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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
正規雇用減は反社会的行為
 新聞に、2008年1月~3月「非正規雇用34%過去最大」とありました。しかも、15歳から34歳では、正規雇用が19万人減。この前の三ヶ月間調査でも、この世代は76万人も正規雇用が減っていると言うのです。
 非正規雇用を増やしたことが、社会の様々な分野に歪を生んだと言われています。事実でしょう。なのに、この間、過去最高収益を上げた経験を持つ大企業は、社会の混乱(やがては崩壊)なんぞお構いなしに、非正規雇用を増やす気なのです。麻薬に魅せられてしまい、廃人になると分かっていながら、麻薬にすがる患者を連想してしまいました。医者である政府も、この患者をそれと認定しだがりません。
 それどころか、非正規労働者に努力・向上・社会的使命・愛国心がないとして、自己責任論を適用しようとします。更に、その責任は教育にあるとし「教育改革」「教師再教育」を言うのです。ここまで来ると、我々は大企業・政府の行為を反社会的行為と断定しなければなりません。政官民一体となって、非正規雇用を意図的に作り出しておきながら、「彼らは人間的に欠陥がある」からそうなっていると主張するなら、それは反人道、反人権的でさえあります。
 政府は、大企業要請だけに応じてきた、派遣労働法に代表される労働法制改悪が社会を混乱させ、軋ませ、歪めてきたことを認めるべきです。企業は若者に将来が見える、安心して、仕事に集中できる生活の土台を保障し、その能力を引き出すことで、未来を切り開く構想・戦略を持つべきでしょう。


5月は148個、累計は1594個


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缶捨て場がきれいに!!
  散歩コースの中に、まとめて缶を拾ってある場所がありました。拾うと、数日以内に、また、捨ててあると言う具合です。ですので、こちらも、缶があまり拾えなかった日には、捨ててあることを見込んで、当てにして、そこをコースに入れる程でした。
 今日、久ぶりに、そこに、行きましたら、なんと、缶が無いばかりか、紙容器やペットボトルも処分されて、きれいになっていたのです。明らかに掃除されているのです。拾っている人間がいること、気付いていたはずなのに、今まで、何の行動も取らなかった彼に何が起きたのでしょうか。
 そんな訳で、清清しい気分になりました。天気が良く、湿気少ないさわやかな陽気と、こころ模様が重なり、解け合うのでした。身体が軽くなっているのが感じ取れる、そんなぼーとの散歩でありました。
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その現場です。何もなくなっています。まったく変わっています。変わらないのはぼーの可愛らしさです。
恐れていた化粧娘と遭遇
 東京に出て、東西線では、ラッシュに出くわせました。見知らぬ同士が、身体をこすり合わすも、挨拶なしで、知らん振りし合っているあの不自然さ。口も利かず、眼も合わせないようにしている、人を石と思おうとしているか、自分を石にしているとしか思えない不機嫌さが不気味です。
 しかし、これは、他者を石や物と認知しているのではありません。物と見なし合う暗黙の了解という知恵で、避けられない車内での、不自然な人間関係を清算しようとしているだけなのです。ですから、不快ではありましたが、気が狂うことはありませんでした。
 問題は、その前の総武線車内なのです。千葉始発ですから、座れました。ゆったりした気分でいましたら、後から乗ってきた女性が、隣に座るなり、化粧を始めるのです。やられた!!大人としては、注意をした方がいいと思うのですが、勇気がない。逆に、目くじら立てることは大人気ないのかと、迷う始末です。
 では、何をしてマナー違反だと言うのでしょうか。また、化粧をしている女性を見ると、腹が寒くなり居心地が悪いのは、なぜなのでしょうか。・・・・・・それは、突然、彼女の部屋に、無理やり、空から、天井から連れ落とされ、そのプライベートゾーンに入れられてしまったという戸惑いではないでしょうか。このマンガのような場面設定の主人公させられてしまった不条理とバツの悪さからくる戸惑いです。更に言えば、他人の見てはならぬ秘め事を目の当たりにしてしまった後ろめたさと、自分の意志とは無関係に見なければならない不快感です。
 彼女は周りの人達の理性や感情を、こころを感じようとしません。勝手に、他者を物と見なそうと決め込んでいます。そんな内面を読み取られていることにも無頓着です。しかし、石にされた心は彼女の内面を感じ取っているのです。美しく見せるはずの化粧が、逆に、傲慢という醜さを浮き立たせる行為に化けて見えます。「KY」を造語し、鈍感でいることを恐れる彼女等なのに不思議です。
 もしかすると、見なしているのではなくて、本当に、石と思っているのかもしれません。もしそうなら、近い将来、車内で、着替えだす若者に出会うことになります。

