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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
ぼーのガールフレンド、ももちゃんに会う
 ここのところ、散歩中に会えないでいた、ももちゃんに会いました。散歩中ではなく、買い物に出た、干潟駅近くの裏道ででした。飼い主は86歳のおばあさんです。口も足腰もしっかりしています。近くの県営住宅でももと二人暮らしをしています。会わないわけです。朝5時三十分に散歩に出ているとのことでした。彼女も、ももと買い物をした帰り道でした。おばあさんに何かあったのか気になっていましたが、なんのことはない、5時に起きるほど元気でした。
 ももは男性を嫌いますがなぜか、私には甘えてきます。ぼーのアタックを上手く交していますが、会えば、尻尾を振りますから、ぼーのことが嫌いではないようです。おす犬と行き交えば、90%攻撃態勢に入るぼーが、ももに会うと尻尾を振り、顔を舐めあいます。残念ながら、5時には起きたくありません。春になれば、考えますが。


本日の空き缶は49個でした。重量は測り忘れました。市道に出たら、あるはあるは、すぐに、袋が一杯になってしまいました。しかし、やはり、少し危険ですし、拾っているのを見られるのもあまり良いものではありません。
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缶拾い中のぼーに変化
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 散歩を終えて、寛ぐぼーです。父の愛車のソファーの上に敷いていたものを倉庫から探し出し、与えたら、気に入ったようです。暖かいのでしょう。犬が嫌いな父でしたから、怒っているかもしれません。


 散歩定コースには、市道を除いて、ほぼ、空き缶はなくなりましたが、新たに、捨てられたと判断できるものも結構あります。市道は通りが激しく、ぼーの安全が確保できないので、遠慮しています。それでも、今日、33個、1,1キログラム拾えました。
 そんな中、缶を拾おうとすると、ぼーが立ち止まることが、今日、ありました。まだ、定着した行動ではありませんが、お構いなしに、先に行こうという感じが抑えられているように見えます。明日以降、注目です。
 今週に入ってから、手の荒れが気になっています。子どもの頃のあかぎれの初期の症状に似ています。あかぎれなのか、それとも、空き地の土が酸性でそれに触れているからなのか、はたまた、まったく違う理由からなのかが判りません。何方か教えていただければ有難いです、
一日冷たい雨が降る
 雪の予報であったが、やはり、千葉東総地方は雨であった。全てのもの、雪に肌を凍てつかせ、息を忍ばせて,悪意なき圧倒的な白に、丸ごと身を委る、その美しさを今日は観ることが出来なかった。 晴耕雨読の生活を気取っている私だが、今日の主役、雨の銀をも奪う灰一色の重い景色に、気が入らない。
 いつもと同じ、母が用意してくれた朝食(炊き立てのご飯、豆腐・長ネギの味噌汁、納豆、シラス降ろし)を摂り、朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を観て、新聞を読む。昼のカレーうどんを作る用意に、昆布を鍋に入れておき、たまねぎを切っておく。たまねぎは、切て、空気に当てておくと、血液をさらさらにする成分が増加すると「ためして、ガッテン」でやっていたからだ。ぼーとの濃厚なスキンシップの後、ぼーは朝食を摂る。
 HPのコラムに記事を打ち始めると、主治医さんから、介護認定に関わる診察を受けに来て欲しいとの電話。11時にヘルパーさんが来るので、お勝手に行き、打ち合わせをする。自分はカレーうどんを作りはじめる。12時過ぎに、ヘルパーの斉藤さんが帰り、二人で食事。片付けは母がしてくれた。書斎に戻り、記事を書き始めると、上の姉から電話、手紙が来たという。義兄は近くの温泉に行った。健康の話、お互いに、そういう歳になった。
 記事を完成し、HP管理を済ませるが、記事に納得がいかず、あれこれと推敲していたら、母が「今晩は、ヒレカツにするけど」風呂に入り、食事を摂り、湯たんぽにお湯を入れ、母のベットと、私の布団に収め、ぼーに晩飯。そして、記事の最終アップロードをしてから、、これを書き込み始め、今が、午後9時14分。
 これが、退職者の一日と知ったら、がっかりするだろうか。自分の老後が不安になるだろうか。母が元気で、それが有難いだけの、でもそれだけで充分な一日。


