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早期退職後の生活を省みて、ものの見え方、心持ち、生き方の変化を確認しながらの日記です。人生、社会の動きにも眼を向けたいと思っています。
冤罪被害者のお話を聞く
 9月29日の日曜日は布川事件の被害者桜井昌司さんのお話を聴くことが出来ました。権力の、正義を貫くと信じられている検察・司法の無法ブリに腹が立った1時間半でした。
 桜井さんは冤罪被害者という、予想された影を全く感じさせない方でした。ユーモアもあり、男義もある優れた方とお見受けしました。お話し中も笑いっぱなしという感じでした。下手なお笑い芸人よりも数段面白いのです。寄席に出ても通用するでしょう。そこで、575を


   冤罪に被害者今は感謝する
          詫びるこころを持てぬ検察



    
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最新の船橋ヒロさんのコメントをご覧ください
 またまた、ヒロさんが動画を寄せられました。是非観てください。というか、診てくださいと言いたくなるほど病的です。周りがみんな悪なのだから悪を行わねば損だという本音が見えます。森加計事件を起こすわけです。速く退陣に追い込まねばいけませんね。
 今朝の東京新聞一面トップは275万トンのトウモロコシを追加購入するとのトランプ大統領との約束に、応える飼料会社が一社もないことを報じています。これもしかしたら命取りになるかもしれませんね。ここに安倍一強のおごりとその弊害が見事に可視化しています。これでも安倍内閣支持を続けるならば、日本人も相当焼きが回ってしまったというしかないです。ハイ。
 今日は没になった川柳を添削したのを発表いたします。


     切なさが長引くだけの長寿国

     九条の会英霊も名を連ねたい

     戦犯が隊員を待つ九段坂

     戦前も再稼働するアベ政治

     武闘派の文民に武官統制

     日銀に爆薬を積む「好景気」
家の修繕50件待ち
 9日未明の台風最接近で、我が家には雨漏れと外壁の損壊があったことをお知らせいたしました。ご近所の建設会社宅に修繕の依頼に参ったところ50件ほどの依頼がすでにあるとのことでした。次の台風が来る前には修繕ができるといいのですが、どうでしょうか。
 それよりも、この国と社会の修繕の方が火急で、深刻な課題です。全身に癌が蔓延しているにもかかわらず、それに気付かずにいる患者のようです。

    滅ぶ道進んでしまう滅ぶ者

    星追わずミサイルを追う天文へ

    香港の危機他人事かオリンピア
二つの反日
 元徴用工への賠償を日本企業に命じた韓国大法院判決が、日韓両政府の関係悪化を決定づけました。しかし、元徴用工の方々は賠償よりも反省と謝罪を求めています。それは元慰安婦の方々も同じです。
 そこで思い出します。1994年の河野談話が国家的強制連行を認め、元慰安婦への反省とお詫びをし、1995年の村山談話、1998年の日韓共同宣言で植民地支配への反省とお詫びを発表したことです。つまり、日本政府が戦前日本を否定しているとの明示であり、反日本帝国主義の表明です。これが両国関係を良好にしました。
 しかし、2013年、安倍政権は河野・村山談話を見直すと言い出しました。一度認めた戦前の侵略と植民地支配への反省を白紙に戻すと言い出したわけです。実は、これが今回の関係悪化の出発点です。
 ここで思います。反日は、正確には、反日帝=反日本帝国主義ではないのかということです。反日教育も反日帝教育です。ですから、韓国に日本の反省を疑わせない限り、韓国から反日帝=反日は消えます(もちろん、例外はありますが)。
 しかし、もう一つの反日は残ります。この反日は、日本政府が戦前を否定すればするほど、いきり立ちます。そう、右派勢力です。彼らは戦後の日本は嘘の日本で、本当の日本はそれ以前にあると信じています。韓国の反日は反日帝ですが、日本の反日は親日帝です。
 日本の反日の代表は右翼団体「日本会議」です。その支援団体である日本会議国会議員懇談会に、安倍首相をはじめ280名ほどが所属しています。戦前の否定から生まれた日本国憲法に反する主張を持つ日本会議を国会議員が支援する。韓国の反日が続く大本はここにあると考えますが、どうでしょうか。

あいちトリエンナーレ再開を求める署名

 あけび書房さんからメールが届きました。



久保(あけび書房)です。

  連日のBCC一斉送信、ご容赦ください。
  8月6日広島・9日長崎への原爆投下、8月15日敗戦記念日のこの頃です。
  核兵器、平和、言論・表現の自由などを巡るさまざまな問題が生起します。

醍醐聡(東京大学名誉教授)さんなどが呼びかける、
「表現の不自由展・その後」の再開を求める署名活動のメールを転送します。
小生もネット署名に参加しました。

そして、小社も加盟している日本出版者協議会(出版協)の
「「表現の不自由展・その後」の展示中止に対する声明」も添付します。


……………以下、醍醐さんからのメール………………………………………

お知り合いの皆さま

連日、BCCで失礼します。
「表現の不自由展・その後」の再開を求める署名の呼びかけ人の1人の醍醐です。

第一次署名の集約分は、ネット署名に添えられたメッセージ集と一緒に、
8月15日に愛知県庁の担当課と面会して知事あてに提出します。

◆あと3日間の署名の集約方法◆
15日までの第一次署名の集約は次のとおりです。
 *ネット署名 →(入力フォーマット)→ http://bit.ly/2YGYeu9
   8月14日、24時まで受け付けます
 *用紙署名 →(署名用紙のダウンロード) → http://bit.ly/2Ynhc9H
   8月14日 局留め到着分まで

 *お願い
  ・期日が迫っているため、この先は極力ネット署名でお願いします。
  ・用紙署名の場合は、極力、記入済用紙のスキャンをメール添付で
   morikakesimin@yahoo.co.jp 宛てに送信下さい。

◆自治体が「政治的中立」を盾に協賛を拒む辞退が広がっています◆
 神戸、東京都文京区に続き、佐世保でも、同じ事態が起こっています。
 「原爆展後援、佐世保市教委断る 会場で核禁条約加盟促す署名 『中立保てぬ』」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532585/
  「佐世保市の朝長則男市長にその理由を尋ねたところ、書面で回答があり、
『日本政府は核兵器禁止条約が核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長し、
亀裂を深めるとの考えから賛成しなかったものと認識している。本市は政府
方針に同調する』との考えを示した。」

<政府の方針に従わないこと=中立でない=協賛しない、使わせない>
は、時の政権の方針を憲法の上に置く、露骨な反立憲主義。こんな考えが
横並びで広がったら、独裁・検閲国家です。

◆“補助をする以上、検閲は当たり前”を許したら大変 ◆
 政府の方針に逆らう言動、日本の加害の歴史に触れる言説が匿名の攻撃にさらされたり、
公共空間から締め出されたりする事態に毅然と立ち向かわなかったら、
検閲国家になります。

公権力の介入と卑劣な匿名攻撃による表現・言論潰しを「失敗体験」に追い込むには
企画展の「再開」が何よりの答えになると思います。

署名呼びかけ人は、九条の会、日本科学者会議、全国レベルの労組、婦人団体、文化団体、
弁護士団体、大小の市民団体などに、賛同・支援の要請をしました。

「表現の不自由・その後」展の再開を求める署名は今、
老若を問わず、どこに住んでいても、出来る意思表示です。
8月14日までに、この意思表示を大きく積み上げることが、
企画展再開を促す一番の力です。

よろしくお願いいたします。
------------------------
醍醐 聰


八角も署名いたしました。賛同の方は是非署名お願いします。
NHKスペシャル「かくて自由は死せり~ある新聞と戦争への道」
 あけび書房さんから、以下のメールをいただきました。名古屋の「不自由展」展示中止という事件が起きた時です、関心を持たずにはいられません。観ようと思います。皆さまもどうでしょうか。

放送時間   8月12日(月)夜10時~49分
再放送     8月14日0時35分~1時24分

【NHKホームページより】
NHKスペシャル「かくて自由は死せり~ある新聞と戦争への道~」企画意図
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を
浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。
治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」
である。
1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。
発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、
「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。
同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が
名を連ねていた。
国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。
さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも
明らかになってきた。
そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、
社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。
知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。

※登場人物に扮した俳優が、当時の原稿や発言を朗読。小川平吉役は、伊武雅刀さん。
他に石丸幹二さん、正名僕蔵さん、小林勝也さん、高瀬哲朗さん
広島原爆忌
 74回目の原爆忌です。日常にはできぬ恐怖を伝える原爆ドーム、今日も多くの方々を鎮魂に訪れました。しかし、犠牲者を悼む心は薄れているように感じます。「原爆に話はもう飽きるほど聞いたよ」「もういいのでは、原爆原爆と言わなくても」そんな本音が平和への無関心を生んでいるのではと危惧します。
 同胞の理不尽な死にさえ、こうであるのですから、他国人の死への悼みが知れてきます。「何度謝罪させたら気が済むのか」「未来志向で行こう。もう過去を言い合うのは止めよう」これを被害者の他国人が言うならまだしも、加害者である日本人が言うようになってしまいました。まともな心の崩壊を思い知らされます。
 今までに、原爆投下や核兵器に関する川柳を作ってきました。それをご紹介して、私の鎮魂の意を表しといたします。


