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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
冤罪被害者のお話を聞く
 9月29日の日曜日は布川事件の被害者桜井昌司さんのお話を聴くことが出来ました。権力の、正義を貫くと信じられている検察・司法の無法ブリに腹が立った1時間半でした。
 桜井さんは冤罪被害者という、予想された影を全く感じさせない方でした。ユーモアもあり、男義もある優れた方とお見受けしました。お話し中も笑いっぱなしという感じでした。下手なお笑い芸人よりも数段面白いのです。寄席に出ても通用するでしょう。そこで、575を


   冤罪に被害者今は感謝する
          詫びるこころを持てぬ検察



    
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あいちトリエンナーレ再開を求める署名

 あけび書房さんからメールが届きました。



久保(あけび書房)です。

  連日のBCC一斉送信、ご容赦ください。
  8月6日広島・9日長崎への原爆投下、8月15日敗戦記念日のこの頃です。
  核兵器、平和、言論・表現の自由などを巡るさまざまな問題が生起します。

醍醐聡(東京大学名誉教授)さんなどが呼びかける、
「表現の不自由展・その後」の再開を求める署名活動のメールを転送します。
小生もネット署名に参加しました。

そして、小社も加盟している日本出版者協議会(出版協)の
「「表現の不自由展・その後」の展示中止に対する声明」も添付します。


……………以下、醍醐さんからのメール………………………………………

お知り合いの皆さま

連日、BCCで失礼します。
「表現の不自由展・その後」の再開を求める署名の呼びかけ人の1人の醍醐です。

第一次署名の集約分は、ネット署名に添えられたメッセージ集と一緒に、
8月15日に愛知県庁の担当課と面会して知事あてに提出します。

◆あと3日間の署名の集約方法◆
15日までの第一次署名の集約は次のとおりです。
 *ネット署名 →(入力フォーマット)→ http://bit.ly/2YGYeu9
   8月14日、24時まで受け付けます
 *用紙署名 →(署名用紙のダウンロード) → http://bit.ly/2Ynhc9H
   8月14日 局留め到着分まで

 *お願い
  ・期日が迫っているため、この先は極力ネット署名でお願いします。
  ・用紙署名の場合は、極力、記入済用紙のスキャンをメール添付で
   morikakesimin@yahoo.co.jp 宛てに送信下さい。

◆自治体が「政治的中立」を盾に協賛を拒む辞退が広がっています◆
 神戸、東京都文京区に続き、佐世保でも、同じ事態が起こっています。
 「原爆展後援、佐世保市教委断る 会場で核禁条約加盟促す署名 『中立保てぬ』」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532585/
  「佐世保市の朝長則男市長にその理由を尋ねたところ、書面で回答があり、
『日本政府は核兵器禁止条約が核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長し、
亀裂を深めるとの考えから賛成しなかったものと認識している。本市は政府
方針に同調する』との考えを示した。」

<政府の方針に従わないこと=中立でない=協賛しない、使わせない>
は、時の政権の方針を憲法の上に置く、露骨な反立憲主義。こんな考えが
横並びで広がったら、独裁・検閲国家です。

◆“補助をする以上、検閲は当たり前”を許したら大変 ◆
 政府の方針に逆らう言動、日本の加害の歴史に触れる言説が匿名の攻撃にさらされたり、
公共空間から締め出されたりする事態に毅然と立ち向かわなかったら、
検閲国家になります。

公権力の介入と卑劣な匿名攻撃による表現・言論潰しを「失敗体験」に追い込むには
企画展の「再開」が何よりの答えになると思います。

署名呼びかけ人は、九条の会、日本科学者会議、全国レベルの労組、婦人団体、文化団体、
弁護士団体、大小の市民団体などに、賛同・支援の要請をしました。

「表現の不自由・その後」展の再開を求める署名は今、
老若を問わず、どこに住んでいても、出来る意思表示です。
8月14日までに、この意思表示を大きく積み上げることが、
企画展再開を促す一番の力です。

よろしくお願いいたします。
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醍醐 聰


八角も署名いたしました。賛同の方は是非署名お願いします。
広島原爆忌
 74回目の原爆忌です。日常にはできぬ恐怖を伝える原爆ドーム、今日も多くの方々を鎮魂に訪れました。しかし、犠牲者を悼む心は薄れているように感じます。「原爆に話はもう飽きるほど聞いたよ」「もういいのでは、原爆原爆と言わなくても」そんな本音が平和への無関心を生んでいるのではと危惧します。
 同胞の理不尽な死にさえ、こうであるのですから、他国人の死への悼みが知れてきます。「何度謝罪させたら気が済むのか」「未来志向で行こう。もう過去を言い合うのは止めよう」これを被害者の他国人が言うならまだしも、加害者である日本人が言うようになってしまいました。まともな心の崩壊を思い知らされます。
 今までに、原爆投下や核兵器に関する川柳を作ってきました。それをご紹介して、私の鎮魂の意を表しといたします。


    原子炉は太陽にあるただ一つ

    正気では核廃絶は出来ぬのか

    核の傘畳む知恵持て被爆国

    欲望の文明が滅ぼす文化

    花筏死者と戯むる太田川

そして、近作      テニアンも知らぬ政治が吐かす核武装
                             ぬ

政府が違憲にしている自衛隊
「自衛隊と軍隊、どこが違うの」との質問を生徒から受けたことがあります。
 昭和の頃まで、憲法をそのまま理解すれば、自衛隊は違憲と思っていました。しかし「非武装中立を党是とする社会党政権が誕生するのでは?!」という状況になった時、正直、不安になったのです。そして、専守防衛という知恵の深さを知りました。
そこで、生徒たちの質問への答えです。「軍隊は外交政策の一つとして武力解決を選択する国の武装組織。自衛隊は外交政策の延線上に武力解決を認めない国の武装組織」ということになります。自衛隊=専守防衛です。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」これは戦争の惨禍が生み出した宝です。ですから、これに変わりはありません。しかし、これに従うためには、同じ理想に向かって努力する国際社会が必要です。九条の理想を世界基準にしてゆく日本政府の努力が前提になるのです。武力を必要としない国際社会の実現を九条は、政府に義務付けています。
 ならば、自衛隊が違憲になるのは、政府が外交手段として武力を行使する場合と、軍隊を必要としない国際社会を実現する努力を放棄する場合に限られます。
集団的自衛権の行使(安保法制)は戦争を外交手段にする米国と軍事行動を共にすることを可能にしました。武器輸出を解禁した防衛装備移転三原則は国際社会から軍隊をなくす努力を放棄したと言えます。ならば、自衛隊を憲法違反にしているのは政府自身ということになります。
憲法を改めるのではなく、自身を変えることが自衛隊を違憲から救う随一の道です。安倍政権が目指す改憲には、戦争に利用価値があるとの本音が見えます。


月刊誌「世界」が書店にない!!
 あけび書房さんが、私の著書の広告を雑誌「世界」にしていただけるというので、我が地方最大の書店に行ってみました。すると、どこを探しても見当たらないのです。

 店員さんに聞いてみると、取り寄せになりますとのこと、驚きました。日本を代表するような月刊誌です。それが大型書店にさえ置かれていないのです。「ここまで来ているのか」と出版界の苦境の深刻さを実感しました。という私も、何年か前に、一冊買って以来、購読していませんでした。
 時代の変化の速さに、付いて行けない自分です。というか、付いて行きたくない自分です。誰の必要によって、この異常ともいえる変化の速さが起きているのでしょうか。そこを考えねばならないところに来ています。変わらない自由はないものでしょうか。

 ちなみに、あけび書房さんは積極的に自社出版物の広告を新聞にしています。参院選挙で安倍政権に打撃を与えるためです。これに備え、精力的に出版活動をされています。その中に、わが書も加えていただいたこと、感謝しています。

岩本務、丸山重威著  「これからの天皇制と道徳教育」

半田滋著 「安保法制下で進む!先制攻撃できる自衛隊」

立石陽一郎著 「ファクトチェック最前線」

吉永直登著 「太平洋から日本を見つめ続ける島 テニアン」

是非、ご購読を!!
5.3護憲集会に参加
 5月3日は憲法を生かす匝瑳九条の会の仲間と、有明護憲集会に参加してきました。千葉市の集会とふたてに分かれての参加となりました。
 参加者数は主催者発表で65000人、各県庁所在地での参加者を足せば、相当な数になったはずです。ところが、取材ヘリコプターは一機だけでした。マスコミはこの集会を無かったことにしようとしているのでしょうか。確認できた日本経済新聞は全く触れていませんでした。1日のメーデーに至っては東京新聞も報じていません。改元と即位の記事で埋め尽くされているのです。
 東京新聞は改元改元と舞い上がっている様子を心配げに、原発問題、経済格差問題、外交、少子化問題など忘れたことくの世相に疑問を投げかけるような記事を書いていたにも関わらず、メーデー記事を二日報じていないのです。「東京新聞、お前もか」と言いたくなります。

 集会参加後、五時に、横浜時代の卒業生11人と、新橋で待ち合わせ、ミニ同窓会と相成りました。楽しい、本当に楽しい時間でした。ただそれだけのご報告です。また来年、5月3日再開を誓い、別れました。

