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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
習近平主席と安倍晋三首相
 習主席の言動から、安倍首相を連想させられることに気付きます。そういうことありませんか。
 習主席に、コロナ発生を昨年から知っていたが隠していたとの疑いがあります。武漢で採取したサンプルを破棄、WHOの緊急事態宣言にも圧力を掛けた疑いも言われています。そして、中国発のコロナを認めずに、WHO 総会で謝罪もしませんでした。
 また、武漢ウイルス研究所の石正麗氏が身の危険を感じて亡命した事件や娘をコロナで失った母親の抗議を弾圧するなど、政権に都合悪いことをなかったことにしようともしています。
 そして思い当たります。これらは、この数年、日本国民が見せつけられてきた数々の安倍首相の不実と類似していることに!森加計事件、南スーダン自衛隊日誌隠蔽、厚労省資料の改ざん、「桜を見る会」検察庁法改定案。そして、「国民を守る」首相が追い込んだ赤木俊夫さんの死、昨年の参議院選挙応援演説への野次を排除したことに無頓着な民主主義者安倍首相というチグハグ・・・・。
 しかし、このチグハグを習近平主席には感じません。なぜなら、中国は共産党独裁政権だからです。このチグハグが私たちの危うい民主主義の今を突き付けています。


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私は三権の長
 「私は立法府の長」に続き「私は司法の長」発言もするだろうと思っていたところ、その通りになりました。今回の検察庁法改定は、政権が検事総長の人事に口を出すのですから。
 武田行革担当相が、検察官も国家公務員なのだから、他の職員と同じように処遇するのが合理的だといった答弁をしました。しかし、これは歴史的経緯を無視した発言です。国家公務員法に加え、あえて、検察庁法を制定したのは、司法が行政府の支配に組み入れられないための智慧です。これは、戦前、行政府が立法・司法権をも、実質、握ってしまったことへの反省が生み出した、同じ過ちを繰り返さないための装置なのです。
 その装置を、安倍首相は強引に外そうと主導しています。しかし、驚くことはありません。なぜなら、首相は「戦後レジュームからの脱却」をスローガンに掲げているからです。つまり、戦前を過ちと思っていなければ、反省の必要もないと信じているのです。この信念が村山・河野談話の見直しを主張させ、憲法に緊急事態条項を盛り込もうとする意欲となって表れているのです。
 そして、戦前への最大の反省から生まれた憲法九条の改定です。最大の反省から生まれたゆえに、九条が最大の敵に見えるのです。しかし、これが彼の最終的な目標ではないことが分かってきました。彼が目指す到着点は「私は三権の長」だったのです。ですから、論理が破綻しているにもかかわらず、検察庁法改定に突っ走るのです。
 安倍首相が政権を投げだすのではとの憶測が飛んでいます。投げ出しても結構なのですが、その理由を健康問題と言わせてはいけません。「私は三権の長」の信念を国民に拒否されたからだと言わせねばなりません。
コロナで得た確信
 「悪とは何か」を考えてきました。難問ゆえ、もがくだけで答えに至りませんでしたが、退職後「善は人と人を結びつけることに、悪は引き離すことに関係している」に行きつきました。
 米中のコロナ危機発生責任をめぐる対立や、ドゥテルテ大統領の「外出禁止に従わなければ射殺してもいい」は発言、ネットに飛び交う誹謗中傷などから「人と人を引き離す言動が悪と関係している」の正しさを思います。一方、世界中の芸能人やスポーツ選手らの言動は「善は人と人を結びつけることに関係している」と確信させてくれるのです。
 もう一つ、コロナが確信させます。安倍政治が「見せ掛け政治」であることです。PCR検査体制が整備されないことに、端的に表れています。安倍首相は2月29日の記者会見で、日に2万件できるようにして、医師が必要と認めれば、PCR検査ができるようにすると述べましたが、今も、死後、感染が判明する事例が続いています。これを追及されると、2万件は実施能力であり、実施数を言ったのではないと閣僚が答弁する始末です。しかも、実施能力も2万に及んでいないのです。
 残念ながら、官邸が森友・加計事件など様々な改ざん隠蔽に関わったことを明白にできないままでいます。しかし、コロナ危機対策が「見せ掛け」であることははっきりしてきました。
 これに連れて、明らかになってきたのが「国民の生命と財産を守るのが私の仕事」という彼の口癖が、そもそも、見せ掛けであると言うことです。でないのなら、無能ということになります。今回のコロナ危機は彼が守ろうとしているのが「国民」ではなく「国家」であると教えています。

コロナ対策提言書を6知事に送る
コロナ対策提言書
2020年4月12日

 突然の申しようで、無礼をお詫びします。が、ただ、無為に座していることに耐えられなくなり、提言などと大それたことに及びました。
 この提案に至った心情をご理解いただくために、新聞投稿した文を下に書き入れました。まずはこれからお読みください。

休業補償費は市民の寄付で
 安倍首相がコロナ感染爆発の危機に際しても動きません。密閉・密集・密接の三密を避けるようにと国民には訴えているのですが、通勤ラッシュを放置し、休業を促す補償にも取り組まないのです。
 安倍首相の見せ掛け、誤魔化し政治を見せ付けられてきましたが、さすがに今回は、実質が伴う行政行動を採るだろうと思っていました。しかし、癖は直らないものです。
 といって、医療崩壊、否、社会崩壊を座して待っているわけにはゆかないのです。社会がどうなっても、自分さえよければよい訳がありません。手を取り、穏やかな街を歩く家族連れの姿と共に、自分の幸せもあるのです。社会の安定あってこその健康健全な生活です、人生です。
 ですから、国が動ないのであれば、市民が休業補償費を負担しようではないかと思うのです。都道府県は、すみやかに、このための口座を設け、市民に広報してほしいと思います。
営業自粛とその補償はセットです。独仏英政府は当たり前のように実施しています。安倍首相の「国民の生命と財産を守るのが私の使命」は国家を守る国防費を積み上げはしても、市民を守るためには作動しないのです。

ドイツのメルケル首相が文化を守るために、その担い手や団体に6兆円の支援をすると決めたという話には心動かされました。ならば、生活支援にはどれ程を拠出しているのかは想像できます。
 それに対して、感染防止や産業維持のための休業補償や生活支援を渋りに渋っているのが安倍首相です。出したくはないが先にあり、仕方ないから、支援するポーズを採っているように見えます。
 日本は、様々な問題を抱えているとはいえ、世界三位の経済大国です。その政府が同胞の窮状を放置するのであれば、経済主体の一つである消費者=市民が腰を上げなければならないだろうと思うのです。もちろん、ここにもう一つの主体である企業を加えてもいい訳です。
 同じ思いの方が大勢いらっしゃると思います。是非、音頭を採っていただきたく存じます。市民の良識を信じてください。ご検討をお願いいたします。


以上です。このアイデアを拡散ししてください。
休業補償は市民の寄付で
 安倍首相がコロナ感染爆発の危機に際しても動きません。密閉・密集・密接の三密を避けるようにと国民には訴えているのですが、通勤ラッシュを放置し、サービス業休業を促す休業補償にも取り組まないのです。
 安倍首相の見せ掛け、誤魔化し政治を見せ付けられてきましたが、さすがに今回は、実質が伴う行政行動を採るだろうと思っていました。しかし、癖は直らないものです。
 といって、医療崩壊、否、社会崩壊を座して待っているわけにはゆかないのです。社会がどうなっても、自分さえよければよい訳がありません。手を取り、穏やかな街を歩く家族連れの姿と共に、自分の幸せもあるのです。社会の安定あってこその健康健全な生活です、人生です。
 ですから、国が動ないのであれば、市民が休業補償費を負担しようではないかと思うのです。都道府県は、すみやかに、このための口座を設け、市民に広報してほしいと思います。
 営業自粛とその補償はセットです。独仏英政府は当たり前のように実施しています。安倍首相の「国民の生命と財産を守るのが私の使命」は国家を守る国防費を積み上げはしても、市民を守るためには作動しないのです。

安倍首相の不実続く
 医学研修生が会食して、コロナウイルスに感染したとの報道がありました。また、ライブハウスで、大声を発し、踊り呆けている映像も記憶に新しいところです。一方、感染者に占める20代から40代の割合が増加とのニュース、事実なのでしょう。
 そこで気付かされます。この二つのニュースが合わせられると、若者が浮かれたままで自粛に協力しないから、感染が拡大しているとの理解に導かれてゆく、そのことです。しかし、ここには、彼らが働き手の中心であり、満員電車の主人公である事実の見落としがあります。
 国は感染拡大防止のため、人との接触の8割を減らすこと、密閉・密集・密接の三蜜を避けることを求めています。ならば、通勤ラッシュを解消すべきターゲットにしないのは矛盾です。20代から40代の感染者の増加の原因がここにあると見るのが見識です。
 多くの国民はこのことに気付いています。しかし、政府は真の感染拡大防止策から目をそらさせる。そして、感染爆発防止の実効を、浮かれを正す自粛の徹底に求める。だから、通勤ラッシュの解消も、解消に伴う休業補償費の準備も不十分なままでいる。
 一方で、108兆円の経済対策費は、過去に例がないと強調するのです。しかし、他人頼みの融資資金が中心であり、政府の直接拠出を膨らませた、見せ掛けの、不実な数字です。国民を窮状から救うために効力ある身銭を切る気はないのです。
 実質的効果を生む政策を打てない安倍政権がコロナでも「機能」しています。実質を伴わない見せ掛けは国民に通用しても、ウイルスには効きません。国民もこれ以上、聞く耳を持たないしょう。
見せ掛けが危機を生んだ

