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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
習近平主席と安倍晋三首相
 習主席の言動から、安倍首相を連想させられることに気付きます。そういうことありませんか。
 習主席に、コロナ発生を昨年から知っていたが隠していたとの疑いがあります。武漢で採取したサンプルを破棄、WHOの緊急事態宣言にも圧力を掛けた疑いも言われています。そして、中国発のコロナを認めずに、WHO 総会で謝罪もしませんでした。
 また、武漢ウイルス研究所の石正麗氏が身の危険を感じて亡命した事件や娘をコロナで失った母親の抗議を弾圧するなど、政権に都合悪いことをなかったことにしようともしています。
 そして思い当たります。これらは、この数年、日本国民が見せつけられてきた数々の安倍首相の不実と類似していることに!森加計事件、南スーダン自衛隊日誌隠蔽、厚労省資料の改ざん、「桜を見る会」検察庁法改定案。そして、「国民を守る」首相が追い込んだ赤木俊夫さんの死、昨年の参議院選挙応援演説への野次を排除したことに無頓着な民主主義者安倍首相というチグハグ・・・・。
 しかし、このチグハグを習近平主席には感じません。なぜなら、中国は共産党独裁政権だからです。このチグハグが私たちの危うい民主主義の今を突き付けています。


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私は三権の長
 「私は立法府の長」に続き「私は司法の長」発言もするだろうと思っていたところ、その通りになりました。今回の検察庁法改定は、政権が検事総長の人事に口を出すのですから。
 武田行革担当相が、検察官も国家公務員なのだから、他の職員と同じように処遇するのが合理的だといった答弁をしました。しかし、これは歴史的経緯を無視した発言です。国家公務員法に加え、あえて、検察庁法を制定したのは、司法が行政府の支配に組み入れられないための智慧です。これは、戦前、行政府が立法・司法権をも、実質、握ってしまったことへの反省が生み出した、同じ過ちを繰り返さないための装置なのです。
 その装置を、安倍首相は強引に外そうと主導しています。しかし、驚くことはありません。なぜなら、首相は「戦後レジュームからの脱却」をスローガンに掲げているからです。つまり、戦前を過ちと思っていなければ、反省の必要もないと信じているのです。この信念が村山・河野談話の見直しを主張させ、憲法に緊急事態条項を盛り込もうとする意欲となって表れているのです。
 そして、戦前への最大の反省から生まれた憲法九条の改定です。最大の反省から生まれたゆえに、九条が最大の敵に見えるのです。しかし、これが彼の最終的な目標ではないことが分かってきました。彼が目指す到着点は「私は三権の長」だったのです。ですから、論理が破綻しているにもかかわらず、検察庁法改定に突っ走るのです。
 安倍首相が政権を投げだすのではとの憶測が飛んでいます。投げ出しても結構なのですが、その理由を健康問題と言わせてはいけません。「私は三権の長」の信念を国民に拒否されたからだと言わせねばなりません。
コロナで得た確信
 「悪とは何か」を考えてきました。難問ゆえ、もがくだけで答えに至りませんでしたが、退職後「善は人と人を結びつけることに、悪は引き離すことに関係している」に行きつきました。
 米中のコロナ危機発生責任をめぐる対立や、ドゥテルテ大統領の「外出禁止に従わなければ射殺してもいい」は発言、ネットに飛び交う誹謗中傷などから「人と人を引き離す言動が悪と関係している」の正しさを思います。一方、世界中の芸能人やスポーツ選手らの言動は「善は人と人を結びつけることに関係している」と確信させてくれるのです。
 もう一つ、コロナが確信させます。安倍政治が「見せ掛け政治」であることです。PCR検査体制が整備されないことに、端的に表れています。安倍首相は2月29日の記者会見で、日に2万件できるようにして、医師が必要と認めれば、PCR検査ができるようにすると述べましたが、今も、死後、感染が判明する事例が続いています。これを追及されると、2万件は実施能力であり、実施数を言ったのではないと閣僚が答弁する始末です。しかも、実施能力も2万に及んでいないのです。
 残念ながら、官邸が森友・加計事件など様々な改ざん隠蔽に関わったことを明白にできないままでいます。しかし、コロナ危機対策が「見せ掛け」であることははっきりしてきました。
 これに連れて、明らかになってきたのが「国民の生命と財産を守るのが私の仕事」という彼の口癖が、そもそも、見せ掛けであると言うことです。でないのなら、無能ということになります。今回のコロナ危機は彼が守ろうとしているのが「国民」ではなく「国家」であると教えています。

コロナ対策提言書を6知事に送る
コロナ対策提言書
2020年4月12日

 突然の申しようで、無礼をお詫びします。が、ただ、無為に座していることに耐えられなくなり、提言などと大それたことに及びました。
 この提案に至った心情をご理解いただくために、新聞投稿した文を下に書き入れました。まずはこれからお読みください。

休業補償費は市民の寄付で
 安倍首相がコロナ感染爆発の危機に際しても動きません。密閉・密集・密接の三密を避けるようにと国民には訴えているのですが、通勤ラッシュを放置し、休業を促す補償にも取り組まないのです。
 安倍首相の見せ掛け、誤魔化し政治を見せ付けられてきましたが、さすがに今回は、実質が伴う行政行動を採るだろうと思っていました。しかし、癖は直らないものです。
 といって、医療崩壊、否、社会崩壊を座して待っているわけにはゆかないのです。社会がどうなっても、自分さえよければよい訳がありません。手を取り、穏やかな街を歩く家族連れの姿と共に、自分の幸せもあるのです。社会の安定あってこその健康健全な生活です、人生です。
 ですから、国が動ないのであれば、市民が休業補償費を負担しようではないかと思うのです。都道府県は、すみやかに、このための口座を設け、市民に広報してほしいと思います。
営業自粛とその補償はセットです。独仏英政府は当たり前のように実施しています。安倍首相の「国民の生命と財産を守るのが私の使命」は国家を守る国防費を積み上げはしても、市民を守るためには作動しないのです。

ドイツのメルケル首相が文化を守るために、その担い手や団体に6兆円の支援をすると決めたという話には心動かされました。ならば、生活支援にはどれ程を拠出しているのかは想像できます。
 それに対して、感染防止や産業維持のための休業補償や生活支援を渋りに渋っているのが安倍首相です。出したくはないが先にあり、仕方ないから、支援するポーズを採っているように見えます。
 日本は、様々な問題を抱えているとはいえ、世界三位の経済大国です。その政府が同胞の窮状を放置するのであれば、経済主体の一つである消費者=市民が腰を上げなければならないだろうと思うのです。もちろん、ここにもう一つの主体である企業を加えてもいい訳です。
 同じ思いの方が大勢いらっしゃると思います。是非、音頭を採っていただきたく存じます。市民の良識を信じてください。ご検討をお願いいたします。


以上です。このアイデアを拡散ししてください。
休業補償は市民の寄付で
 安倍首相がコロナ感染爆発の危機に際しても動きません。密閉・密集・密接の三密を避けるようにと国民には訴えているのですが、通勤ラッシュを放置し、サービス業休業を促す休業補償にも取り組まないのです。
 安倍首相の見せ掛け、誤魔化し政治を見せ付けられてきましたが、さすがに今回は、実質が伴う行政行動を採るだろうと思っていました。しかし、癖は直らないものです。
 といって、医療崩壊、否、社会崩壊を座して待っているわけにはゆかないのです。社会がどうなっても、自分さえよければよい訳がありません。手を取り、穏やかな街を歩く家族連れの姿と共に、自分の幸せもあるのです。社会の安定あってこその健康健全な生活です、人生です。
 ですから、国が動ないのであれば、市民が休業補償費を負担しようではないかと思うのです。都道府県は、すみやかに、このための口座を設け、市民に広報してほしいと思います。
 営業自粛とその補償はセットです。独仏英政府は当たり前のように実施しています。安倍首相の「国民の生命と財産を守るのが私の使命」は国家を守る国防費を積み上げはしても、市民を守るためには作動しないのです。

安倍首相の不実続く
 医学研修生が会食して、コロナウイルスに感染したとの報道がありました。また、ライブハウスで、大声を発し、踊り呆けている映像も記憶に新しいところです。一方、感染者に占める20代から40代の割合が増加とのニュース、事実なのでしょう。
 そこで気付かされます。この二つのニュースが合わせられると、若者が浮かれたままで自粛に協力しないから、感染が拡大しているとの理解に導かれてゆく、そのことです。しかし、ここには、彼らが働き手の中心であり、満員電車の主人公である事実の見落としがあります。
 国は感染拡大防止のため、人との接触の8割を減らすこと、密閉・密集・密接の三蜜を避けることを求めています。ならば、通勤ラッシュを解消すべきターゲットにしないのは矛盾です。20代から40代の感染者の増加の原因がここにあると見るのが見識です。
 多くの国民はこのことに気付いています。しかし、政府は真の感染拡大防止策から目をそらさせる。そして、感染爆発防止の実効を、浮かれを正す自粛の徹底に求める。だから、通勤ラッシュの解消も、解消に伴う休業補償費の準備も不十分なままでいる。
 一方で、108兆円の経済対策費は、過去に例がないと強調するのです。しかし、他人頼みの融資資金が中心であり、政府の直接拠出を膨らませた、見せ掛けの、不実な数字です。国民を窮状から救うために効力ある身銭を切る気はないのです。
 実質的効果を生む政策を打てない安倍政権がコロナでも「機能」しています。実質を伴わない見せ掛けは国民に通用しても、ウイルスには効きません。国民もこれ以上、聞く耳を持たないしょう。
見せ掛けが危機を生んだ