    原子炉は太陽にあるただ一つ

    正気では核廃絶は出来ぬのか

    核の傘畳む知恵持て被爆国

    欲望の文明が滅ぼす文化

    花筏死者と戯むる太田川

そして、近作      テニアンも知らぬ政治が吐かす核武装
                             ぬ

政府が違憲にしている自衛隊
「自衛隊と軍隊、どこが違うの」との質問を生徒から受けたことがあります。
 昭和の頃まで、憲法をそのまま理解すれば、自衛隊は違憲と思っていました。しかし「非武装中立を党是とする社会党政権が誕生するのでは?!」という状況になった時、正直、不安になったのです。そして、専守防衛という知恵の深さを知りました。
そこで、生徒たちの質問への答えです。「軍隊は外交政策の一つとして武力解決を選択する国の武装組織。自衛隊は外交政策の延線上に武力解決を認めない国の武装組織」ということになります。自衛隊=専守防衛です。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」これは戦争の惨禍が生み出した宝です。ですから、これに変わりはありません。しかし、これに従うためには、同じ理想に向かって努力する国際社会が必要です。九条の理想を世界基準にしてゆく日本政府の努力が前提になるのです。武力を必要としない国際社会の実現を九条は、政府に義務付けています。
 ならば、自衛隊が違憲になるのは、政府が外交手段として武力を行使する場合と、軍隊を必要としない国際社会を実現する努力を放棄する場合に限られます。
集団的自衛権の行使(安保法制)は戦争を外交手段にする米国と軍事行動を共にすることを可能にしました。武器輸出を解禁した防衛装備移転三原則は国際社会から軍隊をなくす努力を放棄したと言えます。ならば、自衛隊を憲法違反にしているのは政府自身ということになります。
憲法を改めるのではなく、自身を変えることが自衛隊を違憲から救う随一の道です。安倍政権が目指す改憲には、戦争に利用価値があるとの本音が見えます。


月刊誌「世界」が書店にない!!
 あけび書房さんが、私の著書の広告を雑誌「世界」にしていただけるというので、我が地方最大の書店に行ってみました。すると、どこを探しても見当たらないのです。

 店員さんに聞いてみると、取り寄せになりますとのこと、驚きました。日本を代表するような月刊誌です。それが大型書店にさえ置かれていないのです。「ここまで来ているのか」と出版界の苦境の深刻さを実感しました。という私も、何年か前に、一冊買って以来、購読していませんでした。
 時代の変化の速さに、付いて行けない自分です。というか、付いて行きたくない自分です。誰の必要によって、この異常ともいえる変化の速さが起きているのでしょうか。そこを考えねばならないところに来ています。変わらない自由はないものでしょうか。

 ちなみに、あけび書房さんは積極的に自社出版物の広告を新聞にしています。参院選挙で安倍政権に打撃を与えるためです。これに備え、精力的に出版活動をされています。その中に、わが書も加えていただいたこと、感謝しています。

岩本務、丸山重威著  「これからの天皇制と道徳教育」

半田滋著 「安保法制下で進む!先制攻撃できる自衛隊」

立石陽一郎著 「ファクトチェック最前線」

吉永直登著 「太平洋から日本を見つめ続ける島 テニアン」

是非、ご購読を!!
5.3護憲集会に参加
 5月3日は憲法を生かす匝瑳九条の会の仲間と、有明護憲集会に参加してきました。千葉市の集会とふたてに分かれての参加となりました。
 参加者数は主催者発表で65000人、各県庁所在地での参加者を足せば、相当な数になったはずです。ところが、取材ヘリコプターは一機だけでした。マスコミはこの集会を無かったことにしようとしているのでしょうか。確認できた日本経済新聞は全く触れていませんでした。1日のメーデーに至っては東京新聞も報じていません。改元と即位の記事で埋め尽くされているのです。
 東京新聞は改元改元と舞い上がっている様子を心配げに、原発問題、経済格差問題、外交、少子化問題など忘れたことくの世相に疑問を投げかけるような記事を書いていたにも関わらず、メーデー記事を二日報じていないのです。「東京新聞、お前もか」と言いたくなります。

 集会参加後、五時に、横浜時代の卒業生11人と、新橋で待ち合わせ、ミニ同窓会と相成りました。楽しい、本当に楽しい時間でした。ただそれだけのご報告です。また来年、5月3日再開を誓い、別れました。

 そんなわけで、少しは気分が晴れたのですが、腹が納まりません。悪態をつきます。

    また詐称空母という護衛艦

    財源がないとは言わぬ防衛費

    自衛隊が違憲ではない
           平和への努力放棄の政府が違憲
地域を支える担い手

  地域社会が行き詰まっています。以前から指摘がある消防団、民生委員に加え、交通安全協会、防犯協会、祭礼も危うくなっています。町内会活動も実質を失いつつあり、ある町内会は解散しました。
 この原因は町会員の多数派が農家から勤め人に変わったことに求められます。しかし、そうならば、40年以上前から地域活動は停滞していなければなりません。この10数年ほど前から顕著になってきた理由は何なのでしょうか。
 企業の変化があると思います。以前は、企業にも田植えのために休暇を取ることは自然との理解がありました。農業高校では稲刈り時季には、休校にしていました。地域社会はこれを当然と受け止めていたわけです。
 しかし今や、企業には社員が社員である前に、地域の人間であるという事実の認識がありません。社員がすべてを仕事に傾けることを求めるのです。雇用は、丸ごと社員を使い切る権利を買い取ることと理解しているかのようです。ですから、社員が家族の一員であることさえ頭にないような働かせ方をしています。働き方改革が空しく聞こえます。
 働き方改革の第1の本義は、社員本人に己を返すことです。そして、第2は地域社会に返すことです。働き盛りは地域社会でも働き盛りです。町内会の役割を70代80代の親父にさせるのではなく、息子世代が担える環境を企業は整えるべきなのです。
 地域の会合に出席すると、他の会と同じメンバーによく出っくわします。同じ人がいくつかの役を引き受けているのです。彼らが高齢になった時、引き継ぐ人材がいない可能性が見えてきます。このままでは地域はその機能を失います。




電車に乳母車専用スペースを
 我が地方では、電車内で、乳母車に出会うことはまずありません。しかし、東京に出ると、結構見かけます。気のせいではないでしょう、お母さんたちは遠慮がちです。
 先日、武蔵野線に乗り立っていると乳母車のお母さんが私に近くに場を得ました。すぐ近くの30がらみの女性はあからさまに嫌な顔をしました。乳母車に下げているいくつかの荷物が彼女の膝あたりに何度か触れたからでしょう。その後も、蔑むような目を向けていました。すると、私と同年代とおぼしき男性が赤ちゃんをあやしだしたのです。先に降りる駅に着いた母親は「ありがとうございましたと深々とお辞儀をして下車してゆきました。
 ふと思ったのです。ドアに一番近い座席をし切って乳母車を差し込めるスペースを作ったらいいのではないかと。さほど改修費も要らないでしょう。若いお母さんたちを支援する機運を具体的に見える形にしたいものです。

    忖度が得にならない世を望む

    1人なら一人死にたい独り者

    テレビ観る空っぽになる我が時間
外国人労働者受け入れ?
 5年間で34万人の外人労働者を受け入れるとの試算を出した政府、矛盾が噴出していますね。
 第一に、外国人研修制度で働いている外国人をそのまんま受け入れるというんです。この制度、日本で技能を身に着けていただき、母国で生かしその発展に寄与するための制度だったはずです。日本に留めるのはおかしいでしょう。この制度の目的が安い労働力確保であることを露呈してしまいました。
 もっとおかしいのは「一億総活躍社会」を目指しという政策はどうなっているのでしょうか。そのため必要な施策を怠っていおいて労働力が足りないから外国人を受け入れるのはどうしてなのでしょうか。要は安い労働力が欲しいだけという本音を吐いているようながウ黒人受け入れです。