 2月25日、政府はコロナウイルス対策基本方針を、専門家委員会は見解を公表しました。曰く「ここ二週間が急速な拡大か終息かの瀬戸際だ」そして、近距離での接触を避けるように要請しました。
 しかし、これは自明のことです。しかも、重症患者を守るとの理由から、軽症者には自宅待機を求めるに及んでは呆れるしかないのです。「目出度く重症化すれば治療が受けられます」と言っているに等しいからです。
 連日、臨床医たちが「早期発見、早期治療は医療の鉄則」と述べています。これも1+1=2と言っているようなもので、国民的合意に属します。医師たちがこの不要な説明をせざるを得ないように追い込んでいるのが政府なのです。
 なぜ、主治医にウイルス検査をさせないのでしょうか。政府はそれを保健所などの無理解と責任を押し付けます。民間検査会社を加えれば、日に万単位の検査が可能と聞きます。政府が保険適用を宣言すれば、検査解禁と理解し、医師は必要に応じ、検査をするでしょう。なぜ、これをしないのか、多くの国民がイライラしています(27日午後、保険適用に動くとの情報が入りました)
 これほど自明なことを政府が実行しないとすれば、考えられるのは感染の拡大事実を白日の下にしたくないからと思わざるを得ません。もし、中国と変わらない感染拡大が分かれば、オリンピック開催が危ぶまれるからです。
 夏の東京は温暖と説明して、マラソンも心配ないと見せ掛けたその挙句の札幌への変更という失態から何も学んでいないのです。というか、他にも多くを見せ掛けしてきた、その癖が思わず出てしまった結果のコロナ危機と言った方が正確でしょう。

萩生田文科大臣自ら辞任を!!
 受験生は勿論、保護者や学校関係者、何百万人に不安と混乱、損害を与えてた萩生田大臣は辞任すべきです。しなければ、罷免しなければいけません。
 身の丈発言があったから、これで済んだ。だからよかったなどとピントがずれたコメントをしている政府より政治評論家がいますが、彼も同罪ですね。
 確かに、試験を実施していたらとんでもない結果になるはずです。欠陥だらけの政策ですからならば、。それを承知で実施しようとした責任を評論家が指摘しないで、誰のための、何のための評論ですか。
 安倍政権の驕りが招いた結果もです。反対する、批判する者の声に端から、耳を貸す気がない政権の末路が見えてきました。
民主主義の本義
 小学校の学級会の時に、いつも不安なことがありました。それは「多数決が原則だが、少数意見も尊重しないといけない」という矛盾への戸惑いです。
 後に、少数意見の尊重とは「現在の多数派が、将来、少数派が多数派になる道を保障すること」と知りました。これで、上の矛盾は解消されましたが「決定の仕方だけが民主主義なのか」との疑問は残りました。「民主主義は手続きがすべてだ」というのですが、どうなのでしょうか。
今、多数決ばかりを強調する風潮の中、「多数は力」が「多数は正義」へと変貌しています。ですから、野党との論議は軽視され、国会から市民を代表する機能が失われています。自己責任論を言う強者を代表する政権が「正義」の名の下、独裁するのです。「民主」とは市民が主人公という意味です。これを裏書きするのが基本的人権であり、人権を奪う天才である戦争を放棄する平和主義へとつながります。人権が民主主義の思想なのです。
 こう考えると、近年の息苦しさの原因が見えてきます。自民党や日本会議国会議員懇談会関係等の会合では、彼らの本音が飛び交います。例えば、稲田朋美元防衛大臣「国民の生活が大事なんて言う政治は間違っていると思うんです」「日本だけが道義大国になる資格がある」長勢甚遠元法務大臣「基本的人権・国民主権・平和主義を堅持するという党憲法改正草案に不満だ」立派な右翼思想です。
 安倍一強に従っていたら、市民が政治の前提としている民主主義が壊されてゆく。ならば、多数決は手続きに過ぎず、民主主義の本義は人権にあると確認し合おうと思うのです。が、すでに私達は他国に先駆けて、右翼政権の支配下にあります。

沖縄慰霊の日
 6月23日、今日は沖縄慰霊の日です。1945年6月23日、沖縄派遣軍司令官牛島満中将が自決して、日本軍の組織的戦闘が終わった日です。74年が経ちました。
 ここ数年、この日を陰鬱な気分で迎えています。皆さんが生きることが出来なかった戦後を生きた自分たちが、再び戦前にしてしまいそうだからです。そんな報告を20万人の犠牲者に報告しなければいけないからです。
 過去の不都合な真実を直視せず、無かったことにしようとする勢力が目立った行動をしだしています。それが主流になってしまう世相をこれでもかと見せつけられ、私たちは同じ破滅へと引きずり込まれる恐怖の中にいます。森友、加計をめぐる隠蔽改ざん。南スーダン自衛隊日誌もありました。この財務省防衛省に加え、厚生省も文科省も同じ病の中にいます。そして今回の金融庁。それを束ねる官邸が不意都合な事実と向き合わない中心にいます。
 起きている事実をもとにしない政治が機能するはずがないのです。行きつく先は破滅ではないでしょうか。梅雨空が陰鬱を深めます。沖縄は今日、大雨の予報が出ています。
船橋ヒロさんのコメントを開いてください
 最近のコメント、船橋ヒロさんのコメントを開いてください。驚かされます。これが安倍政権の本音なのか、裸の姿か、驚くと言うより体が震えます。是非ご覧を!!これを観ても安倍政権を支持されるなら、あなたは立派な国家主義者です。
入国管理法改定案衆議院通過
 与党にすれば、予定通り、入管法改定案が衆議院を通過しました。これをみて、安倍首相が「私は立法の最高責任者」と発言し、訂正しながらも、繰り返している理由がわかります。彼は本心から総理大臣が立法府の長であると認識しているからです。 衆参両議長が抗議しないことに抗議したくなります。
 私たちは大袈裟ではなく、等身大の民主主義の危機の中にあります。それを感受できないほどに想像力を失い民主主義の精神を見失っているのです。1960(昭和35)年、労働者や学生市民の30万人が国会を包囲したことが嘘のようです。
 確かに、現在はあわただしい生活です。それは当時も同じだったはずです。では何が違うのでしょうか。それは当時は貧しく、今は豊かであるということです。当時まだ、国民の多数派は経済成長の恩恵を受けておらずに、貧しいままでした。その貧しさから抜け出すぞとの思いは民主主義や平和の確実性を高めることで実現できると信じさせていました。言い換えれば、貧しさと闘う思想が民主主義や平和主義であったのです。
 ですから、一度豊かさを手に入れるや人々は思想を捨てたのではないでしょうか。そうと思うことが自然と感じさせる今の市民の政治への反応です。さらに驚くことは、支配されている市民が支配者の立場から物を言い出していることです。そのことと、財界目線の安倍内閣支持率の高さは無縁ではないと思います。豊かになったことが政治への関心を下げ、豊かになったことが支配者気分で生活できるようにしているのです。この錯覚に気付かない限り、民主主義の復活はありません。

仁義なき戦い永田町編
 「知事に専念する」と都民ファ―ストの会代表を辞任した小池都知事が国政政党「希望の党」と立ち上げ、代表に就任しました。賛否両論ある中「情勢判断力など、その手腕を評価する点では一致しています。そうでしょうか。
 次の焦点は、都知事を辞任して、総選挙に打って出るかだと思っていたら「民進党、希望の党と合流」とのニュースが。「保身解散」の次は「保身合流」か。前原代表は「政権交代のためなら、なんでもする」と言い放ちました。しかし、安倍政権の何が問題の倒閣なのかが語られません。「保身合流」と呼ぶ所以です。
 生き残るために、「国民のため」という職業倫理をかなぐり捨てた、政治原則をも見失った、おぞましい狂気の中を蠢き合っている永田町住民です。これを見せ付けて、国民を絶望させて置きながら「希望」を語る厚かましさに卒倒しそうです。「仁義なき戦い永田町編」が開幕しました。
 チャップリンは「殺人狂時代」の中で「一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ」と戦争の矛盾を指摘しました。戦場では、人の度肝を抜く蛮行が称賛されます。都知事に専念するはずの小池氏が国政に打って出ることは職業倫理を失った蛮行です。これを「政治手腕に優れる」「度胸がある」と評価するなら、チャップリンの批判が当てはまります。
 憲法にさえ従わない、原理無視の政治が展開されてきました。その成れの果てが今回の醜態です。(国会議員の)権威は「国民に由来し、その権力は国民の代表が行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理である」日本国憲法前文の一節です。