 2月25日、政府はコロナウイルス対策基本方針を、専門家委員会は見解を公表しました。曰く「ここ二週間が急速な拡大か終息かの瀬戸際だ」そして、近距離での接触を避けるように要請しました。
 しかし、これは自明のことです。しかも、重症患者を守るとの理由から、軽症者には自宅待機を求めるに及んでは呆れるしかないのです。「目出度く重症化すれば治療が受けられます」と言っているに等しいからです。
 連日、臨床医たちが「早期発見、早期治療は医療の鉄則」と述べています。これも1+1=2と言っているようなもので、国民的合意に属します。医師たちがこの不要な説明をせざるを得ないように追い込んでいるのが政府なのです。
 なぜ、主治医にウイルス検査をさせないのでしょうか。政府はそれを保健所などの無理解と責任を押し付けます。民間検査会社を加えれば、日に万単位の検査が可能と聞きます。政府が保険適用を宣言すれば、検査解禁と理解し、医師は必要に応じ、検査をするでしょう。なぜ、これをしないのか、多くの国民がイライラしています(27日午後、保険適用に動くとの情報が入りました)
 これほど自明なことを政府が実行しないとすれば、考えられるのは感染の拡大事実を白日の下にしたくないからと思わざるを得ません。もし、中国と変わらない感染拡大が分かれば、オリンピック開催が危ぶまれるからです。
 夏の東京は温暖と説明して、マラソンも心配ないと見せ掛けたその挙句の札幌への変更という失態から何も学んでいないのです。というか、他にも多くを見せ掛けしてきた、その癖が思わず出てしまった結果のコロナ危機と言った方が正確でしょう。

川柳集「追従で国を損なう安保ン丹」出版できそうです
 上記川柳集の出版をあけび書房さんに打診したところ、前回と同じように共同出版ということで決定しました。安倍政権に引導を渡したいとの思いからです。なかなかそうはいかないものなのですが、座して何もしないこともできず、動いてしまいました。
 確かにそうなのですが、それだけではありません。教師という仕事は成果が見えないし、成果を得ようと動く仕事ではありません。ゆえに、目に見える形で成果を求める気持ちが膨らむだけ膨らんでいるわけです。このふくらみが本を出版したいとの気持ちの裏にあります。さらに、売れればいいのですがね。
萩生田文科大臣自ら辞任を!!
 受験生は勿論、保護者や学校関係者、何百万人に不安と混乱、損害を与えてた萩生田大臣は辞任すべきです。しなければ、罷免しなければいけません。
 身の丈発言があったから、これで済んだ。だからよかったなどとピントがずれたコメントをしている政府より政治評論家がいますが、彼も同罪ですね。
 確かに、試験を実施していたらとんでもない結果になるはずです。欠陥だらけの政策ですからならば、。それを承知で実施しようとした責任を評論家が指摘しないで、誰のための、何のための評論ですか。
 安倍政権の驕りが招いた結果もです。反対する、批判する者の声に端から、耳を貸す気がない政権の末路が見えてきました。
川柳集「追従で国を損なう安保ン丹」完成する
  今日、完成しました。出版していただける出版社を捜すのですが、まずは、あけび書房さんに声を掛けようと思います。どこも出版できないと言われたら、自費出版ということになります。話が進んだら、ご報告します。
 明日は父の「二十年祭」です。神道の死後二十年後に行う法事です。姉弟とその家族だけで行うことにしましたが、残念ながら、上の姉夫婦と甥の健史との4人になってしまいました。
 下の姉は娘たちが温泉旅行を11月3日にプレゼントしたいと申し出たそうです。彼らの都合がいい日はここしかなかったのでしょう。姪たちの親孝行を邪魔することは本意ではありません。弟は嫁さんが職場の階段で足をひねってしまい、ようやく歩いているとのこと。なのに、管理職は適切な対応をしないもので、無理に出勤して悪化してしまったというのです。何ともお粗末な管理職です。ちなみによめさんは小学校教諭です。全国的に最も過酷な職場の一つです。
 ということで、4人で法事に参加します。これが終わるとほどなく、年賀状のことを考えなばいけませんね。また一年が終わってしまいます。2020年は迎えたくない年です。良いことを予想することが出来ません。
母校校友会誌、自書を紹介
 母校校友会誌が「語り継ぐ戦争と民主主義」を紹介してくれました。有難いことです。その紹介文をそのまま記します。


 父の死に挨拶でないありがとう
            初めて放つ己に気付く

 本書は、「語り継ぐ父の戦争体験」と「語り継ぐ私の民主主義体験」の二部構成から成り、社会科教師だった著者が父親の死から人生の大きな影響を受けて著述したものである。第一部では、時代の流れの中で父親がどのように戦争を生きたかを、二部では「助け合わなくなった」社会と「民主主義の衰退」の推察と批判を展開している。
 著者の根底にあるのは、人間らしく生きにくくなっているのは「実質を求めない見せ掛けが政治や社会を形作っている」との思いであり、これらが「社会的強者からも弱者からも尊厳を奪っている」との確信である。
 民主主義の危機が叫ばれて久しいが、民主主義は何もしなければ形骸化する。言葉だけの民主主義はもう要らない=今の私たちがするべきことは何か!!と訴える著者は、父の戦争体験と憲法に則して、現在、さまざまな現場で起こっている過誤しがちな事案を摘出し考察する。貴重な一冊である。


 この文は校友会広報委員会に属する73期同期の針谷 修君の文章と思われます。有難いことです。感謝いたします!!
民主主義の本義
 小学校の学級会の時に、いつも不安なことがありました。それは「多数決が原則だが、少数意見も尊重しないといけない」という矛盾への戸惑いです。
 後に、少数意見の尊重とは「現在の多数派が、将来、少数派が多数派になる道を保障すること」と知りました。これで、上の矛盾は解消されましたが「決定の仕方だけが民主主義なのか」との疑問は残りました。「民主主義は手続きがすべてだ」というのですが、どうなのでしょうか。
今、多数決ばかりを強調する風潮の中、「多数は力」が「多数は正義」へと変貌しています。ですから、野党との論議は軽視され、国会から市民を代表する機能が失われています。自己責任論を言う強者を代表する政権が「正義」の名の下、独裁するのです。「民主」とは市民が主人公という意味です。これを裏書きするのが基本的人権であり、人権を奪う天才である戦争を放棄する平和主義へとつながります。人権が民主主義の思想なのです。
 こう考えると、近年の息苦しさの原因が見えてきます。自民党や日本会議国会議員懇談会関係等の会合では、彼らの本音が飛び交います。例えば、稲田朋美元防衛大臣「国民の生活が大事なんて言う政治は間違っていると思うんです」「日本だけが道義大国になる資格がある」長勢甚遠元法務大臣「基本的人権・国民主権・平和主義を堅持するという党憲法改正草案に不満だ」立派な右翼思想です。
 安倍一強に従っていたら、市民が政治の前提としている民主主義が壊されてゆく。ならば、多数決は手続きに過ぎず、民主主義の本義は人権にあると確認し合おうと思うのです。が、すでに私達は他国に先駆けて、右翼政権の支配下にあります。

沖縄慰霊の日
 6月23日、今日は沖縄慰霊の日です。1945年6月23日、沖縄派遣軍司令官牛島満中将が自決して、日本軍の組織的戦闘が終わった日です。74年が経ちました。
 ここ数年、この日を陰鬱な気分で迎えています。皆さんが生きることが出来なかった戦後を生きた自分たちが、再び戦前にしてしまいそうだからです。そんな報告を20万人の犠牲者に報告しなければいけないからです。
 過去の不都合な真実を直視せず、無かったことにしようとする勢力が目立った行動をしだしています。それが主流になってしまう世相をこれでもかと見せつけられ、私たちは同じ破滅へと引きずり込まれる恐怖の中にいます。森友、加計をめぐる隠蔽改ざん。南スーダン自衛隊日誌もありました。この財務省防衛省に加え、厚生省も文科省も同じ病の中にいます。そして今回の金融庁。それを束ねる官邸が不意都合な事実と向き合わない中心にいます。
 起きている事実をもとにしない政治が機能するはずがないのです。行きつく先は破滅ではないでしょうか。梅雨空が陰鬱を深めます。沖縄は今日、大雨の予報が出ています。
船橋ヒロさんのコメントを開いてください
 最近のコメント、船橋ヒロさんのコメントを開いてください。驚かされます。これが安倍政権の本音なのか、裸の姿か、驚くと言うより体が震えます。是非ご覧を!!これを観ても安倍政権を支持されるなら、あなたは立派な国家主義者です。
「語り継ぐ戦争と民主主義』店頭販売も始まりました
 