              恥の粉  匂わす美女  混む車内

 
今度は、妹の結婚、そして千葉の我が家へ
  4月の下旬、下の姉の次女が結婚しました。2月の長女の時と同じく、キリスト教徒でないのに、教会で式を挙げたのです。お陰で、代々真言宗智山派の私が、なぜか、青い目の牧師さんと一緒に賛美歌を歌い、アーメンと言わされてしまいた。ちなみに、私個人としては、浄土真宗に関心があります。どちらにせよ、れっきとした仏教徒の私がなぜ、アーメンなのか。阿弥陀様は深遠広大な慈悲を持った方です。異教の神にも慈悲をおかけになられるでしょう。寛大なお気持ちゆえに、私の宗教的無節操を許されていると信じますが。
 今回は、スピーチを頼まれていなかったせいでしょう、余裕がありまして、デジカメを忘れることもなく、式中もリラックスしていましたので、写真を撮りました。ご紹介させてください。IMG_0267.jpg

嬉しさを隠そうともしない姪です。選んだ決め手は「自分の両親も大切にしてくれる人だと確信したから」だそうです。泣かせます。
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 三枚面目の写真、なんだと思います?四人は二人の両親です。ちなみに、一番手前が私の姉です。実はこれ、姪の発案で、それぞれの両親の結婚32周年、30周年を祝うケーキなのです。両親への感謝が形で表わされた感動の場面でした。姪の成長を実感し、4人の子育てに敬意を表しました。
 結婚式には50~60回出席させていただいたと思います。今回の姪の式は、身内の贔屓目を差っぴいても、ベスト3に入る程、感心し、感動し、心地よいものでした。また、式場の椿山荘のサービス、料理も素晴らしものでした。特に、果物がよかったです。田舎者の私には、今まで、食べられなかった美味さでした。


 今月16日、スペインへの新婚旅行を楽しんだ足で、直接成田から、我が家に報告に来ました。と言うより、式に出席できなかった母に、挨拶に来たというべきでしょうか。この時は、姉夫婦と甥も来ました。結婚式のビデオ、新婚旅行の土産と土産話、写真で大盛り上がりでした。ぼーも二人を祝福しています。その顔を見てください。
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改めて「缶歩」のお奨め
 今年1月17日より、愛犬ぼーと散歩をしながら、空き缶を拾っています。これを「缶歩」と命名しました。ぼーも慣れてきまして、拾う時には止まるまでになっています。
 私が「缶歩」を始めたのは、1月4日テレビ朝日「~地球危機2008~」を観たことが切っ掛けです。温暖化が引き起こすとされてきた事が、既に、教科書の歴史になっていることに驚かされてしまいました。SF映画を観ているのではないかと錯覚してしまう程の映像がそこにあったのです。こたつを切り、湯沸かし設備のスイッチを切ってしまった私です。
 色々なエコ生活・活動が提唱されています。その中に「缶歩」も加えてみてはどうでしょうか。資源リサイクルの一端を担っている、そう思うと散歩の楽しみが膨らみます。もちろん、道端もきれいになります。
 NHKと日本テレビが環境問題を長時間に渡り放送し、「何か一つを始めましょう」というメッセージを伝えていました。これに触発されて、行動に移す人々が現れることを期待するものです。
 それもそうですが、缶歩における一番の夢はぼーが「空き缶をくわえて、袋に入れてくれる」ようになることです。そんな思いを知ってか、知らでか、澄ましている「ぼー」です。IMG_0257.jpg
缶歩後に、くつろぐぼー

