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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
自分も捨てている大量消費時代
 忙しいと皆さんが言います。疲れきっているようにも見えます。「日本人は人生を楽しんでいない」と外国人がよく言います。「忙しい」の「忙」という漢字は「こころをなくす」という意味を表わしているそうです。「心の時代」が言われるわけが分かります。
 なぜ、忙しいのかと言えば、物を捨てるからなのです。捨てるから、買います。買った、だから要らなくなったので捨てると思っているのでしょうが、それは逆なのです。捨てる覚悟を先にするから、買うのです。「それは順番が逆だ」と思われるのは、捨てる覚悟を意識しなくなってしまっただけのことなのです。それだけ簡単に、捨てることを息を吐くがごとくにしてしまっているということなのです。
 捨てることは、実は、自分の労働を、時間を、人生を捨てることに同じなのです。社会構成員が捨てれば捨てるほど、物を作らねばなりません。作れば運び、売らなければなりません。広告もします。このような循環が経済を、社会を活性化し豊かにすると肯定的に捉えられてきました。しかし、同時に、この循環が忙しいさの、疲労困憊社会の原因でもあるわけです。物を捨てることが労働と時間を捨てる事と同じならば、捨てれば捨てるほど物を補充するための労働は増え、忙しくなって当然です。
 大量生産・消費時代が長く続いています。しかし、さすがに、「もったいない」という言葉が帰って来ました。使えるものを捨ててきた反省です。それを歓迎します。しかし、私には、自分の時間を捨て来たことが「もったいない」と写るのです。全国にあるゴミの山は、そして産業廃棄物の山は、無駄遣いしてしまった我々の時間の、命の墓場なのかもしれません。


4月は182個、累計1446個
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死刑犯罪抑止論あやし
 死刑存続、廃止、どうしますか。これには、迷い続けています。廃止の方向がより良いと思いもするのですが、何か、割り切れない感情が大きく、重いことも事実なのです。そんな中、迷いつつも、死刑犯罪抑止論には疑義を持ってきました。犯罪発生原因を早分かりしようとする、こころの複雑さ、奥深さに想いが至らない軽率さを感じるからです。 
 その私の感性もまんざらではないと思わせる事件が起きました。茨城県土浦市荒川土手駅前殺傷事件のことです。この事件は「死刑があるから、凶悪犯罪発生を抑えられる」という理論を破綻させたと言ってよいからです。犯人は「複数人殺せば、死刑になれると思った」と供述していると聞きます。この手の犯人の出現は、これも軽率なのですが、「死刑制度が殺人を誘発する」という理論を可能にするでしょう。正反対の理論がより正当性を主張できる状況になりました。というか、どちらも、取るに足らない軽率な理論であることを分からせてくれる事件が起きたのだと思います。
 最近、死刑をどうするかと言う議論は、「平和を実現してゆく」 「戦争をしない世界を創ってゆく」にはどうしたらよいのかという真摯な模索、行動と連動しているように感じているところです。



昨日は、卒業生が遊びに来たので、手作りカレーうどんをご馳走して、散歩に出ました。彼に、ぼーのリードを持ってもらいましたので、楽に缶拾いが出来ました。しかし、数は16個でした。
花が咲きそろっているが
 春の嵐が吹き終わったのに、今日も、天気はよくありません。霧雨に風も結構吹いています。チューリップの鮮やかな赤・白・黄・桃色に眼をひかれます。
 そんな中、おかしなことに気付きました。ソメイヨシノが散る前に八重桜が咲き出したことです。それに加え、しゃくなげが桜と一緒に満開になったことは今まで無かったことなのです。更に更にです。桜と桃の花も一緒に咲いているのです。春はいろんな花が咲き乱れる季節ですが、集中し過ぎ。
 心配性な私は、不気味さを感じてしまっています。今年の夏は、激しく暑いがその期間は短く、夏らしくない不順な夏で、冬は極端に寒くなるが、それは短く、らしくない期間が長い、という予報をしている専門家がいました。草花が混乱する一年のスタートなのでしょうか。
 なんでも、一長一短がありますから、あまり気にしないで、やるべき作業をしましょう。ですが、今日も、農作業は出来ません。IMG_0258.jpg
八重桜です。少し盛りが過ぎています。IMG_0259.jpg
しゃくなげです。例年は5月上旬が盛りなのですが、今が盛りのようです。IMG_0260.jpg
ソメイヨシノです。さすがに、金・土曜日のの雨と風で相当散ってしまいましたが、まだ、一部ほど残っているでしょう。IMG_0261.jpg
殆ど散りましたが、数輪残っています。IMG_0262.jpg
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チューリップはよく風雨に耐えました。未だ健在です。ああ、またぼーが写ってしまいました。