 この度、あけび書房から「語り継ぐ戦争と民主主義」を出版いたしました。全国の書店、アマゾン、あけび書房から注文取り寄せができます。6月7日より、東京の主だった書店と匝瑳市八日市場の多田屋さんで店頭販売も始まりました。お買い求め願えれば幸いです。

 大分前から、憲法が蔑ろにされているとの思いを持って居りました。そんな中、2013年7月、麻生太郎副総理の「ナチスの手口に真似たら」発言が飛び出るに及び「憲法を生かす匝瑳九条の会」を仲間と立ち上げました。
 以来、憲法講演会、市議会への陳情(特定機密法、集団的自衛権、ヘイトスピーチ、安保関連法に関して、政府に向けた意見書の提出を求める)「戦争に行かないぞ宣言」戦争に行かないぞバッジの販売、3000万人署名、東京新聞に意見広告掲載など、様々な活動をしてまいりましたが、安保関連法に関する「慎重な審議を求める意見書」が匝瑳市議会で採択された以外、成果乏しいまま安保関連法を成立させてしまいました。正直、気力を失いました。そんな思いに悶々としている中、思い至ったのが本書の出版です。
 根底を貫く思いは「助け合わなくなったこと」と「民主主義の衰退」に関係があるとの推察です。次に、実質を求めない「見せ掛け」が政治や社会を形作っているとの批判です。そして、これらが社会的強者からも弱者からも尊厳を奪っているとの確信です。
 第一部「語り継ぐ父の戦争体験」では、父がどのように戦争を生きたのかを、時代の動きと関連させるように工夫したつもりです。第二部では、上の推察・批判・確信を展開させました。全編を通じて、「すべての人が人間らしく生きられるようにすることが文化の目的ですよ。人の不幸を自分の不幸にしてしまうことが人間の尊厳ですよ。そして、これを奪う天才が戦争ですよ」と言わせていただきました。

 私の人間や社会への見方が正しいかどうかは分かりません。しかし、このような見方もあるのだということを一人でも多くの方に知られることを、今は願うのみです。お知り合いに、ご紹介していただければ幸いです。
知人友人に本の予約を依頼(文)
 薫風薫る5月です。愛犬と庭でモーツワルト、ポール・モーリア、シルビーバルタンなど、ジャンルがバラバラですが、薫風の中聴いております。至福の時です。

 さて、この度、あけび書房より「語り継ぐ戦争と民主主義」という本を刊行することになりました。是非、読んでいただきたくお知らせさせていただきます。
販売は6月7日より、主だった書店では手に取って購入できますし、全国の書店より注文できます。また、アマゾンからも注文できます。「八角宗林」か「語り継ぐ戦争と民主主義」で検索してください。一番上に現れると思います。5月19日現在、すでに、先行予約できます。
 また、お読みになって、人様にお奨めできるものと判断されたなら、是非、紹介していただければ有難いです。さらに、所属する団体・組織の機関誌・広報誌に本を紹介していただければ望外の喜びです。
 本を世に出そうと思ったのは安倍政権への不安と怒りです。これだけめちゃくちゃなことをしているのに、安倍政権批判の論調は主流になりません。そこに不自然さを感じたことが始まりです。もっと安倍政権に対して、本音を言っていいのではないでしょうか。そんな思いで、書き上げました。本の概要はアマゾンの該当部分を開けばお読みになれます。検索してください。
 6月までに発行していただいたのは、参院選を意識してのことです。私ごときが書いた本がどれだけの影響力を持つかは疑問です。しかし、かといって、座して手をこまねいていることが出来なかったのです。今、私の座右の銘は「成功の対義語は失敗ではない。何もしないことだ」です。この言葉に従うことで、刊行にまで、持ち込めました。思い立ってから11ケ月かかりました。
 皆さんご存知のように、私はごく普通の市民です。極左でも、新左翼でも左翼でさえはありません。強いて言えば自由主義者です。日本国憲法が示す民主主義が私の思想と言えば思想です。ということは日本人の大多数と同じです。それを九条の会の活動をしていると言うだけで極左だの、偏向だとして、危険人物にされています。このことの方が危険です。この危険な動きにストップをかけたいがための出版です。一人でも多くの方が読まれることを期待して、お願いしています。よろしくお願いします。思いつめた雰囲気で申し訳ありませんね。つい興奮してしまいました。

2019年5月19日
                                                         八 角  宗 林


      戦争を知らない子から恐れぬ子

      改憲に結束するもポスト安倍

      ベトナムの反省何処へ星条旗
本のカバーが出来ました!!
『語り継ぐ~』書影帯付き 1285kb
 本のカバーが出来上がりました。プロの方の力は、すごいですね。最初は父の写真をと思っていたのですが、これの方があか抜けていますね。問題は本の中身です。皆さんが読むに値するものと思われるかどうかが心配です。
入国管理法改定案衆議院通過
 与党にすれば、予定通り、入管法改定案が衆議院を通過しました。これをみて、安倍首相が「私は立法の最高責任者」と発言し、訂正しながらも、繰り返している理由がわかります。彼は本心から総理大臣が立法府の長であると認識しているからです。 衆参両議長が抗議しないことに抗議したくなります。
 私たちは大袈裟ではなく、等身大の民主主義の危機の中にあります。それを感受できないほどに想像力を失い民主主義の精神を見失っているのです。1960(昭和35)年、労働者や学生市民の30万人が国会を包囲したことが嘘のようです。
 確かに、現在はあわただしい生活です。それは当時も同じだったはずです。では何が違うのでしょうか。それは当時は貧しく、今は豊かであるということです。当時まだ、国民の多数派は経済成長の恩恵を受けておらずに、貧しいままでした。その貧しさから抜け出すぞとの思いは民主主義や平和の確実性を高めることで実現できると信じさせていました。言い換えれば、貧しさと闘う思想が民主主義や平和主義であったのです。
 ですから、一度豊かさを手に入れるや人々は思想を捨てたのではないでしょうか。そうと思うことが自然と感じさせる今の市民の政治への反応です。さらに驚くことは、支配されている市民が支配者の立場から物を言い出していることです。そのことと、財界目線の安倍内閣支持率の高さは無縁ではないと思います。豊かになったことが政治への関心を下げ、豊かになったことが支配者気分で生活できるようにしているのです。この錯覚に気付かない限り、民主主義の復活はありません。

帰ってまいりました!
 一年間のご無沙汰でございました。3日、甥がやってきまして、管理者ページに入れるように直してくれました。嬉しいような、また始めるか、何とも複雑な気分になりました。
 7月から本を出そうと、文章つくりや直しに精を出しておりました。昨日、完成しましたので、ブログに復帰いたしたく、管理者ページを開きました。では早速575を!!

  
     「専守防衛」説明せずに身を守る

     丁寧に女性渇役放るまま

     著書よりも五月の名売る出版社?

     丁寧に説明しない丁寧に



     黄金色田の赤とんぼ彩失せり
仁義なき戦い永田町編
 「知事に専念する」と都民ファ―ストの会代表を辞任した小池都知事が国政政党「希望の党」と立ち上げ、代表に就任しました。賛否両論ある中「情勢判断力など、その手腕を評価する点では一致しています。そうでしょうか。
 次の焦点は、都知事を辞任して、総選挙に打って出るかだと思っていたら「民進党、希望の党と合流」とのニュースが。「保身解散」の次は「保身合流」か。前原代表は「政権交代のためなら、なんでもする」と言い放ちました。しかし、安倍政権の何が問題の倒閣なのかが語られません。「保身合流」と呼ぶ所以です。
 生き残るために、「国民のため」という職業倫理をかなぐり捨てた、政治原則をも見失った、おぞましい狂気の中を蠢き合っている永田町住民です。これを見せ付けて、国民を絶望させて置きながら「希望」を語る厚かましさに卒倒しそうです。「仁義なき戦い永田町編」が開幕しました。
 チャップリンは「殺人狂時代」の中で「一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ」と戦争の矛盾を指摘しました。戦場では、人の度肝を抜く蛮行が称賛されます。都知事に専念するはずの小池氏が国政に打って出ることは職業倫理を失った蛮行です。これを「政治手腕に優れる」「度胸がある」と評価するなら、チャップリンの批判が当てはまります。
 憲法にさえ従わない、原理無視の政治が展開されてきました。その成れの果てが今回の醜態です。(国会議員の)権威は「国民に由来し、その権力は国民の代表が行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理である」日本国憲法前文の一節です。