病院でおばあさん達は「元気」だが
 今日までは晴れとの予報なので、ヘルパーさんを待って、愛車ブリジストンにまたがったのです。
 まずは、主治医さんのところで、薬をいただきます。待合室に入ると、若い女性以外はご老人です。しかも、男性は七十代に見えるお二人、十二人は女性です。受付さんに呼ばれて、起き上がれないお爺ちゃんに「あにやってだぁ。未だ、若いんだぁに」と言って、知り合いのおばあさんが手を貸します。確かに、おばあさん、八十歳は越えています。皆さんは見るからに「婆さん」ですが、威勢が良く、声にも張りがあるのです。
 よく「年寄りが病院で元気だ」と皮肉り「医療費の無駄遣いだ」と批判されます。しかし、それは違うのです。確かに、医学的に見れば不必要に見える通院も有るでしょう。これに対しては、無駄と断定するのは視野が狭すぎますよ、もっと、魂の深淵さに気付いてくださいと、言って置きましょう。
 皆さんが元気に見えるのは、「元気」にしているからなのです。病気は痛みと支障を与え、当たり前ですが、辛いのです。しかし、病気に押しつぶされない、それと上手く付き合ってゆく、その術を捜し持ったのです。そのたくましい姿を「老人達が病院で元気だ」とみてしまうなら、淋しいことです。
 批判される方々は、家に帰ってからのご老人達の姿を見たことがあるのでしょうか。きっと、弱々しい姿に心を痛め、手を差し伸べたくなるに違いありません。



今日も、工業団地まで行ってきました。落ちていること、56個でした。
人類は、新しい常識を求めている!!
 異常なのは戦時体制とそれを支えた国家神道・皇国史観であった筈なのです。なのに今、その反省から生まれた9条を、一時的に発生したガン細胞のように扱い、歴史から葬り去ろうとする動きが急です。
 「一人殺せば殺人者で、100万人殺せば英雄だ」とチャップリンは演じる殺人者となって、言っています。戦争の本質を突いた名言です。この名言は全ての戦争動機と、その正当化を欺瞞にしてしまう力を持っています。それでも「イラクの核攻撃回避と民主化のための戦争」と言います。
 人間は追い詰められれば、醜さを隠し切れません。それを知っているからこそ、本性を現さずに生きたいと願うのです。悪をさらけ出さないで済む社会条件を望み、それを創ろうとするのです。私は、この願いと、それが創りだす全て、道徳・制度、(食糧)生産活動等を文化だと考えます。
 ならば、戦争は文化を破壊する天才でしょう。戦争は殺される苦と、殺す苦が生滅繰返す地獄です。更なる苦は、利己心という醜さをあぶり出させられ、それをお互いにさらけ出さなければならないことです。気が狂うことが正常との証になる、それが戦場です。人は生き残ろうとしますが、「人間性」は、すでに、死んでいるのです。戦争が醜さを奨励するのです。文化の反対語は未開ではなく、戦争だと言わなければなりません。
 文化を国民に保障し、地獄を経験させない最高の知恵は、国家が「戦争をしないと宣言する」ことです。9条の戦争放棄は、正確に言えば、武力を持たずとも、安心で居られる世界を実現するための努力を国と国民に求めているのだと私は思っています。
 一方、この憲法は国民にとって重いものです。なぜなら、一度、宣戦布告されれば「殺す苦」はなくても「殺される苦」の可能性があるからです。しかも、9条は失敗を認めません。外交技術、根気、知恵を持ち、この難題をこなさなければなりません。不安はあります。しかし、地震や強盗と違って、戦争は、相手が見えています。生き残るために「自然との共存を」と言いますが、より必要なのは、人間同士の共存原理とシステム構築のはずです。
 しかし、それが難航する状況が出てきました。資源・食料不足の長期化が予想されるからです。「資源をめぐる戦争の可能性が高まってきた」だから、軍備拡張をするというのが、大国政治家の常識でしょう。しかし、私は、9条を世界スタンダードにしなければならないと思っています。世界の非常識を常識にし、非戦争を常識にして置かないと、人は奪い奪われながら、醜さをさらけ出し、生き死ななければならない、そんな事態に引きずり込まれて行くでしょう。それを恐れます。
 まずは、憲法9条を確信を持って掲げ、心から、この精神に傾倒していることを世界に示して行かねばなりません。9条改憲論を封印して。
初生り苺だべられず、犯人は!!
 昨年、植えた苺が今年は、株を増やし、背も高くなり、勢いがいいのです。一つ赤くなってきていたのに気付きいていました。今朝、赤さ、大きさ、つやも良いので、食べ時かと、手にしてみました。すると、藁に接している裏の方がびじょとした途端に、指が穴に入るのです、そして、ぬるっと。
 やられたなっと、がっくり。しかも現行犯逮捕となりました。ほんの数分、私が遅かったのです。私の先を越したのはナメクジでした。。やはり「早起きは三文の得」です。ナメクジに、これからは5時起きを励行しようと決意させられました。
 今日は残念でしたが、まだまだ、沢山実が生っています。仲間を呼んで、イチゴ狩りをしたいところですが、何せ、規模が小さすぎます。これも、また残念、来年の楽しみになります。