ということで、本日の散歩はなく、缶拾いもしませんでした。何か気合が入らない一日でした。湯たんぽが黄色いタンポポ、ひまわりの顔をして待っている寝床に、今日は、もう、行きましょうか!?
高物価がエコを進めるでは淋しい
 石川英輔さんの「大江戸えころじー事情」には、江戸が高度な再利用・リサイクル都市であったことが記されている。紙くず、人糞はあたり前、ろうそくの解けた「蝋」や、かまどの「灰」をも買い付ける業者がいたという。
 回収して、再利用が可能であった理由は 、現在に比べてと、収入額に対して商品価格が高かったからである。このことは、最近、新聞雑誌を回収する「ちり紙交換」の車をよく見かけることからも分かる。中国への輸出が増え、古紙の価格が上がっているから、採算が合うのだろう。これは、空き缶にも言える。
 今、古物商のアルミ1キロの回収価格が100円前後であることは以前申し上げた。キロ100円で再利用循環に乗っている。とは言え、、まだ、誰も道端に落ちている空き缶に見向きもしない。しかし、これが、キロ1000円になったらどうだろう。まず、ポイ捨てがなくなる。落ちていれば、拾う人は相当数現れるに違いない。
 物価が上がることが再利用を促進することは間違いない。しかし、窮したから、物を大切にするでは情けない。日ごろから、物を大切に使う、無駄をしない生活が出来ることが誠実な生き方というものだ。第一、インフレーションは高齢者や収入が少ない人々の生活を不可能にしかねない。豊かさに感謝し、物を大切にすることがあるべき人の姿だと思う。


 本日の缶拾いは32個、1,1キログラムでした。
雉の墓のチューリップご紹介
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 本日は、先日ご紹介しました雉の墓に芽吹いたチューリップの様子を見ていただきたく思います。良く見ると芽が顔を出しています。東総地方は、今日は、風もなく、春のような暖かさです。まだまだ、寒さは続くでしょうが、春が近づいていることを五感すべてが味わい、楽しんでいます。
 ただいま、この墓の周りを開墾中です。花で一杯にして、ミツバチや、モンシロチョウ、アゲハ蝶そして、人々が集まる場になれば雉もうかばれるでしょう。
 本日の、空き缶拾いは、43個、1,5キログラムでした。散歩を終えて、寛ぐぼーも、墓を撮るついでに、撮ってやりましたら、あまりに可愛いので、ご紹介させていただきました。あくまでもついでです。
散歩の効用
 睡眠中に夢で、素晴らしいアイディアが生まれる経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。創作活動をする人が、枕元に、筆記用具とノートを用意しているという話もよく聞きます。 
 ランニングハイは、すでに、認知されているところです。それと同じなのでしょうか。散歩中にアイディアがよく浮かんできます。ところが散歩を終えて帰ってくると、忘れてしまうことが多く、大分、損をしてしまったと後悔します。そこで、私、散歩に出る時、筆記用具とメモ紙を持って出ます。散歩中の缶拾いも、散歩中に意識上に出てきました。HP,ブログ、新聞投稿のテーマの相当数は散歩中に浮かんできたものです。
 私にとって、散歩は一石二鳥どころか、三鳥、四鳥です。気分転換、ぼーの健康、精神安定・ストレス解消、体操・ストレッチ、空き缶拾い、アイディア浮上、ご近所との親睦・情報交換。今日の缶拾いは36個、1,2キログラムでした。今日はアルミが多かったです。
国鉄不当労働行為判決、マスコミは報道を!!
 23日、東京地裁民事第11部は、全動労(現、建交労)組合員58名が国鉄運輸機構を被告としている差別損害賠償事件について、原告勝訴の判決を言い渡ししました。
 この裁判は、1987年の国鉄分割民営化に際し、国鉄が、これに反対した組合員をJR職員採用候補者から排除したことに対して起こされました。国鉄の不当労働行為を裁く訴訟です。
 この結果を新聞各紙が報道しなかったことに、疑問を持ちます。現在、各界指導者の、下々に犠牲を強いる姿勢が見え隠れしています。小泉元首相がこれを公言したことを忘れてはいけません。非常時を理由に、支配者が根本原則を棚上げにし、r超法規的な権力を行使することを見過ごしてはならないでしょう。
 国鉄が、組織の非常時であったあの時に、労働法原則である不当労働行為の禁止を確信犯的に破ったこと、原則を棚上げにしたこと許してはなりません。なのに、マスコミはこれを裁いた判決を報道しませんでした。社会良識を守る気概が在るといえるでしょうか。
 この判決を報道することで、国鉄と同じ理不尽を通そうとする権力を封じ込めなければなりません。マスコミの社会正義までもが「偽装」であるなら、庶民は救われません。