どう呼ぶかは認識を表します
 昔、相手によって、呼び方を変える教頭が居ました。先輩のうるさ型の職員には「~先生」中堅職員は「~さん」若手は「~君」そして、管理職を目指す職員には呼び捨てでした。
 流石に不快ですから「~さん」で統一してほしいと伝えると、これに気付いていませんでした。彼の認識が、無意識にそのまま、呼び名に表れていたのです。
 「ロケットマン」に「老いぼれ犬」一国のリーダーがこのように呼び合っています。これは無意識ではなく意識的です。人格を疑わせるような言動は不愉快であり、尊敬されません。
 一方で、戦争回避のため、対話の道を求めてもいることが認められます。ならば、まずは「トランプ大統領閣下」「金委員長殿」と呼び合ってはいかがでしょうか。アベ首相、アソウ財務相、心の中で「ヒトラー総統殿下」と呼んでいませんか。

解散権も新解釈(私たちは何を勘違いしてきたのか)
 憲法に、解散は「内閣の助言と承認により、国民のために」天皇が行うとあります。内閣総理大臣個人の専権事項ではありません。
 そもそも、解散は重要議案をめぐり与野党の意見が対立し、国会が膠着、混迷した場合に、主権者である国民に問うための制度です。ですから、議論の過程で解散理由が見えてくるものです。
 それを変えたのは、小泉内閣の郵政解散です。これは与野党の対立より、むしろ、自民党内対立が解散の理由でした。この時「解散は総理大臣の専権事項」が強調されました。公認しないことで、党内反対派を押さつける作戦は「専権事項」でないとできなかったからです。
 ここに、首相の個人的な問題(党議員が従わない)解決のために、解散権を使って憚らない、今までとは違う総理大臣が現れました。安倍解散と似た例は小泉内閣に、すでにあったのです。今回、臨時国会冒頭解散ですから、対立といえば「森友・加計問題隠す、暴く対立」しかなく、これ以外に解散理由が見つかりません。解散権を「首相の保身のために使ってよい」との、更なる新解釈です。
 「戦後レジュームからの脱却」が首相の信条、これを聞き流してきた国民です。その結果、見えてきたのは戦争悲劇の現実味。世界の常識から孤立しているのは金正恩委員長だけではなく、トランプ大統領も、それを励ます安倍首相も同じです。首相が成してきた幾つもの新解釈は「戦後レジュームからの脱却」(戦前回帰)そのものです。戦後が戦前になるのか。私たちは何を勘違いしてきたのか、考える総選挙前です。
二郎を愛でる
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 愚かな、恥ることを忘れた世の中を見せつけられる自分に、希望を忘れるなと言ってくっるのが次郎です。確かに、最後まで、人を信じることは大切であり、信じるに値する場合が多いのも事実です。そこに押しとどめてくれるのが次郎です。願望を事実と見誤ることがないように、これが今の日本人に必要な姿勢だと思う日々です。
 次郎は犬を生き切っているという点で、人間よりも人間的です。私たちは人間を生きることを放棄しようとしているように見えます。便利さを求めるあまり、文化を捨て去って、貧しさの中に甘んじています。便利さを金で買って、豊かさを見失っています。

  欲しがれば俺より金が偉くなる

 金で済ます生活を便利と考えるから、金が欲しくなり、金に支配されます。労力を使わずに、金力に頼るから太ります、メタボになります。だから、スポーツジムだジョギングだ。ならば、生活の中で、身体を使えばいいものを。そうすれば、金も要らずに、メタボから身を守れます。
 コンビニエンスストアー、まさに、これが現在の病理を言い当てています。便利便利と、それを突き詰めていけば、寝たきりで、すべてがこと済む時代が来るでしょう。だって、それを理想とするのがこの便利社会ですから。寝たきりは病状ではなく、健康を言い表す言葉に変わる。でも、その健康は健全ではないですね。
 次郎は、今日も、飼い主を愛し、走ること遊ぶこと、においをかぐこと、そして、会話を求めます。

   今流行る社交嫌いの絆好き

 災害の時に、絆が大切だと言い、絆に結ばれた被災地に涙しながら、実は、日々の近所づきあいを厭わしく思っている、そんな日本の現実を見せつけられる日々です。助け合いの地域を作る必要を強く感じるようになりました。






もてなし精神外交に活かす
 そもそも、もてなしは宣言して行うものではありません。「もてなします」との表明をせずに尽くす心遣いが、もてなしです。この心遣いは、相手の身になり、立場を慮って行う心配りです。これを様式美の文化にまで高め、ものづくり技術に込めてきたのが我々の伝統です。
 しかし、政府は「おもてなし」の押し売りをするような五輪招致運動を展開しました。政府の「おもてなし」の本物度を疑わざるを得ませんでした。その不安が北朝鮮外交に現れています。「なぜ核ミサイル開発を止めないのか」そこに思いを寄せることこそ、もてなし精神の真骨頂ですが、圧力を掛ける一辺倒です。
 米国は、朝鮮戦争で核兵器使用を排除しませんでしたし、武力介入による内政干渉を世界で繰り返してきました。脅かさずとも、米国は己の存在そのものが威嚇であると気付くべきです。しかし、金委委員長の斬首計画を隠そうともしません。
 一方、自身への北朝鮮の脅威には敏感です。東海岸に及ぶICBMが脅威だと言いますが、自身のそれがそれ以上に相手の脅威であることに思いがいたりません。混迷は深まるばかりです。
 その中、我が国も米国追従を改めません。相手が変わって欲しい時は、自分から変わるものです。なぜここで、もてなし精神を外交安全保障にも活かす姿勢を示さないのでしょうか。もちろん、それだけで解決はしません。しかし、解決への糸口を見出すことはできると思うのです。もてなし精神という、日本人にとって最も大切な道徳が世界の安全平和に生かされることを願います。

繰り返すナチス失言なぜなのか
 麻生太郎副総理財務大臣のナチス関連失言が終わりません。以前に申し上げたように、憲法を生かす匝瑳九条の会を仲間と立ち上げた切っ掛けが「ナチの手口に真似たらどうか」でした。驚きました。まずは、世界の常識からは考えられない発言であることです。そして、これが本音なら、恐ろしい政治が待っているということ。残念ながら、予想は当たってしまいました。本音だったのです。
 そうなら、今回の失言も本音です。ナチスの政治動機を正しいと理解していることになります。その動機を彼がどう認識しているかが問われます。アーリア人優秀説、劣った人種は抹殺することが摂理であるがそれなら、中国・朝鮮に対する侵略を正当化できる政治家と言うことになります。これ、自民党議員の言動を見ていると、そう間違った推察ではないような気がします。恐ろしさは続きます。

     三度目の失言次はもうナチス
憲法論議の底上げを
 もし「漢字は押し付けられたから、使用を止める」となったら、どうでしょうか。「漢字はすでに、日本の文化だ」と国民は反対するでしょう。
 しかし、この漢字禁止論と似た主張をする人たちがいます。「憲法押し付け改憲論者」です。アメリカに押し付けられた憲法だから、自主憲法を作ろうというのです。自民党憲法改正草案を読むと、基本的人権や国民主権にも手を加えたい本音が出ていますが、特に、九条を問題視しています。
 漢字は中国人が作ったから使わないとは思慮欠き、幼稚です。改憲議論は、誰が創ったかが問題なのではなく、その理念と運用が議論の対象です。押し付け論は、思考を不要にし、むしろ、改憲論議を妨害しています。さらに近年、時の首相幣原喜重郎が九条を求め、マッカーサ―が感激して、自身の草案に入れた事実が確認されてもいます。
 もう一つ、止めて欲しい論議は「九条が現実と合わなくなった論」です。これを言うなら、九条は制定当時から、現実と合っていませんし、現実と合わないから理想なのです。日本国憲法は、九条以外に、生存権の保障や男女平等などの理想も掲げ、政府はこの理想実現努力を続けています。なぜ、九条理想だけを変えるというのでしょうか。
 理想を下ろせという者にとって、すでに、理想と現実は一致しているのです。ですから、理想は彼らの理想=現実を壊す危険な思想となります。戦力・戦争の放棄(世界から戦争を無くす理想)を国是と再確認した上で、自衛隊をどう位置づけるのか、国際協力の在り方をどう理念づけるのか、それが憲法議論(改憲不要論も含めて)の本体です。