 そんなわけで、少しは気分が晴れたのですが、腹が納まりません。悪態をつきます。

    また詐称空母という護衛艦

    財源がないとは言わぬ防衛費

    自衛隊が違憲ではない
           平和への努力放棄の政府が違憲
地域を支える担い手

  地域社会が行き詰まっています。以前から指摘がある消防団、民生委員に加え、交通安全協会、防犯協会、祭礼も危うくなっています。町内会活動も実質を失いつつあり、ある町内会は解散しました。
 この原因は町会員の多数派が農家から勤め人に変わったことに求められます。しかし、そうならば、40年以上前から地域活動は停滞していなければなりません。この10数年ほど前から顕著になってきた理由は何なのでしょうか。
 企業の変化があると思います。以前は、企業にも田植えのために休暇を取ることは自然との理解がありました。農業高校では稲刈り時季には、休校にしていました。地域社会はこれを当然と受け止めていたわけです。
 しかし今や、企業には社員が社員である前に、地域の人間であるという事実の認識がありません。社員がすべてを仕事に傾けることを求めるのです。雇用は、丸ごと社員を使い切る権利を買い取ることと理解しているかのようです。ですから、社員が家族の一員であることさえ頭にないような働かせ方をしています。働き方改革が空しく聞こえます。
 働き方改革の第1の本義は、社員本人に己を返すことです。そして、第2は地域社会に返すことです。働き盛りは地域社会でも働き盛りです。町内会の役割を70代80代の親父にさせるのではなく、息子世代が担える環境を企業は整えるべきなのです。
 地域の会合に出席すると、他の会と同じメンバーによく出っくわします。同じ人がいくつかの役を引き受けているのです。彼らが高齢になった時、引き継ぐ人材がいない可能性が見えてきます。このままでは地域はその機能を失います。




電車に乳母車専用スペースを
 我が地方では、電車内で、乳母車に出会うことはまずありません。しかし、東京に出ると、結構見かけます。気のせいではないでしょう、お母さんたちは遠慮がちです。
 先日、武蔵野線に乗り立っていると乳母車のお母さんが私に近くに場を得ました。すぐ近くの30がらみの女性はあからさまに嫌な顔をしました。乳母車に下げているいくつかの荷物が彼女の膝あたりに何度か触れたからでしょう。その後も、蔑むような目を向けていました。すると、私と同年代とおぼしき男性が赤ちゃんをあやしだしたのです。先に降りる駅に着いた母親は「ありがとうございましたと深々とお辞儀をして下車してゆきました。
 ふと思ったのです。ドアに一番近い座席をし切って乳母車を差し込めるスペースを作ったらいいのではないかと。さほど改修費も要らないでしょう。若いお母さんたちを支援する機運を具体的に見える形にしたいものです。

    忖度が得にならない世を望む

    1人なら一人死にたい独り者

    テレビ観る空っぽになる我が時間
情けは人の為ならず
 「情けは人のためならず」は「人に掛けた情けが、後に返ってきて、自分を助ける結果になる」の意です。しかし、今は「情けを掛けると甘えて、本人のためにならない」と理解する人が多数派になり、それが大手を振って歩き出しています。更に驚いたことに、専門家がこれに従おうと言うのです。
 同じことが交通ルールにも見られます。横断歩道では「歩行者優先」が常識でしたが、今や、これに従う運転者は皆無です。止まる車があれば逆に、躊躇してしまいます。そこで、運転者に伺うと「横断歩道で一々止まっていたら、車の流れを止めてしまう。かえって危険」と、みなさん仰います。そうなのでしょうか。
 道路で、歩行者は自動車の力に圧倒され、道端に追いやられ、そして危険です。歩行者優先ルールは弱者である歩行者をより対等に仕立てる配慮です。歩行者ハンデを解消する知恵です。社会的公正を生かそうとする意思がそこにあります。しかし「車の流れを止めてしまう」ゆえに、弱者への配慮を蔑ろにすることは社会的公正原理の強者優先原理への摩り替えであり、本旨逆転であります。国会中継でいらいらさせられるのが、まさに、この本末転倒です。弱者を気遣う美徳は愚か者の自己満足なのでしょうか。
 「情けは人のためならず」を「人を助けることは本人のためにならない」と曲解する人々が多数を占める社会がここにあります。好きな言葉は「自己責任」ならば、社会が必要でしょうか。一方で叫ばれるのが絆、絆がないからです。空々しく響く絆です。弱者への配慮は薄く、そして、余裕・寛容が不足しています。


気になった昼下がり
 寒いほどになったので、散歩は一時間以上必ず掛けています。時間は暖かく、しかも人通りが少ない12時前から。隣町の旭市の工業団地内に公園と野球場があります。人も居ませんので、そこで、次郎を放します。
 次郎もしこたま走りこんで疲れると、小山の頂上にいる私の元に帰ってきます。体を寄せてきて甘えてねんねの姿勢を取りますので、ツボを押してやります。
 そんな至福の時間、作業着を着た3人の女性が工場に向かい歩いて行き、構内に入って行きました。続いて、男性社員も。そうすると今度は数人工場内から出てきました。双方の皆さんには、共通点がありました。どなたもばらばらに歩きますから会話はありません。楽しげではなく、存在感さえ感じられないのです。
 仕事が生活のために我慢するもの、苦痛な時間の代償が賃金と覚悟しておられるのではないか、その様に見えてしまったわけです。要らんおせっかいといわれればその通りです。また、勝手な思い込みかもしれません。そうであることを願いながら、散歩の後半を歩き始めました。
誰かを犠牲に成り立つ社会は
 「国家による殺人の正当化を否認しない限り、世界平和への願いは、軍拡の声に打ち消されてしまう」そう思う中、安保法制が提起されたのです。自衛隊員が途上国市民を殺し、報復で殺されること恐れました。
 米国のアイゼンハワー大統領は「軍産複合体」の危険性を指摘し、退任しました。それは「軍産複合体」が自己保存のために、人々の生命財産を奪い、民主主義の健全さを奪うのではないかとの懸念でした。50年たった今、彼の心配の現実化は否定の仕様がありません。ベトナム、イラク戦争は、ほんの一部、世界の市民の生命財産を奪い続けています。結果「軍産複合体」は巨大化し、昨年、米国の軍事費は6100億ドル、国家予算の9,5%を占めるに至りました。
 そのアメリカとの集団的自衛権行使を可能にするのが「安保法制」です。九条はもちろん、「われらは、世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言している憲法前文にも違反しています。これが私たちの「安保法制反対」の理屈です。しかし、この理屈もさることながら「軍産複合体」が他者を踏み躙り、太ろうとする理不尽さに感じる、本能的な嫌悪が原動力ではとも気付かされるのです。
 すると、私達は同じ嫌悪に突き当たります。沖縄に米軍基地を押し付けて、自らは経済成長の恩恵を受けていること。コンビニ本部の、独立経営としながら、社員以下の扱いをして利益を上げるチェーン店支配。管理職としながら、その権限を与えずに長時間労働を強いるブラック企業。中間搾取の合法化である派遣労働法制は、派遣労働の固定化をやってのけました。
 そうして、福島原発事故です。未だ、元の生活に戻ることがない、取り返しの付かない事態です。福島県富岡町の夜ノ森桜並木は事故後も咲き続けています。その見事さには、改めて、驚かされます。きれいな町並や、桜を愛で合うご近所との語らいなど、全てを失ったことの重大さに、我々は心を配っているでしょうか。他者に犠牲を強いねば維持できない社会を、これからも続けていいのでしょうか。よい訳がありません。
 「誰かを犠牲にして成り立つ社会」それは「野蛮」です。少なくとも、文化ではありません。これを共有できないならば、我々の文化の底が見えます。「繊細な気配りを本質とする」日本文化と「他者を踏みつけて自らは太る」競争社会が相容れることはありません。教養とは、相手を尊重、尊敬する奥ゆかしい文化です。「文化」が内なる「野蛮」を教養化する社会でありたい、そう思うのは私だけではないでしょう。
ぎすぎすした社会でよいか
 人と接する中、皆に嫌われる人の共通点に気付きました。「人の話を聞かない」「自慢話をする」そして「人に厳しく自分に甘い」しかし、この三点ではないのです。共通点は、これらに自分が当てはまると気付いていないことなのです。
 高校の先生が子供の入学式出席のため、新入生の担任でありながら、欠勤したことが責められました。欠勤に備えて学校には副担任という制度があります。何処に問題があるのでしょうか。
 皆さん有給休暇をとって式に参加しているのでしょう。子の入学式に出たいのはどの親も同じ、先生も子の学校では保護者なのです。自分は休んで出席するが担任は駄目。人に厳しく、自分に甘くないですか。
 寛容さを失ったこと事が目立ちます。国民に義務を強いて、権利を奪う、政治にも表れています。こんなぎすぎすした社会でよいはずがありません。