本日の缶拾い、21個、1,2キロ
古物商に確認しましたら、鉄が1キロ17円、アルミがキロ、100円前後だそうです。前に、お知らせした、キロ28円は不正確な情報でした。訂正して、お詫びいたします。
何かしていないと不安・・・自分を信じることは難しい
 退職前、退職後にやらなくていいと思うと嬉しくなることがありました。それは、メモ帳に予定やその日の内にやらなければならないことを記入することです。(やり終えたことを二本線で消すのが楽しみでもあったのですが)
 と言いつつ、退職後の夢は広がる一方で、やることが何もない日があることを恐れる気持ちも、片隅にあったわけです。メモ帳に記入をしなくなって二年弱になりますが、ここ数ヶ月前から、実は、記入を再開しています。
 予定がないと言うことが、最高の贅沢と思っていましたし、今もその思いは強いです。しかし、同時に、することが決まっていない、人に頼られているという緊張と満足感がないことは何か、居心地が悪いのです。はっきり言えば、不安なのです。
 迷いが出てきた時に、その不安は強まります。信じる、自分を信じることが難しいと言うことです。信じることから生まれる力が生きるしぶとさを与えてくれる。それは他人を信じることも同じでしょう。


本日は、風が強いです。ぼーには何の影響もないようでした。缶18個、700グラムでした。
湯たんぽはすぐれもの
 
 母が「夜寒くて眠れなかった」と言うのです。電気毛布を使っていますので、そんなことはがあろうとは夢にも思わなかったわけです。「じゃあ、お母さんも湯たんぽにする」その晩から、母も湯たんぽ生活に入りました。
 翌朝、「電気毛布より温かいねぇ。よく眠れた」と言います。私が自分用に、湯たんぽを求めたのは、まだ、若いのだから、湯たんぽぐらいで充分だろうとの判断からでした。そうではなかったのです。高齢者だからこそ、湯たんぽにするべきだったのです。
 より、高度な技術による文化用度の一つである電気毛布が、前近代が産んだ湯たんぽに性能で勝てない。単純な構造に造られている用具が、複雑な仕掛けの器具よりも優れている。今の文明に対する漠然とした不安の、その在りかが見えたような想いがしました。
 我々は莫大なエネルギーや資源を使い、それに見合った福利を受けているつもりになっていますが、実は、そうではなく、膨大な無駄を造っているだけではないか。そんな実感をくれる湯たんぽ威力でした。湯たんぽはすぐれものです。



今日は、冷たい雨が朝から降っています。予報では、夕方まで続くらしいです。散歩はありません。ぼーも分かっているので、いつもこの時間にする、あまえたような鼻ならしをしません。
散歩道は干潟八万石
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匝瑳市春海から、干潟八万石を撮りました。春海は干潟八万石の西のはずれにあたります。下から三番目の写真が南側、下から三番目が西側、一番下、一番上とその下が北西、他が北東・東側になります。