本日は、旭市の工業団地内、野球公園まで散歩しました。平日は、何方もいませんので、ぼーを放し、運動してもらいました。天気が良く、風もさわやか、生きているだけで幸せと思わせてくれる香るような日射しでした。このコースは一年ぶりです。缶は幾らでもありました。22個。
梅、雨風に負けず
 千葉東総地方も昨晩から今朝にかけて、風雨強く、総武本線も不通となり、近隣の高校は休校となりました。試験中の学校が多いはずですので、生徒達は、内心大喜びでしょう。
 風雨が収まった午後、庭や畑の植木、草花、野菜を見て回りました。グラジオラスは南風に良く耐え、その結果、大きく北東の方向に、傾いていました。ピーターコーンも、ナスもピーマンもです。その中で、壮絶だったのはトマトの苗木でした。一本、添え木を残して、根こそぎなくなっていました。跡形もありません。風の仕業ではないのではと思ったくらいです。
 そんな中、梅の実は数個落ちただけで、ほとんどが無事でした。南側の工場と杉の木、我が家の植木に守られたのでしょうが、頑張ってくれました。昨年は、不作であったのですが、今年は豊作のようです。梅酒と梅干、甘露漬けも作ろうと母と相談したところです。
 一昨年、退職したその6月に、張り切って、梅酒を仕込みました。今年は、それをすこしづっつ、飲んでいこうかと思っています。梅干と甘露漬けを食べている様子を、漬ける前から楽しみにしてしまう、お気楽な私です。



田んぼ道は除草剤の危険がありますので、今日は、久しぶりの住宅地コースに出ました。案の定、空き缶だらけでした。しかし、袋が途中で、破けてしまったので、22個で拾い止めました。ということで、本日は22個。
受け止めきれぬもどかしさ
 今日も最高の天気、ぼーと散歩に出て、干潟八万石、田んぼの、ど真ん中に立ちました。台地から、木々の若葉は際立ち、枝は美しくも、雄雄しい盛り上がりを張っています。天空隅々に春の陽は満ち、大地からさえ、こぼれんばかりです。
 まぶしいばかりの天の恵みを吸い寄せて全て味わいたい衝動に駆られますが、何せ、小さい私です。私が感受できる輝きはほんの少し、もったいないような、悔しいような、何十人もの美女に興奮し追い掛け回すが手さえ、握れない、そんなもどかしさに焦ってしまいました。



  春の陽を  受け止めきれぬもどかしさ

                 天恵降るも我は小さく



 それ程、巨きな天ですが、人はそれを矮小化してみせます。繰り返し起きる災害に打ちのめされても、天理の鉄則性に気付けないのです。その分、人間が大きい。天の真理を受け止めきれない我々が、もどかしいのかもしれません。
ミャンマーの変化、中国に期待
 ミャンマー軍事政権はサイクロン被害を前にして、国民を目的にしていないことを露呈しました。自らの特権を守ること、、生き残ることを唯一の目的とした王朝であることを、それも質の低い独裁政権であることを、改めて、世界に知らせました。
 時を同じくして、この政権を支持してきた中国政府にも、同じことを問われる災害が発生したことは天のいたずらでしょうか。中国は、今までの対応を改め、外国の支援を受け入れ、海外メディアの報道も認めました。国内外の諸事情を考慮しての判断とは言え、時代を画する変化です。
 この困難を前にして、中国が国際社会を意識し、行動してほしいと思うのです。更なる自己改革意志をアピールすることは「災い転じて福となす」結果をもたらすだろうと信じもするのです。その一環として、ミャンマー政府に対して、民主化を進めるように、アドバイスをしてのける勇気を持って欲しいのです。このことは中国が、自ら、共産主義=一党独裁という図式を壊し、民主化を迅速に進めるだろうことを世界に示すことになり、歓迎され、信頼を、更に、高めることになるでしょう。
 人民の福祉向上を目的とした共産主義政権であるはずです。また古代から、為政者=聖人君主を政治思想とする伝統を持つ国です。国境を越えた人民の幸せに貢献する中国であることを期待します。