分かっているのに!!
 多くの市民が、このままでは、文明は滅ぶと分かっていると思います。しかし、それを避け、受け流し、生活を変えようとしないのは、自ら作り上げた安全神話を真実と思い込もうとした東電、官僚、御用学者に似ています。
 文明は頂点に達したときが滅亡の始まりであると、過去に滅んだ幾多の文明が教えています。しかも、頂点から滅びまでが数年と言う場合もあったと聞きます。
 6年ほど前に、あるコンビニ本部に「各店の照明を暗くする考えはないか」を問う質問状を送ったことがあります。丁寧な回答状の内容は「その必要を検討する必要を感じない」とそっけないものでした。これは、みんなに共通した危機への態度ですね
 我々の文明の頂点は、すべての国が現先進国民レベルの生活を獲得するときでしょう。BRICSに加え、ASEAN諸国、ナイジェリアなどのアフリカ諸国も発展目覚しいものがあるようです。そうすると後20年もすれば、全世界が質として先進国並みの生活を実現するでしょう。
 滅亡はその頃から始まることになります。私、80歳、まだ生きていますかね。


   文明も武器と気付かぬ平和主義

   進歩とは破滅を競う努力なり

   苦生まるる一なる命分けしより

   


   親よりもポチを呼びたいあの世から
官邸前反原発集会に行く
 金曜日は、官邸前反原発集会に参加してきました。300人ぐらいでしょうか。やはり、若者、特に学生らしき方の姿は希でした。還暦の私が若手ではなかったでしょうか。
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 21日の特定秘密保護法反対集会にも参加されたと言う話が飛び交っていました。反原発も秘密法も、護憲も、命で低通しているのですから、当然といえば当然です。
 放射能汚染ごみの受け入れに反対したら、市から訴えられたというご婦人が発言されました。所謂「スラップ訴訟」と言うやつです。企業がやる分には「やはり」と予想できる場合が多いでしょうが、行政機関がそれをやるとなると話は違います。
 私は誤解していたようです。秘密保護法が成立したら「反民主主義がやってくる」と恐れているわけです。が、そうではなく、社会に定着してしまった「反民主主義が秘密法を通過させようとしている」が実態のようです。
 安倍さんの反民主主義に力を与えているのは、非民主主義と無関心です。無知と無関心は反民主主義のゆりかごです。また、民主主義勢力の一部を過激派に育てる栄養剤です。皇居周辺は「花金」で文字とおり華やいでいました。不安は募ります。
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  嘘っぽい空気楽しむ大都会
偽装広がる
 今朝の東京新聞、一面トップは「百貨店も食材偽装示」さらに「総合」と「社会」面で大きく報道しています。車えびが、ブラックタイガーがどうのこうの、高島屋、大丸松坂屋がどうの途中で読むのを止めました。覚え切れません。
 先日の阪急阪神や料亭旅館「三笠」では芝えびがどうのこうの。お陰で「バナメイ海老」の名前を覚えてしまいました。エストエストのご主人と話になりまして、そうしたらバナメイ海老を使っているというのです。私が好きな「えびとレンコンのトマトスパゲッティー」の海老はバナメイだったのです。これ美味いですよ。
 ですから、堂々とバナメイ海老と書くか、海老とすればなんでもないことだったのに、理解できません。やはり、利益と奢りではないですかね。

   客二流騙す資格があるホテル

 謝罪も謝罪になっていませんね。多くの誤表示が数年にわたっています。これは意図的です。あるいは、車えびを使って、この値段では納入できないと百貨店担当者は分かっていたはずです。しかし、ミス、知識不足とごまかします。

   一流は謝罪も偽装で一流し

 必要な食材が入らないこともあるでしょう。しかし、だから、偽装してよいとはなりませんよ。事情を話し説明するか、より高級な食材に替えて提供するべきです。それをしないのは、やはり、己の利益のための偽装である証拠です。

   「偽る」は人の為にと書くのだが

 怒りのあまりに、川柳を作り、こんなことを書いている自分は二流の人間です。彼らのターゲットであります。くわばらクワバラ。今日の昼飯は、エストエストの海老と蓮根のトマトスパゲッティーにしましょう。バナメイ海老万歳!!

 
阪急阪神ホテルズ偽装認めねば
 阪急阪神ホテルズの「食材誤表示」を信じるものは極わずかでしょう。グループ17の内8ホテル、50施設中23箇所で起きた事実、7年間も続いていたという事態なれば、組織的な、関係者周知の事実であったと見るのが自然です。
 しかも「担当者が芝えびと表示してよいと認識していた」との話は、誤表示を指示されたと取れる、語るに落ちた発言です。決定的なのは、すべてが高級食材に「誤表示」されており、その反対がないことです。客が騙され、ホテルが儲かるような誤表示しかないのです。明らかに「意図」されています。これを普通「偽装」といいます。
 「偽装」した上に、嘘の発表となれば信頼を失うどころか、存在を嫌悪されます。経営陣は偽装を認め、報酬20%カットではなく、辞任しての再出発を示さねば、経営が危ないでしょう。社員の生活を脅かす保身は許されません。
 白々しいだけでなく、料理人の誇りをずたずたにした10月24日の謝罪会見。部下たちの信頼も失いました。

風評被害と復興
 「消費者の社会性の欠如が風評被害を生んでいる」と言いたげな政府や報道は不快です。その中、東京新聞10月7日の「こちら特報部」には生活に根ざした視点がありました。
 福島市のリンゴ農家阿部一子さんは、チェルノブイリ原発事故時に、欧州産品に不安を感じたそうです。その経験から消費者心理を理解し、放射性セシウムを1㎏中1ベクレルまでに抑えようと、さまざまな除染を行いました。結果、20ベクレルが今年は1ベクレル前後に。
 現在、担当機関の計器は20ベクレルまでしか計れません。それ以下は不検出になるのです。ここに消費者の疑念と不安の源があります。20ベクレル以下ならば安全なのかが問われています。
 手元に、福島原発事故以前の北海道農産物含有セシウムのデーターがあります。りんごは0,02ベクレル。つまり、阿部さんのりんごでも50倍ということになります。ちなみに精米は平均値0、097です。この事実からも20ベクレルまでの検査体制で消費者を安心させるには無理があると分かります。ですから「100までは安心」を信じない消費行動を「風評被害」と攻撃するマスコミに言いたいのです。「どこを見て仕事をしているのか」と。
 復興は進んでいないといわれます。上の事実からもそう推測できます。まやかしの「風評被害」を盾に、除染や検査の有効な体制を敷かない。それが生産活動を損なっている現実を見ようとも、認めよとしない。風評被害を言っている間、復興はあり得ません。
迷惑と絆
 「子供に迷惑を掛けたくない」は今や、中高年の合言葉です。まして「ひと様には」と思うのです。しかし、どうなのでしょう。
 迷惑を負とする生き方は、自分の弱さを恥とし、強さを他人にも課さないでしょうか。人との関わりの拒否を含んでいないでしょうか。「迷惑を掛けたくない」は立派です。しかし、実は、他人に「迷惑を掛けられたくない」とセットになっていると気付かされるのです。
「迷惑を掛けたくも、掛けられたくもない」が本音だとします。そうすると東日本大震災以降、言われている「絆」が、力のない言葉になってきます。絆は「迷惑を掛け、掛けられる関係」だからです。
 しかし、被災地では違います。「絆」は生きている言葉です。大自然の前に、人間が如何に小さく、弱いかを突き付けられました。あの日から二年、自分の周りに「迷惑を掛け、掛けられる関係」を作ってみたいと思っています。
産休・育休5年制度の確立を
 少子化による景気低迷が現実味を帯びてきたのか、保育園増設の声が各界に広がっています。また、リストラのために人材不足に苦しむ企業も増えたようです。社員使い捨ての弊害を思い知った経営者もいるでしょう。
 使い捨てと言えば、非正規社員と思いがちですが、寿・出産退社も立派なそれです。大分前ですが、結婚する重役秘書の退職制度を持つ都銀がありました。これを当然としてきた不見識こそ切り捨てなければなりません。
 そしてさらに、時代は先を見ています。有能な人材は男性と同じ数、女性の中にもいると見る良識です。さすれば、自ずと様々な女性支援制度が浮かんでくるでしょう。そこで、思うのが「産休・育休5年制」の確立です。
 この時期は、女性が母親としての実感と喜びを味わい、親子関係の基礎を築く時です。すべての企業が「なでしこ銘柄」化し、この言葉が死語になることを期待します。



ばれる嘘笑顔で言える民主主義
 図々しく生きることが得、あるいは徳と若者に思わせる出来事が溢れる平成の世です。平静でいられません。病気だろうがなんだろうが、総理の職を投げ出した人が、また総理を狙う。企業献金は禁止と宣言した党首が政党助成金貰うまでは企業献金をお願いすると笑顔で言ってしまえる。献金貰ったその時から腐れ縁は始まり、切れないから禁止なのですがね。
 自分は偉そうなことを言える品性を持っているとは思えない、その自覚を持っているつもりなんですが、その自分でさえ、それは恥ずかしくてできない、自己矛盾に自己嫌悪に落ちるだろうと思わせる言葉が国のリーダーから発せられる、そんな時代です。嘆き節をどうぞ、お聞きください!!