     国民を活かせず入れる外国人

     受け入れる徴用工にヒントを得


    黄金色田の赤とんぼ彩失せる

    ランナーの影なく出冬の夜

    荒野に立つ北風だけが生きている
 二郎」「次郎君」から「次郎さん」に呼び方を変える
 これからは、次郎のこと「次郎さん」と呼ぶことにしました。どうしてかですか。それは近ごろ、悪い例がたくさんあるからです。
 「このハゲ、お前にわかるのか。私の苦しみが」には驚きましたが、今や、一国の大統領や指導者が「老いぼれ」「ロケットマン」と、口にするのも憚る呼び方をし合っています。
 先日、サタデースクールで、やたらと「お前」「手前」(てめえ)と呼び合っているので、止めるように伝えました。が興奮していて、聞こうとしません。うっぷんがるようで、そのもととなる事件に関する意見交換と、私がお前、手前と呼び合うことは止めましょう、に関して国語の時間は討論会としました。
 呼び方は、相手に対する接し方・応対がダイレクトに現れ出るものです。老いぼれも、ロケットマンも、手前もお前も、相手を蔑み、尊重しない姿勢の表れになっています。それは同時に、敵対関係を暗示します。敵がいる日常はお互いに居心地が良いものではありません。
 ですから、平穏な生活に戻したいのですが、変えることは難しいですね。そこで、まずは、相手も呼び方を変え合うことをしてみたらと思うのです。形から変えることで、心も変わることがあるでしょう。
 次郎、次郎君とも呼び方は、どうも上から目線です。次郎さんと呼ぶことで飼い主、ペットと言う関係が、同居人同士になれるような気がします。なにせ、次郎さんは居なければ困る同居人です。
体力の減退にあらず
 八日市場小学校まで、サタデースクールに通い出して11年、3年ほど前から、やたら疲れるし、時間もよりかかるようになりました。「年だなぁ」と体力の減退嘆いておりました。
 ところがそうではないことが分かりました。3年、パンクで放って置いたブリジストンの自転車も修理していただいたら、このペダルが軽いのです。三年間乗っていた自転車の性能が低かったのです。確かに、値段も3倍違いました。修理をお願いした滝田さんによれば、ペダルが重い方は中国製だそうです。
 それはそれでよいのですが、体力が減退したと感じたことは、まさに、勘違いだったわけです。体力を維持して、健康で生活したい自分としては、ほっとしたということです。
首相の家
顔も見たくないほど
市民に嫌われるなんて
とても信じられない
共謀罪成った今も
騙しにまみれたマリオみたい
呆れられ捨てられる危ない瀬戸際
私はあんな人に命を取られる
私は言葉の命を奪った
首相は本当の言葉で言え言え
大変な時代が来るのでは?!
 英国民が、EU離脱を選択しました。キャメロン首相は辞意を表明しました。スペインやイタリアでもEU離脱を主張する右派が台頭していると聞きます。EU解体の危険性が高まってきました。そして日本、参議院選挙の結果次第では、軍隊と戦争の放棄を明文化した日本国憲法九条がその本質を奪われかねない状況にあります。
 第二次大戦後、戦争の悲惨さと愚かさとを思い知った人々から生まれ出た理想と言う希望が、今、二つとも揺らいでいます。私達は、また、愚かさに支配されてゆくのでしょうか。ため息が出てきます。胃が痛みます。昨日は久しぶりに下痢してしまいました。ああ、これはチーズの食べすぎですが。
 都議会では、舛添前都知事を追及した都議会議員たちの豪華な出張が問題となり、中止と決まりました。しかし、自民党議員団は私費で行くそうです。馳せ我慢でもいいではないかと思ったのですが、良く聞けば政治資金を使うとのこと、私費とは自腹ではないんですね。又ため息です。


     沖縄はキケンヘイブンゴミ捨て場

     いつまで政治家やる積りなんだよ

     除染土の活用という処分場



   野生児も庭に寛ぐ夏蓬

   彩りを花に合わせるあじさい葉 



         大空襲花筏なす無辜の民
                   ボートは染まる安寧の色  
情けは人の為ならず
 「情けは人のためならず」は「人に掛けた情けが、後に返ってきて、自分を助ける結果になる」の意です。しかし、今は「情けを掛けると甘えて、本人のためにならない」と理解する人が多数派になり、それが大手を振って歩き出しています。更に驚いたことに、専門家がこれに従おうと言うのです。
 同じことが交通ルールにも見られます。横断歩道では「歩行者優先」が常識でしたが、今や、これに従う運転者は皆無です。止まる車があれば逆に、躊躇してしまいます。そこで、運転者に伺うと「横断歩道で一々止まっていたら、車の流れを止めてしまう。かえって危険」と、みなさん仰います。そうなのでしょうか。
 道路で、歩行者は自動車の力に圧倒され、道端に追いやられ、そして危険です。歩行者優先ルールは弱者である歩行者をより対等に仕立てる配慮です。歩行者ハンデを解消する知恵です。社会的公正を生かそうとする意思がそこにあります。しかし「車の流れを止めてしまう」ゆえに、弱者への配慮を蔑ろにすることは社会的公正原理の強者優先原理への摩り替えであり、本旨逆転であります。国会中継でいらいらさせられるのが、まさに、この本末転倒です。弱者を気遣う美徳は愚か者の自己満足なのでしょうか。
 「情けは人のためならず」を「人を助けることは本人のためにならない」と曲解する人々が多数を占める社会がここにあります。好きな言葉は「自己責任」ならば、社会が必要でしょうか。一方で叫ばれるのが絆、絆がないからです。空々しく響く絆です。弱者への配慮は薄く、そして、余裕・寛容が不足しています。


気になった昼下がり
 寒いほどになったので、散歩は一時間以上必ず掛けています。時間は暖かく、しかも人通りが少ない12時前から。隣町の旭市の工業団地内に公園と野球場があります。人も居ませんので、そこで、次郎を放します。
 次郎もしこたま走りこんで疲れると、小山の頂上にいる私の元に帰ってきます。体を寄せてきて甘えてねんねの姿勢を取りますので、ツボを押してやります。
 そんな至福の時間、作業着を着た3人の女性が工場に向かい歩いて行き、構内に入って行きました。続いて、男性社員も。そうすると今度は数人工場内から出てきました。双方の皆さんには、共通点がありました。どなたもばらばらに歩きますから会話はありません。楽しげではなく、存在感さえ感じられないのです。
 仕事が生活のために我慢するもの、苦痛な時間の代償が賃金と覚悟しておられるのではないか、その様に見えてしまったわけです。要らんおせっかいといわれればその通りです。また、勝手な思い込みかもしれません。そうであることを願いながら、散歩の後半を歩き始めました。
水神祭
 10月17日(土)10月18日(日)両日、匝瑳市春海地区では水神祭が行われました。旧椿海村の350年の伝統を持つ祭りです。この一体は江戸初期まで椿の海と呼ばれる湖でした。が黄檗宗僧鉄牛によって干拓された。当時最大規模の干拓で、教科書にも取り上げられています。以後干潟8万石と呼ばれる穀倉地帯になり今日に至っております。その守り神が水神様です。20集落が交代で、祭りを主催します。今年は沖組が当番町です。私は交通安全協会春海支部として、交通整理、警備を担当して、参加しました。
 神輿に水神様をお乗せして、当番町まで、お連れします。五穀豊穣、家内安全を祈願して、集落内神輿は巡行します。一晩、お泊りいただき、また、水神社にお戻りいただく神事です。

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沖集落の記念集合写真です。お疲れ様でした。この中に、東総工業高校で担当した卒業生が2人います。見事な働き振りでした。
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囃子連です。この3月まで、一緒に勉強していた陸君はこの最年少者です。
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これはこれから水神様を水神社におかえしする前の神事です。
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神事の後、子供たちの巫女さんが舞います。
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陸君の太鼓を叩く凛々しい姿!!
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子供たちも大人にまけずに神輿を揉みます。椿海小学校の校長先生の子供たちを見詰める優しい微笑が印象的でした。
 こうして、二日間のお祭りはよる9時ごろに終わりました。安全協会の仕事を無事できたこと、水神様と仲間たちに感謝です。