一昨日は、12個、今日は14個拾えました。もちろん、空き缶のことですよ。
ミャンマー独裁と日本民死主義
 国民がサイクロン被害に苦しみ、助けを求める中、ミャンマーでは軍事政権がその生き残りを目的とした新憲法国民投票を実施しました。海外の援助隊が救援活動のためやってくるが、当の政府が妨害する有様と聞きます。
 これほど、あからさまに、国民を目的としていないことを、見せ付けて憚らない政権も珍しいでしょう。この性格は軍事政権であることと無縁ではないと思います。そもそも、軍隊は戦争に勝つために、組織・機能化させた集団です。劣勢に立てば、勝つために、国民を手段にし、犠牲にして憚ることを知りません。国民を守るための軍が国民を犠牲にして、何のために、生き残ろうとするのでしょうか。
 現在日本では、国民が主権者であり、権力者は「民意を尊重する」と言わなければなりません。本心はどうか分かりませんが、建前はそうです。そして、そうであることは国民の政治力になっています。 しかし、経済社会は、労働者の権利、労使対等の原則は、すでに、死んでいます。過労死の放置、サービス残業という違法は自転車二人乗りほどに、市民権を得ています。非正規雇用制度の乱用、外国人研修制度等、無法状態です。
 財界は、一方で、法人税の軽減と消費税率の引き上げを要求します。高齢社会化に伴う財界の負担を減らす算段をしているのです。すでに、従業員、下請け・関連企業、消費者を手段として扱い、憚ることがないのです。
 形だけの民主主義を戴いた財界主導の、労働支配を不動のものとするための政治がここにあります。偽装請負を組織化した経営者が財界トップであり、経済財政諮問会議をリードしている国。前財界リーダーは下請けいじめで1兆円を稼ぐ経営者でした。軍事独裁政治と根っこの部分でつながっているように見えるのは気のせいでしょうか。
 
 
「待たせる辛さ」見失う
 太宰治の名言「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」を始めて聞いた時、人と人の信頼を語った「走れメロス」が蘇えりました。
 バブル崩壊以降、特に、「人情がなくなった」「殺伐としてきた」「人間が劣化」等、深刻に言われだしました。少しずつ、失ってきた状況が、一気に、顕在化し、極まった感があります。
 「待たせる辛さ」を感じ得ない人間の出現に「人間の劣化」という言葉が生まれたのでしょう。金を返せない者の申し訳なさを感じ得る時に、貸し手は寛容になれるものです。給食費を持たせてやれない親の辛さ、情けなさを知り、人は優しくなれるものです。人を信じるということは、これ等を噛み締めることができる資質への信頼であります。しかし、今や、その申し訳なさ、辛さを感じ得ない者多く、一方、これを確認した方も寛容な態度を取らない様に見えます。
 「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」と言われて、遅れた者へ口撃を止めることは双方の、こころの潤いになります。しかし、今や、この名言は「迷言」であり、陳腐と理解されるでしょう。自己責任、成果主義、適者生存、これ等が社会原理として大手を振って歩いているからでしょうか。
 ありたい自分で居り得ない遣る瀬無さ、切なさを共有・共感できない文化状況が今を生きる不安の大本にあるように思えてなりません。
 