   日中を心配装うオスプレイ

   うぐいすを愛でる国だにタカ放つ

   改革も維新も集る助成金

   維新でも企業献金断てぬ国


   日中は自重せよとのアメリカにその資格問う論調ありや
身の周りから経済を思う
 先日、駐車場の契約をお願いしたいとの電話をいただきました。埼玉県久喜市に父が母に残した土地があり、そこを駐車場としてお貸ししています。
 今、契約書を作成したところです。月3000円、ご契約頂いている方がこれで、4人様になります。つまり、年144、000円の収入になります。無職の自分にとっては大金です。
 そこで、比べてしまうのです。匝瑳市サタデースクール指導員として頂いているのが、年、80、000円(自分の年収を報告する結果になってしまいました)。駐車場経営の仕事は、年一回契約を更新する実務だけです。一時間あれば、確実に済む仕事です(掃除、草刈りなどの管理は使用者にお願いしています)。
 なのに、指導員収入よりも多いのです。報酬の正当性の基準について考えざるを得ません。この場合、契約を結んでいますから、正当ならば、制度上のそれですが、これだけで正当と言えるのかという疑問です。
 私の青春時代までは、マルクス主義が力を得ていました。私も、勉強しました。支持した最大の理由は労働価値説です。労働につぎ込まれた労力に比例して価値が高いということですよね。これって、魅力ではないですか。
 駐車場経営?につぎ込んむ労力と指導員としての労力比較、社会経験から導き出すと、前者が年1万円で、後者は20万円ですね。これが私の感覚です。これには異論があるでしょう。難しいとこです。
 今、政治家の報酬が高すぎる、人数が多すぎるというのは、国民に向けた労力を使っていないという国民の不満と不信の表れです。そのほかいろいろな齟齬がある経済格差社会です。
 ちなみに、まともな仕事をすれば、国会議員の報酬は正当なのではないですか。3000万円分の仕事をすることを制度は期待しているのです。しかし、見るところ、彼等の多くは月30万円でいいですね。労力評価の10倍もせしめているのに、全く鈍感な人たちです。
西郷さんは
 昨日、久しぶりに、上野の西郷さんの銅像を仰ぎ見てまいりました。尊敬する歴史上の人物の一人です。彼の偉業もさることながら、西南戦争で示した彼の態度に感服するからです。
 西郷さんは鹿児島の反政府武士達に自重するよう言い聞かせていました。しかし、政府軍の弾薬武器庫を襲うに及び、意に反して、反乱軍大将を引き受けるのです。己を育んでくれた鹿児島と、そこに生きる愛する仲間との絆を保つことが彼の道理だったのです。
 西郷さんが偉いのは、その道理に生きることが道理に死すことでもあると分かっていながら、その選択をしたことです。信念に従えば「負けると分かっていても戦わなければならないことがある」と教えてくれた西郷さんです。
 わが政治家たちにその道理があるでしょうか。「野田では選挙に勝てないから、細野だ」「谷垣では選挙に勝てないから石原だ」その自民党幹事長の石原さんが「谷垣さんの支えるために仕事をして来たわけでは決してない」選挙のたびに勝ち馬に乗り換える御仁もいますね。
 野田さんも谷垣さんもそれぞれの政治理念が一致する政党員が選んだ人です。その人を中心に最後まで、目標実現に努力するのが道理ではないでしょうか。選挙に勝てそうもないのは政党員みんなの行動結果です。その結果から逃げようとは節操がない。やはり、西郷さんは偉いですね。
 
労組は再稼働反対ストを
 コメンテーターが首相官邸前抗議集会は労組中心で市民運動ではないと言いました。労働組合員は市民ではないとの認識のようです。
 この労働組合を市民から切り離す論調は1980年代、ストライキ批判として現れました。市民生活を犠牲にしてでも己の要求を通そうとする反社会的行為だとされました。ストライキは憲法が保障する権利との主張は市民には受け入れられず、以後、ストを打つことはタブー視されてきたのです。
 しかし、7月16日の脱原発代々木集会では、その労働組合員と組織に属さない個人が共に参加し「再稼働反対」「原発いらない」を一緒に訴えました。元元同じ市民なのですから自然なことですが。
 ならば、思うのです。今「再稼働反対」を訴え、電車・バスがストライキをした場合「わがままだ」と市民はいわないでしょう。これを市民が支持することで、野田政治にストップをかけられます。
脱原発代々木公園集会参加
 昨日は、さよなら原発10万人集会に旧同僚と二人で参加してきました。33度と暑かったのですが、参加者の熱気の方が熱かったようです。それは、電力会社は勿論、それと一体の政府への怒りであり、子や孫への愛情や責任であると読み取れました。
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 上はメイン会場に進む途中です。
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 メイン会場、マスコミのヘリが仕切りなしに飛んできました。一番多い時は5機が目に入りました。

 昨年7月2日の明治公園集会は「暇な老人が安保闘争を思い出し、懐かしんでいるだろう」という皮肉が言われるほどの、高齢化社会の縮図のようなデモでした。何せ、58歳の私が若手にみえましたから。しかし、昨日の主役は若者でした。マイクを握りシュピレヒコールを響き続けさせた多くは若者でした。

   若者の声に頑張るデモの中
 
 家族連れも目立ちました。私の前の家族はお爺ちゃん、両親、小学高学年の男の子でした。お爺ちゃんの「原発いらない」の後に、孫がそれを何倍も上回る声で「原発いらない」。思わず、笑顔がこぼれました。
表参道行進中には、群馬の観光バスが来ました。手を振ると中の人達から振り返えされました。

   バスに手を振れば振られる市民デモ

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 10時に帰って、デモをどう伝えているかを観ようとテレビをつけると、またしても、国民の声を聞くという会に電力社員が居たとのニュース。それも抽選で二人も、呆れかえりました。さらに、疫学的に言って、今までは勿論、これから先5年・10年死者は出ないとの発言、耳を疑いました。しかし、こういう認識で居るから、社員も再稼働に反対しないんだと納得しました。もう一度

   東電に内部批判がない不思議

   サマージャンボ電力社員が独占か
NHK改革はNPO法人化
 民間放送局が、スポンサーである大企業への遠慮から、活動を制約されていることは、今や常識です。
 一方NHKでは、政治家による干渉が有形無形になされてきました。従軍慰安婦問題で安倍普三氏(当時内閣官房副長官)が干渉したことは記憶に新しく、その弊害は無視できない状況にあります。
 ですから、大企業にも政府にも活動を制約されない放送局が必要です。思うに、NHKはすでにその条件の一部持っています。運営費である受信料のことです。
 これを寄付へと意識転換をすれば、NHKは権力からも大企業からも独立した、市民の放送機関になります。NPO法人が医療や教育、生活環境整備を行っています。同じように、NHKも公正な放送と文化振興を目的としたNPOに、転身できるのではないでしょうか。
 法的位置、多様な市民を納得させる公正さの問題等いろいろあるでしょう。しかし、今の政治状況や野田内閣の国会軽視には目に余るものがあります。憲法三原則を基準とした、市民の放送機関が必要なことは確かです。

   鯖切身帰らぬ一日惜しみ焼く

   思い出を問うことはなし幸不幸
東電幹部の徳を問う
 東電幹部のあまりの厚顔無恥に怒りが収まらず、6月15日の記事を直して、東京新聞に投稿しました。それをご紹介します。


「東電幹部の徳を問う」

 NHKラジオ深夜便で「フランシーヌの場合」が流れました。1969年3月30日、フランシーヌ・ルコンドさんがベトナム戦争に抗議して焼身自殺、それを悼んで作られた歌です。
 その頃、新宿では反戦フォーク集会が開かれていました。その中でのパリからの報道、アメリカへの怒りは隠しようもありませんでした。死をもってする抗議には、アメリカ大統領を暗殺するほどのエネルギーが必要です。抗議の正当性を通すために、その熱勢を己に向けたのだと理解しました。
 いま、原発事故が起こるべきして起きたことや、東電や保安院、政府の対応を聞き、43年前と同じ怒りの中にあります。引責辞任したはずの東電幹部が天下り、地に降りても天国に安住する厚顔無恥ぶりに「世界平和のためのベトナム戦争」に通じる欺瞞や冷徹さを感じるのです。先日の浪江町長への無礼・不誠実さだけでも十分でしょう。
 イギリスのイートン校は「ノーブレス・オブリージュ」を重視してきたと言われます。「位高ければ徳高きことを要す」の英国版です。戦争でこの精神を実践し、犠牲となった多くの卒業生の名を知ることができます。
 国会事故調が原発事故を人災と認定しました。ならば、責任者がいることになります。保身のための誤魔化しや、嘘、無責任を止める時が来ました。過失を認め、謝罪するにも勇気という徳が必要です。
 公職から身を引くことです。それがエリートとして、再生する最後の道です。そして畏敬の念で、抗議の自殺をされた方々のお墓参をされたらどうでしょう。