 干潟八万石という水田地帯は、江戸時代初期までは、「椿海」つばきのうみ、と呼ばれる、諏訪湖の三倍もある湖でした。が1673年に干拓が終了し、18の新田集落が出来ました。現在も、「椿」(つばき)とか、春海(はるみ、昔は、ちんかい、と呼んだ)と言う地名があります。実際は8万石でなく、半分強の4万数千石だったようです。江戸時代を通じて、天領や旗本の領地でありました。天領、旗本領が混在して居たため、警察の仕事が出来ずらく、やくざ、博徒が力を持っていました。飯岡助五郎がその例です。
 10キロ南には九十九里浜が広がっています。東25キロには銚子市、北25キロには佐原市、北西20キロには成田市があります。この広大な水田地帯にも、ゴミが捨てられています。
 人々が何気なく捨てるゴミだけではありません。干潟八万石の北、東北に広がる台地は産業廃棄物の不法投棄が問題になりました。今は、騒がれ、住民運動も活動し、沈静化しつつありますが、なくなったとはいえない状況です。
 日本中がゴミ捨て場になってしまて居るのではないでしょうか。今は、マスコミが騒ぎませんが、騒がれた頃に比べ、ゴミ問題は改善されているでしょうか。そこで、「やれ捨てろ 我に唾する狭い国」と詠みたくなるのです。


本日は、31個、1キログラム。ぼーの散歩のついでの缶拾いが、缶拾いのついでの散歩になってしまったとの反省が効いて、収量は減りました。
犬は買うか、もらうか
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一番下の写真は、きのう、散歩(缶拾い)から帰って、庭で、遊んだ後のものです。その上2枚は昨年の4月28日枯葉の上で寛いでいるところ。上の二枚は、昨年の芝桜の季節に、日向ぼっこ中のぼーです。

本日の缶拾いは39個1,5キロでした。


   ぼーは1999年12月25日生まれの8歳です。2000年3月4日に初めて会い、その日の内に我が家に連れて帰りました。8犬兄弟の中で、二番目の大きさでした。他の兄弟が、駆けて私の方に来たのに対し、後から、のそのそやってきたのが気に入ったのです。元飼い主には翌日、菓子折り一つ持って御礼に行きました。
 実は、それ以前に、ペットショップでビーグル犬を見て、こいつにしようと決めていたのです。そんな中、何か抵抗を感じました。子どもの頃、ひよこや小鳥・金魚を買ってもらった経験が幾度もあったのにです。もちろん、悪いことではありません。しかし、社会が、何か、大切なものを忘れてしまったのではないかと言う不安が、形にならずに見えるような気がしたのです。
 家族の一員とまでの思いに至るであろう愛犬です。愛の対象である命をお金でやり取りしていいのだろうか。金で買った命を愛することは、出発から愛情に歪みがあるのではないだろうか、という人間としての本能がとらえる不安ですとでも言えばいいのでしょうか。
 ぼーの死後、私は、寂しさの中、少ししてから、犬が欲しくなり、買うかもしれません。買った後、大事にすればいいのかもしれません。犬を飼うことが元来、人間の都合によるものです。このことと、先ほどの私の不安は、根っこで一緒なのかもしれません。
 元気よく、田んぼ道を走りぬけ、生き生きしているぼーです。その姿に、思わず笑ってしまう私です。私が帰ってくると隠すことなくその喜びを表現し、ごはんというと、オッポを振ります。「肉が食べたいの?」と聞くと、舌で鼻を舐め、待ちの姿勢であるお座りをして見せ、幸せそうな、おすましの顔をする。そんなぼーであることで、私のエゴは許してもらえるものなのでしょうか。考えさせられることがあります。
カン捨てて徳も転がる人の道
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本日、48個1,7キログラムのかんを拾いました。その写真です。お仕事をし終えた直後のぼー君です。


 捨てる神あれば、拾う神あり。これは、自分を受け入れてくれない人も居るが、助けてくれる人もいるから、腐らずにやりなさいという教えです。また、世の中、つじつまが合うようになっているという摂理を教えでもあるでしょう。
 缶を捨てる者があれば、拾う者もいる。それで、上手く行くのが世の中だ、と言えばその通りです。しかし、捨てる者が拾う者に言うとしたら、お門違い、無神経、今流行の逆切れにも行き付くでしょう。そこで、タイトルの川柳が浮かんできたわけです。その他もご紹介