(写真とその文は4月20日雨が上がってから、追加しました)
荒地復元、祖先崇拝理解する
 父から引き継いだ80坪の菜園の内、現在50坪ほどを畑に維持しています。これだけでも実は大変です。7月下旬から一ヶ月、9月下旬から一ヶ月、11月下旬から一ヶ月の母の入院がありました昨年は20坪を残して、荒地に戻ってしまいました。ようよう、50坪を回復したわけです。
 更に、管理すると言う約束で、父がお借りし、私が後継している5畝、165坪の空き地を何とかしようと思っているのですが、もう、草が生えだしています。その一部にあるチューリップ畑にもスギナがはびこってきました。まさに、草・竹との領地争奪戦が始まろうとしています。
 体力がある方でも、苦戦するだろうと思います、鍬で対抗しようとすると。耕地を維持するだけでも大変であることを思い知っていた古人(いにしえびと)が、森の木々を切り倒し、運び出し、根を引き抜き、開墾することのしんどさを想像できないはずがありません。開墾に挑戦し、その成果を自分達に残してくれた祖先を尊敬するに至った経緯が今、分かるような気がします。
 今年は、どこまで出来るでしょうか。楽しみでもあります。身体を酷使する充実感は食事と入浴と睡眠に現れます。



昨日は26個、本日は34個でした。
「ねばならぬ」から教養へ
 自分に対し、或いは不遜にも、他人にも 「こうあれねばならぬ」「そうすべきだ」 と言い続けてきたように思います。「あらねばならぬ」という時は、意識的に行うと言うことです。忘れぬように、気をつけてやるということです。そこには無理もあります。そう思い込もうとする無理です。だから「べき」が入ります。
 心臓を動かして、呼吸をして、私達は命を維持しています。しかし、誰も、動かしている、息をしていると、常時、意識してはいません。動悸がするとか、息苦しいとかいう時以外は鼓動にも、呼吸にも意識は向かいません。生きることの基本に関わるのにです。無意識に生命を維持して不都合がありません。
 私達は、より良く生きるために、良識や知識や技術を求めて、得ています。職人やスポーツ選手が無意識に、或いは、感でやってしまう仕事やプレーをスキルと言うでしょう。このスキルは教養の一つだと思います。知識や良識を生かそうと意識的にやっている内は教養ではないと思います。これ等に従い「ねばならぬ」「こうあるべきだ」と思っている内は、そう行動しよう、働こうと意識している内は教養とはいえないだろうということです。自ずと、移してしまう行動、言ってしまう言葉、出てしまう仕草が教養でしょう。うえに、教養には高い、低いがあるのだと思います。
 知識、良識を教養にしなければなりません。・・・・・・こういう様では、この知識、未だ、私の教養になっていないようです。