   東電に内部批判がない不思議

   東電の自販機に劣る人間味

   幸せが後ろめた気な世相なり


   老鶯のいつもの鳴を聴く昼寝

   雑木の花咲揃う梅雨晴間  
不思議に思うこと
 もう20年も前のことです。部活を終え、職員室で翌日の準備をしていると、修学旅行をお願いした旅行会社のAさんがみえました。6時過ぎ、こんな時間に何だろうと思いました。
 用件が何だか分らない上に、元気もありません。そう言うと、Aさんは「実は、自分の部下の中からリストラ候補を三人報告する日なんです。ですから、社に帰りたくないんです」なるほど、事情が呑み込めました。その後、その話を彼がすることはありませんでした。
 それで不思議に思うのです。例えば、日産自動車のゴーン社長、何万人もの従業員を解雇し、業績を回復しました。それはそれで大変な仕事だったと思います。しかし、首を切っておいて、自分は数億円もの報酬を当然とばかりに手にする、それは自分にはできないと思うのです。
 近くは、日航の再建のために会長に就任した稲森氏、短期間に、黒字経営に持ち込んだと賞賛されていますが、私であれば、それを苦しく感じると思うのです。日航も大量解雇しました。大学の後輩は、嫌気がさして解雇される前に、退職勧奨に応じました。しかも、解雇し過ぎて、現場が混乱したとも聞きます。すざまじいリストラであった訳です。
 そして、東電や保安院幹部です。安全神話を作り、邪教信者のように流布しました。それを不安に思った人々の指摘や忠告をすべて無視し、自らも神話=真理との錯覚に陥ったのです。私なら、総括し、それを提示し、責任を明らかにした後に、身を引くと思うのですが、そういう方はあまり見かけられません。それが不思議でなりません。
福島原発告訴団が問うもの
 脱原発集会だったか、署名したらしいのです。その縁で支援金をお送りし、入会したつもりでいます。東京新聞が本日「こちら特報部」で取り上げた「福島原発告訴団」のことです。
 その気にさせたのは、裁判官制度が言う「市民感覚」です。これほどの事態を招いた原発事故の責任が問われず、誰も裁かれないのはおかしいという庶民の良識です。戦争責任と同じく、またも「一億総懺悔」で終わらせるのかという怒りです。
 専門家は法で裁けるかと言えば、難しいと言います。だとしても、法は人間の「良心」や社会の「道理」を基にしているはずです。それに照らし合わせると、事故で難渋する人達を尻目に、己の立つ瀬にしか関心を示さない東電や保安院幹部の姿は見苦しいのです。
 今回の訴えは法的に裁くよりは「生きる資格」を問う裁判ではないでしょうか。経済利益最優先ゆえ、事故防止策を打つ機会を幾度となく握りつぶしてきた己を振り返り、間違いを認め、謝罪し、一切の職から身を引く、その「人格」を問うのです。
 野田首相は自分の責任で再稼働を決断したと言いますが、彼の責任は「決断をする責任」であり「その結果への責任」ではないのです。もし事故が再度起きれば、彼の命を差し出しても取れる責任ではないからです。「命か、経済か」の選択に経済を優先する、これを諌める訴えでもあります。
 この裁判が問うているのは、詰めて言えば、「豊かさの質」のようなな気がします。我々は「安心という豊かさを金に替え」てこなかったでしょうか?金で生活を買い、結果、心を空虚にし「豊かさを金を払って売っている」のではないでしょうか?「金で買えないものがある」江戸庶民の生活が聞こえてきます。
市民良識共有国家
 「北朝鮮を支持します」といえば呆れられますが、敢えて、いいます。
 過日、北朝鮮は「核兵器のほとんどを持っている常任理事国がそれを持つなと核武力で脅し、圧力を掛けて来る」そのような主張をしました。拉致問題を解決済みと白を切るこの国は良識に欠けます。しかし、この主張は正しいと思うのです。
 もし、常任理事国が個人ならば、どうでしょう。こんな非常識な人はいないと世間は判断します。しかし、個人レベルでの我が儘は国家間では正義に昇華されてしまうのです。このからくりを、私は国家主義と呼んでいます。
 常任理事国は「優秀な国民だから拒否権・核兵器を持ち、世界をリードする資格がある」と言っているに等しくないでしょうか。ならば、ナチスと同じ論理で行動していることになります。
 今まさに、私達は原発再稼動問題で「個人の非常識が国家の常識」であるというギャップに悩まされています。今に続く、被爆者援護・公害・薬害裁判もあります。これらは、人間としての魂の叫びを国家が軽視・無視してきた歴史です。いまこそ、人間・市民の良識を国家が共有する市民主義が求められていないでしょうか。その意味で、問題がありつつも裁判員制度は新しい政治の本質を掴んだ制度だと思うのです。
 これを国際社会に敷衍すれば、北朝鮮の発信も「あんたに言う資格あるの」と思いつつも理解できます。まずは、国民の良識を具現できる政治を創ることです。その後、世界に向けてこれを発信することで、国際貢献したいものです。
「落札」の字に驚く
 今年も大リーグで、自分を試そうとする選手が居ます。その姿は頼もしいものがありますが、挑戦に必要な手続きには疑問を感じています。
 12月19日東京新聞スポーツ欄を開くと「青木落札はブルワーズ」の見出しが飛び込んできました。「移籍が決まってよかったな」と同時に「落札?!とは何だ」と驚かされたのです。これは公共事業とか美術骨董品の取引などで使われる言葉です。それをどうして人間に使うのか、受け入れがたいものを感じました。
 記事を読んでみるとポスティングシステムとは入札制度とあります。ならば、落札は正しい日本語です。しかし、売買の対象は人間です。人間と、大事にして来ただろう人間関係と情を無かったことにして、現金でやり取りする行為は高い品性に裏打ちされた文化とはいえません。
 これは日本の伝統とは相容れない思想に基ずく制度です。生産物だけではなく、才能、人格までもを商品にしてしまう貪欲さが「落札」に表われています。人間を物化して憚らない冷徹さと卑しさが寒々しいのです。
 米軍が撤退し、終わったイラク戦争。生産しない者が生産者から掠め取る米国発金融資本主義。これ等に我々は振り回され、驚かされてきました。それでも「落札」に違和感を認める論説を聞きません。
 そうではなく今こそ、自分の中にある「日本」を見詰め、課題を解決するべき時ではないでしょうか。祖先が生み出してきた生き方、文化に信頼し、その伝統に従い判断し行動する。そうして、東北の復興を成し遂げる。来年はそういう年にしたいと思わせる「落札」です。 


   本読みの目に有難き初冬の陽

   白き犬命象(かたど)る冬陽射し
  
   父の肩甘えて見上げサンタ待つ

   人間が落札される大リーグ

   野党でも自民政策実現す

   原則を外し平和の格もも下げ

       
 
今年の一文字「絆」より「失」
 今年の一文字は「絆」に決まりましたが、根底に刻まれたのは「失」ではないでしょうか。
 19326の命が失われ、その家族は財産・職業も奪われました。政治への信頼は完全に失われ、未来への指針をも見失っています。また、ボランティアも支援金も激減しました。「風評」に加え「風化」が心配されています。「絆」は一時的な錯覚ではとさえ見えてくるのです。現に、流行語大賞に「絆」はノミネートされています。
 今我々に必要なのは喪失を自らに突き付け、それを思い知ることではないでしょうか。誰もが不安の中に孤立していることの怖さを認めることではないでしょうか。被災者だけでなく、皆が連帯の必要を感じている、この認識から生まれ出る絆こそが本物だと思うのです。
 「脱原発」と「社会保障の維持・充実」が連帯の接着剤にも、経済再生の起爆剤にもなるでしょう。この道筋を付け来年こそ、今年の一文字に絆を選びたいものです。
城南信用金庫に行きました
 理事長さんが脱原発宣言をした城南信用金庫九段支店に行ってきました。口座を設けたいと用件を言うと、どう必要なのかを聞かれました。他行から振り込むための口座と答えると、地域のお客様のため仕事ですので、と難色。さらに、口座開設を含め新規の取引客には実際その会社工場自宅に訪問してから取引を開始するとのこと。これだけで、どういう金融機関かがわかりますね。
 正直に「理事長さんが脱原発宣言をなさったので、応援したい」というと、毎日3~4人来るとのこと。定期預金にするというと、でしたら、口座を作らずに、九段支店の「ある」口座番号に振り込んでいただき、それを定期預金に切り替えに来ていただければとの提案。そうしました。
 城南信用金庫はイギリスのロッチデールに始まった協同組合運動の精神がルーツと知りました。明治35年に大森山王在住の加納子爵が設立した入新井信用組合がその始まりだそうです。これに刺激されて結成された15の信用組合が戦後合併して城南信用金庫が発足したそうです。
  
経営理念は 中小企業の健全な育成発展   
        豊かな国民生活の実現
        地域社会繁栄への奉仕

 これをまさに理念として経営していると信じられる金融機関ですね。こういうのを一流というんでしょうね。同じような理念を掲げておいて、高利の消費者ローンに資金を回し儲け、さらに、サラ金を子会社として設立したり、傘下に組み入れている大手銀行とは違います。知行合致、言動一致を生き、理念通りに生きている人が一流なら、城南信用金庫こそ一流の金融機関です。