どう呼ぶかは認識を表します
 昔、相手によって、呼び方を変える教頭が居ました。先輩のうるさ型の職員には「~先生」中堅職員は「~さん」若手は「~君」そして、管理職を目指す職員には呼び捨てでした。
 流石に不快ですから「~さん」で統一してほしいと伝えると、これに気付いていませんでした。彼の認識が、無意識にそのまま、呼び名に表れていたのです。
 「ロケットマン」に「老いぼれ犬」一国のリーダーがこのように呼び合っています。これは無意識ではなく意識的です。人格を疑わせるような言動は不愉快であり、尊敬されません。
 一方で、戦争回避のため、対話の道を求めてもいることが認められます。ならば、まずは「トランプ大統領閣下」「金委員長殿」と呼び合ってはいかがでしょうか。アベ首相、アソウ財務相、心の中で「ヒトラー総統殿下」と呼んでいませんか。

解散権も新解釈(私たちは何を勘違いしてきたのか)
 憲法に、解散は「内閣の助言と承認により、国民のために」天皇が行うとあります。内閣総理大臣個人の専権事項ではありません。
 そもそも、解散は重要議案をめぐり与野党の意見が対立し、国会が膠着、混迷した場合に、主権者である国民に問うための制度です。ですから、議論の過程で解散理由が見えてくるものです。
 それを変えたのは、小泉内閣の郵政解散です。これは与野党の対立より、むしろ、自民党内対立が解散の理由でした。この時「解散は総理大臣の専権事項」が強調されました。公認しないことで、党内反対派を押さつける作戦は「専権事項」でないとできなかったからです。
 ここに、首相の個人的な問題(党議員が従わない)解決のために、解散権を使って憚らない、今までとは違う総理大臣が現れました。安倍解散と似た例は小泉内閣に、すでにあったのです。今回、臨時国会冒頭解散ですから、対立といえば「森友・加計問題隠す、暴く対立」しかなく、これ以外に解散理由が見つかりません。解散権を「首相の保身のために使ってよい」との、更なる新解釈です。
 「戦後レジュームからの脱却」が首相の信条、これを聞き流してきた国民です。その結果、見えてきたのは戦争悲劇の現実味。世界の常識から孤立しているのは金正恩委員長だけではなく、トランプ大統領も、それを励ます安倍首相も同じです。首相が成してきた幾つもの新解釈は「戦後レジュームからの脱却」(戦前回帰)そのものです。戦後が戦前になるのか。私たちは何を勘違いしてきたのか、考える総選挙前です。
もてなし精神外交に活かす
 そもそも、もてなしは宣言して行うものではありません。「もてなします」との表明をせずに尽くす心遣いが、もてなしです。この心遣いは、相手の身になり、立場を慮って行う心配りです。これを様式美の文化にまで高め、ものづくり技術に込めてきたのが我々の伝統です。
 しかし、政府は「おもてなし」の押し売りをするような五輪招致運動を展開しました。政府の「おもてなし」の本物度を疑わざるを得ませんでした。その不安が北朝鮮外交に現れています。「なぜ核ミサイル開発を止めないのか」そこに思いを寄せることこそ、もてなし精神の真骨頂ですが、圧力を掛ける一辺倒です。
 米国は、朝鮮戦争で核兵器使用を排除しませんでしたし、武力介入による内政干渉を世界で繰り返してきました。脅かさずとも、米国は己の存在そのものが威嚇であると気付くべきです。しかし、金委委員長の斬首計画を隠そうともしません。
 一方、自身への北朝鮮の脅威には敏感です。東海岸に及ぶICBMが脅威だと言いますが、自身のそれがそれ以上に相手の脅威であることに思いがいたりません。混迷は深まるばかりです。
 その中、我が国も米国追従を改めません。相手が変わって欲しい時は、自分から変わるものです。なぜここで、もてなし精神を外交安全保障にも活かす姿勢を示さないのでしょうか。もちろん、それだけで解決はしません。しかし、解決への糸口を見出すことはできると思うのです。もてなし精神という、日本人にとって最も大切な道徳が世界の安全平和に生かされることを願います。

繰り返すナチス失言なぜなのか
 麻生太郎副総理財務大臣のナチス関連失言が終わりません。以前に申し上げたように、憲法を生かす匝瑳九条の会を仲間と立ち上げた切っ掛けが「ナチの手口に真似たらどうか」でした。驚きました。まずは、世界の常識からは考えられない発言であることです。そして、これが本音なら、恐ろしい政治が待っているということ。残念ながら、予想は当たってしまいました。本音だったのです。
 そうなら、今回の失言も本音です。ナチスの政治動機を正しいと理解していることになります。その動機を彼がどう認識しているかが問われます。アーリア人優秀説、劣った人種は抹殺することが摂理であるがそれなら、中国・朝鮮に対する侵略を正当化できる政治家と言うことになります。これ、自民党議員の言動を見ていると、そう間違った推察ではないような気がします。恐ろしさは続きます。

     三度目の失言次はもうナチス
憲法論議の底上げを
 もし「漢字は押し付けられたから、使用を止める」となったら、どうでしょうか。「漢字はすでに、日本の文化だ」と国民は反対するでしょう。
 しかし、この漢字禁止論と似た主張をする人たちがいます。「憲法押し付け改憲論者」です。アメリカに押し付けられた憲法だから、自主憲法を作ろうというのです。自民党憲法改正草案を読むと、基本的人権や国民主権にも手を加えたい本音が出ていますが、特に、九条を問題視しています。
 漢字は中国人が作ったから使わないとは思慮欠き、幼稚です。改憲議論は、誰が創ったかが問題なのではなく、その理念と運用が議論の対象です。押し付け論は、思考を不要にし、むしろ、改憲論議を妨害しています。さらに近年、時の首相幣原喜重郎が九条を求め、マッカーサ―が感激して、自身の草案に入れた事実が確認されてもいます。
 もう一つ、止めて欲しい論議は「九条が現実と合わなくなった論」です。これを言うなら、九条は制定当時から、現実と合っていませんし、現実と合わないから理想なのです。日本国憲法は、九条以外に、生存権の保障や男女平等などの理想も掲げ、政府はこの理想実現努力を続けています。なぜ、九条理想だけを変えるというのでしょうか。
 理想を下ろせという者にとって、すでに、理想と現実は一致しているのです。ですから、理想は彼らの理想=現実を壊す危険な思想となります。戦力・戦争の放棄(世界から戦争を無くす理想)を国是と再確認した上で、自衛隊をどう位置づけるのか、国際協力の在り方をどう理念づけるのか、それが憲法議論(改憲不要論も含めて)の本体です。

日報隠蔽事件の本質はどこに
 PKO派遣隊の「戦闘」を明記した日報が陸上自衛隊にもあったことを隠蔽すると決めた事件、この本質はどこにあるのでしょうか。
 防衛省事務次官と陸自幕僚長の二人が防衛大臣に報告したことは事実でしょう。二人は隠蔽の承諾を得て、責任を大臣に向けることを意識したはずです。注目すべきはその時に、防衛大臣が「無言」だったということです。無言の理由は二つ考えられます。
 一つは、防衛大臣が判断できなかったゆえの無言です。その際、大臣を毛嫌いする二人ですから、無言を了承と理解し、判断を置き去り、早々に立ち去った。もう一つは、二人が無言を了承と理解したのは正しかったのですが、大臣は心の中で「でも、私は聞かなかったことにしておいて」との但し書きを付けていたとは思い至らなかったというものです。
 前者の場合、大臣の「了解していません」発言は正しいことになります。後者の場合、大臣の心の中では、聞いていないことになっています。どちらに転んでも「辞めるのはあなたたちだけ」が大臣の認識です。ここで、双方に欠如しているのは「腹を割って話し合う」誠実な人間関係です。本心と事実を語り合い、正しさを導く「人間」という生き方です。
 辞任を決めて防衛省を出る時や、辞任式での稲田氏の笑顔が気になりました。日報を隠し、戦闘を衝突と捻じ曲げて、自衛隊に、集団的自衛権の一部、駆け付け警護任務を命じたという達成感がさせた笑顔とみました。日報隠蔽事件の本質はこの笑顔にあります。事実を捻じ曲げることで、目的を達成し、使命を果たしたと誇る不気味な反人間性、上の欠如を国民との関係にも向ける不誠実な反社会性です。
危ない「決めたい政治」
 加計へと、あみだの道に線を付け足したのではとの疑惑。首相は「獣医学部全国展開」発言で「自首」してしまったことに気が付きません。
 そもそも、事件は、獣医校新設を無理やり、経済特区に組み入れることから始まっています。「自分が決めれば、その通りに動かせる政治」を目指してきた、その間違いが今回の事件の原因です。
 首相は、民主党の「決められない政治」を批判して「決められる政治」を自負しています。しかし、実態は数に物言わせる「決めたい政治」を展開してきたのです。特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、質問に答えず「本心」を隠し、議論を空中分解させ続けています。国会審議が邪魔なのです。
 ですから、選挙に勝った者(自分のこと)が内閣を組織し、与党が委員会を端折って議場採決するのが理想です。これを突き詰めると選挙(中)だけが議論の場で、国会は不要になります。多数政党党首には行政最高権に加え、立法最高権も付いてくるのです。これを首相は、かつて「私は立法の最高責任者」と表現しました。口が直接、直腸に繋がっているようなものですから、消化不良は避けられません。ちなみに、首相が行政権に加え、立法権も握ることを独裁と言います。
 麻生副総理の「ナチスの手口に真似たら」発言は4年前のことです。これが冗談ではなかったのです。「戦後レジームからの脱却」は教育基本法改定から始まり、憲法改定で完成です。それは戦後否定した戦前国家体制の再稼働を意味します。これが隠し続けてきた「本心」です。「決められない政治」は未熟なだけですが「決めたい政治」は危険です。