  やれ捨てろ 我につばする狭い国


  不要なら 恥も捨てるゴミの山

  
  内はダメ 外はイイのゴミ戦争


  独裁者 捨てたところがゴミ箱よ
福田首相施政方針演説、生活者重視疑う
 福田首相の施政方針や閣僚の演説からは、自分達の政治理念・姿勢立場・政策の結果が、今であるとの認識が見えてこない。ゆえに、期待できない。
 「社会保障に要する費用は増加せざるを得ません」は「増やしたくないが、しょうがない」とも「財源が確保できなければ、削る」とも聞こえる。現に、今、削られている。大田大臣は「景気回復をできるだけ、長く持続させ、家計にも回復の実感を広げる」と言う。が「好況」が続いても、家計、個人・小企業の状況は良くならないのだ。この苦しさが、自民党の政策によって、構造化された結果なのだと思っていないのだ。独占禁止法を含めた大企業規制、派遣労働の制限、非正規雇用の保護、労働基準法運用の厳正化という言葉は一言もなかったのには驚いた。それでよく、「生活者や消費者が主役となる社会」を目指すと言えたものである。
 意味不明は、首相の「1500兆円の個人資産は日本の強み」発言だ。800兆円の国家借金の返済に、これを充てる気なのか。



 今日の空き缶拾いは55個、1,9キログラムでした。ぼーは足の傷などないかのように、田んぼの畦道を走り回っていました。こっちに来いと合図を送ると、猛スピードで駆け寄ってきて、私のみみを舐める、いつもと何も変わらない散歩でした。


空き缶拾いの相棒、愛犬ぼーです。よろしく。
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愛犬ぼーです。愛くるしいことこの上ありません。いつも一緒に散歩です。「散歩」という声を聞くと犬が変わります。もっと見たいですか。ご希望にお応えします。
 今日は左足太ももに穴が開くケガをしてしまい、散歩はしません。いつ、どのようにして開いた穴なのかが分かりません。ペットショップの方の話では液体殺菌剤は痛がるので、オロナイン軟膏がいいとのことでした。すぐに付けてやりましたが、きれいに舐め上げてしまいました。本人は、痛そうにもせずに、食欲も旺盛で、散歩、やる気満々です。「散歩ないない、散歩だめだめ」と伝えると、寂しそうな顔です。。この場合、いつも同じ反応ですので、伝わっていると思います。問題は、なぜ、怪我をしたのかです。まったく見当が付かないところが飼い主として情けないです。
 ということで、今日は、缶拾いも中止となりました。雪も降っていますから、どっちみち、中止ですが。残念です。


 
散歩して缶拾ってみました
 朝、起きたら、雪が我が家の庭を兼六園に劣らぬ名園にしてくれていました。めったに積もらない房総の雪です。13年前の緊迫してしまった朝とは違い、静寂な美しさにこころ鎮まる時間をいただきました。
 今日は再利用、再生をテーマに缶拾いを始める日です。意識してのことではありませんが、淡路阪神大震災の日は開始するのに相応しい日のように感じています。
 いつもの散歩を、愛犬ぼーと一時間楽しみました。が今日は、ゴミ袋を持って、缶拾いです。立ち止まるたびに、ぼーが戸惑っていました。こちらも、彼の安全を確認しながらの缶拾いでしたので、気は使いました。でも、いつもと違い、楽しいと言うより、わくわくしながらの散歩となりました。
 家に帰り、まず、秤に掛けてみました。1,5キログラム。個数は42個。1キロ28円と聞いてます。経済価値にすると42円となり、一個ちょうど、1円という計算になるわけです。一時間42円社会に貢献したことになり、もし、そのまま、私の収入に成るとすれば、時給42円のお仕事です。アルバイトになりません。
 しかし、愛犬の散歩という意味に加え、私の健康に役立ちます。今までのこれに加え、何よりも資源の再利用になるということが嬉しいわけです。更に、一年間で、何個拾うことになるのか、思うとわくわくする楽しみは経済効果とは別物です。明日も天気になぁ~れと言った気分。子どものようですみません。