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 城南信用金庫九段支店といっても住所は神保町です。神田の古本屋を回わっていたら、バイトが終わったと甥の健史から電話。三省堂で落ち合いました。神楽坂で昼飯、これをカメラで撮るのを忘れてしまったんですね。それぐらい興奮したということです。スイートは甘味喫茶で、餡蜜でした。
 上野でバックを買おうということで出ましたら、天気が好いんです。ということで、後楽園を散策することにしたわけです。
 甥の健史です。スーツを着てのティッシュ配りアルバイトだそうです。我々の世代にはジーパンいいのではという違和感がありますね。スーツ姿が、妙に老けて見せていますが大学4年生です。
 拡大してみてください。木立の上に、白い雪山が見えます。なんでしょうか?実際はもっと大きく、でしゃばって見えます。そうです、東京ドームです。大いにしらけます。
 わらぶき屋根はここでお酒と月を楽しんだそうです。どちらがセンスよく撮れていますか。下ですね。健史が撮った方がいいです。唯一、甥に負ける分野です。

電報料金に疑義
 旧同僚が亡くなりました。50歳での無念の死です。彼の人懐っこい顔が浮かびました。長男の写真を見せてもらったら、何かしてやりたくなる父親と同じ表情なんですね。
 弔電を打つことにしました。30字ほどの言葉を告げ「ご家族への言葉は何かある」と聞くと例文を選んでくれたので「じゃあ、それで」台紙はと聞くので「一般的なもので」というと、式場に行かないならば「これ」を使うのが一般的です。「それ」にしました。
 確認のため、電文等を読み上げたので「ハイ、間違いありません」「1万3千・・・・円になります。では承りました」・・・・言葉を失いました。電話はすぐに切れ、13000円だけが耳に響きました。商売として幾つかの疑問が浮かびました。
 先ずは、料金設定です。世間的常識からして、電報に1万円を越える料金設定は理解できません。経費は幾らなのか知りたいところです。以前、3~4千円だった記憶があります。ではどうして今回13000円になったのでしょうか。字数と、台紙にあると思われます。ですが、それを提案したのは先方です。ですから、第二に「これですと13000円になりますが」と知らせてから客の意思を確認するのが筋というものです。一流企業がやることではないでしょう。
 ブログ仲間で農業をされている天心園さんに、さくらんぼを注文させていただいた時の話です。請求書が入っていないので確認すると「味わっていただく前から請求は出来ません。それだけの価値があると納得していただいてから請求します」との応えでした。この職人気質を信頼して、お付き合い願っています。
 そして最後に、成果主義がNTTにはびこっていないかという疑いです。NTTドコモさんは「家族割り」を採用しています。三親等親族間料金をただにして、絆を強めてもらおうという粋なサービスです。人の死を悼む心を伝える電報です。減額サービスがあっても好いところですが、逆により儲けようという姿勢には卑しささえ感じました。そう思ってもNTTに頼むしかありません。独占のなせる技でしょうか。
保険諸制度の本義を再確認
 今回の震災を目の当たりにして、これは非常時だと、支援金を送られた方は多いことでしょう。助け合い、絆も言われています。
 同時に、広く社会を見れば、支援を必要とする人々は被災地以外にも見られます。その人々を一人一人が個別に支援することは難しい。そこで、通常時の相互扶助をシステム化したのが保険諸制度であること、忘れてはいけないと思うのです。
 しかるに近頃、保険というと個人の損得だけに関心を集中させる傾向があります。例えば、生命保険や地震保険「高いが安心を買っていると思えば言い」と言います。その通りですが、一家の大黒柱を失った、住む家を壊された家族の「支援」であることの意義も忘れてはいけないのです。通常でも助け合い、絆を結んでいます。
 経済成長が見込めない、というか、これ以上の成長が罪悪であるとさえいえる現在、富の分ち合いは皆で生き延びる上で一番大切な倫理になるでしょう。その認識が予算編成、税制、年金・健康保険改革に欠かせない視点であることの社会的合意が必要です。
震災が教えること
この夏、コンビ二・スーパーの照明が暗くなりました。「これでも好い」と感じたようでしたが、また明るくなっています。「東北生活復元」が進まぬのに「資源無駄遣」は「復興」しているのです。我々は震災から何を学んだのでしょうか。
 今回の震災は原発事故を含め、生命の根本を揺るがす大事件です。その衝撃で、文明のあり方を生き方を問われたと感じた方も多かろうと推察します。
 そうならば気になるのが、若者を含めた昭和ブームです。昭和のある時期まで持っていた中に、なくてはならなぬものがあったと気付いたゆえのブームではないかと思われてくるからです。
 捨て去るにはそれなりの成り行きがありました。戦後という非常時に、経済力回復になりふり構わぬことは自然なことでした。結果、GNP世界二位までに成長、生活は豊かになり、自信も回復しました。非常時は終わったのです。ですから、生き方を日本流に戻してしかるべきだったのですが、アメリカ流を真似し続けました。そして、また照明が明るいのです。
 先人が今回の津波の到達点のすぐ上に神社や街道を作っていたことが判ってきました。松茸は来年のために、取り尽くさない。大雨に備え、沈み橋を作る。幕末、欧米人が見た日本人は「みんな幸せそうにしている」先人達は満足していたのです。
 そうして、祖先が養ってきた精神風土の美しさに尊敬の念を抱かずには居られない自分に気付きます。自然への畏敬、共に生きる知恵、単純質素な生活、学ぶべきはアメリカではなく「足元にある」それを震災は教えています。
企業目的は利潤でしょうか
 中学の時「企業の目的は利潤追求」と教わり「そうなの」と驚かされました。故郷埼玉川口で、見聞きしていたことと違っていたからです。
 中小・零細企業の経営者は「社員とその家族が生活できれば、それでいい」「会社は損得抜きに助け助けられて続けられる」「他(はた)を楽にするから働くだ」と言っていました。彼らの多くは社長といっても、職人上がりの親方です。自分が作ったものが褒められることが嬉しいのです。
 仕事、会社経営の目的はそこにあります。「いい品物で助かったよ」このお礼の言葉に、感謝するのです。買ってもらい人の役に立つ、利益はその結果であり、けして目的ではないのです。
 「企業目的は利潤追求」から「お金儲けは悪いことですか」と言った村上世彰氏は一直線上にあります。今回の震災は生活に必要な財貨を生産し、人様のお役に立つことが働く目的であり、喜びであることを再確認させてくれました。
畑整備、放射能浴びる
 今日も畑の整備をしました。計測器をオンにして首から提げて、畑に向いました。
 セイダカ泡立ち草を切り倒した先に、木があります。よく見るとみかんが「よく生きていたなあ」と感心、柚子も成っています。駄木が大きくなっていたので、それを切り倒して上がることにしました。
 汗を拭き拭き、水を飲み、腰掛けて、計測器を首から外すと、なんと、1という数字が出ています。これは驚きです。先日ご報告しましたように、一週間の連続計測の結果、日の平均は2,1マイクロシーベルトほどです。それが一時間で1マイクロシーベルトとは。先の計測の11倍浴びたことになります。
 草むらには放射性物質がそのまま、残存しているんですね。ということは放射性物質も相当吸い込んでしまったことになります。少し焦りました。驚きを聞いてもらい不安を和らげるためなんでしょうか、下の姉に電話しました。
 なのですが、今朝の東京新聞「こちら特報部」によると福島市では特定避難勧奨地点に指定する目安が毎時3マイクロシーベルトだそうです。これは日に直せば72です。今日私を泡立てさせた量は日に直せば24ですから、その3倍浴びないと避難の必要がないという行政です。別の言い方をすれば、事故前は日に1,2程でしたから、通常の60倍までは安全だとしていると言うことです。
 福島では子供だけでなく、大人も避難した方が良い状況になるのではないでしょうか。民間研究者発言の方が正しいと言うことが次々に明らかになってきます。漠然とした不安が明確な恐れに変わりました。 
放射能計測この一週間
 先月25日の13時30分から本日13時30分までの一週間の結果をご報告します。本日11時に15マイクロシーベルトを記録。日に2,14マイクロシーベルトとなります。年に直すと0、781ミリシーベルトになります。事故前まで政府が言っていた安全範囲は1ミリシーベルト、これを基準にすれば、一応、安全範囲です。
 しかし、放射鋭物質を体内に取り込んで起きる内部被爆を考えると、安全範囲を超えることは間違いないところです。内部被爆が数年累積されるとどんな健康被害が出てくるか、その不安の中、緊張を保ち続ける覚悟をしなければならないところに追い込まれました。