日報隠蔽事件の本質はどこに
 PKO派遣隊の「戦闘」を明記した日報が陸上自衛隊にもあったことを隠蔽すると決めた事件、この本質はどこにあるのでしょうか。
 防衛省事務次官と陸自幕僚長の二人が防衛大臣に報告したことは事実でしょう。二人は隠蔽の承諾を得て、責任を大臣に向けることを意識したはずです。注目すべきはその時に、防衛大臣が「無言」だったということです。無言の理由は二つ考えられます。
 一つは、防衛大臣が判断できなかったゆえの無言です。その際、大臣を毛嫌いする二人ですから、無言を了承と理解し、判断を置き去り、早々に立ち去った。もう一つは、二人が無言を了承と理解したのは正しかったのですが、大臣は心の中で「でも、私は聞かなかったことにしておいて」との但し書きを付けていたとは思い至らなかったというものです。
 前者の場合、大臣の「了解していません」発言は正しいことになります。後者の場合、大臣の心の中では、聞いていないことになっています。どちらに転んでも「辞めるのはあなたたちだけ」が大臣の認識です。ここで、双方に欠如しているのは「腹を割って話し合う」誠実な人間関係です。本心と事実を語り合い、正しさを導く「人間」という生き方です。
 辞任を決めて防衛省を出る時や、辞任式での稲田氏の笑顔が気になりました。日報を隠し、戦闘を衝突と捻じ曲げて、自衛隊に、集団的自衛権の一部、駆け付け警護任務を命じたという達成感がさせた笑顔とみました。日報隠蔽事件の本質はこの笑顔にあります。事実を捻じ曲げることで、目的を達成し、使命を果たしたと誇る不気味な反人間性、上の欠如を国民との関係にも向ける不誠実な反社会性です。
今週は次郎と二人
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 次郎君は未だに甘えん坊です。三歳8か月、大型犬に属しますので13歳か14歳ぐらいが寿命と思われます。あと十年、私は75歳になります。最低そこまでは生きなければなりません。
 2003年の笑点の再放送を見ました。今から14年前、この間一番老けられたのはやはり、歌丸さんです。65歳の歌丸さんは大変お若いのです。現在のお姿と比べると14年が重く感じられます。65歳からの老い方は急激なんですね。それを思い知りました。何とか、今流行りのアンチエイジングに成功して、75歳を元気に迎えたいと思った次第です。次郎に、ハチ公の思いをさせないためにもです。





危ない「決めたい政治」
 加計へと、あみだの道に線を付け足したのではとの疑惑。首相は「獣医学部全国展開」発言で「自首」してしまったことに気が付きません。
 そもそも、事件は、獣医校新設を無理やり、経済特区に組み入れることから始まっています。「自分が決めれば、その通りに動かせる政治」を目指してきた、その間違いが今回の事件の原因です。
 首相は、民主党の「決められない政治」を批判して「決められる政治」を自負しています。しかし、実態は数に物言わせる「決めたい政治」を展開してきたのです。特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、質問に答えず「本心」を隠し、議論を空中分解させ続けています。国会審議が邪魔なのです。
 ですから、選挙に勝った者(自分のこと)が内閣を組織し、与党が委員会を端折って議場採決するのが理想です。これを突き詰めると選挙(中)だけが議論の場で、国会は不要になります。多数政党党首には行政最高権に加え、立法最高権も付いてくるのです。これを首相は、かつて「私は立法の最高責任者」と表現しました。口が直接、直腸に繋がっているようなものですから、消化不良は避けられません。ちなみに、首相が行政権に加え、立法権も握ることを独裁と言います。
 麻生副総理の「ナチスの手口に真似たら」発言は4年前のことです。これが冗談ではなかったのです。「戦後レジームからの脱却」は教育基本法改定から始まり、憲法改定で完成です。それは戦後否定した戦前国家体制の再稼働を意味します。これが隠し続けてきた「本心」です。「決められない政治」は未熟なだけですが「決めたい政治」は危険です。

狡は狡を許さない醜悪
 6月21日、籠池さんが安倍首相私邸に押し掛けました。その用件を聞いて、驚きましたが、なるほどとも思いました。
 問題人物は自分が「己に甘く人に厳しい」ことに気付きません。籠池さんは偽りの書類を作り補助金をだまし取った狡い方です。普通なら、もう表舞台に立とうとはしません。しかし、彼は安倍首相から受け取った100万円を返しに向かったのです。
 自分の悪事を棚に上げて、人の悪を叩きます。なるほど「狡は狡を許さない」のです。両者を追及するヒーローが加われば、立派な映画になります。この映画、安倍籠池同レベルの泥試合です。悪が悪を裁く醜悪を見せつけられる市民です。
 私たちは、東日本大震災の時、平常を失わず支え合い、世界の称賛を浴びました。邪悪な雑菌を、皆が持つ妙薬を振りかけて消毒できるはずです。成熟市民社会が醜悪強権政治を始末する時です。


 先日の記事を推敲して、400字以内にして、毎日新聞「みんなの広場」に投稿しました。また、新聞投稿始めることにしました。
記者もソンタクしていた安倍会見
 6月19日安倍首相の記者会見がありました。反省をしきりに口にしますが、反省からどう変わるのか、何を行動に移すのかが語られませんでした。
 もしこれが高校なら、停学解除はされないでしょう。喫煙で停学ならば「煙草止めます」と言わずに解除されるでしょうか。説明が不十分だったとの反省ですから、閉会中審議を明言しなければ、口先だけの反省と見なされても仕方ありません。
「野党の印象操作に惑わされて冷静さを失ってしまった」との発言。人のせいにしている内は反省が成っていないとの理解がありません。高校でも言い訳をしている間は停学解除しないはずです。
 期待がなかった分失望しなかったのですが、驚いたのは記者たちの姿勢でした。国民が気を揉んでいるのは共謀罪の曖昧さであり、その本当の目的です。ここは喧嘩腰になってでも、共謀罪、森友加計問題の徹底究明を問わねばなりません。「閉会中ですが証人喚問を含めた対応をしたい」ぐらいは、引き出してしかるべきです。それが権力を監視する、マスコミの矜持というものです。しかしそんな様子は全くなく、内閣改造はどうだ、経済がどうだ、いま政治への信頼が失われようとしているのです。政策以前の根本土台が失われようとしているのに、北方領土問題も頓珍漢です。
 役人だけではく、マスコミもソンタクしているのではないかと思わされる場面でした。組織犯罪処罰法改定により、国民もソンタクを強いられるかもしれないのです。民主主義の危機と感じ取る想像力に欠けます。いい仕事をしていただきたい。

田崎史郎氏は評論家?
 今日の、TBS「ひるおび」に評論家として出演した田崎史郎氏には呆れてしまいました。以前から「おかしいな。この人時事通信のお偉方、つまり、ジャーナリストで、評論家を自称しているのに、らしくないなあ」とは思っていました。しかし、今日の発言は露骨に、彼の役割を暴露してしまっていました。
 つまり、彼は評論活動をしているのではなく、政府の代弁活動をしているということです。御用ジャーナリストと言う言葉が以前からありますが、彼は典型的なそれです。そう確信させられました。ジャーナリストの仕事は権力の監視ですが、逆に、正当化しようとしているのには驚きました。
 彼が、権力の立場に立って、考え、発言するスタンスをとる評論家ならそれもいいでしょう。ならば、前文科省次官の前川氏の証言をどう扱うのが妥当でしょうか。前次官が「行政をゆがめられた」と発言したのです。「首相を侮辱した」籠池氏を証人喚問で「懲らしめた」(懲らしめることを証人喚問の目的にするのはおかしいのだが)ように、政府自民党は率先して、証人喚問を提案すべきだと発言するのが、まともな権力側に立つ評論家です。
 しかし、彼は証人喚問に関して、政府と同じことを言うのです。ゆえに、評論ではなく、彼は政府の代弁をしていると言わざるを得ないのです。私、TBSに抗議の電話をリアルタイム入れました。しかし、話し中です。10回はかけたでしょうが、駄目でした。これ、同じ抗議の電話ではないでしょうか。結果、次郎君との遊びが終わった、3時過ぎにようやく通じました。まだ、電話が続いていると思い、最小限のことを言い、30秒?ほどで切りました。
 
「生活保護」を「生活保険」と呼んでみる
 ある会合で、生活保護について話し合うことがありました。そこで気付かされたのは、用語としての「生活保護」が土人保護法の「保護」と同じ意味合いではないかという問題です。
 保護には「助けてやる」との上から目線を感じます。余裕と意欲を失えば、保護を止める意志を隠し持っています。ならば、生きる権利の保障に反します。また、保護が自主・自立・自尊を傷つけるという風や、差別意識も根強くあります。
 ならば「保護」ではなく「保険」にしたらという工夫です。「施し」という認識を完全払拭し「助け合い」という理解を社会化すること、後ろめたさを感ぜずに、生きる権利を行使できる土壌作りが目的です。
 こう申すのは、権利主張は「身勝手」「恥知らず」だと捉える風潮が急激に、
強まっていると感じるからです。人権は「力」です。「国家権力」と釣り合うよう、天理が庶民に認めた「力」です。政府もこの再確認を。