< 後日訂正> 缶の買い取り価格に付いて訂正します。鉄が1キログラム17円、アルミが1キログラム100円前後だそうです。そうすると、鉄缶一個70銭、アルミ缶一個2円30銭になります。いろいろな大きさのものがありますが、大きさが違う5つの平均で出しました。
 
散歩で缶拾い
 イタリアのナポリでは、ゴミが回収されず、町中に、5000トンが放置され、その上に、さらに、市民がゴミを積み上げる中、暴動が起きたと聞きます。
 愛犬ぼーと散歩する田舎道、空き地や休耕田、時には、田畑にまでゴミが捨てら、散乱しています。すでに、ナポリを他事としえない状況が広がっているのです。ただ、散歩をするのではなく「拾って帰ろうか」と軽く思ったことは、過去に幾度。人々の不道徳を嘆き、批判していてもきれいにはならない町です。明日から、缶・ゴミ拾いを、力まずに、始めることにしました(こうして、自分を追い込んでいるような)。
 今日、廃品回収業の方に伺うと、缶はキロ28円で鉄くず業者が引き取るそうです。一年間で、何個の缶を拾い、重量が何キロになるのか、なにか、楽しみです。逐次、ご報告いたします。
雉の墓のチューリップ芽が出る
 夏に、我が畑でこと絶えていた雉を弔い、となりの空き地に墓を造りました。秋に、その周りにチューリップの球根を植えつけました。そして昨日、芽が出ていることに気付きました。
 150坪あるこの空き地を「雉公園」と命名し、これから、草花の種を蒔き、苗を植え整備しようと思っています。今日、初めて、鍬を入れました。せい高アワダチソウやつる草の根が張り巡らされているので、結構な力仕事です。散歩やウウォーキングをされている方々の休憩所にもなればよいと思っています。公園の設計をどうしようかと構想を練るのは楽しいもの。おかげで、肉体労働の苦しさを感じることがありませんでした。
 チューリップが咲く4月には整備を終えて、更に、草花を増やし、ご近所が集い、語らう場になればよいのですが。
空腹が一番のおかず
 畑起こし4日目、疲労感が出てきました。愛犬ぼーとの散歩を終えて、レモンティーで寛いでも、畑に出る気になれません。しかし、少しでも進めないと、鍬を握りました。
 一鍬一鍬、そしてもう一鍬、背筋がしびれます。地を見、天を仰ぎ声を上げます。緑の葉に守られ、浮きいずる柚子の実の鮮やかさに元気付けられ、また人鍬、そして二鍬。疲れが心地よさになって行く、それが分かるのです。心地良さが空腹に変わって、仕事を終えました。
 母が「良いお米だから、今晩は、おにぎりにしないかい」と言うので、豚汁を作り、夕飯です。海苔とごま塩、そのにぎりの美味しいこと。握り飯がこんなに旨いとは、新鮮な、驚きです。米は農家の卒業生から、海苔はその研究家である弟の舅からいただきました。ありがたいものです。
 昔の人は「空腹が一番のおかず」と言ったそうです。その「おがず」が加わり、有難さという「だし」が利いた豪華な食卓です。ちなみに、豚汁の具は畑で間引いたばかりのコカブ。簡潔で、揺らぎない営みの中を、安らぐ時間が愛おしい宵でした。