誰かを犠牲に成り立つ社会は
 「国家による殺人の正当化を否認しない限り、世界平和への願いは、軍拡の声に打ち消されてしまう」そう思う中、安保法制が提起されたのです。自衛隊員が途上国市民を殺し、報復で殺されること恐れました。
 米国のアイゼンハワー大統領は「軍産複合体」の危険性を指摘し、退任しました。それは「軍産複合体」が自己保存のために、人々の生命財産を奪い、民主主義の健全さを奪うのではないかとの懸念でした。50年たった今、彼の心配の現実化は否定の仕様がありません。ベトナム、イラク戦争は、ほんの一部、世界の市民の生命財産を奪い続けています。結果「軍産複合体」は巨大化し、昨年、米国の軍事費は6100億ドル、国家予算の9,5%を占めるに至りました。
 そのアメリカとの集団的自衛権行使を可能にするのが「安保法制」です。九条はもちろん、「われらは、世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言している憲法前文にも違反しています。これが私たちの「安保法制反対」の理屈です。しかし、この理屈もさることながら「軍産複合体」が他者を踏み躙り、太ろうとする理不尽さに感じる、本能的な嫌悪が原動力ではとも気付かされるのです。
 すると、私達は同じ嫌悪に突き当たります。沖縄に米軍基地を押し付けて、自らは経済成長の恩恵を受けていること。コンビニ本部の、独立経営としながら、社員以下の扱いをして利益を上げるチェーン店支配。管理職としながら、その権限を与えずに長時間労働を強いるブラック企業。中間搾取の合法化である派遣労働法制は、派遣労働の固定化をやってのけました。
 そうして、福島原発事故です。未だ、元の生活に戻ることがない、取り返しの付かない事態です。福島県富岡町の夜ノ森桜並木は事故後も咲き続けています。その見事さには、改めて、驚かされます。きれいな町並や、桜を愛で合うご近所との語らいなど、全てを失ったことの重大さに、我々は心を配っているでしょうか。他者に犠牲を強いねば維持できない社会を、これからも続けていいのでしょうか。よい訳がありません。
 「誰かを犠牲にして成り立つ社会」それは「野蛮」です。少なくとも、文化ではありません。これを共有できないならば、我々の文化の底が見えます。「繊細な気配りを本質とする」日本文化と「他者を踏みつけて自らは太る」競争社会が相容れることはありません。教養とは、相手を尊重、尊敬する奥ゆかしい文化です。「文化」が内なる「野蛮」を教養化する社会でありたい、そう思うのは私だけではないでしょう。
安保法案関連の市議会陳情をして考えたこと
  「憲法を生かす匝瑳九条の会」は、麻生副総理の「ナチスに学べ」発言に「これは危ないぞ」と直感した仲間が集まり、結成されました。ナチス制定の「全権委任法」には「憲法に違反できる」との条文があります。今、安倍首相は「憲法違反できる権利」を主張、まさに「ナチスの手口」を真似ているのです。心配は的中してしまいました。
 この間、私たちは「安保関連法案」関連を中心に、延べ6本の市議会陳情を行いました。今回の「安保関連法案」陳情の「継続審査」以外は全て「不採択」です。その理由をある議員は「尊敬する国会議員の結論に従いたい」と説明?しています。憲法を自らの縛りと理解しない首相、その総裁を批判できない国会議員、彼らを尊敬し追従する地方議員ならば、誰が「自由民主」を守るのでしょうか。
 改憲論者も解釈変更による集団的自衛権行使に反対しています。自然なことです。そうでないならば、自分の民主主義を疑うべきです。納得できないまま、異議申し立てをしないなら、それは勇気がないのです。権力への追従は民主主義の自殺行為です。
 安倍首相は安保法制を語る場合に「国民の生命と財産を守ることは私の責務」と繰り返します。あえて、繰り返すのには「何かある」と下司は勘ぐるのです。①消費増税実施決断・・・財政再建にも社会保障の充実に使わず ②社会保障は後退 ③指導力を復興支援に使わず、原発再稼動に発揮 ④派遣労働法を改定し、非正規雇用の固定化、解雇を容易にし「残業代ゼロ」法案で長時間労働の合法化を狙っている、等々。
 こう見てみると、安倍政権の政策は「国民の生命と財産を奪う」ものばかりです。ならば「安保関連法案」も、国民を守ることが目的でしょうか。私たちは、彼の国家実現の手段にされかねません。
 「悪が人と人を引き離す行為に、善が結びつける行為に関係する」とします。安倍さんは隣国の脅威を強調するだけで、友好がもたらす相互の豊かさを語りません。ならば、少なくとも、善ではありません。安保法制の前に「戦前を精算すること」が外交的安定をもたらします。その時、誰も安保法制の必要を語らないでしょう。市民の「殺したくも殺されたくもない」という良識に、政治は最大限の敬意を払わねばなりません。それが憲法の教えです。
 そのことは地方議員にもいえるのです。しかし、陳情審議を傍聴した時「地方議会は国政には
関係ない」という本音が透けて見えました。国政が市民の誰にも大きな影響を与える以上、地方議員は国政にも関心を持たねばなりません。その意識欠如が顕著です。それは住民にも言えます。血縁地縁で地方議員を選ぶのではなく、広い視野と高い見識を議員に求めなければいけません。

知人への呼びかけ
わが親愛なるみなさんへ


 政府与党は7月13日から始まる週に安保関連法案を衆議院で強行採決することを決めたようです。確かにそうならば、参議院否決でも、9月25日の閉会までに、衆議院再可決で法案成立とすることが可能です。
 安倍首相は祖父の真似をするつもりなのでしょう。政権と引き換えに安保条約を成立させた岸信介元首相を尊敬しているのですから、何が何でも成立にこだわるはずです。
 ですから、廃案に追い込むためには、配下の国会議員を浮き足立たせることが肝要です。そこで、地元選出の与党衆参国会議員に抗議のはがき・電話・ファックスを入れる運動が効果的だと思います。「政権を批判したらコマーシャルを入れさせないぞ」がマスコミに効くように「安保法案に賛成したら票を入れないぞ」が政治家に効くのです。是非、抗議のはがき等を送ってください。

 7月1日の匝瑳市内新聞12000部、上の内容を主としビラを入れます。また、東京新聞意見広告第二弾としてもこの運動を提案します。賛同を得られそうな方が居られましたら、電話して同じようにお奨めしてください。

2015年6月30日
                           八 角  宗 林
駅前情宣を実施する
 昨日の憲法を生かす匝瑳九条の会、駅前で、会の存在と主張を市民にお知らせしようと言うことになりました。
 それは、8日の復興フェスタIN東総会場にいらした方から「匝瑳にも九条の会が会ったの」と言われたことがきっかけです。存在すら市民に知られていない会とは何なのか。そう思わずに居られませんでした。4月10日に実施します。

 今日は卒業式を終えた陸君、珠ちゃん、愛ちゃんと10時から勉強会でした。ところが、寝坊して、朝飯を食べていなかったり、忘れていただのと、長い春休みに入り、緊張感がなくなっていました。まあ、卒業祝ということで、雑談をすることにしました。そこに、美術専攻の元中学校校長であるMさんがSIZバッジの販売金を持ってやってきました。なんと17000円も売っていただきました。
 以前から、我が家の工場で、ものづくりを子ども達とやれたらいいね、とおっしゃっていましたので、Mさんを交えてその話をすると、陸君が一番反応しました。女子はまだ、その実感がわかないようですが「大きな物を作るの」との質問も出ましたから、まんざらでもないのでしょうか。四月から、珠ちゃんの弟のゆうすけ君との勉強会も予定されています。また新しい年度が出発します。



     生きること
           恥ずかしいこと
                    本気ゆえ


     学生のような議論に時忘れ

     積極的九条主義となぜ言わぬ

     愛犬の尻見ながら走らされ

     せわしさが速度に変わる朝の道
ヘイトスピーチ防止法制定を要請する意見書提出を求める陳情書
  今日は、第24回憲法を生かす匝瑳九条の会がありました。一番大きな議題は上記陳情書の文面確定でした。皆さんの意見で、以下のように決まりました。



  日頃の市議会議員のみなさまの、市民生活向上に向けた奮闘に敬意を表します。さまざまな審議事項のあるところですが、国際社会の信頼をより高めるためには、上記防止法の制定が必要と考えます。ご審議のほどよろしくお願いします。

  国際社会は、大戦後、大いなる反省をさせられました。それは、列強間の植民地争奪競争が世界大戦を結果し、5000万~8000万以上の人々が命を失ったからです。また、アジア・アフリカ諸国への殖民地支配が生きるに値する尊厳を奪い続けていたからです。
 当然ながら、この反省は改めて、世界平和の恒常化と民族自決の原則に立ち返ることを求めました。そうして、国際連合が設立され、植民地独立の気運が高まるのです。
 独立(民族自決)は民族差別の根絶と一体化して、成し遂げられねばなりません。ナチスドイツによるユダヤ人へのホロコーストは究極の民族差別です。こうした殺戮を可能にした組織化・効率化のおぞましさを忘れてはいけません。
 その欧州で現在、移民問題から一部が右傾化し、ネオナチも含め、ヘイトスピーチ行動が起きています。これに対して「表現の自由」との葛藤もありますが、イギリスでは「公共秩序法」フランス「人権差別法」、ドイツ・スイスは刑法で、ロシアは憲法で規制しています。
 わが国でも、在日韓国人に対するヘイトスピーチが公然と行われています。政府は「表現の自由」との絡みから、規正法制定に消極的です。しかし、どうでしょうか。いじめ問題を問う場合、「表現の自由」を理由に放置することがあれば、その学校は批判されるでしょう。ヘイトスピーチ=差別は「いじめ」です。学校がそうならば、社会・国家も同じです。
 昨年7月24日、国連人権規約委員会は、在日韓国人らに対する人種差別的ヘイトスピーチに懸念を示し、日本政府に差別を煽る行動を禁止するよう勧告しました。政府は、韓国との関係改善を目指すと表明しています。その真意を行動に移す時ではないでしょうか。
 国連の勧告を重く受け止め、ヘイトスピーチ防止法を制定して、国際社会の信頼をより高めるべきです。匝瑳市議会が政府に同意見書を提出されることを求め、陳情します。
ぎすぎすした社会でよいか
 人と接する中、皆に嫌われる人の共通点に気付きました。「人の話を聞かない」「自慢話をする」そして「人に厳しく自分に甘い」しかし、この三点ではないのです。共通点は、これらに自分が当てはまると気付いていないことなのです。
 高校の先生が子供の入学式出席のため、新入生の担任でありながら、欠勤したことが責められました。欠勤に備えて学校には副担任という制度があります。何処に問題があるのでしょうか。
 皆さん有給休暇をとって式に参加しているのでしょう。子の入学式に出たいのはどの親も同じ、先生も子の学校では保護者なのです。自分は休んで出席するが担任は駄目。人に厳しく、自分に甘くないですか。
 寛容さを失ったこと事が目立ちます。国民に義務を強いて、権利を奪う、政治にも表れています。こんなぎすぎすした社会でよいはずがありません。