狡は狡を許さない醜悪
 6月21日、籠池さんが安倍首相私邸に押し掛けました。その用件を聞いて、驚きましたが、なるほどとも思いました。
 問題人物は自分が「己に甘く人に厳しい」ことに気付きません。籠池さんは偽りの書類を作り補助金をだまし取った狡い方です。普通なら、もう表舞台に立とうとはしません。しかし、彼は安倍首相から受け取った100万円を返しに向かったのです。
 自分の悪事を棚に上げて、人の悪を叩きます。なるほど「狡は狡を許さない」のです。両者を追及するヒーローが加われば、立派な映画になります。この映画、安倍籠池同レベルの泥試合です。悪が悪を裁く醜悪を見せつけられる市民です。
 私たちは、東日本大震災の時、平常を失わず支え合い、世界の称賛を浴びました。邪悪な雑菌を、皆が持つ妙薬を振りかけて消毒できるはずです。成熟市民社会が醜悪強権政治を始末する時です。


 先日の記事を推敲して、400字以内にして、毎日新聞「みんなの広場」に投稿しました。また、新聞投稿始めることにしました。
記者もソンタクしていた安倍会見
 6月19日安倍首相の記者会見がありました。反省をしきりに口にしますが、反省からどう変わるのか、何を行動に移すのかが語られませんでした。
 もしこれが高校なら、停学解除はされないでしょう。喫煙で停学ならば「煙草止めます」と言わずに解除されるでしょうか。説明が不十分だったとの反省ですから、閉会中審議を明言しなければ、口先だけの反省と見なされても仕方ありません。
「野党の印象操作に惑わされて冷静さを失ってしまった」との発言。人のせいにしている内は反省が成っていないとの理解がありません。高校でも言い訳をしている間は停学解除しないはずです。
 期待がなかった分失望しなかったのですが、驚いたのは記者たちの姿勢でした。国民が気を揉んでいるのは共謀罪の曖昧さであり、その本当の目的です。ここは喧嘩腰になってでも、共謀罪、森友加計問題の徹底究明を問わねばなりません。「閉会中ですが証人喚問を含めた対応をしたい」ぐらいは、引き出してしかるべきです。それが権力を監視する、マスコミの矜持というものです。しかしそんな様子は全くなく、内閣改造はどうだ、経済がどうだ、いま政治への信頼が失われようとしているのです。政策以前の根本土台が失われようとしているのに、北方領土問題も頓珍漢です。
 役人だけではく、マスコミもソンタクしているのではないかと思わされる場面でした。組織犯罪処罰法改定により、国民もソンタクを強いられるかもしれないのです。民主主義の危機と感じ取る想像力に欠けます。いい仕事をしていただきたい。

田崎史郎氏は評論家?
 今日の、TBS「ひるおび」に評論家として出演した田崎史郎氏には呆れてしまいました。以前から「おかしいな。この人時事通信のお偉方、つまり、ジャーナリストで、評論家を自称しているのに、らしくないなあ」とは思っていました。しかし、今日の発言は露骨に、彼の役割を暴露してしまっていました。
 つまり、彼は評論活動をしているのではなく、政府の代弁活動をしているということです。御用ジャーナリストと言う言葉が以前からありますが、彼は典型的なそれです。そう確信させられました。ジャーナリストの仕事は権力の監視ですが、逆に、正当化しようとしているのには驚きました。
 彼が、権力の立場に立って、考え、発言するスタンスをとる評論家ならそれもいいでしょう。ならば、前文科省次官の前川氏の証言をどう扱うのが妥当でしょうか。前次官が「行政をゆがめられた」と発言したのです。「首相を侮辱した」籠池氏を証人喚問で「懲らしめた」(懲らしめることを証人喚問の目的にするのはおかしいのだが)ように、政府自民党は率先して、証人喚問を提案すべきだと発言するのが、まともな権力側に立つ評論家です。
 しかし、彼は証人喚問に関して、政府と同じことを言うのです。ゆえに、評論ではなく、彼は政府の代弁をしていると言わざるを得ないのです。私、TBSに抗議の電話をリアルタイム入れました。しかし、話し中です。10回はかけたでしょうが、駄目でした。これ、同じ抗議の電話ではないでしょうか。結果、次郎君との遊びが終わった、3時過ぎにようやく通じました。まだ、電話が続いていると思い、最小限のことを言い、30秒?ほどで切りました。
 
「生活保護」を「生活保険」と呼んでみる
 ある会合で、生活保護について話し合うことがありました。そこで気付かされたのは、用語としての「生活保護」が土人保護法の「保護」と同じ意味合いではないかという問題です。
 保護には「助けてやる」との上から目線を感じます。余裕と意欲を失えば、保護を止める意志を隠し持っています。ならば、生きる権利の保障に反します。また、保護が自主・自立・自尊を傷つけるという風や、差別意識も根強くあります。
 ならば「保護」ではなく「保険」にしたらという工夫です。「施し」という認識を完全払拭し「助け合い」という理解を社会化すること、後ろめたさを感ぜずに、生きる権利を行使できる土壌作りが目的です。
 こう申すのは、権利主張は「身勝手」「恥知らず」だと捉える風潮が急激に、
強まっていると感じるからです。人権は「力」です。「国家権力」と釣り合うよう、天理が庶民に認めた「力」です。政府もこの再確認を。


風評被害・自主避難者という架空
 「風評被害」は国民の無知が原因なので、原発被害ではないとの政府見解に疑問を持ち続けています。
 世間で、責任を取るとは事故以前の状態に戻す(それが不可能なら補償する)ことです。ですから、市民は原発事故以前の「自然界の数値」を安全基準の目安にします。しかし事故後、政府は科学という名の「人為的数値」を下に、大幅な基準緩和をしたのです。加害者が、加害判断基準を決めたのです。その上で、その基準を疑い受け入れない者が引き起こす「風評被害」は原発被害ではないから責任は取らないというのです。社会では通用しない理屈です。
 同じことが「自主避難者」問題にも見られます。避難解除した段階で避難者ではないのに、勝手に、従わず帰らない「自主避難者」だから、支援は必要ないという論理です。「自主避難者」は、帰れないという現実を捨象することで、人為的に創作された架空と言わざるを得ません。
 今村復興相の「勝手な判断をするのだから、その結果は自己責任だ」発言は、罷免しないところを見ると、政府の公式見解です。ならば、復興庁はいらないのです。目の前に起きた現実をどう受け止め対処するかは人ぞれぞれです。これを踏まえた上で、各人に必要な支援を組み立ててゆくのが復興庁の仕事、責任のはずです。その責任を今村復興大臣は放棄し、自らの存在を否定したのです。
 「自主」を身勝手わがまま抵抗と捉える、無いものを有るように有るものを無いように見せ掛ける安倍政権の性癖がここにも、遺憾なく発揮されています。どこまで行っても不実な政権です。


新聞投稿文
国民は油を塗り始めている
                     ・・・・・宮沢賢治

 安倍政権の基本的人権無視、国民主権軽視、平和主義蔑視の政策は確実に進んでいます。
 教育基本法の改定は、教育の目的を「人格の完成」から国家との「人格の一体化」へと変えるものでした。特定機密保護法制定や、マスコミへの干渉も「お上に逆らわない国民」の「育成」が本音です。それが石破茂自民党幹事長(当時)の「デモはテロ発言」で表出したのです。
そして、今や、道徳の教科化、安保法制、原発のついでにとばかりの教育勅語再稼働と、矢継ぎ早です。これらの政策も、本音を隠し、一見もっともらしい口実の下、不確定さ、不実さを残したまま、実現されてきました。これを安倍政権は「決められる政治」と自負しています。
結果、国家主義へのレールが引かれつつあると気付かされる国民です。そこで、連想させられたのが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。最初は料理を食べるためと従っていましたが、自分の身体に油を塗っている己に気付くに及び、食べるはずが、食べられる自分とようやく気付くのです。目的として扱われるはずが手段にされる「注文の多い料理店」の客のようです。
真綿で締め付けられるように、国家が迫り来て、動こうとすると法律に触れてしまい、黙るしかない。この上、共謀罪が加わり「教育勅語再稼働」を撤回さることができなければ、もう、フライパンの上に乗せられる寸前です。
最近、気になっていることがあります。報道番組のキャスターたちが、懸念を言いながらも、反対とは言わず「国民みんなで考えることが大事ですね」と締めくくるのです。自ら油を塗ってはいけません。

