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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
人を笑わず、人と笑う
 タイトルと同じ名のブログを開設しました八角広道(やすみひろみち)と申します。54歳、昨年3月に早期退職をした無職人です。趣味は家庭菜園、ボーリング、落語鑑賞、石原裕次郎、渡哲也と同じ12月28日生まれの山羊座でA型、以上が自己紹介です。

 気心が知れた仲間内で、人を笑ったり、悪口をいうのは、正直にいってしまうと、楽しいものです。他人の失敗や不幸を噂するのも心弾むものがあります。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるくらいですから。でも、本人の前で、言うことはしないでしょう。「ブスにはブス」とは言いません。むしろ、可愛いと思っている子に「ブス、ブス」と小学生の頃、いいましたよね。スカートをめくったり。覚えがないとは言わせませんよ。可愛いと思う女の子に構って欲しいから、「ブス」という訳です。ブスと思っている子に「ブス」と言ったら、これは「いじめ」です。ブスと思っている子にブスと言わないのは、配慮であり、一種のおもいやりです。ですから、小学校の頃、いじめではなくて「ブス」と言われた女の子は男子から人気があった可愛い少女であったはずで、今は、美人のことでしょう。思い当たることがありますか。
 少し、話がそれました。悪口を言ったり、人の不幸を噂することが楽しいと言う話でした。これは「いじめ」にしない限り、つまり、本人の前で言わない限り、噂したことが第三者を通じて本人に知られないようにしている限り、悪いことではありません。しかし、「美しいこと」ではありません。
 「わたしゃ、醜くて結構」と言われれば、もうお仕舞いですが。でも人は、醜いから美しくなりたい、ありたいと思うものです。私は文化とは、醜いからこそ、美しくありたいという思いをエネルギーとして創造されているものだと考えています。醜い人間が集まると醜さが無限大になるのではなく、逆に、美しいの無限大なれたらいいと思いませんか。もっと言うと、皆が美しく生きられる条件を創る「努力」と「意志」と「願い」が文化の本体だと言いたいのです。
 「人を笑うことが悪くはないが、美しくない」ということは、裏を返せば、「醜い」ということです。では、「人と笑う」はどうでしょう。美しくないですか。仲間内でいると、第三者には笑えないことでも、笑い合っています。これは、お互いがお互いの個性を知り合っているために起きる現象です。温かく柔らかい布団に包まっているような笑いです。しかし、他人を馬鹿にして笑う笑いは冷たいコンクリートの上のござに寝転んでいるような固い笑いです。どうせ笑うなら、冷たいヒヒヒではなく、腹のそこから、ハハハと笑いたいものです。こんな思いから、ブログ名を「人を笑わず人と笑う」にしてみました。「人と笑う」でおもいだしたことがあります。次回はそのことを話してみたくなりました。
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