分かっているのに!!
 多くの市民が、このままでは、文明は滅ぶと分かっていると思います。しかし、それを避け、受け流し、生活を変えようとしないのは、自ら作り上げた安全神話を真実と思い込もうとした東電、官僚、御用学者に似ています。
 文明は頂点に達したときが滅亡の始まりであると、過去に滅んだ幾多の文明が教えています。しかも、頂点から滅びまでが数年と言う場合もあったと聞きます。
 6年ほど前に、あるコンビニ本部に「各店の照明を暗くする考えはないか」を問う質問状を送ったことがあります。丁寧な回答状の内容は「その必要を検討する必要を感じない」とそっけないものでした。これは、みんなに共通した危機への態度ですね
 我々の文明の頂点は、すべての国が現先進国民レベルの生活を獲得するときでしょう。BRICSに加え、ASEAN諸国、ナイジェリアなどのアフリカ諸国も発展目覚しいものがあるようです。そうすると後20年もすれば、全世界が質として先進国並みの生活を実現するでしょう。
 滅亡はその頃から始まることになります。私、80歳、まだ生きていますかね。


   文明も武器と気付かぬ平和主義

   進歩とは破滅を競う努力なり

   苦生まるる一なる命分けしより

   


   親よりもポチを呼びたいあの世から
官邸前反原発集会に行く
 金曜日は、官邸前反原発集会に参加してきました。300人ぐらいでしょうか。やはり、若者、特に学生らしき方の姿は希でした。還暦の私が若手ではなかったでしょうか。
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 21日の特定秘密保護法反対集会にも参加されたと言う話が飛び交っていました。反原発も秘密法も、護憲も、命で低通しているのですから、当然といえば当然です。
 放射能汚染ごみの受け入れに反対したら、市から訴えられたというご婦人が発言されました。所謂「スラップ訴訟」と言うやつです。企業がやる分には「やはり」と予想できる場合が多いでしょうが、行政機関がそれをやるとなると話は違います。
 私は誤解していたようです。秘密保護法が成立したら「反民主主義がやってくる」と恐れているわけです。が、そうではなく、社会に定着してしまった「反民主主義が秘密法を通過させようとしている」が実態のようです。
 安倍さんの反民主主義に力を与えているのは、非民主主義と無関心です。無知と無関心は反民主主義のゆりかごです。また、民主主義勢力の一部を過激派に育てる栄養剤です。皇居周辺は「花金」で文字とおり華やいでいました。不安は募ります。
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  嘘っぽい空気楽しむ大都会
偽装広がる
 今朝の東京新聞、一面トップは「百貨店も食材偽装示」さらに「総合」と「社会」面で大きく報道しています。車えびが、ブラックタイガーがどうのこうの、高島屋、大丸松坂屋がどうの途中で読むのを止めました。覚え切れません。
 先日の阪急阪神や料亭旅館「三笠」では芝えびがどうのこうの。お陰で「バナメイ海老」の名前を覚えてしまいました。エストエストのご主人と話になりまして、そうしたらバナメイ海老を使っているというのです。私が好きな「えびとレンコンのトマトスパゲッティー」の海老はバナメイだったのです。これ美味いですよ。
 ですから、堂々とバナメイ海老と書くか、海老とすればなんでもないことだったのに、理解できません。やはり、利益と奢りではないですかね。

   客二流騙す資格があるホテル

 謝罪も謝罪になっていませんね。多くの誤表示が数年にわたっています。これは意図的です。あるいは、車えびを使って、この値段では納入できないと百貨店担当者は分かっていたはずです。しかし、ミス、知識不足とごまかします。

   一流は謝罪も偽装で一流し

 必要な食材が入らないこともあるでしょう。しかし、だから、偽装してよいとはなりませんよ。事情を話し説明するか、より高級な食材に替えて提供するべきです。それをしないのは、やはり、己の利益のための偽装である証拠です。

   「偽る」は人の為にと書くのだが

 怒りのあまりに、川柳を作り、こんなことを書いている自分は二流の人間です。彼らのターゲットであります。くわばらクワバラ。今日の昼飯は、エストエストの海老と蓮根のトマトスパゲッティーにしましょう。バナメイ海老万歳!!

 
阪急阪神ホテルズ偽装認めねば
 阪急阪神ホテルズの「食材誤表示」を信じるものは極わずかでしょう。グループ17の内8ホテル、50施設中23箇所で起きた事実、7年間も続いていたという事態なれば、組織的な、関係者周知の事実であったと見るのが自然です。
 しかも「担当者が芝えびと表示してよいと認識していた」との話は、誤表示を指示されたと取れる、語るに落ちた発言です。決定的なのは、すべてが高級食材に「誤表示」されており、その反対がないことです。客が騙され、ホテルが儲かるような誤表示しかないのです。明らかに「意図」されています。これを普通「偽装」といいます。
 「偽装」した上に、嘘の発表となれば信頼を失うどころか、存在を嫌悪されます。経営陣は偽装を認め、報酬20%カットではなく、辞任しての再出発を示さねば、経営が危ないでしょう。社員の生活を脅かす保身は許されません。
 白々しいだけでなく、料理人の誇りをずたずたにした10月24日の謝罪会見。部下たちの信頼も失いました。

風評被害と復興
 「消費者の社会性の欠如が風評被害を生んでいる」と言いたげな政府や報道は不快です。その中、東京新聞10月7日の「こちら特報部」には生活に根ざした視点がありました。
 福島市のリンゴ農家阿部一子さんは、チェルノブイリ原発事故時に、欧州産品に不安を感じたそうです。その経験から消費者心理を理解し、放射性セシウムを1㎏中1ベクレルまでに抑えようと、さまざまな除染を行いました。結果、20ベクレルが今年は1ベクレル前後に。
 現在、担当機関の計器は20ベクレルまでしか計れません。それ以下は不検出になるのです。ここに消費者の疑念と不安の源があります。20ベクレル以下ならば安全なのかが問われています。
 手元に、福島原発事故以前の北海道農産物含有セシウムのデーターがあります。りんごは0,02ベクレル。つまり、阿部さんのりんごでも50倍ということになります。ちなみに精米は平均値0、097です。この事実からも20ベクレルまでの検査体制で消費者を安心させるには無理があると分かります。ですから「100までは安心」を信じない消費行動を「風評被害」と攻撃するマスコミに言いたいのです。「どこを見て仕事をしているのか」と。
 復興は進んでいないといわれます。上の事実からもそう推測できます。まやかしの「風評被害」を盾に、除染や検査の有効な体制を敷かない。それが生産活動を損なっている現実を見ようとも、認めよとしない。風評被害を言っている間、復興はあり得ません。
迷惑と絆
 「子供に迷惑を掛けたくない」は今や、中高年の合言葉です。まして「ひと様には」と思うのです。しかし、どうなのでしょう。
 迷惑を負とする生き方は、自分の弱さを恥とし、強さを他人にも課さないでしょうか。人との関わりの拒否を含んでいないでしょうか。「迷惑を掛けたくない」は立派です。しかし、実は、他人に「迷惑を掛けられたくない」とセットになっていると気付かされるのです。
「迷惑を掛けたくも、掛けられたくもない」が本音だとします。そうすると東日本大震災以降、言われている「絆」が、力のない言葉になってきます。絆は「迷惑を掛け、掛けられる関係」だからです。
 しかし、被災地では違います。「絆」は生きている言葉です。大自然の前に、人間が如何に小さく、弱いかを突き付けられました。あの日から二年、自分の周りに「迷惑を掛け、掛けられる関係」を作ってみたいと思っています。
産休・育休5年制度の確立を
 少子化による景気低迷が現実味を帯びてきたのか、保育園増設の声が各界に広がっています。また、リストラのために人材不足に苦しむ企業も増えたようです。社員使い捨ての弊害を思い知った経営者もいるでしょう。
 使い捨てと言えば、非正規社員と思いがちですが、寿・出産退社も立派なそれです。大分前ですが、結婚する重役秘書の退職制度を持つ都銀がありました。これを当然としてきた不見識こそ切り捨てなければなりません。
 そしてさらに、時代は先を見ています。有能な人材は男性と同じ数、女性の中にもいると見る良識です。さすれば、自ずと様々な女性支援制度が浮かんでくるでしょう。そこで、思うのが「産休・育休5年制」の確立です。
 この時期は、女性が母親としての実感と喜びを味わい、親子関係の基礎を築く時です。すべての企業が「なでしこ銘柄」化し、この言葉が死語になることを期待します。