本日は、久しぶりに、日差しがあり風も適度な好天気でした。と言うことで、缶袋を持ってぼーと出かけました。市道に出ましたので、あっという間に袋が一杯、それが37個。と言うことで、今日は37個です。
年金消し、年金から天引き
 社会保険庁が、母の年金を、黙って、消していたことはご報告させていただきました。高級官僚社会は、相容れない異質ゆえに、我々の言葉を翻訳できないのです。何を言っても自分の論理と生理を通し、その増殖だけを生命の目的とする遺伝子に奇形しています。
 その害を、もろに、見せ付ける事態が起きています。年金を消してしまって、支払うべき年金を対象者の口座に振り込まないで置きながら、一方で躊躇することなく、介護保険・後期高齢者医療保険(長寿医療保険と名を変えても実は同じ)は天引きしていることです。有無も言わせぬ天の声が行う天引きです。まさに、お上意識が為せる業です。
 年金を消した無責任は公的年金制度を、掛け金を振込んできた加入者に対する、国家が行う文字通りの「振り込め詐欺」にしてしまいました。しかし、犯罪であると言う認識に至れない彼らです。天の声は天理ですから、従うもの、そうあるべきものと信じているのでしょう。
母に 「ねんきん特別便」 届く
 81歳になる母にねんきん特別便が届きました。やはり、抜け落ちていました。
 父は中小零細企業が、未だ、加入をためらっていた昭和38年、経営する会社に厚生年金を導入しました。母は、そこで52年まで、これに加入していたのです。それが丸ごと消えています。
 その母が言います。年金掛け金を経営資金に回さざるを得なくなったことがあり、延納したそうです。その時、社会保険事務所の職員が「これは流用だ」と犯罪者扱いしたと、今でも、悔しそうにします。
 苦しい経営の中、年金の企業負担分を納めることは大変だったと言います。それを窺わせるのは、会社を解散した時点で、父が棚上げした自分の給料と会社にまわした個人資産が膨大だったという事実です。
 父が言っていたことを思い出します「退職金が少なくて、申し訳なかったが、厚生年金に入っていたことで、少し気が休まる」と。しかし、元社員の方々に正しく支払われているのか、それが疑わしくなってきました。父を罪人扱いした、その社会保険庁が国民を裏切る無責任という罪を犯したからです。しかし、誰も責任をとろうとしません。それはそうです、無責任ですから。苛立ちを抑えられません。


突然、辞令を交付される
 今日は、地理の非常勤講師をさせていただく東総工業高校にプリントを作りに行きました。プリントに必要なコピーを事務室に取りに行きましたら、突然、辞令を渡したいとのこと。校長よりいただきました。教務手帳(昔は閻魔帳といった)、それに張る生徒名票を受け取り、担当するクラスの担任に挨拶方々、地理の係りを選んで欲しいとお願いしたりしました。これだけで充分、授業をするのだと言う実感と緊張感をいただきました。
 30年ぶりの非常勤講師、二年ぶりの授業です。自分を見詰めつつの、喜怒哀楽を味わう生活です。「今日より、明日は良くなりたい」という生徒の想いに、どれだけ、入り込めるかが仕事です。
日の丸君が代に従えぬ想い
 卒業式で、日の丸・君が代に反対する理由が分からないという方が多いであろうか。都立高校教諭根津公子さんが、職を賭けても強制に抵抗するなど、正気の沙汰ではないと思われるだろうか。
 反対する理由は、アジア諸国民の平安を奪った侵略や、加害者で被害者でもある苦しみを日本国民に与えた支配体制を正当化する精神的象徴が日の丸君が代であったからである。戦争への反省は、戦前支配構造を完全に壊すために、その象徴も否定していると考えるからである。
 この想いを理解されなくとも、次のことは理解していただきたい。日の丸・君が代に反対する者が、これへの敬意を強制される苦痛は、自分達を苦しめている張本人金正日に、尊敬と感謝を強制されている北朝鮮国民の苦しみと同じだということをある。
 この時代に、思想良心の自由を求める者に、解雇を含む処分をと、意気込む勢力が存在することの方が異常であり危険だと理解して欲しい。この勢力とは、戦争教訓が復活を警戒する、戦前支配体制とイデオロギーの後継者のことである。教科書検定を支持する「大東亜戦争」賛美派と同類である。狂気を見誤ってはならない。



戦前、思想良心、学問の自由を奪った天皇制国家は皇国史観・天皇の神聖性に疑問をはさむ者達の教職を奪った。美濃部達吉、滝川幸辰、河合栄次郎、津田左右吉、矢内原忠雄、大内兵衛といった当時、各分野の一流学者達ばかりである。



