲は波が寄せるかのように順に揺れ、風は近づくのです。風が身体を持ったかのように見えました。今は大きな韮のような稲が、穂を垂れる秋風の頃はどんな匂いを運ぶ風でありましょうか。
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この田んぼに風が現れます。今日も、ぼーは元気です。目をつぶった顔もまた可愛いでしょう。


2日は6個3日3個、4日は5個でした。
日除けのゴウヤ元気なく
 昨年、西日を避けるために、よしずをよして、朝顔を植えたのですが、葉の密度が薄く、太陽が部屋に入り込んで効果がありませんでした。ゴウヤが良いと聞いた私は、その苗を買い定植したのですが、天候のせいでしょうか、肥料がなかったせいでしょうか、未だに、勢いがなく、巻きつきません。元気がないこと情けありません。
 もう今日から7月です。梅雨明けに間に合うのでしょうか。楽しみにしていた、葉陰でのカルピスはまた来年に持越しでしょうか。それにしても、ぼーは元気です。
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ご覧の通り、竹に巻き付けづ、ですから、上に向かって伸びません。巻きつけてやると、へなへなとへたり落ちます。元気がありませんでしょ。
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ぼーは相変わらず、可愛く、元気です。
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ですが、 散歩の折に、草むらに入り込んで、用を足す時に、ダニがついていまうのです。夜は血をすって大きくなる前に、ダニ取りです。朝はもらしてしまった、大きくなっているダニ取りです。ダニ・のみ除けの首輪をしていますが、効果がありません。悩ましいぼーでもあります。