<後日追加> 上の文章、1月25日しんぶん赤旗「読者の広場」に掲載されました。
肉体と頭脳を使って人は健康、健全
 昨日から、畑の開墾作業をしています。散歩とは違い、大地から返ってくる反作用を受け止める気概と身体の強さが求められます。
 今日は、少しやると汗が出てきたので、風呂を沸かすスイッチを押しに戻り、時計を見たら、3時55分でした。畑に帰って、予定量の作業をしようと気合を入れ、腰の筋肉を休めては、また、すぐに、桑を入れ、桑を入れと繰り返しました。決めた量の仕事を終え、働いたという満足感を背中の汗に感じつつ、キューイと、風呂に浮かべるゆずの実を採るのです。農具を洗って、立てかけて、座敷に上がったら、なんと、まだ、4時15分なのです。5時に近い時間と感得していた私は「え~、まだ4時15分!!」と母に言うでもなく、独り言でもない、大地と天に訴えるかのような声を発してしまいました。確かに、日の明るさからすれば、5時ではないと気付きましたが。
 肉体労働は、実際の労働より長く感じるものなのですね。文章を書くとか、読書・学習をしていると「なに、もうこんな時間になっているの」ということが多いでしょう。肉体労働はその逆です。苦しい肉体が、きついから脳に、時間が経ってしまったよと感じさせる物質を送っているのでしょうか。きっと、そうです。
 もう一つ感じしさせてもらったことは、肉体労働が精神を高揚させ、頭脳を活性化することです。今日は、畑仕事の後、文章のテーマ、アイデアが3つも次々と浮かんできました。風呂を上がり、母と二人でおでんをつくり、食べ、そして、こうして、ブログを打っている。充実感が強いのです、大きいのです。肉体と頭脳を使って、人は精神が健康なのだということを実感しました。そう感じ、そう言いたくなった、睦月九日でありました。
 
 
歯痛し、医者に行くか迷う
 生来、歯が弱いのか、食生活が悪いのか、磨き方が悪いのか判らないが、子どもの頃から虫歯に苦しんでいる。
 痛くても、医者に行かないのは「なぜ、ここまで放って置くの」という先生のお叱が予想されるからである。人に聞くと「そうなんだよね」と返されることが多い。
 教師をしていた頃、遅刻してくる生徒達に「なぜ、5分早く起きられないんだ」「午後から来たって意味ないでないか」と叱っていた私だが、ある時「先生、それを言われるから休んでしまうこともあるんだよ」と言われ、対応を改めた。
 
 「登校したくない理由があるのに、よく来たね」「こんにちは。お前が居ないと寂しいよ」という対応に変えたのである。最初、生徒達は、うす気味悪がったが、繰り返せば、日常になるものだ。
 歯医者に行く必要はあるのだが、、迷い続ける私である。「よく来ましたね。歯が痛かったでしょう。よく我慢しましたね。もう大丈夫ですよ。任せてください」と言ってくれると分かったら、行くことにしよう。
選挙は政権への罰ではないが
 選挙で、政権与党を懲らしめるという声を、昨年の参院選後も、多く聞く。私は、スッキリしない。
 結果として、政党が自らが反省することはあっても、有権者が灸をすえるために、行使する手段ではないと思うからである。選挙とは、政党の理念・政策に共鳴するから、それを支持・応援するという、もっと、積極的な行動である。
 しかし、解散しなければ、何ももしなくても、四年間、政権にあってよう程、悠長な時代ではない。自殺者が1万人越えたら、孤独死者が100人越えたら、食料自給率が下がったら、薬害事件クラスの問題が起きたら、即、総辞職・解散ではないかと思う。
 年金問題は、まさに、これに値する事件であった。不安と怒りを抱えたまま、年を越した国民の、世直し意欲を政治家は甘く観てはならない。
温暖化の事実衝撃から、まだ、立ち直れない
 小心者だと、つくずく、思う。テレビ朝日開局50周年記念番組(1月4日放映)「~地球危機2008~」を観て受けたショックから未だ立ち直れない私です。そこで、温暖化を笑ってやろうと川柳を作ってしまいました。では