本日、缶拾いは31個。このうち14個は買い物に出て、あまりにひどい様子だったので、拾ってきました。
ビール酒缶も多い缶拾い
 落ちている缶のスチール、アルミの割合は7対3ぐらいだと思います。アルミ缶の内の4割ほどが、実は、ビール酒缶だというのが実感です。(なぜだか、アルコール入り缶は皆、アルミだと記憶しています)
 と言うことは、自動車からビール酒缶が投げ捨てられていることになります。運転手が飲み捨てている可能性があります。自転車からではないか?と言う声が予想されますfが、自転車だとしても、道路交通法には違反です。
 20年ほど前、宴会が終わって、少ししか飲んでいないからと、自動車で送ってもらうことがありました。良識ある温厚な同僚がスピード出しすぎて運転しているので、「少し出しすぎだよ」というと、「そうかなあ」との答えです。メーターを見て、納得したのですが。
 やはり、酒酔い運転は危ないと実感した時でした。運転中は一滴なりともお酒はいけません。もちろん、その後の投げ捨ても。IMG_0256.jpg
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今日拾った38個の内のアルコール入りの缶5つです。ビール、清酒に加え、チューハイもあるのを忘れていました。チューハイもけっこう多いのです。缶以外のものが写っているって。偶然、ぼーが居まして、写ってしまいました。あしからず。


ということで、本日の缶は38個でした。
 
母と花見としゃれ込む
 昨日は、佐原・小見川に、ご近所と花見に行きました。佐原は「大日本沿海與地全図」を作った伊能忠敬(地元では先生をつける)が名主として活躍した江戸時代以来の商業都市です。ですから、桜も古木が多く、見ごたえのある風景となっています。多くの観光客で賑わっていました。佐原市街から数キロのとことに、武勇の神「香取神社」がありますので、久しぶりと、参拝いたしました。そこで、写真を撮りました。IMG_0248.jpg
母一番のお気に入りを一枚だけご紹介。
我が家でも花が次々と
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「れんぎょう」という名でいいのすか。手入れをまったくしていないのに、毎年咲いてくれます。IMG_0241.jpg
つばきも、きれいに咲いてくれます。丈夫です。IMG_0243.jpg
ねこやなぎは、さすがに、花のつきが悪いようです。つる草がからみついていますから。これから取らさせていただきます。IMG_0245.jpg
水仙は、よいみたいです。腐葉土と発酵鶏糞を混ぜて元肥としました。水仙らしい姿に成長してくれました。IMG_0246.jpg
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きじの墓に植えたチューリップは肥料不足でしょうか、茎が伸びませんでした。砂地で荒地であったことを考えて、もっと、肥料を多く入れるべきでした。
言論統制を企てている思想は
 自由主義、民主主義から見て、憂慮すべき事件が、立て続けに起きている。言論集会の自由を脅かす動きのことである。
 日教訴組全国大会全体会場のホテルが使用契約を、右翼の抗議デモによる客への安全面から判断して、破棄した事件。教科書検定が日本軍の沖縄住民集団自決に関与したという文面に修正を要求した事件。映画「靖国」が国会議員の「検閲」を受けた上に、上映中止の追い込まれた事件。アントニオ・ネグり氏の入国直前に、日本政府が査証請求を求めたために、来日できなくなり、講演会等が出来なくなった事件を言っている。
 ネグり氏の件は、当てはまらないが、他の三件は、一定のイデオロギーからのリベラルに対する悪意であり、攻撃であると言わなければならないだろう。そのイデオロギーは「皇国史観」である。戦前の天皇制国家が為した大東亜戦争を正義の戦争と理解している、そして、その国家を再興したいと願っている方々の「皇国史観」である。何を今更、そんなものが力を得るわけが無いと仰るだろうが、もうすでに、力を得ていると私は感じている。
 今は、年金問題、道路特定財源、医療不安、格差の問題、温暖化問題に各層・各界の関心が集中しているが、安倍内閣の時には、戦後、清算してこなかった戦前の遺物が生気を持って、民主主義・自由主義を脅かしていたではないか。そして、政治の主流が国家主義化への歩みを止めている、関心を示さないと観るや、怒り焦って、起こした事件が上の三件であると理解することも出来るのではないだろうか。
 教科書検定もそうだが、文科省が各都道府県教育委員会にどのような指導と言う圧力を掛けているのか、行くのかに注目と監視が必要だと、元公立学校の教員であった一人として、言っておきたい。今や教育委員会は、教師が民主教育を進めることを望まない体質になっている。平和教育をする教師は偏向していると感じてしまう体質でさえある。それは広島の高校生の四分の一が8月6日が何の日か知らされていないことだけでも、充分、言えることである。