   放射能計る不安と知る勇気

   生き方を正す汚染の空と海

   太陽が浅知恵笑う原子力

   
   ヤクザだがかばいたくなる新法規

   裏社会犯す前から裁かれる

   いじめ方ヤクザが学ぶ大企業

   
   木犀の花影に匂うダージリン
弱者を作らない社会
 登山で、体力がない者の位置は先頭に立つリーダーのすぐ後ろです。この配慮には全員で目的を達成する楽しさを味わい合うことを重視する思想が窺えます。
 効率を考えれば体力あるものに合わせればいいのです。しかしそれでは、苦痛を隠して登る仲間が現れ、体力あるものは先に行き、ない者は遅れ、集団が壊れます。小平の「豊かになれる者から豊かになろう」が経済発展を実現した一方、すざまじい経済格差を生んだことに似ています。
 経済大国の先輩であるわが国の経済的成熟度は中国の段階に留まっていないでしょうか。「国際競争力」が効率最優先体質を定着させました。また長期不況の中、大企業が潤えば国民全体にも波及すると、大企業優遇を繰り返してきました。結果、大企業は史上最高益を記録しましたが、年収200万円以下の勤労者が1000万人を越えたのです。
 今回の震災、原発事故への対応も、電力会社、金融機関の経営を守る法案は速やかに成立させましたが、被災地の二重ローンを国が金銭的に救済する意欲は見られません。長期不況の中、行われてきた政治は体力あるものを助け、ない者をその犠牲にする政策ではなかったでしょうか。その象徴が労働者派遣法の改定だと思います。この改定は守るべき弱者を逆に無権利状態に追い込みました。
 経済も社会も悪くなるばかりです。この原因を政治家の質低下だけに帰する訳には行きません。そうではなく、思想が間違っているのです。体力ない者に寄り添うことを重視する思想への転換が必要です。それへの意志を試されるのが被災地、汚染地の復興です。「弱者を作らない社会」への転換を示す政策が問われます。
また、驚きました。読売、産経、集会を黙殺
 昨日はこんなにも多くの人が脱原発の思いを行動に表わし、賛同を求めるためにデモをしにやってきたことに嬉しい驚きをしましたが、今日は、大新聞が取り上げないのかと怒りを呼ぶ驚きです。
 用がありましたので、町に出て、コンビにも寄り、売っていた朝日、読売、産経新聞を買い求めて帰りました。そして、各紙を開くと、朝日は一面写真入で、準トップ扱いでしたが、読売、産経は昨日の脱原発集会を黙殺しているのです。私が購読している東京新聞は大きな写真入で、準トップで扱っています。また朝日で言えば「天声人語」に当たる「筆洗」で、「こちら特報部」で社会面でも扱っています。「しんぶん赤旗」も同様です。きっと、社論を脱原発に持って行った毎日新聞は扱っているだろうと思いますが、どうでしょうか。
 外国メディアがどう扱ったのかも興味あります。彼らはしがらみがないですから、純粋に、ニュース価値だけで扱いを決定できますから。やはり、メディアが広告収入を気遣って遠慮しているのか。あるいは圧力が掛かっているのか、それとも、原発推進派だから、無視したのか。どれの場合でも、我々にとっては脅威です。
 メデイアを世論によって、脱原発の方が徳だと思わせる必要があります。それは、大変悲しいことです。メデイアが損得で動くことを前提とした作戦だからです。メデイアには信念に従い、主張行動する魂を持っていて欲しいですからね。残念!!
「さよなら原発1000万人アクション」参加してきました。
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 驚きました。千駄ヶ谷駅ホームが人で溢れました。ホームから人が降り切る前に、上下の電車が入ってくるのです。駅員が心配して、押す事がないようにアナウンスしていましたが、皆さん心得ています。そのような状況には全くありませんでした。死亡事故でも起きれば、原発推進派から、どんな攻撃が来るか予想できますから。
 7月の集会より、よほど多い参加者です。前回が二万人でしたから、5万人は達成されたと感じました。主催者発表6万、警察発表2万5千。会場に入りきれない方々で周辺も溢れていました。
 最も大きな違いは、若い方々も多く参加されていたことです。小学生から80代まで。20代、30代も目立ちました。前回は正直60代、70代が中心で、元気な老人の「歩け歩け大会」のようでした。それと比べれば、危機感が全世代に広まっていることが表われていました。
 「全国日雇労働組合協議会釜ヶ崎日雇労働組合』の「釜ヶ崎開放2011年9月号外」をいただきました。原発労働は危険だから高い賃金が払われていると思われているだろうが、それは違うというのです。「原発労組の活動以降の86年調査では関電見積もり単価一人7万円(日当)に対して、メーカー社員には7万プラス手当て5万円で、12万円払われているが、4次下請けでは、よくても年間340万円」だと言うのです。何重もの下請けによる、ピンハネ構造は建設業界と同じだそうです。
 まさに、前回書いた社会的立場の弱い者に犠牲を強いる姿がもろに現れている世界です。学歴もない職人の親方(近代化により一応社長)であった父が身を持って行動で教えてくれた「人の弱みに付け込むな」「そう予測が付く時には人にお願いしたり、指示したりすることは控えろ」これに反することを、父が「学士様」と尊敬していた方々が憚ることなくやっているんですね。
 集会では俳優の山本太郎さんも発言しました。脱原発を言うから俳優が出来なくなるなんて、全く理解できません。力で発言を押さえ込もうと言うのは、まさに、職人の美学が嫌った最も野暮なやり様です。脱原発を持論として行動する人を尊敬する社会的雰囲気を作りましょう。


   霊も来て脱原発の旗を振る

   声あげる国軽く見る命込め

   集会の曇り空から差し込む陽

   外苑デモ学徒の列も加わりぬ
「風評被害」を使わない
 スーパーで、たまねぎを探しました。近づくと愛知県産と栃木県産とがあります。愛知県産が圧倒的に売れていました。政府はこれを「風評被害」と呼ぶのでしょうが、そうでしょうか。
 消費行動として、愛知県産を買うことが合理的なことは明らかです。これに対して、安全なのに避けるのは差別心に似た卑しい心持ではないか、という反論が予想されます。しかし、何をして安全なのか、誰にも分かっていないことがはっきりしてきた今、これは反論になりません。
 放出された放射能は広島型原爆の28個分、チェルノブイリの十分の一と言われましたが、政府はその後何も言いません。原発事故レベル3を7と訂正した時、悪びれもせず発表する姿に呆れましたが、驚きはしませんでした。予想していたからです。今後「安全基準に間違いがありました」と、平然と発表されないとは限らないのです。
 さらに、症状が表れても、認定されないことは公害病認定の闘いを見れば明らかです。実質、自分で判断し、結果責任は自分で取る所に追い込まれているのです。ならば「風評被害」を軽薄だと非難され、軽蔑される筋合いはありません。
 「風評被害」の多用には生産者擁護ではなく、国の責任を回避する思惑さえ感じます。原発被害は「風評被害」を含め、幅広く補償すべきです。どれだけの事故災害であったのかを、まともに補償することで、国民に提示するべきなのです。
 生産者と消費者はお互いを必要とする親友のような関係にあります。「風評被害」はそれを敵であるかのように仕向けています。同じ怒りをマスコミにも覚えます。「風評被害」から「風評」を取ることを求めます。
脱原発集会9月19日
 今朝の東京新聞「こちら特報部」に、大江健三郎氏等が呼びかけ人となり「さようなら原発5万人集会」を明治公園で、開くとありました。1000万人署名も推進中です。参加したいと思います。また、反原発の立場の人がこぞって参加されることを期待するものです。
 東電も経産省も、自ら創り上げた神話を神話であることを忘れて、科学であると信じようとして来たことが分かってきました。「科学を信じる」も滑稽なのです(科学は確かなのですから信じようがないんです)が、科学であって欲しいと信じようとすることはさらに滑稽です。これは信じるというより願望です。
 また、事故後、福島第一原発から撤退しようと東電患部、失礼、幹部が判断したと言うことからしても、危険度は200%です。原発事故から撤退するのではなく、迷うことなく、原発から撤退させなければいけません。
 集会は午後1時30分からです。明治公園は東京黄色い電車の総武線千駄ヶ谷駅から歩いて10分です。当日は、多くの方が歩いて向うのでしょうから、付いて行けばOKです。
放射能共生社会
 「癌と仲良くしている」と仰る方がいらっしゃいます。異質で本来、排撃すべき癌ですが、自身の一部と認識して、生きてゆきますとの思いの説明表現です。
 今我々は放射能との間で、無理やりに、これと同じ境地に至らざるを得ない状況に追い込まれました。これを拒否するなら、祖国を捨てなければなりません。ならば、情報はこの状況を前提として、配慮され、工夫して、提供されなければならないでしょう。しかし、千葉県の新米放射能検査はこれらが欠けているのです。
 すべて「不検出」と書き込まれていましたので「これは嘘だ」と断定しました。旭市のほうれん草は出荷停止になりましたし、成田市の小学校庭で、基準を超える数値が出ていますから、「不検出」はありえないのです。調べると、20ベクレル未満の場合は「未検出」にしているのです。この「未検出」の意味を理解するには、他に幾つかの情報が要ります。原発事故前は何ベクレルだったのか。日本の基準は500ベクレル以下なら安全としているが、国際的にはどうなのか。これなくして、「未検出だから安心だ」という人は居ないでしょう。
 事故前、つまり、自然界で15ベクレルというなら、20以下は安心と思う人も出てくるでしょう。しかし、自然界が1ベクレルならば、これを安心と思う人は激減するのです。県は検査結果を「未検出」とするのではなく、実測を公表しなければなりません。それが「放射能共生社会」の倫理です。