   温暖化  戸惑う冬に  鯉は跳ね


   
   鍋の味  いまひとつだぞ  温暖化


   
   冬きても  風呂の湯けむり  元気なく


   
   冬なのに  恥じらいもせず  つつじ咲き


   
   温暖化  人の格差も  是正して



   布団出る  気合もいらぬ  冬さみし



 温暖化を笑うつもりが、嘆きと愚痴になってしまっているような。温暖化に笑われている、それではいけないのですが、闘争心に乏しい私としては、これで、精一杯の抗議です。
   
変わる苦しさ覚悟する正月
 私が自動車を運転しないのは、とっさの判断に自信がないからである。危機に際し、的確な判断ができないのではと恐れるからである。であるが、核心となる理由は別に在る。
 「自動車」というから、本人の体力が動かす性質のものではない。身体から発しない別のエネルギーが働いて動く。その熱量は、体内で作用すれば、体温を何百度にもしてしまう。爆弾のそれである。小心者の私は、そのエネルギーを統御できない自分を想像して、象やカバを恐れるように、自動車が怖いのだ。「バイクにしたら」とアドバイスを受けるが、エンジンの不気味さにかわりはない。
 我々は人類の福祉向上を目指し、自然を統御するために、科学技術を駆使してきた。しかし、自動車事故のような、人工エネルギーの統御に失敗する事例を軽く見てきた。そう教えてくれる現象は、もう、気付かない振りを許さない程に、顕著になっている。
 1月4日、テレビ朝日「~地球危機2008~」では、温暖化が引き起こすだろうとされてきたことが、すでに、歴史になっていることが報告されていた。SF映画を観ているのではと錯覚してしまう映像がそこにあった。コタツを切り、湯沸し設備のスイッチを切ってしまった私である。
 温暖化に代表される自然破壊は経済のあり方と連動していることは疑いない。産業革命によって近代経済が本格化した時期と、自然破壊が激しくなった時期が一致していることだけで充分証明されることだ。近代経済の原則は「より良い物をより安く、大量に」である。同時に、これを実現することが全人類の福祉につながるという真理でもある。これが信仰であるとの指摘は、思い当たることが在るゆえに無視されてきた。
 ゆえに「より良い物をより安く大量に」を追求し、成功した生産者だけが勝ち残るという経済原則は、今も、有効とされている。しかし、これが有効なのは消費者、いや、人間が「より良い物を安く大量に」を価値とし、望む限りにおいてである。人間の意識が原則・法則の確かさを保証しているのであれば人間の意識が変われば、経済原則も変わる。
 現に、エコや安全性に気を使った商品が、高価であるにもかかわらず、求められる消費傾向は、大分前から、あるではないか。昨年は、消費者の食の安全を求める声に、企業・官庁が右往左往したとしであった。更に、「大量に」対しても、意識改革必要なことを加えなければならない。拡大成長経済学から、縮小衰退経済学の確立という作業のことである。縮小しながらも社会が混乱しない、そんな経済の模索が真剣になされる必要を強く感じる。
 大人達が意識改革しなければ、子ども達の未来はないのではないか。人間が統御できない程のエネルギーを無制限に使うことで、経済法則の正しさを証明しようとし続けるなら、原爆以上の悲劇を生むのではないか。そんな危機感で始まった2008年である。
野良初めほうれん草を摘む
 毎年、年賀状に添える俳句を、2008年は「日出待ち雑煮彩る菜さくさく」と創り、途中で「青菜切り」そして、納得して書いたのが「青菜摘み」でした。「日出待ち雑煮彩る青菜摘み」
 「さくさく」は「切る」という言葉を避けるために使ったのですが、語呂が悪いと思い直して「切り」にしました。と言って「切る」を避けたいという思いはやはり消えず、なんだ「摘む」があったではないかと、賀状を書きながら、次々と、改作を繰り返してしまいました。
 元旦の青菜(菜の花の若菜)は、実際には、大晦日に摘んでおきました。母親が畑に行くたびに「そろそろ、ほうれん草も食べられるね」「まだ、早いよ」。ところが、とうとう今日、我慢できずに、両手に一杯、一杯の笑顔で持ってきたのです。まだ、小さい、間引き菜のような、泥付きのほうれん草のみずみずしさに、老いが後ろに引き下がっているようでした。
 今日の晩飯は鮭とお節の残りと、ほうれん草のバター炒めと決定。何かわくわくでした。出来上がったほうれん草炒めをつまみ食いすると、サラダのような触感の次に、甘さが,そして、
すぐさま、驚きという味わいに変わりました。野菜を食べなくなっていた母も「美味しい」と箸がすすんでいました。
 卒業生から有難くいただいた谷津田のご飯にピッタリのおかずに「幸せ幸せ」と言いながらの夕餉となりました。