トランプ金正恩ばかりだが
 問題児トランプと金正恩、マスコミは大いに驚き取り上げています。間接的に我々の生活に大きな影響があると言えばありますが、これらに特化するような取り上げ方はどうなのでしょうか。自分は安全なところに居るとみて野次馬のごとき気軽さで楽しんでいます。その意味では小池劇場も同じです。
 気楽でいられない事件が大阪豊中で起きています。森友学園への国有地格安譲渡問題です。この学園の小学校開設に伴い買い入れたものですが評価額9億円以上にもかかわらず、1億数千万円で払い下げられています。しかも最初の予定では「安倍晋三学園」としようとしていたようです。流石に、安倍首相は辞退したようですが、名誉校長が安倍昭恵首相夫人であることは事実のようです。首相はこの関係を「私と考え方が近いということで、話が来たのでしょう」といった答弁を国会でしています。
 ではこの学園、どういう教育方針を持っているのでしょうか。既設の幼稚園では「教育勅語」を園児に暗唱させています。理事長は日本最強の右翼集団「日本会議」の有力メンバーです。安倍首相もこの会議の一人です。教育勅語以外にも、不適切な指導をしているとの報道もあります。
 これを厳しく追及するマスコミがないことに抑えきれない恐怖心を表明します。安倍首相らが戦前の国家・社会を再生したいという思想の持ち主であることは疑われ続けてきました。でも彼は憲法の三大原則を守ると言い続けています。だから、国民はそれを信じています。
 が、今回の事件は、大っぴらに、戦前の教育を掲げる学園を財政面で支援してはばからない、大胆さがあります。これをやってのけられるという自信の表れと受け取れます。もう、戦後民主主義の否定、日本国憲法の大日本帝国憲法への復帰に向かって、流れはできたという認識表明とさえみえます。この事件の完全究明をして、安倍政権を打倒するほどの力を発揮しなければ、まさに、安倍首相や日本会議の思うつぼです。
 戦後民主主義、日本国憲法の理念を放棄させられるかどうかの境目にいるという危機感は全く見られません。アメリカ国民はトランプ大統領の反民主主義、反人権主義に立ち向かっています。しかし、それを面白そうに眺める日本国民は、自分たちの人権や自由が奪われつつあることに気付かずに、無関心でいられるのです。土台が腐りかけている料亭の二階で宴会を楽しむ人たちと日本国民が重なります。
「決められない政治」批判から
 「決められない政治」が批判されました。与党が絶対多数を有さず、衆参に「ねじれ」があった時代です。今、この批判を検証する必要を感じています。
 与野党伯仲の頃でさえ「決められない政治」はさほど問題にされませんでした。決められていたからです。しかも、野党・国民の反対がある場合、重要法案の廃案もありました。
 あるクラスでの話です。遅刻の多さに担任が「遅刻者には平手一発を与えるが、受け入れるかの討議」を提案しました。会議は盛り上がり議論を重ね、議長は決を採りました。結果は奇跡と思えるもので、受け入れる14名、反対14、判断付かない14。困った議長が担任に助けを求めると「もともと、体罰を行う気はなかった」これに対する担任への非難はなく、翌日から遅刻ゼロが続いたそうです。真剣な議論自体に価値があることを教えてくれる話です。
 「決められない政治」の本当の理由は、政治の本質を肝に据えた、大人の政治家がいなくなった結果ではないでしょうか。「議論 の重要性を理解しない、調整する姿勢と能力を欠いた政治」です。これが、絶対多数与党を率いることで、立法権をも勝ち取ったと勘違いしてしまう首相を育てた政治です。
 ナチス政権が立法権も併せ持ち、国会を無力化させた前例を念頭に、麻生副総理は「憲法は誰も気付かないうちに変わったことを真似たら」と発言「政治は俺らのものだ。国民は静かにしていろ」が本音の似た者同士です。デモをテロと呼んだ幹事長もいました。議論を嫌い、反対者を悪とみる政治が続きます。今は、民主主義嫌いの「暴走お坊ちゃま政治」批判が必要です。
放射能汚染土を公共事業工事に使う??
 以前にも、耳にしたのですが、そんな馬鹿なことをさすがにしないだろうと思ったわけです。しかし、今日の「モーニングバード」、「そもそも総研」担当の玉川徹さんが、除染作業から出た8000ベクレル以下の汚染土を公共事業工事に使うというので聞いてきましたというのです。「なんだ、止める者がいなかったのか」と驚きました。原発事故以前の基準は10ベクレル以下でした。これも驚きです。そしてもっともの驚きは、これを言っているのが「環境省」だと言うことです。
 使用例としてあげたのが防潮堤です。汚染土を盛った上にコンクリートで固めるそうです。そうすると、0,01ベクレルになるそうです。「災害で壊れたらどうする」の問いに「災害が起きないところに使う」では「せっかく集めた汚染土を全国にばら撒くことになる」には「福島だけに負担をさせる訳には行かない」というのです。
 中間処分場は福島に確保されています。期限は30年です。その後、最終処分場に保管するのですが、その場所が全く決まっていないのが現状です。ならば、この「知恵」は最終処分場建設には何処も反対するし、今後も難しそうなので「公共事業工事」という「最終処分場」を全国に作ろうということのようです。
 この浅知恵には根本的な矛盾があります。除染は安全に生活できる地を回復するための作業が集めた汚染土を集中完全保管にしないからです。防波堤の中に入れることは「保管」ではなく「投棄」です。所謂、不法投棄ですが、国や役所が法律や条例、政令、通達でやれば「保管」になるというのです。
 ここに、安倍政権の真の姿が見えます。「国民の生命財産を守るのが国の最大の仕事だ」と何度も繰り返していますが、反対に、これを手段にしているのが本当の姿です。原発を主要電源にするという方針、それゆえの原発再稼働、40年原発の延命。秘密保護法、安保法制による戦争が出来る国への転換。高度プロフェショナル制度という残業代ゼロ制、これで無制限の長時間労働が合法化します、殺人法です。何処が国民の生命と財産を守る政権なのでしょうか。

 政治を変えようとしてきましたが、これなら、変わらないほうが良かったです。さあ、参議院選挙です。
「いつまで生きているつもりだよ」
 麻生太郎副総理兼財務相の発言です。19日しんぶん赤旗によると、小樽市での演説で「90歳になって老後が心配とか訳の分からないこと言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら観ていた」と述べたそうです。せこいと批判された舛添さんよりも、大分、危ない人間であるようです。「いつまで政治家やるつもりなんだよ」と言いたくなります。この時の聴衆から批判の野次が飛ばなかったのでしょうか。
 これは失言ではありません。本心の表れです。これから、私達は、現政権の政策を育てる畑には国民にとっての猛毒が高濃度で含有されていることを読み取らねばいけません。日本の高齢者は競馬馬以下に位置づけられているのですから。競走馬は引退後、牧場で安らかな余生を与えられるものもいます。働けなくなった高齢者ははやく死ねと言う発言ですから、こう言う他ありません。
 ここには、人間を利用価値でしか評価できない貧しい人間性が見えます。それを隠そうともしない「確信」が見て取れます。人間を手段ではなく目的として位置づけよとは近代思想の確立者カントの言葉です。麻生さんは近代思想を理解されておられないことになります。彼は封建時代の領主の眼で、国民を領民とみているのでしょう。そんな人間に政治を任せてはいけません。そう思わせるに充分な暴言です。
都知事は何を苦しんでいるのか
 今日の東京新聞一面に舛添都知事の苦しみに歪む顔を捉えた写真がありました。彼は、何に苦しんでいるのでしょうか。それが気になりました。
 今までの彼の対応をまとめてみれば「知事辞職に追い込まれるのか。それは嫌だ」という苦しみであろうと推察します。もしそれ以外なら、もうすでに辞職していると思うからです。
 大多数の人々から、批判される時、普通は己の中に間違いを見出し、やってしまったことを後悔します。この時の苦は、自己嫌悪というそれです。自分が自分に恥ずかしいのですから、世間に対して、顔向けが出来ないほどの恥ずかしさに襲われるのではないでしょうか。もし、この恥ずかしさゆえの「歪む顔」であれば、辞職発表は近いことになります。
 しかし、そうではないでしょう。「自民公明も厳しい追求だな。辞職に追い込まれるかな」という思いに「歪む顔」と推察します。そこで、今日の川柳。怒りより、今はもう悲しいですね。ご迷惑でしょうが、次から次と句が浮かんできます。悲しみのエネルギーもたいしたものだと思います。