一日一楽、甘酒に酔う
 三十年間の授業生活をして、二年空けて、また、この四月から授業をさせていただいています。心掛けているのは「毎授業、楽しみに出来ることを一つは用意してゆくこと」です。そうでないと授業が憂鬱になります。やっている教師が楽しくないなら、聞いている生徒が楽しめる訳がありませんから。
 退職後、これを今の生活に援用するなら、「毎日の生活に楽しみを一つは持っていないと人生を楽しめない」ともなることに気付きました。そこで、レモンティーを、午後ゆっくり、書斎で飲み、楽しむことにしました。農作業や買い物の後に、ゆったりとして、いただいてきました。
 そんな中、母が甘酒を飲むのを見ていて、「たまにはやってみるか」と思わされたのです。喉ごしがいいように、漉して、塩少々、砂糖、そして、みりんを加えたところ、大変な美味さでした。しかも、朝起きると身体が軽く、開墾作業の疲れが取れているのです。
 そんな訳で、今は、作業の後、明るい内から風呂に入り、さっぱりしたところで、甘酒を飲みながら、庭を眺めたり、落語を聞いたり、甘酒を可愛く飲む愛犬ぼーを楽しんだりしています。至福のときです。酒豪だった父は、これを見て、笑っていることでしょう。「いつまで子供なんだ」と。そこで、みりんの代わりに、純米酒を入れてみようと思っているところです。(あまり変わらないか?)
ぼー落ち着かず、地震予知か
 昨日5月8日の午前1時50分ごろ、東総地方に震度4の地震がありました。実は、その前後、中小十数回揺れたのです。短時間に、これほどの多くの地震を経験したことがない「ぼー君」です。
 きのう、夜に、ぼーは玄関ではなく、自分の小屋に入りました。おや、と思いました。と言うのは、ぼーが、夜に、小屋に入るのは雨の時だけと決まっているからです。不思議に思いながらも、玄関の鍵を閉めて、私も床に着きました。
 0時ごろでしたか、ぼーの切ない「ピー、ひー」と言う声が聞こえます。、また、植木に綱を絡ませてしまったな、と思いましたので、「救助」に向かいました。玄関の鍵を開けると、すぐに、定位置であるマットの上に走りあがったのです。絡まっては居なかったのです。その後、まったく落ち着きません。なだめていたその時に、小さいですが地震がありました。
 思うのですが、十数回の地震を短時間内に経験したぼーは、地震の前には「こんなことを感じる」と学習したのではないでしょうか。そこで、どんなに小さな地震でもその前に、落ち着きを失うようになったのではないかと。
 今朝も、落ち着きません。食事も食べません。ボール遊びにも乗ってきません。すると、また揺れたのです。対人間・犬・猫には勇敢に対する(実は、喧嘩っ早い)ぼーですが、雷、大雨、地震には恐れを表わしてきました。私が与える食べ物も、必ず、臭いを嗅いで、安全を確認してから食べます。命に、臆病なほど慎重なぼーです。
 大きな災害にならなければと、心配しているところです。姉弟には「災害グッズを用意しておいた方がいい」と電話を入れ、いま、カインズホームでトマトの苗を買いつつ、ガスボンベ、木炭、懐中電灯も買ってきた、ぼー以上に、命に慎重な(実は臆病な)私です。

 
学校で、カレーうどんを作る
 今日は、受け持つ授業が無いにもかかわらず、登校(正しくは出勤)しました。カレーうどんを作るためです。なぜ、カレーうどんを作るのか?!それはこうです。
 現在、一年生の地理Aを三クラス担当しています。都道府県・県庁所在地名テストを全員合格するまでやることにしました。そこで、一番早く全員合格した班には昼食に、八角特製カレーうどんをご馳走すると言ってしまったわけです。授業をやりつつ、カレーうどんを作るのは、忙しい、疲れる、間に合うかプレッシャーは掛かるで精神に悪いのです。そこで、授業がない日を選んで、余裕を持って作りたいと出勤したと言うわけです。
 今日で、三クラス15人にカレーうどんを作り食べてもらいました。ほっとしたところですが、まだ、3人合格していない生徒がいます。なにせ、19日から中間試験、当然、、出題しますから、それまでに、合格しないと、意味がありません。
 都道府県・県庁所在地名とその場所が確実に頭に入ると、知識は雪だるま式に増えてゆきます。テレビのニュース、クイズ、旅番組等を楽しみながら知識が増えてゆくことになると思います。そのための、カレーうどんです。
 嚥下障害の母にも食べられる料理として覚えた技術がこんなところで生かされるとは。生徒の反応も、上々、有難いことです。
 