初詣は匝瑳水神社と鎌数伊勢大神宮
 昨日は父の月命日ということで、まずは、お墓参り。酒飲みだったので、菊水265円一缶(酒に興味のない自分はケチる)買って、墓参り。
 続いて、我が町会の氏神様である水神社に初詣しました。
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ここは、椿の海(諏訪湖よりも大きい湖で51キロ平方あったと言います)を江戸初期に干拓してできた広大な新田開発で生まれた村の一つが勘進した水神様です。この干拓地を干潟八万石といいます。鉄牛という黄ばく宗の坊さんが幕府や江戸商人たちの資金援助で完成させました。1674年に一町歩5両で売りに出されたそうです。そうして多くの村ができました。ですから、それほど古い神社ではありません。
 次は鎌数伊勢大神宮に初詣。
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 こちらが干潟八万石の総鎮守です。右の建物が神楽殿です。ここで舞われる神楽は県の無形文化財です。
 
 ところで、この干拓は江戸初期の全国的に起きた新田開発の例として、教科書にも取り上げられています。江戸時代に入って100年で150万町歩であった水田は300万町歩に増えたんですね。中心は関東東北です。関東はまさに、江戸期に入って開発が進んだ地域だったんですね。



ばれる嘘笑顔で言える民主主義
 図々しく生きることが得、あるいは徳と若者に思わせる出来事が溢れる平成の世です。平静でいられません。病気だろうがなんだろうが、総理の職を投げ出した人が、また総理を狙う。企業献金は禁止と宣言した党首が政党助成金貰うまでは企業献金をお願いすると笑顔で言ってしまえる。献金貰ったその時から腐れ縁は始まり、切れないから禁止なのですがね。
 自分は偉そうなことを言える品性を持っているとは思えない、その自覚を持っているつもりなんですが、その自分でさえ、それは恥ずかしくてできない、自己矛盾に自己嫌悪に落ちるだろうと思わせる言葉が国のリーダーから発せられる、そんな時代です。嘆き節をどうぞ、お聞きください!!


   日中を心配装うオスプレイ

   うぐいすを愛でる国だにタカ放つ

   改革も維新も集る助成金

   維新でも企業献金断てぬ国


   日中は自重せよとのアメリカにその資格問う論調ありや
身の周りから経済を思う
 先日、駐車場の契約をお願いしたいとの電話をいただきました。埼玉県久喜市に父が母に残した土地があり、そこを駐車場としてお貸ししています。
 今、契約書を作成したところです。月3000円、ご契約頂いている方がこれで、4人様になります。つまり、年144、000円の収入になります。無職の自分にとっては大金です。
 そこで、比べてしまうのです。匝瑳市サタデースクール指導員として頂いているのが、年、80、000円(自分の年収を報告する結果になってしまいました)。駐車場経営の仕事は、年一回契約を更新する実務だけです。一時間あれば、確実に済む仕事です(掃除、草刈りなどの管理は使用者にお願いしています)。
 なのに、指導員収入よりも多いのです。報酬の正当性の基準について考えざるを得ません。この場合、契約を結んでいますから、正当ならば、制度上のそれですが、これだけで正当と言えるのかという疑問です。
 私の青春時代までは、マルクス主義が力を得ていました。私も、勉強しました。支持した最大の理由は労働価値説です。労働につぎ込まれた労力に比例して価値が高いということですよね。これって、魅力ではないですか。
 駐車場経営?につぎ込んむ労力と指導員としての労力比較、社会経験から導き出すと、前者が年1万円で、後者は20万円ですね。これが私の感覚です。これには異論があるでしょう。難しいとこです。
 今、政治家の報酬が高すぎる、人数が多すぎるというのは、国民に向けた労力を使っていないという国民の不満と不信の表れです。そのほかいろいろな齟齬がある経済格差社会です。
 ちなみに、まともな仕事をすれば、国会議員の報酬は正当なのではないですか。3000万円分の仕事をすることを制度は期待しているのです。しかし、見るところ、彼等の多くは月30万円でいいですね。労力評価の10倍もせしめているのに、全く鈍感な人たちです。
西郷さんは
 昨日、久しぶりに、上野の西郷さんの銅像を仰ぎ見てまいりました。尊敬する歴史上の人物の一人です。彼の偉業もさることながら、西南戦争で示した彼の態度に感服するからです。
 西郷さんは鹿児島の反政府武士達に自重するよう言い聞かせていました。しかし、政府軍の弾薬武器庫を襲うに及び、意に反して、反乱軍大将を引き受けるのです。己を育んでくれた鹿児島と、そこに生きる愛する仲間との絆を保つことが彼の道理だったのです。
 西郷さんが偉いのは、その道理に生きることが道理に死すことでもあると分かっていながら、その選択をしたことです。信念に従えば「負けると分かっていても戦わなければならないことがある」と教えてくれた西郷さんです。
 わが政治家たちにその道理があるでしょうか。「野田では選挙に勝てないから、細野だ」「谷垣では選挙に勝てないから石原だ」その自民党幹事長の石原さんが「谷垣さんの支えるために仕事をして来たわけでは決してない」選挙のたびに勝ち馬に乗り換える御仁もいますね。
 野田さんも谷垣さんもそれぞれの政治理念が一致する政党員が選んだ人です。その人を中心に最後まで、目標実現に努力するのが道理ではないでしょうか。選挙に勝てそうもないのは政党員みんなの行動結果です。その結果から逃げようとは節操がない。やはり、西郷さんは偉いですね。
 
労組は再稼働反対ストを
 コメンテーターが首相官邸前抗議集会は労組中心で市民運動ではないと言いました。労働組合員は市民ではないとの認識のようです。
 この労働組合を市民から切り離す論調は1980年代、ストライキ批判として現れました。市民生活を犠牲にしてでも己の要求を通そうとする反社会的行為だとされました。ストライキは憲法が保障する権利との主張は市民には受け入れられず、以後、ストを打つことはタブー視されてきたのです。
 しかし、7月16日の脱原発代々木集会では、その労働組合員と組織に属さない個人が共に参加し「再稼働反対」「原発いらない」を一緒に訴えました。元元同じ市民なのですから自然なことですが。
 ならば、思うのです。今「再稼働反対」を訴え、電車・バスがストライキをした場合「わがままだ」と市民はいわないでしょう。これを市民が支持することで、野田政治にストップをかけられます。
脱原発代々木公園集会参加
 昨日は、さよなら原発10万人集会に旧同僚と二人で参加してきました。33度と暑かったのですが、参加者の熱気の方が熱かったようです。それは、電力会社は勿論、それと一体の政府への怒りであり、子や孫への愛情や責任であると読み取れました。
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 上はメイン会場に進む途中です。
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 メイン会場、マスコミのヘリが仕切りなしに飛んできました。一番多い時は5機が目に入りました。

 昨年7月2日の明治公園集会は「暇な老人が安保闘争を思い出し、懐かしんでいるだろう」という皮肉が言われるほどの、高齢化社会の縮図のようなデモでした。何せ、58歳の私が若手にみえましたから。しかし、昨日の主役は若者でした。マイクを握りシュピレヒコールを響き続けさせた多くは若者でした。

   若者の声に頑張るデモの中
 
 家族連れも目立ちました。私の前の家族はお爺ちゃん、両親、小学高学年の男の子でした。お爺ちゃんの「原発いらない」の後に、孫がそれを何倍も上回る声で「原発いらない」。思わず、笑顔がこぼれました。
表参道行進中には、群馬の観光バスが来ました。手を振ると中の人達から振り返えされました。

   バスに手を振れば振られる市民デモ

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 10時に帰って、デモをどう伝えているかを観ようとテレビをつけると、またしても、国民の声を聞くという会に電力社員が居たとのニュース。それも抽選で二人も、呆れかえりました。さらに、疫学的に言って、今までは勿論、これから先5年・10年死者は出ないとの発言、耳を疑いました。しかし、こういう認識で居るから、社員も再稼働に反対しないんだと納得しました。もう一度