     知事長所打たれ強さが逆効果

     歪む顔苦の大本を問う都民

     自己嫌悪未熟さ断てと神の罰
三権をまとめ首相は総統に
 
 今、私達は政治に対して、言い知れぬ不安を抱いています。不景気の恒常化、経済格差の拡大と貧困、国家財政の窮迫、教育福祉政策費の切り詰め、自然災害の甚大化・原発事故不安、これ等が絡み合い醸し出す「社会的行き詰まり」という不安です。この中、息が詰まるような生活を強いられる多くの方々がいます。これを打開して欲しいと、安倍政権への期待が続きました。
 しかし、安倍首相はその国民の不安を逆手に取り、現状打開には権力集中が必要と、強権独善政治へと国民を導こうとしています。その極みとも思える首相の発言がこの五月続きました「私は立法府の長」発言です。
 安倍氏は内閣総理大臣が「行政府の長」であり「立法府の長」ではないとご承知のはずです。ならば、発言の真意は二つ考えられます。①国会で過半数を大きく上回る議席を有する与党議員を掌握し、率いているのだから、自分は立法権を併せ持っているに等しいという自負と驕り表現 ②首相・政府が行政権と立法権を持つ権力集中制の方が優れているという信条表現。
つまり、これは、独裁政治を排除するために設けられた三権分立制度を無効にしたいとの首相の政治信条の発露です。そして、独裁者たちに見られる共通の願望です。もちろん、ヒトラーは三権をまとめ総統になりました。
「我々は日本の自由民主党を手本としている」フランスの極右政党「国民戦線」幹部の発言です。安倍政権の本質がはっきりしてきました。平和と民主主義・人権に価値を置く市民と真っ向から対立する安倍政権です。

介護士保育士真の待遇改善
 安倍首相は、一億総活躍社会実現に向け、介護士と保育士の待遇改善に動き出しました。それは結構なことですが、前者が一万円、後者が2%なのです。とても、人材確保はできません。
 問題の本質は、政府がこれらの仕事を「本来は家庭内での女仕事」と見ていることです。「政府の仕事でない」「女家事の代わりだから、安い賃金でよい」との見識を捨てられないのです。
 つまり、仕事を正当に評価しての待遇改善の動きでないことが問題なのです。狙いは公約実現の推進と参院選対策であり、その手段としての賃上げです。介護士・保育士を選択した人生の「充実と豊かさ」を目的としなければ、人材は集まりません。
 今はなき家族制度への郷愁と「美しさ」への信奉が判断を誤らせています。安倍政権の体質が一億総活躍社会政策を生み、同時に、その実現を阻んでいます。


首相は被災地に心を寄せているのか
 いや驚きました。これを書き始めようとしたら、お隣のご主人がインターホーンを押しています。用を伺うと、水道ホースが切れて、水が吹き上がっているというんです。そういえば、水の出が悪いとは思っていたんです。
 オバかな、私はガムテープで止めにかかりました。ご想像の通り、水浸しと相成りました。本を止めればいいんだとようやく気付き、それに成功、着替えて、体勢を立て直して、水道工事店の選定に入りました。「匝瑳水道工事指定店」を発見、そこを手ずるに「岩井住宅設備」なる会社をご紹介いただきました。今、見えにあるのを待っているところです。
 様子から、すぐに直ると思います。今、これが熊本では大規模に、長期に及んでいるんですね。それをよそに、政府、首相はどこか、気が向いていないように見受けられます。首相の震災対応を説明する姿様子は気魄が見られませんね。同じ思いの方は多いのではないでようか。
 
 まさにこういうことを書こうと思っていたわけです。もう書いてしまいました。

     緊迫に副わぬ気のない政治こそ
            地震の脅威もっこす挫く

     滝静か己の音に気がつかず

     心太舌滑らせて発音す

     眩しきはリンネスーツの白い靴
まさか日本ではあり得ないのか?
 今年2月、習近平主席は「メディアは党の意思を代弁すべき」と発言、これを批判した編集者を処分しました。これを聞いて、未だ「怖い独裁国」との思いを強くします。
 しかし、同じようなことが日本にも起きています。NHK会長の「政府の意図には逆らえない」大西英男議員の「マスコミを懲らしめるには広告収入を断つのが一番」高市総務相の、政治的公平性を欠くなら「電波の停止がないとは断言できない」発言です。
 そもそも、政治的公平・中立性とは国家に求められるものです。この本意は、メデイアの国家からの「独立」です。それを歪める人々が政権を握っています。民主主義は大丈夫でしょうか。
 「大丈夫、日本ではあり得ない」と聞きます。しかし、日本の技術は最高だから、大丈夫とされた阪神高速道路はきれいに倒れ、絶対安全のはずの原発事故が起きました。国民が一糸乱れず国家に従う「美しい国」が見えます。


哲学させぬ人間させぬ
 高校生の「人間と動物の違いは」との質問に「人間は意味を問う」と答えてきました。つまり、違いは哲学するか、しないかです。教育基本法改定に反対した理由がここにあります。
 教育基本法の教育の目的(意味)は「人格の完成」でした。それを「愛国心と道徳」に摩り替えたのが改定教育基本法です。哲学する結果生まれ出る多様な市民を一枚の「のし餅」に仕立てることを教育目的にしたのです。のし餅完成は、市民の国民への純化であり、国家の社会への優位の定着です。道徳を九九のごとくに覚えさせ、哲学させぬ人間させぬ教育を恐れました。
 この危惧は今、国立大学の人文関係学部廃止圧力に象徴的に表れでます。人格の完成の軽視が「哲学させない」のです。これは人間の尊厳・人権意識の欠如でもあり「人間させない」安倍政権が推し進める政治の根拠です。「ヘイトスピーチ防止法制定に冷淡」「長時間労働放置むしろ推進」「食糧安保軽視、安保法制定」「保育介護は自己責任」など。
 こう考えると、安倍首相の言動に感じる嫌悪の源が見えてきます。嫌悪は彼の「反ヒューマニズム」に対する拒否反応です。逆に、彼は日本国憲法の徹底したヒューマニズムに我慢ならないのでしょう。「戦争放棄」は、人間の尊厳を守るヒューマニズムの最も純粋先鋭的な表現です。ですから、怒る反ヒューマニズムはその焦点に憲法九条を置くのです。
 「哲学させぬ人間させぬ」政治家が私たちに生き方を問い迫っています。これが、唯一の彼の功績です。しかし、彼の人間不信にお付き合いは致しません。哲学をして、人間します。

久しぶりに新聞投稿する
    もし、安倍首相が町内や教室にいたら

 嫌われ者の共通点を三つに絞ってみました。「人に厳しく自分に甘い」「人の話を聞かない」「嘘を恥じない」がそれです。
 以下のニュースを思い出してください。1「早く質問しろよ」辻元清美議員が質問中の安倍首相の野次です。前日彼は「議論の妨害は止めて頂きたい」と制していました。2山井和則議員が西川公也農水相の献金問題を追及していた時、「日教組はどうなの」その後、日教組も関連団体も民主党に献金していないことが判明しましたが、謝罪を逃れようとしました。3党首討論で、岡田代表が「米国の戦争には、絶対巻き込まれない」発言を批判した際の反論が「正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」4ニュースZEROの村尾キャスターの女性活用についての質問に答えず、持論を展開、次第に、冷静さを失い、一方的に、中継を切りました。5議員定数削減を条件に解散に持ち込むも、実行せず。6「福島原発はアンダーコントロール」を東京五輪誘致プレゼンで世界に発信。
 上の1・2は「人に厳しく自分に甘い」3・4は「人の話を聞かない」5・6は「嘘を恥じない」に相当します。これらは誰にも当てはまるかもしれません。しかし、そんな己に気付けない御仁もいるのです。もし、安倍首相が町内や教室に居たら、どうでしょうか。これ以上の、彼への期待は滑稽ですらあります。
 敬服する政治家はたくさん居られます。マドウロベネゼイラ大統領は「人間の平和意識が目覚める前に、何人のアラブ人が死なねばならぬのか」と発言、2万人の難民受け入れを表明しました。このような発言を自ずとできる政治家に期します。
もし、安倍首相が町内や教室にいたら
嫌われ者の特徴=共通点を三つに絞ったら以下のようになりました。どうですか。
1 人に厳しく自分に甘い
2 人の話を聞かない
3 嘘を恥じない