我が家の住人たち
 ようやく晴れたと思ったら、もう連休はお終いです。畑仕事をしようと思っていただけでしたので、連日の雨は応えました。
 今日は朝から晴天です。6時に畑に出ました。小草、大草を鍬で取り除く作業を1時間30分、朝から、三ツ矢サイダーを飲んでしまいました。朝食後、ぼーとの散歩の後、草刈り機で荒れてしまった畑と隣の空き地に挑みました。作業を終えたところに、ご近所の奥さんが散歩で通りかかり、作物の紹介と相成りました。そこで、それらを写真で、ご紹介したいと思います。
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ぼーの可愛さに目を細める母です。
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健康そのもので、順調なレタスと、気温が上がり、また、虫に食われだしたキャベツです。
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まだ、赤ちゃんのピーターコーンです。今は、周りの草に負けそうな可愛らしさです。写っている白い石の様なものは貝です。干潟駅が近くにあります。昔は海の中だったと言うことの証の貝です。下は大根、そろそろ、間引きのときでしょうか。
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今年は成長著しいジャガイモと、昨日定植したピーマンとなすです。ピーマンもなすも定植のストレスからでしょうか元気がありません。後で、水を飲んでもらいましょう。
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人参の赤ちゃんと、昨年定植したイチゴです。今年はあちこちに、手を伸ばして、広がった上に、背も高く頼もしい様子です。すずらんと共生しています。
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手入れをしてあげないのに、満開のつつじと、出たがり屋のぼー、そしてもう十数歳の金魚たちです。鯉もいますが、彼らは上に上がってきませんので撮れません。共に、父が遺してくれた兄弟です。あと、出遅れたたまねぎ、エサをくわえてきては、我が家の工場の屋根で食事をするカラス、えさ台にやってくる小鳥達が我が家の住人です。匝瑳市の市鳥「うぐいす」も良くやってきて歌ってくれます。
連休、初めて農作業できる
 千葉東総地方は連休に入り、雨が続きました。今日、ようやく、雨は上がったところです。が暗い重たい曇り空です。雨が降っていませんから、農作業を始めました。何とか、ナス、ピーマン、スイカ、プリンスメロンの苗を定植。後は、ジャガイモ、たまねぎの草取り、荒れてしまった所の草を起こしました。まだまだ、これから、やれることが沢山あります。楽しみであると同時に、身体を酷使することになりそうですので、覚悟も要ります。
 明日は、晴れたら、草を取り、整地したところを掘り起こし、積んで置いた枯葉を下に入れ、土をかぶせ、整地します。そこに、枝豆を蒔こうと思っています。サツマイモもあるんです。どこに、植えたらいいのか。また、開墾しなければならないようです。
挨拶でなくなる「お元気ですか」
 知人に会えば「お元気ですか」と、まず、言葉を交わします。これは「今日はいい天気ですね」と同じく、話を切り出すための挨拶です。
 しかし、昔はそうではなく、「元気ですか」と真剣に聞いたと思うのです。病気や死は、今の花粉症ほどに身近。だから、健康は相互の心配事だったはずなのです。中国のある地方では「朝飯は食べたか」が日本の「おはよう」にあたる挨拶だと聞きます。これは、朝飯が当たり前に食べられなかった時代があったことを物語っています。
 今また、挨拶としてではなく「お元気ですか」と、聞いてしまう時代になってきました。生存権が形だけで、精神がない今、知人の生・命は気遣わずにはいられない心配事になりつつあります。
 近頃、「年金消えてなかった」「頼れるお医者さんいる」「お婆さん特老ホームに入所できた」「ご主人過労死大丈夫」「息子さん正社員になった」こんな会話していませんか。それ等を、次世代の挨拶として定着させてはいけません。



おとといは缶12個でした。アルミ1袋、鉄2袋まとまったので、リサイクルにお持ちしました。
水・食料が消えてからが危機なのか
 第一次オイルショックの時、人々がスーパーに駆けつけ、洗剤・トイレットペーパーを奪い合うほどの大騒ぎになりました。ネオンは消え、深夜放送が自粛され、石油消費を抑える動きは支持されました。なのに、なぜ今、同じ動きが起きないのでしょうか。
 比較すれば、今の方が事態は深刻です。温暖化集約される自然破壊、資源の枯渇危機、過去にない原油価格高騰を考えれば、その通りでしょう。危機危機と騒ぐわりには、その意識は薄く、危機回避の行動が社会化しません。
 ニュースは経済成長が低いことを嘆いて見せます。世界の指導者は経済拡張策を採りつつ、自然環境保持を、と言います。誰もが、これが可能であることを前提に論を進めるのです。しかし、これは今や、願望ではないでしょうか。人類の総体的福利の向上は、経済成長による生産力の拡大ではなく、富の偏在の是正を通じてしか行えない状況にあると理解します。もっと言えば、経済を縮小しても、社会が上手く行く、そんな経済学を創造するべきでしょう。その方が現実に即していると信じます。
 環境悪化という危機を通じて、自然は人間に悪意なき報復をしています。しかも、それは人類の浅知恵を凌駕する法理に従っているのです。自然農法提唱者の福岡正信さんは、言います。自然と人間活動との矛盾は、人がそれを解決しようと頭を使えば使う程深刻になってゆくと。
 今度、店頭から消えるのは洗剤・トイレットペーパーではないでしょう。飲料水・食料が消えてからが危機なのでしょうか。


昨日4月30日は缶10個でした。