風評被害・自主避難者という架空
 「風評被害」は国民の無知が原因なので、原発被害ではないとの政府見解に疑問を持ち続けています。
 世間で、責任を取るとは事故以前の状態に戻す(それが不可能なら補償する)ことです。ですから、市民は原発事故以前の「自然界の数値」を安全基準の目安にします。しかし事故後、政府は科学という名の「人為的数値」を下に、大幅な基準緩和をしたのです。加害者が、加害判断基準を決めたのです。その上で、その基準を疑い受け入れない者が引き起こす「風評被害」は原発被害ではないから責任は取らないというのです。社会では通用しない理屈です。
 同じことが「自主避難者」問題にも見られます。避難解除した段階で避難者ではないのに、勝手に、従わず帰らない「自主避難者」だから、支援は必要ないという論理です。「自主避難者」は、帰れないという現実を捨象することで、人為的に創作された架空と言わざるを得ません。
 今村復興相の「勝手な判断をするのだから、その結果は自己責任だ」発言は、罷免しないところを見ると、政府の公式見解です。ならば、復興庁はいらないのです。目の前に起きた現実をどう受け止め対処するかは人ぞれぞれです。これを踏まえた上で、各人に必要な支援を組み立ててゆくのが復興庁の仕事、責任のはずです。その責任を今村復興大臣は放棄し、自らの存在を否定したのです。
 「自主」を身勝手わがまま抵抗と捉える、無いものを有るように有るものを無いように見せ掛ける安倍政権の性癖がここにも、遺憾なく発揮されています。どこまで行っても不実な政権です。


新聞投稿文
国民は油を塗り始めている
                     ・・・・・宮沢賢治

 安倍政権の基本的人権無視、国民主権軽視、平和主義蔑視の政策は確実に進んでいます。
 教育基本法の改定は、教育の目的を「人格の完成」から国家との「人格の一体化」へと変えるものでした。特定機密保護法制定や、マスコミへの干渉も「お上に逆らわない国民」の「育成」が本音です。それが石破茂自民党幹事長(当時)の「デモはテロ発言」で表出したのです。
そして、今や、道徳の教科化、安保法制、原発のついでにとばかりの教育勅語再稼働と、矢継ぎ早です。これらの政策も、本音を隠し、一見もっともらしい口実の下、不確定さ、不実さを残したまま、実現されてきました。これを安倍政権は「決められる政治」と自負しています。
結果、国家主義へのレールが引かれつつあると気付かされる国民です。そこで、連想させられたのが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。最初は料理を食べるためと従っていましたが、自分の身体に油を塗っている己に気付くに及び、食べるはずが、食べられる自分とようやく気付くのです。目的として扱われるはずが手段にされる「注文の多い料理店」の客のようです。
真綿で締め付けられるように、国家が迫り来て、動こうとすると法律に触れてしまい、黙るしかない。この上、共謀罪が加わり「教育勅語再稼働」を撤回さることができなければ、もう、フライパンの上に乗せられる寸前です。
最近、気になっていることがあります。報道番組のキャスターたちが、懸念を言いながらも、反対とは言わず「国民みんなで考えることが大事ですね」と締めくくるのです。自ら油を塗ってはいけません。

さはあれども
 先月28日今週の火曜日に、確定申告相談会に行き、申告を済ませました。毎年、係の方には有難く、感謝感謝です。手際よく、しかも税額が最小になるよう算段していただき、20分ですべて終了しました。
 が、今年からマイナンバーの記入が必要と書いてありましたから、実は緊張していったのです。私は、マイナンバー制度には反対です。これが定着するような協力はしたくありません。ですから、どうしてもマイナンバーが必要ということなら「確定申告しません」と見栄を切ろうとと決めていたわけです。
 係の方は30代の男性でした。彼は、まず、必要な書類を確認をして、次々作業を進めます。そして、身分保証ということになりました。意志をお話しすると「最初はマイナンバー絶対という指示が来ていましたが、少なくとも今年に関しては、厳密に行うことはないという連絡が入っています。とさらさらとおっしゃるのです。安堵のあまり、気が抜けました。
 こんな些事の中にも、国家権力は姿を現すのだということ、こんな小さなことでも、自分を緊張させるのだということを感じ、国民としてのおのれの位置というものを思い知らされました。権力は従っている間は空気のようなものですが、抗すれば、暴力団などかわいいものだと思わされるほどの怖さを教示してきます。さはあれども。
トランプ金正恩ばかりだが
 問題児トランプと金正恩、マスコミは大いに驚き取り上げています。間接的に我々の生活に大きな影響があると言えばありますが、これらに特化するような取り上げ方はどうなのでしょうか。自分は安全なところに居るとみて野次馬のごとき気軽さで楽しんでいます。その意味では小池劇場も同じです。
 気楽でいられない事件が大阪豊中で起きています。森友学園への国有地格安譲渡問題です。この学園の小学校開設に伴い買い入れたものですが評価額9億円以上にもかかわらず、1億数千万円で払い下げられています。しかも最初の予定では「安倍晋三学園」としようとしていたようです。流石に、安倍首相は辞退したようですが、名誉校長が安倍昭恵首相夫人であることは事実のようです。首相はこの関係を「私と考え方が近いということで、話が来たのでしょう」といった答弁を国会でしています。
 ではこの学園、どういう教育方針を持っているのでしょうか。既設の幼稚園では「教育勅語」を園児に暗唱させています。理事長は日本最強の右翼集団「日本会議」の有力メンバーです。安倍首相もこの会議の一人です。教育勅語以外にも、不適切な指導をしているとの報道もあります。
 これを厳しく追及するマスコミがないことに抑えきれない恐怖心を表明します。安倍首相らが戦前の国家・社会を再生したいという思想の持ち主であることは疑われ続けてきました。でも彼は憲法の三大原則を守ると言い続けています。だから、国民はそれを信じています。
 が、今回の事件は、大っぴらに、戦前の教育を掲げる学園を財政面で支援してはばからない、大胆さがあります。これをやってのけられるという自信の表れと受け取れます。もう、戦後民主主義の否定、日本国憲法の大日本帝国憲法への復帰に向かって、流れはできたという認識表明とさえみえます。この事件の完全究明をして、安倍政権を打倒するほどの力を発揮しなければ、まさに、安倍首相や日本会議の思うつぼです。
 戦後民主主義、日本国憲法の理念を放棄させられるかどうかの境目にいるという危機感は全く見られません。アメリカ国民はトランプ大統領の反民主主義、反人権主義に立ち向かっています。しかし、それを面白そうに眺める日本国民は、自分たちの人権や自由が奪われつつあることに気付かずに、無関心でいられるのです。土台が腐りかけている料亭の二階で宴会を楽しむ人たちと日本国民が重なります。
2017年を迎える
 2017年を迎えました

 新年を迎え、新たな気分にはなります。しかし、祝うとか、目出度いとは言えない気分なのでございます。ひねくれ者の本領躍如なのでしょう。とは言え、そのひねくれ者がことの本質を突いた批判をしてきたのも事実でございます。
 高度経済成長期以来、大事なものを捨て、忘れてはいないかとの指摘が続きました。しかし、今私たちが直面している事態は何でありましょうか。「真心」「誠実」を軽視し、軽蔑さえしかねない世相です。しかも、それをリードしているのが政治家であり、文化人であることが深刻さの度合いを深めているように思うのです。誠実であることは損である、実は無能でさえある、そんな意識を若者に植え付ける社会が今、ここにあります。
 「誠実さ」は助け合う社会だからこその価値です。これを価値と観ない集団は社会に値しない「群れ」です。「自己責任国家社会の無責任」この認識から、一年を始めたいと思います。

2016年のご報告

A 憲法を生かす匝瑳九条の会
 1 安保法制廃止要求署名を行う・・・様々な活動で300筆ほど(正確には集計せず)
 2 匝瑳市議会に安保法制廃止意見書の提出を求める陳情を行う・・・不採択
 3 憲法を生かす匝瑳九条の会ニュース6~9号、特別号発行(一回に1万2千部新聞折込)
 4 東総九条の会連絡会を結成して、憲法講演会開催 講師は船橋法律事務所宮腰直子弁護士
   「そもそも憲法とは何なのか」参加者は65名。この会は「9条の会・あさひ」「9条の会・銚子」「多古9条の会」「戦争をさせな    い・九条壊すな旭の会」「憲法を生かす匝瑳九条の会」が集まり、結成されました。
 5 復興支援フェアに参加・・・SIZバッジ、安保法制反対ポスター、竹とんぼを販売

B サタデースクール・・・今年は71名の児童が在学、昨年よりも18人も増えました。今年も全学年の必要に応じた応援係です。6  年生には考える算数問題に挑戦してもらいました。鶴亀算などです。

C 自宅での勉強会・・・三年生の翔君と我が家で算数と国語を勉強しました。

D 交通安全協会・・・支部長をじゃんけんで決めるとなったので、自分がやると言ってしまったことから始まったこの仕事も、後5か 月となりました。結構大変ですが、結構楽しいのです。というか、知り合いが増え、人を楽しむことが増えるのです。とは言え、二  年で結構というところです。

E 短歌にも挑戦・・・少しご紹介
     父の死に挨拶でないありがとう初めて放つ己に気づく
     道徳を九九のごとくに覚えさせ哲学させぬ人間させぬ
     稲の花知られず開きまた実る見せ掛け嫌う農夫のごとく
     父の目に再び問えば生きる意志ただ一粒の巨峰に託す
     諦めるために頑張る試される若さ残酷迷いの中で