   東電に内部批判がない不思議

   サマージャンボ電力社員が独占か
NHK改革はNPO法人化
 民間放送局が、スポンサーである大企業への遠慮から、活動を制約されていることは、今や常識です。
 一方NHKでは、政治家による干渉が有形無形になされてきました。従軍慰安婦問題で安倍普三氏(当時内閣官房副長官)が干渉したことは記憶に新しく、その弊害は無視できない状況にあります。
 ですから、大企業にも政府にも活動を制約されない放送局が必要です。思うに、NHKはすでにその条件の一部持っています。運営費である受信料のことです。
 これを寄付へと意識転換をすれば、NHKは権力からも大企業からも独立した、市民の放送機関になります。NPO法人が医療や教育、生活環境整備を行っています。同じように、NHKも公正な放送と文化振興を目的としたNPOに、転身できるのではないでしょうか。
 法的位置、多様な市民を納得させる公正さの問題等いろいろあるでしょう。しかし、今の政治状況や野田内閣の国会軽視には目に余るものがあります。憲法三原則を基準とした、市民の放送機関が必要なことは確かです。

   鯖切身帰らぬ一日惜しみ焼く

   思い出を問うことはなし幸不幸
東電幹部の徳を問う
 東電幹部のあまりの厚顔無恥に怒りが収まらず、6月15日の記事を直して、東京新聞に投稿しました。それをご紹介します。


「東電幹部の徳を問う」

 NHKラジオ深夜便で「フランシーヌの場合」が流れました。1969年3月30日、フランシーヌ・ルコンドさんがベトナム戦争に抗議して焼身自殺、それを悼んで作られた歌です。
 その頃、新宿では反戦フォーク集会が開かれていました。その中でのパリからの報道、アメリカへの怒りは隠しようもありませんでした。死をもってする抗議には、アメリカ大統領を暗殺するほどのエネルギーが必要です。抗議の正当性を通すために、その熱勢を己に向けたのだと理解しました。
 いま、原発事故が起こるべきして起きたことや、東電や保安院、政府の対応を聞き、43年前と同じ怒りの中にあります。引責辞任したはずの東電幹部が天下り、地に降りても天国に安住する厚顔無恥ぶりに「世界平和のためのベトナム戦争」に通じる欺瞞や冷徹さを感じるのです。先日の浪江町長への無礼・不誠実さだけでも十分でしょう。
 イギリスのイートン校は「ノーブレス・オブリージュ」を重視してきたと言われます。「位高ければ徳高きことを要す」の英国版です。戦争でこの精神を実践し、犠牲となった多くの卒業生の名を知ることができます。
 国会事故調が原発事故を人災と認定しました。ならば、責任者がいることになります。保身のための誤魔化しや、嘘、無責任を止める時が来ました。過失を認め、謝罪するにも勇気という徳が必要です。
 公職から身を引くことです。それがエリートとして、再生する最後の道です。そして畏敬の念で、抗議の自殺をされた方々のお墓参をされたらどうでしょう。



   東電に内部批判がない不思議

   東電の自販機に劣る人間味

   幸せが後ろめた気な世相なり


   老鶯のいつもの鳴を聴く昼寝

   雑木の花咲揃う梅雨晴間  
不思議に思うこと
 もう20年も前のことです。部活を終え、職員室で翌日の準備をしていると、修学旅行をお願いした旅行会社のAさんがみえました。6時過ぎ、こんな時間に何だろうと思いました。
 用件が何だか分らない上に、元気もありません。そう言うと、Aさんは「実は、自分の部下の中からリストラ候補を三人報告する日なんです。ですから、社に帰りたくないんです」なるほど、事情が呑み込めました。その後、その話を彼がすることはありませんでした。
 それで不思議に思うのです。例えば、日産自動車のゴーン社長、何万人もの従業員を解雇し、業績を回復しました。それはそれで大変な仕事だったと思います。しかし、首を切っておいて、自分は数億円もの報酬を当然とばかりに手にする、それは自分にはできないと思うのです。
 近くは、日航の再建のために会長に就任した稲森氏、短期間に、黒字経営に持ち込んだと賞賛されていますが、私であれば、それを苦しく感じると思うのです。日航も大量解雇しました。大学の後輩は、嫌気がさして解雇される前に、退職勧奨に応じました。しかも、解雇し過ぎて、現場が混乱したとも聞きます。すざまじいリストラであった訳です。
 そして、東電や保安院幹部です。安全神話を作り、邪教信者のように流布しました。それを不安に思った人々の指摘や忠告をすべて無視し、自らも神話=真理との錯覚に陥ったのです。私なら、総括し、それを提示し、責任を明らかにした後に、身を引くと思うのですが、そういう方はあまり見かけられません。それが不思議でなりません。
福島原発告訴団が問うもの
 脱原発集会だったか、署名したらしいのです。その縁で支援金をお送りし、入会したつもりでいます。東京新聞が本日「こちら特報部」で取り上げた「福島原発告訴団」のことです。
 その気にさせたのは、裁判官制度が言う「市民感覚」です。これほどの事態を招いた原発事故の責任が問われず、誰も裁かれないのはおかしいという庶民の良識です。戦争責任と同じく、またも「一億総懺悔」で終わらせるのかという怒りです。
 専門家は法で裁けるかと言えば、難しいと言います。だとしても、法は人間の「良心」や社会の「道理」を基にしているはずです。それに照らし合わせると、事故で難渋する人達を尻目に、己の立つ瀬にしか関心を示さない東電や保安院幹部の姿は見苦しいのです。
 今回の訴えは法的に裁くよりは「生きる資格」を問う裁判ではないでしょうか。経済利益最優先ゆえ、事故防止策を打つ機会を幾度となく握りつぶしてきた己を振り返り、間違いを認め、謝罪し、一切の職から身を引く、その「人格」を問うのです。
 野田首相は自分の責任で再稼働を決断したと言いますが、彼の責任は「決断をする責任」であり「その結果への責任」ではないのです。もし事故が再度起きれば、彼の命を差し出しても取れる責任ではないからです。「命か、経済か」の選択に経済を優先する、これを諌める訴えでもあります。
 この裁判が問うているのは、詰めて言えば、「豊かさの質」のようなな気がします。我々は「安心という豊かさを金に替え」てこなかったでしょうか?金で生活を買い、結果、心を空虚にし「豊かさを金を払って売っている」のではないでしょうか?「金で買えないものがある」江戸庶民の生活が聞こえてきます。
市民良識共有国家
 「北朝鮮を支持します」といえば呆れられますが、敢えて、いいます。
 過日、北朝鮮は「核兵器のほとんどを持っている常任理事国がそれを持つなと核武力で脅し、圧力を掛けて来る」そのような主張をしました。拉致問題を解決済みと白を切るこの国は良識に欠けます。しかし、この主張は正しいと思うのです。
 もし、常任理事国が個人ならば、どうでしょう。こんな非常識な人はいないと世間は判断します。しかし、個人レベルでの我が儘は国家間では正義に昇華されてしまうのです。このからくりを、私は国家主義と呼んでいます。
 常任理事国は「優秀な国民だから拒否権・核兵器を持ち、世界をリードする資格がある」と言っているに等しくないでしょうか。ならば、ナチスと同じ論理で行動していることになります。
 今まさに、私達は原発再稼動問題で「個人の非常識が国家の常識」であるというギャップに悩まされています。今に続く、被爆者援護・公害・薬害裁判もあります。これらは、人間としての魂の叫びを国家が軽視・無視してきた歴史です。いまこそ、人間・市民の良識を国家が共有する市民主義が求められていないでしょうか。その意味で、問題がありつつも裁判員制度は新しい政治の本質を掴んだ制度だと思うのです。
 これを国際社会に敷衍すれば、北朝鮮の発信も「あんたに言う資格あるの」と思いつつも理解できます。まずは、国民の良識を具現できる政治を創ることです。その後、世界に向けてこれを発信することで、国際貢献したいものです。
飯岡に行く
 震災後、始めて、被害を受けた旭市飯岡にいてきました。生々しい光景はすでにありませんでしたが、海にはそのすざまじい凶暴さの跡が残っていました。

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九十九里の海です。海岸浸食で、砂浜が消えてしまっています。防潮堤が長く続いています。その内側が自転車道路になっているんです。右側の写真の岬の麓が被害にあった飯岡の町です。

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この波ですから、今日もサーファーで、いっぱいです。写真ではまだ、見えませんが肉眼ではたくさん見えているんです。家族連れは波際遊びですが、もう一つの楽しみがあるんです。右の写真は「簡保の宿旭」です。

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家族連れが見えますね。これはハマグリ取りです。サーファーの車が見えます。

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「離岸提」とは砂浜を回復するために海に突き刺して作られた堤防のことだと思います。これが相当激しくやられています。

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これは沖に置かれていた波けしテトラポットだと思います。ここまで持ってこられているんですね。自転車道路にはいたるところ、未だ、運ばれた砂が堆積したままです。