もし、このような方が町内や教室に居たらどうでしょうか。迷惑なことでしょう。トラブルも予想されます。

以下のニュースを思い出してください
1「早く質問しろよ」辻元清美議員が質問中の安倍首相の野次です。前日彼は「議論の妨害は止めて頂きたい」と制していました。そもそも、首相の野次は異例中の異例です。
2 山井和則議員が西川公也農水相の献金問題を追及していた時、「日教組はどうなの」その後日教組もその関連団体も民主党に献金していないことが判明。謝罪を逃れようとしました。明確な謝罪はなされていません。
3 「正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」党首討論で、岡田代表が「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」発言への批判に対しる反論がこれです。
4 ニュースZEROの村尾キャスターの女性活用について具体的な数字を示してください」との質問に答えず、持論を展開、次第に、冷静さを失い、一方的に、中継を切られてしまった。
5 議員定数削減を条件に解散に持ち込んだのですが、実行せず。
6「福島原発はアンダーコントロール」を東京五輪誘致プレゼンで世界に発信しました。
7 「武器輸出」を「防衛装備移転」と言い換え、武器輸出原則禁止を原則解禁としました。
8「積極的平和主義」の憲法九条を骨抜きにした自説を「積極的平和主義」と説明する。

上の 1・2は 人に厳しく自分に甘い
    3・4は 人の話を聞かない
    5~8は 嘘を恥じない        に相当します。
 
誰も、これに当てはまるかもしれません。しかし、嫌われ者はそれと気付かないで居るゆえに、嫌われ者になります。

 私達はこれ以上の期待を安倍首相にする基礎を失っていないでしょうか。
上の事例はほんの一部です。ネット探してみてください。また、敬服する政治家はたくさん居ます。最近の例を挙げればマドウロベネゼイラ大統領は「人間の平和意識が目覚める前に、何人のアラブ人が死なねばならぬのか」と発言、2万人の難民受け入れを表明しました。このような発言を自ずとできる政治家に期待します。
逆裸の王様の安倍首相
 銀を見せ平気で金と言えば、嘘と分かるゆえに誰も相手にしません。金として使えば逮捕されます。私達は、これと同質の嘘をつく首相を相手にすることを強いられています。
 「投資を促す法人減税」との説明ですが、投資が利益を生むなら、とうに、300兆円の内部留保を使っているはずです。政治資金で結びつく財界の要請に応える減税でしょう。首相は、日銀のマイナス金利政策を支持していますが、これも同じです。景気浮揚策ではなく、円安株高に誘導し支持率を維持するのが目的です。素人にも分かる、銀を見せ金という嘘です。
 裸の王様は悪徳商人に騙されて、裸で街を歩かされましたが、我々は首相に騙され裸で歩かされています。平和と言う名の透明の服を着せ、戦争と言う裸に晒すのです。童話「裸の王様」は嘘を嘘と言わない大人にも勇気を求めています。

芸能界と政界騒動の共通点
 ベッキー不倫騒動と甘利口利き事件で世間がにぎやかです。スクープが事実だとすると、芳しくない共通点に気付かされます。
 ベッキーさんは謝罪会見で川谷さんとは友人であると不倫を否定しましたが、2人のラインでは「友人で押し通すつもり」と不倫関係を自白しています。「これで堂々とできる」と文春に感謝もしてみせるのです。
 一方、甘利大臣はどうでしょうか。秘書への監督責任辞任で、口利きの事実をうやむやにしようとしています。仲間は「辞任は潔い立派な態度だ」と褒め称え「はめられたような気がする」と不快感を示す始末です。
 両者の共通点は①事実を認めず隠そうとする不実さ②恥ずかしいことをしたという認識の欠如③前者の、報道した文春をあざ笑い勝利宣言するあざとさ。後者の自らの悪道を棚に上げて、報道側の不当性を印象付ける姑息さです。
 共に、問題性を認識しないのですから、改善は期待できません。ならば、前者はともあれ、政治に関しては痛い目に会ってもらうしかありません。そのときに備えます。


権力を暴力にする国つくり
 中世、少なくとも、戦国時代までは、暴力を振るう者がその地を治める時代、領主は暴力装置としての武装集団を率いていたという説があります。今では正確さを欠く言い方のようですが、やくざの親分が在住を保障し、守ってやる代わりに、金品を要求するように、領主は年貢を取ったというんです。
 今、政府はその様な性格を有しつつあるのではないでしょうか。権力の使い方がおかしい!!そこで「権力を暴力にする」というフレーズが浮かびました。

     権力は暴力なのか安倍政治

 とうとう、マイナンバーが届くそうですね。希望する者は除いてほしいものです。先進国中、これを全員強制的に加えている国はないそうですね。アメリカは任意だそうです。英仏は止めたそうですし、独ははじめからやる事を政府が自粛したそうです。ユダヤ人に番号をつけたことへの教訓のようです。

     番号化電話ではない我が命


 「そうさ」12月号文芸コーナーに早速、投句しました。

川柳
     愛犬の尻を見せられ走らされ

     よれろれの我が財布にもおれおれが

     レジカゴの中身が語るメタボかな

     ブラックが求人難に青ざめる

俳句
     引力をワルツに仕立て落葉かな

     空青し音高く踏む霜柱

     風呂場から子等も湯気立つ牡丹鍋

     枯葉から落葉に朽ちる舞一つ

短歌
     先生と呼ぶ声ありて振り向けば
             ただ呼んでみただけとはにかむ



昨日の正解は大分下の方にあります。










 正解は ①番でした。

 私は選ばれるなら②番だと思っていたんですが、意外でした。①番は枯葉が落ちるのを見て泣けてくるという何か、シャンソンでしたか、詩でしたか、何かの文句を知っていなければ、分かりません。それに比べ、②番は、程度の差はあれ、最近の回転寿司に行った事がある人ならば、経験するはずです。
 ③番は孫にせがまれて、仕方なく来ていることを装い、実は、自分が観たいがために、孫を誘って来たというんですが、そこを美味く表現できないままなんですね。

何はともあれ、お付き合い有難うございました。
農業衰退して田畑に何と
 千葉県は全国有数の農業県です。その有力農業地帯が東総地方です。しかし、その我が地域で、農業衰退が急激に進んでいます。
 原因は、生産費を下回る米価に代表される将来展望を描けないことです。大分前から、台地上の谷津田は生産効率が悪いと言う理由で農地荒廃が目立ちましたが、今では、平野部にも耕作放棄田が現れています。
 当地では、東日本震災後、売れ残った広大な工業団地や撤退した工場跡地に大規模な太陽光発電が展開しています。それは驚くほどです。そして、更に驚かされるのが「パネル植え電気育てる田となりぬ」光景です。原野はもちろん、畑であった所にパネルが設置されているのです。農作物を作らない、畑での電気生産は農業が置かれている現状を象徴しています。
 この実態を都市生活者はご存知でしょうか。地方再生の核は農林水産業の振興です。ここにも、言葉とは裏腹の安倍政治が露呈します。農業の危機が言われて久しいのですが、いま、農業は臨終の時期を迎えつつあるように見えます。

 今日は土曜日、サタデースクールがありました。授業が終わって、昇降口でこんなことがありました。ただあったままを短歌にしました。ですから、作者はその女の子です。

     先生と呼ぶ声ありて振り向けば
           ただ呼んでみただけとはにかむ

 ただいま、散歩から帰ってきました。記事を追加します。今度は、次郎君が俳句を作りました。

     秋の日や影も睦みし犬と吾
逆さまの政治
 安倍政権になってから、腹が落ち着かず、めまいもする。当然ながら、生理的な不快感に悩まされている。世が逆さまに立ち動いているからだ。
 五輪招致の際、世界に向かって、原発事故は収束したと宣言した。もしそうなら、福島県民からなすべきではなかったか。同じように、国会に議案を提出する前に、米国議会で安保法成立を約束。極めつけは、いかに憲法を安保法案に合わせるかとの議論が、集団的自衛権行使閣議決定を生んだとの中谷防衛相答弁だ。法案に憲法を合わせるとは、試験に例えれば、自分の答を模範解答に仕立てるごとき不正である。これらに低通している価値観がそもそも逆転していることが疑われる。社会と国家の逆転である。
 我々の生活の実体は社会にある。それが、東日本大震災の時、被災民の行動にしっかり表れたことは記憶に新しい。先に社会ができ、後に国家が形成されたことは歴史的常識である。社会を調整し守るために国家が必要なのであり、社会=目的、国家=手段であることが道理なのだ。政治家はそれぞれの「社会」を背負い、政治を行うものだ。だが、今の政治家からは「社会」が感じられない。政治家から生活が見えてこないのだ。国家が前面出でる。
 この逆転は市民と国家との逆転でもある。そして、それがいつか来た道であると国民は直感したのが今回の反対運動ではなかったか。兵100人の命よりも一機のゼロ戦に価値を置く政治が見えてきた。一億玉砕を命じることが国家の自殺行為であることにさえ気付かない愚を、連想させる「逆さま政治」である。