F 川柳
  税引き後タンスヘイブン民悲し        
   沖縄に基地という名の戦あり
  正気では核廃絶はできぬのか        
  富岳から飛ぶ気で選ぶ都民です
  暴言が時代をリードする不気味       
  注文を迷うも味の一つなり
  今流行る社交嫌いの絆好き         
  ポケモンにゾンビと化した人の列

G 俳句
  寄り添うは菜の花のみの戦没碑        
  若冲の牡丹の彩の苗植える
  心太舌滑らせて発音す            
  つつましさ貧しくはない茄子の花
  嵐去りまた鳴きじゃくる蝉しぐれ       
  堅い羽根飛ばずに背負う冬の蠅
  雪見舟眠る季節の夢の中           
  木枯らしや片手を庇い歩く猫
  巻き風にやがては集う落葉かな        
  日向ぼこ白毛ふくらむ犬と居る 


「東総九条の会連絡会」からのアピール
(11月26日開催した「憲法講演会」の時に、来場者のみなさんにお配りしたものです)

繰り返される本質隠し
 南スーダンの政府軍と反政府軍の「撃ち合い」が「戦闘」なのか「衝突」なのかという不思議な「衝突」が国会でありました。政府は「戦闘」ではなく「衝突」だから、自衛隊を撤退させないと言います。
 そうでしょうか。本来「衝突」は軍事用語ではありません。その証拠に軍事用語で使う場合は「軍事衝突」です。衝突は「ぶつかること」に過ぎず、軍事衝突ではありません。そもそも「軍隊同士の撃ち合い」を軍事衝突=戦闘と言います。「衝突」は本質(戦闘)隠しの目くらましです。結果政府は、自衛隊員を戦闘地域に置き、その命を裸で危険に晒しています。
 より鮮明な本質隠しが「武器輸出」から「防衛装備移転」への転換です。武器輸出解禁の本質を隠したい政府による看板替えでした。そして、安保法制制定時です。「積極的平和主義」の名の下、戦争可能な国に変えました。
 「衝突」を使う理由が、せっかく作った安保法制を実働させることにあると、透けて見えます。国会所信表明演説時に議員を巻き込んでの自衛隊員の称賛も根は同じです。彼らの命を道具のように軽く扱う一方、死を条件に褒めたたえ、やがて「道具」とは言わず「英霊」に祭るのです。私たちは、このような「浅ましい」政府の支配下にあります。国を愛しますが、この政府を愛し、信頼することはできません。

危ないのは平和だけでしょうか?
 信頼できないと言えば、この政権は民主主義も人権も嫌いなのかという疑いです。中谷防衛相(当時)は「いかに、憲法を安保法制に適応させていけばいいかの議論を踏まえて閣議決定した」との発言により、憲法違反を自白しました。高市総務相は政治的公平の名を借りて、政権批判を抑制する意思を表明し、安倍首相は「私は立法府の長」と発言。振り返れば、この政権得意の手口は、原則の本意を捻じ曲げ、真逆の意味内容に変質、劣化させておきながら、より改善させたと見せるたくらみです。
 これが自民党憲法改正草案に見事に現れ出ています。憲法は権力者を縛るための法規ですが、この草案は国民を縛ることに力点を移しています。憲法の本質を欠いた「憲法」を作ろうとしているのです。安倍政権は9条平和主義だけではなく、国民主権、基本的人権という日本国憲法の本質的な原則に反する言動を繰り返しています。改憲ではなく「壊憲」になってしまう危険さえあります。
 彼らは、先の戦争を侵略戦争とは認めません、反省していません。ですから、反省の上に創られた日本国憲法が嫌いなのです。私たち東総九条の会連絡会は、敗戦直後に立ち返り、日本国憲法を持つに至った必然性を確認し、自民党憲法改正草案はもちろん、改憲の論理を批判し続けます。

次郎は写真写りが悪い
「 次郎は写真写りが悪い 」といつも思わされるのです。ということで今度こそはと、写真を撮りました。がまだまだ次郎のハンサムぶりというか、かわいらしさが表せませんでした。残念です。
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うれしい再会
 昨日は、地域の歩け歩け大会に参加してきました。出発場所のすぐ近くに住んでいる、一緒に三年間勉強した陸君が部屋から顔を出しているので誘いました。ということで、楽しい歩け歩けになったわけです。
 と陸君と話をしていると「八角先生でしょう」と子供連れの女性から声を掛けられました。農高の卒業生でした。陸君を見て、お子さんですか?と不思議そうです。すると、陸君が説明。すると「先生、うちの子も見ていただけません」現在、一番上の子が二年生だそうです。「真知子の子供も三年生で、誘ってみます」ということになりました。有難いことと仏に感謝しました。風もなく暖かい一日を話し笑い歩き、健康的に過ごせました。
小春日和
 絵にかいたような小春日となりました。南風が吹いていました。次郎君が走ること走ること、走っては水たまりの水を飲んでいました。おまけに、冬眠前の、栄養を蓄えようと歩き回っている蛇を捕まえました。久しぶりです。はやり、あの目はハンティングのそれでした。「放せ!放せ!!」という私のしり目に、誇らしげに歩くんです。しかし、今日は、しばらくしたら、開放しました。どんな思いなのかわかりません。
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 以前、お話しした荒れ果ててしまった庭です。芒がわがもの顔では侵入しています。イチョウが黄色がかってきました。
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 今年もツツジが季節はずれに咲きました。


文化の日父の命日
 文化の日は晴れの特異日とされていますが、確かに今日も良い天気でした。私の出身校の文化祭は毎年、11月1日から3日に行われていましたが、そのすべてが晴れであった記憶があります。そして、父が亡くなった1999年11月3日も素晴らしい天気でした。
 次郎君との散歩も最高の気分でした。そこで、語彙力がない自分は「秀麗」で一句作ることにしました。そして墓参り。

     秀麗や天地一体無に至る

     命日や生き方を問う菊の花

 次郎君は私が秀麗に酔いしれておるんですが、どうも、違うのです。彼は散歩ではなくハンティングに出ていると理解しているようです。田んぼの中には白鷺、アオサギ、蛇、今日は猫までいました。暖かい日差しを浴びて、のんびりしているところに、次郎が襲い掛かったものですから、危うく、捕まりそうになりました。次郎の興奮は尋常ではありません。いやしばらく、走り回っていました。そこで全く波長が合いませんでした。

     吾散歩犬のつもりはハンティング


     ナチ軍服謝罪するなら日の丸は
探し物をしていたら
 探し物をするので、古いタンスの引き出しを開けると、兄弟四人の通信簿がもれなく入っていました。自分のはもちろん、姉弟のもみました。
 私は4年生二学期までは、何のとりえもない目立たない子どもだったのだと思います。それが、なぜかその三学期クラス委員に選ばれてしまったのです。意外でした。そこで単純な自分は「クラス委員は勉強ができる。自分は普通、では、勉強してできる子にならねばば」とクラス委員に自分を合わせる羽目に陥りました。結果、成績は急上昇、優等生の仲間入りを果たしたのです。これは我が人生最初の転機になりました。
 通信簿には成績のほかに「行動の記録」と「通信欄」というのがあります。こちらの方が興味深いです。客観的に自分はどう見られていたのか?私は1年から3年までと4年から6年までそれぞれ同じ先生が担任でした。案の定、1年と2年の行動の記録はすべて「B」。3年になり基本的生活習慣、自省心、協調性、情緒の安定に「A」が付けられています。
 4年からは男性の中野先生が担任です。根気強さ、自主性、自省心、向上心、が「A」です。5年では加え、基本的生活習慣、積極性、指導性が加わります。6年も同じです。気になるのが「同情心」「公共心」公正さ」が「B」であることです。特に「同情心」です。そうだったのかと思い知らされた気分でした。
 成績で気づいたのが、目覚めさせられた4年3学期以来卒業まで、社会だけが欠かさず「5」であったことです。社会科の教師になる下地がここにすでにあったのかと感慨深かったです。そして、国語。1・2年の通信欄には「国語の勉強をさせてください」「童話を読ませたらどうでしょうか」「読みをうまくしようと努力は見られますが」と言った種市先生のお言葉が繰り返されています。ちなみに6年間、国語は2か3でした。6年間4も5も一度もないのです。なのになぜか大学は文学部に入りました。専門は社会系ですが。その他、姉弟の通信簿も面白く読ませていただきました。
餃子の焼き方上達する
 テフロン加工のフライパンの寿命が短くなったと嘆いていた私でしたが、悪かったのは自分でした。フライパンを換え変えること三度、四度めに、真相が明らかになりました。
 千葉そごうの生活用品売り場での話です。中年の女性店員さんに話を聞いていた時です。「テフロン加工のフライパンの質が落ちたように思うんですが、このフライパン大丈夫ですか?すぐに焦げ付くようになりませんか?」と聞くと「お客さんはI Hをお使いではありませんか」「はい使っています」「強い火力でお使いではありませんか」「強火が旨い料理への鉄則と思い最強度8で調理しています」「それが原因です。あまり強いとテフロン加工がはがれてしまいます」
 ということで、おすすめのフライパンを買って、教えに従い強度5で調理し始めました。お陰で、未だにテフロン効果は維持されています。結果、一番効果が出たのが餃子焼きです。以前は、焦げ付き、跡形もない姿になってしまった餃子が下のように焼けるようになりました。加えて、蒸し焼きにする水の量も減らし、水が無くなってきたら、フタを取るようにして、水が無くなってから、弱火で少し焼くことにした結果、下の焦げ目はパリパリ、上は柔らか、中身はジューシーになりました。