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写真では良くわかりませんね。九十九里浜が弧をなしていることを見ていただきたかったんですが。小さく海の中に四角いものが見えます。実はこれ先ほどの簡保の宿です。海の中のように見えますね。これよりも更に先にまで海岸は弧を描いています。まるで半島のように突き出して見えるんです。よく見てください。右側は風力発電の風車です。20基ほど立っています。風が強いんです。もう、十年以上操業しています。

 11時に出て、4時に帰ってきました。走行距離は30キロ弱でしょうか。途中、旭農業高校近くの「白虎ラーメン」さんに寄って、湯麺を食べました。この店は農高勤務時代お世話になり、ご夫婦とは山によく行きました。また、山に行けるようになったんで、復活するかもしれません。
「落札」の字に驚く
 今年も大リーグで、自分を試そうとする選手が居ます。その姿は頼もしいものがありますが、挑戦に必要な手続きには疑問を感じています。
 12月19日東京新聞スポーツ欄を開くと「青木落札はブルワーズ」の見出しが飛び込んできました。「移籍が決まってよかったな」と同時に「落札?!とは何だ」と驚かされたのです。これは公共事業とか美術骨董品の取引などで使われる言葉です。それをどうして人間に使うのか、受け入れがたいものを感じました。
 記事を読んでみるとポスティングシステムとは入札制度とあります。ならば、落札は正しい日本語です。しかし、売買の対象は人間です。人間と、大事にして来ただろう人間関係と情を無かったことにして、現金でやり取りする行為は高い品性に裏打ちされた文化とはいえません。
 これは日本の伝統とは相容れない思想に基ずく制度です。生産物だけではなく、才能、人格までもを商品にしてしまう貪欲さが「落札」に表われています。人間を物化して憚らない冷徹さと卑しさが寒々しいのです。
 米軍が撤退し、終わったイラク戦争。生産しない者が生産者から掠め取る米国発金融資本主義。これ等に我々は振り回され、驚かされてきました。それでも「落札」に違和感を認める論説を聞きません。
 そうではなく今こそ、自分の中にある「日本」を見詰め、課題を解決するべき時ではないでしょうか。祖先が生み出してきた生き方、文化に信頼し、その伝統に従い判断し行動する。そうして、東北の復興を成し遂げる。来年はそういう年にしたいと思わせる「落札」です。 


   本読みの目に有難き初冬の陽

   白き犬命象(かたど)る冬陽射し
  
   父の肩甘えて見上げサンタ待つ

   人間が落札される大リーグ

   野党でも自民政策実現す

   原則を外し平和の格もも下げ

       
 
今年の一文字「絆」より「失」
 今年の一文字は「絆」に決まりましたが、根底に刻まれたのは「失」ではないでしょうか。
 19326の命が失われ、その家族は財産・職業も奪われました。政治への信頼は完全に失われ、未来への指針をも見失っています。また、ボランティアも支援金も激減しました。「風評」に加え「風化」が心配されています。「絆」は一時的な錯覚ではとさえ見えてくるのです。現に、流行語大賞に「絆」はノミネートされています。
 今我々に必要なのは喪失を自らに突き付け、それを思い知ることではないでしょうか。誰もが不安の中に孤立していることの怖さを認めることではないでしょうか。被災者だけでなく、皆が連帯の必要を感じている、この認識から生まれ出る絆こそが本物だと思うのです。
 「脱原発」と「社会保障の維持・充実」が連帯の接着剤にも、経済再生の起爆剤にもなるでしょう。この道筋を付け来年こそ、今年の一文字に絆を選びたいものです。
城南信用金庫に行きました
 理事長さんが脱原発宣言をした城南信用金庫九段支店に行ってきました。口座を設けたいと用件を言うと、どう必要なのかを聞かれました。他行から振り込むための口座と答えると、地域のお客様のため仕事ですので、と難色。さらに、口座開設を含め新規の取引客には実際その会社工場自宅に訪問してから取引を開始するとのこと。これだけで、どういう金融機関かがわかりますね。
 正直に「理事長さんが脱原発宣言をなさったので、応援したい」というと、毎日3~4人来るとのこと。定期預金にするというと、でしたら、口座を作らずに、九段支店の「ある」口座番号に振り込んでいただき、それを定期預金に切り替えに来ていただければとの提案。そうしました。
 城南信用金庫はイギリスのロッチデールに始まった協同組合運動の精神がルーツと知りました。明治35年に大森山王在住の加納子爵が設立した入新井信用組合がその始まりだそうです。これに刺激されて結成された15の信用組合が戦後合併して城南信用金庫が発足したそうです。
  
経営理念は 中小企業の健全な育成発展   
        豊かな国民生活の実現
        地域社会繁栄への奉仕

 これをまさに理念として経営していると信じられる金融機関ですね。こういうのを一流というんでしょうね。同じような理念を掲げておいて、高利の消費者ローンに資金を回し儲け、さらに、サラ金を子会社として設立したり、傘下に組み入れている大手銀行とは違います。知行合致、言動一致を生き、理念通りに生きている人が一流なら、城南信用金庫こそ一流の金融機関です。

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 城南信用金庫九段支店といっても住所は神保町です。神田の古本屋を回わっていたら、バイトが終わったと甥の健史から電話。三省堂で落ち合いました。神楽坂で昼飯、これをカメラで撮るのを忘れてしまったんですね。それぐらい興奮したということです。スイートは甘味喫茶で、餡蜜でした。
 上野でバックを買おうということで出ましたら、天気が好いんです。ということで、後楽園を散策することにしたわけです。
 甥の健史です。スーツを着てのティッシュ配りアルバイトだそうです。我々の世代にはジーパンいいのではという違和感がありますね。スーツ姿が、妙に老けて見せていますが大学4年生です。
 拡大してみてください。木立の上に、白い雪山が見えます。なんでしょうか?実際はもっと大きく、でしゃばって見えます。そうです、東京ドームです。大いにしらけます。
 わらぶき屋根はここでお酒と月を楽しんだそうです。どちらがセンスよく撮れていますか。下ですね。健史が撮った方がいいです。唯一、甥に負ける分野です。

電報料金に疑義
 旧同僚が亡くなりました。50歳での無念の死です。彼の人懐っこい顔が浮かびました。長男の写真を見せてもらったら、何かしてやりたくなる父親と同じ表情なんですね。
 弔電を打つことにしました。30字ほどの言葉を告げ「ご家族への言葉は何かある」と聞くと例文を選んでくれたので「じゃあ、それで」台紙はと聞くので「一般的なもので」というと、式場に行かないならば「これ」を使うのが一般的です。「それ」にしました。
 確認のため、電文等を読み上げたので「ハイ、間違いありません」「1万3千・・・・円になります。では承りました」・・・・言葉を失いました。電話はすぐに切れ、13000円だけが耳に響きました。商売として幾つかの疑問が浮かびました。
 先ずは、料金設定です。世間的常識からして、電報に1万円を越える料金設定は理解できません。経費は幾らなのか知りたいところです。以前、3~4千円だった記憶があります。ではどうして今回13000円になったのでしょうか。字数と、台紙にあると思われます。ですが、それを提案したのは先方です。ですから、第二に「これですと13000円になりますが」と知らせてから客の意思を確認するのが筋というものです。一流企業がやることではないでしょう。
 ブログ仲間で農業をされている天心園さんに、さくらんぼを注文させていただいた時の話です。請求書が入っていないので確認すると「味わっていただく前から請求は出来ません。それだけの価値があると納得していただいてから請求します」との応えでした。この職人気質を信頼して、お付き合い願っています。
 そして最後に、成果主義がNTTにはびこっていないかという疑いです。NTTドコモさんは「家族割り」を採用しています。三親等親族間料金をただにして、絆を強めてもらおうという粋なサービスです。人の死を悼む心を伝える電報です。減額サービスがあっても好いところですが、逆により儲けようという姿勢には卑しささえ感じました。そう思ってもNTTに頼むしかありません。独占のなせる技でしょうか。
保険諸制度の本義を再確認
 今回の震災を目の当たりにして、これは非常時だと、支援金を送られた方は多いことでしょう。助け合い、絆も言われています。
 同時に、広く社会を見れば、支援を必要とする人々は被災地以外にも見られます。その人々を一人一人が個別に支援することは難しい。そこで、通常時の相互扶助をシステム化したのが保険諸制度であること、忘れてはいけないと思うのです。
 しかるに近頃、保険というと個人の損得だけに関心を集中させる傾向があります。例えば、生命保険や地震保険「高いが安心を買っていると思えば言い」と言います。その通りですが、一家の大黒柱を失った、住む家を壊された家族の「支援」であることの意義も忘れてはいけないのです。通常でも助け合い、絆を結んでいます。
 経済成長が見込めない、というか、これ以上の成長が罪悪であるとさえいえる現在、富の分ち合いは皆で生き延びる上で一番大切な倫理になるでしょう。その認識が予算編成、税制、年金・健康保険改革に欠かせない視点であることの社会的合意が必要です。