   愛犬の息のまにまに秋の音

   待っている鷺の前行くコンバイン

   幸不幸問わぬしあわせいわし雲

   いただきます言われ返答出ぬ息子

   不検出新米汚染確信す

   えらいさん風評嫌う風化好き

   財界の御用下請け大連立

   
原発阻止26箇所
 本日の「しんぶん赤旗」に「原発立地断念こんなにも」と題した、裏扉一面の地図・写真、資料入り記事がありました。26箇所で、反対運動が建設を断念させたということです。
 現在、16箇所に原発がありますから、反対運動からすると26勝16敗ということになるでしょうか。このことは広く国民に知らせる価値がある歴史的事実ではないでしょうか。
3月11日以降、国民の一般常識に加えられたことがたくさんあります。振興資金と原発の不安、どちらを取る式の下品な説得を繰り返してきたこと。産業基盤が弱く、財政力がない地域を狙い撃ちしたことも上品ではありません。総合的に費用を計算すれば、決して、原発発電は安くない。放射性廃棄物の最終処分方式・場所が未だに決まっていない。原発を巡り、設置するもの、作る者、検査する者、認める者が一体であった事、そしてマスコミが権力をチェックする己の使命を忘れ、怠ってきたこと。
 これから今を生きる人間としてやるべきことは、はっきりしています。放射してしまった放射能を無害にする。原発を含めた放射性廃棄物を処理する。被害者をどう救済し、地域を再生する。国策としての原発を廃止し、ど新エネルギー政策を策定する。この課題を解決するべく、国民が総力を挙げて、まい進することを誓い合うことです。それが歴史に対する責任です。あの時代の人達は偉かったと言ってもらえる業績を積みましょう。


   向日葵は季節に恋し芯焦がす

   秋立ちぬパン焼く匂い外は雨

   裾はたき蚊帳入る母に五人の子

   出て来るなお化けキノコに珍木の実
便利さに文化奪われ
 歴史教科書には、文化というと思想・宗教・文学・芸術が出てきます。もちろん、これ等は文化ですが狭い意味での文化なのです。文化とは生活の様式のことです。そして、様式には「生産」と「享受」があります。
 ところが、我々は「生産」をしないで済ますことを便利と呼び、省いてきました。便利は収入に比例して大きく、便利を追及する生活は所得増加意欲につながります。お金をより多く稼いで、便利を手にするのです。だから、村上世彰氏の「お金儲けは悪いことですか」に、おかしいと思いつつも、言葉に窮するです。しかし、これは「生産」を放棄し「享受」に特化する文化です。ここに、現代文明の不幸があると思います。
 実は、生産の成果だけが文化なのではなく、その「過程」も重要な文化の構成要素であり、価値なのです。便利さの追求は過程を省くことにより、人間から文化を奪っています。例えば、外食は料理を作っている母親の姿を、一緒に作りながら、交わす母子の会話を、その楽しさと喜びを奪います。量販店で買う衣料品は、完成品を想像しながら服地を選ぶ胸躍る時間を、縫い上げる母に後ろから抱きついて甘える甘えられる暖かさを奪います。
 家庭菜園、自転車、手作りブームには省いてきたものえの飢えを感じます。その他、便利が省いてきた意味の諸々を思ってみてください。人生も過程を味わうことなのかもしれません。我々は、便利を価値とすることで、人生の楽しみと喜びを放棄してきたのではないでしょうか。今後、我々が求むるべき生活と社会の基礎的思想がここにあるように思います。


 便利さに文化奪われ家畜化す

  長生きが意地悪になる嫁姑

 「見る」と言う面倒なのか親の世話 
  
  葉桜や落着き乱す名残花

 自転車をこぐエネルギー新時代
懲戒にならない待遇
 頭の中が震災と原発事故でいっぱいで、これ以外、思考停止状態です。しかし、他にもおかしなことは幾らでもあります。
 先日、小学校講師が児童に猥褻行為をはたらき、「懲戒免職」になりました。それは当然な処置です。しかし、同時に「懲戒免職が罰にならないでしょう」と教育委員会に言いたいのです。言いたいことが判っていただけるでしょうか。
 講師には非常勤と常勤とがあります。非常勤は昔からありました。授業だけを担当しますから、担当授業がない日は出勤しませんし、出勤日も授業が終われば帰ってよいのです。これに対して、後者は授業以外に校務、部活動、学級担当と、教諭に準じる仕事を行います。ですから、待遇も教諭に準じます。(この職は20年ほど前から目立ってきました。採用の理由は将来の生徒数減少に備えて、正教員採用を抑えるためです。同時に教育委員会・校長の労務管理対策でもあります)
 しかし、両者と教諭とは決定的に違う点があります。両講師とも期限付き採用だと言うことです。一年単位の採用です。もちろん、学年主任、分掌部長にはしない決まりになっています。そこで、先の講師の懲戒免職です。彼はどっちみち、一年間で一度解雇されるのです。職を奪われるのは日常であり、怖いことではありません。懲戒が付くと退職金がもらえなくなりますが、これも一年ですから、退職金は高が知れています。教育委員会は自らの懲戒実効力を、自らの行いによって奪っているのです。
 雇用権限者はその対象者に好い待遇を保障するから、懲戒に威力を持たせられるのです。今のままでは、教育委員会には講師を懲戒にする力量が、つまり、資格がありません。
読んでください
 ブログ仲間の美代子さんから、もっと早く知っておけばよかったという情報を得ました。平井憲夫さんが書かれた文です。それをお読みください。「平井憲夫原発」で検索し、出てきた一番上の項目をクリックしてみてください。
 また「ドイツ気象局ホームページ」で検索すると、放射能雲の移動シュミレーションを扱った記事が現れます。我が地域は相当に危ない地域です。
 事態の悪化に備えて、可能な人から西への移動をするように、政府が情報を流すべき段階にきていないでしょうか。でないと、一度に、2000万人3000万人の移動は出来ません。
意外だった二つの調査結果
 東京新聞が16・17日に行った調査で「原発に不安」と88%が答えましたが、56%が「運転しながら安全対策を強化すべき」と答えており、「いったん、止めて対応を検討すべき」25%や「やめて別の発電方法をとるべき」14%を大きく上回ったのです。
 原発は絶対安全と政府も東電も言ってきました。しかし、と言うか、なので、その慢心と油断が事故を起こすのではないかと思ってきました。その事故が起きてしまったのです。ですから、これから為すべきは、原発廃止方針の下、徐々に、原子力依存を低くすべく法律を作り、新しい発電研究と、そのための資金準備することです。これ以外にない、世論もそう動くと信じていただけに、驚きました。
 自然は常に想定を越えるものです。越えるから自然であり、手がつけられないがゆえに神聖であり、信仰の対象になってきたのです。この調査結果は東電ばかりではなく、日本人の多数派が古来からの自然観を失ってしまったことをも示すだけに、、二重に堪えました。
 そして「東京都知事選で誰を支持しますか」の調査結果です。石原氏が優勢と出たのです。これは、さらに意外でした。「天罰」発言があったばかりの調査だと思うのですが。今までも、無神経な、人権意識に欠けた差別発言を繰り返してきた人物です。その本質を、未だに、見抜けないとするなら、同調するなら、都民に人権意識がないことになります。「失言」ゆえに多くの政治家が職を失ってきましたが、彼は例外です。彼の「失言」を失言と感じない人達がたくさんいるからです。それが残念というか、怖いのです。
 基本的人権は民主主義の根本です。それを認めない、無視する人物に人気があるのです。彼らは形だけの民主主義は認めるのです。しかし、実質民主主義を求めれば、危険視し、批判し、場合によっては弾圧するのです。我々は、そういう民主主義の中にいます。
 
これで高額所得?
 今日の東京新聞社会面「「高額所得は3000戸」「公営住宅退居請求せず」とあります。「また特権を持った者達が勝手なことをやっているんだな」と読み始めると、そうではないのです。
 公営住宅に入居できるのは、高齢者を除き、月収15万8千円以下の人と決められているそうです。さらに、「月収31万3千円を上回り高額所得者とされた世帯が3千戸あった」というのです。
「何でだぁ。31万円が高額所得かぁ」この記事を書いた記者だって、不思議に思ったのではないでしょうか。31万円で高額所得者にして、公営住宅に入れないまでに、この国は行政の役割を放棄してしまっているのかと、愕然としました。
 これで、三人以上の子供を生み、育てよと国は期待するのです。民間賃貸住宅は2LDKでも10万は下らないでしょう。あと、20万円で家族5人生活しろというのです。とても、大学まではやれません。今の実体からすれば、年収600万円以下にまで、公営住宅を開放すべきではないでしょうか。自己責任を押し出して、国は住宅政策を間違ってきたと言う他ありません。
 さらに、派遣労働・期限付き労働を法制化し、または容認してきました。それにより、「ワーキングプアー」といわれる年収100~300万円の階層を生み出しました。彼らが望めば入居できるほどに、公営住宅を作る必要があると思います。