はっきりした国家主義政権
 安倍首相は改憲論者であり「憲法押し付け論者」である。平和主義をめぐる議論で「押し付け論」は語られるが、基本的人権や国民主権にも及んでいるのではと疑ってきた。
 押し付けが九条だけなら「九条を押し付けられた」となるだろうに、そうではなく「憲法が」である。憲法三大原則すべてが押し付けられたと考えているなら、「民主主義」も押し付けられたと考えていることにならないか。
 ことの始まりは、麻生太郎副総理の「ナチの手口」発言である。今、これは失言ではなく、予告であったことが明らかになった。憲法を棚上げしてよいという法律をナチは作った。まさに今回、安倍政権は似たことをやってのけた。中谷防衛相の「憲法を安保法案に適用させる」がその代表だろう。安保法案が違憲であると自白した瞬間だった。その他、民主国家の根幹を揺るがす答弁発言が飛び交ったことは記憶に新しい。
 安倍首相は「安保法案」が違憲でないというが、それ以前に、中谷防衛相は「憲法の最高法規」を定めた憲法98条に違反した。罷免に値するが、これを許した首相も同類と見なさざるを得ない。立憲主義に価値を置かないなら、民主主義政権ではない。国家主義・全体主義である。
与党議員は非安倍宣言を
 国会審議を通じて、安保法制が国民の生命財産を守ることを第一義としていないことが明らかになりました。
 安倍首相は2004年「アメリカと対等になるには日本の若者も血を流さねばならない」と共著で述べています。集団的自衛権行使で、米国と対等になり、日本も覇権国家の仲間入りすることが安保法制の真の狙いです。その上で、日米安保条約が、覇権国中国・ロシアに対するのです。ならば、戦前の武力による枢軸国と連合国の覇権争いを連想させる時代錯誤です(憲法は武力による解決を禁止)。
 なるほど、これで首相の「戦後レジームからの脱却」の方向がわかります。何度問われても、先の戦争を「侵略戦争」と認めないのは、彼の目指す国家が戦前にあるからです。「反対する新聞社は潰せ」「憲法を法案に適合させる」そして極めつけは「平和主義も基本的人権、国民主権も日本精神を破壊する」発言です。
 これらは日本国憲法の原則を破棄した発言です。ですから、罷免辞職に値しますが、まかり通っています。正常ならざる事態です。自民党議員諸氏はどうなのでしょうか。国民に同じと推測しますが、党内から辞任要求が出てきません。自民党は丸ごと国家主義に改宗してしまったのでしょうか。そうではないでしょう。
 憲法を改正した如何なる国も憲法の柱となる条文をいじっていません。武藤議員をお構いなしにした安倍首相の「美しい国」に憲法三大原則はありません。与党議員は、憲法無視発言を平然と口にする議員に辞職を要求し、良識を示すべきです。議員各位の「非安倍宣言」を期待します。

我が軍発言、誰もとがめず
 憂鬱になります。安倍さんが自衛隊と呼ばずに「我が軍」と国会でよんだということです。軍隊ではないから、九条違反ではないと皆が納得してきたのですが。
 確かに、自民党憲法改正草案には軍隊とすると書いてありますが、これは一政党の草案です。今は日本国憲法が生きています。当然それに従った発言を首相はしなければいけません。彼の頭の中では、すでに、改憲が済んでいるのでしょう。それほど、国民を軽く観ているという証拠ですね。国民の三分の二は九条改憲反対ですから。
 そこでまた、愚痴の一句。


     我が軍が今は憲法侵略す

     子等にこそ国の徳問う評価権

     安全を目指す法制敵つくり
決断力なのか首相の政治力
 メルケル首相は、敗戦後の経験を踏まえ、従軍慰安婦・歴史認識問題に関して、安倍首相に助言しました。これに対し「首脳会談で、歴史に関わるやり取りは一切なかった」と菅官房長官が述べるなど、無視に近い対応をしています。
 しかし、驚くには値しません。同じことが繰り返されているからです。集団的自衛権行使の閣議決定、武器輸出禁止三原則の破棄、翁長沖縄県知事との会談拒否と切がありません。
 ひと頃「決められぬ政治」が問題でした。確かに、首相は決めています。「決断力」があるとの評価もあります。しかし、彼のそれは、議論を厭う、異論への無関心と無視によって可能になる「独断力」ではないでしょうか。現に、麻生氏の「ナチの手口」石破氏の「デモはテロ」西川氏の「分からぬ者には話しても分からない」発言が繰り返されました。
 メルケル首相の助言は単なる助言でしょうか。その体裁をとった警告とも採れます。「大東亜戦争聖戦論」「憲法押し付け論」に固守し、時代を見誤り続けるとの限界が近づいています。

   

     すみれ花月を頼りに身を示す

     控え目な梅の香夜の主役なり


今日はアウシュビッツ開放70年
 70年前の今日、アウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放されたそうです。ここで、100万人のユダヤ人が虐殺されたことを、ドイツはもちろん、欧州各国首脳が集まり、慰霊し、事実を新たにする日です。ドイツはこの責任を今も重く受け止めているのですね。
 しかし、日本の首相は未だ誰一人、南京虐殺記念館に行っていないのです。その責任をようやく認めたのが村山談話です。その談話が8月に書き換えられるというから驚きです。どうみても、責任をはぐらかす内容になるとしか思えません。
 その安倍内閣が好きな言葉が自己責任です。安倍さんは本音の部分では湯川、後藤両氏の拉致を自己責任と思っては居ないでしょうか。そう思えば何ヶ月も拉致を放置していたことが理解できます。日本国民はもちろん、国際社会の知れることになって、放置できなくなって対応しているに過ぎなく見えるのは私の彼への偏見でしょうか。


    『自己責任』国家社会の無責任



    雪の空鬱が溶けゆく硫黄の湯

    蝋梅の枯れ木に馴染む息吹かな
    
安倍政権を憂える
  自民党の憲法改正草案をお読みになったでしょうか。読めば安倍政権の言動理由に納得が行きます。
 現憲法は、制定目的を「自由の恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争が起こることがないよう決意し、主権が国民に存することを宣言する」と表現し「基本的人権」「平和主義」「国民主権」の三原則を最高価値と認めることに淀みがありません。
 しかし、自民党改正案は「国民主権」を言いつつ「天皇を戴く国家」と言い、「平和主義」と言いつつ、不戦を言いません。三原則は言葉以上の力を与えられず、制定目的は「良き伝統と国家の継承」です。
 この違いは何処から来るのか。それを考える手立ては、改正案前文に「理想」が見当たらないことです。現憲法にとって、理想は実現すべきものとして「未来」にあります。理想は三原則です。しかし、改正案が求める理想は「良き伝統と継承されるべき国家」に置き換えられています。つまり「過去」にあるのです。
 では、すでに問題は提出され、解決されて、すべてが調和する理想社会を改正案はどの時代に見出しているのでしょうか。特定は難しいのですが、歴史と伝統の集大成としての明治国家は有力です。それを裏付けるのが「侵略戦争とは言えない」「南京大虐殺は検証が必要だ」「慰安婦に国家は関係していない」発言です。理想である明治憲法国家の過ちは認められないのです。
 国民の多数派は、原発再稼動も秘密保護法、集団的自衛権にも反対です。これを聞かない安倍首相が、民意を聞くためだと、国民が求めもしない総選挙に走りました。これが彼の言う国民主権です。総選挙には、自民党改正草案は現憲法の「改正」ではなく「否定」だとの認識を持って、臨まねばなりません。


安倍政権を憂う その③ 主客逆転の政治経済
 
 安倍首相は「国民の生命と財産を守る」を繰り返しますが、その逆の政治になっていないでしょうか。原発事故後の対応、年金掛け金の株式投資増加等々。「国民を守る」が「国家を守らねば国民を守れない」さらに、「国家を守るためには国民の犠牲もしょうがない」に飛躍しているように思えるのです。
 同じことが経済政策にも言えます。首相は、大企業が儲からねば社会全体が潤わないとする「トリクルダウン理論」を信奉しています。ゆえに、大企業優遇政策を改めません。ここでも「大企業を守らねば、国民を守れない」なのです。
 しかし、この理論が的外れなことはリーマンショック後に、大企業が最高益を出しても全体が潤わなかったことで証明されました。これでは格差は益々拡大します。さらに、行財政改革が忘れられています。もし財政破綻となれば、国民の生命と財産は致命的な打撃を受けるでしょう。国家・大企業を守るためには「国民の犠牲はやむを得ない」政治の変更が求められます。
 安倍首相は成蹊学園で大学まで教育を受けたと聞きます。その創立者中村春二先生は新しい校舎の設計図を見て、教室が北側にあり、校長室や職員室が南側にあるのを知り「逆にしなさい」と指示したと聞きます。主客の逆転に敏感に反応できる優秀な教育者でした。
 教育の目的は生徒の成長です。そして、政治の目的は国民の安定です。しかし、安倍首相は主客逆転に鈍感なままです。これに気付かないならば、破局は近いように思います。破局を先に迎えるのは彼なのか、それとも国民なのか、それが問われる総選挙です。