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水神祭り
 10月8日・9日は匝瑳市春海地区(旧椿海村)の鎮守水神様のお祭りでした。交通安全協会椿海支部は交通安全のため任務に就きました。

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 小学生による奉納舞です。心打たれました。この場、この時だけ、平成の世ではなくなりました。まずは、テンポの緩やかさです。それが今よばなれしているんですね、そうして、心静まるんです。

     巫女の舞視線は遠く神を観る

     巫女四人神性を舞う秋祭り

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椿海小学校3年・4年生による子供神輿です。
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高齢化はここにも!!担ぎ手が不足して、消防団の若者(と言っても40代)も加わっています。
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お囃子連(東和会)の面々です。去年の三月まで勉強会に参加していた陸君も大太鼓を打ちました。
混じりけを嫌う病
     米食わず体使わぬダイエット

    サプリメント偏食極む添加物

 この病を日本人特有であると言いたいわけではないのです。近代科学に内蔵された病ではないかと思うんです。科学は分析を得意とする、というか、分析=科学と言っても間違いではないでしょう。それを象徴する言葉が抽出と培養です。自然界に混在する要素を分けて、特定物だけを取り出す、それを目に見えるように増やす。極めて不自然なことを人工的に作り出すのが科学の方法です。そうした上で、その物質や生命の特徴を洗い出し、それを基に、それらを利用するわけです。
 サプリメントはまさにそうした製品です。自然界にはありえない状態を不自然に作った人工物です。極端な偏りです。常態ではないという意味で危ない存在で、一種の薬物との認識が必要な代物です。いろいろなものをほどよく食べるのが健康には必要という常識の一方、サプリメントが推奨されています。「過ぎたるは及ばざるがごとし」という素晴らしい教訓がありますが、これをあざ笑うようなサプリメントと私には見えます。
 過ぎたるは・・・・といえば、炭水化物ダイエットです。この教訓に従えば、健康に良いわけがありません。しかし、その効果を吹聴する有名人が多く、その影響から相当数の方々が取り入れているようです。しかし、ダイエットには成功したが、健康を犠牲にしてしまうなら、何のためのダイエットなのでしょうか。健康に悪いからダイエットなのではないですかね。それとも、ダイエットの目的は見栄えだけなのでしょうか。その見栄えも不健康では、色あせてしまいます。ここにも、混じりけを嫌う病が。
椿海地区演芸会
 昨日は椿海地区地域振興協議会主催の演芸会に参加しました。その後の役員の慰労会も含めると丸一日の行事でした。
 感じたことがあります。民謡の力です。民謡の部に入る前は歌謡曲、主に、演歌をみなさん歌われました。そのときは聞き入るということは正直ありませんでした。拍手をして、楽しそうにすることが役員の仕事と思って、そうしていました。しかし、民謡は聞き込んでしまうんです。歌詞は聞き取れない方が多いのですが、なぜか、心が向かうんですね。それは隣にいた方も同じでした。というか全体的に引き込まれていたように見えました。 曲、リズムがひきつけるのでしょうか。確かに、一番初めのお囃子連の演奏にも皆さん聞き入っていました。
 もう一つ、美空ひばりはやはり天才と再確認いたしました。踊りを披露される方がおられました。その曲が「川の流れのように」なんです。聞き入ってしまいました。天才ですね。七色の声を無理なく自然に作れる歌手です。女優の長山藍子さんは演技の上で七色の声を出せる天才をお持ちです。努力なのかもしれません。これも驚かされたことがありました。 いままで、参加したことがなかったのですが、動けば、何か感じられるということを再確認させていただきました。
 今日は新聞やワイドショーで知った事件出来事をネタに川柳を作りました。

     さび効かす寿司職人にわびはなし

     元安が文化味わう旅に変え
     
     都の幹部平成にぶつ植木節

民を止めお上石盛る民主主義

     仮想せば自ずと敵になる戦


 松虫や光のごとく闇にあり    を

      虫の声光のごとく闇にあり    と添削してみました。
ポケモンGOゾンビと化した人の列
 東京お台場に、ポケモンGOに導かれた多数の方々が道にあるれ、危ないとの情報を得た警察が出動する大騒ぎになったとワイドショウでやっていました。以前、スマホに夢中になっている人をゾンビと揶揄したのですが、今度のポケモンGOによる人の動きはまさにゾンビそのものです。何かにつかれた姿はゾンビを連想させます。そこで

     ポケモンGOゾンビと化した人の列

 しかも、いい大人が多く参加しているというから、また、考えさせられます。本来は若者が夢中になり、それを大人はたしなめるものでした。それが若者と一緒になってやっているんですね。新しいものに夢中になるのは若者の特権であり、役目と言っていいでしょう。しかし、それを冷静な目で見る者が一方にいて、世の中はバランスを保ち、維持されてきたのではないでしょうか。その一方の機能が働かない状況が私には危うく見えます。
 一つの価値観、方向にみんながなだれ込んで行くことの怖さを歴史は教えています。江戸の文化はこれを野暮というのではないでしょうか。薄っぺらな近視眼を江戸文化は軽蔑し、野暮と言います。粋に行きたいものです。
みなさんで分担、感謝の会議
 匝瑳市交通安全協会椿海支部長を昨年から務めていることをご報告いたしました。結構大変な仕事です。11日日曜日に支部会議を持ちました。秋の交通安全運動関係行事、10月8,9日の水神祭りの交通整理・警備、よかっぺ祭り交通規制、大相撲匝瑳場所の会場設営、駐車場係、通常の椿海小学校登校安全活動、そして、東総駅伝交通規制の仕事を分担しました。延39人の仕事です。
 これらの係が次々と、立候補で決まり、説明時間を入れても、わずか30分で会議は終了しました。まとめ役としてはありがたいですね。感謝の気持ちで、体も心も温まりました。ちなみに、この日は雨だったのですが、副支部長のMさんは迎えに行きましょうかと電話を入れてくれました。これもありがたいですね。久しぶりに心が休まりました。



     滑り舞うリニア仕業のスケーター

 テレビが詰まらないので、チャンネルを変えたら、フィギアスケートのジュニア世界大会をやっていました。これが素晴らしいですね。きれいに三回転するんです。着地までの姿もきれいです。なんと、15歳。見とれました。結果、日本人が金銀銅独占しました。
俳句心が刺激されました。滑らかな滑り、その上の体のしなやかさから、リニア仕掛けの人形のように見えてきたんです。

     空洞化まこと乏しき豊洲かな

 ここ数年、原則を蔑ろにする風潮が官民問わずはびこっています。そんなニュースばかりです。日銀が、電力会社が、NHKがそして首相閣僚国会議員、地方議会までと切がありません。豊洲市場問題は専門家会議の結論を原則とするという原則を破っています。何のための審議会なのか、お飾りですね。これは、多くの行政機関にも言えそうです。10年前、匝瑳市フォーラム21という市民から募集した市政参加型委員会委員に立候補して、務めました。その時に提出した案、異見は反映されていません。提言をその後、どのように扱ったのかという説明報告、委員にはもちろん、市民にもされていません。
エストエストで575
 なぜか、イタリアンレストランのエストエストに行くと、575をひねり出せるんですね。その確率が高いのです。それを鑑賞していただき、現在の私の心理・精神状態をお察しください。

     戦争の嘆きが生んだオリンピア

 紀元前8世紀頃、すでに、ギリシャではポリス間戦争が繰り返されていたそうです。地中海に浮かぶ島々は海上貿易で栄えました。しかし、多くの島は火山島でその被害がひどく、結果、島を離れます。陸に上がったわけですが、そこは痩せた小さな農地しか得ることができなかったのです。ですから、農地や穀物の奪い合いによってしか生き残れなかったんですね。戦争です。
 これを何とかしようとして生まれたのが、神にささげるスポーツ大会です。その期間は停戦をするという知恵を働かせたのがオリンピックの始まりだそうです。オリーブの冠は神の名において停戦を命じる停戦使がかぶって諸ポリスを回ったそうです。オリンピックでは戦士が選手に変わりました。ちなみに、プラトンはレスリングの選手だったそうです。

     戦士らが矛盾捨ててオリンピア


     人も世も増して己が儘ならぬ

     空っぽのあたまに満ちる疲労感

     客を背に紅茶を友に句を作る